メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第146回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2007.5.25


■変人タケシの陰謀 Part2 新たなる計画


タケシの退院が迫ってきた。

タケシというのは、半年ほど前に、悲惨な?交通事故に見舞われ長期入院を余儀なくされていた拡張員や。

このメルマガの『第121回 ■拡張員列伝 その6 変人、タケシの陰謀』にその詳細がある。

ただ、それ以前からの読者は、先刻、ご承知のことやと思うが、まだの人で、これからそれを見られるのなら、間違うても食事前に読むのだけは止めといてや。

確実に食欲をなくすさかいな。

そして、今回の話にも、それが言えると警告しておく。

今回の場合も、ハカセには、メルマガ誌上では取り上げん方が無難やと忠告した。前のときと同じように「確実に読者が減るで」と言うてな。

その回の後、幸いにも気分を悪くされて、このメルマガを見限られたという方は、ほとんどおられんかった。

大半の方は、好意的というか寛大やったわけや。それには、一度くらいはということで、見逃してくれたのやろうと思う。ありがたいことや。

しかし、今回もそうやという保証は、どこにもない。

それでも、結局、「こんな、面白い話、黙って放っておくことは、私にはできませんよ」と、ハカセは主張して譲らなんだ。

「それに、ゲンさん、そんなの気にしていたら何も書けませんよ」と、相変わらず、他人の評価に関しては無頓着なようや。

まあ、確かに、ワシらがそんな人気みたいなものを一々気にしても、しゃあないのは確かやけどな。

評価は、あくまでも読者に委ねるしかない。

何を書こうが話そうが、評価する人はするし、嫌がる人は嫌がる。そんなもんやと思う。

万人に喜んで貰える話なんか、おそらく世の中には存在せんはずや。そう割り切るしかない。

ただ、それにしても……なあ……とは思う。

せやから、ここからは、その覚悟を決めた勇気ある人だけに読み進めてほしい。くれぐれも、読み終わって文句を言うことのないように。

今回の話は、『第121回 ■拡張員列伝 その6 変人、タケシの陰謀』の続きみたいなものやから、簡単に、そのあらすじを話しとく。

団の連中からは、タケシは変人やと皆に思われていた。ワシもその意見に異論はない。

団にオオモリという古株の拡張員がおる。タケシは、このオオモリにあることで恨みを抱き、攻撃することを決意する。

その武器は、ウンコ爆弾やった。

その製造方法については、先に紹介したメルマガの内容を見て貰うたら分かるはずや。

悪いが、ここで同じ説明をする気には、とてもやないがなれん。とにかく、とんでもない代物やというのが分かって貰えたら、それでええ。

それを、オオモリに炸裂させる予定の日に、運悪く、タケシは交通事故に遭うてしもうた。

バイクで走っとるときに乗用車と接触して横転したという。そのとき、足を骨折して入院を余儀なくされた。

そこまでなら、良くある交通事故の一つや。

問題は、なぜかその事故現場に、人糞が散乱してたということやった。もちろん、ワシにはそのわけがすぐに分かったがな。

「タケシの奴、糞まみれになって、救急車で運ばれたらしいで」と、そのことを、ワシに電話で知らしてきたのは、本来なら、その糞まみれになっていたかも知れん、オオモリからやった。

