新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A

NO.421 アルバイトの拡張方法と新聞の将来について


投稿者 Yさん  投稿日時 2007.6.22 AM 0:10


はじめまして。毎日楽しく、興味深く拝見させて頂いております。今日メールさせて頂いたのは、2つのことをお聞きしたいからです。

今私は21歳の大学生4年生で、新聞拡張のアルバイトをしています。仕事は現読の縛り・先起こしと、予約読者の先縛り・先起こしです。

大抵の販売店では団カードと、固定ではない読者を現読のうちに縛ることが中心です(中には固定読者、甘い交代読者回りをさせてくれる販売店も)。

このアルバイトを始めて1年になります。

拡材は大抵の店は専業以下、加えてしゃべりも得意ではないため、いわゆる泣き勧でひたすら件数を叩く、という手法にこの1年でたどり着きました。

数字は毎月少しずつ上がっていたのですが、ここ2,3ヶ月壁に当たっています。

お客が現読、予約なので、大抵の断り方は「まだ早い」、「もっとサービスがよければ」、「ネットで見るから」、「読まないから」といったところです。

そこで、この私のアルバイトで何か考えられる拡張方法、アドバイスを頂けないでしょうか。お願いします。

もうひとつお聞きしたいのが、ゲンさんの「新聞の将来」に対する考えをもう少し深くお聞かせ願えないかということです。

普段拡張をしていて、新聞に未来があるのかと不安になります。というのも来年4月からはX新聞に記者として就職するからです。

上記の拡張のアルバイトも、記者になりたいがために何か参考になることがあればと思って始めたものです。

ゲンさんは「差別化が必要」とおっしゃっていますが、具体的にどんなところを変えるべきだとお考えなのか、読者を広げるため、繋ぎ止めるためには具体的にどんなことをするべきだと思うか、など後学のためにどんなことでも構わないのでお聞かせ下さい。

自分の考えも書ければよかったのですが、あまりにも長い文章になってしまうので・・・。
聞いてばかりですみません。

もしよろしければお願いします。


回答者 ゲン


『いわゆる泣き勧でひたすら件数を叩く、という手法にこの1年でたどり着きました』というのは、あんたのスタイルやろうから、それはそれでええと思う。

『泣き勧』というのは、とかく批判されがちな勧誘方法やが、そこに悪質な騙しが入ってなかったら、個人的には構わんと思う。

日本人は人情が廃れたと良う言われるが、そんなことはない。情にもろい人間はまだまだ多い。その情に訴えるというのは悪いとは思わん。

特に、あんたの親御さんと同じくらいの年配の人が、「苦学して頑張っています」と言うのを聞けば情にほだされるやろうしな。

実際、ワシには、あんたと同じ年頃の息子がおるから、その気持ちが良う分かる。そういう客は、つい自分の子供とあんたを重ねて見てしまうもんや。

情にほだされれば、「一度くらい新聞を取ってやろうか」「このまま続けてやろうか」となりやすいさかいな。

メルマガの話に『第46回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員列伝 その3 ヒッカケ病(やまい)のシンジ』というのがある。

ヒッカケと題名にはあるが、これは究極の泣き勧の部類やと思う。悪質な騙しと言われれば、確かにそうなるかも知れんが、この男のそれは、それだけで片付けるにはあまりにも壮絶すぎる。

どういうことか簡単に話す。

糖尿病を患っていたシンジという成績の悪い拡張員が、ある日、客の家の前でその病気の発作で倒れたことがあった。

シンジは、ある家のインターフォンを押した。その家の主婦が応対に出た。

「助けて下さい……」シンジは、息絶え絶えに今にも死にそうな声でそう言うた。

主婦が慌てて玄関を開けると、男が倒れていた。顔面蒼白や。何かの発作のようだった。主婦は急いで119番に電話した。

駆けつけた救急車でシンジは運ばれて行った。

後日、シンジはその家に、迷惑をかけた礼が言いたかったのでと安物の菓子折りを持って訪れた。シンジは糖尿病で薬がきれて発作を起こしたのだと説明した。

シンジは主婦に礼を述べた後、正直に話した。

病気が原因で他に仕事が見つからず拡張員をしていることや医者にかかり薬を買う金もなかったため迷惑をかけてしまったこと等をな。

気の毒にと思った主婦は、シンジの拡張する新聞を購読することにした。

シンジは喜び、また礼を言うて帰った。シンジはこれに味をしめた。その後、シンジは意図的にこの手口を使い始めた。

そうは言うても、毎回、救急車で運ばれるわけにはいかんから、病人のふりをして同情を引くというやり方や。ふりや言うても本当に病人なんやから迫真の演技や。誰にでも出来ることやない。

