メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第154回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2007.7.20
■ゲンさんの決断
後編
「班長、長いことお世話になりました」
そう言うて、班員の一人、ミヤケという男が、ワシの部屋まであいさつに来た。
「そうか、今日で終わりか……。ちょっと、出ようか」
ワシは、そのミヤケを行きつけのスナックに連れて行った。
仕事を辞めるとき、その上司にあいさつするのは、世間一般では当たり前のことやが、この業界では、そういう人間は少ない。少なくとも、その団ではな。
たいていは、黙って消える。特に借金なんかがあって、返済できんとなったら尚更や。
そういうのを「飛ぶ」という。さして珍しいことでもない。
そうやない場合でも、あいさつは電話一本で済ます人間が多い。
「辞める」と言い出すのが怖いと考えるわけや。簡単に辞めさせてくれんのやないかとも思う。
業界のことを何も知らずに団に入った人間は、拡張団をヤクザの組織のように感じとる者もおるさかいな。
その頃は、今と違うて、その辺のチンピラと大差ない格好をしとる者も少なくなかった。
実際、元ヤクザと称する人間も結構いてたし、また、そう吹聴しとる輩も多かった。
そう言えば、他からは舐められずに済むやろうと考えて、そうしとるわけや。たいていは、フカシが多い。
拡張団の団長は団長で、そういう箸にも棒にもかからんような連中をまとめなあかんということで、ヤクザ顔負けの雰囲気を醸し出しとる人間も少なくなかった。
実際、裏でヤクザとつながっとる団長もおったさかいな。
素人がそんな所に紛れ込めば、怖がるなと言う方が無理かも知れん。
本当は、借金さえなかったら、辞めるのは比較的簡単なのやがな。
もちろん、仕事のできる人間は引き止める。これは、一般の会社でも同じこと
や。
しかし、この業界で辞めると言い出す者の多くは、成績が上がらず金にならんからという理由が多い。
そんな人間を引き止めるようなことを団はせん。たいていは「ああ、そうか」の一言で終わる。
冷たいようやが、拡張団に限らず、たいていの訪問販売の営業会社では営業員は使い捨てという感覚の所が多いから、どうしてもそうなる。
辞めたら、次を募集したら終いやと考える。せやから、たいていの拡張団では常に求人募集しとるのが普通や。
この世界に飛び込んで来た者のほとんどは、1ヶ月から3ヶ月ほどで辞めて行く。
その拡張団にもよるが、1年持つ者は全体の1割もおったらええ方やないかな。定着率は恐ろしく悪い。
「班長に、お借りしているお金は必ず、お返ししますので」
ミヤケはそう言うて申し訳なさそうにしてた。
ミヤケは拡張の仕事は初めてとのことやった。
団には2ヶ月ほどいてた。
成績もお世辞にもええとは言えん。というより、この仕事には向いてないのは確かやと思う。
食うに困って、この仕事に飛び込んできたが、結局は団から借金を作るだけのことになってしもうとる。
ミヤケは、団の所有するアパートに入居してたから、1ヶ月の家賃、水道・光熱費、及び団費で、その当時、12万円ほどを給料から天引きされていた。
これは、自分でそのアパートを借りて生活する分の倍近い金額になる。
しかし、そのアパートを借りる費用のない人間は、その条件でも、そこに住むしかない。
拡張団は、必ずしも、上げたカードの収入だけでやっとるわけやない。
その拡張員をそこに住まわせることで、実質、アパートの大家のようなことを
しとる。
しかも、その物件も団が借りとるだけものやから、言わば物件を持たん大家と
いうやつやな。
せやから、団は、その物件が満杯になるまで常に拡張員の補充をしとるわけや。
単純計算やが、団員が100人おれば、最低でも500万円以上は団の収益になる。
団にとっては、団員自体がお客さんなわけや。もっとも、そんな扱われ方はせんがな。
その団では、上げたカード料の半分は、翌日の朝礼時、現金で貰える。
残りの半分は、その家賃や水道・光熱費、団費を差し引くためのストックとして、団預かりとなる。
最低でも、毎日、1〜2本のカードを上げてたら、それでも何とかメシだけは食っていける。
