メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第107回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 
    

発行日 2006.8.25


■拡張員泣かせの人々 Part 5  拡禁の男


「それは、拡禁(拡張禁止の略)やとは聞いてないで!!」

引き継ぎの最中、温厚な班長のヤマモトが、珍しく語気を荒げて販売店の店長、磯崎(仮名)に噛みついた。

ワシら拡張員は、その日の仕事を終えると、その成果を販売店に報告する。客と交わした契約書(カード)を持ち帰るわけや。

販売店は、それに間違いや問題がないか調べる。これを監査という。たいていは、客に確認の電話をすることでそれを済ます。

間違いがなければ、それが確定して対価、つまり拡張料が支払われることになる。そのやり取りをすることを「引き継ぎ」と呼ぶ。

ヤマモトが、店長の磯崎に噛みついとるのは、班員の吉崎(仮名)の上げたカードが拡禁やと言われたためや。

拡禁というのは、その販売店が独自に、そこで契約を上げても、買い取らんと宣言しとる客のことや。

これには、事情もいろいろあるが、たいていはその人間と契約を交わしても金にならんと販売店が判断した場合に、そうなることが多い。

普通、こういう場合は、拡禁リストというのが、入店時に、カードや景品、住宅地図なんかと一緒に販売店から配られる。

その拡禁リストに書かれとる人間や地域、集合住宅などで契約を上げても成績にはならん。

因みに、どういうのが拡禁になるのか、簡単に説明しとく。


新聞販売店による拡禁(拡張禁止)の主な理由

1.金払いの悪い人間。

たいていの販売店は、その事情さえ分かれば、1,2ヶ月程度は気持ちよく待つ。せやから、普通の人のそれは、金払いが悪いとまでは評価することはあまりない。

しかし、横着な人間というのがおる。「今度払う」「今、持ち合わせがない」と行く度に言うが、なかなか払おうとせん。それならと、集金人も次回の約束を取り付けるが、それも簡単に破る。

