メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第117回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2006.11. 3
■悪徳訪問販売 その1 ふとんセールスの場合
昼の1時過ぎくらいやった。
「ゲンさん、相談に乗って貰えませんか」
ヨネヤマという70歳過ぎの顧客の一人から、そう言うて携帯にかかって来た。何かに怯えとるような感じや。切羽詰まった雰囲気もある。
ヨネヤマというのは、年金暮らしの悠々自適の生活を送っている老人や。ワシとは気が合い良く長話をすることが多い。気のええ人や。
「何かあったんですか」
「実は、ふとんのセールスマンに脅かされてまして……」
ヨネヤマの話によると、今日の午前11時頃、大手ふとん屋の名刺を持った営業の人間が家にやって来たという。
「地域の高齢者のお宅を中心に、ふとんの無料点検サービスで寄せて頂いている者です。簡単に済みますので」
背広姿の好感の持てそうな若者だったということで何の不信感もなく、まあ、ええかと思うて頼むことにした。
ただ、ヨネヤマも相手がセールスマンやというのはすぐ分かった。
おそらく、この後、ふとんの売り込みをするはずや。しかし、それならそれで、話くらい聞いてもええかと思うた。
それには、ヨネヤマも、そろそろ、ふとんの買い換え時期かも知れんと考えていたからや。
「なかなかいい羽毛布団をお使いですね」
セールスマンの初歩的なトーク・テクニックやが、まずは褒めるということから始める。
安物の場合に、下手にそういうことを言うのは拙いが、そこそこの物なら褒めといてまず間違いはない。
「分かるかね」
ヨネヤマも当然のことながら、悪い気はせんかった。
事実、そのセールスマンのふとん店とは違うメーカーの物やが、7年ほど前、一式セット25万円出して買うたものらしい。
「ええ、それは分かりますよ。専門ですから。でも、保湿性がかなり悪くなってますね」
「もう、7年も使うとるからな」
「それに、ダニもかなりいますね」
褒めて落とす。これも営業テクニックの一つや。
そして、これは、その方面に知識のなさそうな客に危機感を煽ることができるので結構、効果的な方法とされとる。
少しでも、ダニについての知識があれば「何言うてんねん」となるかも知れ
んがな。
どんな家庭にもダニは必ずおる。フローリング、畳、カーペット、ジュータン、などおよそ考えられる床面には必ず棲息しとるもんや。
フローリングにカーペット、畳にジュータンという具合に、二重三重になって重ねられた空間は、ダニを育て繁殖させるには格好の住処となる。
中でも、ふとんは最高の繁殖場所と言える。ダニは適度な湿気があれば爆発的に繁殖する。
人間が一晩で寝ている間にかく汗は、約200ccと言われとる。大きめのコップ一杯分の水を毎日ふとんにぶっかけとるのと同じことやと思えばええ。
しかも、ふとんは体温で適度に保温されとるから、よりダニの好む環境になりやすい。
加えて、ダニは死滅させにくい。
ふとんを天日干しすればええと言う者もおるが、残念ながらその程度では死滅せん。まったく効果なしということやないがな。
一番効果があるとされとるのは、掃除機をかけることやが、これも、たまにやる程度やと効果は薄い。と言うて、そう頻繁にするのも面倒やわな。
そして、ダニはふとんが新しかろうと古かろうと、そんなことにはあまり関係なく繁殖する。
せやから「それに、ダニもかなりいますね」と言うトークは、それを知っとる者には「何言うてんねん」となるわけや。
「どうにかならんか」
ヨネヤマのように、こう言うてくる客は訪問販売の営業マンにとってはカモということになる。かなりの高確率で売り込むことができるからな。
また、こういう客に逃げられるようやとどうしようもないという意識にもなる。
「ええ、古くなるとどうしても湿気が溜まりやすくなって、どうしようもないですね。このまま放っておくのは良くないですよ。健康のことを考えられるのでしたら、当社でお勧めのいい商品があります」
と言うて、おもむろに「高級羽毛布団」と題した豪華なパンフレットを差し出す。
「128万円?えらい高いな」
