新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A

NO.689 インターネットのニュース・サイトの問題


投稿者 ノルマルノルマンさん  投稿日時 2009..2. 7 PM 10:07


3.インターネットのニュース・サイトの問題(NO.687からの続き)

インターネットが一般化され、その中でニュースが無料で読めるようになっております。

ですから、ニュースはインターネットで入手し、新聞は不要と考えている人も増えているでしょう。

そのような考えに対して、新聞社や記者が存在し、それらの人が記事をまとめるから、インターネットにアップされているニュースも読めるという意見もあります。

しかし、インターネット上に公開されているニュースは、政府なり企業なり、その他機関が発表したものを、編集し、公開したもの・・・そのような記事が多くあります。

このような場合には、新聞社は、いわば「メディア = 媒体」と言えるわけで、自分たちで情報を入手したとは言えないでしょう。

そのような情報は、現実的には元々の発表元のサイトでも読めるもの。

すなわち、その手の情報の扱いにおいてメディアに求められるのは、そのような生情報の編集と整理ということになります。

しかし、情報には別の情報もあって、いわゆる「ジャーナリスティックな情報」と言えるもの。記者が、問題意識を持って取材し、記事にまとめあげる・・・そのような記事も存在いたします。

ただ、多くの人が新聞に対し求めているのは、生情報の編集と整理という「メディア」の役割で十分なのでは?

その機能なら、インターネットだったら、プログラムによる自動化も、困難ではないでしょう。もともとの発表元のサイトにリンクを貼って、タイトルをつければいいだけ。

その場合には、同種のサービスを提供している旧来のメディアは課金が難しいのでは?

あるいは、ジャーナリスティックな記事ということなら、新聞という大きすぎるメディアには対処ができるのか?

小回りの利いた取材をやる記者がいらっしゃるのか?

現実はどうなのでしょうか?

前述のマーケティング的な発想と関係してきますが、多くに人にしてみれば、情報の編集と整理というメディアの役割で十分ですし、それは新聞社がなくても、ロイターや共同や時事のような通信社があれば十分と言えるのでは?


回答者 ハカセ


『ニュースはインターネットで入手し、新聞は不要と考えている人も増えているでしょう』というのは、私もそう思いますね。

今のままの状態ですと、これからもその傾向は加速するものと考えています。結果、新聞の衰退を招くのは避けられそうもない状況にあると言えます。

ただ、それについて誤った解釈をされている方がおられるとは思いますが。

その新聞不要論者の人たちにとって新聞が衰退、あるいは消滅すること自体は、むしろ喜ばしいことで、そうなっても何の痛痒も感じることはないと考えられているようですが、実はそうなることによって、『ニュースはインターネットで入手』することが、限りなく不可能になってしまうかも知れないのです。

それはインターネットのニュースの大半が、新聞紙面からの情報提供で占められているのが実状だからです。

当然ですが、その情報元である新聞社が衰退、消滅してしまえば、そのニュースの供給源はなくなることになります。なくなれば、今のようなレベルのニュース情報を入手することは困難になるという理屈になるわけです。

皮肉なことですが、それで困ることになるのは、他でもないインターネットニュースに依存する新聞不要論者の人たちだと思うのです。

現在、新聞が衰退しつつある大きな要因の一つに、ノルマルノルマンさんの言われる『ニュースが無料で読めるようになった』ということがあるわけですが、それを推進しているのは、あろうことか新聞社自身なのですから何をか況(いわん)やという思いがしてなりません。

まさに自分で自分の首を絞める自殺行為に等しいと言わざるを得ない状況を、自ら作ってしまっているわけです。

私たちは過去のメルマガで新聞社に対して警告の意味を込め、何度かそのことについて触れてきました。

まず最初は、今から3年以上前の2005年11月11日発行の旧メルマガ『第66回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞の利点』においてで、その頃はまだ、


新聞社がWEBサイトで記事を配信しとることについてやが、それには体裁という部分がまず挙げられる。

今の時代、WEBサイトくらい持ってなあかんというやつや。情報を売り物にする新聞社にそれがないというのは格好つかんからな。

次は新聞本紙の宣伝のためという狙いがある。確かにWEBサイトに公開されとるニュースには、新聞紙面に掲載されとる主なものはある。

しかし、宅配される新聞紙面と同じ内容がすべて載っとるわけやない。

普通、新聞の情報量は、朝刊の場合、単純計算で400字詰め原稿用紙に換算して約500枚程度になる。B6版の書籍にして300ページ分ほどもある。ちょっとした単行本1冊分や。