それが坊主(契約ゼロ)やと一銭も手にすることはできん。フルコミの拡張員は、上げたカード(契約)分の収入しかないさかいな。
その当時、その団での一般的な初心者の1ヶ月契約上げ数は20本〜30本というところやった。
それでは、総額で月10万円〜15、6万円程度にしかならん。
16万円の売り上げがあったとしても、その半分は、日々の報酬として貰うとるから、ストック分は、その半分の8万円しか残ってない計算になる。
それでは、家賃光熱費などを差し引かれると5万円前後の赤字になる。
本当は、先にその8万円を貰うとるから、そこからの差し引きやったら赤字というわけやないのやが、給料にマイナスと記されとったら、どうしてもそういう感覚になる。
もっとも、その金がなかったら、その1ヶ月はメシを食うこともできんから、いずれにしてもそんな程度の成績やと生活をするにはほど遠いがな。
団は、よほどの事情でもない限り、できん人間に借金させることはない。
坊主が続く団員は、当然やが、その日のメシ代まで事欠く。
そんな団員に金を貸すのは、班長ということになる。
メシが食えん人間に対して、それがこの世界の掟やと言うて、冷たく突き放せる人間は少ないさかいな。
ただ、当然やが、班長にもメリットがある。
団員と自分で上げたカード料は、1本につき一律500円余分に貰えることになっていた。
ワシも、それがあれば、少なくとも赤字になることはないやろとタカをくくってた部分もあった。
班員から坊主の翌日に、金を貸してくれと言われれば、「がんばれよ」と言うて、その日のメシ代として1000円だけ渡す。
何やそんな程度かと思われるかも知れんが、それ以上渡すと、仕事せん拡張員もおるから仕方ない。
しかし、それでも積み重なれば結果的には結構な額になったがな。
ミヤケが「班長に、お借りしているお金は必ず、お返ししますので」と言うてたのは、その金が積もり積もって、2ヶ月で5万円ほどになってたからや。
ワシは、そういう金はあてにせんことにしとる。実際、辞めた後でそう言うて返済に来た人間もおらんしな。
ワシは、貸した金は、返ってくれば儲けものという風に考えるようにしとる。
もっとも、一度に大金というのは、貸さんようにしとるがな。そういうのは、団に言うてくれと言うて逃げる。
それでも、班員が15人もいとれば、貸した金だけで月に50万円の出費ということもあったほどや。
班で、その当時、600〜700本ほどカードを上げてたから、1本500円のプレミヤでは30万円〜35万円にしかならんから、持ち出しになることも多かった。
他にも、班長という手前、ええ格好して班員に飲み食いさせるということも多い。
ある程度、分かっていたことやが、班長というのは、あまり旨みのある立場やない。
加えて、入団する当初は知らんかったことやけど、その団では、夜逃げをした班員の責任は、班長がとることになっていた。
この業界は定着率が悪いと言うたが、その中でも1日、2日で逃げ出すという人間が結構おる。
その1日、2日在籍しただけでも、その人間へ1ヶ月の家賃、水道・光熱費、及び団費を請求する。
それを払う身内なんかがおらん場合は、班長がその肩代わりをせなあかん決まりになっていた。
団曰く、そのための班長手当とプレミヤをつけとるのやという。班員を監視、監督するのは、班長の仕事やというわけや。
夫婦者とか家族持ちは、そういうのは少ないが、鞄一つで来る人間は逃げるのも簡単で早い。
また、この業界、逃げ慣れとる者も多いから、短期間のうちに金を借りるだけ借りてドロンというのも珍しいことやない。
そういうのを監視しろと言われても、四六時中、付きっきりというのは不可能に近い。
ただ、ワシの班は、他の班と比べても、なぜかそういうのが飛び抜けて多かった。
特に、その頃の2、3ヶ月の間だけで、実に20人近くもそういう人間がいてたさかいな。
単純計算で、それだけでも、200万円前後の未払い金を被らなあかんことになった。
正直、やはり班長なんか引き受けるもんやなかったと後悔したが、後の祭りやった。
ワシ自身は、当初、素人をほしがったということが影響しとると思うてたけど、どうもそうやないとすぐに分かった。
