新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A

NO.564 最近疑問が絶えません!


投稿者 梅さん 拡張員 千葉県在住  投稿日時 2008.4.25 AM 3:04  


ゲンさん、ハカセさん、はじめまして!

私も新聞販売業務に携わり今年で四年目になります。

私の仕事は、甘い縛りです! 月に一日は、起しデータを預かり、回る時もありますが、白叩きの様な事は、ほとんどしませんので、精神的苦痛度合いが違いますよね。

ゲンさん達より楽をしています! しかし、昨年あたりから、少しづつ新規カードの要請が増えて来ました。

去年の4月からの金券廃止以降、ゲンさん達も、大変困ったとは思いますが、当然縛りの仕事の中にも、(拡材読者)通称ガメが居ます!

販売店は、そんな読者を中心にデータを出して来るので、大変厳しい現状であります!

ゲンさん達の後を縛る仕事をしていますので、苦労が手に取る様に分かりますよ!

ガメを作ったのはゲンさん達かもしれないですが、推進したのは新聞社ですから、もうどうしょうもない!

部数維持の為、止むを得ず何処の新聞社でも、販売店でも、団でも容赦なく拡材をぶつける!

そして、ゲンさんの話にもあったインターネットで観るから、と云う断り文句、若者世代の新聞離れ、自分でも思うのです! 本当に必要じゃないと感じてしまいます!

只、この仕事に携わる者として、切り返しの言葉は、いくらでも持ってますが、心底自身が社会の為、人の為になっているのか? 最近疑問が絶えません!

読者からすれば、誰が来ようが全部新聞屋ですから、その視線の冷たさは四年分味わって来ました!

私もゲンさんの言葉、涙が出る程感銘を受けました! どんな仕事でも一生懸命やろう!分かってくれる人がここに居た! と、勝手に感じてしまいました。

本当に申し訳ありません。でも正直な話、友達にも言えないこの職業、決して恥ずかしい訳じゃないのですが…。

また、意見交換等できれば幸です! どうぞ宜しくお願いします。


回答者 ゲン


あんたのように、この仕事をすることについて『本当に必要じゃないと感じてしまいます!』という拡張員の方がたまにおられる。

このQ&Aに『NO.512 拡張員自体存在してるのがおかしいと思いませんか』 というのがある。

この方は、拡張団の団長さんやが、そういう方でも疑問に感じておられるケースがあるわけや。

考え方は、人それぞれやと言うてしまえばそれまでやけど、ワシはワシなりに、必要で意義深い仕事やと思うとる。

まず、その根本として、新聞は必要なものやと考えとるというのがある。

その理由は腐るほどあるが、あえて一つだけ挙げるとしたら、それは、すべての情報媒体中、最も信頼性の高いものやということや。

確かに、新聞の過去には、ねつ造記事や誤報があったのは事実や。そして、これからも、それがないとは言わん。

しかし、それを割り引いても、その情報の信頼性は飛び抜けて高いのは間違いないと考える。

現在、その情報量では頂点を極めているインターネットにしても、果たして信頼できる情報がどれほどあるかということを考えれば、その意味はよく分かるのやないかと思う。

インターネットの世界の中でさえ、信頼できる情報の出所の多くは、新聞を代表する報道機関からのものやと自信を持って言えるさかいな。

はっきり言うが、万が一、新聞が消滅するようなことがあれば、インターネット上の情報は大いに錯綜、混乱して、どうしようもないバニックを招くのやないかと思う。

その新聞をワシらは売っているわけや。

確かに、同じ新聞同士の売り込み競争に、「一体どんな意味があんねん」という意見もあるかも知れんが、少なくともそうすることで、いくらかでも、新聞そのものの媒体を維持していることにはなると思う。

