メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第11回 新聞拡張員ゲンさんの裏話

発行日 2004.10.29


■方言の話  


ワシは生まれも育ちも関西や。大阪の八尾という所で生まれた。全国的に分か り易く言うと河内という地域や。

ちょっと古い人間なら誰でも知っとる、勝新 太郎主演の映画『悪名』の舞台で有名なところや。 ワシの子供の頃は、大阪でもあまり柄のええ所やないちゅう評判があった。も ちろん、住んどる人間にそんな意識は何もなかったがな。

「よお、ワレ、久しぶりやんけ。生きとったんけ」というのが、普通の挨拶の言葉や。「久しぶりやな。元気やったか」という意味や。わざわざ普通の関西弁に直して説明するのも変な話やけどな。

ここでは、5,6歳の子供が、他の子供がぶつかって来たら「こら、ぼけぇ、どこに目つけさらしとんじゃ」と普通に喋っとる。それを、聞いてる大人も笑 うて見てるだけや。

ワシは子供の頃、これが日本の標準語やと思うてた。ワシの親父と言うのが、今のワシに良う似てて変な屁理屈をこねる人間やった。

「ゲンよ。この河内ちゅうところはな。昔、ヤマトちゅうて日本の中心やった ところなんや。せやから、ワシらが普段使うとる『ワレ』とか『オノレ』ちゅ うのは、高貴な人間だけに許された言葉なんや。ワシらの先祖がこの日本を作 ったんや。せやから、このワシらの使う河内弁が本来の日本語なんやで」と言 うのを信じてた。

そう言えば、学校の国語に「我」とか「己」という言葉が昔の話の中に出て来るなと、妙に納得してたもんや。確かに格調ある言葉として書かれとる。

その話が、ええ加減やったと気づいたのは、ワシが夜学を出て八尾を離れ、本格的に大阪の建築屋で仕事を始めた時やった。営業員としてな。

ワシの使う河内弁は関西弁の中でも当時は異端扱いやった。特に営業でそんな言葉使いをしとったらどうにもならん。

「大将、家、買わへんけ。何?いらん?ほんな甲斐性なしなこと言わんとけや」では仕事にはならん。

本人はこれでも大して悪意もない普通の言い方なんやが、これやと喧嘩吹っかけとんのと一緒やからな。

ワシはこの河内弁を普通の関西弁や商人言葉に直すのに数年かかった。今やった ら、同じ言い方でもいくらかましになる。

「ご主人、お家(うち)買わはりまへんか?お金がないからいりまへんて?何言 うてますの。その気やったら金みたいなもんどないでもなりますがな」となる。

ワシは子供の頃から、この「ワシ」あるいは「ワイ」と言うのが口癖やったから 「ボク」とか「ワタシ」と言わなあかんという営業の仕事に慣れるのには苦労した。

せやけど、ワシは生まれ育った言葉が嫌いやない。八尾に帰るとホッとする。地方の方言という捉え方をすればそれなりにええもんや。親父みたいに、河内弁が 本来の日本語やなんて思わんかったらな。

今は東海方面におるけど、東海の方言も独特のもんがある。三重県辺りは、和歌 山県や奈良県が近いせいか関西弁とはそれほど違わんし違和感がない。語尾に 「〜やに」「〜に」というのがくっついてるくらいや。

これが、愛知県や岐阜県になるところっと変わる。特に名古屋は顕著や。 「あなた」というのは関西弁で「あんた」。名古屋弁で「おみゃぁ〜」ちゅうく らいは誰でも知っとると思う。

正直、ワシは初めて名古屋に拡張に来た時、この言葉をどうしたらええのか分か らんかった。こっちの言うことも、相手の話すことも分からんかったら仕事にな らんのと違うかと思うてたが、そうでもなかった。

普通や。と言うか、ワシが思うほど客から名古屋弁らしき言葉は聞くことは出来 んかった。しいて言えば言葉のアクセントが他と違うくらいやった。

せやけど、名古屋で営業するんやったらこれでは、あかんちゅうことに気づいた。 名古屋人はよそ者には名古屋弁を使いたがらん。若い人間は特にそうや。

本当にうち解けた相手か同じ名古屋人同士とだけ、その名古屋弁で会話するんやと、ある事情通の男に聞かされた。

うち解けてないということは、よそよそしいということや。これでは、営業は厳 しい。事実、最初の内はさっぱりやった。思うように契約は取れんかった。 せやから、その事情通の男の話に納得するしかなかった。

