メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第110回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
     

発行日 2006.9.15


■脱金融屋へのススメ


ワシらの子供の頃は、借金するのは恥やという風潮が根強くあった。

「ゲン、借金だけは絶対するな。特にツレ(友人)からは絶対にしたらあかん。また、貸してもあかん。金を貸すなら、やったと思え」

口癖のように親父からは、いつもそう聞かされてたもんや。

後年、ワシはこの言葉の重みを思い知ることになるのやが、若い頃は、それを考えることも気付くこともなかった。

親父も、その頃、昭和30年代のことやから「借金はするな」というのは、単に世間体が悪いということで、そう言うただけなのかも知れんがな。

それがいつの頃からか、借金するということに、多くの人が慣れてしもうたようや。それを恥とする風潮が、いつの間にか、なくなってきてたからな。

その当時でも、月賦という分割払いのシステムがあるにはあったが、それで物を買うというのは、貧乏臭く恥ずかしいということで、誰もそれとは言いたがらんかったもんや。

それが、今やったら、クレジットカード、ローンで買うのは当たり前にさえなっとる。誰もそれを恥ずかしいことやとは考えん。

今は、借金する人間よりも、借金できん人間の方が恥やという風潮の方が強い。

クレジットカードの持てん人間、金融機関で借金できん人間を「ブラック」と呼ぶ。信用のない者の代名詞として使われとる。

借金できる者が偉くて、借金できん者が欠陥人間であるかのような烙印を押される今の時代は、どこか、おかしいのやないかと思う。

本来、人間は借金をせん方がええはずや。借金というのは、当然やが、借りたら返さなあかんものや。返さんと必ずトラブルを引き起こすことになる。

それが親兄弟、親戚、友人間であろうと、それまでどんなに親密な付き合いがあっても、その一事で簡単に関係が崩れる。

結果、当事者間には憎悪しか残らんことになる。こんな不幸なことはない。

それから言うと、親父のように「借金はするな」と教える方が理に適うとる。借りることも貸すこともなければ、絶対、それは起きんことやからな。

しかし、今の時代にそう教える人間がどれだけいとるやろうかと思う。また、それをどれだけの人間が素直に聞いて理解、実践できるやろうか。はなはだ疑問や。

はっきり断言してもええが、日本人が借金ということを軽く考えるようになったのは、ここ30〜40年くらいの間やろうと思う。

そして、その考えを染み込ませたというか、誘導していったのは、銀行を代表とする金融屋に間違いはないと考える。

それも当然で、金融屋は金貸し屋や。金を貸さんことにはやっていけんやろから、どうしても、仕事としてそれを考える。

金融機関から金を借りたら、金利を取られる。タダでは貸してくれん。

昔は、誰もその金利を払うのがバカらしいという考えが大勢を占めとったから、一般の人間は、例え銀行からでもなかなか借金をしたがらんかったもんや。

それでは金融屋は儲からん。何とか借り手を見つけなあかん。当然のようにあの手この手と考えるようになった。

電気製品など比較的高価物品の支払いを、それまでは各店舗が個別にしてた月賦というのをローンという呼び名に変えて金融屋が引き受けるようになったのも、その一環や。

このシステムが当たった。

店舗は金融屋からその代金を先に一括して入金されるから、回収不能ということがなくなる。

しかも、金融屋からバックマージンまで貰えるわけやから、せっせとそのローンを客に勧めるようにもなる。

それに、その方が売りやすいということもあった。

今でこそテレビは、どこの家庭にも当たり前にあるが、ワシらの子供の頃は、よほどの金持ちやなかったら買うことのできん高価なものやった。

当然、ワシらのような貧乏人の家に買えるわけがなかった。

幼稚園のころ、家に帰るとすぐテレビを持っとる金持ちの友達の所に行き、頼み込んで見せて貰うてたもんや。近所の子供、ほとんどがそこに集まってたな。

「月光仮面」とか「怪傑ハリマオ」なんかはそれでしか見たことはなかったと記憶しとる。

「七色仮面」というのもあったな。余談やが、その七色仮面の着ぐるみの中に入っていたのが、若き日の千葉真一ということや。

昭和35,6年頃で確か10万円以上はしてたと記憶しとる。当時の大学卒の初任月給が2万円程度やったという話やったから、その高価さが分かるやろと思う。

それをローンで買うと2年払いで、1ヶ月の支払いが5千円ほどになるという。何とか無理したら手の届く金額やとなる。

それまでの月賦は、売るために否応なくそれをしていただけで、店の方から、客にその分割払いを積極的に勧めることはあまりなかった。

