メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第105回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2006.8.11
■壬生猫キツドの怒り 前編
久しぶりにテツが京都からやって来た。
テツというのは、京都で古紙回収業をしとる古い友人や。
ハカセを誘い3人で、例によってカポネの店に集った。
「あれ?そこの棚にあった招き猫は?」
他に客もいない暇な店のカウンターのイスに座ったとたん、ハカセが発した第一声や。
確か背後の酒棚の片隅にあったはずやったとワシも記憶しとる。
「あれは、掃除しているときに床に落ちて壊れてしまったんですよ」
カポネのマスターがそれに答えた。
この店には、ミスマッチなものが多いが、その招き猫もその一つやった。
店の雰囲気は、洋画に出てくるアメリカの場末のバーを連想させるものがある。それも、西部劇の名残りが強い1900年代前半のものや。
もちろん、それは狙いでそうしとるわけや。アンティークな感じと言えば言えるかも知れん。
店内に入ると、ここが21世紀の日本やというのを忘れさせてくれるからな。
店は5,6坪ほどで小さい。カウンター席しかなく、5,6人も入れば満員になる。
その狭い店のカウンターの中には、いかついスキンヘッドの大男が一人、いとるだけや。女気など微塵もない。当然のように、カラオケなんかも置いとらん。
文明の利器と呼べそうなものは、バックミュージック用の古いラジカセがあるだけや。それだけは、店の古臭さと妙にマッチしとる。
壁に絵がかかっとるのやが、これが店の雰囲気とは、まったくそぐわん感じのものや。
幻想的、前衛的な芸術とでも言えば、聞こえはええのやろうが、ワシにはとてもやないが理解できるものやない。ピカソの絵も、ワシにはさっぱりやが、それでも、その方が少しは、まだ分かりやすいと思える。
砂漠を歩くワタリガニのハサミからチューリップの花が咲いとる絵や、カエルが口を大きく開けたその中が、宇宙になっとるようなわけの分からん絵ばっかりやからな。
およそ、アンティークと言うにはかけ離れとる。ワシは、この絵には批判的やったけど、敢えてそれには触れなんだ。
後に、それがカポネのマスターの作品やと知って、いらんことを言わんで良かったとつくづく思うたがな。
それにしても、いつ来ても、不思議に思うのは、これで、良う商売が成立しとるなということや。どうひいき目に見ても、客商売として成功させようという情熱というか努力のようなものが、著しく欠落しとるとしか思えんからな。
自分の趣味でやっとるとしか考えられん。あるいは、世を忍ぶ仮の姿ということなら、それなりに理解はできる。
裏稼業は、殺し屋かそれに類似したことをやっとるのやないかというのが、ワシらの一致した意見や。
そのために、意図的に客を寄せ付けんようにしとる。そう考えた方が自然やと思える。
せやなかったら、とても儲かっとるとも思えんこんな店が、4,5年も続いとるはずがないからな。
「死んでしまったのですか」
「死んだ?面白いことを、仰いますね」
招き猫の置物が壊れたのを死んだと言う。
ハカセは、ワシの発想が人とはかなり違うと常日頃、言うとるが、自分の考え方も相当、世間離れしとるとは気付いとらんようや。
「いえね、ある新聞のコラムに招き猫の話があったのを思い出したもので、つい……」
ある雑貨店での話やという。
そこの商品の一つで、招き猫の耳の片方が欠けて壊れていたものが展示されていた。接着剤で応急修理したらしいが、誰の目にも明らかにそれと分かる傷モノや。
普通なら、そんなものは捨てるか、投げ売りする。しかし、その店の店長は、洒落た広告を、それに添えた。
