メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第143回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日  2007.5. 4


■拡張員で成功できますか? 後編


正午過ぎ、目的地の新聞販売店に着いた。

3階建ての真新しいビルや。販売店としたら大きい方やというのは、マナブにも分かる。

業界では、拡張員がこの販売店に行くことを「入店」と言う。

原則として、入店をせん拡張員は、その日、その店での仕事はできんことになっとる。

「おはよう」

オオイワが慣れた感じで入って行く。

正午過ぎで「おはよう」もないと思うかも知れんが、これが業界の普通のあいさつや。

「おはよう、ございます。今日は、何名ですか?」

女性事務員が聞く。

「7人や」

事務員が差し出した入店記録帳に、一人ずつ順番に氏名を書き込む。マナブも同じようにそうした。

「乗り物は?」

「単車2台に自転車2台、頼むわ」

ここへは、乗用車2台で来た。

オオイワとマナブが一台の車で行動し、もう一人が別の車を使う。そう決めていたようや。

「分かりました。それでは、単車に乗られる方の免許証をいつもようにお願いします」

単車に乗る二人の拡張員が免許証を差し出すと事務員がそれをコピーする。

最近でこそ、この店では、無免許の人間というのはおらんようにはなったが、以前は、そういう拡張員も多かったという話や。

一度、その無免許の拡張員が人身事故を起こし、かなり揉めたことがあったので、その有無を調べるためにもコピーを取るのを義務付けるようになったということや。

もっとも、これをしとる販売店は全国的にも多いがな。この店が特別ということでもない。

「ヤマザキさんは1123。オオシタさんは3536のカブに乗ってください」

そう言いながら、事務員がそれぞれにキーを手渡す。

この販売店では、事前にその単車の整備はちゃんとしとるから、その面での心配は少ない。

ガソリンもきっちり入っとる。

その単車を店に返す前には、その借りた人間が、拡張終了時には必ず指定のガソリンスタンドに行って、満タンに補充する決まりや。

店の単車は、普段は配達専用のものや。それにガソリンが入ってなかったら、配達に支障をきたすおそれがあるからな。

ガソリン代は店が負担する。

その単車が、その販売店所有のものやというのは、スタンドの人間は、皆知っとるから、借りた拡張員は、その伝票にサインするだけでええ。

「社長か店長は?」

「社長は、本日、用事で出かけてますが、店長はもうすぐ来ますので」

事務員が、そう言うてたところに、ちょうど店長が現れた。

「早かったですな」

「道が空いてたさかいな」

形通り、拡張七つ道具が拡張員それぞれに店長から渡される。

カードと呼ばれる契約帳1冊。拡域(拡張エリア)地図。社員証。拡禁(拡張禁止)指示書。過去読データ。拡材の洗剤やビールケースなどがそれや。

「オオイワさん。知ってのとおり、来月から、ビール券や商品券は全面使用禁止になるから、あまり使わんように控えてほしいんや。その代わり、若い客には、この映画の無料券を渡してもええから」

