メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第133回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日時 2007.2.23


■万物皆我に備わる


「ゲンさん、人は何だと思います?」

「あん?」

時々、ハカセはわけの分からんことを言い出す。それも、何の前触れもなく突然にや。

もう慣れたけど、返答のしにくい問いかけが多い。

「人だけではなく、生き物の存在自体、何なんでしょう?」

「……」

あかん。今回は、特に重症のようや。

以前は確か「ゲンさんは、死というものについて、どう考えます?」ということを言うてたのを、このメルマガで話したことがある。

そのときは「人は死ぬときには死ぬもんや」と答えたが、今回は、より難解や。どう、答えてええか分からんからな。

「ハカセ、体の調子でも悪いんか?」

ハカセには、持病の心臓病がある。狭心症で某大学病院に通院中や。

「体調?今年は暖冬のせいか調子はいいですよ」

ハカセの場合は、冬場の寒いときにその発作が起こりやすいという。発作を起こさないまでも、毎年、その冬場はあまり体調が良うないようや。

去年は、今年と正反対で寒い日が続いたことで体調を崩し、肺炎を併発して入院してたからな。

「そうか、それならええんやが……」

人間、体の調子が悪くなると、どうしても精神的にも落ち込みやすい。それが、ハカセのように完治が望めん持病を持っていれば、尚更やと思う。

ハカセは、ワシと違うて、どちらかというと考え込むタイプやさかい、つい、危険な兆候やないのかと考えてしまう。

「あっ、もしかして、ゲンさん、私が世を儚んで、こんなことを言っていると思ってます?」

「違うのか」

「違いますよ。むしろ、逆ですよ」

「逆?」

「ええ、『万物皆我に備わる』というのは、ご存じですよね」

「ああ、確か、孟子さんの教えやったかな」

孟軻(もうか・孟子の本名)は、紀元前320年頃、中国の戦国時代に名を馳せた思想家や。

孔子の直接の弟子ではなかったが、その孔子を熱烈に師と仰いでその学問を完成させたと言われている。

ある人物を一方的に師と仰ぐ「私淑」という言葉は、その孟子から生まれたという。

論語好きのワシは、当然のように、その孟子についても読み漁ったことがある。

孟子の教えで一般的なのは、性善説や。

人の行いは醜い部分も多いが、誰しもその醜い部分を否定、拒否する心がある。その悪を拒否する心こそ、人が生まれながらに持っている善だと説く。

これだけを聞けば、ワシのように人間の裏面ばかりを覗いて生きてきたような者にとっては「世の中には、生まれながらのどうしようもない悪もおるで」と言いたくなる。

しかし、孟子の生まれ育った時代は、権謀術数が渦巻き、殺人や奪略が当たり前のように行われていた戦国の頃や。

人の醜い部分を見てきたことに関しては、ワシなんかの比やなかったはずや。それでも、人には善があると説いたというのは、それなりに評価するべきやし、意味のあることやと思う。

もっとも、その頃の有力者たちに、その思想は、受け入れられんかったようやがな。

『史記』によれば、その頃の有力者の一人、梁の恵王が、その孟子を「迂遠にして事情にうとし」と評したとある。

まあ、その時代に「人民が一番えらく、次に国家、王はそれ以下であり、民の心なくば国は滅ぶ」と説いて廻ったと言うんやから、無理もない話やがな。

しかし、その後の歴史の流れを見ると、人心を失った国家は、ことごとく衰退し滅んでいるのは事実や。今後も、その流れになるのは間違いないやろうと思う。

結局、現代では、その老子の考えに近い、人民が一番えらいという民主主義の考えが世界の主流になっとるというわけや。

まさか、孟子も2000年後の未来に、そういう時代が来ると思うてたわけやないやろうが、先見の明と言えば、言えるのかも知れん。

ただ、その孟子の生まれた国である中国が、現在、その民主主義かというと、その流れになっているとはいえ、疑問符のつくところではあるがな。皮肉を言えばそうなる。

因みに『万物皆我に備わる』とは「天地を動かしている道理は、我が心の中にみんな備わっている」という意味の教えになる。

「さすがですね」

ワシは、小難しい本を読むのは得意やないけど、こういう昔の故事成句の類は好きや。含蓄のあるものが多いし、勉強になる。

特に、営業の仕事においては、それで幾度、救われたか数知れんさかいな。

「それで、これについては、どう思います?」

「そうやな……。自分に自信を持てという意味の教えかな」

「そうですね。私もそう思います。実は、サイトに、こういうメールが送られてきたので、ゲンさんの意見を伺おうと思っていたのですが……」

その文面や。


いつも、楽しくHPやメルマガを見ています。

僕は、関西のある団でセールスを二年している者ですが、いつも成績が悪く団長や班長に怒られてばかりで落ち込んでいます。

僕は気が弱く、お客さんの所に勧誘に行って、口の悪い若い人に「拡張員なんか、学歴のない程度の悪い人間の集まりやないか。そんな仕事を良う続けとるな」と言われても何も言い返せません。

