メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第108回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2006.9. 1
■拡張員の行く末
「ゲンさん、オレら、この先、どうなるんやろ?」
同じ拡張員仲間の杉谷(仮名)という男が、ポツリとそう洩らした。
「どうなるて、そんなもの、なるようにしかならんのと違うか」
ワシは、この手の質問には、たいていこう答える。身も蓋もない言い方かも知れんが、それに間違いはないと思うからな。
拡張員に限らず、人の未来は誰にも分からん。そんなことを考えるだけ無駄やし、無意味や。
もっとも、確かなビジョンがあり、将来に備えるためというのなら、それでも、まだ意味があるとは思うがな。
しかし、杉谷のように「この先、どうなるんやろ?」という漠然とした不安を抱いてのものなら考えん方が、ましや。
気持ちが滅入り、落ち込むだけ損やさかいな。
ただ、歳を食うてくると先が見えたと思うことがある。その気持ちは分からんでもないがな。この先、大した好転は望めんということでな。
晩年を迎えつつある拡張員の中には、現在の自分の状況を墜ちたと捉えとる者がいとるのも確かや。少なくとも、成功者にはほど遠いと思うとる。
人生の吹き溜まり。そう刹那的に考える。せやから「所詮、オレら拡張員は負け犬や」と言うて誰はばからん者さえいとるわけや。
どういう意見を持ち、どういう考えをしようと、好きにしたらええ。落ち込んで気が済むのなら、それもええやろ。悲観的に捉えるのも自由や。
ワシは、そういうのとは付き合いきれんがな。
その点、最近の若い人間は少し違うように思う。
ええか悪いかは別にして、金になるという一点があれば、迷うことなく、その世界に飛び込む者がおる。それは、この拡張員の世界でも一緒や。
この業界には、一般のサラリーマンの給料より、はるかに稼いどる人間も確かにおる。
月給100万円程度、稼ぐ者が存在しとるというのは、ちょっとした規模の拡張団なら、それほど珍しいことやないと思う。
それは全体の極一部にしかすぎんけどな。しかし、その極一部でも、それが可能ならチャレンジしようという若者は結構多い。
それにも問題がないわけやないけど、少なくとも、愚痴を言うて悲観的な生き方をしとる人間よりかは、前向きな気持ちがあるだけ数段ましや。
人の人生や将来を決めるのは、その人間の考え方によるところが大きい。特に思い込みというのが良きにつけ悪しきにつけ左右する。
拡張員が負け犬やと思う人間はそうなるし、稼げると信じて疑わん人間は稼げるようになる。そういうもんや。
一つ断っておくけど「稼げると信じたら本当に稼げるのか?」ということを真剣に聞いてくるアホな人間がたまにおるが、そういうのはまず稼げんとだけ言うとく。
なぜなら、その質問自体に疑問符がついとるからや。疑いの気持ちがあって、そうなることは「絶対にない」と断言してもええさかいな。
世の中の成功者と呼ばれるのは、自分の行動に迷いなく、それができると信じた者だけや。それに例外はない。
しかし、その信じきるということが難しい。せやからこそ、その成功者は、ほんの一握りしかおらんわけや。
その挑戦も若いうちやから考えられることで、歳を食うと、どうしても、世の中を達観した気になり「人生とは、所詮こんなものや」と思い込んでしまう。
そう思い込むと、本当に人生の負け犬になってしまうということや。
そういう人間は、それに気付かん。ただ、運が悪いと思い込むだけや。その思い込みが、さらなる不幸を招くとも知らずにな。
特に、この杉谷という男に、それが言える。歳はワシより2つほど上やと言うてたから、今年で55歳ということになる。
杉谷のこれまでの人生は不運の連続やったという。
杉谷は岡山市の竹田という所で生まれた。日本三大名園の一つ、後楽園の近くにその生家があった。
生後間もなく両親が離婚した。
そのとき、どういう経緯やったのかは知らんが、父親は、祖父に勘当されて家を追い出されたということや。それっきり、その父親は、現在に至るまで行方知れずで会ったことすらない。
母親の方は、和気郡という同じ岡山でも、その生家からかなり離れた実家に帰った。その後、再婚し子供が三人産まれたと後に知らされた。