「分かった」

このビール券や商品券といった金券の廃止というのが全国的に広がってきた。

金券を使うと、どうしても景品表示法の上限に触れやすいということでそうなったようや。

ただ、個々の販売店で、それがどこまで守られるかというのを疑問視する向きもあるが、少なくとも新聞社としては、徹底して、その指示をするという姿勢のようや。

違反した販売店へは厳罰で臨むと通達しとる新聞社もある。

これは、またぞろ、新聞特殊指定の見直し問題に発展する事態が起きるのを避けようということやろうと思う。

この金券廃止の動きについて、業界では悲観的な見方が強いが、それでも、建設的な所は、魅力ある拡材を考えだせば問題ないという意見もある。

また、そういう工夫をすることでしか、この業界で生き残って行くのは難しいと、ワシも思う。

「終わりは、いつものとおりでよろしいな?」

「それで結構や」

これは、拡張の終了時間のことを言うてる。

たいていの販売店では、夜の8時までがその終了時間になっとる。この店の「いつものとおり」というのもその時間や。

それから1時間くらいが、監査というて、拡張員が取ってきた契約を調査する時間に充てられる。

ほとんどは、コンピータとの照合と契約者への電話でその確認を取る。

それが小1時間程度というのが普通や。それに不具合がなければ「引き継ぎ」ということになり、契約の売買が確定する。

その場で、現金のやりとりをする所もあれば、後日、団の口座への振り込みになることもある。それぞれの店で違う。

それら、一通りの打ち合わせが済むと、入店セレモニーの終わりや。

販売店を出ると、オオイワたちは行きつけの喫茶店があるらしく、そこへ向かった。

そこで、少し長めの昼食タイムとなるのが、いつもの恒例やという。

マナブにとって意外やったのは、拡張員たちのそこでの会話は、すべて仕事のことやったからや。

地域や客の情報話というのが多い。その細かな攻め方を、オオイワが班員に指示、レクチャーしとる。ちょっとしたミーティングを兼ねてということになる。

正直、今日1日で、マナブが思い描いていた拡張員に対する認識が、かなり変わった。

もっと、ええ加減で、胡散臭い人間の集まりやと思うてた。そういう先入観があった。

拡張団と呼ばれる営業会社もそうやったし、販売店もきっちりしとる。それぞれが仕事に真剣に取り組んどるというのも良く分かる。

その長めの昼食後、それぞれが思い思いに散って行った。

「あの、僕は……」

「お前は、今日1日、ワシと一緒におったらええ」

オオイワはそう言うと、ある住宅地に車で移動した。

「運転できるか?」

「ええ」

「それなら、ワシは、今から叩くから、少し離れた所で車を停めてついて来てくれ」

「あの……、一緒に行くのは?」

マナブは、その方が勉強しやすいと思う。

「あかん。大の男が二人で行けば警戒されるだけや。今の時間帯、家にいとるのは、たいてい嫁はんやさかいな。ええか、近くにいとるというのも気取られんようにしといてくれよ」

