新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A

NO.181 代配手当ての相場を教えて下さい


投稿者 T さん 24歳 投稿日時 2005.12.20 AM 2:34


はじめまして、ゲンさん、ハカセさん。日ごろからこのサイトを見させてもらってます。
僕は今、某販売店グループの支店で臨配として働いています。

臨配という仕事を始めたのは求人誌で、変わった募集だなと思いつつ応募しました。配達は好きなので苦ではないのですが、営業に苦手意識を持っている部分があるので、こういう働き方をしています。

ご存知のとおり臨配は基本的に休刊日以外、休みはないのですが、その分、給料が魅力的なので続けているという状態です。

将来自分で兼業農家をしながら学習塾を経営するのが目標で、お金を貯めるためもあります。

中略(この間、この相談者は、かなり長文にて過去の経緯や心境などを語っておられる。見る人が見ればこの相談者を特定されるおそれもあるので、編集させて頂くことにした。ただ、この人は一途すぎるくらい物事の本質を追究され、そのために相当、苦労されとられるようや)。

塾を経営したいと考えるようになったのも、塾講師のアルバイトをやっていたことがあり、新聞配達と同じように他の仕事をやったときとは明らかに違う、自分の中でのやりがいや充実感を感じ、生涯の仕事にできたらという思いからです。

僕自身は臨配以外で代配をしたことがないので代配手当ての相場がわからないのですが、もしゲンさんがご存知でしたら、代配手当ての相場を教えていただきたいと思い、メールさせていただきました。

ちなみに臨配では月27万円もらっています。そして家賃光熱費は店負担という好条件です。その代わり、いつ仕事が終わるかわかりませんし、休みはありません。

しかし、臨配は経費がかかるわけでいずれ切られると思います。代配だったら、どれぐらいの月給を稼げるでしょうか?いずれお店に話そうと思っているのですが、ゲンさんの概算が聞けたらばと思いました。

店番手当ての相場というものもあるのでしょうか?僕自身は今は臨配としては割りに合わない仕事をしています。代配手当ては出ませんし、区域は毎日日替わりで正直神経を使います。

臨配ならば別の店で常配をやるほうがはるかに負担は楽で、報酬は同じです。また、別の店で配達バイトから代配をめざすということも考えています。

僕の人生経歴も含めて客観的な意見をいただけたらと思いましてメールさせていただきました。よろしくお願いします。


回答者 ゲン


臨配専属の人間を雇っとるというのは、相当大きな規模の販売店のようやな。この臨配についてやが、一般の読者のために簡単に説明しとく。

通常の販売店の構成は、経営者である所長(社長)、店長、主任、専業員、アルバイト配達員、事務員、店内雑務員というのが主流や。

アルバイト配達員は、休刊日以外には休みはない。但し、専業員は、多くの場合1週間に1度の休みが与えられとる。

通常、店長クラスは、専属の配達区域はなく、この専業員の休日にその区間の配達をするケースが多い。

しかし、従業員の数が多いと、実質的にそれは無理やから、そのための専門職を置く。代配、臨配と呼ばれるのが、そうや。

中でも臨配は、その場しのぎという意味合いが強く、社員待遇やない。その名の通り臨時雇いということになる。せやから、あんたの懸念通り、いつ切られるか分からん立場や。他の専業より、高給なのはそういうことがあるからやと思う。

しかも、これは、誰でもすぐなれるというものやない。多くの配達区域を短期間に覚えなあかんからな。まあ、販売店には順路帳というのがあるから、それを見てすればええやないかとなるわけやけど、言うほど簡単なものやない。

毎日、違う地域での配達になるから、精神的にも肉体的にもかなりハードや。しかも、休みもないしな。

ワシは、そういう表面的なことは、出入りしとる販売店で聞くが、実際に経験したわけやないから、その実情は、はっきり言うてあまり知らん。

代配の経験ならある。と言うても、これは、あんたが考えとるようなものとは違うやろと思う。販売店に雇われてということやなかったからな。

ワシは、奈良県のある販売店で、大阪の団からの出向という形で、特定の販売店グループの専属拡張員をしていたことがある。これも、ある意味、専拡ということになる。

そこで、過去に新聞配達の経験があったからということで、代配してたわけや。表向きは、販売店が団に依頼するということになる。そういう付き合いをしとる販売店と団もあるわけや。

その事については『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第5話 新聞奨学生マタやんの憂鬱』 で冒頭に紹介しとるから興味があれば見てくれたらええ。