裕福とは言えなんだが、祖父母に育てられていたときが、杉谷の人生で一番幸せやったと話す。
その祖父が、1964年、東京オリンピックの年に死んだ。脳卒中やった。享年61歳というから、平均寿命の延びた現在からすれば、早すぎる死や。
まだ13歳、中学1年になったばかりの杉谷の、それから以降の生活が一変した。
杉谷の父親の兄弟、つまり叔父、叔母は4人いてた。
その日から、中学卒業するまでの約3年間、その叔父、叔母の家をたらい回しにされることになった。
その中で、ただの一軒も、杉谷を歓迎した家庭はなかった。
祖父母には、やさしく育てられたが、それらでの生活は、まったく正反対やった。成長期にあった杉谷は、飯さえ満足に食わせて貰えなんだという。
飯だけやなく、服や靴、学用品も人並みには買い与えては貰えなんだ。その少年時代は、やせ細り、ぼろを纏うた自身の姿しか記憶になかった。悲惨を極めたと話す。
今、思い出しても恨みの感情しか湧いて来んという。叔父叔母の家族を恨み、学校の教師に失望し、笑い者にしていじめた同級生を呪った。やさしく接してくれた友人さえ、その境遇を妬んだ。
しかし、生きていくためには、そのすべてを耐えるしかないのを、杉谷は承知していた。例え、それが犬猫のような扱いを受けていようともな。
杉谷は、中学を卒業すると同時に、逃げるようにして岡山を離れた。行く先は、大阪やった。
岡山を離れることの郷愁のようなものは何も感じんかった。二度と帰るつもりもない故郷やとさえ思うた。
その頃、中卒者は低賃金で雇えるということで、雇用側の人気はまだ高かった。一頃の集団就職というほどやないにしても、杉谷と同じように大阪に職を求めた仲間が何人かいてた。
一旗揚げる。杉谷はそれしか考えんかった。それの手っ取り早いのは、金持ちになることや。
杉谷は、大阪の鉄工所に就職した。中卒やから賃金は安い。杉谷はバカやないから、計算はできる。
中卒でこのまま鉄工所の工員を続けて、小銭を貯めてもタカが知れてる。また、杉谷は性質的にコツコツと貯めていくというのが苦手なタイプの男やった。
一旗揚げようという人間は、一攫千金を望むようになる。
これも、思い込みの影響かも知れんが、それを望めば、それらしいものが見えてくるということがある。
もっとも、そういうことを常に考えとるからやろうけどな。俗にアンテナを張るというやつや。
そのアンテナに引っかかったのが、アクセサリー販売というやつやった。将来的に有望やと考え、その専門会社に勤めることにした。
杉谷は、25歳のときに、独立して、個人経営のアクセサリー販売会社を設立した。小さいながらも一国一城の主となった。
その当時は、まだそれほど普及してなかったアクリル樹脂を使っての細工物を扱った。それが、結構売れた。
中でも鼈甲(べっこう)細工風と呼ばれとるものに人気があった。本物の鼈甲を使っての物は材料が高いからどうしても高価なものになりやすい。
しかし、プラスチックのアクリル樹脂なら、それと比べてかなり安くできる。その上、見た目にも、本物と見間違うほど品質が良かったということも幸いした。
その当時の人気商品に、昆虫や動物を模した髪飾り、ペンダント、ブローチというのがあった。それを、鼈甲細工風で作ることに杉谷は目をつけた。
東大阪市に、そのアクリル樹脂製造工場は多く、それを加工する職人も多かった。杉谷は、腕のええ職人たちを下請けとして上手く使った。
杉谷の会社は、順調に業績を伸ばした。儲かるようになれば、人間は贅沢をするようになる。
外車を乗り回すまでは、ちょっとした成功をした人間なら誰でもすることやからまだええが、博打にも手を出すようになってしもうた。
競馬、競艇に嵌った。それでも、遊びの範疇と、自分をコントロールできる人間なら救いはあるが、それができん人間の末路は哀れや。
杉谷がそうやった。競馬場や競艇場通いだけならまだしも、ノミ屋にまで手を出した。ヤクザの仕切る私設券売所というやつや。
それでも本業が稼げる間は良かったが、商売はいつまでも調子がええときばかりが続くわけやない。波のあるもんや。
その波を、博打に狂うてしもうて乗り切れんかった。
結果、莫大な借金を抱えてしもうて、パンクした。倒産や。30年ほど前の金で3000万円余りあったという。その中には、ノミ屋の分もあった。
杉谷は、その追い込みが怖くて逃げた。
