メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第100回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2006.7. 7


■新聞の未来


表題のように「新聞の未来」というテーマやと、どうしても悲観的な意見ばかり耳にすることが多いが、果たして本当にそうなのやろかと思う。

ワシも、紙としての媒体である新聞は、いずれ終焉を迎える日が来ると、常に言うてる。

但し、それは、かなり先の話や。早くても20年後くらいやないかな。

それも単にペーパーレス化が進むということで、新聞そのものが消滅するという意味やない。

新聞は、これからも情報媒体としては生き残ると思う。なぜなら、新聞そのものから得られる情報を必要としとる人間の方が圧倒的に多いと思うからや。

テレビやインターネットのニュース情報は、新聞社、及びその関連機関から供給されとるものが大半を占める。その新聞がなかったら最新のニュースが分からんようになるからな。

余談やが、現在、新聞各社は、WEBサイトにおいて無償で新聞記事の公開をしとることを悔やみ始めとるようや。

それが、無読者を作り、新聞離れを助長しとる一因になっとるのは、明らかやからな。新聞記事を見ることが新聞離れの原因になっとるというのは、あまりにも皮肉なことやと言うしかない。

それに対して疑問視する声が新聞各社から上がっとると聞く。現在、業界では、最初に新聞記事の内容をWEBサイトに流し始めたのは、どこの新聞社で誰かという犯人探しまでしとるという。

当初は、新聞の宣伝のためにWEBサイトがあったはずや。パソコンソフトで言うたら、WEBサイトのそれは、新聞という本ソフトを売らんがための、体験版のつもりやったと思う。

それがいつの間にか、あまりにも充実しすぎるようになって、ニュースはそれで事足りると錯覚させるまでになった。

早晩、WEBサイトでの無料で見ることのできるニュース記事は圧縮されるか、なくなる方向にいくのやないかな。WEBサイトの有料化を図っとるという話も聞くからな。

ただ、一部では、サイトを有料化するのは自殺行為だとまで言い切る人もおる。特に若い世代には受け入れられにくいという理由でな。

若者に新聞の重要性を知らせるには「無料」「簡単にアクセスできる」ことが不可欠になると説く。

そのためにはWEBサイトが重要な役割を果たす。それが、なくなるのは、新聞そのものの認知を妨げるのだという。

この辺りのことは、ワシも完璧な、おっさんになっとるから、その若者の心理が分かりにくい面がある。新聞を購読するのも、読むのも一般人として当たり前という環境で育ってきとる人間は特にな。

テレビはどうかという問題がある。しかし、テレビは今に始まったことやないし、それでニュースが流されとるからというて、新聞の購読が落ちたということもない。

テレビのニュースは、主な事件を繰り返し放送しとるだけやから、各個人の意識よりも情報量は少ない。

しかも、視聴覚的なもので、それを再度、確かめる、あるいは保存するための資料としての新聞の価値を上げる効果すら伴っていた。

むしろ、テレビと新聞は一緒に伸びてきたとも言えるわけや。テレビや新聞の普及率の伸びがそれを証明しとる。少なくとも、業界では一体という意識が強いと思う。

テレビ局は、独自の報道スタッフがおると言うかも知れんが、日本のテレビ局は、すべてどこかの新聞社とつながっとる。新聞社の意向を無視してまで、独自の報道はできんわけや。影響力が、あまりも大きいからな。

