メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第155回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
     

発行日 2007.7.27


■選挙と拡張員


あさっての日曜日、7月29日は参議院選挙の投票日になっとる。

ワシはいつのものように投票に行くつもりや。

ワシは、20歳で選挙権を得て以来、すべての選挙で投票しとる。というても、それほど胸を張って自慢することでもないがな。

何でもそうやが、人は一度、ある習慣を身につけると、それをせんと気持ちが悪くなるということがある。落ち着かんわけや。

ワシが選挙に行かな気が済まんのも、それに近いことやと思う。

特別に何かの主義主張や信念があってのことやない。

まあ、あえて言えば、政治云々を語るには、最低限度、投票しとかなその資格がないと考えとることくらいや。

ワシらの仕事は、日曜が休みというのは少ないが、それでも投票に行くことに、何の問題もない。

拡張員の出勤は遅い。たいていは早くでも午前10時頃や。

選挙の投票受付は午前7時からやから、出勤までには十分時間がある。

しかし、ワシの知る限り拡張員で選挙に行く者は少ない。

「そんな暇があるのなら、ゆっくり寝とく方がええ」というのが大半や。

それには、拡張員は夜が遅いということもあるが、誰からも選挙に行けということを強要されんというのも大きい。

また、選挙に行った行かんということが、あまり話題に上ることのない世界でもある。

ヘタに「ワシは今日、選挙に行って来たで」と自慢げに言えば、「暇なやっちゃなあ」と言われかねん雰囲気すらあるさかいな。

一部の企業では、半ば特定の候補者に投票するよう強要されるということがままある。

昔、建築屋におったときが、そうやった。

もっとも、その建築屋は、与党の大物議員の後援会に入っていたからよけいやったがな。いわゆる組織票というやつや。

新聞拡張団にそれはない。

それには、新聞社そのものが、特定の政党、候補者の後押しを公然とせんというのもあると思う。

ただ、新聞の論調が政府寄り野党寄りというのはある。

但し、ここ1、2年、その色分は少し怪しくなってはきとるがな。

特に全国紙でそれが顕著なように感じる。

それには、まだ未確認ながら、業界最大手のY紙、A紙の2社が急速にその足並みを揃えてきとるという情報が影響しとるようにも思える。

周知の如く、Y紙は政府与党寄りの右、A紙は野党寄りの左と目されとる新聞や。

過去、業界の足並みも、この2社の歩み寄りがないために、なかなかその歩調が合わなんだということがある。

例えば、新聞の販売正常化をせなあかんという考え方では、両者は一致しているが、Y紙が「無代紙追放が先」と主張するのに対して、A紙ら他の新聞社は「過剰拡材、景品の追放が先」と、お互いゆずらんかったという長年の経緯がある。

Y紙は「一時的に拡材を多く使っても、顧客さえ獲得すればモトは取れるが、無代紙は実質上の値下げになるから困る」と訴え、他は「大型拡張材料競争は、際限がないから販売正常化の敵」と反発していた。

