新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A

NO.1158 ロンドン五輪における柔道について


投稿者 Tさん  投稿日時 2012.8.14 AM 5:09


ゲンさんは柔道の有段者とのことですね。

先日開催されたロンドンオリンピックにおいて、男子柔道は史上初の金メダル未取得に終わりました。

私自身は日本の柔道が世界のjudoになった故だと解釈しています。

この出来事について柔道経験者のゲンさんの見解を教えてください。


回答者 ゲン


あんたが、『私自身は日本の柔道が世界のjudoになった故だと解釈しています』と言われておられるとおり、今や日本の柔道と世界のjudoは、似て非なる競技になったと言うしかないとワシも思う。

『ゲンさんは柔道の有段者とのことですね』ということやが、ワシは小学2年生の頃から父親に半強制的に習わされたおかげで、一応、講道館の二段の免状を持っている。

柔道というのは一見地味な格闘技に思えるが、これが以外に実戦的である。

特に関節技、絞め技をマスターしとれば、少々の大男でも相手が柔道の未経験者、素人さんであれば簡単に倒せるさかいな。

現在でも総合格闘技で使われている関節技、絞め技の大半は柔道技やということからも、ワシが実戦的やという意味が分かって貰えるやろうと思う。

柔道は、本来は武道であり、れっきとした格闘技である。剣道や空手、相撲などと同様に日本の国技、お家芸とされてきた。

それが、1964年の東京オリンピックで正式競技になったあたりからおかしくなった。

その東京オリンピックの無差別級の決勝戦で日本の神永昭夫がオランダのアントン・ヘーシンクに負けたことにより、一気に国際的に普及するようになった。

日本人が負けたことで柔道が世界に普及するきっかけになったというのは何か皮肉な結果やがな。

それでもまだ初期の頃は良かった。柔道の経験者なら誰でも分かることやが、素人さん相手に勝つのは、それほど難しいことやない。

オランダのアントン・ヘーシンクのような日本人顔負けの姿勢で柔道に打ち込んでいた外国選手もいたが、そういうのは、ごく一部にしかいなかった。

日本の柔道家たちから見れば、世界のそれは素人に毛が生えたようなものでしかなかった。

当然のようにオリンピックで日本の選手が勝ってメダルを取ることが当たり前になっていた。

しかし、世界はいつまでもそう甘くはない。

それまで負け続けていた海外の柔道競技者たちは柔道のルールの範囲内で、各国の格闘技や民族武術を取り入れるようになった。

その民族武術、格闘技の主なものとしては、フリースタイル、グレコローマン、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンといったレスリング系統の格闘技、ブフと呼ばれるモンゴル相撲、ロシアの格闘技サンボ、ブラジリアン柔術などが挙げられる。

その他にも数多くの国の格闘技術が取り入れられたというのは容易に想像がつく。

当たり前と言えば当たり前やが、許されたルールの範囲内であれば、誰しも自分の得意とする技術で勝負したくなるもんや。

それらの技術を取り入れるというのは、自然なことで悪いことやないと個人的にも思う。むしろ、それは広い目で見れば柔道の進歩につながることになると。

また、それまで日本選手が、ほぼ独占していたメダルに対して他国の妬みもあったはずで、それが、少しずつルール変更されるきっかけにもなったとも考える。

それら諸々の要素が加わり、「柔道」が「judo」になったのやと思う。

オリンピックの「judo」は、その発祥が日本の「柔道」というだけのことで、まったく違う混合競技になっていると。

日本の選手が、それをどれだけ自覚しているかというのは、はなはだ疑問や。

加えて日本の多くの人も、「日本の選手はお家芸やのに負けてだらしない」と考えるのは時代錯誤やないかという気がする。そう思いたい気持ちは分かるが。

むしろ、今回の結果は起こるべくして起きたことやと考える。そして、このままやと、金メダルは疎か、メダルそのものにも手が届かんようになる日も近いと危惧する。

先ほど、柔道の知らない人間に柔道技を使えば簡単に倒せると言うたが、それは逆の立場でも言える。

フリースタイル、グレコローマン、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンといったレスリング系統の格闘技、ブフと呼ばれるモンゴル相撲、ロシアの格闘技サンボ、ブラジリアン柔術などの他国の選手が会得している技について知らなければ、その技でやられるのは当たり前の話やと考える。

つまり、いつまでも「柔道」と「judo」の区別ができずに、「柔道」に固執した結果が、今回のロンドンオリンピックの結果やなかったかと思う。

他国が日本の「柔道」をとことん研究してきたように、日本もそれぞれの国の格闘技を研究する必要があった。

何事もそうやが、既存のやり方に固執して胡座をかいて慢心しとるようでは、日本選手に未来はないということや。

良きにつけ悪しきにつけ、「柔道」が「judo」に変わったのは間違いないと認識することでしか前には進めない。

その認識をしっかり持って、オリンピックの「judo」競技でメダルを取り続けていくには、過去の栄光は捨て去るくらいの心構えでやらなあかんと考えるがな。

日本人もオリンピックの「judo」競技は、日本古来の柔道とは違う認識で観戦して、応援はしてもあまり過度な期待はせん方がええと思う。

日本古来の武術とはいえ、世界で普及するようになり、その競技人口が増えれば、発祥国としての優位性が失われていくのは、ある意味、仕方がないという気がする。

国技の相撲でさえ、外国人力士に門戸を広げた結果、横綱、大関といった上位力士の大半を外国人力士が占めるようになっとる。横綱に至っては、2003年1月に引退した二代目貴乃花以来、日本人力士がその地位に就いてないというのが現状なわけや。

仕方ないことやとはいえ、そうなるとその競技の人気が下火になり、その競技を目指す日本の若者が減るさかい、ますます衰退していくことになる。

柔道がそうならんためには、例え「judo」に名前が変わったとしても、やはり勝ち続ける以外にはないやろうと思う。

すべての競技は勝ってこそ、脚光を浴びるさかいな。それが、その競技の未来を左右することにもつながる。

その意味でも、柔道経験者としては、選手には頑張って貰いたいと思う。


ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集 電子書籍版パート 
2011.4.28 販売開始 販売価格350円
 

書籍販売コーナー 『新聞拡張員ゲンさんの新聞勧誘問題なんでも選集』好評販売中


ご感想・ご意見・質問・相談・知りたい事等はこちら から


Q&A 目次へ                                 ホーム