メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第111回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2006.9.22


■飲酒、止められないその理由と言い訳


「このくらい、どうってことはないわい」

そう思うて、酒を飲んで車を運転する者が後を絶たん。

しかも、ここ毎日のように、テレビや新聞で飲酒運転による事故が報道され、警察の取り締まりも強化されとるにも関わらずや。

警察庁から、飲酒運転の取り締まり強化週間(9月12〜18日)中に全国の警察で行った一斉取り締まりの結果が発表された。

それによると、1週間の期間中、酒酔い・酒気帯び運転の疑いで149人を逮捕するなど、延べ4383人を検挙したという。

それでも、この数字は、ほんの氷山の一角やと思う。

これだけ、新聞、テレビで毎日のように報道され、その取り締まりをしとるというのは、たいていの運転者は知っとるはずや。

その取り締まり箇所というのも、その地域毎に限られとるのが普通や。当然、酒を飲んだ自覚のある人間は、そういう所への通行は避けるからな。この間、バレんかった者もかなりの数、おったと推測される。

事故を起こす者、捕まる者、摘発される者は、それでも尚ということになる。アホとしか言いようがない。

酒を飲まん人、飲酒運転をしない人には、その行動が理解できんやろうと思う。何のことはない、その大部分が「自分だけは大丈夫や」とタカをくくっとるだけのことや。

その理由として「飲酒の量が少なく酔ってないと思った。ちょっと、そこまでやから」というのが圧倒的に多い。

中には「タクシー代が勿体ない。代行業者を呼ぶ金がない、時間がかかって面倒や。駐車場の料金が嵩む」というのも結構ある。

酒を飲む金は勿体なくても、そういうのは払いたくないということのようや。

その背景には、昨日まで何事もなく無事やったから、今日も大丈夫という考えがあるからや。常習者は、慣れでどうしてもそう考えがちになる。

しかし、当然やが、その保証や根拠は、その人間が考えとるほど確かなものは何もない。むしろ、その積み重ねこそが、危険を増幅しとると言える。

例えば、飲酒運転を、過去に10回ほどしてたとする。その10回は、事故も起こさず、バレずに捕まることもなく済んだ。

それは、たまたまの幸運に支えられた結果にすぎん。たまたま警察官とも会わず検問もなく、たまたま事故にならんかっただけや。

11回めは、その幸運の後のチャレンジということになる。言えば、毎回、ロシアンルーレットの拳銃を頭に当て、引き金を引き続けとる行為に似とるわけや。

確かに弾は1発しかない。当たるのはそれだけや。当たれば運が悪かったということになるが、それを引き続けとれば、いつかは当たるわな。

アルコールには麻酔作用がある。これが脳を麻痺させ、いわゆる「酔う」という状態になる。

麻痺した脳で下す判断はどうしても誤ることになりやすい。思考力の低下を招いとるわけやからな。

加えて、意識ははっきりしとると自覚しても、感覚は鈍る。特に、視力の低下が顕著に現れる。これは、どんなに酒が強いと豪語しとる人間にも起こることや。例外はない。

つまり、飲酒運転というのは、判断力を乏しくし、知覚障害を自ら引き起こしてするものやと言うてもええ。しかも、それを意識せんから、尚、たちが悪い。

人は、事故を起こしてから「しもうた、えらいことをした」と悔やむ。それまでは、それを理解しろと言われても、なかなか分からんものや。分かろうともせんやろうしな。

飲酒運転による悲惨な事故の実態を批判しとる報道が、どんなに正論であっても、常識的な見解であっても、それを我が身に置き換えて生かすことのできる人間は残念ながら、常習者には少ない。

分からん者には何を言うても分からん。そういう者でも、口では「そんなことくらい分かっとる」と言う。しかし「気ぃつけとったら大丈夫や」と思い、それを改めることがない。