「ご主人が買われた頃は、そのお値段でもありましたが、今はとても無理ですね。その頃は、原料となる中国産の水鳥も豊富で、コストも安かったですけど、今は、ご存じのように中国も経済成長はすごい伸びですし、原価もかなり高騰していますので」
この説明は、まんざらでたらめでもない。
「しかも、当社は、その中でも最高級の冬場で獲れたグースの親鳥だけを厳選したものですので、20年、30年とお使い頂いても保湿性が低下することはありませんから、そのお値段でもお買い得ですよ」
羽毛は、中国,シベリア,ヨーロッパ,カナダなどの寒冷地で主に生産されとる。いろいろあるが、雁(グース)と鴨(ダック)の羽毛を使うのが一般的や。
水鳥の種類や採取される時期によっても品質や値段がさまざまに違う。さらに、子鳥よりも親鳥、夏よりも冬採れるものの方が、より良い品質とされ値段も高い。それが業界の常識になっとる。
「それにしても、128万円というのは、いくら何でも高すぎる。無理や」
「いくらぐらいでしたら、よろしいので?」
「そうやな、出せるのは50万くらいが限度やな」
「困りましたね……」
若いセールスマンは少し考え込むような仕草をした後、おもむろに携帯電話を取り出してどこかへかけ始めた。
「ええ、今、お客さんの所で、例のA−1のカタログをお見せして、気に入って頂けたのですが、値段が高いと言われるので、そのあたり、何とかなりませんか……」
いかにも、突発的なことのようにみせかけ、演技まじりに交渉してみせる。もちろん、こういうのは最初からストーリーは出来上がっていて、そのマニュアルすらあるというからな。
ワシらにとっては、茶番以外何ものでもない手法でも、こういうことは意外に通用するようや。昔から結構、使われとる手口でもある。
「ええ……ええ、それは、説明したのですが、そこを何とか……、50万円ならと……えっ、そうですか。それなら、喜ばれると思います。それで、結構です。どうも、無理を言って申し訳ありません」
その若いセールスマンは、携帯電話を持ちながら、その場で何度もお辞儀をしていた。
「ご主人、喜んでください。今回だけ、在庫処分ということで特別に、50万円でお分けできることになりましたので。但し、これは、誰にも言わないでくださいね」
それを聞いていたヨネヤマは、何かおかしいと感じ始めた。
まあ、それも当然で、本当にその商品が128万円もするものなら、いきなり電話1本で50万円にするというのは、どう考えても不自然やさかいな。
「ちょっと、勝手に話を進めんといてくれよ。ワシは何も50万円で買うとは言うてないで。出せても50万円までやと言うただけや」
「えっ?ご冗談を。先ほど、50万円なら買うと仰ったじゃないですか」
「そんなことは言うてない」
ヨネヤマは冗談やないと思うた。
「それは、聞こえまへんな」
その若いセールスマンの態度と口調が一変した。
「あんたも今、聞いてましたやろ。俺は、あんたが50万円で買う言うから、店の管理部に頼み込んで、それでOK貰いましたんやで。店に商品も発注してしもうたさかい、夕方には配達に来まっせ。俺の立場がおまへんがな」
「そんな無茶言うても知らん。ワシはまだ注文した覚えはない。気分が悪い。もう、帰ってくれ」
「何やと!!こらっ!!客や思うて調子に乗らんとけよ、ぼけぇ!!こっちは遊びで商売しとんのとはちゃう(違う)んやで」
完全に本性を現したようや。
「警察を呼ぶで」
「呼ぶなら呼べや。こっちは正当な商行為をしとるだけや。何も法に触れとることをしとるわけでも何でもないんやから、そんなもの怖いことあらへんわい」
ヨネヤマは、正直、かなり怖くなったという。
最近の世情は、あまりにもわけの分からん凶悪事件が頻発しとるし、ここで、下手に逆らうたら何をされるか分からんという恐怖に襲われた。
「ど、とうしろと……」
「そう、そう、最初から、そうやって物分かり良うにしてくれてたら、何も言葉を荒げんでも良かったんですわ。さっきも言いましたように、夕方、商品を持って来ますよってに、代金を用意して待ってておくなはれ。損はさせまへんから」
若いセールスマンはそれだけ言うと、引き上げて行ったという。
「ゲンさん、どないしたら、よろしいですやろ?」
「何とたちの悪いガキですな」
「やはり、警察に言うた方が……」
「おそらく、無駄でっしゃろな。ヨネヤマさんが、言えるのはそのセールスマンが恫喝して脅かしたということでしょうけど、おそらく、そんなことは知らんととぼけると思いますよ」