これには、決まった配達日というものがない。これをするのは、専業や配達員が、急な病気や怪我、もしくは寝過ごしなんかで、配達が間に合いそうにないときだけ、急遽、呼び出される場合に限られとる。

多いときは、週に4日と言うのもあったが、たいていは、週1,2日くらいや。月にして5日前後くらいやったと記憶しとる。

いつ呼び出されるか分からんという待機料込みで1回につき2万円貰うとった。ワシとすれば、これがメインの稼ぎやないから、臨時収入とすれば悪くはなかった。1回の仕事も時間にして2時間前後で済むからな。

せやけど、これが相場なのかと聞かれてもそれには答えられん。これ以外は知らんからな。また、例え、それを知っていて助言したとしても、おそらく、あんたの役には立たんやろし、参考にもならんはずや。

こういう、給与体系というのは、相場で決まるというよりも、その販売店特有のものやと思うからや。つまり、その販売店で働く限りは、そこで聞くなり、交渉するしか方法はないということになる。

例えば、ワシの概算が25万円くらいやと言うたとしよう。その値段を聞いて、販売店と交渉しても、どうしても予断が働く。販売店からの提示額がそれ以下やったら、何やとなるやろしな。

また、その販売店に「他の店の相場は、これくらいですけど」と言うて交渉しても、その販売店が納得せな「それなら、他を探せば?」と言われるのが関の山やろと思う。

雇用関係で給与の決定権は経営者側にある。あんたを、よほどその販売店がほしいと思わん限りは雇われる側の要望が通ることはまずない。そういうことを言えば、その時点で、交渉打ち切りということになり、あんたも他を探すしかなくなると思う。

『店番手当ての相場というものもあるのでしょうか?』ということやけど、そういうのも知らんな。通常、専業にはないわな。仕事の一部に組み込まれとるからな。

ただ、あんたと販売店との間の雇用契約次第では、それを要求することは可能かも知れん。臨配の仕事にそれが入っておらず、時間的な拘束が新たに生じるのなら、労働と見なされるから、その分の賃金は経営者としては当然、支払わなあかんことになる。

しかし、法的な決まりがそうやからと言うて、それを主張しても「はいそうですか。それでは、お支払いしましょう」と応じる所は、おそらく少ないやろ。これも、結局、言うだけヤブヘビなんやないかな。

『臨配ならば別の店で常配をやるほうがはるかに負担は楽で、報酬は同じです。また、別の店で配達バイトから代配をめざすということも考えています』

ということなら、一か八かでそう言うてみるのも手やとは思う。あかんかったら、そうすればええと腹をくくっとるのやったらな。

最後に『僕の人生経歴も含めて客観的な意見をいただけたらと思いましてメールさせていただきました』と言うことやから、僭越ながら感じたままを言わせて貰う。

あんたは、自分の夢のために頑張って苦労をされとるというのは良う分かる。人間、何かの目標を持つことはええことや。

問題は、その夢を実現させるための手段ということになる。今のあんたの仕事は、そのための資金を稼ぐためであって、夢そのものの実現のためには、あまり役に立つとは思えん。

あんたの悩みもその辺りにあるのやないかと推察する。あんたは話を聞く限り、物事を何でも深くつきつめて考えな気が済まんタイプの人みたいや。

そういうタイプの人は事において悩むことが多い。「このまま、こんなことをしていても意味があるのか」とつい考えてしまうわけや。そして、その悩みをなかなか払拭することができん。

どうしても、ネガティブになり、マイナス思考に囚われる。これは、性格、性質的なものやから、一朝一夕に変えられるものやないとは思うが、それでは事の成就、成功はおぼつかん。

物事を成功させる人間というのは、ポジティブでプラス思考の持ち主が多い。マイナス要素より、プラス面を多く見る。その程度は、人それぞれやが、少なくとも自分のすることを信じて疑うようなことはない。

あんたに必要なのは、まず、そういう気持ちへの切り替えをすることやと思う。そうすれば、例え何をしていても悩むことも迷うことも少なくて済む。

あんたのように確かな目標を持って人生設計をしとる者は少ないと思う。ワシも含めて、たいていは流されるだけの人間がほとんどや。それが、あるだけでも自信を持てばええ。

これは、ワシやったら、そうするやろなということで聞いてほしいのやが、仕事はその目標に関連したことで選ぶと思うな。

あんたの場合『将来自分で兼業農家をしながら学習塾を経営するのが目標で』ということで、その農家と学習塾のどちらに比重をおいておられるのかが良う分からんが、いずれをメインにするにしても、生半可な経験や知識だけでは難しいやろと思う。

