メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第142回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2007.4.27


■拡張員で成功できますか? 前編


マナブは、1ヶ月前に拡張員になった。

きっかけは、ある拡張員が勧誘に訪れたことからやった。

夕方、インターフォンが鳴った。

「お兄ちゃん、新聞、取ってもらわれしまへんか?サービスしときまっせ」

ドアを開けると、満面の笑みを浮かべた男が、そう切り出した。

新聞の勧誘か……。

その男は、背広を着込んで身なりこそきちんとしているが、そういう目で見ると、どこか胡散臭く映る。

「悪いけど、新聞取るのは無理ですわ」

マナブは、ぶっきらぼうにそう言いい、ドアを閉めようとした。

すると、その拡張員は、身体をドアに挟み込むようにしながら言った。

「そんなこと言わんと、話くらい聞いたってぇな」

「オレ、今、無職で仕事してへんから……」

マナブは、面倒臭そうに言う。

「何や、えらく辛気臭い顔してるなと思うたら、そんなことで悩んでたんかいな。よっしゃ、ワシに任しとき。何とかしたるさかい」

「……」

「どうや、この仕事やってみぃへんか?」

「この仕事て、新聞の勧誘員?」

「せや」

「儲かりますの?」

普段なら、新聞の勧誘員にこんなことを聞くこともないのやが、このときのマナブは切羽詰まっていた。

ワンコール・ワーカーというのがある。

早い話が、日雇い専門の派遣の仕事や。マナブは、それで生計を立てていた。

ワンコール・ワーカーを扱う派遣会社に契約社員登録をする。

すると、その会社から携帯に電話やメールで、仕事の依頼が前日までに入り、OKの返信をすれば、それで契約が成立する。

そのほとんどが、1日、2日の仕事しかなく短い。

登録する人間のスキルによっても多少は違うが、総体的に低賃金の仕事が多い。

それでも、そのうち、ちゃんとした会社に就職するつもりやった。

そう考えて、それまでの食いつなぎのためにと始めた仕事が、もう2年も続いている。

仕事はいろいろや。

警備員、建築作業員、運転代行員、イベント係員など数え上げたらキリがない。

結構、それなりに需要もあり登録者も多い。

マナブは今年で25歳。大学を卒業して数ヶ月間は、あるIT企業に勤めていた。

しかし、そこで上司とぶつかった。

その頃のマナブはプライドも高く、妥協するということを知らんかった。

会社など、他にいくらでも見つけられると思って、辞表をその上司に叩きつけ辞めた。

その結果がこれやった。

いつまでも、こんなフリーターまがいのことを続けるつもりはない。

将来はコンピータープログラマーになりたいという夢がある。そのためのスキルも磨いてきた。自信もある。

しかし、ワンコール・ワーカーに身を沈めると、その日暮らしのことしか考えられんようになる。

収入が極端に安い。日給が6、7000円あればええ方や。それが現実やった。

しかも、それが毎日保証されとるというわけでもない。仕事のない日は、当然のことながら収入はゼロになる。

仕事は、1ヶ月、多くて20日程度しかない。2日に1日の出勤というのも珍しいことやない。

それで、アパートの家賃、光熱費を払うと、食うのがやっとの生活やった。他のことを考える余裕がなかった。

派遣会社に契約社員登録していれば、一応、そこの社員としての待遇は保証されとるのやないかと考える向きもあるかも知れんが、ワンコール・ワーカーにそれはない。

日本の法律では、正社員はもちろんパートでも派遣でも、半年以上働いたら、誰でも労働者として権利を得られることになっとる。