実際、これで警察を呼んだとしても、事件扱いにはまずならんやろうと思う。基本的に、警察は事件が起きてからしか動きが取れんもんやさかいな。
こういう連中は、この手のことは何度も繰り返しとるから、警察を呼ばれる程度のことは慣れとるはずや。もちろん、その対応もな。
警察の前では、紳士的なセールスマンを装うはずや。尻尾をみせるようなことはまずせん。
警察も良う頑張っても、相手のセールスマンをその場から帰すくらいのことしかできんやろしな。
当然やが、そういう連中は、それで済むはずがない。すぐ、その後からやってきて「この落とし前、どないしてくれんねん」と凄む。
警察が頼りにならんと思うた客は、あきらめるしかないと考えやすい。また、そういう人間をターゲットにする。
こういう手合いは、相手を見る。少なくとも、無差別にはやらんもんや。
これに近いことは、新聞の勧誘でもある。喝勧(恐喝勧誘)の手口がそれに酷似しとる。
まあ、あくどい手口を使う人間は、どの業界でも似たようなことをするということかな。
「それで、やっこさんらは、何時頃来るて言うてました?」
「4時頃て言うてましたけど。でも、やっこさんらはて……あの、若いセールスマン一人やないんですか」
「ええ、おそらく配達にかこつけて2,3人で来ると思いますよ」
「そんな……」
「ヨネヤマさん、大丈夫です。ワシが行きますから。幸い、今日は近くにいてますさかい」
ワシは、昔からなぜか、こういう話を聞くとそのままにできんという因果な性分がある。何でも首を突っ込みたがる。
関西ではこういうのを「いっちょ噛み」と言う。あまりええ意味で使われることはない。
「すみません。助かります。でも、ゲンさんお一人で?」
「ええ、そういう連中なら、ワシ一人でも大丈夫ですよ」
たぶん……な。
本当は、こういうことはもっと用心した方がええとは思うが、しゃあない。
そうかというて、拡張員仲間をぞろぞろ連れて行くわけにも行かんやろしな。
それに、拡張員というても、それほど暇な人間ばかりやない。
皆、1本のカード(契約)を上げることで手一杯や。それなりに必死でやっとる。そんな人間を駆り出すわけには行かん。
ワシは、ヨネヤマの家の近くに車を停め、連中を待った。
午後4時過ぎ頃やった。
一台の白いライトバンがヨネヤマの家の前に停まって、中から男が二人降りてきた。そのまま、後部ドアを開け、ふとんの包みを取り出した。
一人は痩せた長身の男で、まだ、20歳代に見える若い男や。これが、ヨネヤマの言う、勧誘に来た男やろ。
もう一人は、がっしりした体格で貫禄のある44,5歳くらいの男やった。この男には、極道か、それに近い臭いを感じる。そういうのは、たいてい分かるつもりや。
案の定、白いライトバンに、ふとん屋の看板はない。
予測していたこととは言え、一応、この連中が「騙り」やというのはそれで分かった。たちの悪いのも間違いなさそうや。
もっとも、名の売れた大手のふとん屋が、こんな恐喝まがいの押し売りじみた真似をすることもないやろうと思うてたがな。
ここで、参考までに言うとくが、いくら付き合いの深い人間からの相談事であっても、その話を100%信用、もしくは鵜呑みにはせんことや。
相談する人間の思い込みというのも結構あるから、そういうのに肩入れしすぎて下手に首を突っ込んだら、えらい目に遭うからな。
せやから、念には念をいれとくという気持ちは常に持つようにしといた方がええ。経験者は語るや。
若い男がチャイムを押す。
ヨネヤマが出て来る。
「約束通り、商品のふとん、持って来ました」
「何、言うてんのや。さっきも言うたように、ワシはそんなもの注文した覚えはないで」
今度は、ヨネヤマも近くにワシがおるのを知っとるから、かなり強気で言うとる。
「そら、聞こえまへんな。ここにあんたの注文証もあるんやで」
若い男は、そう言うて伝票らしきものを出した。
「それは、お前が勝手に書いたものやないか」
「それは、聞かれまへんな。この商品は、間違いなくあんたが注文したものや。引き取って貰わんと困りまんがな」
「何を無茶言うてんねん。ワシはそんなもの知らんで」
「おい、こらっ、おっさん!!眠たいこと言わんとけよ。買う言うから、こっちは無理して品物持って来たったのに、いらんやと?そんなことは、通らんで」
こいつらは、表に聞こえるくらいの大声を出して喚いとる。もっとも、この辺りは人通りが少ないから、それに気づいとる通行人も近所の人間もおらんようやがな。