人間、一度、そうすることが癖になると、僅かにつまづいただけでも簡単に逃げるようになる。常に心機一転、出直そうと考える。逃げ癖というやつや。
そうなると人間は救われん。その後の杉谷は、あちこちで借金を作っては踏み倒すようになった。
結局、流れ流れて拡張員になり、この団まで流れついたということや。
ワシの知る限り、拡張員になる者で、杉谷のような経験や経緯の持ち主は多い。特に、ワシらと同年代くらいの人間はな。
この手のタイプは決まって、そういう話をするときは、運が悪かった、世の中が悪いという類の話をする。いかにも、自分は被害者やと言わんばかりに悲運と思える話を交えてな。
しかし、こんな話は、誰が聞いても、その本人が悪いとしか思えん。なるべくしてなった結果や。同情の余地はない。
子供の頃、辛酸を舐めたというのは確かに、運が悪かっただけなのかも知れんが、それは、その後の人生で、そうして生きたことを糧に成功すれば美談にもできることや。事実、そういう成功者も多い。
杉谷はその成功を掴みかけとったわけや。自分の考えの甘さ、思慮の浅さからそれを逃したにすぎん。自業自得というやつや。
こういう人間が「この先、どうなるんやろ?」と憂いて質問してきても「なるようにしかならんやろ」としか返事ができんということや。
間違うても「何とかなるやろ」とは言えんからな。
本当は「もっと、ろくでもないことになるで」と思うとるけど、そこまで言うのは、いくらワシでも気が引ける。
これは、ある意味、残酷なことかも知れんが、人間には死ぬまで終わりというものがないという現実がある。
つまり、杉谷のようにここまで墜ちたと思うてても、それが終点やないということや。さらに続きがある。
救いのない言い方やが、杉谷のような男は、過去の例からしても、さらに墜ちて行くものと思われる。
ワシも、この十数年間、その拡張員の末路というのを幾度となく聞かされ続けてきた。
そのほとんどが悲惨なものや。
もっとも、その情報の出所というのは、同じ拡張員からというのもあるのやけどな。
拡張員の噂話で、元拡張員の誰かが成功したというようなのは少ない。人の成功話よりも失敗談を好む習性のようなものがある。
それには、そうすることで、現在の自分の置かれとる状況が、少しでもましやと思い込もうという心理が働くためやと考えられる。
せやから、どうしてもそういう話が広まり、耳にすることになる。吹聴するわけや。
このメルマガ『第46回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員列伝 その3 ヒッカケ病(やまい)のシンジ』の話などはその典型的なものやった。
その主人公のシンジは結局、持病の糖尿病がもとで死んだと聞かされた。
そのことも、同じ拡張員仲間からもたらされたものや。他にも、ホームレスになった話とか、犯罪を犯して刑務所に入っとるというものが多い。
もっとも、当然やが、皆が皆、そういう悲惨な末路を辿っとるわけやない。中には、それなりに成功した人間もいとる。
このメルマガ『第28回』『第29回』に登場した池田という男がそのええ例や。
この池田は、拡張員としては冴えんかったが、販売店で勤務するようになって、3年で店長にまで登りつめた男や。
その後、経営者になったと本人から、つい最近、聞かされたばかりや。
余談やが、ワシに、その店の専拡(専属拡張員)になってくれんかというオファーまであったからな。
拡張員の出世、成功の最たるものは、団長になることやと思う。営業会社の経営者やから、それなりの成功とみてええやろ。もちろん、その規模や程度にもよるやろうけどな。
また、池田のように拡張員から転身して、販売店の店長、経営者になったというのも結構多い。
時折、元拡張員をされておられた方からメールを頂くことがある。
長年、勤めた人は、その当時を懐かしく思い出されることが多いようや。
例えば、こういうメールを頂いとる。
私も若いとき、関東○○新聞の団にいたことがあります。
私が拡張員をしていた昭和34年当時と背景はほとんど変わっておりませんが、大きく変わっているのは、拡材と契約期間です。
拡材はタオルだけ、契約は単とシバリ(契約期間)、単は一ヶ月、シバリは三ヶ月です。購読料が月額330円だったと思います。
私は45歳くらいまでに職を30ほど変えましたが、拡張員は長く続いた方です。
なぜ続いたか、ナンパが出来たからです。
