メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第139回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日  2007.4. 6


■フカシとネームドロッパーと道聴塗説の話


叩(営業)いとると、客から「拡張員はフカシばっかりやんけ。良う騙されるわ」という文句を言われることが、まれにある。

こう言われると、程度の違いこそあれ、事実の部分も多いので反論もできん。

もっとも、拡張員に限らず、営業員なら誰でも、それと意識せんでも、そうなる場合があるもんなんやけどな。

むろん、ワシも例外やない。

ただ、フカシと嘘というのは、似た意味で使われることが多いが、若干違うと思う。

嘘というのは、明らかに真実と違うことや。営業トーク上の嘘は、どんなことであれ許されるものやない。

しかし、フカシという表現には、その点、微妙なところがある。

嘘っぽい話を大げさに言うことには違いないが、その真偽についてはあやふやな場合が多い。個人の受け取り方次第でも大きく違う。

言えば、嘘に近いグレーゾーンがフカシということやとワシは理解しとる。

このグレーゾーンの営業トークというのを多くの営業員が、それと知ってか知らずか、使うてる場合が結構ある。

ワシは、これをフカシトークと呼んどる。

例えば「この辺りの皆さんに、ご契約を頂いていますので」というトークなんかが、その典型や。

この「皆さん」というのが、どのくらいの人数に達したらそう呼ぶのかというのは、かなり曖昧やと思う。

調べてみても、その明確な線引き、決まりというものはないようや。

ただ、たいていは大人数に対して使う言葉やと考えられとる。

せやから、そう言われた人は「この辺りの皆さん」というのが、「この辺りのすべて」もしくは「この辺りのほとんどの人」と錯覚する場合が多い。

ところが、ワシら営業員は、3人以上、そういう人がいれば、堂々と「皆さん」という言葉を使う。また、そう教えられてもきた。

もちろん、それはそれなりの根拠があってのことや。

第一には「皆さん」という言葉には、安心感を与えることができる、というのがある。

日本人の多くは、他人と違う行動を嫌がる。同じでありたいと願う。その心理が働いて「皆さん」という言葉は、心地よい響きとして聞こえてくるわけや。

「皆さん、そうされてます」「皆さん、買っておられます」「皆さんに、支持して頂いています」「皆さん、喜んでもらっています」

こう言われると、不思議なもので、ついそうなのかと思ってしまいやすい。

営業する側にとっても「皆さん」と言うことで、自信を持ってその商品を勧められる。営業員自身も、その商品が実際以上にええ物やと錯覚するわけや。

商品を売り込むには、その商品の良さを営業員自身が信じてなかったら、客には伝わらんものや。

「皆さん」という言葉には、客の安心感と営業する側の自信を導き出す響きがあるのやと思う。

せやから、営業の世界では昔から、この言葉は重宝されてきたわけや。

中には「その皆さんというのは、具体的には何人?」と、客から尋ねられる場合がある。

そのときに、一人、二人の名前を挙げるだけやと「それは皆さんと違うやろ」と、突っ込まれるおそれが生じる。

それが3人やと「マツさん、タケさん、ウメさんたち皆さんに契約して頂いてます」と、名前を挙げるだけで、それと信用されやすい。

それに、三人集まれば社会ができると昔から言われとるから「皆さん」の最小単位としては、おかしなことはないわけや。

無理やりな、こじつけかも知れんがな。

ただ、三人しかおらんものを「皆さん」と言うには、無理があるのやないかと
いう声も聞こえてきそうや。

しかし、その「皆さん」に、明確な線引きがない以上、そう言うても「嘘」にはならんわけや。フカシ気味ではあるがな。

営業には、多かれ少なかれ、その手のフカシ気味のトークというのは、数多く存在する。

「○○新聞社から来ました」と言う拡張員も、客に「○○新聞社の営業員」という錯覚をさせるから、嘘に近いフカシと言われれば、そういうことになる。

新聞社の協賛、支配下にある営業会社としての拡張団は存在するが、新聞社の社員としての拡張員はおらんからな。

少なくとも、ワシはそういうのは聞いたこともない。

拡張について正しく言うのなら、新聞社から営業の業務委託をされた拡張団が、販売店の要請に従い、その営業業務をするということなんやが、そんな長い説明を、初対面の客にわざわざ拡張員がすることはない。

つまり、一般には、それと分かりにくいから、そのトークでも通用するわけや。

「皆さんに喜んで頂いてます」「当店は安心できる販売店です」「当店は不配、遅配などはしません」「私は良心的です」というトークも、同じようにフカシに近いと言われれば、そうなる。