それが幾度となく度重なると、販売店も嫌気が差す。客になって貰わんでもええと考え、新たな契約をその人間と交わすことを拒むようになる。

その意思表示、通達をワシら拡張員にする。その客の契約は取って来るなということや。拡禁になる人間で一番多いのが、これや。

2.特定の集合住宅。

これは、滞在期間の短いウイクリーマンションや期間工という短期間労働者が数多く住むアパート、マンション全体を拡禁扱いにするということがある。

理由は、購読途中で行方不明になることが多いからや。俗に「飛ぶ」というやつやな。

例えば、期間工の場合、たいていは6ヶ月、1年契約で仕事をするもんやが、途中で辞める人間も結構おる。

辞めれば、その住居は、ほとんどの場合、企業側が用意しとるものやから、即刻退去せなあかん。その多くが、販売店には何も言わず転居するという。

一般のアパート、マンションでも、販売店によれば拡禁扱いにすることもある。

これは、そこに金払いの悪い連中が集中しとる場合と、そこの従業員でも比較的簡単に勧誘できると販売店が考えとるケースとがある。

せやから、拡禁というのは、何も問題がある場合だけとは限らんわけや。

3.トラブルが予想される人間、及び団体。

分かりやすい例で言えば、ヤクザの組事務所なんかやな。これを嫌がる販売店もある。

一般の人の中には、ヤクザとつながっとる新聞販売店も多いと考える人もおるようやが、現実には、そういうのは少ない。一般と同じく敬遠したいのが人情や。

しかし、こういうのは、ワシらに、わざわざ拡禁と宣言せんでも、それと知って行く奴もおらんけどな。

ただ、ワシらには契約を取って来るなとは言えても、そこの事務所から「新聞を入れてくれ」と頼まれたら、断る販売店はないようやがな。

参考までに、こういう所は、不払いというケースは少ない。金払いはええ方や。集金に行く人間は嫌かも知れんがな。

宗教団体というのも嫌がる販売店がある。

これは、ワシが出入りしとったある販売店の所長から聞いた話やが、新聞を入れてただけで、そこと何らかのつながりがあるのやないかと疑われて困ったことがあったという。

宗教団体で、新聞や機関誌を発行しとる所があるから、見返りにそれを取ってくれと言われると、断りにくいというこもあり、そうする。

問題のない宗教団体なら、それでもええが、たまたま新聞やテレビに取り上げられ騒がれたことがあった。もちろん、ええ方の騒がれ方やない。

その機関誌が店内にあるのを、ある客が見てそれを吹聴したらしい。その噂は、あっと言う間に広まり、それを打ち消し、沈静化させるのにかなり苦労したという。

また、地域で異端視されとる宗教団体も、販売店としては嫌がる傾向にあるようや。

4.外国人。

東海ではブラジル人というのが比較的多い地域や。そのブラジル人との契約を嫌がる販売店がある。

但し、これは過去に、ろくでもない拡張員が騙しのような形で、その契約を取ってトラブルを多発させたというのが大きな理由としてあるんやがな。

ブラジルの公用語はポルトガル語や。そのポルトガル語で「「エスクレーヴァ オ セウ ノメ、ポール ファヴォール」と言うて、契約を取ってた拡張員がかなりいてた。

日本語に訳せば「あなたの名前を書いてください。お願いします」という意味の言葉になる。

これを言うて、日本語も満足に話せず、新聞も読むこともできんブラジル人に契約書にサインさせとったわけや。

完全に騙しや。もっとも、ビール券や洗剤を押しつけてやから、その場は何とかごまかせとったようやがな。

当然やけど、こういうことをして契約を取ったら揉める。そのブラジル人にしたら、わけも分からんまま新聞が配達されることになる。

まだ、日本に来て間もないか、言葉が分からず、事情の分からんブラジル人は、それに金のかかるものやとは知らん。

例え、それを知っていたとしても、文句を言うて行く所を知っとる人間は少ないから、そのままにする。

揉めるのは、その集金に来たときや。

言葉が分からんブラジル人やというても、片言の日本語が分かる人間は多いから、金を払うてくれというくらいは分かる。

しかし、いくら言葉が分かっても、それで納得する人間はおらん。

販売店も、この外国人との揉め事は困る。

ただでさえ、ポルトガル語というのは、日本人には馴染みも薄い言語の上に、相手は怒っとるから、早口でまくし立てられる。正にお手上げ状態になる。

金を請求するどころやないから、あきらめるしかなくなる。そんなことが度重なって、そのブラジル人を含む外国人が、拡張禁止になっとるということや。

但し、これはワシらに対して禁止しとることで、その外国人が、直接、その販売店に申し込みに行けば、断ることはないようやけどな。

5.特定地域の住民。

主に同和地区と呼ばれとる地域の住民を拡禁の対象にしとる販売店がある。

もちろん、こんなことを広言しとる所はない。そんなことが分かったら、差別問題となって大変やからな。

ただ、ワシらには、その住所を示して、そこを拡禁扱いにしとる。せやから、例え口に出さずとも住所でそれと知れることになる。

但し、これは、ワシらにそう指示するだけで、そこには新聞を配達せんということやない。実際に配達はしとるからな。

その理由を聞いたことがある。すると「昔からの客は問題ないが、新たな契約をするそこの住民には問題が多すぎる」という答えが返ってきた。

販売店にすれば、ヤクザと匹敵するくらい面倒なんやという。

「それなら何で、個人名で拡禁にせんのや」と問うてみたが、そこの所長は言葉を濁してただけやったな。

6.過去にトラブルを起こして揉めたことのある客。

客と揉めるのは、何も金払いが悪いということだけやない。些細なことがきっかけで揉めることも珍しくない。

販売店が悪いこともあれば、客に問題がある場合もある。もちろん、どっちもどっちということも多い。

中でも深刻なのが近所から出る騒音へのクレームや。

文句を言う方は「夜中にうるさいやないか。静かにしろ」となるし、それを聞く方は「こっちは仕事しとんねん。少しくらいは我慢したれや」と売り言葉に買い言葉となるケースが多い。