『私はネコです。3月3日のひな祭りの日に交通事故に遭いました。右の耳を少しケガしましたが、おかげさまで元気になりました。こんな、私ですが、かわいがってくれる飼い主さんを探しています』
この広告の文句に惹かれて「このケガをした猫をください」と言う客が現れたという。
店長は「傷モノですよ」と確認したが「いいのです。それがほしいのです」と言ってそれを買った。
これは、単に傷モノを上手く売るためのアイデアというだけではなく、その店長さんの商品に対する深い愛着心があった故に生み出された言葉やと思う。
客は、それに心を惹かれ、その気持ちを買ったと思う。
おそらく、家にそれを持ち帰れば、誰でも「何でそんな傷モノを買ってくるのか」と訝しむ人もいれば、詰る者もおるかも知れん。
せやけど、その客は、それを買った理由を言う。それで、納得する人間は多いと思う。またそう思いたい。
その家庭では、優しさについて、あるいは物を大切にする心について、必ず語られたはずやと思う。これは、金で買えるものやない。
ハカセは、その話が心に残っていて、いつか機会があれば語りたかったという。それで、思わず出た言葉やった。
「その猫は、ケガをしただけで救われたわけですけど、壊れてしまったんでは助かりませんよね」
「それで、死んだということですか……」
「死んだ猫か……」
テツが、遠いところを見るようにその視線を上げた。その目は、はるか昔に帰っていた。
「壬生(みぶ)猫キッドのことか……」
ワシも、その感傷が分かったから、そう言うた。
「ああ……」
テツも短く答える。
もちろん、壬生猫という種類の猫などは、どこにもおらん。ワシらが勝手にそう名付けただけや。
もっとも、その当時、その地域では有名な存在ではあったがな。
京都に壬生と呼ばれる界隈がある。新撰組の本拠地、壬生寺があることで有名や。
具体的には中京区にある。北は三条通りから南の五条通り(国道9号線)まで。東は堀川通りから西へ西大路通りまでの間を指す。
京都の街並みは、今の時代を感じさせる所が少ない。それには、先の戦争で爆撃による焼け野原には、されてないということが大きい。
また、大地震などの災害などにも襲われてないから、家々を建て替えることもなかったわけや。
こと、開発ということにかけては日本で一番遅れとる地域かも知れんという気がする。
年間5000万人とも言われる観光客が、日本はおろか世界中から、この京都に集まる。
その多くは、その古い歴史が目当てで来るわけやから、ビルの立ち並ぶ京都を誰も見たいわけやない。
それを良う心得とるから、新規の建造物に対しては、条例で厳しく規制されとるわけや。
それでも、最近は、その時代の流れが京都の街並を変えつつあると、テツは嘆く。
「あの頃が、懐かしいな……」
ワシは、テツの感傷に合わせるように、そう洩らした。
昔は良かった、恋しいと考えるようになったら終いやと常に思うてた。
過去に囚われたら進歩はそこで止まる。常にプラス思考で前進することが、ワシのモットーやさかいな。
しかし、この歳になると、その昔を思い出し郷愁に浸ることも多い。人がひとり生きるというのは、実にさまざまなことがある。
それが、強烈な印象であればあるほど、何かのきっかけで、フラッシュバックとして脳裏に浮かぶ。そういうときは、どうしても感傷的になるもんや。
これから話すことも、その一つということになる。
その日、テツは、その壬生界隈で「流し」をしていた。
「ご町内の皆様、毎度、お騒がせ致しております、ちり紙交換車でございます……」
と、拡声器の付いたトラックで廻るのが、ちり紙交換で言うところの「流し」というやつや。
京都では、これをしとる古紙回収員が圧倒的に多い。その当時、京都市内だけでも、常時300台くらいのちり紙交換車が廻っていたという。
因みに、京都では、ちり紙交換員のことを略して「ちりこ」と言う。
