メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第106回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
     

発行日 2006.8.18


■壬生猫キツドの怒り 後編


翌日の夜。

「ゲンさん、妙な噂を聞いたんやがな」

テツがそう言うてきた。

「妙な噂?」

「大阪から猫捕り業者が、この壬生に来とるらしいんや」

「猫捕り業者?ほな、飼い猫が消えたちゅうのは……」

「ああ、その可能性があるな」

この猫捕り業者というても、いろいろな連中がおる。

一番多いのが、動物実験用に使う猫を捕獲して売り飛ばす奴らや。猫は、その神経系が他の実験動物に比べ鋭敏やということで、実験用としては重宝されると聞く。

現在は、世論や動物愛護団体の反対により、ほとんどの都道府県で廃止されとるが、昔は、捕獲や保護、飼い主から委託された犬猫を無料で、動物実験用に払い下げされとった。

ただ、中には大阪のように例外的に、払い下げがされてなかった地域もある。

大阪では昔から「保健所に持ち込まれた犬や猫は動物園のライオンなどの猛獣の餌にされる」という噂が信じられとった。

それは単なる噂でしかないんやが、そのせいか、犬や猫を保健所に持ち込むより、そこらに捨てる人間が圧倒的に多かった。

必然的に大阪では野良犬、野良猫が他府県に比べて格段に多くなっていった。

大学の研究者たちも野良犬、野良猫の生態調査は大阪でするに限るということが定着しとるらしいからな。

その風聞を打ち消すためにも、大阪では実験動物への払い下げをしとらんかったということのようや。

しかし、タダで実験動物が確保されんかったら、それを必要とする企業や研究機関は、金を出して買うしかない。

そのため、大阪では業者への需要が多い。その連中が全国に暗躍しとるという。

もちろん、猫捕りの目的は、それだけやない。金になりそうな高級猫はペットショップに売り飛ばす。場合によれば、海外にも売り飛ばす。

昔から有名なところでは、三味線の皮づくりのためというのもある。

合皮や犬皮(けんぴ)も三味線の皮として使われるが、やはり、猫皮が最適やということで重宝される。

猫皮は、その毛穴が犬皮に比べて細いから音が通過する際、皮に与える震動がデリケートで、その分、柔らかい音色となって現れてくるのやと三味線業者から聞いたことがある。

しかし、現在は、このためだけに猫が捕獲されとるというのは少ないようや。三味線自体の需要も少なく、その三味線業者が著しく減少したというのが影響しとる。

ワシも、たまたま奈良で叩い(戸別訪問)とったときに、その業者を知ったくらいやからな。そこらにいとるというもんでもない。

原皮(げんぴ)業者というのがいとる。彼らは犬猫の皮を剥ぎ、冷凍保存した状態で、皮なめし・張り皮の業者へ運ぶ。そこから、上質の猫皮を「三弦師」という三味線組み立て職人の元へ出荷されるということや。