むしろ、素人よりも拡張員ずれした人間の方が、この業界ではトンズラする確率は高い。
ワシとこの班でも、やはりそうやった。素人の方がどちらかと言うと長続きしてたさかいな。
それに、素人は辞めるときでも後始末をなんとかしようとする者の方が多い。
ミヤケの場合もそうやった。
結局、団に15万円ほどの借金があったようやが、親元に泣きついて返済しとるからな。
もちろん、素人の方が長続きするというても、ミヤケのような短期間で辞める素人がおるのも確かやったけどな。
まあ、それは、この業界の特色のようなものやったから、ある意味、仕方ないがな。
ミヤケは、多少、酒も入りカラオケを歌って気分を良くしたのか、あることをポツリと洩らした。
「班長、ナカツさんには気をつけてくださいよ」
「ナカツ? どうしてや?」
「トヨシマという若い奴、覚えてますか?」
「ああ……」
トヨシマというのは、1ヶ月ほど前に入団した男で、1週間足らずのうちに逃げた男や。
「そのトヨシマを辞めるように、そそのかしたのはナカツさんですよ」
「誰が、そんなことを?」
「そのトヨシマ本人から聞きました」
「それは、ただの忠告やと思うで」
成績がパッとせず、どう見てもこの業界には向かんなという人間がおるのは確かや。
そういう人間を見れば、つい「お前は、この仕事には向かんから辞めた方がええで」と言うことはあるやろうと思う。
ワシ自身、京都におったとき、こらあかんなという者には、そう言うてたことがあったさかいにな。見てられんわけや。
そうやとすれば、班長の立場としては有り難くはないことやけど、その人間のことを思いやる気持ちとしては分かる。
「でも、だからと言って逃げろとまで普通、言います?」
「ほんまに、そんなことをナカツが言うてたのか?」
「間違いありません。トヨシマ本人から聞きましたから……、それに、僕も勤め始めた頃に、ナカツさんから同じようなことを言われたことがありましたから」
「……」
「逃げて大丈夫ですかと聞いたら、その気があるのなら任せておけ、と言ってました。僕は、そのときは、せっかくついた仕事だから、もう少しだけ頑張ってみようと思っていたので、その気がないと断りましたけど」
「……」
「でも、トヨシマはそう言われた次の日、その気になって逃げて行きました。他にも、僕の知る限りでもナカツさんに、そう言われて辞めた人は多いですよ」
ミヤケは、その数人の名前を挙げてそう言うた。その人間は、いずれも入団してから1週間以内に逃げた連中ばかりやった。
俄には、信じられん話やったが、明日辞めるというミヤケが、わざわざそんな嘘をつく必要はどこにもない。
おそらく、今日連れ出さなんだら、そのまま黙って辞めるつもりやったはずや。
酒も入り、つい油断して口を滑らせたか、ワシに同情したかのいずれかやと思う。
「班長は、オキモト班長とは仲が悪いですよね」
「別にそんなことはないけど、そう見えるか?」
少なくとも表面的には、そういう雰囲気は出さんように心がけとったつもりやったから、この指摘には正直、驚いた。
「ええ、もっとも、それもナカツさんが良く言ってたことですけどね。そのナカツさんですけど、時々、オキモト班長と、どこかへ出かけているようですよ。何度か、一緒のところを見ましたから」
「そうか、分かった……。気をつけておこう」
楽観主義者のワシでも、さすがにピンときるものがあった。
オキモトが、裏で糸を引いてたのか……。あの男ならありそうなことや。
もちろん、何の証拠も裏付けのあることでもない。しいて言えば、ミヤケの証言だけや。
そのミヤケも、明日には団を辞める身や。今更、証人になってくれとも言えん。
まあ、こういうときは、変な小細工したり、周り持って調べたりするより、本人に直接、聞いた方が早い。
それが、本当なら、たいていの人間はすぐボロを出す。
翌日。仕事が終わってから、ナカツを車で連れ出した。
「ナカツ。お前、ワシに何か隠し事はしてへんか?」
ワシは、ハンドルを握りながら、極力、怒りを抑え気味にそう尋ねた。
「な、何を急に言われますの?」
ナカツは、ワシの態度から不穏なものを察知したようで、明らかにビビってた。
その反応で、直感的にミヤケの言うてるとおりやと確信した。