日本では、毎日約9割以上の人が、そのテレビを必ず見ているというデータがある。良くテレビの視聴率が1%で100万人と言われとるのは、それがあるからや。

ニュースを知るのも、このテレビからというのが圧倒的に多い。次が新聞、インターネット、雑誌、ラジオと続く。

それほど、影響力の大きい新聞が、急速な衰退をするとは考え辛い。特に、この日本ではな。

加えて、この国には、その特殊な事情が多すぎるということもある。

中でも、新聞は再販制度により保護されとるというのが一番大きな理由やろと思う。

これにより、新聞の宅配制度というのが確立され、公表93%もの宅配率を誇っとるまでに成長したわけや。

もっとも、この数字には、押し紙、残紙などの問題が絡んどるということで、疑問視する向きも多いようやがな。ワシも、正直、その口や。

これについては、確かなデータを示すことは不可能に近いが、サイトに寄せられる関係者の話を総合すると、約1割程度は割り引いて考えといた方が無難やろという結論になる。

公表部数と実売部数との違いやな。しかし、それで計算しても宅配率80%台という数字が実売部数になるから、これでも、まだ、大したもんやと思う。

ただ、ワシの個人的な感覚で言うと、もう少し宅配率は上のような気はする。というのは、そうやと仮定すると、毎日、勧誘していたら、約2割は無読客と接する計算になるはずやが、それほど、いとるようには感じられんからな。

確かに、昔に比べれば、若い人間を中心に無読というのは確実に増えとる。それは認めるが、数字的に2割がそうやとすると、5軒に1軒は、新聞を取ってないということになる。

それはないやろと思う。もっとも、これは、地域的なことでも違うやろから、ワシだけの感覚でどうやとは言えんがな。

もし、新聞が、アメリカ並みに毎年10%台という急速な部数減に陥るとしたら、この再販制度が廃止になった場合だけやろうと思う。

しかし、それは、当分の間、考えられんと思う。今年の6月に、公正取引委員会から、新聞特殊指定の継続を決定したという発表があったことでもそれが伺われる。

これには、政治的配慮が加えられたためという具体的な報告もある。もちろん、その真偽は、ワシには分からん。ただ、さもありなんと思うだけや。

それには、良きにつけ、悪しきにつけ、長年に渡り政治と新聞が深く関わってきたということが大きいと思う。

持ちつ持たれつということも少なからずあったやろうからな。その表れとして記者クラブがあり、そこでお約束事の報道がされてきたという歴史がある。

もちろん、それで、馴れ合いとなり不正を見逃してきたと言うてるわけやない。実際に不法行為を働けば、例え、時の総理大臣と言えど、新聞各社は叩いてきたという実績があるからな。

ただ、それも程度ものという考えが双方に働くというのはあったと思う。それが、持ちつ持たれつという関係や。その関係が深い。

記事の信用度ということにかけては、新聞に勝るものはないというのが、大多数の人の認識やというのは間違いない。

テレビ報道に関しては同一媒体と見てええから別として、現在の日本に、情報媒体で、これ以上の信用度があるものはないと断言してもええと思う。

確かに、インターネットは、そのテレビや新聞を凌駕する域にまで成長してきとる。しかし、その情報の信用性、信頼度となると、大きな疑問符がつく。

ワシも、ハカセの影響でインターネットを始めて、それなりにいろいろなサイトを見る機会が多くなったが、なるほどなと唸るものが少ないし、ほんまかいなというものの方が多いように感じる。

インターネットで情報を収集する場合は、常にその情報の真偽を自分で取捨選択せなあかんということになる。

しかし、例え、それで、ここは信用できるというサイトに巡りあっても、そこに書いてあることやから確かやと他人に言うたとして、果たしてどれだけの人に信用されるやろかということになる。

例えて言えば、このメルマガを読んだ人が、ここで書かれていることをなるほどと思い、信用したとする。

そして、それを、第三者にメルマガ『新聞拡張員ゲンさんの裏話』で、こんなことが書いてあったから確かやと言うて、それを信用するやろかということや。

インターネットの弱点、欠点はこの信用性にあると思う。情報というのは単に多ければええというもんやない。肝心なのはその中味やからな。

その点、新聞は、それに書かれとることは、たいていの人間が信用する。また、そう認知されとるものや。

確かに、長い新聞の歴史の中には、誤報や捏造記事があったというのは認める。

しかし、それは、インターネットの世界に氾濫しているものに比べたら、問題外と言うてええくらい少ない。

加えて、新聞記事は、文章としての成熟度が高い。新聞は、一般の人間に分かりやすく要点をまとめ、尚かつ、素早く読んで貰うことに心血を注いで作られてきたという長い歴史がある。