それも、3ヶ月から長くて1年くらいまでのものが大半やった。それが、ローンというシステムになったとたん、手のひらを返すように、客にそれを積極的に勧め始めた。

店にすれば、代金の不払いの心配もなく、バックマージンまで貰えるのやから、こんなおいしい話はない。

客にしても、支払いの回数は伸びても、1ヶ月の支払いが少なくて済む分、有り難いと錯覚するわけや。

ローンに金利がつくというのは誰でも知っとる。本当は、それを詳しく計算すれば、ローンで買うのはバカらしいということに気が付く。金利の総額はバカにならんからな。

しかし、目の前にほしいものがあり、それが支払い可能な金額やったら、その損得というのはあまり大きな意味を持たんものになる。

大事なのは、金利の総額より、1ヶ月の支払い額ということになる。それが、客の心理や。

そのローンのシステムが、急速に普及していった。それはすぐ、乗用車や家といった高額な物にまで及ぶようになった。

気が付けば、一般人は家庭にある高価な物品の大半を、そのローンで買わされとるという結果になった。

それが容易になったことで、我慢するということができんようになった。大消費時代到来と新聞屋マスコミが煽ったということもあったかも知れんがな。

ローンというのは、金融屋から店に建て替え払いをし、月々の返済をその金融屋にすることや。

つまり、立派な借金をしとることになるわけやが、こと、このローンで物を買うという意識の中には、それが欠落しとるように思う。

借金というニュアンスの中には、どこか後ろめたい響きがあったんやが、このローンで買うというのが、それを打ち消してしもうたようや。

逆に、そうすることが一種のステータスのように思う人間すら現れた。また、金融屋もそう思い込ませるように誘導もしとる。

やがて、クレジットカードの登場ということになり、さらに、それを助長させることになった。

そして、ついには、消費者金融の出番ということになる。借金に対して抵抗感もなく免疫ができると、簡単にそうする人間が増えていった。

それにより、人の価値観が大きく変わってしまうことになる。それは、借金は恥ずかしいことやという思いから、借金できん者は信用がない人間やという考え方へな。

クレジットカードの保有枚数を自慢したり、消費者金融カードを見せびらかす者まで出てくるわけや。

事、ここに至って、金融屋の壮大な陰謀、野望が成就したことになる。人をここまで操ってしまえば、何も怖いものはない。

傍若無人という言葉があるが、これは間違いなく金融屋のためにあるものやと思う。

もっとも、金貸し屋は、大昔からあくどいというのが通り相場やから、今さら驚くには値せんがな。姿形は変わっても、その本質に変わりはない。

その金貸し屋の頂点に君臨しとる銀行のやったことは、群を抜いてえげつない。

記憶に新しいところでは、不良債権処理の問題なんかがそうや。

数千億円、数兆円というワシらにとっては天文学的な額の不良債権の損失処理を国民の税金で補填したのやからな。

銀行というのは、一民間企業で公的機関とは違うんやで。普通、それで経営が立ち行かんかったらつぶれるだけのことや。他の企業なら確実にそうなっとる。

それを、国はいろんな理屈をつけて助けなあかんという。日本経済が崩壊すると言うてな。

そこまでは、ぎりぎり認めて百歩譲ったとしても、その金は貸し付けるということやなかったらあかんはずや。

しかし、結局、国はほぼ無条件でその不良債権の赤字を国民の税金で負担するということに決めた。

国民から金利を取って巨大化した金貸し屋に、その経営が破綻しそうやからと言うて、国民の税金を何でタダでやらなあかんねんと思う。

しかも、銀行は銀行で、それを返済しようという姿勢や意識すら見受けられん。厚顔無恥、ここに極まれり、というやつや。

ええときは、自分らでその利益を貪り、どうしようもない損失があれば、国民の血税で尻を拭かさせとるわけや。えげつないのにも、ほどがある。

それをこの国の人間は、批判はしても暴動を起こすほどの怒りを示すことはなかった。半ばあきらめとる。他国で同じことがあったら、間違いなく暴動になると思うがな。

そして、これは、ワシもつい最近知ったことが、大手消費者金融のすべてで、契約すると自動的に借り手を被保険者とする加入手続きが取られとったという問題が、明るみに出たと新聞報道にある。

ワシは、昔、建築屋におったから、家の売買契約時の住宅ローンにそれがあるのは知ってた。しかし、その場合は、その加入契約書が別に用意されとった。

たいていの人間は、それを納得してたと思う。住宅ローンは高額なものやから、支払う人間が死んだ場合、残された遺族の負担を和らげるものとして、それなりに整合性はある。

しかし、5万円から50万円程度の金額で、それがあるというのは知らなんだ。それも、契約書の片隅に、これ以上は書けんやろというくらい小さな字で、その承諾に関する項目を書いたものがその代わりになっとるという。

