メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第130回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2007.2. 2
■役立つ賢い新聞の読み方
新聞を購読しとるのにも関わらず、見るという人間はおっても、読んで役立てとるとまで言い切れる人間は、なぜか少ない。
特に世代が若いほど、その傾向にあるようや。
それがあるから、何か事が起こり、家計を考え直さなあかんとなったときに、真っ先に新聞代を始末しようと考えるのやろうと思う。
解約したいという相談がサイトのQ&Aに、たまに舞い込むことがある。読みもせん新聞代を払うのは勿体ないということでな。
契約期間中ならば、それは自己事由によるものやから解約は難しいと答えるし、ペナルティとしての解約違約金を支払ってでも、そうしたいというのなら、その方法を教える。
もちろん、それは、その人の考え次第やから、ワシがどうこう言う筋合いのものやない。結論は、それぞれが下すしかないとも言い添えとる。
ワシは拡張員として、その新聞を売っとるということもあるのかも知れんが、そこまで新聞の値打ちが下がったのかという思いがしてならん。
どうして、そうなるのか考えてみたいと思う。
ワシらの子供の頃にも、少年漫画雑誌はあったが、今の子供ほど自由に見ることのできる環境でもなかった。
いつの時代でもそうやが、そういう類のものは低俗やと言う大人が多い。子供には悪影響やと。
新しいものを理解する能力に欠けると、そういう反応を示す。
現在で言えば、ゲームに理解を示すことができん大人たちというところかな。
漫画にしろゲームにしろ、子供にとって一概に低俗、有害と決めつけられるもんやないと思う。
ヘタな文学書より、よっぽどためになる漫画はいくらでもあるし、直感力や反射神経を養うには、ゲームはうってつけのものやさかいな。
ただ、何でもそうやが、そればっかりではあかん。
ほどほどにしとけば、有益な場合が多いんやが、熱中するあまり他のことが疎かになることで、それが有害なものと決めつけられる要因になるということや。
当時、理解と金がないという理由で、そういうものから遮られていたワシらに残された楽しみの一つが、図書館で本を借りて読むことやった。
もちろん、子供の頃やから、そんなに難しいものを読むわけやない。
ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』やジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』なんかがそうや。
それらの本を読むことで、空想の世界で遊ぶことを知った。
せやから、ワシらにとっては、本を読むということが当たり前の時代を生きてきたと言うてもええ。活字に対して何ら抵抗がなかったわけや。
対して、それ以降の人は、急速なテレビの普及、あるいは漫画ブームなどの影響で、本を読むことが少なくなり活字離れが進行していったということがある。
視聴覚的な環境で育てば、どうしても好んで本を読むということからは遠ざかる。活字離れにもなるということや。
活字離れは当然のように、新聞を読むという行為からも遠ざかる。
しかし、テレビや漫画が普及して、かなりの年月が経つが、この新聞が廃れたかと言えば、そうはなってない。
インターネットの急速な発達で、不要になったと言い切れるほどでもない。
現在でも、新聞は報道の中心であり、重要な地位を占めとると大多数の人に認識されとる。
そのええ例が「お詫び広告」なるものに表れとると思う。
現在、新聞、テレビで連日にぎわせとる、日本有数の老舗の製菓会社が引き起こした消費期限切れの材料使用に端を発した不祥事は、誰もが知っとることやと思う。
それにより、報道や世論からは袋叩きに遭うとる。再起不能に近いのやないかとさえ思えるくらいや。
まあ、それは自業自得やから仕方ないとして、この際やからと他業者も、こぞって、その消費期限切れの商品を販売していたと一斉に名乗りを上げたのは、どう評価したらええのやろうと思う。
良心的という風に受けとれんでもないが、このどさくさに紛れて「今のうちに言うとけ」という印象も否めん。
先日、某全国紙の朝刊に、実に11社もの同類の「お詫び広告」が踊っていたからな。
これだけあれば、批判が集中することもないやろうという判断やと思う。
