メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第126回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 
    

発行日 2007. 1. 5


■年賀状は営業のチャンス


年賀状というのは、効果的に出せば、営業の有効なアイテムになる。

気の利いた企業や商店あたりでは、どこでも工夫を凝らしたものを顧客に送付しとる。それなりに効果もあると聞く。

通常のダイレクトメール(DM)では、見向きもされんが、年賀状となると、いきなりゴミ箱入りというのはないようや。たいていの人が、ちゃんと見る。

やはり特別なものやという思いが、そうさせるのやろうな。どこから貰うても悪い気のするもんでもないしな。

また、普段、どんなに筆無精でも、年賀状くらいは出すという人も多いと思う。

というより、絶対出さなあかんという、ある種の強迫観念のようなものすら抱く人も珍しいない。身に覚えのある人も多いはずや。

その年賀状に異変が起きとるらしい。出す人間が激減しとるという。それも、ここ7年連続でという話や。

それには、パソコンメールや携帯メールの普及というのも大きいし、長期不況による企業の経費縮小に伴う減少というのも影響があるようや。

これも時代の流れと言うてしまえば、それまでかも知れん。これからも、その年賀状を出す人間は、どんどん減っていくのやろうな。

一般の人なら、その流れに乗って年賀メールで済ませるか、それとも従来通りの年賀ハガキにするかは、好みで自由に選択したらええと思う。

しかし、営業のことを考えるのなら年賀ハガキを出すことを勧める。見て貰える可能性のあるものを利用せん手はないからな。

もっとも、出す相手次第では、年賀メールでの方が効果的かも知れんが、それでも、まだまだ年賀ハガキの方が、日本では主流やさかいな。

それに、ワシら拡張員には、客の住所、氏名はすぐ分かるが、メールアドレスまでは、よほど親しくなって教えて貰わんことには分からんし、ちょっと、年輩の人やと持ってないことも多い。

ワシも、長年、顧客には年賀ハガキを出しとる。

もちろん、すべての契約客に出すというわけにはいかんがな。やはり、そうすることで効果が見込めると思える客だけにや。

ワシの場合は、アパートやマンションのオーナー、地域の町内会長やRTAの役員、客を紹介して貰うたことのある人、年賀状を貰った人なんかが中心やな。

ワシの知る限り、拡張員でそうしとる人間は少ないようや。

せやけど、これは意外性を客に植え付けるということでは効果は大きいと思う。

普段の勧誘時においても「へえー、あんたみたいな人(拡張員)もいてるんや」と思われるだけで、その成約率はかなり違うものになるからな。

拡張員というイメージが、その客にとって悪ければ悪いほど、ちょっとした好印象が増幅されて、勝手に「すごくええ人や」と錯覚して貰えやすいことになるわけや。

加えて、その年賀状を出した客へは、できれば、この1月中に、挨拶を兼ねて顔出ししとくことで、それがさらに印象づけられることになる。

この、客に好印象を与えるというのは、営業員なら絶対に心がけなあかんことやと思う。それで、得をすることはあっても損をすることは少ないしな。

ある顧客同士で、こういう会話を交わしてたことがある。

「たまには、他の新聞も読みたいと思うとんのやけど、どこかええ新聞屋知らんか?」

「それやったら、ゲンさんていう面白い営業の人を知ってるけど、紹介しようか」

「その人間、新聞の勧誘員と違うのか。ああいう連中に、ろくなのはおらんちゅう話を良う聞くけど大丈夫か」

「いや、この人は別や。まあ、いっぺん、騙されたと思うて会うてみたらええ。絶対気に入るはずや」

あるいは、主婦同士の間でも、こういうのがある。

「奥さん、そこの○○新聞のご主人、浮気して揉めて大変らしいという噂だけど知ってる?」

「ええ、ご近所の奥さんが教えてくれはったわ。私んとこ、その○○新聞を取ってるけど、昨日、そのご主人が集金に来て、気持ち悪くて、とても嫌だったわ」

「それやったら、新聞、変えはったら?」

「そうね。来月、契約が切れるから、そうしようかしら。でも、あのご主人、口うるさそうで評判悪いから、新聞変えるの心配だわ」

「大丈夫よ。私、営業でいい人、知ってるから紹介するわ。私も、以前、そこの新聞取っていて、変えると言ったとき、ちょっと揉めたけど、その人のおかげで簡単だったわ。その人、ゲンさんて言うんだけど、とてもいい人よ」