ワシなんか、老眼鏡をかけても、そんな字は見えんで。

この保険は「消費者信用団体生命保険」と呼ばれとるものや。

借り手が死亡した場合、ほとんどが、そのことを遺族に知らせることもなく、保険金が消費者金融に直接支払われるという。

大手5社で、その件数が、昨年度1年間で延べ3万9880件あり、このうち自殺によるものは判明しているだけでも3649件にも上ることが分かったという。

全体の件数の中には死因分からんものも多く含まれており、借り手の自殺によって消費者金融に生命保険金が支払われた件数はさらに多いとみられとるようや。

これが、何を意味しとるかは明白や。

客が死んでも金が取れるわけやから、多重債務者やろうが、何やろうが、どんどん貸し出す金融屋が現れて当然やと思う。

また、藁をもすがる思いになっとる者は、それに何の疑いもなく飛びつく。ほとんどの人間がまさか命を担保に取られとるとは知らんやろからな。

中には、それを、ちゃんと説明して了解して貰うとると主張する金融屋もおる。

しかし、それは、それで問題がある。

説明の趣旨は、その保険に入ることが条件で強制的なはずや。選択の余地はないと思う。それを断ったらまず貸さんやろうからな。

契約において、他方が一方的な有利な条件を押しつけるのは、法律で禁じられとる行為や。

ただ、そうはいうても、金を借りたい一心の人間は、それに対して嫌とは言えんやろがな。

それを承知で借りる人間は、当然やが、死んだらチャラになると思う。

その意識が、頭の中に残っていれば、それが返済できんようになった場合、身内に迷惑をかけたないという思いの強い者は、どうしてもそれを考える。

結果、自殺という道を選ぶ者も出る。

これは、ワシの穿った見方かも知れんが、その金融屋は、それを説明することで「返済できなければ、その道もありますよ」と暗に自殺を仄めかしとるのやないかと思うわけや。

「無担保無保証で貸します」やと、笑うでほんま。命という立派な担保を取っとるやないか。

先日、ある大手消費者金融会社が、過剰な取り立てが原因で、業務停止命令を受けたというニュースがあったが、その理由の中には、この保険の存在もあったやろうと思う。

取り立てを厳しくすることで、例えそれを苦にして自殺することがあったとしても、貸した金は自動的に取り立てられるわけやからな。

むしろ、払わずに、のほほんと生きてられる方が困る。金融屋にとって、一番最悪なのは、破産宣告で借金をチャラにされることや。

その前に、追い込むだけ追い込めとなるのが貸した側からすれば、自然な行動なのかも知れん。

少々の違法行為には構うとられんというのが、先の金融屋のしでかした本当の理由であり、背景やないのかと思う。

金融屋に長年勤めてたという男から、聞いた話がある。

多重債務者というのは、必ず行き詰まってパンクする。彼らは、借りられる所がなくなるまで借りる。

せやから、多重債務者に金を貸す場合は、最初からパンクすることを見越して貸す。というか、場合によったら、さらに助長するようなことを吹き込む。

また、それとなく、法律なんか関係ないという闇金にまで手を出すように誘導する者すらおるという話や。

そんな所の高金利の金を借りまくって無事返済し終わることの方が珍しいわな。

具体的な手口を上げるのは拙いが、親兄弟、友人から借金する方法なんかをそれとなく教える。あるいは、保証人の取り方を教える。

巻き込めるだけ巻き込むという。実際、結果的に、パンクした人間の周囲は、たいてい悲惨な状況になっとるさかいな。