加えて、どさくさ紛れにせよ、公表することで、隠蔽してないと印象づけられるという効果を狙うとるとも考えられるさかいな。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」に共通するものがある。
もちろん、ワシが、ここで問題にしとるのは、そんなことやない。
それについて、どういう印象を持つかは、消費者が決めればええことや。一介の新聞拡張員であるワシがとやかく言うようなことやない。
ついでに言えば、ワシは、その製菓会社が売っとるような甘い物を普段から食わんようにしとるから関係もないしな。
2年前の虫歯を抜いた際の惨劇が、今尚、頭の奥にこびりついとる。あの二の舞だけはしたぁないから、金輪際、甘い物は口にせんと誓うたさかいな。
ここでの問題は、それらの業者が、新聞に「お詫び広告」を掲載したということにある。
テレビやインターネット上というのやなく、真っ先に新聞への掲載をすることが、取りも直さず、一番効果的やと踏んだということになる。
これは、去年の野党議員による偽メール事件にも同様のことがあった。その「お詫び文書」を主要新聞各紙に掲載するよう、その被害者が強く求めた件や。実際に、そうなった。
新聞に掲載されれば、テレビやインターネットなどの媒体にも自然に広まる。世間一般では、間違いなくそう認識されとる。
これらの事実が『新聞は報道の中心であり、重要な地位を占めとると大多数の人に認識されとる』という証明になるのやないかと思う。
つまり、ワシが何を言いたいかと言うと、新聞には、それだけの値打ちが今もってあると思われとるということや。
もっとも、普段読み慣れん人に、新聞はそれだけ値打ちのあるもんやから読めと言うても、いきなりは無理な話やわな。
ワシは、若い人、特に学生さんあたりに新聞を勧める場合「あんたは、将来、どんな仕事につきたいんや」というのを尋ねることがある。
「営業関係」という返事があれば、熱を持ってそのために新聞を読むことの意義やメリットを説くようにしとる。
ワシは、拡張員になる前は建築屋の営業を長く続けとったが、その頃も、新聞は良う読んでたもんや。
新聞は、その名の通り、新しく聞く情報の塊なわけや。そして、実に多くの情報が、毎朝届けられる新聞には集約されとる。
一面から順に「総合」と呼ばれるその日のトップニュース、重要ニュースに始まり、社説や投書などが掲載された「主張」「解説」があり「政治」「国際」「経済」「商況」「学芸」「家庭」「社会」「地方」「スポーツ」「テレビ・ラジオ案内」と実に多くの情報が続く。
新聞により、若干、この列びは変わるかも知れんが、それほど大差はないはずや。専門紙はまた別やがな。
営業する上で、この新聞記事に書かれた内容を知っているのと知らんのとでは、えらい違いが生じることがある。
「今日、新聞に、刑事裁判で被害者、及び被害者の家族が独自に加害者へ求刑ができるようになると書いてましたなぁ」と顧客に話を向けられたとする。
その記事の内容を知っていれば「ええ、裁判で直接、被告人に尋問もできるようですね」と言える。
また、このことの意見として「今まで、犯罪被害者の家族は、裁判では蚊帳の外でしたからいいのではないでしょうか」とか「私は、被告人を犯人と断定したり報道に流された判断を下したりすることになって、冤罪を助長する結果にならないかと懸念します」と言って、その話題で盛り上がることができる。
ところが、この朝刊を見てなければ「いえ、知りませんでした」と言うことになる。
ヘタに話を合わせても、それと知れれば信用すら落としかねんから迂闊なことも言えんしな。読んでないと、どうしてもボロが出やすい。
個人相手のワシらのような営業なら、それでもすぐ他の話題に切り替えられるが、企業相手、商売人相手やとそうもいかんことがある。
「こいつは、新聞も読んどらんな」というレッテルを貼られかねんからな。
そういう所と営業せなあかん者にとっては、そんなレッテルを貼られるのは致命的とも言えることや。
年輩の経営者、重役連中は、未だに「新聞も読まん人間」イコール「バカな人間」と思い込んどる者が多いさかいな。
そういう人間は、必ずと言うてええほど、世間話を装うてその手の質問で探りを入れてくるもんや。
一種の人物鑑定テクニックやと思うてたらええ。因みに、この手を使う、企業の求人面接官も多いというのもついでやから言うとく。
これは、相手についての、その情報収集力と分析力、考え方が瞬時に知れるから都合のええ方法でもあるわけや。新聞を読む行為にそれが表れると思うとる。