ワシなら学習塾の経営を目標にする場合は、それに関連した施設での職業を選ぶ。塾講師のアルバイトの経験があるのなら、その仕事を再度、探す。

ワシも昔は、これでも経営者のはしくれやったから、起業するためには金が必要なのは百も承知や。しかし、それ以上に要求されるのは、その業界での経験と知識、あるいはそれに精通しとる人材などの確保ということになる。

どこかの塾の講師をしとれば、あんたの将来は、それが目標なのやから、自然とそのためにどうしたらええかというノウハウが身につくはずや。

また、そのための協力者、支援者が現れることもある。事業を始める上で、金とノウハウだけがあればええと思うとると失敗する確率が高い。

成功する者は、必ず、協力者、支援者という人たちに恵まれとるもんや。人はこれを人脈と呼ぶ。もっとも、これは単なる友人、知人もその範疇に入ると勘違いしとる者もおるようやがな。

この人脈については、やはり、その業界に所属しとらんと知り合うことすら難しい。どれだけの人脈を確保できるかが正否を分けると言うても過言やないと思う。

運とかチャンスと呼ばれとるものは、多くはその人脈によってもたらされるもんやからな。

つまり、そのための運やチャンスを掴もうと思えば、その世界に飛び込むのが一番ベストやということになる。その世界で修行を積んで認められるようになれば、自然にそういう人物が現れ道が開かれる。そういうもんや。

農業を志すのも同じようなことが言える。やはり、それに従事せんことにはそのノウハウは知り得んやろからな。

農業に関しては、その環境のない人間にとっては、従事するのも難しいかも知れんな。ただ、今は、地方の建築会社なんかでは、企業の仕事として農作物を作るという所もあるようやから、そういう所に勤めれば、ノウハウという点では取得可能やないかなとは思う。

いずれにしても、今のあんたの仕事では、目標というには遠いという気がする。勘違いせんといてほしいが、その仕事があかんというてるのやないからな。

目標のための小さな目的の一つということならええかも知れん。あんたの現在の経済力がどの程度かは分からんが、話を聞く限りは、住み込みでの仕事のようや。

それでは、どうしても選択肢は限られる。まず、どこかに自力でアパートなりを確保することが先決やろな。そのための金があるのなら、なるべく早く実行した方がええし、ないのなら、それを稼ぐことが、その第一歩の目的としたらええ。

そのために今があると思えば、現在の環境が例えどんなものであろうとも乗り切れるはずや。

現在のあんたの仕事は、目標のためには意味のないようなことを言うたが、広い視野に立てば、必ずしもそうとばかりは言えん。

現在置かれとる状況が過酷であればあるほど、それは、あんたの中に力として蓄えられるからや。これは過去の経験もすべて含まれる。

将来、少々のことがあっても、そういう経験は、必ずあんた自身の力となって役立つ。あの時のしんどさ、辛さと比べればと思える日が必ず来るやろうからな。

世の中、何でも考え方一つで物事は、まったく別のものに変わる。たいていの成功者は、人生において下積み生活というのを経験しとる。食うや食わずやったという話も珍しいことやない。

しかし、彼らは後年、その時のことを振り返るとき、あの時の自分がいてたから現在があると、郷愁にも似た思いで語る。その誰もが、それを悲惨やったとは受け止めとらんわけや。

そう考えれば、あんたは今、貴重な経験を積むチャンスを得とるということになる。これを苦痛やと捉えたら損や。

あんた自身の人間力が磨かれるのは、正に今やからな。そう考えれば、どんなことも苦にならんのと違うかなと思う。それがプラス思考につながる。

ワシの言いたいことというのは、大体こんなところや。参考になるようやったら、そうしてくれたらええと思う。


この相談者から返礼のメールが届いた。その内容が、読者の参考になりそうやから、紹介
したいと思う。相談メールの内容から、しっかりされておられるとは思うたが、予想以上のお人やった。と言うのも、失礼かも知れんな。

正直言うて、これだけ、しっかりされていたら、ワシのアドバイスは必要なかったと思う。もっとも、ワシが話を聞くだけでも、この人が励みなると言うてくれとるのは救いやがな。