いずれも、それとすぐに判断することはできんものばかりや。嘘とも本当とも言い切れん曖昧な表現やさかいな。

しかし、営業では、自身や商品を目一杯、アピールするのは、ある意味、自然なことやと言える。また、それが仕事や。せやないと、誰も買わんし、契約もせんからな。

ワシら、営業員は常に、そういうギリギリのトークをしとると言うてもええ。

それを嘘やフカシとそのまま受け取られるか、誠実やと思うてもらえるかは、その営業員の腕となる。人格、人間性を含めてな。

それとは別の意味でのフカシというのもある。

昔から、この業界は、評判の悪いことでは有名やった。

理由は、勧誘員の質の悪さに尽きる。

それには、誰でも雇うという拡張団が多く、そのため素性が知れん人間の集まりやと考えれとったからやと思う。

もっとも、そう思われても仕方なかったのも、また事実やけどな。

この業界に、現役のヤクザ者というのは少ないが、ヤクザもどきというのはいとる。少しかじったか、真似しとるだけの奴や。

そういう雰囲気を醸し出して悦に入っとるバカを何人も見てきた。

また、そういう連中に張り合うとする拡張員もおる。そこで、フカシが入る。

○○組の組長と懇意にしとるとか、兄弟分やとかと言う類が、それや。

哀しいかな、この業界におる人間の中には、ヤクザの知り合いがいとることが、ステータスと勘違いしとる人間もおるわけや。

相手に舐められたらあかんという意識が強いためのフカシやろうと思うがな。

もっとも、これは拡張員に限らず、一般人にもこういう手合いはおる。

ネームドロッパーというのがある。

これは、アメリカでも比較的新しく使われ始めた言葉のようや。

要するに、有名人や権威のある人物を知っていると自慢げに吹聴する人間のことをそう呼ぶ。

これは、そのことが事実かどうかに関係なく、それを言いふらす人間を小馬鹿にした表現で使うときの言葉らしい。

まあ、それも、もっともな話で、有名人や権威のある人物は、その当人だけが偉いのであって、たまたま知っていたという人間には何の実力もないのやからな。

言えば、虎の威を借りる狐みたいなものや。蔑まされたりバカにされたりしても仕方ないと思う。

ところが、この手の人間は、それで大きな顔をしとることが多い。

欧米では、それをジョークにされ揶揄される対象になっても、日本ではなぜか、それがステータスのように扱われる。

その下地があるから、どうしても有名人に知り合いがいとることで自慢したがる人間が現れるわけや。

まあ、それだけで済むのなら、かわいらしいもんやが、たちの悪い奴は、それを利用することがある。

詐欺師にそういうのが多い。

皇室にゆかりのある人間やとか政府高官と親しいと言うては、金を集めて廻る輩や。

日本人は、そういう権威に弱いのか、その手の詐欺事件が後を絶たん。

ネームドロッパーもそこまでいくと犯罪や。洒落やジョークでは済まんさかいな。

古くは、道聴塗説というのがある。

道に聴きて塗(みち)に説くは、徳をこれ棄(す)つるなり。という、論語の一説がその出典や。

意味は、道ばたで聞きかじったことを、そのまま受け売りで話すことや。これをすると、徳、つまり信用をなくすという教えやな。

これに類似したものに「口耳の学」という言葉もある。

正直、これには、ワシ自身、胸にグサッと突き刺さるものがある。

ワシなんか、聞きかじったことを、そのまま受け売りとして話すことが多いさかいな。

「こら、ええ話を聞いたな。どこかで使うたろ」と、常に考えとる。

ワシの話し好きの根底には、それがあると思う。

もっとも、このメルマガで話す場合は、ハカセがその裏付けを取ったり、信憑性のある話を挿入したりしとるから、あまりボロが出ずに済んどるけどな。

普段のワシは、他人に喋るのにそこまで深くは考えとらんから、うろ覚えの聞きかじりで話すことが大半や。

それは、客におもしろがってもらえればええという営業トークとしてしか考えてないからやと思う。

それに対して、抵抗もなければ悪いことやとも考えてなかった。

今回、こういうテーマで話してみて、あらためて考えさせられるものがあった。

嘘→フカシ→ネームドロッパー→道聴塗説。

これらは、密接につながっているように思う。程度の違いで、少しずつ、そう言い換えられとるだけやないのかと。

ワシは、折に触れ、フカシの拡張員を批判してきた。ヤクザもどきの真似をしたがるバカとしてな。

ネームドロッパーというのは、聞き慣れん言葉やったけど、それ事態は新しいものやない。昔からありがちなことや。

そして、これにも批判的やったのも確かや。

道聴塗説というのは、ワシは昔から論語が好きやったから、この言葉は良う知ってた。

もちろん、それがくだらん行為やということもな。

しかし、何のことはない。良う考えたら、それをワシ自身が普段からしてたわけや。

ワシが、この仕事を好きな理由の一つに、人と話すことで自分の知らんかったことが分かるということがある。

そして、それを知れば、それを誰かに話したいという欲求も働く。

もちろん、聞きかじりやから、それについて深く勉強してから話すということはない。

そんなワシのような人間が、人を批判する資格などあるはずもない。

「ゲンさんにしたら、珍しくネガティブな考え方ですね」

ハカセが、元気づけるつもりなのか、そう声をかけてきた。

「ゲンさんの場合は、そういうのとは違うと思いますよ」

「どういうことや?」

「嘘をつくというのも、フカシを言うというのも、あるいはネームドロッパー、道聴塗説にしても、すべて、それをする人の考え方によって違うと思うんです」

「……」

ハカセの言いたいことはこうや。

それらを言う人間の多くは、そうすることで、人に良く見られたい。自慢したい。あるいは、それで人を騙して金儲けがしたい。と、自己中心的な考えから出たというのがある。

しかし、ワシにはそれがないと言う。

そう言われれば、確かにそうかも知れん。

ワシが、他から仕入れた情報なり話は、純粋におもしろいと思うから、話とるだけにすぎんさかいな。

ワシには、人に良く思われたいとか自慢したいという気はさらさらない。

人を騙せるタイプの人間でもないし、金儲けのこともあまり考えてない。

もっとも、それで営業の役に立てとるわけやから、厳密に言えば、カード(契約)にするためということで、その金儲けにつながるのかも知れんが、少なくとも、自分のエゴのためにそうしとるのやないのだけは確かや。

「つまり、そこが根本的に違うところですよ」

どんな行為も自分の我欲のためにすれば、それは愚劣ということになりやすいが、そうでなければ、気に病む必要はさらさらないという。

「だから、ゲンさんが恥じることは何もないわけです」

「なるほどな……」

ものは言いよう、考えようとは良う言うが、こう言われると何か救われた気になる。

たまには、人間、我が身を振り返って、自分の行いについて考えるのもええもんやと思う。

普段、自分自身で見えんものが見えてくるさかいな。


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