メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第140回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日  2007.4.13


■増え続ける無読者について


「ニュースはインターネットで見るから、新聞なんかいらんちゅう若い無読の連中が、これだけ増えてきたら、先は暗いな」

珍しく、班長のヤマモトが、そうぼやいた。

このヤマモトというのは、その実力は一級品やとワシも認めとる男や。

班長やから成績がええのは当たり前やが、営業の何たるかも良く熟知しとる。その明るい性格は誰からも好印象が持たれ、顧客からの人気も高い。

この男の悪口とか陰口というのも、人を悪し様に言うことにかけては抜群の才を誇る団の連中からも、あまり聞こえて来んしな。

ワシも、他の誰かが営業に行き詰まることはあっても、この男だけはないと思うてた。

そのヤマモトに泣きが入っとる。

新聞社はどう考えとるのかは分からんが、現場の人間は、たいてい、ヤマモトと同じ危機感を持って、現在の、この事態を捉えとると思う。

最近、特にその手の報告が新聞関係者からサイトへも多く届くさかいな。

「そうやな……」

ワシは、そう答えたが、もちろん、そんな一言で済む問題やないのは百も承知や。

ワシにしたかて、その無読者対策に関しては、じり貧状態やということには変わりはないさかいな。

「先は暗いな」というヤマモトの言葉が実感として伝わってくる。

営業的には、そういう無読のような難しい客は相手にせんでもええという考えには、さほど変わりはない。

しかし、何もせず手をこまねいて傍観するだけというのも芸がないという気はする。

何とかした方がええとは考える。

昔のワシなら「そんなこと言うてもしゃあないやんけ。ワシ一人が憂いてもど
うにもならんやろ」と、考えてたと思う。

人は人。我が道を行くが信条やったさかいな。

ところが、ハカセと、このメルマガやサイトを開設してから、その考えに少しずつ変化が起きてきたのは、自分でも分かる。

ワシの言うことも多少は影響力があると思い始めたからや。

ワシらのやっているものを、一部ではメジャーなサイトと持ち上げてくれる方もおられるが、所詮、無名の個人が細々とやってるにすぎんものや。

言うても、タカが知れてる。そう思うてた。

しかし、そのタカが知れてるメルマガ、サイトのコメントを、いろいろな方面の方々のブログやホームページで良く紹介して頂いている。

それらの大半は、すごく好意的や。本当に有り難いと思う。

まだ、開設3年弱にも関わらず、先日、サイトの訪問者数が何と通算50万アクセスを記録した。

それも、メルマガの読者、サイトの訪問者、そして、それを紹介して頂いたブログやホームページのおかげやと思うてる。

ワシもハカセも、普段はそれほど、メルマガの読者数、サイトの訪問者数とい
うのにこだわりはない。

それが例え、一日、一人の訪問者しかなかったとしても構わんし、やってることが無意味とも思わん。

このメルマガでは、そのたった一人のために話すことすらある。サイトのQ&Aに至っては、一人のためだけに回答してるわけやしな。

それで、喜んでもらえたら十分やと思うとる。

それでも、現実に50万アクセスというのを目にすると、えらいこっちゃなという気がする。

今まで、どちらかというと、言いたい放題のことを、ただ言わせてもらってただけやけど、何か話すことに責任も感じるような気になる。

あまり、無責任なことも言えんなと。というても、いきなりスタイルを変えるわけにもいかんから、言いたいことはこれからも言うていくがな。

このメルマガの読者、およびサイトのファンの方には、アンチ新聞派、無読の方というのも多くおられる。

せやから、他の拡張員仲間よりかは、その無読の方の気持ち、心情は、それなりに分かるつもりや。

もちろん、無読になるには相応の理由がある。

一番多いのが、金銭的なものや。

多くの無読者は、現在の新聞代を支払うほど、新聞の価値というのを認めとらん。

これは、新聞社自身にも責任があると思う。

それは、新聞社のWEBサイトには、あまりにも多くのニュース記事が日々掲載されとるからや。

そして、それに掲載された記事は、大手検索サイトの多くにも、ニュースとして取り上げられている。

インターネットをする人には、嫌でもそれらの記事が自然に目に飛び込むことになる。

加えて、それとほぼ同じ内容のニュースが、その日のテレビでも報道される。

しかも、インターネット上でなら一社だけやなく、ほぼ全社のニュースを無料で見ることができる。

その気になれば、世界のニュースを知ることも可能や。現に、そうしとる人も多い。

それにも関わらず、1ヶ月、3000円〜4000円もの購読料を支払う値打ちが、現在の新聞にあるのかとなる。

ネット上のニュース記事だけ見ていれば十分やないのかと。