返信者 T さん 24歳 返信日時 2005.12.22 AM 0:11


ゲンさんからの言葉をいただけて、気持ちの面でずいぶんと励みになりました。正直、一番辛かったのは毎日順路を取って区域を覚える時が一番きつかったことを考えれば、今はそれでも楽なのかもしれないと思うに至りました。

臨配という仕事は、稼ぎがいいのが魅力です。拡張の団員はその日その日に結果を求められるのに対して、臨配は穴なく不着なく仕事を淡々とこなしていくことが求められると思います。その辺が、自分の性格に合っているように思います。

確かに、おっしゃるとおりで塾の経営者をめざすにしろ、兼業農家になるにしろ、その業界の現場で働くことの方がはるかに勉強にもなり直接的にも役立つことだと思います。

ただ、塾講師の場合手取りがどう頑張ってもアルバイトだと10万前後が限界です。僕はそれを以前は配達バイトと併用して生計を成り立てていました。

農業の仕事も、これは休みなく12時間労働が当たり前で、今の仕事よりも過酷かもしれません。その割には報酬は今の半分ぐらいです。しかも現代の農業は単一作物を大量に作る方式なので、ちょっと違って、僕がやりたいのは複数の品種をそこそこの量作って、自家消費と大衆食堂に提供して金銭収入を得るというような方法を考えています。

ここがものすごく迷うところなのですが、要は業界での経験と積み重ねを取るか、臨配での報酬を取るかという問題です。

時間もなく休みもなく報酬も少ないという、3拍子そろうと、正直、「自分はただ都合のいいように使われているだけ。」という感が否めません。もちろん、そんな環境の中でも得るものを吸収していくというのも筋が通った道ではあるように思いますが、僕はやはり金に囚われているのかもしれません。

金があればなんでもできる。金がなければ何にもできない。この理屈はえげつないことですが80%以上現実に適した真実だとどうしても思います。

結論としては、しばらく臨配で行こうかと考えています。今の仕事でも、できることはたくさんあると思います。ただ、自分はそれを仕事の疲れのせいにして逃げてごまかしてるだけだとやはり思いました。

今の生活の中で、少し頑張ればできることを、30分の学習、30分の農業の専門書熟読、30分の読書などなどそういうことに生活外で残った気力を振り絞っていきたいと思います。

今、臨配は相当に不足気味のようです。理由は専業のボーナス後の退職ラッシュと元旦配達はごめんだということではないかと推測します。僕などのような駆け出しにも仕事はありますし、人がいないので業界の知り合いを紹介してくれと電話をもらう始末です。

興味のある方は、ガテンでチェックしてみてください。新聞業界のページ欄で、専業の募集、配達バイトの募集などがほとんどを占めていますが、1件か2件掲載されていることがあります。

僕はなんだかんだいってこの業界が好きです。本音がよく出るところが、スッキリしていていいです。この業界にいる人間も一見強面でも、集金や営業で苦労している人間というのはストレスはたまっていてもそれを押さえて、また、相手の気持ちを斟酌できる人間的にできた人がかなりいると思います。逆にお客さんの横柄ぶりにはへどが出るほどうんざりしますが・・・・。

例えば、僕が兼業農家になって農作物を季節サイクルでしっかり作れるようになったならば、拡材として販売所に卸せないかなどと考えます。ビール券、洗剤、ゴミ袋、各種チケットなどどこの店でも使っていて差別化できませんし、相手に自分のところより良い条件を提示されたらそれで終わりという状況です。

僕自身、新聞の営業に疑問を持つのは、商品としての新聞が殺されているということです。どうしてそんなに営業攻勢をかけていく必要があるのか理解に苦しみます。

毎月1部増えたと喜んでは、行ったり来たり、確かにそうやってある程度の部数を維持しているのはわかるのですが、一見徒労のようにも感じます。

まして、ビール券15枚、20枚越えや置きカン、高額チケットから、サービス値引きなど利益が出ないのに部数を維持しようとするのが、よくわかりません。普通の商売の感覚としてはおかしいと思います。

僕が以前、所属していた販売所はそれで倒産しました。1区域毎月50部入って50部落ちるというような始末です。順路帳など毎回書き換えです。僕はそれで鍛えられたりもしましたが・・・・・。

何年も資金を貯めて、独立して販売所を持った若い所長だったのですが、なんらかの圧力があるとしか考えられません。そこまで部数にこだわっても店としては儲けるところがありません。織り込みチラシが収入源だという理由もなんとなくわかる気がします。