そのための猫皮は、現在では中国やフィリピンから輸入しとるものがほとんどやという。

昔、ワシがまだ若かった頃、大阪の新世界という所で、屋台のホルモン屋というのがあった。そこは、安くて旨いので客も多かった。

しかし、その中には、どんな肉が混ざっとるか得体が知れんというのは、誰もが半ば承知していた。一説には、犬猫の肉もふんだんに入っていたということや。

実際、それはあったやろうと思う。現代の若者には、聞くのもおぞましい、とんでもない話かも知れんがな。

せやけど、牛肉や豚肉、鶏肉などの肉は、そう簡単に食えた時代やなかったから、安価で肉が食えるというだけで重宝されてたもんや。

そのホルモン屋というのも、今はほとんど見かけん。そんないかがわしい肉を売っとる店も存在せんと思う。

今やったら、仕入れるとしても、その方が遙かに高くつくやろうからな。因みに、動物実験用の犬猫の取引価格は最低でも1匹1万円ということや。

焼き肉屋の看板に「ホルモン焼き」というのは多いけど、それとは何の関係もないとだけ言うとく。その当時のホルモン屋の基本は、煮込みで、焼き肉とは違うからな。

いずれにしても、その需要の減少から、その線での猫捕り業者の暗躍は考えにくい。やはり、動物実験用、ペット業者向けが主やろと思う。
 
大学や企業の研究機関が猫を入手するルートは、実験動物繁殖業者に発注するというのが一般的や。

業者はアルバイトや下請けに「猫捕り」をさせて集める。また、シロアリ駆除業者などが需要に応じ「副業」にすることもあると聞く。

業者は、猫が多い地域に目をつけ捕獲箱を仕掛けて捕獲する。捕獲箱というのは、たいていは黒い木箱で、中に餌になる魚などを入れておく。

猫は、その餌に釣られ中に入る。そのとき、床の踏み板を踏むことによって入り口の扉が閉まるという仕掛けや。

人に慣れた飼い猫に対しては、近寄ったところを大きな網で捕獲することもあると聞く。

「すると、連中が、消えた飼い猫を?」

「ああ、その可能性が高い。どこか、まだ近くに隠しとると思う」

当然やが、猫捕り業者も数匹程度を捕まえても話にならん。普通は、どこかに集めといて、予定の収穫が上がれば、それで切り上げるはずや。

たいていは車で運ぶことになるから、それに入る限度までということやろうと思う。

ワシは、一応、客から猫探しを依頼されとる。見つけられるものなら、みつけてやりたい。猫捕り業者の手に落ちたら、九分九厘、その命もないやろしな。

テツは、テツで、ここの壬生猫に愛着のようなものがあった。

特に、ある黒猫キッドには、憎めない小気味良さを感じていたということもある。それには、テツ自身が猫好きというのもあったようやけどな。

おそらく、その猫捕り業者は、この壬生猫の噂を聞きつけて来たはずや。捕獲された中には、野良猫も多いと思う。

飼い猫は、飼い主が騒ぐから、おらんようになったというのは分かる。せやけど、野良猫が消えたくらいでは誰も騒がんから知られることはない。

ここに来とる業者が、実験動物用かペット用のどちらを狙うてのことか分からんけど、罠にかかるのは腹の空かせた野良猫が多く、網で捕まるのは警戒心の薄い飼い猫の方が多いやろと思う。

「で、どうする?」

テツは、わざわざそう言うたが、どうするかは決まっとる。

その猫捕り業者を捕まえ、飼い猫を逃がす。テツは、野良猫も逃がしたいようやけどな。

いずれにせよ現場を押さえな話にならん。現場を押さえて、その中に、写真と同じ例のアメリカンショートヘアの猫がおれば、それが証拠となる。

その飼い主が被害届を警察に出すことで、窃盗罪となり事件となる。警察も、窃盗団として、その猫捕り業者を逮捕せなしゃあない。実際、そういう事例も全国には多い。

「張り込むしかないやろ」

テツがそう主張する。

「張り込む言うても……」

「仕掛けられた捕獲箱は、一つ見つけた」

住職も誰もおらん小さな廃寺の隅に、それは置いてあったという。

テツがそれを見つけたのは、偶然や。というても、猫捕り業者は、人目を忍んで、それを仕掛けるということやから、その意味では必然やったかも知れん。

どういうことかというと、テツは、この壬生で流しをするときは、集めた荷物(古紙類の別称)を整理するために、その廃寺の空き地を利用することが多いという。

整理せず、そのまま積み込み続けるだけやと、小さな軽トラックではすぐ積めんようになる。山のように積んだとしても、ええとこ6,700キログラム程度が限界や。

それで、仕事を終了して、紙問屋に持ち込んでも大した儲けにはならん。ちゃんと手際良く積み直せば、1.5トンから2トンくらいの荷物が積める。

軽トラックの積載重は360キログラムやから、積載オーバーでそんなの無理やと思うかも知れんが、無理やと言う人間は、この仕事には向かん。

積載オーバー自体は確かに違法やが、それで捕まることは希や。京都は古紙回収に力を注いどる地域やからというて、特別に目こぼしがあるわけでもない。

摘発されにくい、一番大きな理由は、見た目で判断しづらいというのがあるためや。どうしても、紙は軽いという先入観があるからな。

それに、積載オーバーの取り締まり計量は、こういう市内ではまずせん。たいていは国道の広い所か高速道路の出入り口辺りでしかしとらんもんや。違反は、それを立証されて、初めて違反になる。

