新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A
NO.241 新聞社が販売店を直轄化するという方向性についてどう思われますか
投稿者 BEGIN さん 某全国紙元記者 投稿日時 2006.3.29 PM 5:28
初めてメールをさせていただきます。
私は数年前まで、某全国紙で10年弱、記者をしていた者です。幅広い知識に支えられたゲンさんの軽妙な語り口に惹かれ、販売現場を知る貴重なサイトとして以前から拝見いたしておりました。
今回は、新聞を作る側に身を置いていた人間として、少しでも皆さんの参考になればと思い、メールすることにしました。
さて、今回、アンケートを募集されておられる新聞特殊指定についての根本的な問題は
@国民の知る権利にこたえるための新聞社の「公益性」
A新聞を売って儲けるという新聞社の「営利性」
の「調和」をいかに図るかということだと思います。
まず、私がこの構図で違和感を覚えるのは、新聞社が再販制・特殊指定の維持を訴えるのは、主に「既存利益の確保」であることが明々白々なのに、営利性の要素を極端に矮小化し、大上段に公益性ばかりを主張することです。
公益性は非常に重要です。重要だからこそ「伝家の宝刀」として使われるべきです。例えば、取材源の秘匿や取材活動の自由を主張するときなどに、持ち出されるべきでしょう。情報そのものの自由な流通を確保するためだからです。
しかし、主に会社の営利性維持のために公益性を盾にしてしまうのは、公益性の価値を相対的に下げることにつながります。まさに新聞社の自殺行為です。奉仕するはずの国民に対して、その信頼を失うことにもなりかねません。
新聞社が自ら世論調査を行い、「新聞宅配続けて〇〇%」と大見出しを付け、公益性を盾に「特殊指定の見直し=宅配の廃止」と危機感をあおるのはあまりに露骨だと思うのですが、この辺は読者の皆さんはどのように思っているのでしょうか…。
また、仮に価格競争が起きて宅配制度が崩壊したとしても、知る権利が失われることになるのでしょうか。知る権利というのは、健全な民主主義を支えるための重要な権利といわれています。
偏った情報しか取得できないのであれば、きちんとした国民の代表者たる議員を選ぶことができないからです。しかし、その本質は、自由な「情報媒体」の流通ではなく、自由な「情報」の流通です。
情報自体の自由な流通さえ確保されていれば、媒体の流通性はそれに付随するものでしかありません。例えば、新聞協会が公益確保としての宅配をそこまで重視するのなら、協会員が金を出し合い、格差が生じうる離島や過疎地の販売店に対して補助を与えればよい話です。
理想論かもしれませんが、この問題に対して公益性を持ち出すことは説得力がないと考えます。(新聞業界からすれば、これを主張するしか術がないということでしょうが…)
私がこのように思う根拠は、新聞社の経営体質に改善の余地が大いにあると考えるからです。バブルが崩壊して、世の中は事前規制から事後規制(自己責任)に変わり、ほとんどの民間企業は、合併やリストラを繰り返して生き残りを図っています。
新聞業界は、その波を避け、依然として規制に守られる稀有な存在です。「再販制が崩れたら会社はつぶれる」という話は、相当昔から業界内で叫ばれてきました。
新聞業界が、依然として「護送船団」に守られているのは、ひとえにペンの力に他なりません。各種経済団体が政治献金で政治家を取り込むように、新聞業界は献金よりも強力なペンの力で政治家に取り込み、その体制を維持してきたわけです。(今回の一連の動きを見ても、それが如実に現れています)
広告収入が激減し、経営基盤が脅かされる中で、新聞社の販売収入は最後の砦でしょう。既存の利益にしがみつきたい思いも分からないわけではありません。しかし、新聞業界も変革が迫られる時代が来たのだと思います。
新聞社は異様な会社です。編集部門は作るだけ作り、販売店にそれを押し付け、販売店はそれを売るだけ。顧客に満足を与える「商品」、売れる「商品」をつくるという意識が大きく欠けています。マーケティング調査をして、商品を改善していくという、普通のことができていません。