また、別の理由で、販売店の中には、近所との契約を嫌がる所も結構ある。特に勧誘に対してトラブルがあるとその近所付き合いは最悪になる畏れがある。

ある販売店の近所で拡張していた拡張員が、断られた腹いせに、その家の窓ガラスを割って逃げたということがあった。

当然、その家の住人は、販売店に文句を言う。結局、その当人に謝罪させ、その窓ガラスの修理代金を支払うことで話はついた。

しかし、その住人は、何か事ある毎に、そのときのことを引き合い出すという。そういうことが、度重なると、どうしても近所付き合いができにくくなる。

7.特殊な店舗を拡禁にしとる所もある。これは、住居とは別になっている店舗が対象や。たこ焼き屋などの小さな出店形式にそういうのが多い。

店舗というのは、何の前触れもなくいきなり閉店ということがある。潰れるというケースや。それを嫌がる。

こういう場合は、その店主の住居で契約を貰うよう指示しとる販売店もある。これなら、万が一のときも集金に行けるというわけや。


この他にも、個別の理由はそれぞれで、あるやろうが、大体はこんなところや。言うとくが、これらを、すべての販売店が拡禁にしとるということやない。

1.の金払いの悪い人間以外なら、何でもOKという販売店も結構あるからな。あくまでも、その販売店独自の判断で拡禁として扱われとるケースが大半やと理解してほしい。

そして、これらに該当するものを、拡禁リストにしてプリントしたものがある。それを拡張員に持たせるのが、暗黙の決まり事になっとる。

それに記されとる契約を上げても店は買い取らんということになる。

ヤマモトが噛みついとったのは、その拡禁リストに、班員の吉崎が上げた客の名前がなかったからや。

その拡禁リストにそれがないというのは、その販売店のミスとなる。

例え、その契約を販売店が当人に断ったとしても、そのカード料は契約を上げた拡張員に支払う義務がある。

店長の磯崎は、それを拒んだ。もちろん、理由もそれなりにある。

「そのカードのことなら、あんた所の大森さんに言うてるから、良う分かってるはずや」

というのが、その言い分や。大森というのは、このメルマガでも、たまに登場しとる調子者や。

これより、1ヶ月ほど前。

大森は、○○マンションの202号室のエザキという男から1年の契約を上げた。即入やった。

即入というのは、契約月、もしくは翌月の1日から新聞を入れることや。

即入の契約を上げると、その当日に、即入料として1000円が、ワシらの方では貰える。おいしい契約ということになる。

販売店の集金人がその1ヶ月後、そこに集金に行った。

そのときに、そのエザキというのは、以前そこの販売店とトラブルを起こしたウエシマという男と同一人物やというのが分かった。

そのトラブルというのは、今回と同じように集金に行ったときに起こった。

「あんたところの新聞、おもしろないから止めるわ」

ウエシマは、その集金人にいきなりそう言うた。そして、その1ヶ月分の購読料も「こんな、おもしろないもの読ませて金とるんか」とわけの分からん、いちゃもんをつけたという。

そんなことを言われて、その販売店が「はい、そうですか」と素直に引き下がるわけがない。

店長の磯崎は、半ば喧嘩腰で行ったという。それには、そのウエシマという男が、磯崎よりかなり年下やと聞かされとったということもあったようや。

「新聞が、おもしろないから止めるやと、兄ちゃん、あんまり、ぶざけたことぬかすなよ」

「何や、脅かそうちゅうのんか?」

ウエシマは平然としとる。

「これは、脅しとちゅうわい。当たり前のことや。まあ、ええわい。こっちも、お前みたいなもんに新聞を読んで貰いたないわい」

「そうか、それなら、話は終わりやな。帰ってんか」

「話はまだや。中途解約の場合は、解約違約金を貰うことになっとる。2万円や。それと、先月分の新聞代もや。渡した5000円分の商品券と洗剤も返して貰わなあかん」

「アホくさ。契約書のどこに、途中で止めたら解約違約金を払わなあかんて書いてあるんや。先月分の新聞代は考えたってもええが、おのれがそういう態度なら、払う気はせんな。それと、商品券や洗剤は、タダでサービスする言うたやんけ。何で返さなあかんねん」

「何を!!このガキ!!」

磯崎は、若いウエシマに舐められたという思いで、拳を固めて小刻みに震えとった。

「ほう、何や。ドツク(殴る)ちゅうのんか。そんな根性があるんならやってみんかい。言うとったるけど、暴力をふるうてケガさせたら、新聞の解約違約金たらいう程度の話や済まんようになるで」