昔、植木等の「スーダラ節」の歌詞に「ちょいと一杯のつもりで飲んで……分かっちゃいるけど、やめられねぇ」というのがあったが、そういうことやと思う。

もっとも、ワシにしたところで、こんな、えらそうなことを言えた義理やないのは百も承知や。

過去に飲酒運転をした経験は、それこそ数えきれんほどあるからな。飲み屋に車で行ったことも多いし、外食でビールを飲むことも珍しいことやなかった。

夏の暑い日のビールは堪えられんから、運転中にちょっと一杯というのもやってた。すぐ、汗になって流れ出るからええやろという発想や。

冬の寒い日は言うに及ばずということになる。バイクに乗ってワンカップの酒を一杯というのも良うやった。

酔いなんかは、その寒さが吹っ飛ばすと信じてた。特に、小雪の舞うような冬の寒い日に乗るバイクの過酷さは相当なものや。

ぶっ続けやないにしても、1日中、8時間、その条件下での運転やと、飲んでなやってられんという気にもなる。

車で知り合いの家に行って、あるいは営業で顧客の家に行って、そこで酒を勧められて断りきれんかったというのも一度や二度やない。

相手も、ワシが酒好きやというのを知ってそうするわけやから、どうしても断りにくいということもある。営業マンの辛さというやつや。

ただ、長年、そういうことを続けとったが、飲酒運転で捕まったことは一度もなかった。もちろん、それによる事故もない。

幸運やったという以外なにものでもないわけやが、ワシもどちらかというと「このくらい、どうってことはないわい。ワシだけは大丈夫」という口やった。

その認識がある時を境に変わった。

その一番大きな要素は、このメルマガ『第54回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■それぞれの事情Part1  飲酒運転の果てに』で紹介した、岩谷という男の話を知ったのがきっかけやった。

岩谷というのは、拡張員仲間で、飲酒運転がもとで死亡事故を起こした経験のある男や。

その事故の生々しさ、悲惨な状況を直接聞くことで、改めて大変なことやと思うた。そして、一歩間違えば誰にでも起こることやとも考えた。

飲酒運転による事故は、被害者だけやなく加害者も地獄を見ることになる。しかも、それは双方の家族をも巻き込んでそうなる。誰も救われん。

思い返せば、ワシ自身も小学生の時に親父を交通事故で亡くしとる。

その詳しいことは、このメルマガ『第45回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■親父よ、永久に……』で言うてるから、敢えてここでは言わん。

その後の残された遺族の生活がどんなものかは、ワシ自身が一番良う知っとるつもりや。

家族を失ったという悲しみの他に、生きていくという現実的な問題があるからな。

その頃、ワシは祖母と二人暮らしやった。祖母は女ながらに土方仕事をしていたし、ワシは小学生の頃から中学卒業まで新聞配達をしていた。

それでも、生活は食うて行くだけで精一杯やった。昼間の高校に行きたくても行けず、働きながら夜間高校に通った。

もっとも、それは今では、ええ経験をしたと思うとるが、その当時は、自分の運命を呪ってたもんや。

それでも、ワシのようなケースは、まだましな方や。もっと、悲惨な遺族はいくらでもおるからな。交通事故は、そんな悲劇を何の前触れもなく突然生む。

しかも、それが自分勝手な都合による飲酒運転の事故の場合は、救いようがない。

万が一、ワシがその加害者にでもなったらと考えるだけで耐えられんと気がついた。

それで、酒を飲んで運転するのが怖くなった。それから、ここ5,6年ほどは、酒を飲んで運転することは、まったくなくなった。これからもないと思う。

ハカセとカポネのマスターの店に飲みに行くという話を、このメルマガでも良くするが、たいていは、ハカセの車に乗せて貰って行く。

ハカセは、持病の心臓病のため医者から、アルコールを禁じられとる身や。ただ、そういう酒場の雰囲気は好きやからということで一緒に行っているが、アルコールを口にすることはない。

もともと、ハカセも酒は良く飲んだ方やという。食通を自認しとったから食う方も相当なものやったらしい。

ただ、その心臓病になった原因の一つが、暴飲暴食にあったということで、アルコールと食事の両方が制限されとるということや。

ハカセが都合の悪いときは電車で行く。幸いカポネの店は、駅前の商店街のはずれにある。歩いて行ける距離やさかいな。

多発する飲酒運転の波紋は、単に事故に関してだけやなく、他にも拡がりを見せとる。

中でもスナックやバー、すし店やラーメン店などの飲食店が深刻な状態やという。

ワシの顧客にも、そういう店主は少なくない。ワシの知り合いの店には、警察から飲酒運転防止のポスターを店内に貼ってくれと言われとる所が多い。

表面的には、お願いしますやが、半ば強制的や。実際「うちではそれを貼るのは困ります」とは言えんからな。

そのポスターには、飲酒運転をしたらいかに厳罰があるか、車を運転すると知って酒を勧めた者にも、飲酒運転の教唆や幇助(ほうじょ)行為として刑事責任が問われる場合があることが強調されとる。