それに、例え聞こえてたとしても、最近の風潮なのか、それで人が集まるということはまずない。
それが揉め事なら尚更や。たいていは、面倒な関わり合いを避けようとするからな。
「何や、おだやかやないですな。ヨネヤマさん、何かあったんですか?」
「あっ、ゲンさん、こいつら、たちの悪い、ふとんの押し売りなんです。助けてください」
もちろん、これは、ワシとヨネヤマの間で、出来上がっていた打ち合わせ通りの会話や。
「何や、あんたは?」
若い男が、挑みかかるように言う。
「新聞屋や」
「拡張員か」
今まで黙っていた年輩の方の男が、短くそう言うた。なかなか渋みのある声や。
「拡張員?おっさん、今は、こっちが先に取り込んどるんや。出直して来いや」
「えらい、威勢のええ、ガキやな。オノレのしとることがどんなことか分かっとるのか」
「何を!!」
「待て!!セイジ」
セイジと呼ばれた若い男は、その一言で黙った。格が違う。
「どうやら、その人は、すべて承知で横やりを入れて来とるようや。ワシが話をつける。あんたの名前は?」
やはり、ワシの見立て通り、極道上がりの男のようや。もしかしたら、現役かも知れんがな。
「ワシは、ゲン。そっちは?」
「カケイと言う者や。あんたも、拡張員なら、ワシらが勧誘して品物をこの人に売っとるというのは分かるやろ」
「ああ、物を勧誘して売るというのは、ワシも本職やから何も文句を言うつもりはない。しかし、脅して売ったらあかんで」
「確かに、うちの者が言い過ぎたのは認めるが、それは、そこのお客さんが約束を守られんから、つい言うてしもうたことなんや。脅すつもりやない。あんたも約束は守らなあかんというのは分かるやろ?」
これは、ヤクザ独特の「論法のすり替え」という手法や。
こういう質問をすることで、相手から「約束は守らなあかん」と言わせることで自分の主張を正当化するように話を持っていくわけや。
「その約束も、内容次第やけどな」
「というと?」
「あんたの推察通り、ワシはこのヨネヤマさんから事情を聞いて知っとる。ヨネヤマさんも、ふとん自体は買い換え時期やと思うておられたから、値段が安くてええもんなら、本当に買われるつりやった」
横で、ヨネヤマが頷く。
「ところが、ヨネヤマさんは、そこの若い営業さんが、128万円もする品物を、電話1本で50万円にするというのを聞いて、不審に思われたわけや」
「それは、実際、本当に特別なケースなんですわ。この男が、店に電話したとき、たまたま在庫処分の品物があって、それを、お客さんに廻すよう、話をつけた。嘘やおまへん。ワシに免じて信じてくれんやろか」
「確かに、それに間違いがないのなら、ヨネヤマさんも異論はないはずやけどな」
「おおきに。それなら、取り敢えず、ご主人、この商品を見ておくなはれ」
そう言いながら、カケイとセイジは、包装を解き始めた。
「どうです。りっぱな羽毛布団でっしゃろ。○○ふとんの最高級のものでっせ」
念のため、始めにセイジに渡されたパンフレットとそのふとんを見比べた。確かにその品物のようや。
ふとんの知識のない者でも、ええ物やと言うのは分かる。もっとも、それは最初から分かっとったことではあるがな。
「カケイさん、このパンフレットを見て貰えんか」
ワシは、そう言うて、別のパンフレットを取り出した。
「これは……」
今まで落ち着いて悠然と構えていたカケイが、明らかに動揺しとる。
それもそのはずや。ワシが、渡したパフレットは、セイジがヨネヤマに渡した物と商品の写真や説明文がまったく同じものやったからな。
違うのは、値段のところだけやった。一方は128万円で、ワシが渡したのは34万円とある。
それが何を意味するのかは一目瞭然や。
ワシが渡した方のパンフレットが、○○ふとん店の正規のものや。それも、当たり前で、ワシが、その○○ふとん店の支店に行って貰うて来たんやからな。
つまり、この連中は、大手のパンフレットを細工して、さも、そこの人間であるかのような錯覚をさせ売り込む詐欺の専門家ということになる。
一般の素人さんでは、なかなか分かりにくいし、揉めて警察を呼んだとしても、これを見破る警官もまずおらんやろと思う。
それが、明らかに誰が見ても紛い物やというのなら、別やが、こういう連中は本物をその店から仕入れる。その利鞘を稼ぐことに徹しとるわけや。