その内容が、新聞紙面と同等と錯覚するわけや。単に情報量の比較は、WEBサイトのそれと比べても格段の違いがある。

「インターネットで新聞社のWEBサイトを見ているから、新聞は必要ない」という人間は、おそらく、それしか知らんやろから、そう言うわけや。

パソコンに馴染んどる人間には、有料ソフトの無料体験版がWEBサイトに該当すると言えば分かりやすいと思う。

無料の体験版でも、そのソフトの内容は分かる。それを分からせて本ソフトを売るのが目的やから当然と言えば当然や。但し、機能や情報は、本ソフトに比べて少ないし、制限もある。

WEBサイトで満足しとる人間は、その無料体験版で納得しとるようなもんやと思うわけや。

もちろん、それが悪いということやない。それで、十分な人間にとっては、何も問題はないわけやからな。

ただ「そんな情報をなぜ金を出してまで買う必要があるのか」と言うのは、認識不足やと思うだけのことや。


と言えるような程度でした。

しかし、それが次第に、新聞社同士、インターネット上で競い合うような愚を冒す事態となってしまいました。

1年3ヶ月前の2007年11月9日発行の旧メルマガ『第170回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞社への苦言Part1 ネット記事について』では、その危機的状況に言及しています。

その部分の抜粋です。


インターネットの普及により、若年層を中心とした無読者層の増加が顕著なのは誰の目にも明らかや。

それが、次第に中高年者層にもおよぼうとしている現実がある。

その原因を作っとるのは、他でもない新聞社自身やと思う。それに気がついとるのかどうかは分からんがな。

それには、ネット上で新聞記事を垂れ流ししとるというのが大きいと思う。

表現は、ちょっと過激かも知れんが、ワシにはそうとしか考えられんのや。

少なくとも、2、3年前までは、ネット上での新聞記事の報道は新聞紙面のそれと比べるとまだ控え気味やった。

しかし、最近では、すべてを掲載しとるとまでは言わんが、紙面と遜色のない情報がそのネット上にあるのは確かや。

そして、それらは無料で目にすることができる。

また、新聞社の中には、ネット上で新聞紙面とまったく同じものを安価で売り出す所まで現れとる。

それでも、それをパソコンだけでしか見ることができんというのなら、それを扱えん者や面倒くさいと思う者も多いから、まだ救いはあった。

しかし、今や、携帯電話からでも簡単にその情報に触れることができる。

今の時代、携帯電話を扱えん人間を探す方が困難やから、これは大きい。

そんな状況下で、ワシらがいくら頑張って勧誘に廻っても「ネットで新聞を見ることができるのやから金を払ってまで取る必要はないやろ」と言われたら、どうしようもないのが現状やと思う。