このケースでは、後は騙しやないかという批判もあるやろうけど、ワシは同じ拡張員としてそうは思わん。ええことをしとるとも思わんけど、それほど、責められることやないとも思う。

例え勧誘の時に言うてることが騙しであったとしても、客に実質的な損害を与えとるわけやない。

拡材なんかはきちんと渡しとるし、客にとっては人助けしたという気分的な満足感が得られとるはずや。

人の善意につけ込んでと思う人間は、営業の仕事には向かん。

むしろ、人の善意にすがる工夫も必要や。実際には、そういうことはなかなか出来んし、上手いこといかんけどな。

営業とは、売り込める自分の武器を最大限駆使することの出来る者だけが生き残れる世界や。犯罪や相手に被害を与えるようなことがなければ、それほど問題はないと思う。勝手な理屈かも知れんがな。

このシンジの場合、偶然からとは言え、病気ですらその武器にしたんやから、ある意味、ワシは立派やと思う。恥も外聞も捨てな営業で浮かぶ瀬はない。特に拡張員はな。甘い世界やない。

しかし、そういう勧誘は限度もある。

情にもろい人間はまだまだ多いとは言うたが、逆に、そういう泣き言で勧誘を迫る者に対して嫌悪感を抱く人間も当然おる。どちらかというと、そういう人間の方が多いと思う。

特に、ワシら拡張員に対してはな。まあ、それも無理はないがな。

いかついおっさんから「なあ、兄ちゃん、助けると思うて頼むわ」と言われても、それは泣き落としには聞こえんわな。脅し文句に近いと感じる人間の方が多いはずや。

あんたの場合は、そんな極端なことはないやろうけど、誰にでも通用するやり方やないのは確かや。

あんたのは、どういう泣き勧のスタイルなのかは知らんが、それが通用する相手と出くわす間はそれでええ。

しかし、そうやなかったら、『ここ2,3ヶ月壁に当たっています』ということは、簡単に起こる。それの通用せん相手に運悪く当たり続ければそういうことになる。

つまり、一つのパターンしかないと、どうしても行き詰まる時があるということや。それを回避するには別のパターンも会得するしかない。

営業は、引き出しが多いほど有利なのは間違いないからな。

『アルバイトで何か考えられる拡張方法、アドバイスを頂けないでしょうか』ということやけど、拡張にアルバイトやからとかプロやからというのは、あまり関係ない。

客にとっては、どちらも同じ勧誘員でしかないからな。

どこかに「アルバイトやからこんなもんでええやろう」という甘えがあるのなら捨てた方がええ。どんな仕事も、金を貰うとる限りは立派なプロやさかいな。

「ワシが、新聞社の代表や。顔や」というくらいの気概を持つべきや。自信なげな雰囲気というのは必ず相手に伝わり、それだけで損をすることになるさかいな。

逆に自信ある態度で接すれば、あんた自身にも、それなりに余裕も生まれてくるもんや。

そうすれば、想像を働かせて、新聞社の責任者なら、あるいは販売店の店主なら、こういう返答、対応するのやないかと考えることもできるようになる。

それが、ワシは所詮、アルバイトやからという気持ちになれば、そんなことは考えもせんから、客にもそれが伝わり甘く見られることになる。

そこに負の連鎖が生じるわけや

若いとかそういうこともあまり関係ない。

ワシは、この拡張やないけど、19歳で営業の世界に飛び込んだ。建築屋の営業や。その建築屋で、営業員は、会社の顔やと徹底して叩き込まれた。

客は、営業員を通じてしかその会社を判断することはできんとな。その営業員が、頼りなげやったら、その会社も頼りなげに映る。

はったりでもええから、ワシが会社の代表やと思えば、その頼りなげな雰囲気は消えるということや。

勘違いせんといてほしいが、何もえらそうにしろとか、押しを利かせと言うてるのと違うで。そういう気持ちがあれば、そういう態度を出さずとも、自然に自信がつくから、交渉も上手くなると言うてるわけや。

若いというのは、一旦甘く見られると、相手のその思いを覆す、または払拭するというのは至難の業やが、逆に「こいつ、若いけどやるな」と思われれば、その若さが却って武器になることもある。