せやから、借金の膨らんだ人間の周りには、いつの間にか、それを食い物にする金融屋が多く集まるというわけや。

こういうことも、何もない状態のときに考えたら、そんなバカな話に乗ることはないと思うものやが、借金の返済に追われとる人間には、それができん。

目の前の返済期日のことしか頭にない状態になるさかいな。それ以外のことは考えられず、何も見えん。

その返済期日さえ凌げるのなら何でもする。それで、さらに深みに嵌る。そして、いずれはどうにもならん状態が、必ず訪れるというわけや。

その結果、多くの自殺者が出ることになる。金融屋は、そうなるように仕向けとる確信犯やと言うてもええのやないかと思う。

これは、ある意味、殺人と言うてもええ。ただ、現在の法律では、それが適用されんだけのことや。

自殺は、どこまで行っても自殺でしか処理されんからな。法律は、自殺に追い込んだ者を殺人罪では処罰できんということや。

命を担保に金を貸すというこの「消費者信用団体生命保険」とかという制度がなくならん限り、これからも借金苦で自殺に追い込まれる人が、なくなることはないと断言する。

「それもこれも、借りて返さん人間が悪いのやないか。借りたものを返しとけば、何の問題もないやないか」という反論が聞こえてきそうや。

確かに、借りる人間の甘さは否めん。どこかの金融屋のキャッチフレーズやないが「ご利用は計画的に」を実践しとればええことやからな。

返せば問題ないのはその通りやが、一度その中にどっぷりと嵌り込んでしもうたら、なかなかそこから抜け出せんのも事実や。

しかも、ご丁寧に、金融屋は、その深みに誘う罠をそこら中に張り巡らせとる。

テレビCM、新聞広告、街の看板、インターネットと、あらゆる所にその宣伝文句が踊っとるのが、それや。

「アルバイト、派遣、自営業、専業主婦、多重債務、他店で断られてしまった方にお勧め」

「銀行系よりも低金利で審査も柔軟という点が魅力的」

「パート/アルバイト・自営OK、今ならもれなく1,000円分の商品券が貰えます」

「連続申込・事故歴有りでも融資例有り等、審査が極めて柔軟」

「カード業界でもTOPクラスの審査通過率。クレジットカードが欲しい方にもお勧めです」

これらは、実際のキャッチフレーズや。こういう言葉を並べられると、ついふらふらとその気になってしまう者も多いと思う。

一つの金融屋に返済するために、他の金融屋で借り、雪だるま式に借金を膨らませたというのは、良う聞く話や。

そうなったが最後、そこから抜け出せんようになる。アリ地獄に落ちたアリ、ゴキブリホイホイに入ったゴキブリ、ネズミ捕りの罠にかかったネズミなんかと大差ない。

それで、進退窮まった人間の選ぶ道は、大きく分けて三つとなる。一つが自殺。二つめは任意整理か破産宣告。三つめが逃げるや。

二つめの任意整理か破産宣告というのが、取るべき道としては一番、まともやと思う。法的にも適ったことやし、出直しも比較的容易や。

任意整理というのは、要するに、これだけしか払える金、財産がないから、それで勘弁してほしいと、債権者に頼み、解決する方法や。

破産宣告に関連したことは、このメルマガの『第89回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ライバルは金融屋?前編』および『第90回 新聞拡張員ゲンさんの裏話  ■ライバルは金融屋?後編』の中で、若干、その方法を説明しとるから、興味があれば見ておいてほしいと思う。