電話の向こうから、そのオオモリの大笑いする声が聞こえた。

この件で、しばらくの間、タケシは物笑いのネタにされた。それも、その中心にオオモリがおったわけや。

タケシの恨みの念がさらに深くなるのは、想像に難くないわな。

その回のメルマガの話は、そこで終わった。

しかし、現実にジ・エンドはない。

タケシは救急病院に担ぎこまれた。

通常、足の骨折程度やったら、リバビリを含めても3ヶ月もあれば完治する。

ところが、タケシは全治6ヶ月を要した。

その性質同様、骨も普通の折れ方をしてへんかったわけや。

骨折は、一箇所の場合を単純骨折、複数、もしくはバラバラになって折れてたら複雑骨折と思われがちやが、そうやない。

単純骨折とは、骨折部が体外に開放(飛び出すの意)していない骨折のことで、閉鎖骨折とも呼ばれる。

対して複雑骨折の場合は、骨折部が体外に開放しとる骨折のことをいう。

折れた骨が体外に露出していた場合、感染症などの治療も複合的にやらなあかんようになる。

つまり早い話が、医者側から見た場合、骨折だけの単純な治療で済むものが単純骨折。感染性などのやっかいな治療を要するものを、面倒なという意味を込めて複雑骨折と呼ぶわけや。

折れ方には関係ない。骨が体外に出てなければ、何カ所骨折があろうと単純骨折となり、一箇所で、しかも、きれいに折れていても、体外に骨が出ていれば複雑骨折となる。

タケシの場合は、単純骨折やったが、その折れ方に問題があった。

骨折箇所は、大腿骨骨幹部といって、ヒザから上の太い骨や。交通事故では良くあることらしい。

ただ、この部分は、金属製の棒やプレートを使って固定する緊急手術が必要になるということや。

タケシも担ぎ込まれた病院で、すぐその応急手術が必要となったが、その折れ方が異様だったため、それに合う金属製の棒がなかった。

その異様な折れ方というのは、ほぼ等間隔で4箇所、ダルマ落としのダルマのように別れて骨折していたというものや。

ワシも、後日、病院に行って、タケシからそのレントゲン写真を見せて貰うたとき、正直、笑いをこらえるのに苦労したさかいな。

まるで、新しい関節が増えたかのようやった。その部分のアップだけを見せられたら、誰も人間のそれやとは思わんはずや。

人間の骨がどうすれば、あんな風に折れるのかと思う。

普通に考えて、一箇所でも折れたら、その部分だけに力が集中するはずや。

衝撃が強すぎれば、そこだけ骨が外に飛び出し、言うところの複雑骨折になる。

4箇所、きれいに等間隔で折れとるということは、ほぼ同時にその4箇所に同じ衝撃力が加わったということになる。

そんな偶然というかタイミングというのがあるのやろうかと思う。

しかし、骨は、現実に、その等間隔で折れとるのやから、そのなさそうなことが実際に起きたということになる。

急遽、病院の指定の業者に連絡して、その金属棒を取り寄せさせ、手術を始めることになった。

ただ、何でもそうやが、物事は後手に回ったら、あまりええ方向には転がらん。

その緊急手術中、持って来させた金属棒が僅かやが長すぎて使い物にならんことが分かった。

しかし、そこは、さすがに救急病院の外科医や。素早い判断を下した。というても、手術を途中で止めたわけやない。

手術自体は、無事終了させた。しかも、その金属棒を予定どおり埋め込んでや。それも無理にということやない。

「こらあかんな。合わん。誰か急いで隣に持って行け。3ミリ削ってくれと言うてな」と医者。

「分かりました」と答えた若い女性看護師が、一度、タケシのその足に突っ込んで血まみれになっていた金属棒を持って手術室から走り出た。

その病院の隣というのは、街の小さな自動車工場やった。

その自動車工場に持ち込まれた金属棒を、タダシという、そこの工場主の息子が、グラインダーを使い手慣れた手つきで削った。

十分後。その金属棒は、無事、タケシの足の中に収まった。

せやけど、ここで読者の方の中には、何でそんなことが分かったのかと訝る人もおられるやろうと思う。

間違うても、その医者や看護師が、患者であるタケシにそんなことは教えんはずや。実際、タケシも医師や病院側からは、そんな話は聞いてないしな。

医師と女性看護師、また隣の自動車工場の息子らの、その鮮やかな連携プレイからすると、とてもそれが初めてのことやとは考えられん。

何度かあるのやと思う。もちろん、必要に迫られてやむを得ずやろうが、そんなんでええのやろうかと他人事ながら心配する。

しかし、万が一、その病院に、その外科医と隣の息子がいてなかったら、タケシの足はどうなってたか分からんかったという。

ヘタをすれば、足の切断まである。

その意味では、適切な処置やったと言える。

せやけど、人体の中に埋め込む金属棒がいくら長かったからというて、自動車工場のグラインダーで削られた物を入れられたと知った人間の気持ちはどうなのやということになる。