もちろん、テレビ業界における視聴率至上主義のようになることは避けなければなりません。しかし、あまりに顧客(読者)を軽視してきたことは否定できないと思います。その背景には、特殊な販売制度があることも間違いありません。
そして、会社内で金を持ってくるのは販売・広告・営業部門。編集部門は金を使うだけ。
しかし、新聞社の実権は編集部門が握っている。それゆえ、コスト意識に欠けた身の丈以上の経営に疑問を感じず、それを存続させようと努める。そのあおりが、価格上昇となって読者に降りかかる。現在の新聞社はそういう構図になっていると思うのです。
新聞媒体においては、限られたパイを飽和状態で食い合うだけですから、再販制度が崩れれば、新聞社の淘汰が進むでしょう。しかし、それがあるべき姿なのではないかと思います。
全国紙でも、経営基盤が弱いのに、右へならえで、全国各地に記者をばらまいている所もあります。その地域でほとんど新聞が売れていなくとも、一律にばらまかれます。普通の感覚であれば、紙の出ている地域にとどまるか、全国紙のブランドを維持するために、地方紙なりブロック紙との提携・合併が進められるはずです。
なぜ提携や合併を進めないのか、その理由はよく分かりません。現経営陣のプライドなのかもしれません。しかし、合併は読者にとっても情報の充実化と正確性というメリットを生むはずです。
インターネットの普及が進む現代においては、日本の新聞社も「身の丈」に合った経営が求められる時代になったのだと思います。海外では数十万部でも権威ある新聞社が多くあるのですから…。
業界のリストラが進めば、「再販制の撤廃=宅配制の消滅」ということには必ずしもならないと思います。
グラウンド内で飽和状態になっているプレーヤーの数が減れば、その分でサービスの多様化を図ることができると考えるからです。顧客の多くが宅配を強く望むのであれば、顧客をつないでおくためにも、それに応えたサービスをするのが企業の本分であり、努力の見せ所ではないでしょうか。
仮に地域内で宅配がまったく行われない事態が生じたとしても、新規参入業者が独自のサービスと価格で勝負してくるのが、健全な市場です。そして、価格の平等と宅配制度が公益性の維持に必要不可欠とあくまで主張するのなら、 それを預かる新聞社が自己の良識でその責任をまっとうすればいいことです。
一方、新聞社と販売店の関係についても見直しが必要です。会社が販売店と独占的に契約を結ぶ代わりに紙を押し付け、安定的な収入を確保するという構造は、間違いなくいびつです。販売店が新聞社の一部門であると誤解される所以です。
地方の支局に勤務していると、泊まり明けの朝には必ず読者から、不配・遅配の苦情が届きます。これはこれで別にかまわないのですが、電機機器の販売なら、洗濯機の配達が遅れても、小売店に文句を言うのであって、誰もメーカーに文句を言う人はいないでしょう。
自由競争が進めば、大型量販店の出現によって町の電気屋さんが縮小していくのと同じような構図で、新聞社と販売店という関係が吹っ飛ぶ可能性もあるでしょう。逆に言えば、販売店との関係に固執する新聞社は、競争に太刀打ちできないともいえます。
ただ問題は、現状では販売力のある販売店主が絶大なる力を握っていることです。販売を依存している以上、会社は販売店主に頭が上がりません。販売網を一から作り変えることになりかねない関係見直しは余りにリスクが大きいことです。
会社としては、自由競争となれば、真っ先に販売店との関係見直しが迫られ、その負担が余りに大きいので、現行制度を維持したいという思いも強くあるでしょう。
持論としては、販売店との関係を完全断ち切るのではなく、販売店を直轄化して、会社の一部門とする方向で徐々に見直しを進めるのが理想と考えていますが、このあたりは、ゲンさんのお考えをうかがいたいところです。
新聞社と販売店の関係はケースバイ・ケースなので、一概に答えは出にくいことと思います。(専売と合配、部数や規模の大小、販売力の大小、地域ごとの購買率の格差などなど…)
ただ、新聞社がきちんと販売まで責任をとる形にしなくては、絶対に現在のような契約をめぐるトラブルはなくなりません。法的にいえば、販売契約を読者と新聞社が直接結ぶようにしなくてはならないと思います。