ワシは、まず、このよそよそしさをなくすようにと考えた。と言うても、今さら 名古屋弁を覚えて話すわけにもいかん。ワシは関西弁しか知らんし喋れん。

せやけど、せめて相手がその名古屋弁を話してくれるように持っていかなあかん。 喋れんまでも理解出来るくらい知らんことには話にならんと思う。

まず、手始めにパチンコ屋で会話の訓練をしようと考えた。名古屋はパチンコの発祥の地というだけあって、そこら中にパチンコ屋がある。

これはと目を付けた男の隣に座る。声をかけてたら、その内、話の合いそうな相手に当たる。なるべく、玉を多めに出して、機嫌の良さそうな人間がええ。

「兄さん、ようさん出したりますなぁ。ワシ、大阪の田舎の方から来たんやけど、 この辺のこと良う知りまへんね。この店、いつもこんなんですか。それとも、兄 さんの腕が特別でっか」 べたべたの関西弁で言う。

下手な丁寧語で話しかけるより、こういう所はその方 がええ。狙いは、相手と心易くなることやからな。まず、自分をさらけることか ら始める。

声をかけられた男は、ちらっとだけワシの方を見て言うた。

「おみゃぁーさんのヒャーリャートわけてちょう」

「ヒャーリャート?」

男は、何も知らん奴やなと露骨な表情をしながら、手でタバコを吸う真似をした。 それで、ヒャーリャートがハイライトやと分かった。

話しかけて、相手から名古屋弁での反応が返ったのはええけど、正直、面食らう。 そして、こら、大変やと今更ながら、そう思うた。

その後、訓練の甲斐あってか、そこそこ、この名古屋弁が分かるようになっては来たが、それでも未だに難しいと思う。 何せ、名古屋弁は普通の固有名詞まで分解するから、それが理解出来るまで四苦八苦やった。

大学は「でゃあーがく」。兄弟は「きょうでやぁー」。財布は「しゃーふ」という具合や。 語尾には年輩の人間は「〜なも」と言う。比較的若いと「〜がや」「〜がね」と いう感じや。

ここまで、名古屋弁で相手してくれるようなったら、営業も上手く行く。名古屋人は取っつきが難しいが気に入られたら楽や。

名古屋で拡張しとると、ワシ個人を気に入って貰えると必ず成約になる。せやか ら、ワシは名古屋が嫌いやない。

それに、ワシ個人の印象やが、関西弁より名古屋弁の方が面白いと思う。普通の会話が笑える。変な意味と違う。楽しいのや。聞いてるだけで笑える。

せやから、名古屋の人はもっと、名古屋弁を広めたらええのにと思う。誰が相手であろうと普通に会話したらええ。 その点、関西人は厚かましいのかどこに行っても関西弁で話す。

誰に聞かれよう と何とも思わん。関西弁で話すことに優越感もなければ劣等感もない。ただ一つ、標準語と称する関東弁とは張り合う気持ちに多少はなるがな。

ワシは、 言葉には標準語なんかないと思う。日常会話は全部、方言や。 標準語というのは、国語の教科書のような文章で話す言葉やと思う。

ニュースを 読むアナウンサーの言葉がそうや。 それ以外は全部、方言や。せやから、どこの方言が良うてどこが悪いかなんかあるはずがない。どこの方言でも生きた言葉なんやからな。

歴史がちょっと狂っていたら、今の関東弁と名古屋弁が入れ替わってた可能性かて高かったんや。日本の中心の言葉になってたかも知れん。

ワシは、むしろ今の関東弁が何で日本の中心の言葉のようになったのか、その方 が不思議でならん。

戦国時代に全国をほぼ手中に収めたのは織田信長であり、天下を統一したのは豊 臣秀吉や。いずれも尾張の人間や。そして、最後に残って幕府を開いたのは徳川 家康でこれも、三河の人間や。

つまり、日本の英雄3人がすべて名古屋圏の人間なんや。文献でも、3人とも尾張弁、三河弁を話してたとある。

それが、何で、関東弁になるのか理解に苦しむ。 せやから、名古屋弁はある意味誇れる方言やと思う。あの織田信長や豊臣秀吉、 徳川家康が名古屋弁で話してたなんて痛快やないか。

もっと、名古屋弁に自信を 持って世に広めるべきや。 せやけど、ワシの親父みたいに、河内弁が本来の日本語やなんて子供に教えたら、 その子供がえらい目に遭うかも知れんけどな。


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