また、このことが外部に知れたら、どうなのかという問題にもなる。

その病院の信用問題にも関わるはずやし、適切な医療行為と呼べるのかという疑問も湧く。

例えそういう疑惑があっても、ワシは、その事実を誰にも教えるつもりはないがな。

個人的な悪事を暴き立てんのが、ワシの信条でもある。そんなことを一々していたら、キリがない。

ワシは、そういう世界で長く生きてきたからな。

このケースは、そのやり方はどうあれ、よかれと思うて一生懸命やった結果やと思う。不適切な医療行為と呼ぶには、あまにもかわいそうやという気もする。

もっとも、その外科医にしたら、数多い患者の治療をするのに、機械的に処理しただけなのかも知れんがな。

それこそ自動車や機械部品を直すのと同じ感覚で。

ただ、それで上手くいったからええようなもんの、それが何かの不具合、不都合を生み、医療ミスということになって大問題に発展したら、どうすんねんと言われても困るけどな。

ここで、その事実が分かった種明かしをしようと思う。

その手術から3日後。その金属棒を削った隣の息子、タダシが、こともあろうか、足を骨折して、その病院に緊急入院をした。

しかも、タケシの隣のベッドに寝かされた。それで、お互いのことを話とるうちに、それが分かったというわけや。

偶然と言えば、それまでやが、つくづく世の中は面白いなと思う。

「すると、あんたはいつも、そんなことを頼まれとるのか?」

そう、タケシが聞く。

「いつもというほどやないが、たまにな」

タダシは、タケシが同年代と知り、気軽にタメ口で答えた。

「せやけど、手術中の身体に使う部品やと言われて頼まれたら、削るのに緊張するやろ?」

「別に。そんなもの、車のシャフトやボディ削るのと大して変わらんで。オレは、ただの修理工や。部品を加工してくれと言われたら、たいていは黙ってそうするからな」

「……」

「それにしても、けっさくやな。まさか、あのとき削った棒が、あんたの足に入っとるやなんてな」

「オレは、礼を言うべきなんかな?」

タケシは、気分を害して皮肉まじりにそう言うた。

病院のええ加減さもやが、このいかにもデカシーのないタダシの物言いに少し腹が立った。

もっとも、タケシが他人にデリカシー云々を求めるのは、ワシとすれば異議ありやけどな。

「ええよ。そんな礼なんか。実を言うとな、あのとき医者から頼まれた寸法より多めに削ってしもうたんや」

「多めにて、医者は何も言わんかったんか?」

「ああ。予定より短くなったのは知ってたやろうけど、使えたのとちゃうか。あんたの足に入れとるんやから」

「そんな……、どうも、ないんか?」

「さあ、オレは知らん。医者とちゃうから。何も言うて来んということは、どうもないんやろ。まあ、この病院の医者は、たいていその場だけ上手くできたらええというのが多いけどな」