販売店の直轄化といっても、完全な部門化、販売店を株式会社化して完全子会社にするなど、いろいろな形態があると思います。代理店という形もあるかもしれません(保険会社のようなイメージです)。
ともかく、価格の安定や宅配の「公益性」を本当に重視しているのなら、まずは、「自らの販売体制を見直せ」といいたいわけです。セールスや宅配を販売店に丸投げし、価格や宅配に責任を持たない新聞社が、公益性を盾にして既存利益を守るのはどう考えても異常です。
現状のまま自由競争に突入すれば、ゲリラ戦となって販売店の共倒れもありえます。新聞社の側も立ち行かなくなるでしょう。
その前に、自ら販売に責任をもつ体制を作ることが必要と考えるわけです。それが読者の利益にもつながります。特殊指定の見直し、その先にある再販制の議論は、見直しの大きなきっかけになると思います。
ある全国紙が東京で会社直轄型の販売店を立ち上げたという話を耳にしたことがあります。関東地区の専売店が非常に少ない?からこそやれる話だと思いますが、販売網がしっかりしているA紙やY紙でも、廃業店を直轄店に入れ替えたり、販売力のない(力の弱い?)販売店を衣替えするといった形で、少しずつでも見直しを進めることができるのではないかと思っています。
私は販売局で仕事をしたことがありませんので、あまりに非現実的な話なのかもしれません。理想に過ぎ、雲を掴むような話になってしまいましたが、ぜひともゲンさんのご所見をお聞かせください。
以上、私見としては、規制緩和・自由競争を進めるべきだと考えています。新聞社の社員、輸送業者、販売店の店員、拡張員などなど関係者の方には受難だと思います。
しかし、時代の流れに逆行して、それを貫き通すのは限界があると思います。なすべきことをなさず、既存の利益に固執していては、いずれ立ち行かなくなるのは目に見えています。
結局、焦点はソフトランディングできるのかどうか、見直し反対を訴えて時間を稼ぐ間に、新聞社がどれだけコスト面や販売体制を見直し、新たな局面を迎える対応ができるか-にかかっていると考えています。
回答者 ゲン
新聞社の内情に詳しい人からの情報は少ないから、本当に有り難い。今回、新聞特殊指定という業界人には関わり合いの深い問題に思わず意見を言わずにはおられなかったのやろと思う。
ワシらは、何事においても一方通行の見方だけは避けたいと常に思うとるが、そこからの意見や声が聞こえて来んかったら、どうしても理解できん部分というのがある。
今回、おかげで、その一端が垣間見えたような気がする。
早速、あんたの質問の『販売店との関係を完全断ち切るのではなく、販売店を直轄化して、会社の一部門とする方向で徐々に見直しを進めるのが理想と考えていますが、このあたりは、ゲンさんのお考えをうかがいたいところです』ということから答えさせて頂く。
これは、サイトやメルマガで折りに触れて言うてることやが、顧客確保という企業にとって最も重要な営業業務を外部の別組織に委託しとるのは、新聞社くらいなもんやないかと思う。
多くの読者は、その別組織とされる拡張団の営業員、俗に言う拡張員と購読契約をする。しかし、その読者は、新聞社との購読契約やと考えとるのが圧倒的に多い。
契約は販売店と契約者との間だけで有効とされるものやが、それも知らん人間の方が多い。販売店は、単なる新聞社の代理店という感覚や。
つまり、あんたの指摘は、すでにそうなっとるものと多くの読者は考えとるわけや。サイトのQ&Aで契約のトラブルで、その説明をすると、そんなこととは知らなんだというのが多い。
このことは、勧誘の現場でも良うあることや。客の中には、ワシらに「新聞社の方ですか」と尋ねる人がおる。
たいていの拡張員は、細かく説明するのが面倒やから「ええ」とだけ答える。もしくは「新聞社から依頼された者です」という具合や。ワシは後者の場合が多い。こう言うとけば嘘やないから無難や。
このサイトで説明しとるようなことは一々言わん。言うメリットがない。下手したら不信感を抱かせる畏れがある。不信感を持たれて成約になることはまずないからな。
つまり、業界の中では当たり前となっとる新聞社と販売店、拡張団の関係というのは、思うとるほど世間では知られておらんということになる。