何時もつくづく思うことは、最近の拡張員は何故おしゃれをしないのでしょう。私が初めてスーツを着たのは拡張員になった時です。団長が保証人になり買いました。『それで女の所に行けば一発だ
』と煽てられ。
拡張費は単で250円、納豆定食が40円で食べられた時代ですから、1日 2,3本上げれば充分にやっていけます。
当然、狙いはアパートか下宿屋。カラフルな女性の下着が干してあったら飛んでいきます。
一生に一度結婚した奥さんも拡張しながら見つけました。
その日の仕事は女とデートの約束が出来たら、何時もそこでお終い。こんなにおいしい拡張員を何故辞めたか。
結婚したときに義父から『
拡張員は世間体が悪いからやめろ
』の一言でした。
昭和34年というたら、ワシはまだ、小学校に行くか行かんかの、はな垂れ小僧や。そんなときに拡張されておられたという。
そのはな垂れ小僧の話を面白い、懐かしいと読んで頂いとることには、本当に恐縮する。
この人に代表されるように、メールでそういう話を送ってくれる方は、総体的に現在の暮らしが順調な方々が多いようや。実に幸せそうやというのが、それらの文面から感じられる。
それには、家族があり、それに支えられとることが大きいと思う。
ワシの知る限りでも、成功しとる元拡張員というのは、池田にしろ、拡張団の団長や販売店の経営者にしろ、家族との絆を大事にしとる人間ばかりや。
また、その家族に支えられとるからこそ成功しとると言うてもええのやろがな。
反対に、杉谷のように生涯独身、あるいは離婚して現在は独り者という人間には、辛い未来しかないような気がする。
そういう悲惨な末路を辿っとると聞くのも、たいていそういう独身者が多い。その意味では、ワシもその部類やから、あまりええ未来は望めんかも知れんな。
現役はそれほどでもないが、元拡張員という人は、世間にはその過去を隠す傾向にあるようや。
もちろん、それで何かの悪事を働いとるというのやなかったら、何も隠すほどのことはないんやが、世間体が悪いのか、多くの元拡張員さんたちは、他人にはその事実を知られたないという。
その意味では、人に誇れる仕事やないのやろな。哀しいことや。
それには、未だに、一般にも認知されとるほどの拡張員のスーパースターというのがおらんというのも、その一因としてあるのやないかと思う。
テレビなんかで、時折、仕事の達人を紹介するという番組があるが、それにも拡張員が出たという話は聞かん。
また、元拡張員で現在は有名人というのもおらん。少なくともワシは知らん。せめて、そういう存在でもあれば、世間の見方も少しは違うんやがな。
その地域毎に、伝説と称され、凄いと噂される拡張員は、そこそこおるが、いずれもマイナーな存在や。一般には、ほとんど知られることはない。
もっとも、これには、マスコミがその存在を取り上げんということも影響しとると思うがな。
マスコミの中でも、新聞の影響力というのは以前、厳然たるものがある。
その新聞がタブーとしとる勧誘の実態は、その配慮から、どのマスコミも扱うことを避けとると思われるからな。
拡張員が、メジャーになれんという理由がそこにありそうや。
一流の拡張員を目指そうという人間は、皆無に近いやろうからな。一流の営業員を志す人間は、それこそ数えきれんほどいとるというのにな。
ただ、人はどんな境遇、状況に置かれようとも、卑下したり臆したりする必要はないということだけは、言うておきたい。
少なくともワシは、そう思うて日々の拡張に励んどるつもりや。
悪いと思われることが必ずしも悪い結果になるとは限らん、ということが世の中にはいくらでもあるからな。
悪いことが悪いこととして具現化するのは、あくまでもその人間がそう考え、そう思い、そうあきらめたときやと思う。
人は思いによって墜ちて行き、思いによって高みに昇る。そう考えれば、おのれの将来や行く末を悲観することの愚かさが分かるはずや。
何でもそうやが、物事はええように考えな損や。
「拡張員のスーパースターがおらんのやったら、ワシがなったる」というくらいの気構えがあってもええと思う。
もっとも「それなら、ゲンさんがなれよ」と言われるのは困るがな。ワシは、元来、目立つことは嫌いやさかいな。平穏無事が一番や。
それに、ワシは楽観主義者や。何があっても長くは落ち込むということもない。将来や行く末についても悲観はしとらんからな。