メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第153回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
     

発行日 2007.7.13


■ゲンさんの決断 前編


「ハカセは、どう思う?」

「どうと言われても、ゲンさんが決められることなら、それでいいと私は思いますけど」

「そうか……」

ある昔なじみの販売店の店主から、専拡として来てくれんかという誘いがあった。

その男の名を仮にイケダとする。イケダは昔の拡張員仲間やった。

拡張員としての技量は大したことはなかったが、販売店の従業員になって頭角を現し店主にまでなった男や。

そういう人間は、この業界には結構いとる。

1ヶ月ほど前、そのイケダから電話があった。

「ゲンさん、お願いです。助けてください」

イケダはいきなりそう切り出した。

「助けてくれ……て、どういうことや?」

「オキモトさん、覚えてますやろ?」

「ああ……」

オキモトというのは、ワシが大阪で拡張しとった時分の同僚やった。

そのオキモトとは良う揉めた。

馬が合わんというレベルやなく、生き方そのものが根本的に違う男や。

その団では、ワシもオキモトも班長をしてた。

オキモトは仕事に関しては非凡なものを持っていた。成績もええ。団内では、ワシとライバル関係にあると誰もが見ていた。

もっとも、ワシ自身は、周りが思うほど意識はしてなかったがな。

それは、仕事の質が根本的に違うと思うてたからや。

オキモトは、典型的な昔気質の拡張員やった。カードさえ上げれば、何をやっ
てもええというタイプや。

喝勧、てんぷら、置き勧、ヒッカケ、とおよそ拡張の手口と名の付くやり方はすべてやっとると豪語もしとった。

ただ、その頃は、それが拡張の主流で、ワシのやり方の方がむしろ異端やった。

ところが、団則のご法度には、その拡張の手口のほとんどが違法行為とされ禁止となっていた。

もっとも、これは対新聞社向けやとは承知しとるがな。表向けの体裁として掲げとるにすぎんともな。

その頃の新聞社も、拡張員にそういう勧誘の不正行為があるのは知っていたはずやが、部数確保のために見て見ぬふりをしていたのは確かやと思う。

部数至上主義が新聞社の第一義やったさかいな。

不正を正すより部数を増やすことに貢献した方が、担当者も評価されるから、自然とそうなる。

しかし、例え有名無実の御法度やったとしても、決まりは決まりや。

ワシのやり方は結果的には、それを守っとることになるから、異端やとしてもどこからも文句を言われることはなかった。

それには、そこそこ成績を上げとったからというのもある。

拡張員にとって、この業界は、カード(契約)を上げることがすべてと言うてもええ世界や。

どんなに立派なことを言うてても、カードが上げられん者には何の値打ちもない。何の評価もされん。

ワシのやり方は、その頃の大半の拡張員からは絵空事と無視されてた。

喝勧、てんぷら、置き勧、ヒッカケのすべてを否定して契約なんか上がるはずがないと。

「お客様は神様ちゅうような甘いことを言うてて、仕事になるかい」というのが、大半の拡張員の気持ちやったさかいな。

ただ、ワシは、自身の成績はもちろん、班の成績も悪くはなかったから、そういう声はあっても表立って批判として届くことはなかった。

それでも、一般に営業の正攻法と呼ばれとるようなやり方だけでは難しいというのは、この仕事を始めてすぐ実感したことでもあるがな。

人に物を売りつけるというのは、それなりに手練手管がいる。ええ言葉で言えばテクニック、悪く言えば手口ということになる。

客のことばかりを優先して考えても売り込めんというのも確かや。

買うて貰うためには、多少しつこいくらいに押してアピールすることも必要になる。というか、押しの弱い営業では仕事にならん。