言葉の響きが、あんまり良うない。多分に侮蔑が含まれとると、テツは自嘲気味に話す。
京都市内は、先にも言うた事情から、道幅が極端に狭い所が多い。その中でも、壬生は群を抜いて狭い。一方通行の道も多い。
したがって、ちり紙交換車も軽トラックが多く、主流になっとる。
この辺りには、庭やベランダのある家が少ないことから、天気のええ日には、洗濯物がその道に干される。
布団が干されとるのも珍しい光景やない。そのための物干し台が所狭しと道に並ぶ。
雨の日は、当然のことながら、通行人は傘を差す。その傘の花で道が塞がる。
そういう所を、ちり紙交換車は超低速で動く。後ろに張り付いた車は追い越すスペースもないから、クラクションを鳴らしながら煽る。
たいていの「ちりこ」は、それを我慢しきれず、知らず知らずのうちにスピードを上げて通り過ぎる。
拡声器の音が聞こえて、慌てて新聞を抱えて飛び出しても、ちり紙交換車がそこにおらんということになる。
業界では、この界隈を「ちりこ銀座」と呼ぶ。ここでは、何度、通っても必ず客が拾える。新聞が出てくるわけや。
せやから、この地域では朝から夕方まで、ひっきりなしにその拡声器の音が聞こえることも、珍しいない。
中には、何度、通っても同じ客から新聞が出ることがある。通常、客は一度、その新聞を出せば、溜まるまでは1ヶ月程度はかかる。
せやから、普通はそういうことは考えられんのやが、それがここでは良くあることやという。
どういうことかと言うと、小出しにするからそういうことになる。もちろん、そうするにはそれなりの理由がある。
京都のちり紙交換車は、組織だって経営されとる所が数社ある。多い所は百数台のトラックを所有しとる。それとほぼ同等のちりこがいとる。
少ない所では5,6台というグループというのもある。その辺の組織構成は、拡張員のそれに似とる。
その会社毎で、サービススタンプというのをしていて、1回の回収毎にそれを押す。それが5つ溜まると、サランラップとかトイレットペーパー、箱テッシュのサービス品が付く。
それを目当てに、わざわざ小分けにしてくくり、それを出す客がおるわけや。せこいと言えば言えるが、ここでは、そういう客が多かった。
そして、そういう客は、拡張員の勧誘の常套手段である拡材にもなびきやすいから、ワシらにとっても狙い目の地域ということになる。
いきなり、目の前を何かを銜(くわ)えた黒猫が、軽トラックの前を横切った。
「キッドか……」
テツは軽トラックを止めた。
「こら、待て!!この泥棒猫!!」
サザエさんの「お魚、銜えたドラ猫、追いかけて……」というフレーズそのままの光景がそこにあった。
テツが軽トラックを止めたのは、この後、必ず誰かが追いかけて飛び出して来ることが分かってたからや。猫は仕方ないにしても、人と接触するわけにはいかんからな。
「大将、またですか」
「ああ、テッちゃんか。どもならんで、アイツは」
大将というのは、顔見知りの魚屋の主人や。しょっちゅう、魚を猫に持っていかれるらしい。用心は、それなりにしとるそうやが、一瞬の隙を突かれるという。
特に、キッドと呼ばれとる黒猫は最悪やと話す。
いつの頃からか、この界隈に多くのドラ猫が棲みつくようになっていた。
この黒猫キッドに代表されるように、店先から食い物を取っていく猫が後を絶たん。
もっとも、奴さんたちも生きるためにしとることやとは思うが、そうやからと言うてそれを容認できるほど、人間は人間ができてない。
その迷惑猫を称して、誰言うとなく「壬生猫」と呼ぶようになった。この言葉自体は、かなり昔から存在していたという。
そのルーツを知るキヨ婆さんという年寄りから、テツもその話を聞いたことがあった。
「わたいが、まだ女学生の頃、この近くに猫好きのお梅さんという、きれいな芸妓はんが住んではりましたんや……」