新聞を読んで、そこに何が書いてあるか分からんという人は、今の日本には、ほとんどおらんと断言してもええと思う。

その点でも、インターネットには、自由に書けるということも影響しとるのかも知れんが、独りよがりで意味不明の文章が多すぎる。無責任な内容や稚拙なものもかなり目立つ。

まあ、この問題はこの辺にしとく。横で、ハカセが押さえて、押さえてというポーズをしとるしな。

あまり、声を大にしては言えんらしい。天に唾する行為やと言われても困るという。このメルマガやサイトも、そのインターネット上の一つやからな。

そのインターネットで信用があるとされるのは、新聞社のニュースサイトか、そこから情報を得ているポータブルサイトくらいなものや。

そこに載っとるものやったら、誰でも「今日、こんなことがあったんやて」と堂々と他人に言えるからな。

つまり、ワシが言いたいのは、その世間的に信用度が高く、影響力の強い新聞を無視することはできんから、勢い政治との関係も深くなることもあるやろということや。

今のところ、新聞に影響力を与える公的機関は公正取引委員会しかないが、それは、政府機関の一つにすぎん。

正確には、内閣府の外局という位置づけになる。そこへの政治的配慮があったと聞く。そして、それは、これからもしばらく続く構図やという気がする。

もっとも、インターネットが真の意味で新聞にとって代わるほど信用され、信頼に足ると認知されることになったら話も別やろけどな。

しかし、現状では、それは難しいという気がする。ただ、情報だけが果てしなく膨れ上がっとるというのは分かるがな。

新聞の近未来ということで言えば、多少の部数減ということは起こるかも知れんが、総体的には横這い状態が続くはずや。もちろん、紙の媒体としての新聞がな。

少なくとも、後、10年くらいは、このままの状態が続く可能性が高い。もちろん、この10年というのもそれなりに根拠があってのことや。

政治に関与するのも人間なら、新聞社の実力者も人間や。また、同じく公正取引委員会の人もそうや。その力関係も、現在の状況やったら、後、10年は続きそうやとなる。

しかし、その後は、寿命という問題もあるし、時代の変革というのもあるかも知れん。時代の変革は不確定要素やから分からんけど、寿命なら違う。

今回、新聞特殊指定で影響あったとされとる実力者が揃って高齢者や。それ以上は、説明せんでもええやろ。

購読者が横這いになるというのも、その根拠はある。それも、簡単な根拠がな。

それは、人口比率というやつや。日本が高齢化社会に突入しとるのは疑いのない事実や。これから、年寄りがどんどん増えていく。

新聞が衰退すると予想されるのは、パソコン、携帯電話によるインターネットの普及にあるが、それは、それを比較的簡単に扱える若い世代が増加することで言えることや。

しかし、その若い世代が、少子化の煽りを受け人口が少ない。つまり、増加の速度が遅いということを意味しとる。

それに比べ、年々、平均寿命が長くなることで、年寄りの人口比率が、こちらは確実に増加しとる。

その年寄りには、未だにパソコンや携帯電話を扱えん者が多い。ワシも、ハカセと知り合わなんだら、おそらくその口や。そして、これからも彼らが、それを扱う可能性は極めて少ないと思う。