そう思われても仕方がないということや。

特に、若い世代の合理的な人たちからすれば、そういうことになる。

むろん、それに異を唱えることはできる。

このメルマガ『第66回 ■新聞の利点』でも言うたことやが、それに関連した部分を抜粋する。


確かにWEBサイトに公開されとるニュースには、新聞紙面に掲載されとる主なものはある。

しかし、宅配される新聞紙面と同じ内容がすべて載っとるわけやない。

普通、新聞の情報量は、朝刊の場合、単純計算で400字詰め原稿用紙に換算して約500枚程度になる。B6版の書籍にして300ページ分ほどもある。ちょっとした単行本1冊分や。

その内容が、新聞紙面と同等と錯覚するわけや。単に情報量の比較は、WEBサイトのそれと比べても格段の違いがある。

「インターネットで新聞社のWEBサイトを見ているから、新聞は必要ない」という人間は、おそらく、それしか知らんやろから、そう言うわけや。

パソコンに馴染んどる人間には、有料ソフトの無料体験版がWEBサイトに該当すると言えば分かりやすいと思う。

無料の体験版でも、そのソフトの内容は分かる。それを分からせて本ソフトを売るのが目的やから当然と言えば当然や。但し、機能や情報は、本ソフトに比べて少ないし、制限もある。

WEBサイトで満足しとる人間は、その無料体験版で納得しとるようなもんやと思うわけや。


さらに、もう一つ。


利便性ということにも触れとく。その日の情報を目にするために、一番早くて簡単な媒体は、間違いなく新聞や。朝、手にした瞬間から、どこでも見る事ができる。

便所で糞をしながらでも、朝食を取りながらでも可能や。家族からのひんしゅくを買うという問題を別にすればな。

パソコンが万能と思うてる者は、インターネットが便利と考えとるやろけど、それを使える人間だけが、そう言えることや。

パソコンというのは興味のない者にとっては、とんでもない代物なわけや。特にワシらくらいの年代になるとその扱いを覚えるのもきついし、大変や。

それ以上の高齢者では、使えん者やその気になれん者の方が圧倒的に多いやろうと思う。

インターネットをする人間にとって、当たり前の環境が、そうでない者にとっては、とんでもない別世界なわけや。

その点、新聞は人を選ぶことはない。字さえ読めれば誰でも分かるわけやからな。

WEBサイトの記事を見るのはタダやと言うが、その環境を得るためには、ある程度の投資が必要になる。

まず、パソコンの購入とインターネットへアクセスするためのプロバイダーへの加入が最低限必要や。

それにかかる費用はピンからキリまであるが、少なくとも数万円から高ければ数十万円もかかる。

しかも、パソコンなどのハードは壊れるし古くなると買い換えなあかん。それに付随するソフトもいる。コスト面ではかなりの負担を強いられることになる。

新聞にはそういうことはない。手に取った瞬間から見ることができるからな。

見るためのアイテムもほとんど必要ない。敢えて言えば、老眼になった者のための眼鏡か拡大鏡くらいなものやと思う。

コスト面は新聞代だけや。もっとも、その新聞代もワシらに頼めば、地域や販売店によりやけど、いくらかは安くできるけどな。

新聞のWEBサイトを見るためだけに、パソコンを持っているわけやないと反論する向きもあるやろうが、少なくとも、その環境がない者には、それを揃える必要があるということや。

因みに、テレビはどうかという意見も聞くことがある。テレビはスイッチ一つでつく。パソコンに比べて手間も知識も必要ない。ニュース番組などからの情報の入手も容易い。

但し、これにも欠点がある。それは、そのニュースの時間帯を待たんと、それが分からんということや。いつでも、どこでも、という利便さでは新聞には劣る。

もっとも、コスト面で言えば、これが一番安上がりやけどな。テレビのない家というのはないやろうしな。

せやけど、情報は限られる。一部の主要ニュースだけや。たいていのテレビ局で同じニュースが流れとることでもそれは分かると思う。

パソコンやテレビの共通の弱点は、電気がなかったら役に立たんということと、そのハードの存在にある。

停電や故障という問題もあるが、有事の際に用を為さんということも考えられる。その典型なのが、地震や台風、洪水などの自然災害時やろうと思う。

その場を逃げるのがやっとという状態のときに、テレビやパソコンなどのハードを持ち出すことは難しい。

その災害でハードが壊れたり使えなくなったりということは珍しいことやない。また、災害に停電はつきもので、そうなれば使い物にならん場合がある。

しかし、そういう有事にこそ、人は情報を欲するわけや。その点でも、新聞は手にできさえすれば、その情報を得ることができる。

過去、このメルマガでも、新潟中越地震の被災者に新聞を届けとるということを、読者からのメールを通じて紹介したが、新聞配達員は、どんな状況下であっても、その配達を中止するという発想がない。

