メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第114回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2006.10.13
■帰らざる日々
「ゲンさん、どこまで進んだ?」
コウ君からの電話やった。
コウ君というのは、現在、小学5年生。ハカセの二番目の男の子や。
「一応、四天王とチャンピオン戦が終わったところやけど」
「何を連れて行ったの?」
「エンペルト、パルキア、ルカリオ、レントラー、アグノム、ハガネールやな」
「レベルは?」
「エンペルトとバルキアが53で、後は49,50というところかな」
「それでチャンピオンまで勝てたん?何回めで?」
「何とか1度めでクリアーできたけど」
「へぇー、すごいね。ぼくなんか、ディアルガとルカリオ、ゴウカザルの3体をレベル60まで上げて行って、それでもクリアするのに3回もかかったのに」
「ああ、薬をたくさん持って行ってたからね」
何の話をしとるのか、分かりにくい人もおられると思うから簡単に説明する。
先月、9月28日に、ゲームでポケモン(ポケットモンスター)のDS版というのが発売された。
ダイヤモンドとパールというソフトの2種類や。コウ君がダイヤモンドを持っていて、ワシがパールをしとる。そのゲームの話というわけや。
「ハカセは?」
「お父さんは、仕事が忙しいと言うてたから、なかなか進んでないみたい。それに、ノモセシティの大湿原の落とし穴に何度も嵌って嫌気がさしてるて言うてたから」
「そうか……」
ハカセも、ワシがやるというのでチャレンジしとるみたいやが、普通の大人がこういうゲ―ムをやるのは、やはりきついものがあると思う。
ワシもゲームというのは得意やない。ただ、このポケモンのゲームだけは特別な思い入れがある。
ワシが初めて、このポケモンのゲームと出会ったのは、1996年2月、今から10年も前の話や。
その頃は、ケームボーイというゲーム機で遊ぶものやった。当時は現在以上に、子供たちの間で絶大な人気を誇っていたゲームやった。
ゲームをせん人間でも、その名前くらいは、たいてい聞いて知っているはずやと思う。
そのポケモンゲームが売り出された頃、すでにワシは、拡張員の仕事を大阪でしてた。
その2年前、ワシは事業の失敗がもとで妻と離婚をした。当時、小学3年のユウキは妻が引き取った。
息子のユウキとは、離ればなれになってはいたが、たまに電話で話をすることはあった。
事業の失敗がもとで離婚したと言うたが、もちろん、それだけやない。その頃のワシは人間としても最低の男やったと自分でも思う。
言い訳をすれば、借金に負われる日々で妻や息子のことを顧みる余裕がなかったということになる。
毎日、金の心配ばかりし、そのいらいらやストレスから妻や息子には辛く当たっていたようや。妻は耐えられんかったと後に語っていた。
「あなたは人がすっかり変わってしまはったわ。私では、もうついて行くのは無理です」
妻は、そう言うて別れてくれと、懇願した。
やってた会社が倒産して貧乏になったことは、それほど大きな問題やない。また頑張ればええことや。しかし、嫌な面を見せつけられると耐えられない。そういうことやった。
ワシは、言葉もなかった。どう考えても悪いのはワシやさかいな。
ポケモンのゲームが発売されとき、ワシは迷わずユウキに買い与えた。ユウキは大喜びで、それから以前にも増して、ワシらは良く会うようになった。
ワシは、根っからの機械オンチを自負しとったから、ゲーム機でゲームをするというのは、相当な努力を必要とした。
その頃、唯一の機械もので使っていたものと言えば携帯電話くらいなものやった。それも、仕事で必要やから、仕方なく使うてただけにすぎん。
因みに、携帯電話は、そのさらに5年ほど前から使うてた。もっとも、その頃のものは、ただ持ち運べる電話というだけの、とても携帯と呼べるような代物やなかったがな。
何しろ、でかくて重い。しかも、バッテリーを目一杯充電させていても、ものの15分も喋ったらすぐ切れる。
せやから、常に予備のバッテリーは持ち歩く必要があった。そのため携帯電話専用のショルダーバックを常に持っていた。
携帯電話を使うてたキャリアとすれば、15年以上ということになる。最近でこそ、そのメール機能も何とか使えるようにはなったが、話す以外の用途に使うことはほとんどない。
というより、携帯電話の機能なんか使うことはできんし、そのつもりもない。基本的に電話は、話せたらええ。連絡が取れたらええというくらいにしか考えてなかったからな。