ワシは、そうしてきた。はったりこそ、我が営業人生というところかな。もちろん、はったりばっかりではあかんけどな。

そのはったりを保つためにも、その引き出しを多く持つことが必要やということや。

拡張のような対面営業というのは、常に違う相手にするわけや。人は、千人おれば千人、それぞれに性格も違えば考え方も好みもすべてが異なる。

臨機応変、それぞれに対応できれば、有利やというのは分かると思う。そのために引き出しを多くするのやと捉えてほしい。

もちろん、その引き出しは、あんた特有のものやなかったらあかん。ワシが、これで成功したから、それでやってみろと言うても、そんなものほとんど役には立たたんと思う。

ワシとあんたは別の人間やさかいな。逆に考えれば分かる。

あんたが成功した泣き勧と同じ方法で、ワシが同じ客を勧誘したとして、同じように成功すると考えるかな。おそらく無理やと答えるはずや。

つまりは、そういうことや。どんなええ方法でも、誰がやっても成功するというもんやないわけや。それが営業やと思う。簡単な仕事やない。

もっとも、それで終わらせたんでは、あんたへの回答にはならんわな。

ゲンさんの勧誘・拡張営業講座』というのがある。ここには、ワシが経験してきた拡張方法が幾つかある。

その中に、これはええなというのがあったら、それを参考に、現在の泣き勧とは別の勧誘パターンを自分なりに編み出してほしいと思う。

言うとくが、真似るのやったら、その考え方に留めとくことや。そして、その中で「気づき」が生まれたら、それがベストということになる。

一つの気づきは、人生そのものも変えかねんさかいな。

あんたは、『拡張のアルバイトも、記者になりたいがために何か参考になることがあればと思って始めたものです』と言うておられるのやから、その視点も大事にすることや。

どういうことかというと、現在、あんたは読者と直に接しとるわけや。実は、これは、あんたが考えておられる以上に貴重な体験なんや。

言うて悪いが、今の新聞記者にあんたと同じことを1年もやった経験のある人間は、ほとんどおらんはずや。

もちろん、新聞社に入社した新聞記者志望者には、そういう研修もあるとは聞く。しかし、それは、わずか1、2日程度のもんらしい。そんな程度で、拡張の何たるかが分かるはずはないわな。

現在、あんたは、この仕事を通じて、読み手の顔がはっきり見える立場にいとる。

これは大事なことやと思う。

書き手は読み手を意識して書く必要がある。それを理解しとれば、将来、何かの記事を書くとき必ず役立つことがあるはずや。

もっとも、これは、ハカセの受け売りなんやがな。

ハカセも、たった一人に向けて書くことが多いという。このQ&Aの回答が正しくそれなわけやけどな。

しかし、結果的には、その一人に向けて書いたものが、多くの人に支持されることがあるのも事実や。

その一人に向けて書くのも、ハカセよりあんたの方が、より多くの客の顔を見とることになる。せやから、読み手を意識した記事を書くのは、それほど造作もないことやと思う。

その視点を持って拡張すれば、かなり効果的やないかな。

さらに、もう一歩踏み込んで「将来、新聞記者を目指していますので」というトークを使うのも、相手によれば効果的やという気がするがな。

そうすることで、あんたに対する接し方を変える客もおるやろうし、新聞社への苦情を並べ立てる人間も現れると思う。

つまり、今まで以上に、客との接点も増えることが予想されるから、アルバイトの成績も、それにつれて向上するのは間違いないはずや。

少なくとも、泣き勧1本ということはなくなると思うから、あんたにとっても一石二鳥やないかな。

『ゲンさんの「新聞の将来」に対する考えをもう少し深くお聞かせ願えないかということです』

ということやが、あんたはメルマガの『第100回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞の未来』 とか『第140回 新聞拡張員ゲンさんの裏話  ■増え続ける無読者について』 というのを、見られたことがあるかな。

あるいは『第144回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■無料新聞とフリーペーパーについての話』は、どうかな。

これらの中では、かなり、突っ込んだことを言うてるつもりやけどな。

正直、言うて、ワシには新聞について、あまりええ未来というのは見えて来ん。というても、極端に悲観するほどでもないがな。

ただ、いずれにしても、日本の新聞は、現在、大きな過渡期を向かえとるのだけは間違いないと思う。

その組織は、あまりにも巨大化になりすぎた。しかも、それは、数十年の長きに渡り停滞し、よどんでしもうた。よどんだ水は汚れ腐るのが世の常や。

しかし、他の業種のように、その負の部分を暴かれて浄化するということが、考えにくいから、その膿を出すこともできんようになってしもうとる。

新聞は、最新のニュースを伝えるということと、社会の不正を暴くことを主な仕事にしてきたわけやけど、自らの襟はほとんど正さずじまいで、ここまできた。その分、隠すのとごまかすことには長けとるがな。