梅さんは、祇園で売れっ子の芸妓やったという。それを、ある大店の店主が大金をはたいて水揚げした。良くある話や。
水揚げされるというのは、その水揚げした旦那の愛人になるということを指す。その愛人として、梅さんは十数年もの間、務めたということや。
梅さんの猫好きは有名やった。もっとも、その旦那が生きている間は、それほどでもなかったらしい。
その旦那の死後、その寂しさを紛らわすために集めたものなのかは定かやないが、梅さんの屋敷には、いつしか多くの猫が棲みつくようになった。棲みつかせたと言うた方がええのかも知れんがな。
誰言うとなく、そこは、いつしか猫屋敷と呼ばれるようになった。
梅さん自身も、そこそこの資産家やったようやから、生きている間は、猫の餌くらいは困ることもなかったらしい。
せやから、この頃は、迷惑猫とまでのレッテルは、まだ貼られてはおらんかった。
梅さんは、その中でも、黒猫を特に可愛がっていた。
キヨ婆さんの話によると、梅さんは、その黒猫にいつも何かを話かけていたということや。
ペット好きの人にありがちなことやから、珍しいというほどでもないが、その黒猫の反応が普通とは思えんかったと、それを目撃したことのあるキヨ婆さんは証言する。
その黒猫は、梅さんの話が分かるのか、相づちでもしとるように、その都度、鳴いていたらしい。さらに、その猫は「笑う」のやとも話す。
一度だけ、その黒猫は、キヨ婆さんを見て、にやりと不気味に笑ったことがあったという。
「そう言えば……」
黒猫キッドとは、テツも何度か遭遇しとる。視線が合うことも何度かあった。一瞬やが「にやり」とテツを見て笑ったような印象があったのを思い出した。
猫が笑うことはないから、そう見えただけやとは思う。錯覚やろうが、何か不気味なものを感じたのは確かや。
もっとも、その黒猫キッドと梅さんの愛猫の黒猫とは、時代がかけ離れすぎとるから、別猫なのは間違いないが、ひょっとしたら、キッドはその子孫ということも考えられんでもない。
あるとき、その梅さんが死んだ。キヨ婆さんにも、その死因は分からんという。
病死という者もおれば、殺されたと、まことしやかに言いふらす人間もおったようや。
中には、猫に食い殺されたと言う者まで出る始末やった。しかし、いずれにしても、それは未だに藪の中とされとることや。
その真相を知る人間の心当たりすら、キヨ婆さんは知らんと言う。ただ、その梅さんの死を境に「壬生猫騒動」が表面化してきたのは間違いないとのことや。
単純に考えて、猫に餌をやる人間がおらんようになると、そのままやと飢える。猫も生きるためには、自力で食料を調達するしかない。猫が自力でということになると結果的には盗むしかないわけや。
猫に限らずペットは、その飼い主がおらんようになったら自力で、そうして生きていくしかないわけや。それが、できん者は死ぬ。その猫たちにとって選択肢はそれしかない。
それを自然の掟と呼べるのかどうかは別にして、厳しい生存環境が存在するのだけは間違いなかったと言える。
その後、その梅さんが住んでた所は、二階建てのアパートになり、それは今もそこにある。
そこに棲みついていた猫たちは、いつしか、この壬生一帯を根城にするようになり、その勢力を拡大していったということや。
この壬生は、その猫たちにとっては自力で生きていくのには、環境に恵まれた地域やったと言える。
まず、隠れる所に困ることがない。この辺り多くの建物は古く、その縁の下、屋根裏などは、猫にとっては自由に出入りできる。
加えて、天敵の存在が少ない。庭のない家が多いということで、猫を追い駆け廻す天敵と呼べるほどの大型犬も少ない。
敢えて言えば人間やが、猫にとって人間はただののろまな生き物にすぎん。滅多なことで捕まることはない。
野良犬なら保健所が、その捕獲をすることも多い。
これには、狂犬病予防法というものがあるから、野良犬を放置するわけにはいかんという事情がある。