「ゲンさん、こんなポスター貼られたら、商売上がったりやで。どないか、ならんもんかな」

そう、ぼやくのは、ワシがたまに食いに行く、近所のすし屋の大将や。ただでさえ、安い回転寿司店が台頭しとるおかげで客足が減っとるという。

すし屋に酒やビールはつきものや。連日の報道で客足がさらに減ってきとる上に、このポスターでは酒を出すのを止めろと言われとるのと同じになる。

その店は、国道沿いにある。近くに駅もバス停もない。近所の人間以外は車で来るしかない。

この辺りの飲食店のほとんどがそうや。客が車で来ることを前提に商売しとるわけや。そのほとんどの人間が酒を飲み、運転して帰っとるのが現状やさかいな。

余談やが、ワシらの住んどる所も含めて地方では、都会ほど電車や地下鉄、バスなどの交通機関が整備されてない所は多い。

整備されとらんどころか、折からの経営難で赤字路線と言われとる電車、バスが廃止されつつあるのが現状や。

そういう地方では、どうしても車というのが主な交通の移動手段ということになる。

車がなければ、日々の買い出しもままならんという所も珍しいことやない。生活そのものが成り立たたんわけや。

せやから、どうしても飲食店には、その車で行くことになる。そこで、つい一杯となってもしゃあないやないかと考える人間も出てくる。

店としても、車を運転する人間に酒を出すことが悪いと分かってはいても、そんな客ばっかりやから断ることもできんわけや。

売り上げな商売が成り立たんから、どうしても知って知らんふりをする。それが罪になるというのなら、どうしようもない。

「このままやったら、商売替えせなあかんかも知れんな……」

「……」

ワシとしても、かける言葉がない。この問題は、そのときだけ辛抱してたら終わるという一過性のものやないからな。

商売を続ける限りは、これから先、ずっとついて廻ることや。

ある新聞報道で、検問で飲酒運転が判明したドライバーに対し、大阪府警が酒の入手先や飲酒場所などを聞いたところ、1位が「居酒屋」(50・5%)で「コンビニエンスストア」(12・4%)が2位となったことが判ったというのがあった。

やはり、と言うしかない。これは、違反者の証言やから重い。都会でこれやということは、地方ではもっとその確率が高いと予想される。

ただ、1位の「居酒屋」については、酒を飲ませたことへの責任を問えるとしても、2位の「コンビニエンスストア」については、それを問えるのやろかと思う。

問えても問えないにしても問題は残りそうや。

しかし、いずれにしても、飲食店への締め付けが強化されるのは避けられんことかも知れんという気がする。

それでも、手がないわけやない。

地方のある店では、入店時に車で来た客から鍵を預かるシステムにしとる所があると聞く。

その客が、店内で飲酒する場合は、その車をおいてタクシーで帰って貰うか、運転代行業者を呼ぶように注意をしとるという。

酒が入ったまま客に運転されると、店側も飲酒運転の教唆や幇助(ほうじょ)行為として刑事責任が問われる場合があることを理由に鍵は返せんと説明しとるとのことや。

中には、それで怒りだす客もおり、一時的に客足も減ったとのことやが、理解を示す人からは、却って人気になりつつあるということや。

ただ、それには、それがあっても尚、その店に行きたがるという魅力を備えとらなあかんやろけどな。

しかも、そのやり方が、どの店にも当て嵌まり上手く行くという保証はどこにもない。せやから、そんな話もありまっせとは迂闊には言えんわけや。

酒を出すことの多い、これからの飲食店の経営は大変やろと思う。

このことを、カポネのマスターにも聞いてみた。

「難しい質問ですね。私らのように、酒を出すだけが商売の所は、出すしかないですからね。それに、お客さんが、車で来ているかどうかは、私らのような所では、なかなか分かりにくいですからね」