僕自身、高校を留年したことで格好が悪くなって中退しましたから、学歴がないというのもそのとおりですし、程度のいい人間とも思っていません。

営業の仕事に向いてないのは確かですが、30歳になるまで、他の仕事も幾つかしましたが、何一つ、人からほめられたこともありません。

僕は、いつも何でこんなに、だめで情けない人間だろうと考えています。

HPやメルマガにも、役に立つことはたくさん書かれてありますが、僕には、ゲンさんのようには、なれそうもありません。

こんな、つまらない僕ですが、何か自信の持てるような言葉とかはありませんか。あれば、ぜひ、教えていただきたいです。


「そうか、それで孟子の『万物皆我に備わる』か」

「どう、思います?」

「ええとは思うけど、自信ちゅうなもんは、言葉一つで得られるようなもんやないで。悪いけど、その相談者は、考えが少し甘いのと違うか」

実際、そんな便利なものが世の中にあるのやったら、誰も悩んだり、苦労したりすることはない。

自信が持てるか持てんかというのは、あくまでも、その本人次第や。他人が教えられるようなもんやない。

今回、この言葉を、その人間に贈って「がんばれよ」とでも言えば「どうも、ありがとうございました」という返信はあるやろうと思う。

しかし、それだけのことや。言い方はきついかも知れんが、その相談者には何の変化もないはずや。

人間には、気づきが重要な要素なのは確かや。一つの気づきで人生が変わったということはいくらでもある。

ただ、その気づきは、自らが会得するというか、出会いのような場面があって初めて生まれるものやと思う。ほぼ偶然の産物や。

他人から、こんな言葉がええでと言うて教えて貰うても、それは、その人間のお仕着せに近いようなもんやから、本当の意味での気づきにはならんはずや。

おそらく、その言葉自体、すぐ忘れると思う。

「そうなんですよね。私も同感です。おそらくゲンさんもそう言われるだろうとは思っていました」

ハカセは、大きく息をついて続けた。

「それで、相談したわけですけど……。ただ、この『万物皆我に備わる』という言葉の意味を考えていたとき、ふと、気がついたんです」

「どういうことや?」

「この言葉には、もっと別の深い意味があるのではないかと」

「……」

「おそらく、その孟子自身にも、気づいてなかったことかも知れません。あくまでも、この言葉は、精神や考え方について語ったものだと思いますので」

「何が言いたいのか、ワシには良う見えんが……」

「つまり、その言葉の意味を、素直に、そのまま考えてみたわけです」

ハカセの話を要約する。

人体は、約60兆個とも言われる細胞からなり、酸素、炭素、水素、窒素、カルシウム、リンなどの元素から構成されている。そして、体の実に70%が水や。

ここまでは、小中学校でも教える一般常識や。

これ以外にも、人体の構成、および、その活動になくてはならない有機質、無機質の多くが存在する。

体に必要とされる金属物質には、 ナトリウム(Na)、カリウム(K)、マグネシウム(Mg)、カルシウム(Ca)、クロム( Cr)、モリブデン(Mo)、マンガン(Mn)、鉄(Fe)、銅(Cu)、亜鉛(Zn)、リン( P)、セレニウム(Se)などがある。

さらに、体に必要であろうと思われるミネラルも、リチウム(Li)、バナジウム(V)、コバルト(Co)、ニッケル(Ni)、ホウ素(B)、ゲルマニウム( Ge)、臭素(Br)、ヨウ素(I)など数多く存在する。

「自然界の多くの物質が、人間の体内に存在しているか、必要だということです。つまり、老子の言葉通り、正に『万物皆我に備わる』ということになるわけですよ」

それが、冒頭の「ゲンさん、人は何だと思います?」という質問につながったということのようや。

ハカセの話は、さらに熱を帯びる。

「私はね、これを突き詰めて考えると、人間を含めた生物とされる動植物、あるいは無生物だという水、岩石、金属も、すべて、単に、この地球の一部にすぎない存在だと思い当たったわけです。だから、有機質として生きた私たちも死ねば無機質に還るのだと……」