そういう困難な状況になればなるほど、使命感を持ってそうする。それが、人の介する情報の利点であり、美点やと思う。


これらに加えて、スクープ(特ダネ)記事の扱いというものもある。

新聞社には、WEBサイトでニュースの発信を始めた頃から、スクープ記事だけはネットに流さないという不文律のようなものがある。

これは、インターネットがまだなかった昔、系列のテレビやラジオにすら、そのスクープ記事を流してなかったことの名残りやと思う。

理由は、その特ダネが流失することを恐れたためや。その考えが今も続いている。

このメルマガにも、度々、意見を寄せて頂いている元新聞記者のBEGINさんから、以前、サイトのQ&Aに、その特ダネ記事について教えてもらったことがある。その部分を紹介する。 


特ダネは何なのかといえば、「売る」ためにあるのではなく、ジャーナリストの本質に応え、その能力を磨くために求められているという感覚です。

販売に関してはというと、「あまり関心がない」という他ありません。

会社の根幹の部門が、収入面を第一に考えるというのは一般常識であって、「特ダネが売上に直結してると勘違いしてるのではないか」と考えられるのはもっともなわけですが、新聞編集は全く別の次元で動いているといえます。

日々行われる記事作成の主眼は、「紙面を埋めること」「間違えないこと」「他社とのネタ勝負に負けないこと」であって、「売上げを伸ばす=読まれる紙面を作る」という観点が飛んでいるのは否めません。

「特ダネを書かなきゃ紙が売れない」とか、「読者視点の記事の充実」なんて公には言ってますが、現場記者からすれば言い訳みたいなもんで、全く実情が伴っていません。

再販制度と販売の丸投げで上手く回っている以上、それでやっていけたわけです。

ただ、現場の記者(特に若手)はこれに疑問を感じることも少なくありません。「どうせ仕事をするなら、多くの人に読んでもらいたい」という素朴な思いと、「このままでは紙媒体は廃れる」という危惧感が根底にあるのだと思います。

記者仲間で酒を飲むと時々でてくる言葉があります。それは、「特ダネはオナニーみたいなもんだ」というものです。汗水たらして特ダネを書き上げたとしても、それを読む読者はわずか。

ましてや、それで新聞が売れるわけでもない。残るのは他社に勝ったという自己満足の世界。気持ちいいのは一瞬だけで、次の日からは何事もなかったかのように業務が始まる。

品のよい言葉ではありませんが、一言で言い表そうとしたら、これに尽きるので
す。

逆に言えば、大都市の事件担当などは、日々の業務が相当過酷なので、システムの上で働く以上、そんな疑問を感じていたのでは仕事は続きません。馬鹿にならなければやっていけないのです。