労働基準法では、時間外手当は、25%以上の割り増し賃金が保証され、年次有給休暇も権利として、その派遣会社に要求できる。

一方的にクビを通告された場合は、解雇予告手当てとして30日分の給料を払わなあかんことにもなっとる。

しかし、マナブの契約しとる派遣会社は、契約期間を3ヶ月と決めとる。更新は新たな契約やと説明もされる。

つまり、その対象外になっとるわけや。それに、そういう権利を主張しようものなら、その場で、契約を解除される。

ただ、仕事が劣悪だと文句を言っただけで、契約解除された例は、いくらも見てきた。

それに対して文句を言うても一蹴されるだけやし、訴えるにしても時間と金がかかり過ぎる。

そこで、その仕事をする限りは、黙って従うしかないとなる。それが、ワンコール・ワーカーの運命(さだめ)でもある。

いつかは、この地獄から抜けてやる。

そう考え続けてきた。

ただ、そのためには、苦しくても、この状況で何とか頑張って、金を貯め抜け出す足がかりを作らなあかん。

他の仕事を探すにしても、最低、1ヶ月分の蓄えがなかったそれも難しいからな。今のマナブには、それすらない。

しかも、現在は、1週間ほど、その仕事が入ってない。何日も、カップ麺だけの生活が続いていた。

どうにもならん、追い詰められた状況に置かれていた。

「ああ、儲かるで。月100万ほど稼いどる人間は、なんぼでもいとるさかいな」

「お宅も?」

「まあな」

マナブは、目を輝かせ、その話に興味を持った。

「オレ……、僕でもできますか?」

「ああ、やる気さえあったら、誰でもできる」

「給料は日払いになりますか」

将来的に儲かるという話も捨てがたいが、それよりも即収入がなかったら、今のマナブはやっていけん。

「基本的には、月決め精算やが、希望者には、前借り金やその日の稼ぎの半分を先払いしとる」

「あの、どうすれば……」

マナブは、その気になった。

「詳しいことは、この名刺を持って、ここに面接に行け。ワシから聞いたと言えば、それでいけるように話しとくさかい」

名刺には、○○新聞○○企画株式会社とあった。オオイワの肩書きは係長となっていた。

「明日にでも行ったらええ」と、オオイワと名乗った、その拡張員が言う。

その場で、マナブは6ヶ月の購読契約結んだ。

正確には「結ばされた」やがな。雰囲気的に断れる状況でもなかった。

ワラをもすがりたいというのもあった。

それに、明日、面接に行って、万が一、話が違うとなれば、それからクーリング・オフで解約すれば終いや。

一方では、そんな気軽さもあった。

翌日、そこに行った。時間は午前10時という指定やった。

正直、マナブは多少の胡散臭さというのを覚悟で行った。どうしても、新聞の拡張員には、そういうイメージがつきまとう。

しかし、その名刺にあった会社に行くと、予想に反して、清楚なオフィスという感じで小綺麗な所やった。

応接室に通され、事務員の女性が、お茶を持ってきた。

「担当の者が参りますので、しばらくお待ちください」

まともな一般の会社の対応と何ら変わりがない。

「いや、お待たせしました」

すぐに、小柄やが恰幅のええ中年の男が入ってきて、名刺を差し出した。

総務部長との肩書きがあった。たいてい、これが、団のNO.2になる。名前は、イイダとある。

マナブは、早速、履歴書を差し出した。

「オオイワ君から、お宅の話は聞いてますが、うちの仕事内容はご存知ですか?」

「ええ、新聞の勧誘で拡張員さんだと」

「拡張員オオイワ君が、そう?」

「いえ……」

「うちは、○○新聞社の営業業務を行うセールス会社です。拡張員というのは、一昔前の言い方で、今は、セールススタッフと言います。販売店さんなんかからは、単にセールスと呼ばれてますがね」