放っといたら、まだまだ続けそうや。

「結局、ハカセの言いたいことは何や?」

こういうのは、正直言うて苦手や。ワシにとっては、どうでもええというか、考えてもどうしようもないことのように思えてならんからな。

「つまり、自分の体の中に、この地球の物質がすべて備わっていると考えれば、個人の能力の優劣など取るに足らないものだと思うのです」

「なるほど、そんなことで気に病まず、もっと自分の存在そのものに自信を持て、ということか」

「ええ、そのことを、この相談者に伝えれば、考え方も変わるのでないかと……」

「それは、どうやろ?」

何度も言うが、どんなに素晴らしい考え方も、自分で気づかんことには意味がない。納得はしても身につくもんやないと思うからな。

「もっとも、ハカセがそれを伝えたいというのなら、反対はせんがな。ただ、一つ、これだけは言うといてほしい」

「何です?」

「自信をつけたいのなら、人に依存する姿勢だけはやめろ、と」

特に、この相談者のように、自分に自信がないから、その自信を持てる手っ取り早い言葉を他人に教えてくれと頼むような姿勢では、救いはない。

自信は、与えられるものではなく、自ら、そう気づき自覚するもんや。それがない限り、自信なんか持てるわけがない。

その相談者から見たら、ワシは自信の塊のように映るのかも知れんが、実際は、劣等感の多い人間で、本人はその自信とは縁遠いとさえ思うとる。

学歴も夜間高校出やし、事業には失敗しとる。この拡張員という仕事も誇れるというほどのものやない。世間の評価も低いしな。

現在の状況を何とか打開したいと考えとるうちに、いつの間にか、歳を食ってしもうた。先も何となく見えとる。もちろん、希望と呼べるものは何もない未来や。

ついでに、頭も寂しくなって、鏡の中には、自分のイメージとは違う「おっさん」がそこにおる。

劣等感や落ち込む要素は、いくらでもある。ただ、ワシの取り柄は、物事にあまり、こだわらん、気にせんというのがあるだけや。

そして、もっと言えば、その劣等感でも、自分なりにええように考えるという得意技もある。

学歴のないのは、営業の上ではプラスになる。当たり前やが、営業の仕事は、相手より高見から見下ろすようなことをしたら絶対にあかん。

「お宅の出身校は?」と聞かれて、「○○大学です」と自慢げに某有名大学の名前を挙げる者がいとるが、そういうのは、営業では最悪や。

その客が、同じ出身校やとでも言うのなら、まだ、親近感が湧くということもあってええかも知れんが、そんな有名校出身の人間なんか、そうざらに世間におるわけやない。

その一言で、間違いなく、ひんしゅくを買う。それよりも「夜間高校出で、がんばっています」と言う方が、よほど受けがええさかいな。

事業に失敗したということも、他人には「こういうことをしたら失敗しますよ」という反面教師的な話ができるから、少なくても営業では、逆に武器になることすらある。

頭の髪の毛が薄いという見栄えの悪さも、相手に優越感を与えることで、これも、使い方次第では有効や。

つまり、何でも、ものは考えようで、良くも悪くも捉えられるということや。

ワシに言わせれば、この相談者のようにその自信のない雰囲気ということでも、営業するには、立派な武器になり得るということになる。

営業の仕事は、何も言葉巧みに話せる者だけが、成功する世界とは限らん。

むしろ、あんな奴がと思えるような人間の方が、成績がええということが往々にしてある。

そして、そういう人間は、どこから、どう見ても頼りなく見えるというのが多い。

その自信のなさが、客によれば、誠実な人間と映る場合があるわけや。

せやから、その自信がないのなら、それがあるかのような素振りを無理に演出しようとするより、本当に自信のなさげな誠実な人間というのをアピールする方が、よほど、成功する確率は高いと思う。

敢えて、その営業法が成功するポイントを挙げるとすれば、そういう人間を好む客を探すということくらいやな。

そんな客がどこにいてんねんと言われても困るが、ワシの経験から言えば、閑静な住宅街の奥さんやご隠居さんたちに、そういう人が多いと思う。

まあ、それも、自分で見つけるしかないがな。ただ、そういう営業もあるのやと自分に言い聞かせれば、自然に見つけられるはずや。

それで、実績が上がるようになれば、放っといても自信がつくのは間違いない。

「分かりました。そう伝えておきます」

『万物皆我に備わる』か。

それにしても、例え、精神論にしても、こういうことを2300年以上も昔に考えていたというのはすごいと思う。

いつか、ワシもそういう境地になってみたいもんや。

まあ、とても無理な話やけどな。


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