新聞社は直接部数増が利益になりますが、販売所は契約に至るまでのどろどろした部分を全て自前で引き受けているわけで、そういう意味で怒りのやり場は、営業攻勢をかけて怒鳴る所長よりも、ずるい新聞社の方なのではないだろうかと思います。

僕は読みたい人が新聞を取ればいいと思いますし、必要な人が決まった値段どおり購読料を払って継続すればいいと思います。拡材が欲しくて新聞を取るような読者は続きませんし、トラブルもだいたいそういう読者がほとんどです。集金の滞納もそうです。

その後、僕がいた販売所は別のグループに買い取られ、そういう不良読者は一斉にぶった斬ったそうです。その場にいたらどれだけ壮快だったろうかと思ったりします。

近所の客の評判は落ちたそうですが、しかし、経営ということを考えたら当たり前です。人間、結局自分の都合のいいところでしか評価してない部分もあるのだと思います。

高部数を維持しているというのは販売所の面子なのでしょうか?ゲンさんはどう思われますか?

僕は1部ごと、どんな契約でも利益がなければ商売として意味がないと思います。堅い契約を積み重ねて、また長期購読してくれるお客さんを掘り出して大切にすることの方が筋が通っていると思います。

拡材営業するならば、うちにしかない拡材というものを開発して、他所の新聞ではうちの拡材は手に入りませんよ、的な強気な発言ができる営業なんかできればなと思います。

また、紙面営業するなら販売所自体が日々の新聞の内容を分析して、お客さんが必要としている情報と新聞紙面に載っている情報とのマッチングをお客さんと何度も契約抜きで、まずはお客さんの傾向を知りながら地道に新聞の有用な利用法、読み方などを提案して新聞を商品として正当に販売していくことではないかと思います。

それに新聞社が圧力をかけるとしたら、正直、憤りは押さえがたいものがあります。「自分らだけいい思いしたら、あとはどうでもいいのか?」と思います。

農作物、特にお米や季節の果樹、また、地元の湧き水で作った果樹ジュース、酪農もしていたらば牛乳など、農業は仲買を省いて流通を自社でやれば、本当にコストが安く生産できます。農法自体でもやり方はあると思います。

なので、考えることはもし独立して個人店を営むような目標のある同年代の新聞屋と会えたら、そういうことを提案できないかなと考えたりします。もちろん、生産のサイクルを軌道に乗せたり、コスト管理、鮮度管理をしっかりできれば、商売としては成り立つと思います。

そして、新聞の拡材としての農作物から、それを「お試し」として、農作物の産直契約販売への布石に利用できるのではないかと考えたりします。

お米など保存の利く作物から、最終的には鮮度管理の難しい、葉野菜に至るまで季節ごと提供できるような生産、流通を確保できるようになればと、そういう夢すら想像します。

新規開拓よりもある顧客層を利用することの方がはるかに楽です。もちろん新聞販売所には拡材の差別化とビール券、金券よりも拡材費用を安くすることがやり方しだいでは可能だと思います。グループ販売所よりは個人店が狙いだと思っています。

僕は農村で自給自足の生活を主に、金銭収入を従にできるような生活を農業を通して作りたいと考えているのですが、農作物の販路として、新聞販売所への拡材卸し、大衆食堂で安価な定食を自家農産物を使ってやる経営、そして、産直契約販売です。

産直契約販売の契約方式を新聞のように3ヶ月、6ヶ月、1年、固定のようにしてみるのも面白いなと思います。

農産物拠点を温暖な地域と雪の降るような地域と二つ農場を持って季節の穴を埋めることのできるような体制ができればなおいいと思いますが、どんどん、個人レベルではどうにもならないことになります。

今は株式投資もやって資産を減らさないように増やそうと、新聞の株式欄や銘柄のネット掲載の情報をチェックしています。どうせ銀行に預けても金利はほとんどつきません。しばらくは必要のない金なので、株を買って資産運用しています。日経がタダで読めるのもこの仕事はおいしいです。

なので、僕自身は自家消費とそこにプラスアルファの余剰生産を行う多品種栽培の農業経営と、大検や小中高、に対応できるような個別指導塾、(生徒10人規模1日2人5日営業)的なプランを考えています。

余剰生産した作物を実験的に販売していくような方向で考えたりします。出資は僕が全部請け負っても構わないというぐらいの資金を確保して、最低生活保障できるような会社で、利益や売り上げに応じて社員に還元をしっかりする、社長や重役が高給取りという考えをぶっ壊して、役割分担に応じてというやり方ができたらと考えたりします。