それは、世間の常識に照らしたら、新聞社から営業員が送り込まれとると考えるのが自然やからや。裏を返せば、現在のこのシステムが他と比べて異常やとも言えるわけや。
何でこんなことになっとるのか。それには、この拡張団が組織されることになった背景にまで遡らなあかんことになると思う。
終戦後の昭和20年には、新聞の総部数発行は1400万部ほどやった。それが、拡張団の本格的な勧誘の開始により、昭和27年には2200万部にまで増えた。5割増や。
問題は、その初期の頃において、新聞社がヤクザのような組織にその営業を依頼しとったということに尽きる。初期の拡張団は、ほぼ100%に近い確率で、その手の組織やったということや。
その当時、訪問販売についてのは、その法律さえ、まだ確立されとらんかった。押し売り営業というのが大半や。訪問販売イコール押し売り営業というのが、当たり前の時代やったわけや。
今でもそうやと言う意見も聞こえてきそうやが、法律が整備されとる今のそれとは比べものにならん状態やった。
新聞社が、そのヤクザを使うという発想も、今やったらとんでもないことやと非難されるやろけど、その当時、てっとり早い組織としたら、それが一番、都合が良かったわけや。
それには、新たに組織を作る必要がないというのが大きい。それに戦後の仕事の少ない時期やから、募集すれば、そういう組織は比較的簡単に集まりやすかったといこともあったはずや。
新聞社にしても、その代わりとなる営業員を大量に雇い入れる力もまだなかったやろと思う。それでも、部数を増やして規模を大きくしたいということを新聞各社は目論んだ。
部数至上主義というのが、それや。部数さえ増えれば、すべてが好転する。組織力の増強はもちろん、発言力も強くなると考えた。「ペンは剣よりも強し」を実証したかったのやろと思う。
さらに、それを委託業務とすることで、責任を回避できると踏んだと思われる。ヤクザのような連中を使うのやからトラブルが起きることくらいは分かってたはずやろからな。
さらに、その拡張団に表向き仕事を発注し勧誘させるのは販売店ということにした。責任の所在をさらに難しくしたということになる。
顧客が、販売店や拡張員と揉めたと言うて、新聞社に文句を言うても「新聞の契約については当社は関与していませんので、販売店の方とお話ください」と逃げることができる。
誰がこのシステムを考え出したのかという定かなことは知らんが、実に上手い手を考えついたと思うたはずや。おそらく考案した人間は自己陶酔したのやないやろか。
そのシステムが現在まで続き、結果的に購読者を飛躍的に伸ばすということに成功したんやからな。
そのシステムの後押しをしたのが、再販制度であり新聞特殊指定なのは間違いないことやと思われる。今回はその是非が問われとることになっとるわけや。
ただ、新聞業界もその当時と現在とでは、同じシステムやとは言うても内容はかなり変わってはきとる。
拡張団にしたって、普通の営業会社の形態が多いし、拡張員も普通の営業員、サラリーマン化しとる。ヤクザもこの業界からほとんど撤退しとるのが現状や。
特にワシの知る関西や東海では、そのヤクザにすら拡張員は馬鹿にされとるということがある。拡張員にまでなった奴は落ちたと思われとるわけや。実際に、ワシは現役のヤクザにそう言われたことがあるからな。
ワシはワシで「お前らにそう言われたないわい」と言い返したったけど、なんか無性に虚しい思いに囚われたもんや。
せやから、今ではヤクザも、よほどでないと、この拡張員になる者は少ない。また、なっても、昔ながらのやり方は通用せんようになっとるから、長続きもせん。
ただ、そういうのに近い者が皆無やとは言わん。一部の人間、一部の地域では、未だにそんな連中がしぶとく生息してトラブルを起こしとるのも事実やからな。
しかし、業界全体で言えば、時代の流れということもあるやろが、昔よりはるかに浄化はされとると思う。
新聞社にしても、不良拡張員、不良販売店の放逐に力を入れとるのも事実や。表には現れとらんけどな。
現状のシステムも扱い方次第では、一概に悪いとばかりは言えんという気もする。
それでも、ワシの個人的な意見で言えば、可能かどうかという議論は別にして、販売店を行く行くは新聞社の直轄化にするという案には、基本的には賛成や。