およその流れくらいは分かるはずや。

三つめの逃げるというのは、それだけを見ると卑怯や思われがちやが、えげつない追い込みに耐えらんでそうする人間もおるから、どっちがどっちとも言えんのやないかと、個人的には思う。

そして、この道を選んだ拡張員は多い。

何を隠そう、ワシもその一人や。というても、ワシの場合は、住所不定ということはしとらんから、完全逃避とは少し意味合いが違うがな。

住民票の移動もちゃんとしとるから、誰でも探す気になればすぐ居場所は分かる。

実際、金融屋も一度だけ追いかけてきたが「金はないで」と言うたらそれきりになった。払うとも払わんとも言うてないのにな。もっとも、積極的に払う気もないがな。

ワシが、拡張員と知れたためというのも、あるかも知れん。また、残金が20万円程度のはした金やったから、それほど、力を入れてなかっただけかも知れんがな。

いずれにしても、もうすでに7年ほどは経過しとるから時効と違うかな。

それが、ええか悪いかは別にして、少なくとも、自殺するような柔な人間は、拡張員には少ないということになる。

そうかと言うて、破産宣告をするほどの開き直りの根性もない。もっとも、普通、破産宣告はそれなりの金がかかるというのが常識やから、その金がないということもあるやろうがな。

「好死は悪活に如かず」という教えがある。どんなに潔い死より、悪あがきのようでも生きとるだけで値打ちがあるという教えや。

生きてさえおれば、どんなに恥を晒そうが、惨めであろうが、必ず後日を期す日が来るということでな。

その意味で言えば、ワシら拡張員は、その教えの実践者やと言うてええやろ。少々のことでは、くたばらん連中ばかりやからな。

ワシらの仲間で借金して、それを苦に自殺したという話は聞かんからな。少なくともワシは知らん。

ある老人が、金融屋のあまりに激しい取り立てを苦に自殺したという事件が新聞報道にあった。

しかし、後日、身内の人が弁護士に依頼して調べ直したら、過払いが判明して、逆に金融屋から返金して貰わんとあかんということが分かった。

これなんかは、悲劇の最たるものやと思うが、長期間、金融屋に支払うてる人の多くに、そのケースが多いのやないかという。ただ、それと気付かず、借金を苦にしとるのやと。

せやから、金融屋が、まだ借金が残っとるという主張も鵜呑みにせんことや。

適性金利で調べ直したら、結構救われるケースも多いはずやというからな。ただ、多くの人がその方法を知らんだけのことや。

現在、消費者金融の法改正を進めとるとのことやが、この保険を自動的に加入させるシステムに関しては、説明を義務付けるだけで廃止というのは、まったく考えとらんようや。

因みに、その法改正も金利を下げるのが当初の目的やったようやが、金融屋は息のかかった政治家を使うて、その法案を骨抜きにしようとしとる。

おそらく、多少のすっもんだはあったにしても、金融屋には打撃というほどやない程度の、そこそこの決着ということで収まるのやろと思う。

金利の上限を29%から20%にするのも難しいという情勢のようやからな。それも何年も段階を踏まんとできんという。

冗談やないで。大手消費者金融が、その資金を借りるために銀行に支払っとる金利は僅か2%なんやで。それが20%になったとしても、まだ10倍もの暴利を取っとるやないか。

しかも、その銀行は、その大手消費者金融会社に日参して「どうぞ借りてください」と頼み込んどるらしい。日本一、安全な融資先ということのようや。アホらしいて言葉もない。

はっきり言うて、この国はすでに金融屋に支配されとるというても過言やないと思う。おそらく、この先も、金融屋が窮地に立つ、困るような法律なんかは、まずできんやろうと考える。