ワシが、業界で悪名高い京都の鬼○団におったということは、ナカツも承知のはずや。
外部から連れてきた人間をいきなり班長に据えるということで、他の団員に舐められんようにとの団長のはからいのつもりで、そう吹聴してたさかいな。
その悪名高い、鬼○団でも図抜けた男やと。
誰でも、こう聞かされれば拡張の実力はともかく、人間的には危ない奴やと思う。
その評判は、この業界では一目置かれることになる。
そういう眼で見られるのは不本意やったが、この世界で何人かの人間を仕切ろうと思えば、それもある程度必要なことではある。
まあ、自分でそう吹聴するのは抵抗あるが、団長あたりが言う分には、あえて否定はせんかった。
当たらずとも遠からず、ということでな。
それに、こういう風に人を問い詰める際には、それが功を奏することも多い。
相手が勝手に想像して怖がるさかいな。
「お前を責めたりせえへんから、正直に教えてくれへんか」
「正直にて……、何をです?」
ワシは、道路の左端に車を寄せて停めた。
「ワレ、舐めとんのけ?」
ワシは、怒るとつい生まれ育った河内弁丸出しになる。
関西では、なぜか柄の悪い方言やと思われとる。全国的にも、関西のヤクザが良う使う言葉やと誤解しとるようや。
ただの一地方の方言にすぎんのやがな。
「何で、新人を追い出すような真似をせなあかんねや?」
「な、何のことか、ワシにはさっぱり……」
ナカツは眼が完全に泳いどった。嘘をついてうろたえる人間の典型的な仕草や。
「こらっ、ワシが何の証拠ものう(なく)てこんなことを言うとると思うとんのか。オノレに、そそのかされたと言うとる者がおんのや」
「誰です……そんことを言うてるのは……、どこに証拠が……」
「ぼけぇ!! ワシは警察とちゃうで。証拠なんかいるかい。謳わんのなら、謳わせたろか」
このときのワシは、半分、本気やった。
このガキのおかげで、新人が次から次と逃げ出し、結局、200万円もの借金を団にする羽目になったと思い込んどったさかい、よけいや。
実際には、ナカツとは関係なく逃げた者も仲にはおるやろうがな。しかし、例えそうやとしても、それもひっくるめてナカツの責任やと思うてたさかいな。
「か、堪忍しとくなはれ。ワシは……」
「オキモトの指図か」
「……」
無言ということは、そうやという意思表示になる。
「お前は、おそらく指示されただけやろうから、辛い立場なんも良う分かる。正直に言うてくれたら、これ以上、お前を責めるつもりはないさかい、教えてくれへんか」
ワシは、一転して優しくそう言うた。
人を追い込むのは、何も強引に責めるだけが脳やない。ある程度の逃げ道を作ってやる必要もある。
特に、こういうバックで糸を引いてる人間の責任が大やと思わせれば、「仕方なくやりました」と白状する場合が多い。
こういうのは、ヤクザだけやなく、警察の取り調べでも日常的にやってることらしい。
自分が助かりたいと思うたら、平気で人を裏切るというのは良うあることや。
このナカツもそうやった。
「すみません……、オキモトさんの指示だったもんで、そうせな、ワシここではやっていかれんかったんです。オキモトさんから、借金もしてましたんで……」
「分かった……もうええ」
やはり、ワシの想像どおりやった。
ワシは、ナカツを開放して、その足でオキモトのねぐらに向かった。
しかし、この時点では、ワシもオキモトを甘く見ていた。ナカツ同様、簡単に落ちると思うてた。
ナカツも一緒に連れて行くんやったと後に悔やむことになる。
今やったら、ナカツの話したことは録音でもしてたと思うが、その頃は、そんなことを考えもせんかったさかいな。
オキモトの住むというマンションの部屋のインターフォンを押した。
「何や、ゲンさん、珍しいな、ここに来るやなんて。どうでもええけど、怖い顔してんな。何かあったんか」
ドアを開けて出迎えたのは、オキモトやった。
開いたドアを入ると、オキモトの他に5人ほどの人間がいてた。オキモトの班
の連中や。
「何で、ワシがここに来たか、もう連絡が入っとるはずやろ」
「何のことか、良う分からんけど、何や?」
「ナカツから連絡が入っとるはずや」
「ナカツ? ナカツて、ゲンさんところの人間やろ。何でオレのところに連絡なんかくるんや」
「いつまでも、とぼけておれると思うとんのかい!! もう、ネタは上がっとんのやで」
