新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A
NO.95 拡張員への偏見について
投稿者 Sさん 拡張員 関東在住 投稿日時 2005.4.23 AM2:25
僕は関東で拡張員をやっています。
先日部屋を探しに行った時に選んだ物件の管理会社に断られ、結局ほかの物件に決めました。
大家がそうゆうのがダメだからという理由でしたが、それを認める管理会社もどうかと思います。
正直ここまで偏見が強いものとは思いませんでした。
ゲンさんはこのような経験はありますか?
またこのページで拡張員という仕事に興味をもたれている方がいますが、このようなリスクがあることも考えておいたほうがよいと思います。
回答者 ゲン
偏見というのは世の中には多い。偏見の目で物事を見る人間は、相手の人間性よりもその職業で判断する。こういうケースはその典型やろな。
今は賃貸事情も一頃に比べて貸し手市場から借り手市場に移行しとるから、大家のそういう偏見による貸し渋りは減ってきとるらしいが、まだまだ残っとる所もある。
昔はもっと酷かった。拡張員個人での賃貸契約は大半がまず断られるもんやと認識しとかなあかんかった。
もちろん、それにはそれ相当の理由がある。単なる偏見ということだけやなしに、実際上のトラブルも多かったからや。
拡張員は一定した収入が保証されとるわけやない。稼げん時もある。それで、人間によりという注釈つきやが、家賃の滞納をする者がおる。場合によれば、夜逃げということもある。
残念ながら、昔はそういうことは、それほど珍しいことやなかった。拡張員になる人間の中には、他から夜逃げ同然に流れて来た者もいとるから、他の職業に較べるとそういうことの起こる可能性が高かったわけや。
更にチンピラまがいの勘違いした人間も多かったから、そこで他の住人とトラブルを起こすということもあったと聞く。
ワシの顧客には、この大家のような人間が結構おるから、そういう話は良う聞かされたもんや。実際、そういうトラブルに駆り出されたことも何度かあるしな。
ただ、そういう大家でも拡張員個人には貸さんとしても、団には貸すということがある。拡張団と専属契約をするわけや。団は社宅として借り受けるということになる。
これは、大家側にもメリットが大きいからそうしとる。拡張団というても、普通に登録しとる営業会社やし、そのほとんどがバックに新聞社がついとる。
別に新聞社が直接、その保証をしとるというわけでもないが、やはり社会的信用という面ではある。貸す側としても、ある程度、安心出来ると思うんやな。
家賃や光熱費、共益費は請求書を送れば入金になる。入居者がトラブルを起こせば、団に言えば簡単に収まりがつく。いらん面倒が回避される。
家主も悩ませられるのが、入居者同士のトラブルや。本音で言えば、家賃さえちゃんと貰えばそういうトラブルには関わりたくないと考えるのが普通や。
そういう苦情を家主に持ち込んでも、逃げ腰の対応というのは多いということや。ワシはそのことを直接、家主から聞くことがあるからそれが分かる。
そういう意味で、会社に貸すというのは都合がええわけや。何があっても団に振れるからな。関係ないで済む。
団にしても、この大家とトラブルのはまずい。人材確保には、この入居場所の確保は絶対やからな。せやから、こういう団では、そういうトラブルにはうるさいはずや。
しかし、あんたのように、個人で探す場合はそういうこともある。管理会社は、あんたも客やが、家主も客なわけや。
そして、管理会社はどちらに重きを置くかと言えば、家主側や。管理会社は家主に嫌われたらやっていけんからな。
通常、家主は一軒の管理会社だけに物件の管理や手配を依頼しとるわけやない。大抵は数社の管理会社に依頼しとる。せやから、管理会社も家主の意向を無視することが出来んわけや。
仕方ないのかと言えば、仕方ないと答えるしかない。賃貸契約に限らず契約というものは、相互信頼の上に成り立っとるもんや。
その一方が難色を示して断れば、当然やが契約は成り立たん。家主のご用聞きのような管理会社に文句を言うても始まらんと思う。
裏技というわけでもないんやが、こういう賃貸物件を探す時に職業を聞かれた場合、正直に拡張員と答えることはない。
あんたの所の団がどういう形態なのかは知らんが、一応、会社としての体裁があるのやったら、営業社員やと言えばええ。嘘やないからな。
拡張団やというても、社名に○○団というのは、ほとんどないやろから、こちらからそうやと言わん限りはまず分からんと思う。
それでも、突っ込むところがあれば、新聞社のマーケティング調査会社の営業やとでも言うことや。これも、まんざら間違いやないからな。
それに、それ以上は突っ込むような管理会社もないと思う。管理会社も客が欲しいから、家主に説明出来る程度のものがあれば、それでええわけや。
それとも、そんな思いまでして借りたくないとでも考えるのなら、県営や市営の公団に応募することやな。
もっとも、場所により競争倍率も違うから当たる確率は何とも言えんけど、公団は書類さえ不備がなかったら、仕事が何であろうがそういうことは関係ない。
少なくとも、偏見による差別というのはないはずや。それに当たれば、家賃は一般よりも格安な所が多いから得やと思う。
『正直ここまで偏見が強いものとは思いませんでした』
と言うことやけど、あんたがどういう理由からにせよ、この仕事を選んだ限りはそういう世間の偏見があるということは認識しとかなあかん。この仕事はそういう側面のある仕事なんやと。
せやからと言うて何も卑屈にならんでもええ。偏見を持つ方と持たれる側とどちらが貧しい心の持ち主かと考えれば良う分かることやと思う。
対人に限らず物事を偏見に満ちた見方をする人間は救われん。こういう人間はあらゆることでその偏見の顔を覗かせるもんや。
本人はそうすることで、優位に立ったつもりかも知れんが、それは大きな錯覚や。特に相手をその職業だけで判断するのはな。
『縦欲の病は医やすべし、しかしして執理の病は医し難し』という教えがある。
縦欲というのは、主に物欲とか名誉欲という人間本来の持っている欲望のことや。例えこの欲望に取り憑かれた者でも、時が来てそれに気づくことがあり、そのことの愚を悟れば自らそれを治すことは出来る。
しかし、執理という強い思い込みの持ち主は、その考え方を変えることは難しく出来んと言うてる。その執理の中には偏見も含まれる。
せやから、この偏見を持つ者はどうしようもないということになる。こういう人間は「あんたのその考えは間違うてるで」と言われても剥きになって反論するだけやからな。
偏見の持ち主の考えを変えることは出来んと思うてた方がええ。ある意味、本当にかわいそうな人やと言えると思う。
反対に偏見を受ける側は、あんたのようにその痛みを知ることが出来る。痛みを知る人間は人に対してやさしくなれる。偏見を持つことの愚も分かる。
つまり、何でも考え方一つで、その状況は変わるということや。偏見を受けるということが知らんうちに、自分自身の精神の向上につながっとると思えばええ。卑屈になったり劣等感を抱く必要はないということやな。
確かに、あんたの言う通り、この仕事はそういうリスクの伴う仕事やと思う。社会的信用も評価も期待出来んやろ。自慢も出来んかも知れん。
しかし、マイナスの要素が強ければ、それに倍するプラスの要素を考えたらええ。精神を鍛えるには格好の仕事やと思えばええのと違うかな。
ただ、あんたが他の人間に対して偏見の目で見ることがなければやけどな。人は弱いもので、自分より下の境遇の人間を捜して優位に立とうとするということがある。
それが、偏見となって表れるかも知れんからな。そうなれば人のことは言えんことになる。