せやから残念やが、これからも借金苦に喘ぐ人はなくならんという気がする。自殺者も後を絶たんやろと思う。

それなら、どうしようもないのかと言うとそうでもない。手はある。それも考え方一つで簡単にできる。若干の意志の強さは必要やがな。

それが、表題の「脱金融屋のススメ」ということになる。借金地獄に喘ぎたくない人は参考にしてほしいと思う。

ワシが、現在、実践中の方法や。これが、できれば、本当に金融屋なんか必要ないと分かるはずや。借金する必要がないとな。

本当は、国やマスコミが、借金することのマイナス要因を真剣にアピールするべきなのやが、それができんのやろな。

せめて、禁煙や酒に関する程度のアピールはしてほしいもんやがな。


借金地獄に堕ちないための脱金融屋へのススメ

@ 金融屋の信用機関でブラックになる。いきなり、過激なことを言うが、もちろん、それなりの理由と根拠があってのことや。

人間は、弱い者で、金が借りられる所があると、どうしても事あればそれに頼る。しかし、なければ、あきらめがつきやすい。言えば退路を断つという考え方や。

ただ、ブラックになるというのは金融事故を起こすということやから、金融屋の言うところの金融機関からの信用はなくなる。それを覚悟しとかなあかん。

わざとするわけやから、高額な借金は控えた方がええ。借りるのはなるべく小額にしとくことや。5〜10万円程度でええやろ。

借りたら、意図的に返済期限を遅らせる。それを3度以上、続ければ確実にブラック扱いになる。

ブラック扱いの確認は、金融機関に借金の申し込みに行けばすぐ分かる。貸してくれんからな。それで、晴れてブラック扱いになれば、通常は7年くらい借金はできんようになる。

しかし、心配せんでも、この後の方法で、金融屋から借金せんでもええと分かるはずや。

しかも、クレジットカードも使えるから、生活する上で何の不利益も被むることもない。

但し、これは意図的にするのやから、最初に借りた金はちゃんと返しときや。多少、延滞金もつくが、借りた金が小額なら大した金額にはならんはずや。

これは、自分の意志に自信がない人のための方法で、大丈夫やというのなら、わざわざこんなことをする必要はない。

また、現在、ブラックでその状況にある者も、役に立つ考え方やないかと思う。

ワシが、この方法を思いつき、今も実践しとるのは、このブラックになったおかげやさかいな。人生、何が起こっても、必ず浮かぶ瀬はあるもんや。

普通は、こういうことをすれば、生きる上でマイナス要因になると思われがちやが、考え方次第でプラスになるから、世の中はつくづく面白いと思う。

Aタネ銭を貯める。分かりやすく言えば、目的貯金というのをするわけや。これが、できるかどうかが、最大のポイントになる。

はっきり言うて、これができんと思うのやったら、この方法は難しいやろな。

金額は何ぼでもええ。多いに越したことはないやろけど、10万円でも20万円でもええ。これが、枠になる。それを、専用口座に預金する。

その口座にある金を、金融屋の枠やと思うことや。金融屋に借金する場合も、限度額という枠を設定されとるはずや。それやと思えばええ。

つまり、そこから借りるという考え方や。何のことはない自分の金や。ここまで読んで、アホくさと思う人もおるかも知れんが、良う考えてほしい。

借金をすれば、金利がつく。例えば、10万円借りたとして単純計算で金利が29%の場合、1年間で29000円の利息を払うことになる。結構な額や。

ところが、金融屋はこれを「1ヶ月、2400円程度の利息ですよ」と言う。たいてい、この数字のトリックに騙され、大した利息やないと思い込む。

しかし、3年強、それを続ければ、利息だけで10万円になる。つまり、その間に元本の金を払うとることになる。それを払ったつもりで貯金するというわけや。

それができれば大違いになる。片方は利息だけを払うた場合、依然として10万円の借金が残ることになり、一方は、その利息分をストックすれば10万円の貯金ができることになるからな。