「そうなんか?」

「そうや。オレ、本当は、この病院に入りたなかってん」

「何でや……」

「この病院のことを知ってる人間は、たいていそう言うで」

地元では、ここに担ぎ込まれたら、ほとんど助からんという噂で有名な病院やという。

もっとも、そう噂される救急病院というのは珍しいことやないがな。

もともと、救急病院に運ばれる患者は、病気にせよ事故にせよ、文字どおり生きるか死ぬかの瀬戸際の人間が多い。

結局、助からず死体となって病院を出る患者も相当数おる。それだけに目を向ければ、そういう噂が立っても仕方ないとも言える。

しかし、この病院は、それだけやないという。

患者をモルモット扱いするとか、葬儀屋と結託して死人を増やしているだとかの噂が絶えんらしい。

それと関連があるのかどうか分からんが、「恐怖のワゴン引きのハナコさん」という話が、この病院にはあった。

入院患者でそれを知らん者はおらん。当然、タケシも知っとるし、実際にえらい目にも遭うとる。

ハナコという見習い女性看護師が、点滴道具一式を乗せた台車を押し始めると、各病室の入院患者は一目散に逃げ出すという。

ある者は、屋上へ。ある者は、トイレに籠城する。また、ある者は意味もなく病院内の徘徊を始める。というより逃げ廻っとるわけやがな。

動ける者は、それでええが、タケシのように身動きの取れん者はどうしようもない。

そのハナコが初めて、タケシの前に現れたときの話や。

まだ、二十歳前で看護学校に通っているという、アイドルタレント顔負けのかわいらしい娘やった。

「タケシさん、点滴をしますからね」と言う初々しさに、「なんて、かわいい娘や」と一目惚れしたという。

因みに、タケシは一見、50歳過ぎのおっさんと見間違えられことがあるが、まだ30歳前の独身や。

しかし、その僅か5分後、タケシは地獄を見ることになる。

腕に刺された点滴針の近辺が、見る見る間に、紫色に腫れ上がり激痛が襲ってきたからや。

「あ、あ、あ。ごめんなさい、ごめんなさい」と、ハナコはただ、ただ謝るだけやった。

ハナコが刺した点滴針は、血管を貫いて、そこに薬が流れた。こういうのを「漏れる」という。

ベテラン看護師にはそういうのは少ないが、見習いやと往々にしてそういうことがある。

慣れんうちは、どこの病院でもありがちなことやから、仕方ないが、ハナコには学習能力というのが皆無やった。

そういうことが、二度あり三度続くと、いくら鼻の下を伸ばしてたタケシも「堪忍してくれ」と悲鳴を上げるようになる。

動ける患者が逃げ出す気持ちが、嫌というほど分かった。

人間、不思議なもので、そういう苦痛や恐怖を与え続けられると、どんなにかわいい顔も悪鬼のそれに見えてくる。

その後、タケシは、廊下で、ハナコが押すワゴン車の音を聞く度に、地獄に引き込まれそうな錯覚に囚われたということや。

ハナコのような看護師が、何のお咎めもなしに働き続けられるこの病院には、絶対に問題がある。

タケシはそう確信しとったから、タダシの話も大いに理解できるものやった。

タダシもできれば、他の病院に入院したかったが、隣やから仕方なかったのやと洩らした。

えらい所に運ばれた。

「何でオレだけが、こんな目に遭わなあかんねん」とタケシは思うた。

「皆、あのオオモリのせいや。あいつのおかげで、こんな目に遭うてんねや。治ったら絶対に復讐してやる」

そう、タケシは改めて誓った。

オオモリが、カード(契約)を一人占めにしたり、横取りしたりするような真似さえせえへんかったら、タケシも復讐しようとは考えんかった。

そうなれば、あのウンコ爆弾も製造してへんかったし、事故に遭うてこの病院に運ばれることもなかったはずや。

皆、あのオオモリが悪いと考える。

こういう風に、自分のしたことや結果を他人のせいにして、その人間を恨むという思考の持ち主も珍しいことやない。俗に言う、逆恨みというやつや。

ワシも、オオモリに、まったく非がないとは言わんが、こういう逆恨みするような男に同情する気にはなれん。

事故に遭遇するのは、本人の責任もあるし、そのときの運というのもある。少なくとも、その一点に関しては、オオモリには何の責任も落ち度もない。

もっとも、そのウンコ爆弾のせいで、この病院に送られたのやいかという想像はつくがな。

救急隊員が二人、事故現場に到着する。

「おい、何やこの臭いは?」

「ウンコや。ここに糞まみれの男が転がっとるで」

「どうする? こんなん、どこも引き受け手がないで、多分」

「○○救急病院はどうや」

「せやな。あそこなら、金になりさえしたら、どんなんでも引き受けるやろうからな」

「しかし、断られたらどうする?」

「あそこがあかんかったら、運がなかったて、あきらめて貰うしかないやろ」

それで、運良く?この救急病院に運ばれてきた。

断っとくけど、これは、あくまでもワシの想像やさかいな。まあ、「中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず」とは思うがな。