実際、店の客には、駅が近いということで電車通勤の仕事帰りのサラーマンも多いという。

ただ、近所の駐車場に車を預けとる場合や路上駐車をして飲みに来る人間もいとるのも確かなようや。

今までは、この業界の常識として、そういう客やと分かっても見て見んふりをしてたとマスターも認めとる。

しかし、これからは、そういうのは通用せんやろな。今の流れで言えば、飲酒事故を起こせば、どこで酒を飲んだかということは調べられるはずや。

それで、店が責任を問われるということも考えとかなあかんさかいな。

「これからは、もし、お客さんが車を運転していると分かったら、その時点で、酒を出すのを止めますね」

法律上も、そうすれば、飲酒運転の教唆や幇助(ほうじょ)行為として刑事責任が問われる可能性は少なくなるとは思う。

しかし、そうすれば、客は確実に離れるやろがな。

「そんな、危ないお客は来て貰わない方がいいですよ」

マスターは、きっぱりとそう言うた。

もっとも、これは、もともと商売熱心とは思えんマスターやから言えることかも知れんがな。どう見ても、この店は、ただの趣味でやっとるとしか思えんからな。

そうでなかったら、今日び、若い娘もおらん、カラオケもない、いかついスキンヘッドのごっついおっさんが一人でやってて、商売になると考えとる方が異常やさかいな。

もっとも、その異常さに引かれる人間も、そこそこいとるのは事実やけどな。
ワシらのように。

いずれにしても、打撃はあると思う。しかも、これから飲酒運転に対して罰則強化は、さらに避けられそうもない雰囲気やから、客足も今以上に減ることが予想される。

日本は、酒に関して甘すぎたというのは、間違いないやろと思う。「酒の上の過ち」という言葉が良く使われてきたし、言い訳にもされてきた。

しかし、酒を飲んで過ちを犯すのは当たり前なことや。判断力の乏しい知覚障害を自ら引き起こすわけやからな。

もっとも、冒頭でも言うたが「このくらい、どうってことはないわい」という人間には、いくら言うても馬の耳に念仏やろうがな。

飲酒運転で事故を引き起こした方は「えらいことをした。飲まんとけば良かった」と反省して、それなりの罪を償えば許されるかも知れんけど、被害者はそういうわけにいかん。

飲酒運転の被害者は、ほとんど何の罪もないのに、偶然、そこにいたというだけで、その事故に巻き込まれる。それで、命を落としたという例も挙げたらきりがないほど多い。

それでも、事故を引き起こしたことを反省する人間は、まだ救いがある。

しかし、それをせんどころかその場を逃げるという人間がおる。しかも、それが急増しとる。

その理由が逃げ得になるからやという。飲酒運転は現行犯が原則やから、逃げて酔いが醒めたら飲酒の数値が測定されずに済み罪が軽くなる。そういうことらしい。

はっきり言うが、人間、そこまで腐ったら終いや。

こういう人間の根本にあるのは、我が身かわいさだけや。つまり、自己中心的なことしか考えんタイプの人間や。保身のみで人の命など二の次ということになる。

こういう輩に温情は必要ない。どんな厳罰が下されようと当然や。これから、おそらくその厳罰化の方向になるやろうが、個人的には、こんな輩に対してなら、どんなものでも支持したいと思う。

朽木は彫るべからず。という教えがある。腐った木は、彫刻には向かんから彫っても無駄やということや。

何でもそうやが、一度、腐ったら、どうしようもない。極、希に再生するということもあるようやが、ほとんどは望み薄や。

表面を「反省してます」という幕で覆い被せて、いかにも再生しますと見せかけとるというのは多いがな。

たいていは、裁判が終わるまでの罪の減刑のためにそうすることが多い。「弁護士の指導で、そうしろと言われとるからそうしただけや」と後に広言する者までおる。どうしようもない。中身は、所詮、朽木や。

ワシは今まで多くの人間を見てきたが、その人間の真価は、いざというときの行動に尽きると思う。

日頃どんなに評判が良く、また立派なことを言うてても、いざというときに逃げ出すようやと、そのすべてが虚構やったと言われても仕方がない。

自分が引き起こした事故で生死を彷徨う人をそれと知って逃げるのは、人間として恥ずべき最低の行為や。

そのとき、助けられたかも知れんのに、逃げたことで殺したのも等しいことになるのやさかいな。

良く「パニックになった。怖かったから逃げた」と言う者が多いが、そもそも、そういう言い訳をすること自体が腐った考えの持ち主やったという証しになる。

どんなに慌ててハニックになったにせよ。自分が引き起こした事故で目の前にケガをしとる人間がおるのは分かるはずや。

それを助けることより、逃げて保身を考えようとする者は、ある意味、冷静かつ冷徹な判断を下せるから、そうするのやと思う。人のことなど、どうでもええという考えが常に根本にある。