最低生活保障には自給自足が絡んできます。経済原則重視の切捨て使い捨ての社会ではなくて、循環型のコミュニティづくりの足がかりにできないかと考えもします。

新聞の話とは関係ないことばかり書いてしまいましたが、僕は結構新聞販売業は気に入っています。僕は配達だけですが、いろんな街を底辺から知ることができて、小さな発見があり、景色も毎日ちょっとずつ違って、いろいろな示唆に富んでいると思います。

配達していると体力が落ちることはまずないので、僕は高校野球をやっていたのですが、その時よりも今の方が鍛えられていると思います。頭も使います。

それからカブの運転の技術や、積載の技術。新聞の折り方、ポストの入れ方、チラシの差込み、細かいことですが早く正確にということをこだわると、ある意味職人の世界的な面白さがそこにあり、僕はその辺が面白く感じています。

また、新聞業界にいる人間はちょっと型破りな人間が少なからずいて、そういう人たちの珍妙な会話を聞くのはとても面白いです。下手なコメディアンよりも面白いと思います。新聞屋さんはいろんなことを知っているので。裏と表が見えて楽しいです。

朝焼けや夕焼けもきれいです。雨上がりや快晴の日のさわやかな日の夕刊なんか気持ちも弾みます。

将来、夢も希望も破れて、最大限人生に勝負して、もし落ちぶれてしまったら、また新聞屋になるのもいいかなと思ったりもします。辛いこともありますが、ドラマがあって飽きない業界だと思います。

見知らぬ街に一人でひっそり暮らしているので、話す相手もなく多弁になってしまいましたが、このサイトは楽しく読ませてもらってます。ゲンさん、ハカセさん、サイト運営に少なからぬご苦労をされていることと思いますが、お体に気をつけてこれからも頑張ってください。


コメント ゲン


この人については、何も言う必要はないと思う。しっかりしたビジョンを持っておられる。ただ、農作物を拡材にというアイデアは、現在、地方で実践されとる所もある。

もっとも、それは作る側の積極的な働きかけというより、販売店独自の考え、あるいは勧誘員自身の思いつきということやがな。

ある拡張員の方は、ダイコンを片手に勧誘しておられるとメールで知らせてくれた人もおる。こういう工夫はええことやと思う。

ワシのモットーの一つに「拡材は必要な人間に必要な物を必要なときを選んでするもんや」というのがあるが、それなんかも正にそれや。

あんたの所は、どうも画一的な拡材しかないようやが、この業界は結構いろいろあるもんやと言うのは教えとく。その内容が知りたければ『NO.15 サービスの景品について教えて下さい』を見て貰うたら参考になると思う。

『高部数を維持しているというのは販売所の面子なのでしょうか?ゲンさんはどう思われますか?』

ということやけど、それをメンツとして捉えとる所もあるし、ノルマと受け止めとる所もある。一般的に大きな販売店はメンツの要素が強いやろし、小さな所はそれを圧力と感じとる所が多い。

新聞社の部数至上主義は、やはり体質的なものやから、一朝一夕にはなくならんやろとは思う。それが、ある限りは、こういう構図は続くのやないかな。

販売店の中には、そこそこメシが食えたらええという考えの所もあるのやが、業界の仕組みがそれを許さんということや。その考えが蔓延すれば、ほぼ確実に部数減になるから、新聞社は大打撃を受けることになる。

部数を伸ばす意欲のない販売店の経営者には、辞めて貰いたいとなる。その意味で、各販売店にノルマを科す。成績不良の販売店は、それを理由に業務契約の解除を行う。改廃やな。

ほとんどの販売店が、それを逃れるために必死になっとるというのが現状やろと思う。もっとも、経営手腕に長けとる者は、それを苦とは思うとらんようやがな。当たり前と認識しとる。

拡張団にも似たような構図がある。一言で言えば、この業界は生やさしいもんやないということかな。

その中で、高部数を常に維持できるというのは、自慢になるから、それが減少するのはメンツに関わると考える。そういうことやと思う。

とにかく、ワシはあんたには期待したい。それだけの信念があれば、必ず成功するはずや。後は、自分で自分をどこまで信じられるかにかかる。頑張ってや。

影ながら応援しとるし、何かあれば、いつでもメールくれたらええ。話を聞くぐらいはいつでも聞くつもりやからな。


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