彼らは、同じ情報を知る手段なら、テレビや新聞の方が数段ましやと考えとる。それらを見るのに、ほとんど手間がかからんからな。

特に新聞がそうや。新聞は、手にした瞬間から情報が目に入る。それに伴う、ハードや、ややこしい操作は一切、必要ない。停電や故障などの心配もいらん。

敢えて言えば、歳食うたことで老眼になり、その眼鏡がいるくらいや。何を隠そう、ワシも新聞を読むのに、その老眼鏡は手放せんからな。

加えて、その層の多くは、新聞を取るのは当たり前という感覚が根強い。これは、読むためとかどうかというよりも、昔からの生活習慣の一つにさえなっとる。

朝、新聞が届いとるというのが自然であって、ある日、それが急になくなると、たまらなく寂しくなる。それがその層にとっての新聞なわけや。

ワシの客で、ある50歳代の男が、読みもせん新聞代が勿体ないということで止めたということがあった。

しかし、ものの1ヶ月も経たたんうちに「ゲンさん、やはり新聞、ほしいんやけど」と言うてきた。

話を聞けば、それがなくなってみると無性に寂しくなったらしい。いつもはあると、見るのは裏面のラ・テ欄(テレビ欄の略)くらいなんやが、ないと妙に気になり落ち着かんかったという。

こういう客も結構いとる。長年、新聞を購読していて、完全無読になったという人は、禁煙したという者より少ないのと違うやろかという気がする。

その世代が、後、10年は勢力を維持する。加えて、その中でも団塊の世代と呼ばれる連中が定年により離職で、大量の暇人が発生すると予想されとる。

今まで、新聞をそれほど読まんかった連中も確実に読むようになると思う。その層が、新聞を支えるはずや。

紙としての新聞が本格的な斜陽産業となってくるのは、20年後くらいからやと思う。もちろん、徐々にその傾向は始まっていくとは思うがな。

ただ、パソコン時代の到来と呼ばれ、誰もがペーパーレス化が確実になると、10年ほど前から予想されとったが、実際には紙の使用量が年々増加していっとるというのが現実や。

環境問題という観点から、紙の使用量を減らすためにも、企業や官公庁でパソコンが大いに奨励され導入された。革命的とまでもてはやされたが、現実はそうなってないということや。

その傾向は、後、10年〜20年は続くのやないかな。

その時分になれば、60歳以下でパソコンを扱えん人間というのは激減しとるから、世の中、デジタル化されとるのは間違いないやろ。

ただ、新聞でのデジタル化というのは、現状のままやと、失敗の可能性がある。

新聞がオールデジタル化になるということは、WEBサイト中心ということやと思うのやが、言うて悪いが、それやと新聞は売れん。

WEBサイトで新聞が売れるのやったら、現在でも、そこへの申し込みが殺到するはずやが、残念ながら、それは全体の購読率からすれば微々たるものでしかない。

そのデジタル社会になっても、新聞販売店とワシら拡張員は、新聞社の維持には不可欠やろと思う。新聞は、売り込まな売れん。それが、ワシの考えや。

ここからは、SFの世界になるかも知れんが、20年後〜30年後の新聞を予測してみようと思う。

紙自体は、環境問題などの影響により、世界的にその使用量が制限される。

日本では、印刷用紙の次に紙の使用量が多いのが新聞や。情報を売り物にする新聞が、これを無視することはできん。

止む得ず、デジタル化に進む。ここで、新聞関係者は一計を案じる。今更、インターネットのWEBサイトで購読客を募集しても、購入増が見込めんのは立証済みや。

やはり、売るためには、販売店形式だけは維持したい。それと、直接の営業も不可欠や。その時分まで、拡張員という言葉が残っとるかどうかは分からんが、営業員は必要やと思う。

もっとも、新聞自体が面白く売れるものになっとったら別やが、情報売りという性格上、それも難しい。

悲惨な殺人事件の報道記事を面白おかしく紹介することはできんし、政治を茶化せて笑いを取るというのも新聞の今までの体面上、拙い。

結局、内容的には、それまでのものと大差ないものになると思う。

ただ、救いは、この時代には、確かな情報には金がかかるものやということを認識しとる人間が多くなっとると思われるから、情報料としての新聞代には、今より理解があるはずや。