「ゲンさんよ、何を怒っとんのか知らんけど、変な言いがかりは止めてんか」
「言いがかりか?」
「言いがかりや」
妙にオキモトは落ち着いとった。その瞬間、嫌な予感が奔った。
ナカツから、連絡がないはずはない。また、そうさせるために開放もしたわけやさかいな。
ナカツからの連絡で、すべてを謳ったということはすでに知れとるはずや。こんな余裕を見せられるはずがない。
オキモトの唇がにやりと笑ったように見えた。
何か手を打ったのは間違いない。そう思うた瞬間、ワシの頭の線が切れた。
「この糞ガキ!!」
ワシは、オキモトに飛びかかった。
しかし、その場におった他の団員にすぐ引き離されてしもうた。
「ゲンさんよ。もっと冷静になれや。オレは、あんたと喧嘩するつもりはない。オヤジ(団長)から、怖い人やと聞いとるしな。あんたが、どうしても、我慢できんのやったら、明日、オヤジの目の前で白黒つけようやないか」
「分かった……」
ワシは、その足ですぐナカツを探したが、どこにもおらんかった。
逃げた……。それが、頭に浮かんだ。
ナカツにしても、ワシから睨まれるわ、オキモトを裏切るわで進退窮まったと考える可能性は高い。この団では、もうやっていけんと。
そうなると、ワシは切り札を失うことになる。
オキモトが、あれだけ落ち着いとるというのは、そのナカツがおらんようになったと知っとるからやと考えれば、納得できる。
あるいは、こうなることを予想してオキモトが逃がしたのか。
このまま、明日、団長の前でワシが何を言うても、おそらく通らんやろうと思う。ワシには見聞だけしかないからな。
証拠もなければ、それを証明する人間も、団には誰もおらん。
言いがかりやと反論されれば、それを覆すことはできん。
負けた……。そう認めるしかなかった。
結局、ワシとオキモトの揉め事の決着として、ワシが班長を降り、しばらくの間、奈良の販売店預かりの専拡になるということになった。
その班長時代に作った200万円の借金もあったから、そのまま団を辞めることもできんかったわけや。
ワシは、人生において幾度か負けは経験してきたが、このときほど悔しい思いをしたことはなかった。
しかし、時の流れが、いつの間にか、その悔しさを忘れさせていた。
それが、イケダという販売店の店主からの連絡で呼び覚まされた。
オキモトは、今では、そのときとは違う新聞社の団長になっているという。
相変わらず、あこぎなことをしているらしい。
そのオキモトにイケダの店が狙われとるから、助けてくれと言ってきた。
具体的には、ワシにその販売店の専拡(専属拡張員)になってくれということや。
ワシ自身、現在の拡張団にそれほど未練やこだわりがあるわけやない。
何となく惰性でいとるようなものやから、辞めるというのも特に問題はない。
ただ、その申し出を受けるとなると、その店は関西方面にあるから、東海からは去らなあかんようになる。
そのときに問題になるのが、ハカセとのことやったから、前編の冒頭で「どう思う」かと聞いたわけや。
ハカセはワシの自由にしてくれてええと言う。
但し、サイトへは今までどおり協力してほしいとは言うてたがな。
それについては、問題ない。
今でも、たいていは電話で問い合わせるのが中心やったからな。
ただ、しょっちゅう、ハカセの家に行けんというだけの話や。
もっとも、その気になれば、車で1時間30分程度の距離やから、それほど苦にすることもないがな。
人間、請われて仕事する方がええに決まっとる。
それと、今一度、オキモトと渡り合いたいという思いもある。負けっ放しのままというのも癪(しゃく)に障るさかいな。
ここ数年、ワシ自身の周りは穏やかで平和すぎたというのもある。
普通、それは喜ばしいことやろうけど、ワシの人生にそういう時期は少なかったから、正直、退屈もしてた。
もっとも、その退屈さは、ハカセがサイトやメルマガを始めてくれたことで、いくらか解消はしていたがな。
ただ、ワシには、本当の意味での平和は似合わんということやろうと思う。
考え抜いた挙げ句、ワシはイケダの要請を受けることにした。
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