ワシは、その病院のあるバンク(営業エリア、主にその販売店を指す)に行ったとき、退院間近のタケシの見舞いに立ち寄った。

「どうや、具合は?」

「あっ、ゲンさん。おかげで、やっと、退院の目処がつきましたから」

「そうか、それは良かったな」

「本当に長すぎました」

タケシにとって、それが正直な気持ちやった。よくぞ、この病院で生き残ることができたとの思いもある。

「うん? それは何や」

ワシは、タケシのベッドの下に置かれていた、少し大きめのビンに目が止まって、それを手にした。

「さすが、ゲンさんですね。目聡い」

タケシはそう言うて、ニヤリと笑った。

ワシは、本能的に危険なものを感じた。

そのビンの半分に、黄色みのかかった白っぽいドロドロとした液体のようなものが入っていた。

「それ、痰ですわ」

「痰? て、まさか……」

ワシは、思わず、そのビンを落としそうになったが、急いで元あった場所に戻した。

「何で、こんなものを?」

「第2弾ですわ」

「第2弾て……、それで、またオオモリを狙うつもりか?」

前回はウンコで、今回は痰か。ほんまに、このタケシという男は、良うこんなことを続けて考えつくもんやと感心する。

「ゲンさんだけに、教えますけどな、実は……」

タケシの計画とはこうや。

タケシは、例のウンコ爆弾はあきらめた。リスクが大きすぎる。

それに、与える効果は、単に汚いという精神的なものでしかない。最大効果として、その糞まみれの姿が、みんなの笑い物になるくらいや。

タケシが落とされた、この地獄の苦しみからしたら、そんな程度の仕返しでは生ぬるすぎる。というて、タケシに、直接、オオモリを攻撃するほどの根性はない。

例のウンコ爆弾にしても、夜の闇に乗じて背後からしのび寄り投げつけて逃げる腹やったという。

今も、それと同じ考えに変わりはない。攻撃は人知れず加えるつもりらしい。

「その痰の中には、インフルエンザに罹った患者の分も混ざっているんです」

「何やて? お前だけの分やないのか?」

タケシは、半年近くも入院しとるから、必然的に病院内をうろつくことが多くなった。

つい、最近、インフルエンザから肺炎になって入院した男と仲良くなった。その男は、痰がからんで大変やとぼやいていた。日々、かなりの量が出る。

あるとき、その男に頼まれ、痰つぼでその男の痰を受けたとき「これや!!」と閃いたという。

翌日、大きめのビンを探してきて、その男に「これを痰つぼの代わりにしてほしい」と頼んだ。

それから3日間、その男は、そのビンに痰を吐き出したが、退院してしもうた。その後は、仕方ないから、タケシの痰で補給した。

そして、約一週間かけて、ここまで集めたという。もうすぐ退院する。それまで、この中のインフルエンザ・ウイルスは死滅せんはずや。

退院したら、この特製の痰をオオモリに飲ませる。その計画も万全や。

オオモリは、コーヒーに目がない。特にウインナーコーヒーが好物や。

退院したら、忠実なオオモリの下僕を装い、「オオモリさん、オオモリさん」とおだてる。

オオモリはアホでおだてに弱いから、必ずそれで油断する。

ウインナーコーヒーは、泡立てた生クリームをたっぷりと浮かせたコーヒーや。その泡の部分に、隙を見て、この痰汁を少量混ぜる。

見た目にも、それと見破られることはない。しいて言えば「今日のコーヒー、ちょっと味が違うな」と言う程度や。成功の確率はかなり高い。

すると、この中のインフルエンザ・ウイルスがオオモリの体内で繁殖して、2、3日後には、めでたくインフルエンザに罹るはずや。