そのワシが、ポケモンのゲームだけは必死で覚えた。もちろん、ユウキとつながっていたい一心からやったがな。
しかし、それが3年経ち、5年経ちする間に、そのユウキもいつの間にか、そのポケモンゲームをせんようになっていった。
段々、大人になっていくのが分かる。親とすれば、喜ばしいことなのやろうが、正直、ワシは寂しかった。
次第に、ワシとそのポケモンの話をすることがなくなっていった。やるゲームがプレイステーションやゲームキューブの方に移行していったようや。
しかし、それはテレビゲームやから、外で一緒にやるというわけにはいかんかったわけや。
それに、中学、高校と進学するにつれ、普通の親子でも多少の断絶は感じるというから、ワシのように、始めから別れとる親子では、その溝はいかんとも、し難たいと痛感するしかなかった。
そのユウキが3年前、大学入試に受かったという知らせと共に、あることを直接、ワシに伝えに来たことがあった。
「お母さん……、再婚するんやで」
二人の間に、しばらく重い沈黙が続いた。
「そうか……」
「お父さんは、アホやわ」
「そうか……」
「お母さん、待ってたんやで」
「お母さんが、そんなことを……」
「言うわけないやんか、そんなこと。せやけど、分かるわ。何しか、オレ、息子やからな」
妻は、ワシと別れてから女手一つで、ユウキを育て上げてくれた。それには、頭が下がるし、感謝もしとる。
ワシにしても、嫌で別れたわけとは違う。商売が上手くいっていれば、おそらく、今も一緒のはずや。
しかし「もうついて行くのは無理です」という妻の言葉が、耳の奥に棲みついて離れんかった。「もう一度、やり直してくれ」とは言えんかったわけや。
「それで、相手の人は……」
「優しいて、ええ人や。心配いらん」
「そうか……、お母さん、幸せそうか?」
「ああ……」
「……」
また、しばらく沈黙が続いた。
「お母さんに伝えといてくれるか。元気でやってくれと」
「分かった。あ、それから、お母さんが言うてたけど、オレの養育費はもう払わんでもええからて」
離婚しても、子供が成人するまで養育費というのは法律上、同居していないもう一方の親は払う義務がある。
もちろん、義務やからしとることやない。そんな法律がなくても、ワシは親や。子供のためになら何でもする。
「オレも、その方がええと思う。お母さんも、新しい生活をするのに……」
いつまでも、ワシからの養育費が届くのは、その相手に対しても気を遣う。ワシの影を引きずることにもなる。
そう、ユウキは言う。
「あ、それから、オレ、大学は奨学金で行くことに決めたんや。それにアルバイトをすれば何とかなりそうやしな」
「それなら、よけい金は必要やろ」
「大丈夫や。オレ、もう子供やないで。自分の力でやると決めたんや。せやから、お父さんもお母さんも、それぞれ、自分の人生は自分のために生きてほしいねん」
「そうか……、分かった。せやけど、何か困ることがあったら、いつでも、言うて来いよ。これでも、一応は親やからな」
「分かってるて。何も縁を切るいう話と違うねんから」
ユウキは、笑いながらそう言うと帰って行った。
「大人になったな」と思うた。
息子が自立したいというのは、親として、やはり、素直に喜ぶべきやろうと思う。しかし、同時に寂しさと悔いも込み上げてくる。
ユウキには、いろいろ教えてやりたいことは山ほどあった。しかし、結局、何も教えてやれず、力にもなってやれなんだ。
ただ、ワシも、考えれば、10歳で父親をなくし、それでも何とか生きてきた。頼れる者は、祖母以外にはおらなんだが、それを不幸とは思わなんだ。
また、自分の力だけで生きて行くのも当たり前やと考えとった。甘えの許されん世界で今日まで生きてきたと言うてもええ。
その意味で言えば、ユウキもワシの子やから、同じように強く生きていってくれるものと思う。
ただ、あの日、あの時、こうしていたらと考えんでもない。悔いはそこにある。
覆水盆に返らず。一度、地面にこぼれてしまった水は、もとの入れ物には絶対戻らないという意味や。
そこから、取り返しのつかないこと、別れた夫婦はもとに戻らないということへの喩えに使われるようになった。
人は、失ってみて初めてそれが、どれほど大切なものやったかというのに気づく。そして、それはたいていの場合、気づいてからでは遅い。
ユウキが生まれた日。
深夜1時、妻の入院先から電話があった。子供が産まれそうやという。
急いで駆けつけると、いきなり、今から緊急手術を始めると告げられた。その承諾書にサインしてくれという。
羊水の濁りが異常なため、急いで子供を取り出さんと危険やから、帝王切開手術するしかないということやった。
ワシに選択の余地はない。急いでサインした。
医師からは「最悪の事態も考えておいてほしい」とまで言われた。