それでも、今にも崩れるような積み方やったら、警察に目を付けられることもあるかも知れんが、テツのように箱形に綺麗に積み上げてたらそれもない。

客にしても、無造作に積んどるトラックよりも、綺麗に積んでるトラックの方が同じ持ち出すにしても安心できる。積むスペースがあると思われ断られることがないということでな。

せやから、そのちり紙交換員の技量は、その積み方を見てたら、一般にでも簡単に判断できるということや。

ただ、そういう積み方をするには、それなりの順序というかテクニックが必要や。そのためには、ちょくちょく積み替え作業というのをしとく必要がある。

それも、その仕事の最中で他の邪魔にならず、尚かつ、そこそこのスペースが必要や。場合によったら、荷物をほとんど降ろして積み替えるということもあるからな。

この廃寺の空き地がそれをするのに、都合がええから、壬生で流すときは、いつも利用してたということや。

猫捕り業者にすれば、誰も立ち入りそうでない所を選んだつもりやろうけど、そこにテツがいたということや。

ここで、その作業をしとるときに、テツは草むらの中に黒っぽい木箱があるのを見つけた。

近づくと、中から猫の鳴き声がする。空けてやると、一匹の茶シマの虎猫が入っていた。そいつは、ものすごい勢いで飛び出して一目散に逃げて行った。間違いなく野良猫やった。