一方のメディアの雄であるテレビは、その新聞社と密接につながっとる所が多いから、当然のように、その部分に触れることもない。アンタッチャブルや。

現在、その新聞を叩いとるのは、ネットの世界やが、ここは、正直言うて、まだ発言力に乏しいと言うしかない。

それぞれが、個々に批判を繰り返しとるだけで、その統一された組織なり、サイトというのがない。

はっきり言うが、批判したり文句を言うたりすることは誰にでもできる。

難しいのは、そうすることで、多くの人間の共感や支持を受けることや。それは、批判や文句を言うだけでは得られるもんやないと思う。

当たり前や。誰が、人の愚痴や文句を聞かされて、そらええなと思えるかと言うことや。

ネットでは、新聞の批判を始めると、それがヒステリックに展開されることが多い。同じような考えの者が集ってな。

どんな業界、組織にも共通して言えることやが、ええところもあれば悪いところもあるもんや。

新聞のええところは、歴史がそれを証明して物語っとる。崇高なジャーナリズムが存在するのも確かやし、日本社会に多大な貢献をしてきたのも紛れもない事実や。

それ自体を否定したんでは、その批判は説得力を持たんことになる。

ええところはええと認め、しかし、こういう悪いところがあるから、これは問題やと指摘せんことには、耳を傾けにくいのと違うやろうか。

その点、新聞記事やテレビ報道は秀逸やと思う。

報道の基本は中立に事実を報道するということにある。多少、脱線する記者やアナウンサーはおるが、少なくとも個人の感情をむき出しに書くこともなければ、話すこともない。

批判するのなら、そういう姿勢を学ぶべきなんやが、残念ながら、今の日本のネットには、そこまで成熟したものがないというのが現状やと思う。

言いたいことを言うだけでは、解決はせんということや。もっとも、そのワシにしてから、言いたいことを言うてるだけやさかい、あまりえらそうなことを言えた義理やないがな。

新聞業界は、そういうネットでの批判は無視しとるようや。ネットは、あくまでも日陰の世界の話やと考えとるのやないやろうか。

たいていの人は、1日に1度は、新聞かテレビ、ネットを見る。そのいずれの情報を信じるか話題にするかということになると、まだまだ、ネットより新聞、テレビの方が上やと思う。

ネットが真の意味で、新聞、テレビを凌駕するようになるためには、既存の新聞社、テレビ局と互角以上に支持される情報サイトの出現がないことには、いつまでたっても烏合の衆にしかすぎんと思う。

つまり、そういう意味で、まだ将来を悲観するほどの状況やないということや。

確かにネットは新聞、テレビにとって、その爆発的な拡がりは大きな脅威ではあるが、いかんせんまだ未成熟な面が多すぎるから、その地位を奪うには、かなりの時を要すると思う。

ワシの結論として、新聞の将来は数年後には、確実に購読率は現在の7、8割程度まで目減りするやろうと考える。それが正当な新聞の実力やないやろうか。

ネットがここまで普及した時代に、宅配率93%もあるという方が異常な数字やという気がする。実質は80%台やろうがな。それにしても高水準には変わりがない。

本当の意味での正念場はそのときに訪れるはずや。

『新聞に未来があるのかと不安になります』ということやが、いずれにしても、新聞が消滅するようなことは考えにくい。

100年以上も続いた歴史は、それほど脆弱(ぜいじゃく)なものやないはずや。

新聞社を持ち上げるわけやないが、日本でも屈指の優秀な人材が集まっとる業界なのは間違いないと思う。その彼らが、指をくわえて、その衰退に甘んじるとは思えん。

現在は、確かに巨大化したことによる停滞から、よどんだ世界になっとるが、その頃には、必ず劇的な変化が訪れ、浄化されるものと信じとる。

組織には、その変化を望まん勢力と変化を目指そうする力が働いとるものやが、そのときに至っても、変化を望まん現勢力が勝さるようやと、そのときが本当の新聞の危機やろうと思う。

あんたが、その世界に飛び込んで、その改革に回る側に組するか、変化を必要とせん上層部におもねるかは、あんた次第や。あるいは、現時点で見切りをつけるという選択肢もあるがな。

言うておくが、絶対安全な船というものはないで。どんなに大きな船も沈むときには沈む。タイタニックにせよ、ポセイドンにせよ、誰もが浮沈船やと思うてたものが実際には沈んだわけや。