そして、それをするのは、特別な種類の人間やない。極、一般の人間がほとんどや。しかも、地方公務員、教師、消防士、警察官という社会的に信用があるとされとる者が目立つ。

意外にもと言うてええのかどうかは分からんけど、ワシら拡張員がそれを引き起こしたという報道は、今のところないようや。

もっとも、ワシら拡張員が違反する確率が少ないと言うてるわけやない。現実に、毎日のように酒を飲んで運転しとると豪語する拡張員がおるのも知っとるからな。以前のワシがそうやったように。

事故は起こしておらんでも、拡張員も飲酒運転で捕まっとるのかも知れんけどな。公務員などと比べたら、ニュースバリューには、なりにくいということで報道せんだけのことやろうと思う。

しかし、ある新聞社の新聞記者が飲酒で摘発されたという記事は目にした。こちらの方は衝撃的や。しかも、その記者は、この飲酒運転の記事を重点的に書いていたという。言葉もない。

つまり、それだけ、いくら言われてることでも、飲酒運転をする人間というのは、あらゆる階層に例外なく存在して浸透しとるということや。根が深い。

日常生活の中に入り込んどるようなものは、なかなか払拭できんということなのやろうと思う。

「このくらい、どうってことはないわい」と思うて酒を飲むのを、ワシは止めることはできん。そのつもりも資格もないしな。その人間が判断するしかないことや。

何ぼ言うても止めん人間は、どこにでもおる。どうしようもないと言えば、それまでやけど、本当にどうしようもない。つける薬も、効果的な方法もないというのが、ワシの正直な思いや。

これからも、こういう飲酒による悲惨な事故は後を絶たんのやろうな。嘆かわしいことや。

せめて、これを見て考えを変えて貰えたらええなという思いで言うてきたけど、それも無駄な気がする。

ただ、賛同する人がいたら、飲酒運転をするという人間には、極力、冷たい視線を向けてやってほしいと思う。直接、あかんというより、それが一番、利くのやないやろか。

そして、なるべくそういう人間とは関わり合いを持たんことや。とんだとばっちりを食う羽目になるかも知れんからな。


このメルマガについて、アメリカのロスアンゼルスに住んでおられる読者から、興味深い情報を寄せて頂いたので、ここに紹介する。


投稿者 トオルさん 投稿日時 2006.9.25 PM 2:23


今回のメルマガも興味深く読ましていただきました。おっしゃる通り、日本は飲酒運転に非常に甘いと私も思います。

私の住んでいる所では、飲酒運転は殺人未遂と同じ扱いを受けるそうです。罰金は、今年からまた値上がり(?)し、確か8500ドルほどになりました。おおよそ100万円です。貯蓄をあまりしない国民性なので、多くのアメリカ人にとって、この金額は途方もない数字ではないかと思います。

ちなみに、飲酒検問で捕まった場合、即留置所に送られます。日本のように、酔いが醒めたら帰ってよいなどということはありません。最低でも留置所に1泊します。

では、アメリカ人が酒を飲むときはどうするか。

ご存知の通り、アメリカは自動車が中心の社会で、日本の地方都市よりもずっと、公共の交通機関が発達していません。しか
も、地域にもよりますが、公共交通機関は、危ない人が乗っていることが多いので、一部の都市を除き、あまり利用されていません。流しのタクシーを捕まえるというのも、ほとんど不可能です。

酒の席では、まず、誰か酒を飲まない人を決めて、その人に送ってもらうという約束をします。designated driverと呼びます。つまり、ハカセさんはゲンさんのdesignated driverということになります。アメリカでは普通、送ってもらう人がdesignated driverの食事代などを負担します。

日本でも「飲酒運転」=「殺人未遂」という認識ができれば、ずいぶんと飲酒運転が減るのではないかと思います。地方に行くほど、酒を勧めるのが礼儀という所が多いので、なかなか難しいと思いますが。

これからも、メルマガ楽しみにしております。


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