「猫捕りの捕獲箱か……」

テツ自身は、見るのは初めてやったが、話には聞いていたから、それとすぐ分かった。

何げなく視線を廃寺の屋根に向けると、そこに一匹の黒猫がいてた。キッドやった。一瞬、テツと視線が合うたが、キッドはきびすを返すとすぐに消えた。

一か八か、ワシとテツは今夜、ここで張り込むことにした。仕掛けた捕獲箱は必ず回収しに来るはずや。そこを押さえる。

但し、その夜、来るという保証はない。ワシの仕入れた情報やと、夜の間、仕掛けて朝、回収するのが多いというからな。下手したら、朝まで待たなあかことになる。

しかし、二部制でやってる所もあるとは聞いた。どういうことかというと、短期間、たいていは3,4日を目処に終わらせるために、昼夜、それを仕掛けるというものや。

夜、仕掛けて、朝、回収する分。それと交代に朝、仕掛けて、夜、回収する分という具合や。

短期間で済ませるのは、飼い猫の飼い主が騒ぎ出すのを警戒するためや。3,4日までなら、ぎりぎり大丈夫という計算があると聞く。

ワシらは、その二部制の可能性に賭けた。状況的にその可能性が高いと思うたからや。

幸いにというか、この廃寺の中は身を潜めるには申し分のない所や。ただ、夜、潜むにしては、あまり気持ちのええ場所やないのは確かやけどな。

こういうのを、乗りかかった船と言うのやろなと思う。もっとも、ワシには、そういうのは多すぎるがな。また、それに伴う危険にも慣れて鈍感になっとるというのもある。

待つこと、2時間余り。

白いライトバンが境内の入ってきた。中から、男が二人降りて、手早くその捕獲箱を積み込もうとしていた。

「ちょっと、待ってんか」

ワシらは、脅かすつもりやなかったが、その男たちは、かなりびっくりしたようや。

もっとも、廃寺の茂みから、得体の知れん男が二人、急に現れたら驚くなという方が無理やろがな。

「な、な、何や。おのれらは?」

「いや、ちょっと、おらんようになった猫を探しとるんや。あんたら、猫捕りやろ。間違うて、捕まえとるかも知れんと思うて、こうして待ってたんや」

「何のことや。知らんな」

小太りで年輩の方の男が、そう答えた。その男が、背のひょろ高い若い奴に、小声で「応援を呼べ」と指図しとるのが聞こえた。

若い男は、運転席の無線を掴んで、現状を訴えとる。どうやら、その無線の内容やと、地元の極道が現れたというようなことを言うてるようや。

ワシは、テツに目配せした。奴さんらが、勘違いしとるのやったら、それはそれでもええ。少し様子を見ることにした。

それに、ここに雁首揃て集まってくれるというのやから、話は早い。

「そうか、それなら、後ろの荷物を確認させてくれへんか」

「ちょっと、待って貰われしまへんか。今、うちの親方が来ますんで」

若い男の方が口を挟んだ。

「さよか、ほな、待ちまひょ」

ほどなく、同じようなライトバンが2台、境内に入ってきた。その中から、3人の男たちが降りてきた。計5人や。

その内の恰幅のええ、50絡みの男が近づいてきた。この男が親方のようや。

「兄さんらは、どちらの身内さんでっか?」

最初(はな)から、ワシらを極道やと思うとる。

「そんなことは、どうでもええがな。ワシらは、おらんようになった猫を探しとるだけや」

「そうでっか。せやけど、残念ですけど、私らは、この辺りの野良猫を捕獲するために来てますんで、飼い猫は知りまへんな」

「ほな聞くけど、飼い猫と野良猫はどうして区別しとるんや」

「そんなもの、見れば分かりますがな」

「それで、飼い猫と分かったら?」

「もちろん、逃がしまんがな」

「そうか、それやったら、飼い猫は捕まえとらんということやな」

「そういうことになりますな」

「それなら、ライトバンに積んどる荷物を確認させてくれんか」

「分からん、お人やな。飼い猫はおらんて言うてまっしゃろ」

「分からんのは、そっちと違うか。おらんのやったら、見せたったらええやんけ。その方が話は早いやろ」

ワシらとしても、それを確かめるまでは引き下がるつもりはない。

「おい、こら、舐めんなよ。ワシらには関西の○○組がバックにおんのんや」

大物ぶっていた50絡みの男は、簡単に本性を現した。かなり、短気な男のようや。もっとも、手下の手前、格好をつけとるだけかも知れんがな。

この手の男は、それを伝家の宝刀か何かと勘違いして、それを言えば、たいていの人間は恐れをなすと思うとるようや。

他の地域で、他の人間になら通用するかも知れんけど、ワシらには無駄や。ワシらは、極道とは無縁やから、その名前を聞いても怖がる理由がない。

それに、極道事情も知らんと、この京都でそれを言うのも思慮が足らん。

京都というのは、その世界でも特殊な力関係がある地域や。他の地域で有力やというくらいで、簡単にどうにかなる所でもない。それに関しては、あまり、詳しいことは言えんけどな。

言うのなら、地元の有力所にしとかな効果はない。それだけでも、その組の名前を持ち出したのは、ただのはったりに近いということが分かる。

それに、何より、相手を確認せずに、むやみに極道の名前を出すのは拙い。アホとしか言えん。それだけで、恐喝罪が簡単に成立しやすいからな。

もちろん、それで警察沙汰にでもなれば、その名前を使われた極道は、当然のように知らぬ存ぜぬで通す。

後日、その極道が、そうした人間を咎めるのは、想像に難くないということになる。自業自得やが、実際にそういうアホは多い。

「さよか、それは、心に止めときまひょ」

「お前らは……、いや、あんたらは、何者や」

「何者でもないて言うてるやろ。ワシらは、頼まれて、ただ猫を探しとるだけや。何度も言わしなや」

「分かった。せやけど、その探しとるとかいう猫がおらんかったら、どうしてくれんのや」

「おらんかったら、大人しく引き上げるがな」

もっとも、ワシはそのつもりでも、テツはどうするか分からんけどな。テツが、野良猫も逃がすと言えば、それに付き合わなしゃあない。

目当ての猫か、鑑札付きの猫や明らかに飼い猫と分かるのがおれば、強気で言えるが、本当に野良猫だけやと、ごり押しするワシらの方が分が悪くなる。

業者も、それを生業としとる以上、そのための知識も逃げ道も用意しとるはずや。せやないと、この道で食ってはいけんからな。

参考までに、それを買い取る実験者側は、特定の業者から購入しており、盗まれた飼い猫ではないと必ず主張するというのは言うとく。

表向き特定業者は繁殖させとるという触れ込みが多い。せやから、実験者は、購入した実験動物用の猫が、どこかで捕まえられた飼い猫やと判明しても預かり知らんということになる。