「……」

「今は、こういうのは、すぐ事件になるやろから、下手したら、お前んとこの店も終いや」

ウエシマという男にとっては、すべてが読み筋ということになっとるようや。

実際、ここで磯崎がウエシマに手を出せば、世間はこのやり取りを知らんから、殴って暴力をふるったという結果だけで、一方的に新聞販売店の方が悪いとなる。

『新聞販売店店長、客を殴る』という見出しが新聞紙面やインターネットの記事として踊ることになる。その論調は推して知るべしや。

「あんたの所が、どうしても、それを払えというのなら、裁判でも起こすことやな。オレの方はいつでも受けて立ってやるで」

ウエシマは、そんなことをするはずがないと見越して言うてるわけや。

普通に考えて、僅か2,3万の損害のために、数十万円もかかる訴訟費用を負担してまで裁判を起こすことは、まずないからな。

ウエシマの方が、磯崎よりも役者が一枚も二枚も上手やったことになる。

それからも、何度か磯崎は出向いたらしいが、結局、あきらめたという。そして、そのウエシマの名は、当然のように拡禁リストに載ることになった。

1ヶ月前に、そのウエシマの所に、何も知らず大森が勧誘に行った。今度は、そのウエシマは、エザキと名乗った。

これを、そのときの監査がスルーした。監査したのが、磯崎やったら、その時点でおかしいと気付いたかも知れん。

しかし、このときは他の店員が監査の担当をした。

監査で真っ先に見るのが、契約者の名前や。次が電話番号。それらが、拡禁リストや現読、約入り客と一致せんかったら、後は、その当人に電話して確認するだけや。

確認というても表面上は、購読契約して貰うたことへの礼を伝えるということになる。

「○○様、本日は、ご契約頂き、誠にありがとうございました。平成○○年○月から1年間のご契約で間違いございませんか」という具合や。

これに加えて、販売店により、渡した景品の確認をすることもある。あるいは、景品の後届けがある場合は、その日時の確認をする。

それで、監査は終わる。簡単と言えば簡単や。もっとも、販売店によっては、後日、その客の実在を確かめに行くこともあるがな。

磯崎やったら、おかしいということに気付いたかも知れんというのは、そのマンション名と部屋番号が同じやったという点や。

その拡禁リストには、その名前だけやなしに、住所、マンション名、部屋番号も、ちゃんと記載されとるからな。

ただ、アパート、マンションなどの賃貸住宅の場合、住民の出入りはそれほど珍しいことやない。特に、その○○マンションの出入りは多い方やということや。

せやから、例え、その店員が、その部屋番号に気付いても「その拡禁の人間は引っ越して、次の人間が入ってきたのと違うか。名前が違うのは、そのためやろ」ということで済ましてたはずや。

まさか、同じ人間が別の名前を騙ったとまでは考えが及ばんやろからな。

その集金人の連絡で、それが分かった磯崎は、急いでそこまで行ったが、結果は同じようなものやった。

「別人の名前を騙るのは、詐欺やないか」

磯崎は、これで、前回の汚点を挽回できると思うた。この男を追い詰めることができると信じた。

しかし、それは、あっけなく躱(かわ)された。

「変なことを言わんとけや。オレは他人の名前を騙った覚えはないで、第一、その契約書に、勝手に名前を書き込んだのは、お前所の人間やないか」

後日、その契約書に名前を書き込んだのは確かに、大森本人やというのが分かった。

「そこの住人に、書いてくれと頼まれたからや」と、大森は言う。

こういうことは、例え客に頼まれてもしたらあかんことやが、正直、そういうのもたまにある。

せっかく、契約しようと言うてくれる客の機嫌を損ねたないという気持ちから、ついそうする。

このウエシマやか、エザキやか分からん男は、最初(はな)から、嵌めるつもりやったのは間違いないやろと思う。

大森という男は、確かに調子が良うて、多少、ええ加減な面があるのは否定せんが、こういうことで嘘をつくような人間やない。言うてることは、その通りやろと思う。

せやけど、状況とすれば、こちら側が圧倒的に不利なのは間違いない。その男を追い詰める証拠がないからな。

これを下手に突っ込めば、勝手に契約書を作成されたということになってしまう。具体的には、刑法第159条の私文書偽造等の違反ということになる。

3カ月以上5年以下の懲役に処するという規定がある。軽い罪やない。これも、公になると、販売店の立場が拙くなる。

結局、そのときも、商品券や洗剤の取られ損ということになった。

磯崎は、大森に「今回だけは、店にも監査を通したというミスがあるから、半分だけ、カードは認める。その代わり、その202号室のことは、団の人間に、ちゃんと伝えてくれ。次は、無効やからな」と通告した。