これなら、毒を盛るわけやないから証拠が残らん。結果としてインフルエンザになるだけやからな。

タケシの味わった十分の一程度の苦痛でしかないやろうけど、それでもいくらか溜飲を下げることはできる。

「止めとけ。それは必ず失敗する。ヘタしたら、お前はテロ行為犯としてお縄になるで」

「どういうことです? どこか、計画に拙いところでもありますか?」

「お前の言うところまでの計画は成功するかも知れん。せやけど、お前は、オオモリという男を知らなさすぎる」

「……」

ワシは、去年の1月にインフルエンザに罹ったことがある。

ワシは、自分の健康には人一倍気をつけとる方やから、滅多に風邪すら引いたこともなかった。

そのワシが、インフルエンザに罹った。それをうつしたのがオオモリや。

そのときの話は『第77回 ■鬼の霍乱』の中で言うてる。

その部分や。


「オオモリさん、何か辛そうやな。今日は休んどったら良かったのに」

タケダという仲間が言う。もちろん、心配ということも多少はあるが、それ以上に、うつさんといてくれよという思いの方が強い。

「いや、こんな風邪なんかで休めん。それに、風邪は、誰かにうつしたら治りが早いと言うしな」

普通の奴が、こういうことを言うても、ただの冗談で済む。もちろん、オオモリも冗談で言うたことかも知れんが、そのときは誰もそうとは受け取らんかった。

オオモリなら、本気でそういうことを考えかねん。皆の共通の認識や。一斉に横を向いて、知らん顔をしてたことでも、それが分かる。

当のオオモリはと言えば、これ見よがしに咳を連発しとった。そんなこと、ばっかりしとったら、ええ死に方はせんで。ほんま。

その日は、いつもより多めに、お茶でのうがいをした。

しかし、そんなもので、何とかなると考えてたワシが甘かったということになる。

やはり、アホのひく風邪は尋常やないということや。ワシ以外にも、その車中に同乗しとった拡張員が全員、インフルエンザに罹ってやられてしもうたからな。

今更ながらに、おそるべき奴やと思う。

幸い、ワシの熱も3日ほどで下がり快方に向かったから良かったようなもんやが、これが、現在、世界中に懸念されとる鳥インフルエンザの変形タイプにオオモリが冒されたら大変なことになるのやないかと思う。

ワシが、こんなめに遭うくらいやから、その被害は想像を絶するものになるのは間違いない。

万が一、そういう事態にでもなれば、オオモリを消却処分にするしか、人類の助かる道はないのやないやろか。そんな気がする。


「ということや。悪いことは言わん。止めといてくれ。それでやられるのは、間違いなく、ワシらやさかいな」

「だめですか……、ええ作戦やと思うたんですけどね」

「一つ、忠告しとくけど、これ以上、なるべくオオモリとは関わらん方がええで。ろくなことにはならんと思う」

実際、このタケシを見ていたら、オオモリ憎さに関わりすぎ、どんどんドツボに嵌っとるように見えてならん。

結局、何もせんうちに、オオモリの勝ちが決定するのやないやろうか。

「分かりました。あきらめます」

「そうか、分かってくれるか」

「ええ、他の作戦を考えますわ」

「……」

こら、あかん。

もう好きにやってくれ。というても、どうも、ワシも知らん間に巻き込まれるような気がしてならん。冗談やないで。まったく。

ワシは、憂鬱な気分で、その病室を後にした。

廊下をすれ違った若い女性看護師が、点滴道具やら注射器を乗せたワゴン車を楽しげに押していた。


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