そうなれば、真の意味での営業力がものを言うようになると思う。喝勧、置き勧、騙しという拡張はまったく通用せんようになるやろからな。
それには、新聞社と一般読者との間の契約になるということが大きい。そうなれば、景品なんかのサービスも統一されることになる。新聞社は建前として、顧客毎に条件やサービスの変更をするわけにはいかんからな。
同じ条件の競争なら、売れる売れへんというのは、売り込む営業員の人間性が重視されることになりやすい。客も同じサービスなら気に入った相手と契約したいと思うのが自然やからな。
契約のトラブルも激減するはずや。客はストレートに新聞社に文句を言えるし、それに対して今までのような逃げは打てんということになる。必然的に勧誘に対する監視も厳しくなると考えてええ。
販売店が直轄化されると拡張団の組織もそうなるはずや。
販売店が直営化されるということは、そこで働く者は、新聞社の社員ということになる。すると、現状の多くの販売店がそうであるように、配達、勧誘、集金という業務をすることは実質不可能になる。
勧誘、集金という業務は、現在の多くの販売店では出来高制ということになって、それにいくら時間をかけようが、残業代のようなものは出ん。また出しとる所もないやろと思う。
しかし、新聞社はそういうわけにはいかん。労働時間に見合う対価を支払う必要がある。したがって、販売店勤務は配達に関わることだけが仕事になるやろと思う。勧誘と集金は切り離される公算が大きい。
これからの集金業務は、銀行自動引き落としやコンビニ払い、クレジット払いに移行すればええことやから、それほど問題はないやろと思う。今日び、毎月の支払いが手集金主体というのは新聞販売店くらいやろからな。
そうなれば、勧誘営業も拡張団の直営化、完全子会社化するしか方法はないやろと思う。
すでに、現時点でも、各社のグループ企業というのに、それに近いシステムの拡張団は存在する。実質的な子会社というやつや。
勧誘営業は広告媒体だけで営業員は必要ないのやないかという意見もあるようやが、間違ってもワシらのような勧誘の専門家がいらんようになることは、まず考えられんことや。
宣伝や広告にどれだけ力を入れようが、それだけで新聞が売れることはまずないと断言できる。それで売れてもタカが知れてる。
拡張しとると、新聞を購読しててその新聞を毎日、確実に読むという人間は限られとるというのが良う分かる。確かなデータがあるわけやないけど、ええとこ、1,2割もそういう人間がおればええ方やろと思う。
単なる惰性で購読しとるというのが一番多い。昔からの習慣の一つでそうなっとるわけや。それをおいそれと変えるということができん。特に年配層はそうや。
その中には、地域の事情というものがあり、その販売店とつき合いがあるからというのもいとるやろし、読まんけど新聞がないと寂しいというのもいとる。
その次は、何より勧誘員に勧められたからというのが多い。普通の多くの勧誘員は、低姿勢な者がほとんどや。今にも土下座するかというくらいな者は当たり前におる。
訪問販売の勧誘員を断りきれんという人間は、この対面営業に弱いということがある。低姿勢で頭を下げられることに、ある種の優越感を抱き、気分が良くなる。そうなると、比較的簡単に契約してしまう人間がいとる。
そういう人間にしてみれば、新聞の記事の内容によって購読するせんの決定には大した意味も影響もないわけや。
もちろん、新聞社はそんなことを考えもせんやろと思う。あんたの話やと、新聞社の実権は編集部門が握っとるということやが、その編集部は、他紙よりええ紙面を作ることが新聞を売るためには最も重要やと信じて疑わんはずや。
それが使命ですらあるから、そのことに没頭する。スクープ合戦というのは正にそういうことから起きる。他紙よりスクープに先んじることが、新聞の販売競争にも勝てると思うわけや。
それはそれで、まったく無駄なことやとまでは言わんが、それが、新聞の売り上げに直結すると考えとるのなら、あまりにも販売の現場を知らなさすぎると思う。
これは、他でも言うてることやが、その日の単発のスクープに影響されるのは、せいぜい駅売り、コンビニ売りのシェア6%の売り上げくらいや。