「分かりました……」

そう言うと、オオイワは一軒ずつインターフォンを押し始めた。

遠目ながら、その様子を見とると留守が多いというのが良く分かる。

オオイワは、インターフォンを押すと必ず頭を下げ、しばらく応答を待っているようや。少し間をおいて、二度めのインターフォンを押す。

それで、応答がないと次の家に向かう。

5軒めくらいで、そのインターフォンに何か反応があったようや。オオイワは、しきりに頭を下げながら話かけとる。

そこには断られたのか、すぐ隣に移動した。

その留守とそのインターフォンで断られることが10数件続いた後、一軒の家の玄関が開いて、主婦が現れた。

オオイワは、例の人なつっこい笑顔で話しかけている。ときおり、その主婦と談笑しているように見えた。

話し込むこと10分くらいやろうか、オオイワは、その主婦に一礼して、こちらに向かって走りだした。

「後ろのトランクを開けてくれ」

マナブは言うままに、足下のシバーを引いてトランクを開けると、オオイワは、すばやく洗剤の箱を数ケース持って、すぐまた、その家に駆け出した。

マナブにも、オオイワが契約を上げたというのは分かった。

オオイワが車に帰ってきた。

「契約、上がったんですね」

こういう時は、拡張員同士やと「おめでとう」と労いの言葉をかけ握手を交わすのやが、マナブにそういうのは、まだ分かってなかった。

「ああ」

「でも、思ったより大変そうですね」

その契約が上がるまで、留守宅が多く、また、何軒か断られるのを見とるから、マナブにはそう感じられた。

「そうか? 始めて1時間弱やから、この時間帯にしたら、これでもええ方やで」

「でも、かなり断られていたみたいですが……」

「ええか、言うとったるけど、この仕事は大半の人間には断られるもんや。そう思うてなやってられん」

「……」

「それに、このペースでも、月収100万は堅いから、十分や」

「へぇー……そうなんですか」

通常、平の拡張員で、プレミヤなしの場合、1本の契約の平均収入を6000円と見込む。

それだけでも、このケースやと単純に時給6000円になる。

1日の拡張時間の平均が6時間やから、1時間に1本のペースで1日6本。1ヶ月の稼働日数を27日とすると、1ヶ月、162本という計算になる。

162本×6000円=972000円になる。これに、プレミヤが必ず付く。

「即入」というて、契約後すぐか、もしくは翌月の1日から配達開始の契約の場合、1本に付き、500円〜1000円が余分に支払われる。

「まとめ」というのもある。その販売店と団との約束で、ある一定の契約数を超えると、そこで上げた契約に対して一律に1000円程度、上乗せされる。

本数によるプレミヤもある。上げた契約数に比例して、その割合が増える。最高で1本に付き500円加算されるという。

加えて、毎月、成績上位者に数万円から十万円程度の報奨金も出る。一時間に1本のペースで契約が上げられるのなら、確実にその上位に食い込めるという。

ボーナスも年4回あり、それも上げた本数に比例する。

これ以外にも、その団特有のプレミヤが出ることも多い。

また、新聞社で行うコンテストの上位者にでもなれば、相当の高額賞金も獲得できる。

「まあ、それは机上の計算や。実際は、もっと少ない件数で100万は楽に行くはずやけどな」

「なるほど……」

マナブは納得した。

その日、オオイワは結局、8本の契約を上げた。その売り上げは5万円以上になるということや。

ボロい。それが、素直な感想やった。それも、見た目にも、契約がどんどん上がってということやない。

断られ、断られした結果がそれやった。その印象が強い。

そういう現場を見たから、マナブも頑張れば、やれるという気持ちが強くなったのも無理はない。

そのマナブから、サイトにメールが届いた。


ゲンさん、はじめまして。いつも勉強させていただいています。

僕は、拡張の仕事を始めて1ヶ月ですが、このまま続けられるかどうかで悩んでいます。

僕が、この仕事を始めるきっかけになったのは……。

中略

1ヶ月が過ぎて、カードを上げられたのが15枚でした。あまりお金になりません。もっと経験をつめば増えるのかも知れませんけど……。

会社から、生活が苦しければ、社宅に入れと言われています。正直、今のままの状態なら、アパートの家賃すら払えません。

同じ会社で社宅住まいをされて、僕と同じく日が浅い人も成績が良くないですが、家賃の心配はしなくてもいいとのことです。

ただ、赤字になるとのことですけど。その人は、今は成績が悪いけど、いつかは稼げるようになると信じているようです。

相談なのですが、このまま仕事を続けても、拡張員として成功できるでしょうか?