「半分だけ、カードを認める」というのは、ワシらの方では、良うあることや。こういうのを、通称「格落ち」という。

このケースは1年契約やから、6ヶ月契約に格落ちということになる。当然、成績も拡張料もそれに比例して下がる。

事情が事情やから、落としどころとしてはこんなもんや。

それが2日前のことやった。

磯崎にしたら、大森に伝えたということは、団に伝えたと同じやと思うとる。大森は、班長ということやないが、一応、引き継ぎ責任者の一人や。

引き継ぎ責任者というのは、その名の通り、引き継ぎをするときの責任者や。

因みに、この引き継ぎをする際は、その引き継ぎ責任者と販売店の監査担当者で、カード(契約)の最終確認をすることになっとる。

他の団員は、それが終わるまで外で待つのが通例や。これは、団がそれ以外の団員に販売店とのやり取りを知られたないということがあるからや。

拡張というのは、典型的なピンハネ業界や。拡張員が貰える拡張料と販売店から団に支払われるそれとは、当然やが開きがある。それを平の拡張員には知られたないと考えるわけや。

また、販売店の方でも、監査に出てくる人間は交代制になっていて人数も限られるから、一度に多くの拡張員と絡むのを嫌がる所も多い。どうしても、人数の多い方が、発言力は強くなりがちやからな。