何か、調子の良すぎる話のようやけど、実際にこういうケースがワシにはある。

この紹介客というのは、ワシの経験から言うても、ほぼ100%に近い確率で成約になる。例え、客が話を聞くだけやと思っていたとしてもな。

まあ、積極的に話を聞こうという人間を逃がすようやと、この仕事はやっていけんがな。

普通、新聞の勧誘員を紹介するというのは考えにくいと思われるかも知れんが、気に入られるとこういうこともあるということや。

それには、一般から多少、アウトローというかヤクザな商売と思われとる分、心やすくなることで、逆に頼りにされるということやと思う。

例えは悪いが、ヤクザの知り合いがおって、それを頼りにするのと同じような心境なのかも知れんな。

ヤクザで思い出したが、趣向を凝らした年賀状ということで言えば、奴さんらのそれは、ある意味、突出しとる。

さすがに、ヤクザに対してええ印象を持っとる人は少ないはずや。ワシも、その口や。毛嫌いもしとる。

ただ、ヤクザほど格式ばったことが好きな人種も珍しいのやないかとは思う。律儀さという点においては認めるべきところも多い。

中でも、この年賀状へのこだわりは尋常やないからな。

和紙貼り合せの最高級品のハガキを使用しとるし、代紋を中心に印刷部分には、やたらと金箔が目立つ。

昔は、直筆の達筆な文字が多かったが、さすがに今は毛筆の印刷物が主流や。それでも、かなり金をかけとると思われるがな。

まあ、見栄を張るのがヤクザの生き方やから、それはそれでええ。無理してベンツの高級車に乗っとるのと同じ感覚なのやろうからな。

ワシの昔からの連れ(友人)に、神山(仮名)というヤクザの組長をしとる男がおるのやが、こいつが、毎年、その手の年賀状を寄越してくる。

迷惑というほどでもないが、そんなものを送られても、誰にも見せられん。特に、拡張員仲間には見せたくはない。ろくなことにはならんからな。

団長あたりにも、付き合いのある、そういうヤクザ関係者から同様の年賀状が届く所もある。

個人的な付き合いに関しては、どうこう言うつもりはないが、中には、それを団員あたりに見せびらかす団長もおる。

最近、少なくなったとはいえ、まだ、ヤクザと付き合いのあることが、ステータスの一つと勘違いしとる者もおるようや。

それを見せられて「親っさん(団長)さすがですね」と、よいしょする取り巻きのバカもいとるから、その愚に気づくこともない。

これは、伝聞やが、ある拡張団の団長同士が喧嘩になって、その年賀状を見せ合いしたという笑い話のようなことが実際にあったらしい。

どっちの年賀状が格上かという張り合いやな。子供のカードゲームとちゃうで、ほんま。情けない。

まあ、それでも、その届いた年賀状の威信の差で、恐れ入って喧嘩がなくなったということやから、まんざら、役に立たんものでもなかったようやがな。

水戸黄門の印籠かい!!という、しょうもない突っ込みは止めといてな。恥ずかしいから。

それにしても、人間の競争意識というものは面白いものやとは思う。

普通に考えたら、そんなヤクザな連中と付き合いがあること自体、恥とせなあかんことやが、それを張り合う者同士には、そういう意識は微塵もないようや。

より多くのヤクザを知っとるという恥知らずな者ほど、その勝負に勝ちやと思うとるのやさかいな。

このケースとは違うが、張り合うということにかけては、ハカセも面白いことを言うてた。

ハカセが、初めて心筋梗塞を起こして担ぎ込まれた大阪のある循環器専門の病院に入院してた頃のことや。ここは、昔は、結核療養施設としても有名な所やった。