一般のシェア93%と言われとる宅配購読客にはほとんど影響ないはずやと思うてええ。
例えば、A紙にそのスクープ記事が載ったからと言う理由だけで、Y紙の購読客がそのA紙に即、購読変更しようと考える人間がどけだけいとるのかという話や。
一般の宅配購読客は数ヶ月から数年の購読契約を結んどるのが普通や。どうしても長期的な見方になるから、日々の記事の内容に左右されることは少ない。
もっとも、特定の新聞にだけ常にスクープ記事が載るということがあるのなら、売れ行きにも偏りが起きて影響するかも知れんけどな。
要するに、現状の新聞紙面では、それ自体に購買意欲をそそる要素は、残念ながら少ないということや。
新聞はなくてはならん情報媒体やというのは間違いないことや。せやなかったら、ワシらもそれを自信持って売り込むことはできんからな。
ただ、客観的に見て新聞紙面は面白みが少ないと思う。少なくとも、同じ新聞でもスポーツ紙のそれとは面白さという面では比較にならん。見出し一つにも大きくそれが表れとるしな。
普通紙には、スポーツ紙に良くある洒落たウイットに富んだ見出しや記事はないに等しいからな。普通紙とスポーツ紙が店頭に並んどれば、間違いなくスポーツ紙の方が売れる。
一般紙の編集部は、そんな低俗な真似はできんと言うかも知れん。しかし、売ることを主体にすれば、そのサービス精神は必要やと思うがな。
つまり、ワシが言いたいのは、現状の新聞であれば、ワシら抜きではその販売はおぼつかんということや。
あんたのこの質問の結論として、新聞社直轄の販売店というのは、理想としてはええ案やとは思う。勧誘組織の完全子会社化も含めてな。
ただ、これはよほどの革新的な考えのリーダーが新聞業界に台頭せんことには難しいやろな。あるいは、今回、この新聞特殊指定が見直され、業界再編の機運が高まれば、そういうことも必要に迫られ起こるかも知れん。
しかし、その場合、よほど上手く既存の販売店のことを考えんと難しいやろなとは思う。今まで通り、新聞社の営利だけを優先するようやと、まず無理や。もっとも、そんな姿勢やと何をしてもあかんがな。
『結局、焦点はソフトランディングできるのかどうか、見直し反対を訴えて時間を稼ぐ間に、新聞社がどれだけコスト面や販売体制を見直し、新たな局面を迎える対応ができるか-にかかっていると考えています』
と言われとることやが、残念ながら、今回、新聞特殊指定の見直しが見送られるとしたら、現状の体制に変化を期待するのは、難しいような気がするがな。
環境が変わらな体制も変わらんというのは、どの世界でも言えることやと思う。
環境に対しては、なるべくその環境の変化を防ごうとする力とその環境の変化を受け入れ順応しようという力とに別れるもんやが、新聞社のそれは前者や。
今のところ未確認情報ながら、新聞社の環境の変化を防ごうとする力が若干、勝ってるようや。
ただ、今回、例え、その力が功を奏してこの事態を新聞社の思惑通り乗り切れたとして、時代の流れを完全に止めることまでは不可能やろと思う。またぞろ、この問題は必ずすぐ再発するやろからな。
あんたの指摘通り、どこかで真剣に考え直さな、取り返しのつかんことになるという危惧は大いにあると思う。
ワシは、新聞社および販売業界が良うなって貰えるようにという意味で、敢えて苦言を呈しとるわけや。本当に新聞が衰退し宅配制度が崩壊されたら困る。
ワシ個人のことなら、はっきり言うてどうにでもなる。しかし、このサイトを通じて知り合った、あるいは協力して頂いている多くの販売店関係者、拡張関係者の方々の生活をも脅かされるようなことにはなってほしいないと切に願うからな。
最後に一言。
『新聞社が自ら世論調査を行い、「新聞宅配続けて〇〇%」と大見出しを付け、公益性を盾に「特殊指定の見直し=宅配の廃止」と危機感をあおるのはあまりに露骨だと思うのですが、この辺は読者の皆さんはどのように思っているのでしょうか…』
ということは、次回『第87回 新聞拡張員ゲンさんの裏話』でのアンケート発表を見て貰えれば、その答えがある程度、見えてくるのやないかと思う。
追記
返信者 BEGIN さん 某全国紙元記者 返信日時 2006.4. 2 AM 1:51
「BEGIN」です。