つまり、お互いの思惑が一致したということで、こういうシステムになっとるわけや。

ワシとこの団では、班長は7人おる。本来なら、その引き継ぎ責任者は班長でええわけやけど、入店先の都合でどうしても、それやと足らん場合がある。

例えば、この日の入店先は、10店舗やから、3店舗は班長以外の人間やないとあかんことになる。そのために、引き継ぎ責任者が別に必要になるわけや。

せやから、磯崎にしたら、引き継ぎ責任者である大森に話を通したということは、団に言うたのと同じやと思うとる。

それにも、関わらず、また同じ、○○マンションの202号室の男から、吉崎という拡張員が契約をとってきた。

この日の監査担当者は、磯崎やったから、それが、例の男やとすぐ分かった。今度は、アライという名前やという。ふざけるなと思う。

磯崎にすれば、そんな契約は、班長のヤマモトが何を言おうが認めるわけにはいかん。

一方のヤマモトにも言い分はある。それは、拡禁リストにちゃんと記載してなかった点や。

普通、ここまで揉めとるケースやと、入店時にその説明をするもんや。それがなかった。

確かに、大森も、磯崎に頼まれながら、団への報告をおざなりにし、また、今日、その販売店に入店することが決まっとるヤマモトに連絡せんかったという落ち度はある。

しかし、例えそうやとしても、磯崎の方にも、それで良しとして、肝心の拡禁リストに書き加えてなかったというミスは大きい。

少なくとも、何も知らず、その契約を上げた班員の吉崎には落ち度はない。

班長のヤマモトとしたら、販売店の言い分をそのまま、吉崎に押しつけ、あきらめさせることはできん。

「拡禁リスト以外は、どんな契約でも上げて来い。オレがすべて責任を持つ」と日頃言うてることの意味もなくなる。

また、部下も守れんようやと、班長としての値打ちも下がる。簡単には引けんわけや。

ただ、この業界は、お互いの言い分だけを押し通してもあかんというのが慣習としてあるのも確かや。

揉めた場合の落としどころというのを、常に模索する風潮にある。特に、ワシらの方で、それが顕著や。

結局、その202号室の男との契約を破棄させ、渡した商品券と洗剤を返還させることができたら、3ヶ月契約分の拡張料を支払うということになった。

それまで、そのカードは預かりということになる。

本来なら、こういうケースでの始末は、契約を上げた吉崎がせなあかん。しかし、吉崎には荷が重すぎるのは目に見えとる。

そうかと言うて、喧嘩をしに行くのなら別やが、そういう札付きの男を納得させる自信はヤマモトにはない。

ヤマモトはそう言うて、ワシにヘルプを頼んできた。ワシなら、そういう人間の扱いは上手いやろとおだてることも忘れずにな。

昔のワシなら、そう言われても即座に断っとったと思う。特に、そうせなあかんほどの事情が、ワシの方にない場合はよけいや。

ただ、ハカセとメルマガやHPを始めてからは、そういう揉め事に首を突っ込むようにはなった。

「ええけど、あんまり、当てにせんといてや。話を聞く限り、かなりえぐい男のようやからな。ワシでは、手に負えんかも知れんで」

一応、そう断った。ワシは、いくら自信のあることでも、安請け合いだけはせん主義や。何でもそうやが、やってみなどう転ぶか分からんからな。

「ゲンさんで、あかんかったら、誰が行っても無駄や」

そのヤマモトの一言で、仕方なく引き受けるという形にした。

本心を言うと、どんな男が出てくるか、楽しみやったということもある。この手の人間がいとるのは知っとるが、出会すのはそうはないからな。

ただ、上手くいくかどうかは、正直、五分五分やろうとは思う。それなりの秘策を用意した上でもな。

「班長、ワシらの次の入店日はいつやったかな」

「1週間後や」

「1週間後か……」

準備期間とすれば十分や。

1週間後、ワシはその○○マンションの202号室に行った。

表札に名前はない。もっとも、そういう所は多いから、取り立てて、それが不自然ということはないがな。ただ、先入観があるから、それを確認して納得しただけやった。

「ピンポーン」

「誰?」

「こんにちは、お忙しいところおそれ入ります。○○新聞の者ですが……」

ワシは、いつものように明るく陽気な声で、拡張員を装うた。というても、本当にワシは拡張員やから、装うたことになるのかどうかというのは分からんがな。

とにかく、これが、秘策のその1や。

難しい相手と分かっとる場合、話をつけたるという姿勢で意気込んで行っても、相手を構えさせるだけで上手く行く確率は低い。まずは、安心させることや。

「新聞屋か」

出て来た男は、30前後の大柄な男やった。その目で見るからかも知れんが、いかにも一癖ありそうな奴や。というて、極道とかの類の男やなさそうやがな。

もっとも、こんなことをしとるくらいやから、ややこしい奴には違いないやろがな。

「ご主人、今、ご契約を頂くと、1年契約で、商品券1万円分の特別サービスをお付けできるのですが」

普段のワシは、いきなり、こういう拡材攻撃のようなことはせん。なるべく、他愛のない雑談で、相手の性質を把握することから始める。

この場合は、この話の方が食いつきやすいという計算から、敢えてそうした。しかも、この景品話は、通常よりも多めに言うてる。ここらでは破格や。

どの道、契約を取ることが狙いやないから、実際にそれを渡すことはない。要は釣り上げやすいエサになったらええわけや。

それは、騙しやないかと言う向きもあるかも知れんが、相手が相手やから、仕方ないことやと思うとる。

秘策のその2や。

「ほう、なかなかサービスがええんやな。取ってみようかな」