そういう、海千山千の企業人を相手に営業しようと思えば、そういうレッテルは貼られん方がええわな。
ワシらが、ええ例やが、一度、レッテルを貼られると生半可なことで、そのイメージを覆すことはできんさかいな。
「でも、新聞記事全部に目を通すとなると……」
新聞を読み慣れてない学生さんあたりやと、どうしても難しいことやと思い込んでしまう。
例え、それが必要なことやと理解しても敬遠したくもなるやろうと思う。
また、それなら、わざわざ新聞を買わんでも、インターネットのニュースサイトを見ても同じやないかという意見も当然出てくる。
個人の好みで見るのなら、それで十分や。しかし、少なくとも営業の仕事を志すのなら、それではあかん。
インターネットの利点は、自分の好きな情報を探せることにある。勢い、好きな情報、気にかかる情報しか見ないということにもなる。
クリック機能というのが、どうしてもそうなりやすいからな。
言えば、点としての記事だけを追いかけて見るということや。それらがつながったとしても線としての記事にしか目が行かんということになる。
掘り下げた情報を得るには、インターネットの方が新聞よりええのは認める。
しかし、それが、インターネットの利点でもあり、落とし穴でもあると思う。
営業をかける相手の個性や性格を知り抜いとって、そのための情報を準備をして行くのなら別やが、自分の知っている情報や好みの質問だけを相手がすると限らんわけや。
本人は、様々な面に情報の網を張り巡らせとるつもりでも、知らんかった一つの質問に満足に答えられんかっただけで、相手から「何も知らん人間」というレッテルを貼られてしまうのが、人間の社会というやつなんや。
特に、昔の人間ほど「一事が万事を語る」と信じとるさかいな。
それに対して新聞は違う。
新聞は、それを読む人間の意志に関係なく、すべての記事が面として飛び込んでくるという特性がある。
例え、興味のない記事でも、視覚的に飛び込んでくるわけや。これが、結構、重要な要素になる。
もちろん、それらをすべて読むというのは大変や。
普通、全国紙の情報量は、朝刊の場合、単純計算で400字詰め原稿用紙にして約500枚ほどもある。
B6版の書籍に換算すると300ページ分。厚めの書籍一冊分に匹敵する。
当然やけど、これを全部読み切ろうと思うたらかなり時間がかかる。サラーリーマンが出勤前の朝の時間だけで、そうするのはとても無理や。
しかし、簡単な読み方というのがある。
新聞記事には、すべて見出しがついとる。朝刊で、およそ200前後の見出しがある。
一つの見出しは10字以内とされとるから、すべての見出しを読んでも原稿用紙5,6枚分程度やから10分〜15分ほどで読める量や。
それで、必要やと思える記事をチェックして、後からそれを念入りに読むようにすると効率的になる。
新聞記事は、重要な内容から先に書く。最初の数行(リード)で事実関係と結論があり、後はそれを補足する内容が続く。こういう書き方を逆ピラミッド型と言う。
つまり、記事のすべてを読まんでも最初の数行を読めば、ほとんどの内容を把握出来るように書いとるわけや。
なぜ、こんなことをするのかというと、限られた紙面の編集をするには、その記事の内容の増減をしやすくしとかなあかんということがあるからや。
突発的な事件やビッグニュースなどで他の記事が増えれば、当該の記事を短くする必要があるし、なければ、適当に後で補足して紙面を埋めなあかん。
それが比較的自由にできるようになっとるというわけや。
これが、分かっとれば、当然やけど読むのも早くなる。
せやけど、これは、取り立てて特別なことではなく、新聞を読み慣れとる人間なら、たいていが自然に、そうしとることやと思う。
営業のための情報収集であれば、その程度でええ。相手に話を合わせられるくらいでな。
要は、相手に「新聞くらいは読んでますよ」と伝えられれば、変なレッテルを貼られずに済むということや。
その記事の内容が、営業する商品と関係が深いことなら深く掘り下げて知っとく必要があるやろうが、相手が人物を値踏みする目的で聞いてくるような場合は、それで十分やと思う。
逆に、そのことに関して知識が豊富やとしても事情通ぶるのは嫌味に思われることがあるから、営業の世界では気をつけた方が無難や。
営業で使う雑談程度の情報は、広く浅くということやな。そのための新聞というのは、実にええツールやということになる。