新聞は、ワシら勧誘員がおらんようになったら、ほとんど売れん。少なくとも現在の部数を維持するのは無理や。

それには、いろんな要素があるが、数十年という長きに渡って、そういう仕組みになってしもうとるから、今更、それから脱却できんというのが最大の理由やろうと思う。

つまり、ワシら勧誘員がおらんようになったら、新聞は売れず、急速に衰退するはずや。衰退すれば、当然のことながら、その情報発信も減る。

そうなれば、何を信じてええのか分からん社会になりかねんという気がする。

社会を救っているというほど大袈裟やなくても、それなりに貢献しとる仕事やと思うのやがな。

それに、新聞というのは、当メルマガ『第66回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞の利点』 の中でも言うたが、有事の際には、どんな情報媒体よりも、人の役に立つものやというのも間違いない。

その部分を抜粋する。


パソコンやテレビの共通の弱点は、電気がなかったら役に立たんということと、そのハードの存在にある。

停電や故障という問題もあるが、有事の際に用を為さんということも考えられる。その典型なのが、地震や台風、洪水などの自然災害時やろと思う。

その場を逃げるのがやっとという状態のときに、テレビやパソコンなどのハードを持ち出すことは難しい。

その災害でハードが壊れたり使えなくなったりということは珍しいことやない。また、災害に停電はつきもので、そうなれば使い物にならん場合がある。

しかし、そういう有事にこそ、人は情報を欲するわけや。その点でも、新聞は手にできさえすれば、その情報を得ることができる。

過去、このメルマガでも、新潟中越地震の被災者に新聞を届けとるということを、読者からのメールを通じて紹介したが、新聞配達員は、どんな状況下であっても、その配達を中止するという発想がない。

そういう困難な状況になればなるほど、使命感を持ってそうする。それが、人の介する情報の利点であり、美点や。

ついでやから、その時の、新潟中越地震の被災者救済にボランティアで参加された読者の方からのメールをもう一度、紹介する。

『新潟中越地震の被災者のかたに炊き出しなどをおこなう機会を頂きました。たいしたものは出せませんでしたが、それでも温かいものが食べられることはそうとう喜ばれたようです。

震災にもかかわらず、新聞をつんだバイクが朝と夕の2回、避難所になってる体育館にきてました。

それが、無償なのか、避難所にきてる契約者のものなのか分かりませんが、何人ものプライバシーや電力の確保が難しい体育館の中では、TVやラジオ、パソコンなどよりも、新聞のほうが情報を得るのに利便性が高いということを思った次第です』

因みに、この時、その配達してた大半の販売店も壊滅状態やったと言う。販売店が倒壊してガレージで生活しとる新聞販売店の店主もおられたと聞いた。配達人の家も同じく例外やなかったはずや。

そうした販売店からも配達は続けられたわけや。こういう状況になれば、それは商売の域を超える。困っている人に情報を届けるという使命感というやつが働くからや。

ワシは、この一事をもって、新聞という媒体の重要性を再認識させられた。有事に役だってこその情報やないやろかと思うわけや。

そう考えると、普段、使命感もさほど持てん新聞勧誘が、不思議とそれなりに意義のあるものに思えたもんや。ワシらの勧誘した人が、その有事の時に、新聞を取っていてよかったと思うて貰える日が来るのやないかとな。


ということや。

世の中の仕組みというのは、本当に無駄で必要のないものは廃れていくもんや。その点だけで言うても、新聞の勧誘は少なくとも60年以上も延々と続けられとるものなわけや。

自信を持てとまでは言わんが、自身に恥じる行為がなければ、それほど卑下する必要はないと思う。

ワシが常に言うてる不正をするなという言葉の裏にはそういうこともあるわけや。

不正を働いていれば、どんな仕事をしていても恥ずかしく思えるやろうし、何も不正をしてなければ、恥じることもないさかいな。

ワシのように「ほんま、恥さらしな勧誘員がいて迷惑してますねん」と堂々と言うてればええ。

それに、訪問販売の新聞営業というのは、法的にも立派な職業としても認知されとるものや。その点でも、何ら恥じることはない。

もっとも『NO.558 飛び込み勧誘全面禁止の新聞報道について』 の中で言うたような動きもあるのは確かで、今後どうなるかは予断を許さんがな。

『また、意見交換等できれば幸です!』ということやけど、こちらこそ、よろしくお願いしたい。

このサイトは、あんたのような多くの新聞関係者の情報で成り立っているさかいな。どんなことでもええから知らせてほしいし、相談してほしいと思う。


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