実際に、どれだけの客に買う気を起こさせることができるかというのが、営業員の技量ということにもなるしな。

この拡張の仕事は、ある意味、すべての業界中、最も難しい営業やないかという気がする。

新聞勧誘は、訪問販売にしたら、月に3000円〜4000円程度の比較的安い商品や。

それも、たいていは3ヶ月〜1年程度の短期間やから、総額にしても他と比べてもタカが知れたる。

しかし、その売り込み先が難しい。

何せ、日本の新聞は宅配率93%と言われとるくらい異常な数値がある。

すでに日本での新聞の不況率は飽和状態になっとる。つまり、たいていの家が、どこかの新聞をすでに購読しとるわけや。

そういう条件下で売り込むためには、新聞の変更を勧めるしかないが、その必要性を感じとる読者は、ほとんどおらんのが実状や。

たいていは、今、読んどる新聞で満足しとる。

そこを無理にでも売り込まなあかんわけやから、どうしても普通の営業では難しいということになる。

それがあるから、新聞勧誘独特の手口やなかったらカードなんか上がらんという拡張員も多いわけや。

長年、それでそれなりの実績も残せとるから、どうしてもそのやり方を踏襲するようにもなる。

当然、それが拡張の仕事やと思い込む者も多い。

オキモトも、その典型的な人間やった。

それだけなら、どこにでもいとる人間やから、取り立ててどうということもない。

しかし、こいつは人を落とし入れるのを趣味にしとるような男やったから、始末が悪かった。

ワシも、こいつには何度か煮え湯を飲まされたことがある。

ワシは、その団に入るまでは、京都のある拡張団におった。通称、鬼○団と言われとる所や。

これについては、このメルマガでも何度も取り上げたから、今更な説明は省く。

それらをまだ見ておられない人は、悪名高き拡張団やったとだけ分かって貰えたらええ。

その鬼○団を辞めるというのを聞きつけた大阪の団長が、ワシを引っ張ったという経緯がある。

それも、最初から班長待遇というこの団では異例なことやった。

しかし、業界全体としては、それほど珍しいことでもない。

この業界は広いようで狭い。噂は千里を走ると言われとる世界でもある。

どの団でもできる人間はほしい。

せやから、そういう情報があればすぐアプローチをかける所が多い。引き抜きも頻繁に行われてた世界や。

もっとも、後に、実はその鬼○団の団長と大阪の団長が裏でつながってたということが分かったんやがな。

その大阪の団長に、「ゲンさんの噂は良う聞いてます。うちの団に来て何とか助けて貰われしまへんか」と口説かれた。

ワシは、この「助けてくれ」という言葉に弱い。

たいてい何かの事件や揉め事に巻き込まれるのは、この一言が原因になっとる場合が多い。

鬼○団の団長は、そんなワシの性質を良う知っとるから、大阪の団長にそう吹き込んだものと思う。

せやなかったら、ワシは班長という立場を最初から受け入れたりするようなことはせんからな。

その鬼○団を辞めるきっかけは、このメルマガ『第37回 ■拡張員列伝 その1 サラブレッドのマサ 前編』および『第38回 ■拡張員列伝 その1 サラブレッドのマサ 後編』を見て貰うたら分かると思う。

ここでも、班長になるのを、ずっと断っとったくらいやからな。

ただ、その裏側を知らなんだワシは、この大阪の団長の熱意にほだされ「ワシのやりたいようにやらしてくれるのなら」という条件で、それを引き受けた。

結果的に、その選択は甘かったことになる。

その団に長年勤め、叩き上げで班長にまでなったオキモトにしたら、そんなワシの存在は許せんかったはずや。

いきなり、班長やさかいな。

それでも、成績に差があるのなら、まだしも、その頃、NO.1やったオキモトに、ものの2,3ヶ月もせん内に比肩するまでになったから、よけい反感を買うことになったのやと思う。