ワシらにできることは、そういう無読者には無策という方法しか取れんということになる。

ワシもサイトでは無読者は相手にするなと言うてきたしな。

それでも、そういう人間が少ないうちは、まだ何とかなっていたが、ここ1、2年は異常な増え方や。

その無読者を結果的にせっせと増加させとるのは、新聞各社のネット上での情報垂れ流しにあるとワシは考えとる。

本来、新聞各社がネット上に情報としての記事を掲載するのは、新聞紙面を売り込み購読に導くことが目的やったはずや。

それが、いつの間にか、それを充実させるあまり、それ自体で十分な情報媒体になってしもうとる。

新聞社自身が、まるで「ここで記事を見れば十分ですよ」と言わんばかりや。

しかも、その情報は、新聞社のWEBサイトだけやなく、多くのポータルサイトにも同様の記事を配信しとる。

そこには数社の紙面情報が集まるから、それ以上の情報媒体やと言うてもええ。

そんなことを続けとると肝心の新聞紙面が売れんようになるのは、当たり前やと思うがな。

こんな単純なことは誰でも分かる。それを、日本有数の優秀な頭脳が結集しとる新聞社の連中に分からんはずがない。


と、より深刻さを増していっていました。

それに対して、


確かに、インターネットは時代の流れで、それをくい止めることは無理やというのは認める。

情報を売り物にしとる新聞社が、ネット上に何もその情報を出さんというのでは格好がつかんというのも分かる。

しかし、新聞社の組織をある程度、維持したいと考えとるのなら、限度というものも考えなあかん。

大袈裟やなく、このままの状態が続けば、じり貧どころか崩壊、倒産しかねん新聞社も現れると思う。

地方紙の小さな新聞社に限らず、大手と言われる新聞社もその例外やないと断言してもええ。

新聞の危機は、時代の流れもあるが、新聞社自らの取り組みの甘さ、考え方の甘さに起因するものも少なくないと思う。

いみじくも、ある大手全国紙の新聞社の元重役やった人が、その著書の中で『新聞社は、すでにナイヤガラの滝の縁まで来ている船と同じだが、その中では、未だに花見酒の宴会が続いている』という意味のことを書かれていた。

ワシは、それを危機を危機として捉えてない新聞社のトップに対しての皮肉であり苦言と受け取った。

その著書の真偽のほどは分からんが、あながち的外れな表現やないというのはワシにも分かる。

また、その方は『ライオンに追われたラクダは砂に頭を突っ込んで何も見ないでいる』という話を重ねてされていたが、本当にそれが新聞社の姿勢やと言うのなら救いはない。

新聞が売れな、新聞社が衰退するのは当然や。倒産もやむを得んわな。

そうなりたくなかったら、一般の人たちに「ニュースは、ネットで見るから必要ない」とまでは言わせないようにしてほしいと思う。

せめて、2、3年前までが、そうやったように「確かに主な記事はネットにもありますが、掲載されてない記事も多いのですよ」と反論して、説得できる程度に控えて貰いたい。


と、訴えてきましたが、今のところそれに歯止めがかかっている様子もなく、事態はさらに悪化の一途を辿っていると言えます。

もっとも、それをいくら私たちが憂いて訴えても、新聞を製作するだけしか頭にない編集部が実権を握り、その中から経営のトップを輩出しているわけですから、新聞を販売するためにはといくら提案してもするだけ無駄だったのかも知れませんがね。

どんな声も届かなければ、耳障りな騒音にすらなりません。哀しいですが、それが今の新聞社の状況ということになります。

ただ、救いは、それでもまだ新聞を支持されている一般読者の方々が圧倒的に多いという点です。

新聞部数には、「押し紙」や「積み紙」などの余剰新聞の存在もあり、実際の部数が公表部数よりかなり低いということは認めますが、それを差し引いたとしても、新聞の普及率はまだ80%台、少なくとも70%後半は維持していると確信しています。

一頃の普及率93%という数字からすれば激減した数字なのは確かですが、それでもまだ高水準にあり、新聞を必要としている人が圧倒的に多いという事実を裏付けていると思います。

そこに、業界としての活路がまだ残されていそうに思えます。もっとも、今後も無策が続くようですと、その救いもなくなるかも知れませんけどね。

『インターネット上に公開されているニュースは、政府なり企業なり、その他機関が発表したものを、編集し、公開したもの・・・そのような記事が多くあります』

そういった記事の比率がどうかは分かりませんから多い少ないには言及できませんが、『政府なり企業なり、その他機関が発表した』データを掲載することはありますね。

ただ、それが『自分たちで情報を入手したとは言えないでしょう』と、さも悪いことのように仰られていますが、私はそれも新聞の報道の範囲内だと考えています。

新聞というのは、あらゆる情報の総合的な紹介媒体だと思うのです。それが政治問題であり、経済問題であり、事件事故報道であり、地域やスポーツ、芸能の話題だったりするのではないでしょうか。

『そのような情報は、現実的には元々の発表元のサイトでも読めるもの』というのは、インターネットを中心に考えられておられる方の発想で、新聞紙面中心に購読されている方には、やはりそのデータの掲載は必要な情報となります。

『多くの人が新聞に対し求めているのは、生情報の編集と整理という「メディア」の役割で十分なのでは?』

新聞の読み方というのは、人それぞれだと私は思います。それを、メディアの役割が何なのかなどと限定する必要はないと考えます。

新聞は、その読者が読みたいとき、読みたい記事を自由に読むだけでいいと思います。

社説を好む人もおられれば、政治問題や経済問題に関心が高く、その新聞社の論調に賛意を示す方もおられます。

事件事故の詳細な情報を欲する方もおられれば、コラム記事やスポーツ、芸能記事などを楽しむ人もおられます。

それらの、あらゆる情報に触れるのが新聞だと思うのですが。

そして、そこに書かれた情報、記事の善し悪しは、あくまでも読者自身が決めればいいことだと私は考えます。

『その機能なら、インターネットだったら、プログラムによる自動化も、困難ではないでしょう。もともとの発表元のサイトにリンクを貼って、タイトルをつければいいだけ』というのは、新聞社のWEBサイトとしての話なら分かります。