そして、ここからは、どちらもその10万円を使えるということにかけては一緒や。

ただ、借金しとれば、金利を払わなあかんから、その3年後も、使えるのは10万円やが、一方は20万円になり、さらに使える余裕ができとることになる。

しかも、これは特別な努力をしたということやなしに、借金した場合の金利の返済をするのか、貯金するかの違いだけで、その結果になるわけや。

金利の比較的低いと言われとる大手の消費者金融で長期間借りたとしても、3年もしたら、その借りた分くらいの金利を払うとるということになる。

その損得を考えれば、どちらがええか誰にでも分かるはずやと思う。

B現在、ある銀行で、デビッドカードにクレジットカードの機能のついたものが発行されとる。

一般のクレジットカード同様、たいていのところでショッピングができる。もちろん、インターネット上でも使える。外国で使用するのも問題はない。

国内260万、世界中で2,400万ヶ所以上の加盟店で利用できるというから、ほぼすべてに近い所でカバーされとるとのことや。

しかも、そのカードで買うた商品については、クレジットカード並に破損・盗難などによる損害も補償されるというから、現金で購入するよりも、ある意味、安全や。

因みに購入日から60日間、年間最高50万円まで補償され、免責額は1事故あたり5,000円という決まりなっとる。

しかも、それに加入するための審査などなく、ブラック云々とも関係がない。

それも、当然で、その口座に入っている金額内でしか利用できんようになっとるからや。

つまり、通常のクレジットカードのように後払いということやなしに、現金で払うのと同じ同時払いというシステムになっとるわけや。

通常のクレジットカードの後払いというのは、一事立替えるということで、厳密に言うたら借金になる。その金利も当然、加算される。年会費と称されるものも必要になる。

しかし、このクレジット機能付きデビッドカードやと、自分の預金口座の範囲内やから、そんな金利を払う必要もない。

これ以上、説明すると、そこの回し者みたいに思われるのも嫌やから、この辺で止めとくが、これは、今年の4月から始められた、まだ新しいシステムでもある。

つまり、これで、ブラックであるが故に、クレジットカードを持てん不自由さというがなくなるわけや。

おそらく、こういうのは、これからも増えるはずや。ええ試みやと思う。

もっとも、クレジットカードの必要でない人には、関係のない話かも知れんがな。

貯金も、その枠を増やすという風に考えれば、苦にならんのと違うかなと思うが、どうやろ。


人は借金苦から解放されたら、どれだけ精神的に安らげられるものか、というのは、それを経験したものにしか分からんやろうと思う。

ワシは、小さな住宅リフォーム会社を経営していて倒産させたことがある。

その頃は、借金するということに対して、何の抵抗もなかった。麻痺しとったと思う。

ワシが会社を興したのは、昭和63年頃で、まだバブルが弾ける前やった。

今からは、信じられんかも知れんが、その頃、付き合ってた銀行屋の営業員は「是非、当行で借り入れしてください」と毎日のように日参してたもんや。

「しゃないな、あんたの顔を立てて500万円ほど借りとこか」ということを平気で言うとったときもあった。実際、必要でない金を借りたことすらある。

その頃の、社会的な風潮として、銀行取引、つまり銀行に借金があるということが、信用のバロメータでさえあったわけや。

「あんな小さな会社で銀行から3000万円も借りてるのは危ないのと違うか」ということより「銀行から3000万円も借りられる優秀な信用ある会社」というように、見られとったわけや。