実際に、ここにいとるような捕獲業者が、間に複数介在するために、なかなか猫捕りの実態がつかめんのが実状やさかいな。発注者まで類が及ぶことはまずない。

捕まるのは、現場の猫捕り業者だけや。それだけに、その逃げ道も、ごまかし方も心得とかなあかんということになる。

「それで、済むと思うとんのんか。こっちは、身に覚えがないのに、盗んだと疑われてパンツの中まで見せろと言われとんのと同んじなんやで」

なかなか上手いことを言う。

「ほな、どないしたらええ?」

「このまま、大人しいに、いね(帰れ)や。それが、お前らの身のためやで」

どうやら、ワシらが二人だけやということで、腕ずくでも、ライトバンに積んどる猫は見せんつもりや。5人でかかれば何とかなると思うとる。

「悪いことは言わん。捕まえた猫は放した方が、あんたらのためやと思うで」

「これだけの人数相手に勝てると思うとんのか?」

「それは、やってみな分からんが、それより、廻りを良う見てみぃ……」

いつの間にか、その廃寺の屋根や塀、境内のあちこちに、かなりの数の猫が集まっていた。100匹以上は悠にいそうや。

夏の夜のホタルように、あちこちで猫の瞳が光っとった。但し、それは、風情とはほど遠い不気味なものやった。

「な、何や!!」

さすがの猫捕りも、こういう場面に出会したことがないようや。

「壬生猫や……」

それまで黙っていたテツが、ポツリとそうつぶやいた。

「壬生猫?」

「ああ、あそこに、黒猫のでかいのがいとるやろ。アイツはキッドというてな、この辺では有名な妖怪猫や。アイツが、こいつらを集めとるボスや。お前ら、あのキッドの逆鱗に触れたようや。早よ、捕まえた猫を放して、逃げな、やられるで」

「そんなアホな話があるかい!!」

「信じようと信じまいと自由やが、これをどう説明する?」

どう見ても、この状況は、猫たちに取り囲まれとるとしか思えんからな。

「一つ、教えといたるけど、何でワシらが、今夜、ここに来たと思う?」

テツの話し方には、恐怖心を誘うような独特の響きがあった。テツにこんな才能があったとは知らなんだ。幽霊話を語らせたら最高やないのかと思える。

「……」

「昼間、ここで、その罠にかかった猫を逃がしたったんやが、そのときにも、その黒猫がおって、オレにここに来いて言いよったんや」

「ほんまか?」

これは、ワシや。そんな話は、ワシは聞いてない。

「ああ……」

「テッちゃん、ワシらも引き上げようや……、どうも、やばそうやで……」

何ぼ、テツやワシが、キッドと顔見知りやと言うても、猫が人間を特別扱いにするとも思えんしな。やられるとしたら、こいつら猫捕り連中と一緒や。

「大丈夫や。ワシらには、キッドは手を出さんと思う」

それでも、テツは自信ありげにそう言うた。

しかし、それとは反対に猫捕りの連中は、さらに動揺の色を深めたようや。

「お、親方……、きょ、今日のところは止めときましょうや……」

最初にいてた小太りの男がそう言うた。

他の者も、明らかに及び腰というより、怖がっとる。取り囲んどる猫がいつ襲うてくるかも知れんという恐怖に取り憑かれとるようや。

「これは、聞いた話やが、昔、理由は分からんけど、やはり、この壬生猫の大群に、お梅さんという芸妓さんが、食い殺されたという事件があったそうや……。その猫も黒猫やったという話や……」

テツが、その恐怖心を誘うような独特の語り口で追い打ちをかける。

それに、呼応するかのように、黒猫キッドが甲高く「ニャーゴ」と鳴いた。それに、つられるように他の猫たちも、思い思いにあちこちで鳴き始めた。

「うわーっ!!」

そう、喚きながら、背のひょろ高い若い男が、ライトバンの後部ドアを開け、中に積んであった檻を次々に開けて、捕獲していた猫たちを逃がし始めた。

恐怖は、他の連中にも連鎖していった。

後、2台のライトバンでも、同じことが行われていた。その中には、今までワシらに一歩も引かず頑張ってた親方という男もおった。

人間、パニックに陥ると冷静な判断力が欠ける。

どうしても、誰かの行動に追随するということになりやすい。捕まえた猫を逃がすという行為にそれが現れとる。

結局、連中は、その場からすべての猫を放して逃げ去った。それ以後、猫捕り業者が、その壬生に現れたというのを聞くことはなかった。

しかし、それで、壬生猫たちが安泰になったということではなかった。その噂が広まるにつれ、地域の住民たちは迷惑猫ということ以上に、猫たちを畏怖し警戒するようになった。