営業以外でも、上司との会話などにおいて、新聞を読んどると思われるのは、プラスになってもマイナスになることはないと思う。
「新聞くらい読んどけよ」と言う者はおっても「新聞なんか読んでアホと違うか」と言う人間は少ないからな。
「そのためにも、今から新聞を読む癖はつけといた方がええと思うよ」と、ワシは、学生さんには、いつもそう説いとるんやけどな。
もっとも、それで、すべてが納得して新聞を取ってくれれば言うことはないけど、世の中、そう上手くはいかん。
いくらそう説明しても分かる人間もおれば、分からん者もおるさかいにな。
せやから、ワシは、最初から、分かって貰えるやろうという人にしか、こんな
手間のかかる説明はせんことにしとる。
ここから先は、おまけの説明や。
もっとも、本当に新聞の賢い読み方が知りたいという人には、結構役に立つ情報やとは思うがな。
新聞は、一面、三面、五面というように奇数ページほど、めくる関係で目につきやすいということがある。
もちろん、作る側もこれは熟知しとる。せやから、重要な記事ほどその奇数面の上部から配置されとるということになる。
たいていの場合、偶数面は、その奇数面の補足的記事が多い。
つまり、その奇数面をパラパラとめくって見出しを読むだけでも、そこそこ情報は拾えるということになる。
浅く知るには、それで十分や。忙しいときに持ってこいの、ちょっとした裏技やな。
さらに、電車の中で新聞を読む場合、センターで新聞をカットしたものを重ねておけば、新聞を拡げて読むこともなく、必要な情報を素早く目にすることもできる。
これは、実際、ワシが昔していたことや。ただ、周りの乗客の視線を気にする人には向かんと思うがな。
真ん中で切り離した新聞を一枚ずつめくって読んどる姿というのは、普通やないのは確かやさかいな。
因みに、広告、とりわけ全面広告の類は、偶数面に配置しとる場合が大半や。ひどいのになると、その偶数面の半分が広告というときもあった。
どこの新聞とは言えんが、そういうのを見たことがある。もっとも、せやからどうやということでもないがな。
ただ、最近は、その奇数面の価値を考慮して、その奇数面に一面の広告依頼が増えてきて、そうしとる新聞もあるから、法則としては、もう成り立たんようになっとるかも知れんがな。
他には、同じ紙面でも右上から左下にかけて、重要な記事が配列されとるというのがある。
これは、人間の視線の流れがそうなっとるからということらしい。
余談やが、本を早読みする場合、斜め読みというて右上から左下にかけて視線を移動させるのが、そのテクニックということになっとる。
反対に、左上と右下がそれからすると死角ということになる。
通常、そういう箇所に、コラム記事や企画記事、ベタ記事が配置されとることが多い。
コラム記事や企画記事については何となく分かるやろうが、ベタ記事とは何やという人に少し説明しとく。
ベタ記事というのは、早い話が紙面の最下位にケイ線で仕切られた記事のことや。広告の上あたりにある下段の小さな記事のことを指す。
ベタというのは、ありきたりという意味の隠語で、特殊性やスクープ性が少ないということを意味しとる。
というても、どうでもええというものでもない。ワシは、雑談のネタに使うのは、もっぱらこのベタ記事が多いさかいな。
この新聞紙面の作り方というのが分かれば、さらに時間を短縮して読めるということや。
仕事上、営業上だけに限って言えば、何もその新聞記事を熟読する必要は、ほとんどないと言うてもええさかいな。
「君、こういう記事が今朝の朝刊に載っていたのやが、知ってるかね」
「ええ、見ました。私には○○という程度にしか分からないのですが、社長のご意見は?」
この程度の会話が営業先で交わせれば、十分ということになる。
営業する相手が新聞を良く読むという人間というのであれば、せめてその紙面の見出しくらいは読んどいて損はないということや。
そういう仕事に役立つ新聞の読み方をするのであれば、月に3000円〜4000円。日に100円〜130円の新聞代というのは、それほど高いものでもないと思うんやがな。
しかも、ワシらから買うたら、いくらか安くもなるし、サービス品も余分に付くから得やと思うがな。
「何や、最後は新聞の勧誘か」と言わんといて。それがワシの仕事やさかいな。
もっとも、このメルマガを読んで新聞を取って貰うたとしても、ワシの成績にはならんから、どっちでもええようなもんやけどな。
ただ、新聞の値打ちというものが、少しでも分かって貰えたら、それでええとは思う。