特ダネを打てば会社から評価されますので、それをモチベーションにやっている人も多いかもしれませんが…。

特ダネを追いかけるという作業は非常に重要で、記者の根幹ではあるのですが、それは主に新聞の「公益性」を果たすためのものです。


ということや。

因みに、この特ダネ記事は、新聞が配り終わる時間以降でないと、ネットには配信せんことになっとるようや。

その他にも、ネット上で公開していない記事というのも多い。

紙面の最下位にケイ線で仕切られたベタ記事と呼ばれとるものもその一つや。広告の上あたりにある下段の小さな記事のことを指す。

ベタというのは、ありきたりという意味の隠語で、特殊性やスクープ性が少ないということを意味しとる。

というても、どうでもええというものでもない。ワシは、雑談のネタに使うのは、もっぱらこのベタ記事が多いさかいな。

ちょっとした、雑学ネタも多いので、ワシに限らず、このファンやと言う人も結構多いと思う。

エッセイやコラム、新聞小説、あるいは4コマ漫画の好きな人も多い。

それらは、いずれも新聞を購読することでしか読むことはできんものや。

もっとも、売れっ子作家のコラムや小説、マンガは単行本になることも多いから、それで買って読めると言えばそれまでやがな。

それにしても、新聞紙面のそれは、鮮度が高いのは事実や。真っ先に読めるからな。それに価値を見いだす人には値打ちがあるわけや。

つまり、無読の人を説得する材料は、それなりにあるということや。

しかし、そのことを新聞社は、どこにもアナウンスしとらん。少なくとも、それが一般読者や無読者に届いてないのは確かやと思う。

ただ、例え、そのアピールをしたとしても、それらが、無読者の心を打ち、新聞を購読するようになるかと言えば、かなり怪しいとは思うがな。

興味のない、あるいは無価値と考えとる人間を考え直させ振り向かさせるというのは、何であれ至難なことやさかいな。

次に、無読者となる理由として多いのが、ワシらの勧誘や。

これを嫌う若者は多い。その多くが、学生時代に経験した勧誘の苦い経験からや。

これに関しては、ほぼ100パーセント、勧誘員の責任やと思う。

残念やが、多くの勧誘員は、学生さんに対して甘く考えるということがある。

年齢差からくるものと、社会経験の浅さに対して、そうなる。言えば、子供扱いしとるわけや。

ひどいのになると「学生は脅すに限る」と公然と言い放つ輩すらおる。

そういう勧誘員に遭遇して、えらい目に遭うたという学生さんは、そのことを絶対に忘れん。トラウマになることすらある。

そして、当たり前やが、学生さんもいつまでも学生さんやない。数年もすれば、皆、立派な社会人になる。

それを嫌う人は、大人になっても必然的に無読になる。その当人が無読になるだけならまだしも、それをネット上で訴えることも珍しいことやない。

それに思いが及ばん勧誘員は、毎年、せっせと、その無読となる若者を製造することに力を注ぐ。

さらに無読者を増やす。悪循環や。

たまに、ワシらに苦情を言うてくる拡張員がおる。

「お前らのおかげで仕事がやりにくい。いいかげんにしろ」と。

文面は、気分が悪くなるような低次元のものが大半やから、そのまま紹介する気にはなれん。

本人は脅しのつもりかも知れんが、誰に言うとんねんと思う。脅しは、それをして効果の上がる者にせな意味がない。

そういうものが届けば、ワシらには活力を与えるだけにしかならんからな。無法な拡張員が嫌がるほど、効果があるのかとなる。

ワシらが、えぐい拡張員の対処法を相談者に教えるのは、少しでも、そういった被害者をなくしたいからや。

それが、結果として無読者をなくすことにつながるのやないかと思う。

ただでさえ、ネットに押され気味やのに、これ以上、そういう人間を野放しにするわけにはいかん。

このままの流れやと、新聞不要の論調に、さらに拍車がかかるだけや。

無読というのも、今は、まだインターネットを主体とした若い世代だけの拡がりやが、いずれ、中高年者へも飛び火するおそれは十分にある。

現在の新聞購読者の根幹を担っている中高年者にまで、その無読化が進めば救い難いことになる。

それは、携帯電話で手軽にインターネットができるようになったのと、テレビが2011年に地上デジタル放送に切り替わることと、無関係やないと思う。

パソコンという中高年者には手が出しにくかったものが、もうすでに必要でなくなる社会が目の前に来ようとしとるからな。

インターネットが中高年者にとっても身近になり、それも好きな時間にいつでも操作と呼べんほど簡単に、あらゆる情報が得られる時代になるわけや。

それらと同じ情報をただ羅列するだけでは、もう有料の新聞は売れんと考えなあかん。

差別化できんものに金は払えんと考える中高年者が現れても不思議やないさかいな。

時代の流れというものは怖い。

その昔、多くの人は新聞を購読することが当たり前と言われたときには、例え読まん人間でも、その新聞を購読してたもんや。

貧乏臭いと言われるのを回避するためにだけに新聞を購読していた人も多かった。

新聞を読めば、賢くなると言われれば、それに疑いの余地を挟む人も少なかった。