正直、ワシは生きた心地がせんかった。
ワシは、神仏を信じてないから、今まで神頼みなんかしたことがない。そのワシが、必死になって神に祈った。
結果は、無事に生まれた。ワシは、泣いて喜んだ。
その時の喜びが昨日のことのようでもあり、遠い日の出来事のようにも感じられた。
加えて、それからのユウキの成長と家族の幸せだった日々が、頭の中に映像となって映し出されていた。
そのとき、それは誰にも訪れる普通のことやと思うてた。
しかし、今、思い返せば、それが、ワシの人生で、一番幸せな時やったと思う。
紆余曲折の末、今は拡張員を生業にしとる。
良く「拡張員は」という言葉で、一括りにされることがある。たいていは、くだらん人種のように思われ、嫌われる場合が多い。
唾棄されても仕方のない人間が、拡張員の中にいとるのも事実やから、それは認める。
ただ、ワシらも、人間や。それぞれに人生を背負って生きとる。
その中には、ワシなんかよりはるかに過酷な生き様、辛く悲惨な境遇に接した者も大勢いとる。
その運命に挫折して、拡張員の道を選んだ者もいとる。それで、歪んだ者も確かにおる。
しかし、そこで懸命に頑張っとる者も多い。もっとも、真面目にひたむきに頑張っとる者は目立つことはないから、人に知られることはないがな。
せやから、どうやということでもないが、人は、それほど簡単に色分けや一括りにはできんというのだけは言うておきたかった。
人生は、ちょっとした歯車の狂いで簡単に変わる。どう転ぶか分からんものや。
それを考えれば、単に職業だけで、その人間を評価や批判はするべきやないと思う。その立場にいつ何時、言うたその人間が置かれんとも限らんのやさかいな。
批判はあくまでも、その個人の所業に向けられるものでないとあかん。もっとも、それを分かって貰うというのは、なかなか難しいことやけどな。
何で、ワシがわざわざこんなことを言うと、このメルマガやサイトに送られて来られる意見に「拡張員は」という枕詞から始まる批判があるからや。
「拡張員やからこんなことをする」と信じて疑わん人間の多さに驚く。
職業の中に、何の悪さもせん人間が従事しとるというものが世の中にあるのやろうかと思う。あったら教えてほしい。
少なくとも、ワシはそういうのは知らんさかいな。悪さをするのは人間であって、職業やない。
はっきり言うが、職業で人間を判断することだけは絶対に間違いや。それだけは、声を大にして言える。
ただ、勘違いをされては困るが、そういう類のものを送ってくれるなということとは違う。やはり、情報は有り難いものやさかいな。
ろくでもない拡張員の悪行を世間に知らしめるというのも、それなりに価値のあることや。
特にこのメルマガやサイトでは、その悪行の対処方法というのも同時に示しとるから、結果としてその被害の減少にはいくらか貢献しとるのやないかと思う。
あこぎな勧誘なんかに対しては、販売店や拡張団も苦々しく思うとる所が多い。
当たり前やが、そういう評判の悪さは、自らの生活をも脅かすものやさかいな。
この仕事を長く続けとる人間は、当然やが、先のことを考える。
人に嫌われて、自分で自分の首を絞めるようなアホな者は少ないはずや。少なくとも、ワシそう信じとる。
「ゲンさん、捕まえた伝説のポケモンは、アグノムだけ?」
「いや、ユクシーも捕まえた。エムリットには逃げられたけど」
「マスターボールは?」
「パルキアで使うてしもうたからない」
「なら、しゃあないね。エムリットは、すぐ逃げ出すから、捕まえるのなら、一番最初のポケモンに『くろいまなざし』のような逃げられないワザを覚えさせるか、眠らせるワザを使うしかないよ」
「せやな。今度、試してみよう」
これが、50過ぎのおっさんと小学生の子供の会話や。ポケモンのゲームのことを知らん大人にとっては、わけの分からん話やと思う。
しかし、今日びの子供とまともに会話をかわすには、せめてこれくらいのことは知っとかな相手にはされん。
子供を知りたければ、その世界に飛び込むのが最も手っ取り早い方法や。子供の目線に立つということやな。
一見、難しそうやが、その気にさえなれば、誰でもできると思う。要は、その気持ちがあるかないかだけの違いや。
もっとも、ワシの場合は、息子とつながっていたいという強い思いから始めたことで、未だに続けとるのは、息子とコウ君が重なっているからにすぎんのやけどな。
今回、ワシが言いたかったのは、平凡やと思える今を大事にしてほしいということや。
ひょっとすると、その瞬間が、その人にとっては、人生最良の日々かも知れんのやからな。
それを、帰らざる日々への後悔と郷愁への想い出に変えたらあかんと切に願う。