その20年後なら、ひょっとして、ワシもまだ現役で新聞を売っとるかも知れん。さしずめ「ゲンさん」改め「ゲンじい」というところやな。

そうやな、設定年齢は75歳ということにしておこうか。

時代は高齢化社会やから、誰もが仕事をするのが当たり前という風潮になっとるはずや。安易な引退、リタイアは許されんような時代やと思う。

「ご主人、お宅の3ヶ月カード、今月で切れますな。また、次のをお願いしますわ」

この時代のカードというのは、以前の契約カードのような紙の複写のものとは違う。プリペイドカードのようなものになっとるのがそうや。

これに、契約に関するすべての情報が打ち込まれとる。客は、この新聞カードを買う。これは、新聞社が苦肉の策として考案したものや。

ここに登場する3ヶ月カードというのは、それに記録された暗唱番号を端末に打ち込むことにより、3ヶ月間、毎日、新聞社から情報が送られてくることが、約束されたものや。

言えば、デジタル新聞契約書ということになる。それを、ワシら営業員が売るわけや。

カードは、3ヶ月、6ヶ月、1年というのが主流や。これは、今とそれほど変わらん。中でも、一番人気なのが3ヶ月カードや。

カードを登録すると、自動的に口座振替となるから、長期を嫌がる客が多い。システム的に一旦、購入すると解約はできんようになっとる。短い方がええわけや。

デジタル送信で、宅配の必要もないから、引っ越しによる転宅云々の解約もできん。したがって、何年も先の「先縛り」というのも考えられんことになっとるわけや。

新聞が、こうするのが可能やったのは、今までの新聞形態というのが長く続いたということが大きい。

ここで、ワシら拡張員が営業するというのは分かるが、販売店では仕事がなくなっとるのやないかという心配があるかも知れん。

昔のような個別配達やなくなっとるわけやからな。確かに、現在ほどの47万人という従事者は必要やなくなっとると思われる。

しかし、仕事はそれなりにある。例えば、新聞カードに個別の広告を送信するというやつや。これは、折り込みチラシのデジタル版やと思えばええ。

20年後の未来でも、スーパーや商店、会社はあるやろうから、そこの広告も必要になる。新聞は、その頃でも、有力な広告媒体のはずや。特に、地域重視の零細企業にとってはな。

他にも、客をつなぎ止めるためにも、それぞれ趣向を凝らしたものを送信する。その販売店特有の地域ニュースというのも発信するようになる。販売店自体がミニ新聞社になるわけや。