ただ、それでも船がなくなったわけやない。タイタニックやポセイドンの悲劇はより安全な船が生まれるための礎になったという見方もできる。

つまり、新聞そのものの消滅はないが、消滅する新聞社は考えられるということや。

もっとも、例え予想であっても、どこの新聞社がそうなるかとまでは言えん。確かな裏付けがあることでもないからな。

あんたの飛び込もうとしとる世界は、そういうところやと認識しといた方がええのやないやろうか。

ワシとすれば、その世界に飛び込んで、業界を変えてほしいという思いはある。

例え末端にせよ、その業界のおかげでメシが食えてるわけやから、消滅するというのは、ワシにとっても困るし、心情的にも耐えられんことや。

『ゲンさんは「差別化が必要」とおっしゃっていますが、具体的にどんなところを変えるべきだとお考えなのか、読者を広げるため、繋ぎ止めるためには具体的にどんなことをするべきだと思うか、など後学のためにどんなことでも構わないのでお聞かせ下さい』

ということやが、ワシとすれば、その新聞にしか書かれてないものが「差別化」やと思う。

そして、できれば、それを人気のあるものにする工夫が必要や。人気記者の出現を計るというのもええ方法や。外国の新聞にはそういう存在は多いが、なぜか日本には、誰もが知っとるという超人気記者というのがおらん。

スポーツ紙や夕刊紙のような記事も一つのヒントになると思う。

スポーツ紙や夕刊紙は、理屈抜きに面白い。見出し一つにしてもウイットや洒落に富んだものが多いし、同じ事件の記事でも面白く書いとるものがほとんどや。

なぜ、そうなるのかというと、それらの新聞は、大半が駅売り、コンビニ売りで1日1日が勝負なわけや。面白くないと売れんから、それこそ、必死で売れるように考えて紙面を作る。

しかし、既存の一般紙と呼ばれとる新聞社は、そういうスポーツ紙や夕刊紙を一ランク下に見とる。三流週刊誌並に低俗やと言うてな。

プライドを持つのは構わん。せやけど、プライドだけでは売れる時代は過ぎたことを認識せなあかん。

読ましたるという考えから、読んでください、買ってくださいという姿勢にならんことには、どんなことを考えても意味がない。

また、意味があるのかどうか良う分からんような、他紙を出し抜くためのスクープ記事に必死になって奔走しとるようでは話にならん。

はっきり言うて、真っ先にその記事を伝えたからと言うて、どれだけの読者が値打ちがあると認めるやろうか。

確かに、新聞がその報道の中心やった時代のスクープ記事は、他紙より1日早く伝わるというメリットはあった。それは大きなことやったかも知れん。

しかし、テレビやネットがこれだけ発達した現代では、そのタイムラグはほとんどないと言うてもええ。

どこの新聞社がスッパ抜いたスクープ記事やなんて、よほどのことでもない限り読者の話題にはならんさかいな。

ましてや、それで新聞の売り上げが伸びるということもほとんどないはずや。

それにも関わらず、未だに各紙の記者は、そのスクープ記事を掴むことに奔走しとるという現実があるという。

まず、その意識改革が必要やと思う。

はっきり言うが、そんなスクープ記事よりも、内容の面白い記事があれば、読者は必ずその方に目を向ける。それが、その新聞しかないものやとしたらよけいや。

新聞紙面の最大の欠点は、その面白い記事が少ないということに尽きると思う。書いてある内容に特徴と呼べるものが少ない。

もっとも、記者クラブという所で、同じ情報をもとに記事を書くわけやから、新聞の個性も出しにくいということもあるのやろうがな。

せやけど、差別化を図るのなら、それではあかん。新聞社特有のオリジナルなものが必要や。

そして、それは、読者に支持されるものやなかったら意味がない。

その意味でも、あんたのアルバイトは意味のあることやと思う。その気になれば、そういう情報はいくらでも拾えるのやないかな。直に客と接しとるわけやさかいな。

最後に苦言を呈するとすれば、ミイラ取りがミイラにならんようにだけは気をつけてほしいということだけや。

アルバイトが単に金儲けの手段になり、カードを上げることばかりを考えすぎると、肝心なことが見えんようになるおそれがあるからな。

もっとも、あんたにはその心配はなさそうやけどな。

できれば、そのX新聞社に記者として勤めるようになっても、たまには、このサイトを忘れずに訪れてほしい。

ここには、読者の声が多く届いとるから、それなりに参考になることも多いと思うさかいな。


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