つまり、その品物を正規の34万円で仕入れて50万円で売れば16万円の利益になるということや。
それなら、最初からパンフレットを50万円程度にしといたら不審に思われることもなかったという考え方にもなるやろうが、こういう連中はそうは考えん。
128万円という値段をつけることで、中途半端な金持ちやと思うとる人間は実際にそれで買うことがあるさかいな。
特に成金と呼ばれとる人間にそういうタイプが多い。彼らには、品物を見る眼力はほとんどない。
彼らの価値基準は、それが高価なものかどうかというだけや。高価やというだけで買う。
そして、本物をそれと偽っても高級品には間違いないわけやから、見破られることは少ない。
ただ、中にはヨネヤマのように高いと難色を見せる客もおるから、その場合のテクニックとして、だったらいくらくらいなら買うのかと持ちかけるわけや。
客がその値段を言い、連中がそれで利益が出ると踏めば、それで話をつける。
セイジが、あの時に電話した相手は、おそらく、このカケイのはずや。カケイがその値段でまとめろと指示を出す。そして、その商品を仕入れに行く。
その電話を切った後で、ヨネヤマがゴネ出したから、セイジが恫喝したわけや。セイジにしても、やっぱりだめでしたとはカケイに言うわけにはいかんからな。
是が非でも買わさな立場がない。あのとき「俺の立場がおまへんがな」と言うてたのは本当にその通りやったのやと思う。
「ワシが、これ以上、もう何も言う必要もないやろ」
今度は、この証拠を持って警察を呼べば、明かな詐欺行為というのが分かる。当然、商取引云々のごまかしは利かん。
調べれば、その名刺に書かれとる名前の人間と、○○ふとん店とは何の関係もないというのもバレるやろうしな。
一般では差し出された名刺というのは信用しやすい。しかし、悪徳業者というのは、これを一つのアイテムに使うとるから、頭から信用したらあかん。
所詮、名刺みたいなものは印刷屋に頼めば100枚1500円ほどで簡単に作れるものやさかいな。そして、印刷屋はその名刺の内容の真偽など関係なく作る。
言えば、名刺というのは、自己紹介の一つやと考えといたらええ。悪い奴は、その自己紹介でもええ加減なことしか言わんもんやともな。
「分かった。どうやら、今日のところは、あきらめな仕方ないようや。しかし、ゲンさんとか言いなはったな。あんた、ただの拡張員やないやろ」
「変なことを言いなや。ワシは、れっきとした拡張員や。それ以上でも、それ以下でもないで」
「……そうでっか。また、どこかで、お会いするかも知れませんな」
これは、奴ら一流の脅し文句や。「今度、会うときは気をつけろよ。何度も邪魔しとると、えらい目に遭うで」というのを、暗に仄めかしとるわけや。
「かもな……」
カケイたちは、持って来たふとんを手早くしまうと、帰って行った。
「ゲンさん、どうも、ありがとうございました。でも、もう来ませんかね」
「大丈夫だと思いますよ」
この客には、ワシが絡んどるのは知っとるから、それは心配ないはずや。連中は、確かにあくどいが、せやからと言うて危険を承知でごり押しまではせん。
それに、そんなことをするまでもなく、こういう手口に引っかかる人間は、他にもおるさかいにな。それほど、客に困ることもない。
ヨネヤマは、たまたまワシという人間を知っていて、その性格も知っとるから助けを求めて、事なきを得たわけやけど、普通は、そういう回避方法はなかなかできんもんや。
ワシにしても、この連中に他の誰かが、引っかけられるやろなと想像はできても、それを助けることはできん。また、そうする気もないしな。
そんなことをしてもキリがない。この程度の連中は、それこそ、そこら中におるからな。
せっかくやから、ついでに、この悪質なふとん販売業者の他の手口にも触れておく。
たいていは、まがい物、偽物を掴まされることが多い。すべてとは言わんが、訪問販売での物品販売ではどうしてもそういうのがついて廻る。
騙される一番の要因は、そのものの値段と品物を良う知らんということや。知らんとどうしても、その営業員の口車に乗りやすくなる。
もっとも、先の成金やないが、例え高い物でも本人が納得して買えば、それはそれで正当な商行為になるわけや。誰も口を挟めることやない。
カケイのように、本来決まっているの品物の値段を偽って高く売りつけるというのは詐欺行為になるがな。