丁寧なご回答ありがとうございました。
「特ダネで新聞が売れているわけではない」という点について、記者の側の思いをゲンさんに是非知っていただきたいと思い、再度筆をとりました。
新聞が購読される理由は、ゲンさんのおっしゃる通り、読者の惰性と勧誘員の営業手腕の賜物です。編集部門は特ダネ至上主義ではありますが、大多数がそれをよく理解しています。
では特ダネは何なのかといえば、「売る」ためにあるのではなく、ジャーナリストの本質に応え、その能力を磨くために求められているという感覚です。
販売に関してはというと、「あまり関心がない」という他ありません。会社の根幹の部門が、収入面を第一に考えるというのは一般常識であって、「特ダネが売上に直結してると勘違いしてるのではないか」と考えられるのはもっともなわけですが、新聞編集は全く別の次元で動いているといえます。
日々行われる記事作成の主眼は、「紙面を埋めること」「間違えないこと」「他社とのネタ勝負に負けないこと」であって、「売上げを伸ばす=読まれる紙面を作る」という観点が飛んでいるのは否めません。
「特ダネを書かなきゃ紙が売れない」とか、「読者視点の記事の充実」なんて公には言ってますが、現場記者からすれば言い訳みたいなもんで、全く実情が伴っていません。再販制度と販売の丸投げで上手く回っている以上、それでやっていけたわけです。
ただ、現場の記者(特に若手)はこれに疑問を感じることも少なくありません。「どうせ仕事をするなら、多くの人に読んでもらいたい」という素朴な思いと、「このままでは紙媒体は廃れる」という危惧感が根底にあるのだと思います。
記者仲間で酒を飲むと時々でてくる言葉があります。それは、「特ダネはオナニーみたいなもんだ」というものです。汗水たらして特ダネを書き上げたとしても、それを読む読者はわずか。
ましてや、それで新聞が売れるわけでもない。残るのは他社に勝ったという自己満足の世界。気持ちいいのは一瞬だけで、次の日からは何事もなかったかのように業務が始まる。品のよい言葉ではありませんが、一言で言い表そうとしたら、これに尽きるのです。
逆に言えば、大都市の事件担当などは、日々の業務が相当過酷なので、システムの上で働く以上、そんな疑問を感じていたのでは仕事は続きません。馬鹿にならなければやっていけないのです。
特ダネを打てば会社から評価されますので、それをモチベーションにやっている人も多いかもしれませんが…。
特ダネを追いかけるという作業は非常に重要で、記者の根幹ではあるのですが、それは主に新聞の「公益性」を果たすためのものです。一般紙の中身がつまらないというというご指摘がありましたが、私もその通りだと思います。
編集部門から「営利性」という要素がすっぽりと抜け落ちていることの現れです。スポーツ紙や夕刊紙など駅売りメインの媒体は、TV視聴率のように日々成績が反映されますから、逆に「営利性」重視の中身(見出し)となり、一般紙に比べればまだ面白いわけです。
私から言わせれば、一般紙の編集というのは、「いいもの書いてる自信があるから、販売の方で読者に読ませといてくれ」と言ってるようなものです。将来性のある業種ならともかく、先行きの暗い紙媒体でそんなことを言ってる余裕はないと思うのですがね。
また、新聞業界がどうなるにせよ、私も拡張員が不要になるとは全く思いません。私は新人研修で拡張を1日だけやらされましたが、予想通りかなりしんどいものでした。
新商品の売り込みならともかく、他社の新聞購読を乗り換えさせて、何の代わり映えもない既成商品を売り込むというのは、他にはない経験と能力が必要だと痛感しました。おそらく新聞社にいる大多数が同じ認識だと思います(もっともN紙だけは例外かもしれません)。
あるとき酒の席で先輩の記者から、「拡張のおっさんがおらんかったら、わしらオマンマ食えへんのやから、足向けて寝られへんで」と言われたことがあります。私もその通りだと思っています。
拡張のとき、セールストークの要素の一つとして、「うちの新聞はこれが売りなんです」という話ができるような新聞にしたい。現場の記者が出来ることは限られますが、私はそれを理想の一つとして仕事をしてきました。そういう記者がいた(現にいる)ということを、是非ともゲンさんに知ってほしいと思います。