マナブは、その一言で、初めて「拡張員」と言ったのは、まずかったと知った。

イイダの物言いから、穏やかながらも、心外やというニュアンスが感じられる。

実際、業界の人間は、外部から「拡張員」と呼ばれることをあまり好む人間はおらん。

どうしても、その言葉には、どこか侮蔑を含んだものがあると考えるからや。

もっとも、一般には、拡張員、勧誘員と言う方が分かりやすいのも事実やけどな。もしくは、販促員という言い方や。

知名度という点では、そうなる。

新聞社から、この業界の者に対して「セールス・スタッフ」と呼ぶよう通達されて、すでに4、5年以上の刻が経過しとる。

ただ、一般にまでそれを積極的に広めようとはしとらんようやけどな。

「拡張員」という言葉は、放送局や新聞社が自主規制しとる放送禁止用語にも指定されとる。

せやから、テレビや新聞では、拡張員とは表現したらあかんことになっとる。雑誌についても、その傾向が強い。

そうすることで徐々に「拡張員」から「セールス・スタッフ」への浸透を図ろうということやと思う。

言うておくが「拡張員」という言葉自体には、放送禁止用語に指定せなあかんほど、差別的なものは何も含まれとらん。

事実「拡張」という言葉は、コンピータ業界をはじめ多くの業種に存在する言い方や。

それにも関わらず、新聞業界でそうするのは「拡張員」というのが、風聞や体裁が、あまりにも悪いからということになる。

名前や呼び名を変えたくらいで拡張員の質がすぐに良うなるもんでもないんやが、新聞社の上の連中はそれが一番ええと思うとる。

というか、イメージを一新するのは、その手の方法しか知らんわけや。 そうしとけば、世間体も保てると考えるのやろうな。

つまりは、名称変更にはその程度の思惑しかないということになる。

もっとも、それは、何も新聞業界に限らず、あらゆる世界に共通することでもあるんやけどな。

その知名度という点で、このメルマガやサイトでは「拡張員」ということで通しとる。

ただ、一時は、ハカセとも話会うて、そのタイトル名の変更を考えたこともある。

しかし、知名度が低いということと、あまりにも語呂が悪すぎるので止めた。

「新聞拡張員ゲンさんの嘆き」が「新聞セールス・スタッフ、ゲンさんの嘆き」では、どこか間延びした印象になるさかいな。力が抜けそうや。

それなら単に「ゲンさんの嘆き」とだけした方がええと思う。

この拡張員という名が新聞社の思惑通り、死語となったときは、そうするつもりや。いつのこっちゃ分からんがな。

その後、条件面を含めて、部長のイイダから、いくつかの説明があった。

仕事時の服装は、スーツにネクタイ着用が必須で、派手なものは厳禁。白や黒のスーツで、柄の悪く見えるようなものも原則禁止やという。

雇用形態は、俗にいうフルコミで、契約分とそれに付随するプレミヤのみの収入となる。

未経験者の研修期間は10日間。研修期間の日当は5000円。その間は1契約に付き1000円の報奨金が出る。

研修期間後は、3ヶ月、6ヶ月、1年の契約を上げると、それぞれ4000円、6000円、8000円のカード料が基本支給されるという。

その他、ブレミヤがいろいろあると説明されたが、かなり分かりにくいものやった。

まあ、それはプラス分になるとのことやから、働いとるうちに分かるからええやろうと思うた。

交通費は全額支給。研修期間中の前借りは原則認めてないが、日々の活動費として、研修期間は1日3000円と契約分の半額が、前渡し金として出るという。

休日は、基本的に月3日から4日程度しかないとのことやった。

「どうだね。こういったところやが……やってみる気はあるかね?」

「一つ、お聞きしたいのですが……、オオイワ係長さんからお伺いしたのですけど、本当に100万円以上も稼ぐ方がおられるんですか?」

「ああ、いとるよ」

「そうですか、それでは、僕も頑張らせてください」

マナブには、大きなチャンスやと思えた。

それに、万が一、失敗したとしても、最低でも1日5000円の日当が保証される。

それが10日間。今のワンコール・ワーカーを続けていたとしても、10日間で、ええとこ6、7日ほどしか仕事できる日がない。

日当は安くても働ける日数が多い分、率としてもかなりええと判断した。

その後、社員登録証、業務契約書、誓約書などを書かされ手続きが終わった。

「早速、今日から始めようか?」

言葉は「どうする?」という打診やが、イイダのそれは、否は言わせんという雰囲気があった。

「今日から?」

マナブは、その心づもりがなかったから、多少、とまどい気味やったが、仕方なく言われるままにイイダの後に従った。

広い会議室のような所に連れていかれると、そこにはすでに数十人の人間が集まっていた。

部長のイイダの姿を見ると、座っていた連中が一斉に立ち上がり「おはよう、ございます」と大きな声であいさつをする。

マナブは、一瞬、奇異な感じに囚われた。ヤクザの組事務所に紛れ込んだのかと錯覚したほどや。

レンタルビデオ店で借りて見るヤクザ映画のそれにそういう場面があったのを思い出す。

拡張団は、そういう、あいさつなどに関して厳しい所が多い。

確かに、昔は、ヤクザ組織との関わり合いが強い時期もあった。

それに伴い悪しき勧誘方法が横行していたのも事実やが、上下関係の規律に関してだけで言えば、ヤクザ組織のそれは徹底されとる。