そういうこともあり、ワシは銀行から借金しとるということに何の苦痛も心配もしてなかった。

ところが、平成4,5年辺りから、世の中の雰囲気が変わりはじめた。バブルの崩壊が始まったわけや。

今まで、無条件に近い状態で金を貸していた銀行が、貸し渋るようになった。それに伴い、支払いも厳しくなった。

住宅リフォームも個人宅とだけ直接、商売しとけばええのやが、ワシらのような小さな所は、どこかの会社の下請けもやってな、やっていけんかった。

その元請けの支払いが滞り始めた。元請けの支払いが滞ったからというて、使っている職人の支払いを止めるわけにはいかん。

現金が少なくなると支払いを手形ですることが多くなった。その期日にまで集金できたら問題はないのやが、それもままならんようになった。

商売しとる者にとって手形の期日は絶対や。それを守れんということは会社の倒産を意味する。それを避けようと必死になる。

それで、切羽詰まったという気持ちになり、街金や消費者金融に手を出し金を借りてしまうことになった。

その場の一事凌ぎということやが、それが思うように金が回転せんようになった。それも当然で、気が付けば、その金利だけでもかなりの額に膨れ上がっていたからや。

一度、狂うた歯車は、そう簡単にもとには戻らんもんや。

最後の方になると、手形の期日、金融屋への返済と休む間もなく、その期日に追われる日々が続いた。仕事どころやない。

正直、楽観的なワシが、かなり追い詰められ落ち込んでた。胃に穴が開き血を吐いたこともあるし、血の小便を流したことも一度や二度やない。

一瞬やが、この苦しさを回避できるのなら死んでもええとさえ思うたことがある。

せやから、借金苦で自殺する人の気持ちは、それなりに分かるつもりなんや。もっとも、気持ちが分かっても、仕方がないとは思わんけどな。

何があっても、自殺が最悪の選択やという気持ちに変わりはない。その時点で、自殺を選ぶというのは、人生の敗北を認めることを意味する。

しかし、生きてさえおれば、挽回のチャンスは必ず生まれる。人生、悪いことばかりやない。

実際に倒産ということになって、家も財産もすべて失ったが、それで絶望的な気持ちになるどころか、これで、借金に追われる生活をせんでもええと考えるだけで、妙に安らいだ気持ちになったもんや。

人は最悪な状況の中でも救いは見出せるもんなんや。

ただ、これが原因で離婚することになり、当時、まだ小3やった子供と離ればなれになったのは辛かったがな。

もちろん、これは不可抗力でも何でもない。全部、ワシの考えの甘さが招いたことや。経営者としては失格やったということになる。

しかし、ワシは、これを機に、一切の借金はせんと誓った。正直、借金で苦しむのは二度と嫌やったからな。

もっとも、そのときには、バリバリのブラックということで、借金したくてもどこからも借りられんということもあったがな。

ワシが、この拡張員の世界に飛び込んだのは、そういうときやった。

この世界で、何とか食えるようになり、そこそこ稼げるようになったとき、今回のことを考えついた。

取り敢えず、万が一のときのために貯金しとかなあかんということが、発端や。

拡張員には何の保証もない。病気したときの備えもしとかな、誰も助けてはくれん。当然やが、保険にも入った。

ただ、単に貯金するというだけやと、その癖のついてないワシには、厳しいことやった。

日銭を稼ぐ中から、千円、2千円の金を、こつこつ貯金しようと思うだけで大変なことやった。

そこで、目的貯金というのを考えた。貯めてから、その分を自由に使おうという発想や。

その使える枠を増やすために貯める。単純な発想やが、人間、目標ができるとそれなりに頑張れるもんやというのも分かった。

そして、いざ、貯めてみると、不思議なことが起こった。

自分で設定した自由に使える枠まで貯めたけど、いざ使えるとなっても、なかなかそれができんようになっていた。

無駄遣いが減った。よほど必要やない限り、その金を使うのは勿体ないと思うようになった。

実は、これが一番、大きな変化やないかと思う。

消費者金融やクレジットカードで使うと、どうしても自分の金やという意識に欠けやすいから、いらん物でもつい買うてしまう。

本来、ないところに急に金が現れる。その一瞬だけ、それで何か、すごく得したような気にもなる。

それが、自由に使える金であったら、無駄使いに走りやすくなるということや。あぶく銭が身につかんというのと似とる。

さらに、このブラックになったということで、友人、知人から借金の申し入れや、保証人を頼まれるということもなくなったということがある。

つまり、金についての煩わしさが、まったくと言うてええほどなくなったということになる。これは、ワシにとっては有り難いことやった。

どれだけの人に、今回のこの話を受け入れて貰えるかは分からんけど、借金だけは、例えどんなものであろうと危険があり、損なものやというのは心しといた方がええと思う。


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