ただ、単に高級な羽毛布団ですよと言うて売りつけられただけやと、その詐欺行為を実証するのは難しい。
騙されんためには、売りつけられた商品の適正価格というのを把握しとくしかない。そして、それが把握できん物は訪問販売では買わん方が無難やと思うとくことや。
因みに、今回のふとんについてやが、一般的な綿布団の場合、綿100%の掛け敷セット布団で、有名店のオーダーメイドの手作りでもシングルサイズで高くても4万円程度、ダブルサイズで5万円程度というのが相場や。
羽毛布団になると、それこそ、いろいろあって分かりにくい物が多いから難しい。
今回、カケイが使った高級品というのは確かに30万円台の物もあるが、そんなものは、その大手のふとん店でも滅多に売れるものやない。
また、それを売りつけることもあまりしてないと聞く。それも当然で、最初にそういうのを客に勧めてしまうと、どうしても高いという印象を与えることになる。
普通のふとん店は、いいものを安くというコンセプト(既成概念)を大事にするから、そういう高級品は、よほど顧客からの要望がない限り勧めんわけや。
つまり、最初から、そういう高級品を勧めるふとん屋というのは用心した方がええとなる。それが、訪問販売なら尚更ということや。
羽毛布団は、シングルサイズで4〜5万円程度のものが一般的や。質の悪いアヒルの羽毛布団は、1枚で4,5千円程度と安く販売されとるものもある。
商品を見る目というのは、やはり、そういう店に頻繁に出向いて見るか、その店から説明を良く聞くしかないやろと思う。
そういう悪辣な業者には、クーリング・オフをしてしまえばええと考える人もおられるかも知れんが、それは、あくまでも相手の会社の実態が確かな場合のみ有効な手段や。
カケイのような業者は、その実態がおそらくないはずや。その場で売って金にしようという「かご抜け詐欺」的な手法を働く連中の特徴でもある。
偽物、まがい物を掴ませる業者は言うに及ばずやわな。
こういう連中は、名刺は残しても、契約書の類で縛ることはまずせん。後になって足のつくものは残さんというのが鉄則やというからな。
もっとも、悪徳業者というのは、会社の実態があっても詐欺紛いのことをする所も多いと聞く。
そういう所は、理屈上、クーリング・オフは可能やが、代金を支払うかローンでも組んでしもうとると面倒なことになる場合が多いようや。
一般的に、悪徳業者というのは、代金を貰うまでが勝負と考えとるからな。代金を受け取ってから誠意を持って対処するというのは、まずない。
新聞勧誘も悪徳業者と同じやと言う人間もいとるようやが、根本的にはかなり違う。
訪問販売の営業は、一般的に割高ということがあるが、新聞にはそれはない。
定価が決められとるから、新聞自体をその定価以上で売ることは禁じられとるし、また、そうする勧誘員も皆無やと言える。むしろ、値引き販売する者すらおる。
新聞勧誘は、必ずクーリング・オフができる。
新聞社は当然やが、その販売店も氏素性の分からん業者というのもない。また、拡張団もれっきとした営業会社の形態を取っとる所が圧倒的に多い。
少なくとも、販売店、拡張団は、新聞社との業務提携をするわけやから、信用がなかったらその業務すらできんわけや。その分、何か事があっても責任の所在が明確になりやすい。
そして、何より、ワシらの売っている新聞はまがい物やないという誇りの持てるもんや。すべての情報媒体の中で、もっとも信頼度の高いものとして認知もされとるしな。
他の悪徳業者と同列に見られること自体が心外なわけやけど、残念ながら、その勧誘方法において、若干、ルールに背く輩がおるのも事実や。
それさえなければ、この仕事は、誰からもとやかく言われることのない立派な仕事なんやけどな。
まあ、今さら、愚痴っても始まらんがな。
ワシは、本来なら他を中傷するというのは、あまり好きやないが、サイトにはちょくちょく、他業種の訪問販売についての相談が寄せられることがある。
そんなことは専門外やから知らんと言えばそれまでやが、その相談者が、古くからのサイトの常連さんやったりすると、そうも行かん。
それに、ワシらは、実際に現場でそういう連中と出会すことも多い。自然に分かることもあるから、サイトに掲載せんでもアドバイスをすることがあるということや。
最近、そういうのが少し目立ってきた。
これから折りを見て、いかにも悪辣やと思える業者を順次取り上げて話をしようかと思うてる。