仕事に規律は必要や。その意味で言えば、悪いことやとは思わん。

この拡張団ほどやないにしても、営業を主とする会社は、少なからず、この規律を重んじる所が多いさかいな。

「オオイワ班長。彼を君の所に預けるから、しばらく面倒見てやってくれ」

「分かりました」

ここで再開したオオイワは、初対面のときの人なつっこさがなく、どちらかというと厳しい感じに見えた。

「どうや。面接は簡単やったやろう?」

「ええ」

そこへ、一人の貫禄のある大柄の男が入ってきた。

団長のハヤシやった。

その会議室の中に緊張感がはしる。それまで、がやがやと雑談していたのが、ピタリと止まった。

それと同時に朝礼が始まった。

団長と部長の簡単なあいさつの後、団員が直立不動となり、順番に昨日の成績報告を始めた。

その都度、部長のイイダが、それをグラフに書き加えていた。

成績のええ者は、どこか誇らしげに言い、悪い者はその反省の弁を加える。そして、今日の目標をそれぞれが掲げる。

団長のハヤシは、それに、一つずつ頷いたり苦言を呈したりしとる。

それらが、一通り終わると、ハヤシは、あるカードを読み上げながら言った。

「新人のサカタ君が、昨日、初カード(契約)を上げた。おめでとう」

団長が言い終わると同時に万雷の拍手が湧く。

マナブもつられて拍手していた。

「それから、今日から、仲間が増えることになった。○○君や」

「立って、簡単に自己紹介せい」

オオイワが横で、マナブに小声で促した。

「ボ、僕は、○○マナブと言います。この仕事は、初めてなので何も分かりませんが、よろしくお願いします」

マナブは、緊張していて、それだけを言うのが精一杯やった。

「はい、頑張って」

団長の言葉が終わると同時に、また拍手が湧き「頑張りや」「頑張れよ」と、あちこちから声がかかった。

マナブは、それらに会釈しながら座った。

「それでは、今日はオオイワ班長やな」

部長のイイダが言う。

それに呼応して、オオイワが、その会議室に大きく掲げられている「社訓」を大声で読み上げ始めた。

最後に「今日も一日、笑顔で頑張るぞ」と、締め、拳を頭上にかざしながら「オー」と叫ぶ。

「オー」、「オー」、「オー」

全員が、ほぼ一丸となってそれに続いた。

会議室全体が震えるような迫力があった。

それで、朝礼が終わった。

各自が、ある者は車で、ある者は電車というように、様々な交通手段により、それぞれの現場に散って行った。

「オオイワ班長、あの朝礼は毎日ですか?」

マナブは、オオイワのグループのライトバンに乗り込んだ際、そう聞いた。

「ああ、そうや」

「すごい迫力ですね。圧倒されました」

「あんなもの、まだまだやで。今はまだ、月初めやから、おとなしいもんや」

「そうなんですか……」

マナブは、このとき、異世界に迷い込んだのやないかと思うたという。こんな所で、やっていけるのかと。

「心配せんでもええ。すぐ慣れる」

オオイワは、マナブの不安を察したのか、そう言った。

「ところで、お前、経験がないと言うてたが、営業したことはないのんか?」

「ありません。イベント会場で商品説明とかはしたことがありますけど」

「それなら、人と話すのは、どうということはないな」

「ええ、それは大丈夫だと思います」

「なら、そんなに問題はないな。この新聞セールスがどんなものか、これでも読んでおけ」

オオイワから、そう言われてA4の厚めの書類の束を渡された。100ページはありそうやった。

それには、表紙に『ゲンさんの勧誘・拡張営業講座』とあった。

「これは?」

「うちの研修用の資料や」

「これを、会社の方で?」

「違う。インターネットにあるやつや。もっとも、社長が勝手に使うとるようやがな。とにかく、勉強になるはずやから、読んでおけ」

ゲンさんの勧誘・拡張営業講座』の内容をプリントアウトして、団や販売店で新人の研修用に使うてるという話は良く聞く。

ワシらに、その許可を求めてくる所もあれば、この団のように勝手にという所もあるようや。

まあ、変な使われ方さえしてへんかったら、自由にしてくれてええがな。勿体つけるほどのもんでもない。

「これ、すごいですね」

最初の数ページ読んで、マナブは素直にそう感じたという。単なるマニュアル本というだけやなく、読んでいておもしろい。

関西弁を使うとるというのもあるが、難しいことを簡単に分かりやすく解説している。

「ああ、ワシもやけど、それで成績の伸びた者も多いで」

これについての評価は、二分される。

サイトに届く評価は概ね好意的やが、一方では、関西弁を使うこと自体がヤクザっぽく胡散臭いというのもある。

まあ、何事につけ、人の見方、感じ方はそれぞれや。

要は、それを見て、どう捉えるかということに尽きる。ええと思える人にはそうやし、くだらん戯言やと感じれば、そうなる。

「これなら、何とかやれそうや」

マナブは、そう思うた。

しかし、現実は、そう思うだけで可能になるほど甘いもんやない。

この後、マナブに厳しい現実が突きつけられることになろうとは、このときは知るよしもなかった。


後編へ続く


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