しかし、それに徹すると、それはもう新聞と呼べるものではないでしょう。単なるHP、ブログにすぎないものになると思います。

私たちは、どちらかと言うと、新聞社のWEBサイトについては否定的な見方をしていますから、そこでのあり方というのは、あまり興味がありません。

敢えて、その新聞社のWEBサイトについてのあり方を言及するなら、新聞紙面を売るための記事構成を考えてほしいというくらいです。

例えば、昔がそうであったように、新聞記事の一部だけの掲載に止めるか、それこそ、ノルマルノルマンさんが言われておられるタイトル表示だけで「詳しくは新聞紙面で」との注釈をつけて、新聞の購読を誘うようなサイトにするかですね。

少なくとも、インターネットでニュースが無料で読めるようなことだけは即刻取り止めるべきだと思います。

それが引いては、新聞が生き残りを計ることのできる唯一の道ではないかと考えます。

新聞不要論者の方も、現在でこそ、インターネット上でそのニュース情報を入手できるからそれで良いでしょうが、それができなくなると、やはり新聞を購読してでもその情報を入手しようと考える人も多くなるではないでしょうか。

もともと、そういった新聞不要論者の方々というのは基本的には情報を欲するタイプの人たちが大半だと思いますので、それを断ち切られるのには耐えられないはずですからね。

『その場合には、同種のサービスを提供している旧来のメディアは課金が難しいのでは?』というのはそのとおりでしょう。

インターネットへの参入に遅れを取った新聞がその中で収益を出すというのは難しいと言うより、無理ではないかと考えます。

『あるいは、ジャーナリスティックな記事ということなら、新聞という大きすぎるメディアには対処ができるのか?』 というのも、インターネット上でのそれは難しく、新聞紙面でのみ有効なことだと思います。

『小回りの利いた取材をやる記者がいらっしゃるのか?』については、実際にそういう話を聞く機会もありませんので申し訳ありませんが、私にはコメントのしようがありません。

想像では、そういう方もおられるのではないかとは思いますが。

『新聞社がなくても、ロイターや共同や時事のような通信社があれば十分と言えるのでは?』というのは限りなく難しいことだと考えます。不可能に近いかと。

それらの通信社と新聞社は一体、もしくは持ちつ持たれつの相互依存の強い関係にあるもので、一方だけでは存在し得ないからです。

ロイターというのは、ドイツにある通信社のことで、共同通信社とは、国内外のニュースや写真、記事関連のデータを全国の新聞社、NHK、民間放送局を中心に提供・配信する日本の通信社です。

その共同通信社と分割された時事通信社は経済や株式を中心とした情報の発信をしています。

いずれも、その加盟社である新聞各社にその情報を発信する目的で設立された会社です。時事通信社は一般企業にもその情報を発信していますが。

海外の情報は、ロイター通信に代表される各国の通信社から、経済や株式情報は時事通信社からの情報を得て新聞紙面に掲載しています。

尚、共同通信社では、全国紙の大手三社(A紙、Y紙、M紙)には、外信(外国配信)記事、一部のスポーツ記事しか配信されていません。全国紙の大手三社からは、あまり必要とされていないようです。

全国紙の大手三社は、その独自の巨大な情報網と組織があるため、その他の全国紙、ブロック紙、地方紙などのように、日本国内外の広域情報を入手するのに困ることが少ないためと思われます。

これらの通信社はすべて、その加盟新聞社、放送局などで運営されているわけで、新聞社と切り離して考えて経営が成り立つというものではありません。

私が「不可能に近い」と申し上げているのは、そういう理由からです。

今回の結論として、残念ながら、今の状態のままの新聞がインターネット上で生き残りを計るというのは不可能に近いのではないかと考えます。

新聞は本来の新聞としてのみ生き残る道を模索する方がベターだと思います。

インターネットをそのための一つの手段として使うというのなら別ですが、そこで迎合する、あるいはそちらに拠点を移すようでは先はないというのが私の意見です。


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