策士のオキモトの陰謀に嵌められることになる。

このオキモトという男は、そうして今まで自分のライバルを次々と蹴落としてきたらしい。

そして、その団の次期団長としての地位を固めたということや。肩書きは、班長やが、実質、団のNO.2やったさかいな。

ワシは過去にも、建築屋で仕事をしとったときに、その手の人間と渡り合ったこともあるから、オキモトがそのタイプの人間やというのもすぐ分かった。

せやから、それなりに一応、用心はしていた。

しかし、オキモトはワシの用心の上をいったことになる。そのワシが見事に、その策に嵌められたわけやからな。

その頃、ワシの班には、15名ほどの団員がいてた。というても、この拡張の仕事は長続きせんから、常に入れ替わって、常時それだけいてたということやけどな。

ワシが、班長を引き受けた当初、やはり、てんぷらや喝勧という一般的な不法行為をする団員は多かった。

それについては、一気に直そうとは考えんかった。身についたものは、そう簡単には変えられんから、そうしようとしても無理やしな。

ただ、そんなことをするのは損やということは説いた。

喝勧なんかは、脅しが基本やから客と揉めやすく、暴力沙汰に発展すると警察に引っ張られる可能性がある。

また、相手がいくら気の弱そうな人間に見えても、その身内に、ヤクザや警察関係者、弁護士なんかがおる場合もあるから、えらい目に遭う可能性もある。

そんな事例は幾つか知っていたから、それを話した。

てんぷら(架空契約)に関しては、その頃のその団では仕方ないという雰囲気が大勢を占めとったから、ある程度は容認せなあかんかった。

その団はフルコミやったから、カード(契約)を上げんことには、一切金にはならん。それが、何日も続けば、めしも食えんことになる。

てんぷらは、そのときのための拡張員にとって危機回避手段の一つという側面がある。

そのてんぷらというのがバレなんだら、その日、拡張員には、その拡張料の半分が団から支払われる。

それで、当面は食いつなげる。

但し、それをするのなら、即入というて、すぐの契約は止めろと言うてた。それをすると、当然やが、バレやすいからな。

少なくとも、数ヶ月先の先付け契約にする必要がある。その間に、正規の契約が上がれば、必ずそのてんぷらで上げた契約と差し替えろと指示した。

また、事前に申告しろとも言うたが、それをする人間は少なかったな。まあ、今から悪さをしますと言うてやる奴もおらんがな。

てんぷら行為というのは、たいていは販売店に迷惑をかける。

一般客にも迷惑やという人もおるやろうけど、てんぷらのような架空契約を認めて新聞を購読するケースはほとんどないから、精神的なもの以外での実損というのは少ないはずや。

置き勧は、販売店により嫌がる所と容認する所に別れとったから、臨機応変という側面もあった。今は、全面禁止という販売店がほとんどやがな。

泣き勧の類は、基本的にはワシ自身、それほど悪いことやとは思うてない。

騙しの部分が強いのは認めるが、人の情に訴える行為自体は、それほど問題にせんでもええと考える。

ただ、これに関しては、成功率は低いから、あまり実践向きとは思わん。いくら人情もろいと言うても、拡張員にまで情けをかける人間は少ないさかいな。

もっとも、中には、それに長けた者もおるのは確かやが、誰がやっても成功するというもんでもない。

その他の不正行為も含めて販売店に迷惑をかけて長続きすることはないと気長に説くわけや。

ただ、それが理解できる拡張員は少なかった。特にこの業界で長くめしを食うてる人間ほどその傾向が強い。

せやから、そういう拡張員は、ワシの班は居心地が悪いのか、たいてい辞めるか他の班に移りたがった。

そのせいもあり、ワシの所には自然と新人が多く集まるようになった。

また、ワシもそれを望んだ。

ヘタな経験者より、言うことを良う聞くから素人の方がよほどましや。

ベテランや経験者は、どうしても今までのやり方に毒されとるから、どうし
ようもない。

素人として、この世界に飛び込んだ人間は、最初に教えられたやり方が正しいと思い込む。この仕事はこんなもんやと。

とにかく最初は素直な人間が多い。

これは、現在、多くの拡張団が、すぶの素人を中心に雇いたがるということと符号する。

拡張のベテランという人間は、どうしても悪さをすることが多いということでな。

ただ、そういう連中ばかりの中で、ナカツという男だけは別格やった。団長が最初から班長補佐として、ワシにつけた男でもある。

その団では2年ほどやというから、古参の部類に入る。

ナカツは、ワシの言うことを良う理解してくれて協力的やった。

いや、協力的やと見せかけていたことになるのやが、それにワシは気づかず、完全に信頼してた。

しかも、それがオキモトの差し金やったとは、さすがのワシも知る由もなかったわけや。

それが、分かったとき、この業界で初めてと言うてええくらいの大喧嘩をそのオキモトとすることになる……。


後編につづく


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