同法第6条により、繋がれとらん犬は、行政により捕獲・抑留されることになっとる。
捕獲・抑留の対象となる犬は、同法第4条・第5条に定められた鑑札及び予防注射済票を付けていない犬とされており、首輪の有無を問わんとある。
したがって、首輪を付けている犬であっても、飼い主の元を離れてしまえば捕獲・抑留されてしまう可能性があるということになる。
ところが、猫にはその法律が適用されん。行政による捕獲・抑留はない。ただ、その飼い主が行政に引き取りを依頼したときは、それをせんとあかんということになっとるだけや。
しかし、それも野良猫には適用されん。その意味では、この壬生は野良猫天国とも言える。ここでの、迷惑猫の実数が何匹いとるのかは定かやないが、一説には数百匹は下らんということや。
その連中が、そこらを荒らし廻るのやから、住民にとってはやはり、迷惑この上ないとなる。
ただ、その野良猫天国と言われたこの地域で、10年ほど前、ある異変が起きて、その野良猫が激減したということがあった。
事の起こりは、意外なことからやった。
「テッちゃん、この辺で、こんな猫、見んかったか?」
テツに、そう言うたのはワシや。
その日、たまたまワシも、この壬生界隈で拡張してた。
すると、その一軒の家で、飼い猫が行方不明やと言う。この3日ほど帰って来てない。今まで一度もそういうことはなかったと、その客は強調する。
ワシは、契約を貰うたということで、気軽に「写真でもありませんか。この辺りに知り合いも多いので探してあげますよ」と、つい安請け合いをしてしもうた。
もっとも、その猫は、アメリカンショートヘアというその当時としては珍しい猫やったから、すぐ見つかると考えたというのもあったんやけどな。
「知らんな。ゲンさん、猫探しのアルバイトでもしとるのか」
テツは、その写真を見ながらそう言うた。
「アルバイトやないけど、こいつ、珍しい猫やさかい、すぐ見つかると思うてな」
「そら、ええけど、その猫を見つけたとしてどないするんや。ここでは、そう簡単に捕まえられんで」
テツは、つい先ほど、黒猫キッドを追いかけて逃げられた魚屋の大将のことを思い出して、そう言うた。
そのアメリカンショートヘアの猫が、よほど人に慣れていて、近寄って来るというのなら別やが、この壬生で逃げる猫を追いかけるというのは、確かに至難の業やと言える。
ただ、それが、きっかけで、話が思わん方向に展開していくことになる。
あちこちで、飼い猫が行方不明やというのが、その日を境に急激に増え始めた。ワシの客もそうやが、テツも流しで廻っとる際に同じことを聞かされたという。
「まさか、この辺りの野良猫が、飼い猫を取り込んで、仲間を増やそうとでもしとるのやないやろな」
テツがそう言う。
「何のために?」
「いよいよ、奴さんらは、この辺りを制圧するつもりになったのと違うか。あの黒猫キッドやったら、それくらいのことは考えつきそうやで」
ワシも、その黒猫キッドの噂は知っとる。頭も切れるとの評判やし、この辺りの野良猫のボスらしいということも分かっとる。
一見、自分勝手に思える野良猫の集団も、その黒猫キッドが、その場に現れると、一斉に注目するという。統率のとれた集団となる。妖怪じみた猫やと言う者も多い。
しかし、それやからというて、飼い猫をわざわざ仲間に引き込もうとするやろうかという疑問がある。
また、その飼い猫たちが、それに呼応するとも思えん。彼らには、安定した生活と餌が保証されとるわけや。そうする意味がない。
猫が結束して人間に戦いを挑む。そういう話を考えつくというのは、面白い発想かも知れんが現実的やない。
現実に起きとることには、現実的な理由が必ずあるもんや。
そして、その現実的なことの正体が知れたとき、この界隈で、一大騒動が勃発することになったわけやが……。
後編に続く。