地元では、ここに担ぎ込まれたら最後、生きて出られるのは難しいという評判の高かった病院でもある。

実際、ハカセの身内の中には、そこに入院したというだけで、葬式の手配をしようとした者もいとったというからな。

ハカセが入院してから1ヶ月が過ぎて、一般病棟に移された頃、そこの入院患者たちが集まって話をしていたことがあった。

話題は、もっぱら、自分の病状に関してのものが多い。

入院したことのある人には分かると思うが、ここでは、病状がより重い方が、偉ぶるという傾向にある。

「私は、余命、6ヶ月と宣告されたんですわ」

と、ある肺ガン患者が、酸素吸引器の管を鼻に突っ込みながら少し得意げに話す。

「私なんか、後、3ヶ月以内に、心臓移植せんと助からんて言われましたわ」と、点滴スタンドに点滴をぶら下げたままの男が負けずに応戦する。

「オレは、後、1ヶ月やと言われた……」と、これもやせ細った肺ガンの末期患者が割り込む。

「負けた」

普通は、ここで、しんみりとなると思うやろが、この後、彼らは、その場で大笑いしたという。

ハカセは、それを聞いたとき、医者から「あなたは心肺停止状態だったのですよ」と告げられたことより、はるかにショックを受けたとワシに洩らした。

と、同時に、この競争意識というか張り合う気持ちというのは、死をも凌駕するのやということを知ったという。

もっとも、同病相憐れむという心境で、その死への恐ろしさが軽減されとったからかも知れんがな。

それらのことは、特殊なケースとしても、人間、この競争意識を持つというのは必要なことやとは思う。

営業は、正にその競争の産物でもあるからな。

単純なことやけど、営業で他より、抜きん出るつもりなら、あらゆるチャンスを生かさなあかん。黙っていても客は飛び込んでは来んさかいな。

年賀状を一つのチャンスと捉えるというのも、それや。

その生かし方は、それほど多いことではないと思う。ただ、それには、その年賀状を送れるだけの人間関係は最低でも作っておかなあかんがな。

そのためには、普段の営業から、それに留意しとく必要があるということや。

はっきり言うて、ワシらは、新聞社や販売店の名を上げても、あまり意味がない。

ましてや、拡張団の名前など、購読者にとっては、選択の対象にすらならんやろうからな。

どこの団の拡張員かということで、新聞の契約を決める客というのは、皆無やないにしても、ほとんどおらんはずや。

ワシら拡張員は、個人で売り上げを伸ばす以外、金にならん。新聞社や販売店の部数がいくら伸びても、ワシらへの実入りはゼロや。

ワシが、常に、新聞営業では、個人を売り込めと言うてるのは、それがあるからや。

確かに、新聞記事の内容や販売店の評判も営業する上で左右されることもあるから、そのブランド名を高める努力は、するべきやとは思う。

ただ、そのブランドを高める努力なり、アシストは、ワシらの成績にはカウントされん仕組みになっとるから、どうしても、個人を売り込むことに重きを置くことになるわけや。

その点、販売店の場合は、店の評判を上げることのメリットの方が高いから、それを重視するべきやと思う。

いずれにしても、この年賀状の効果はバカにしたもんやないというのは、知っておいて損はないと考えるがな。

因みに、優良販売店と言われ評判の高い所は、たいてい、心のこもった年賀状を出しとるもんやというのは言うとく。

これは、ただ出せばええということからではなく、常にいろんなことに気配りをする姿勢の表れとして、その年賀状を出す行為があるのやと思う。


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