「是非、お願いします」

簡単に食いついてきた。これには、理由がある。

店長の磯崎には、今回は、この男の所へはクレームをつけんようにと頼んであった。

せやから、この男は、まだ、前回、1週間前の契約がバレとるということを知らんわけや。それと、この業界のしくみをそれほど詳しくは知らんようやというのがある。

この業界に詳しい者なら、こうして、同じ新聞販売店から、1週間後にまた勧誘に来るということが少ないというのを知っとるはずやから、一応、その話を疑うか用心する。

ワシらには、御法度の一つとして、現読(現在読者の略)、約入り(先付け契約)への拡張禁止というのがある。

これは、手渡される住宅地図のコピーにそれに該当する家が、それぞれ色分けされ一目瞭然で分かるようになっとる。

その色のついた家には、拡張に行くなという印や。せやから、普通は契約するとそこへは、現読か約入りで色分けされるから、拡張員が訪問することはなくなる。

もっとも、販売店によっては、そんな面倒なことをしてない所もある。そういう所やと、契約したにも関わらず、何度も勧誘に来られて、ひんしゅくを買うことも多いと聞く。

中には、それに業を煮やして「解約や」と言う客もいとる。そうなるのを嫌がる販売店は、色分けしとるということや。

この販売店では、その色分けをしとるから、本来なら、ワシが勧誘に来るのは、不自然なわけやけど、それに、この男は気付いとらんようや。

「それでは、ここに、お客様の住所とお名前、ハンコをお願いします」

「そんなん書くのは面倒やから、おっちゃんの方で書いといてや。信用してるから」

「それは、だめなんですよ。決まりなんで」

「そうか?他の新聞屋は書いてくれるで。本当はな、オレ、字書くの下手なんや。せやから、よっぽどやないと書かんようにしとるんや」

「そう言われても……」

「そんなんやったらええわ。止めとくわ」

なるほど、こういうパターンを使うとるわけやな。

「分かりました。こちらで書きますので……。ところで、ご主人のお名前は?」

「カドタや」

予想通り、当たり前のように、新しい偽名を使うてきた。

しかし、それが、すでに墓穴を掘り始めとるとは、まだ気付いとらんようや。

「カドタさんですか。下のお名前は?」

「ユウイチや」

「どんな字です?」

「カドはカク(角)で田んぼの田。勇気のユウ(勇)に、イチ(一)や」

「ご主人、困りますね。契約を偽名でされては。オオタ・ハジメさん」

「な、何やお前は?」

「ご主人の、お名前は調べさせて頂きました。どうして、偽名を使われたんですか?」

事前に、その人間の本名を調べとくというのが、秘策のその3や。

ワシらにとって、表札のない部屋の住人の本名を知るのは造作もないことや。ただ、そのやり方を、真似されたりするのも具合が悪いから、ここでは伏せておく。

「新聞の契約の名前なんか何でもええやないか」

オオタは、完全に動揺していたが、無理に冷静を装うと必死やった。理由にならん理由を言うとることでそれが分かる。

「それで、以前、ウエシマと名乗って、今回、ワシに言うたような理由をつけて、その拡張員に契約書を書かせたわけか」

ここからは、一拡張員として接するのやなく、えぐい男と対決するときの「ゲンさん」を出すことになる。

「……」

「狙いは何や。商品券か?どうやら、図星のようやな」

「知らんな」

「そして、先週は、同じうちの人間から、アライと名乗って商品券を巻き上げたやろ?うちの人間がそれで難儀しとんねん、頼むからそれを返したってくれや」

「あれは、貰うたもんや。何で返さなあかんねん」

騙るに墜ちるとは、こういうことを言うんやが、オオタには、まだワシの意図が良う分かっとらんようや。

「ということは、あんたがアライと名乗って契約したというのを認めたことになるんやで。これは、立派な詐欺罪や」

「アホなことを言わんといてくれ。どこに証拠があんねん」

「証拠なら、今、あんたが偽名で、ワシに契約書を書かせようとしたことで、十分やと思うがな」

「そんなもの、オレが知らん言うて、白を切ったら終いやんけ。ここにおるのは、おっさんとオレだけや。どうやってそれを他の人間に証明で……」

オオタは、ワシの手元を見て言葉を詰まらせた。

ワシの手には、小型の録音機がある。これが、秘策のその4や。

「嵌めたんか……」

「嵌めたんは、そっちが先やろ。詐欺は、刑事案件やから、警察に通報するだけで済むんやで。どうする?」

「あんた、何者や?」

「何者やて、見ての通り、ただの拡張員や。それ以上でも、それ以下でもないつもりやがな」

「どないせい言うねん」

このオオタはえぐいことを考えて実行したわりには、引き際は男らしかった。

結果として、当初の予定通り、吉崎から巻き上げた商品券と洗剤の返還をさせた上、大森の分の返還をさせることで話はついた。

但し、大森の分は使い込んでしもうてないということやから、給料日の返済ということにはなったがな。もちろん、その念書は書かせた。

オオタを警察に突き出しても、ワシらには何のメリットもない。騒ぎになって面倒なだけや。

それに、こういうことは、こちらが有利な状況を作ったときに、あまり、欲を出さんことがポイントや。当初の目的が達せられたら良しとせなあかん。

特に、このオオタのような男に、一晩でも時間の余裕を与えたら、どんな反撃を企てるか分からんからな。速攻でたたみかけて決着をつけるに限る。

それが、秘策のその5と言えるかも知れんな。


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