拡張は肉体的にも精神的にもご苦労が多いこととは思いますが、ご健康に留意され、ベテラン拡張マン、そして契約トラブルの良きアドバイザーとして、今後もご活躍されることを心から願っております。
私も販売に関しては素人でありますが、新聞の中身の方は多少なりとも知識がありますので、ご質問などございましたら、答えられる限りで、サイト運営の方にご協力させていただきます。
コメント ゲン
頂いたメールを見て、正直、ワシは恥ずかしい思いがした。そして、長年、とんでもない勘違い、思い込みをしたままやったということに気付かされた。
それは、新聞社の人間は、ワシら拡張員に対して見下しとるのやないかという偏見やった。もちろん、ワシも何もないのに、そんな偏見を持ったわけやない。
ワシも、過去にいろんな場面で販売部の人間と接触することはあった。そのときの対応、言葉の端々にそれを感じたからや。
もっとも、ワシ自身の中にも、新聞社の人間は「大学出のエリート」やからという意識は強かったということもあった。こっちは、所詮、夜間高校出やというな。
ワシらの頃の学歴偏重主義というのは、今とは比べものにならんかったくらい歴然としたものがあった。
その頃、ワシは強がって「大学に行ってまで勉強せなあかんほどアホやないから、大学なんか行ってへんわい」と他人には言うてたけど、本音は大学に行ける人間を羨ましいと思うてた。
ただ、ワシには、そのときにはすでに両親もおらんし、たった一人の祖母に負担をかけるわけにもいかんかった。働くしか選択肢はなかったわけや。
しかし、社会に出ると学歴というものがどうしてもついて廻る。ワシが、営業の道を選んだのも、これなら、学歴なんか関係なしに実力さえあれば十分やっていけると踏んだからや。
物を売り込むとき、相手の客が、その営業員が大学出か高卒かやなんて聞くこともないし、それを考慮して買う買わんを決めることもないやろと思うてな。
ワシは、幸運にも大阪のある有名な建築屋に入社することができた。それも、営業やったからやと思う。そこで、必死に頑張り、そこそこの成績を上げられるようになった。
しかし、その会社が子会社を作ることになると簡単に出向させられた。これは、ワシのひがみかも知れんけど、その選択に学歴が大きく作用したと思う。実力は二の次やと。
世の中、学歴や。その当時、どうしようもない壁としてワシの心にそれがあった。今の時代から考えたら馬鹿げたことに映るやろうけどな。
そして、その学歴に対する劣等感は、拡張を始めて新聞社の人間と接するようになって、また蘇った。どうしても、彼らはエリート意識が強いと思うてしまう。
「社葬」という映画の導入部のテロップにあった「新聞はインテリが作ってヤクザが売る」というのは、新聞社サイドの考えをそのまま如実に表しとると思うてたからな。また、世間の考えもそうやと。
しかし、今回、あんたから頂いたメールで、それが、ワシの誤解であり偏見やったことが分かった。
『あるとき酒の席で先輩の記者から、「拡張のおっさんがおらんかったら、わしらオマンマ食えへんのやから、足向けて寝られへんで」と言われたことがあります。私もその通りだと思っています』
と言われたことについては、本当に救われた思いがした。と同時に、スクープ記事云々について分かった風なことを言うたのが、恥ずかしい限りやと後悔しとる。
これは、新聞の制作サイドとワシら拡張員を含む販売の現場サイドとの意志の疎通ができてないことからの誤解やと思う。お互い腹を割って話すことがなかったし、その場もなかったからな。
何でもそうやが、お互い分かり合えば誤解はなくなる。せやけど、そんな簡単なことができんような仕組みが世の中にあるあるのもまた事実やないやろか。
つくづく相手の立場を理解することの難しさを痛感した。常に、そういうことを心がけていたはずなんやけどな。
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せやから、この申し出は、本当に有り難いと思う。今まで、ワシの偏見まじりの想像が、ちゃんとした裏付けのあるものになるやろからな。そういう意味でも、今後とも、よろしくお願いしたいと思う。