半ば露天商気味やった店は、スーパー形式に代わり、コンビニも目立つようになった。そうなると、猫も、そんな店舗へ自由に出入りできんようになるから食料の確保が難しくなる。

今では、全滅とまではなってないが、それでも、昔に比べれば激減しとるとのことや。

「面白い話ですけど、それは、本当のことなんですか?」

それまで、大人しく話を聞いていたカポネが口を挟んだ。

映画や漫画なんかのフィクションとしてならいざ知らず、真実の話やと言うても、それを信じて納得する人間は少ないやろなと、現場にいてたワシでもそう思う。

「起きたことは本当や」

実は、ハカセにも以前、この話をしたことがあったが、やはり、直後は、このカポネと同じく、信じられんという顔をしとった。

もっとも、種明かしをしたら、すぐに納得してたがな。

「但し、あの日、猫が集まったのは、ワシらがマタタビを撒いてたからやと思う」

「マタタビ?」

マタタビというのは、北海道から九州、千島・樺太・朝鮮・中国の山地に広く分布しとる落葉のツル性の植物や。

そのマタタビの実が猫に好まれるというのは昔から知られたことや。それを粉末にしたものが市販されとる。その種類も多い。

テツとワシは、それを買うて、猫捕りの連中が来る前に、廃寺のあちこちに撒いといた。その香りに惹かれて何匹かは集まるやろうから、それで一芝居、打つつもりやった。

それが、予想以上に多くの猫が集まり、見事に図に当たったというわけや。

ワシらは、マタタビのせいやとは思うとったからこそ、冷静に怪談話も交えて連中を脅かせたけど、正直、あの場面は今、思い返しても異様やったと思う。

本当に、マタタビだけのせいかと疑問に思わんでもない。あるいは、本当に、壬生猫キッドが仲間を率いて、捕らわれてた猫たちを奪還しに来たのかも知れんという気もする。

それを猫のキッドに聞くわけにもいかんから、その真偽のほどは分からんけどな。

また、そのキッドが例え人間の言葉を喋れたとしても、その話は永遠に聞くことはできんことにはなったがな。

やはり、猫捕りの連中は、飼い猫も一緒に捕獲していた。

その翌朝、いなくなったと騒いでた飼い主のもとに、アメリカンショートヘアをはじめ、多くの飼い猫が戻ったということでも、それが分かる。

それから、数日後。

テツは、壬生猫キッドが、軽自動車に撥ねられ死んだと聞かされた。いつものように、魚を盗んで逃げとる途中で撥ねられたのやという。

妖怪猫にしたら、あっけない最後や。テツは、その日からしばらく無口になった。

さらに、何日か経って、テツはいつものように、壬生を流してた。そして、例の廃寺の境内で、いつものように荷物を整理していた。

そのとき、何気なく、その廃寺の屋根の上を見た。

そこに、黒猫がいて、テツを見てた。

「キッド?」

バカな。キッドは死んだはずや。それとも、死んだのは別の猫やったのやろか。

いや、それは考えにくい。キッドの存在は、ここでは有名や。黒猫というだけで皆が見間違えることはないやろ。

キッドの子供?そう考えた方が自然かも知れん。その目で見ると、確かにキッドとは良く似とるようやが、やはり、別猫や。

それから、テツとワシは、猫と聞かされると、否応なく、その壬生猫キッドのことを思い出すようになった。それが、今回のように、置物の猫の話からでもな。

その招き猫の置物が置いてあったという酒棚の片隅に、壬生猫キッドのまぼろしが見えた。そいつは、にやりと笑って、すぐ消えた。


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