新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A
NO.458 増紙に環境条件は加味されるものなのでしょうか?
投稿者 Jさん アルバイト配達員 投稿日時 2007.9.14 AM 11:36
ゲンさんは、今週のメルマガ『第162回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■増紙コストについて』の中で、
多くの新聞社には、部数至上主義というのがあって、そのために「増紙」という言葉はあっても、「減紙」という言葉は存在せんと言われとるくらいやからな。
つまり、「減紙」を認める新聞社は少ないということになる。というか、業界ではあってはならんことやと長く考え続けられていた。
と言われてましたが、私は日頃から疑問に思っていることがあります。
それは、販売店の営業エリアの人口というのは、多かれ少なかれ、常に増減があってもおかしくないはずです。
新聞業界においては、増紙が至上命題となっているとのことですが、数字での評価が絶対的なものであるならば、その計算根拠となる人口の増減変化も、その計算の中に反映されてしかるべきと考えます。
もし、そういったことが一切考慮されていないとしたら、人口の流出が止まらない地域ほど、ハンディキャップを背負う事になります。
そういった地域は、高齢化も進んでいると思うので、"購読者死亡"というケースも比較的多いはずで、二重のハンディを背負っているように思うのですが。
ちなみに、私の勤める販売店の地域では、人口が急激に増えた時期がありまして、その頃、本社から部数を伸ばしたことで、賞を取ったようでした。
私個人の分析では、2年間で10%程度の人口増で、その原因は、派遣社員等の個人世帯の流入が増加したせいだと思われます。
しかし、そのとき、ふと思ったのは、増紙の成果として、単純にプラスになった紙の数よりも、本来は、人口の増加分に見合った増紙でなければ、実質的には「営業成果としてはマイナス」という判断をされてもおかしくないのではないかと思いました。
要は、絶対数よりも人口比率の相対数で営業成績を判断するべきというのが私の意見なのですが、そういった環境条件は加味されるものなのでしょうか?
回答者 ゲン
ワシがそのメルマガの中で『多くの新聞社には、部数至上主義というのがあって、そのために「増紙」という言葉はあっても、「減紙」という言葉は存在せんと言われとるくらいやからな』と言うたのは、そのとおりで、それを裏付けるものもある。
これも同じく、当メルマガのバックナンバー『第158回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■押し紙裁判の波紋』に追記として、その裁判の判決文を掲載したのやが、そこにそのことが言及されとる。
その部分を引用する。
第3 当裁判所の判断
2 争点(1)について
イ 新聞業界を巡る情勢
イ)一般に,新聞社は,新聞販売店に販売する新聞代金と新聞に掲載する広告料を主な収入としているため,その販売部数が収入の増減に直結することから,販売部数にこだわらざるを得ない。
そのようなところから,拡販競争の異常さが取り沙汰され,読者の有無とは無関係に新聞販売店に押し付けられる「押し紙」なるものの存在が公然と取り上げられる有り様である(甲85,152,158,164)。
販売部数にこだわるのはY会社も例外ではなく,Y会社は極端に減紙を嫌う。Y会社は,発行部数の増加を図るために,新聞販売店に対して,増紙が実現するよう営業活動に励むことを強く求め,その一環として毎年増紙目標を定め,その達成を新聞販売店に求めている。
このため,「目標達成は全Y店の責務である。」「増やした者にのみ栄冠があり,減紙をした者は理由の如何を問わず敗残兵である,増紙こそ正義である。」などと記した文書(甲64)を配布し,定期的に販売会議を開いて,増紙のための努力を求めている。
M部長らY会社関係者は,Y会社の新聞販売店で構成するYa会において,「Y新聞販売店には増紙という言葉はあっても,減紙という言葉はない。」とも述べている。(甲110,原審証人M)
つまり、裁判所は判決文で、新聞社の重役が『増紙という言葉はあっても,減紙という言葉はない。」とも述べている』と認めて、証拠採用しとるということになる。
そして、この『増紙という言葉はあっても,減紙という言葉はない』というのは、何もY紙に限ったことやなく、広く業界全体に蔓延しとる考え方やと思う。
『それは、販売店の営業エリアの人口というのは、多かれ少なかれ、常に増減があってもおかしくないはずです』というのは、あんたが言われておられるとおりや。
『新聞業界においては、増紙が至上命題となっているとのことですが、数字での評価が絶対的なものであるならば、その計算根拠となる人口の増減変化も、その計算の中に反映されてしかるべきと考えます』というのも、そうでなかったらあかん。
『もし、そういったことが一切考慮されていないとしたら、人口の流出が止まらない地域ほど、ハンディキャップを背負う事になります』や『そういった地域は、高齢化も進んでいると思うので、"購読者死亡"というケースも比較的多いはずで、二重のハンディを背負っているように思うのですが』というのも、もっともな指摘やとワシも思う。
しかし、残念ながら、この部数至上主義の観点からは、それらのことはあまり考慮されて来んかったのやないかと言える。
その証拠は、あんた自身が言われておられることでも良く分かるはずや。
『ちなみに、私の勤める販売店の地域では、人口が急激に増えた時期がありまして、その頃、本社から部数を伸ばしたことで、賞を取ったようでした』というのがそれや。
『増紙の成果として、単純にプラスになった紙の数よりも、本来は、人口の増加分に見合った増紙でなければ、実質的には「営業成果としてはマイナス」という判断をされてもおかしくないのではないかと思いました』
ということを、新聞社が正しく認識して評価しとれば、そんな賞を渡すようなことはなかったはずや。
単純に部数を伸ばしたという結果が、その賞に結びついたという以外考えようがないと思う。
すべてのことに共通して言えるのやが、この手の賞を与えて評価するということの裏には、それを奨励したいという狙いがあるはずや。
つまり、このケースで言えば部数を伸ばしたという事実だけでええわけや。それが、他の販売店へのハッパの材料になれば意味のあることやとなる。
せやから、『そういった環境条件は加味されるものなのでしょうか?』というのは、残念ながら今まではされてなかったとワシは思う。
しかし、これからはそれをしていかなあかんわな。そのためには、一刻も早く、新聞各社は部数至上主義の看板を下ろす必要があると考えて、今回のメルマガでそれを訴えたわけや。
誰の目から見ても、明らかに部数至上主義の考え方は破綻しとるさかいな。新聞社もそれに気づかんはずはないと思うんやけど、どうなんやろな。
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