アドバイスのほどよろしくお願いします。

追伸

勝手なお願いなのですが、しばらくはサイトのQ&Aには掲載しないでいただきたいのですけれど。このサイトは会社の人も見ている人が多いので。


ハカセは、そのQ&Aに掲載するかどうかは別にして、回答だけは先に送ることにした。送ったのは、かなり前とだけ言うておく。


回答者 ゲン


『このまま仕事を続けても、拡張員として成功できるでしょうか?』ということやけど、すべては、あんた次第やな。

はっきり言うが、拡張員に限らず営業の仕事は、誰がやっても必ず成功するというものでもない。

もっとも、そうかと言うて、何も特別な能力が必要やというわけでもないがな。

ただ、その意欲がないのやったら続けていても望みは薄いとは思う。

営業の仕事は技術的なことより精神的な部分の占めるウェートが大きいさかいな。

どんなベテラン拡張員であろうと、意欲の減退しとるときにカード(契約)なんかは上がらんもんや。もちろん、ワシも例外やない。

この仕事に意欲がなくなったのなら辞めた方がええと思う。こういうことを言うと、業界の人からは怒られるかも知れんがな。

せやけど、普段から、ワシは団の中でもそう言うてる。というか、もっときつい言い方をしとるけどな。

たまに、ワシも新人研修を任されることがある。

その中には、明らかに意欲のないような者や、教えてもらうのが当たり前というのが見え見えの人間がおる。

何か大きな勘違いをしとる。

そういう人間やと感じたら、いつも決まって同じことを言う。

「お前は、見込みがないから、さっさと辞めた方が身のためやで」と。

きついようやが、結果的には、その人間のためになると、考えとるわけや。ある意味、ワシなりの親切心でもある。

まあ、やる気のない人間に教えるのも無駄やし、疲れるというのもあるんやけどな。

事実、そういう人間で経験を積んだからというて、この道で大成するケースはほとんどないさかいな。

もっとも、団長あたりからは「ゲンさん、そんなことは言わんといてくれ」と、いつも小言を聞かされとるけどな。

「せやったら、新人教育なんか任しなさんな」とは一応、やんわりと反論しとる。

ワシほど、人を教育するとか指導するのに不適格な人間はおらんと自分でも思うとる。苦手や。

こういうQ&Aの場合やったら、その判断を相談者に委ねるということで、関連の情報を中心に知らせるようにしとるから、そこまでのことは滅多に言わんがな。

ただ、やる気が失せたときが辞め時やとは思うから、あんたにも同じことを言うてるわけや。

しかし、まだ、あきらめるには時期尚早やと考えるのやったら、もう少し頑張ってみるのもアリや。

向き不向きを判断するのに1ヶ月は早すぎるかも知れんからな。

あんたは『ゲンさんの勧誘・拡張営業講座』を愛読してくれてるとのことやが、どの程度、理解してくれとるのやろうか。

何でもそうやが、そのとおりにしたからと言うて、それでカードがすぐ上がり出すわけやない。

はっきり言うて、そんな便利なものは、この世の中にはないと断言してもええ。

営業の仕事は、そんな簡単なものやない。ワシらのような対面営業は特にそれが言える。

物を売るというのは、当然やけど、売り手と買い手が納得せな成立せんことや。

そこには、損得感情も働くし、お互いの印象というのも大きな要素になる。

人は、いくら、その品物が好条件であろうと、売り込む人間が気にいらんと思えば、買いたくなくなるもんや。

逆に、それほどほしくもない物でも、その営業員を気に入れば、つい買ってしまうということもある。

人間は、それぞれすべて違うさかいな。

ある人間が気に入った者でも、他の人間が毛嫌いするというのは自然に起きることや。

営業法もそれと同じで、ある人間が成功したからというて、それを真似た人間が上手くいくとは限らん。

すべては、その状況次第や。営業に絶対の法則はない。ただ、考え方、気づきによる違いが生じるのやと思う。

その根本にあるのが、それをするかどうかという本人のやる気や。

あんたに、そのやる気が残っとるのなら、頑張ってみるのもええ。

いずれにしても、あんたが自分で決めなしゃあないことやけどな。


その後、マナブから2度ほどメールが送られきて、最終的には、拡張員になるのはあきらめたということや。

しばらくは、ワンコールワーカーを続けながら、IT関連の会社への就職口を探すという。

もちろん、それについては、ええも悪いもない。本人の決定は尊重するのが、ワシの基本的な考えやさかいな。

このマナブに限らず、拡張員は儲かるのか、という質問は良く尋ねられる。

そんなときは、いつも決まって言う。

「儲けられる者もおるが、そうでない者も多い」と。

ワシにはそれしか答ようがない。

拡張員に限らず、すべての仕事に共通して言えることやけど、その道で成功しとる人間は必ずいとる。その反対に、それで挫折した人間もな。

そして、これだけは確かなことやが、世の中には成功した者より、失敗した者の方がはるかに多い。

一人の成功者の陰に10人の落伍者がおるのが普通やと思うとる。実際は、それ以上かも知れん。

格差社会と呼ばれとる現代においては、さらにその傾向が強くなっとるのやないやろうか。成功者の門戸は、かなり狭いという気がする。

ただ、誰しも、その一人の成功者には、なりたいはずや。

その成功者になるためには、やれるという信念とあきらめん気持ち、そして、そのために必要な「気づき」を会得する必要がある。

良く運次第と言うが、運とはその努力をした後に現れるものやとワシは思う。


ご感想・ご意見・質問・相談・知りたい事等はこちら から


メールマガジン・バックナンバー 目次                       ホーム