拡材というのは、もう10年ほど前には完全に廃止になった。それに頼った直接的な景品で客を釣ることはできんようになる。

その代わり、懸賞金の制限が和らぎ、かなり豪華な賞品、賞金が貰えるようなシステムに変わった。

ある意味、新聞を買うというのは、宝くじを買うというのに近い状態になったわけや。せやから、新聞自体の人気は却って上がった。

ただ、それには各紙、差がつけられんことになったから、最終的に売り込むのは、その営業員の腕次第ということになる。

客は、気に入った営業員から、気に入った新聞を買うことが多くなる。拡材がなくても売れる分、個人をアピールせなあかんわけや。

営業員が競合しとる地域は、特にその傾向がきつい。

「私は、新聞を買うのは、ゲンじいさんと決めてますんや」

「おおきに」

「ゲンじいさん、また、昔の話を聞かせて貰えまへんか」

「いいですよ」

ワシは、ハカセにHPやメルマガの協力をしていたことで、この業界の知識がかなり増えた。これは、単なる経験だけでは得られん貴重なものや。

それが、この時代の営業に役立った。年寄りの昔話は、いつの時代でもあることやが、ワシのそれは中味が濃いから、人気がある。

残念ながら、ハカセは、ワシが65歳のとき死んだ。今から、10年前や。享年、50ウン歳とあまりにも若すぎる死やった。

しかし、ハカセは、このメルマガとHPを10年間続けた。週一のメルマガは1000回を超え、HPの情報量も半端やないほど多い。スタイルは一貫して文章のみや。

それらを完全読破するのに、1日、10時間以上、読み続けて夏休みが終わったというアホな学生さんがおったという。

もっとも、最後の方になると、ワシやハカセにも、どこにどんなことが書いてあるか、さっぱり分からんようになってたがな。

ハカセも一応、ワシの言うたことを書いとるということになっとるが、その部分をたまに読み直すと、我ながら感心することが多い。

「ハカセ、ワシ、本当にこういうことを言うたんか?」

「だと、思いますよ」

「そうか、えらいやっちゃな」

誰がえらいのか、良う分からんけど、そんな感じやった。

メールを送ってこられた読者も数万人という規模になった。サイトやメルマガの情報は、むしろ、そういう人たちからのものに依存してたのが実情や。

初めの2,3年は、知る人ぞ知るという程度やったのが、5年目辺りから、各方面から注目され出し急速に人気が高まった。

これには、新聞各社の応援があったというから驚く。開設当時には予想もせんかったことや。

新聞業界、特に勧誘の内幕を赤裸々に話してたということもあり、煙たがられる存在やったやろからな。

せやからというて、何かのクレームを言うてきとるわけやない。どちらかと言うと無視された形やった。

もっとも、ある関係者からは、新聞社の販売部の人間が「えらい、サイトができたな。しかし、言うてることはそのままやから、しゃあないな」と話してたということや。

それが、一変したのが、サイト開設後の5年目当たりからやった。理由は察しがつく。

というのは、この頃、昔ながらの喝勧や騙し、てんぷら(架空契約)という新聞の勧誘行為がほとんど影を潜めたということが大きい。

つまり、そういう事実は、今は昔になったわけや。そういうことが世間的に認知されると、却ってその昔の話が生きてくる。

新聞社は、そういう悪辣な勧誘員を浄化して健全にしたとアピールできるわけや。「こんな苦労をしてたんやで」という感じやな。

それをアピールするのに、このメルマガとサイトが最適となったということや。

有名になること自体は悪いことやないけど、できたら、初期の頃、新聞社の姿勢の変更を訴えてたときに、そうしてほしかったというのが、ワシらの正直な気持ちや。

それでも、新聞社が落ち目になって、周りから袋叩きにあい、その輪の中に入って、このメルマガやサイトが利用されるよりかは、まだましやけどな。

「ゲンさん、本当に長い間、ありがとうございました」

それが、ハカセの最後の言葉やった。

それまでのメルマガやサイトの内容、そして多くの読者からのメール等々。ハカセから託された、そのすべてがワシの財産になった。

それには、サイトで公表されんかった内容も多い。そのすべてを、ハカセはワシのために遺してくれた。

「今日は、30年前の、ある拡張戦争の話をしましょうか……」

ワシの話をせがむ客に、その昔話をするわけや。それが、営業トークとなる。そうして、ワシは死ぬまで、拡張員を続ける。

「ちょっと、ゲンさん、勝手に私を殺さないでくださいよ」

ハカセが異議を申し立てた。

「まあ、そう堅いことを言いなさんな。これは、ワシの単なる未来の予想なんやから」

未来を語るには、どうしても想像の部分が必要や。過去のことは事実を話せば、たいていは納得して貰えるが、未来を納得させるのは難しい。

せめて、ドラマチックに盛り上げな、おもろないやろと思う。

この新聞の未来ということに関しても、ワシとはまったく別の見方をする人もいとると思う。むしろ、その方が圧倒的に多いはずや。

ワシの予想やと、パッピーエンドに終わる。しかし、それは、ないやろという声が聞こえてきそうや。

一般的な新聞の未来というのは、将来的には消滅して、インターネットがその地位を奪っとるというやつやからな。それに、疑いを挟む余地の方が少ない。

正直、ワシも自信があって言うてるわけやない。希望的観測というのも確かにある。

ただ、どうなるかは分からんが、いずれにしても、まだ未来は確定されておらんわけや。

新聞の未来ということに関して言えば、その関係者である新聞社、販売店、そして、ワシら拡張員次第やというのは、間違いないやろと思う。

そして、その評価を読者が下すことになるというのもな。すべては、それで決まる。


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