それらは、すべて世間の風潮に流されたためや。

そういう時代の流れが確かにあった。

今は、その時代の流れが、過去の流れを否定し始めとる。

栄枯必衰の理。

栄えるものはいつかは衰退して滅ぶ。永遠に繁栄することはあり得んことやと昔から言われ続けてきた真理や。

しかし、人間は哀しいかな、その繁栄の最中に、それは考えん。たいていは、衰退が始まってからしか、それと気づくことはない。

もちろん、それでは遅い。

頂点を極めたときは、それに奢るのではなく、そこから衰退が始まるのやという認識にならなあかん。

そうすれば、多少は、それを食い止めることも可能やったと思う。

時すでに遅しの感はぬぐえんが、ワシらも、この仕事を続ける限りは、それでも、あきらめたり悲観したりするわけにはいかん。

その流れに対抗できる手段はある。

デジタル志向に対抗するにはアナログ回帰しかない。

分かりやすく言えば、人と人とのコミュニケーションを重視して、デジタル化の流れに対抗するということや。

いかなる素晴らしい情報であっても、それ自体で心を通わすことはできん。

どんなに時代が進化して発達しようと、その心を通わせることができるのは、人と人だけや。

そのためには、ワシが言い古してきた、人間関係の構築しかないということにな
る。

販売店もワシら拡張員も最後まで生き残るのは、心を通わせた営業ができる者だ
けやと思う。

どれだけ時代が進歩しようと、人間からその心を通わせることを忘れたり、なくしたりしたら終いやさかいな。


これについて、大変有意義な情報と意見が寄せられたので紹介しとく。


送信者 田舎帝王さん  送信日時 2007.4.13 AM 9:38


無読者に対する危機感は年々深刻なものになってきているのですね。

ネットに載る情報と新聞に載る情報の大きな違いは地元地域の話題が取り上げられているか否かの違いじゃないでしょうか。

例えば、新聞なら地域のイベントの情報やお祭りの情報など、事細かに話題を提供してくれています。それに比べてネットともなると、そこまで手広く情報をカバーしているわけではありません。

購読している新聞を基準にネットに掲載されているニュースと比較してみたり、話題性のあるグローバルな情報はネットから、地域に根付いたローカルな話題は新聞からと住み分けて利用するのが一番賢いやり方だと思っています。

また、最近ではミニコミ紙を発行している販売店が多数を占めるようになりました。ネットの普及で地球の裏側の情報は瞬時に手に入るが、自分の住んでいる地元の情報はまったく解らないという、変った現象を起こしています。

政治的、国際的な話題はネットから、広域地域の情報は新聞から、地元の話題はミニコミ紙からと三者の持つ特性を上手く活用してこそ情報は活きてくると思っています。


送信者 Tさん  送信日時 2007.4.13 AM 11:00


はじめまて。いつも楽しくHPを拝見させていただいております。

さて、今回のメルマガについてですが、下記のようにありました。


しかし、宅配される新聞紙面と同じ内容がすべて載っとるわけやない。

普通、新聞の情報量は、朝刊の場合、単純計算で400字詰め原稿用紙に換算して約500枚程度になる。B6版の書籍にして300ページ分ほどもある。ちょっとした単行本1冊分や。

その内容が、新聞紙面と同等と錯覚するわけや。単に情報量の比較は、WEBサイトのそれと比べても格段の違いがある。

「インターネットで新聞社のWEBサイトを見ているから、新聞は必要ない」という人間は、おそらく、それしか知らんやろから、そう言うわけや。

パソコンに馴染んどる人間には、有料ソフトの無料体験版がWEBサイトに該当すると言えば分かりやすいと思う。


しかし、現在ではhttp://www.sankei.co.jp/netview/のように、有料ではありますが、紙面の内容がそのまますべてWEBで見ることができるようになっています。

おそらく、今後この様なサービスをおこなう新聞社は増加する傾向にむかうのではないでしょうか。

なので、「宅配される新聞紙面と同じ内容がすべて載っとるわけやない」とは言いきれせん。

わたしは現在新聞を購読していますが、家人も家で読むため、毎朝職場には持ち出せません。そのため、職場のPCで自由に読むため、WEB利用も検討(併読)しているのですが。


お詫び ハカセ


恥ずかしながら、このことは知りませんでした。

>なので、「宅配される新聞紙面と同じ内容がすべて載っとるわけやない」とは言いきれせん。

確かにそのとおりだと思います。迂闊でした。

ただ、そのメルマガ本文にもありますように、その部分は、『第66回 ■新聞の利点』で掲載したものを引用するとしています。因みに、これは、2005年11月11日発行のものです。

その時点においては、そのことは間違いではなかったわけですが、配慮に欠けていたのは否めません。安易に過去の引用をしたようです。もっと良く調べるべきでした。申し訳ありませんでした。

ご指摘、誠に感謝致します。


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