要するに総論賛成、各論反対という構図やな。

いずれも、その主張に間違いはないのやが、販売手法の違いを巡って対立してきたことになる。

お互い、ごもっともと歩み寄れば簡単な話なのやが、それぞれの思惑、事情で、なかなかできんかったわけや。

それが、ここにきて、少し様子が変わってきた。

現在、これは関東地域限定の話やが、Y紙、A紙では、その専属販売店、拡張団に金券廃止という通達を今年の4月に打ち出して実行されとる。

業界全体での通知というのなら、過去にも多いし珍しいことやないが、この2紙だけの取り決めというのは極めて異例のことや。

ワシは、当初、この通知には、すぐさま他の新聞社も追随するものやと思うてたけど、今現在に至っても、そのきざしすらない。

Y紙、A紙が共同戦線を張れば、全国紙の実に8割近くのシェアを占めることになる。

これからの新聞経営が厳しくなるというのは、業界関係者でなくとも、ちょっとした事情通なら誰でも容易に想像がつく。

人口減による購読者数の減少。インターネットによる新聞離れ。新聞再販制度崩壊の危機感。消費税率の上昇による値上げ問題等々。

いずれをとってみても、新聞業界にとっては大きな問題や。

それらを乗り切るためにも、その2社が手を組むことで他の新聞社も2社の意向に従わざるを得ない状況を作ろうと画策しとるいうのも頷ける話やとは思う。

もちろん、それから弾かれた全国紙のM紙、S紙は面白くない。

これも、まだ未確認情報ながら、その全国紙のM紙、S紙はブロック紙の最大手C紙を巻き込み一大グループの結成を目論む動きもあるという。

ただ、全国紙でもN紙だけは、今のところ、新聞離れはなく、むしろ部数増になっとるというから、これらのいずれの勢力にも与する動きはないようや。

「まるで、新聞三国志の様相やな」

「言えてますね。ただ、どんな業界でもそうでしょうけど、熾烈な生き残り競争を余儀なくされたら、自然と業界再編成をせざるを得ないということじゃないですかね」

「まあな……」

この件に関しては、これ以上説明すると長くなるし、もう少し確かな情報を入手してから、このメルマガ誌上でじっくり話したいと思うとる。

今回は、拡張員と選挙というテーマやから、そのことを中心に話す。

ただ、上記のことで、新聞社の主義主張、論調が若干それにより揺らぐかも知れんということだけ分かって貰えたらええ。

本来はライバル関係にあった者同士が手を結ぶには、お互いの歩み寄りが不可欠やさかいな。

今回の選挙の論調が今まで以上に一致しとるのも、そういう背景があってのことやという気がする。

選挙結果は、与党がどれだけの負けでしのげるかという一点に絞られとると思う。

新聞各紙やテレビ報道、あるいはインターネット上の論調も大体がそれや。

日本の政治は、今まで、ほぼ一党独裁政治と言うてもええ状態で行われてきた。

現在の政府は確かに連立やが、自民党にその主勢力があるのは確かやし、その意向が政治を決定してきたというても過言やないからな。

どんな世界でもそうやが、その一定の状態があまりに長く続きすぎると、よどんで腐ってくるのが常や。

過去の歴史を見るまでもなく、それに例外は考え辛い。

現在、一番、国民の関心が高いとされとる年金問題の不祥事にしても、社会保険庁の数々の失態がクローズアップされとるが、これは、単にそこの役人の問題だけやないと思う。

政治と金の問題にしても、政治家自身では、その自浄ができん状態になっとる。

それらは、すべて長い一党独裁政治の歴史の上に培われてきた結果や。

その役人を取り締まる行政のトップが政府なわけやから、そこで不祥事があれば監督不行届きとなるのは当然や。その責を負う必要がある。

政治に限らず、物事はその結果で判断されるべきやと思う。

結果が悪ければ、国民はその政府にノーを突きつけるのが、当たり前や。選挙は、本来、そのためのものでなかったらあかん。

しかし、この日本では、そのノーを突きつける代わりに無投票という形で逃げ
ていた者が多かった。

それでは、いつまで経っても現状が変わることはない。

拡張員に限らず、「選挙に行ってもどうせ何も変わらんわい」「一票入れてどうなるんや」と思うとる人間は多い。

まあ、それは本人の自由と言うてしまえばそれまでのことやが、選挙に行かんのなら、政治家や役人、引いては社会の現状に文句を言う資格はないと、ワシは思う。

ところが、たいてい政治が悪いだの世の中が悪いだのとぼやく人間ほど選挙に行っとらん者が多いという現実がある。

特に拡張員がそうや。

拡張員になるしか道はなかったと嘆く人間ほど、何かのせいにしたがる。

その何かを社会の責任にすれば、何となく自身の後ろめたさも消え、納得できると思うとるのやろな。

しかし、その社会を作ったのは、政治家の選択権を持った国民やというのを忘れたらあかん。

「ワシは選んだ覚えはないで」と言うても、選挙で投票せんかったら、事実上、政府与党を信任したことになってしまう。

無投票が静かな抗議と勘違いしとる人がおるようやが、それは違うと断言する。

日本では、現在、選挙に関心のない人間が徐々に増えとる。

少なくとも、昭和の頃までは、国政選挙の投票率は70%以上あった。

それが、平成になり60%前後まで落ち込んどる。

それも若い人ほど顕著や。20代の若者の投票率は30数%しかないというからな。

反対に60代になると80%前後もの投票率がある。しかも、この格差は当分、続きそうや。

言うまでもないが、それで選ばれた国会議員によって法律は作られとる。

それも、たいていは数の論理とかで与党の法案を多数決で決めとるのが現状や。

本当の意味で、国民の支持を得た多数決で決められとるというのなら、それも、民主主義の範疇やからしゃあないが、実状はちょっと違うと思う。

政権与党の得票率は平均して45%ほどや。

単純計算やけど「投票率60%×得票率45%=27%」という計算が成り立つ。

つまり、国民の27%が選んだ与党の議員によって、法律が決められとるということになる。

27%が過半数を占め、残り73%が少数派になり、その27%の決定に従わなあかんことになる。

何でそんないびつなことになるのか。簡単なことや。40%が選挙に行ってな
いからそうなる。

本当の意味の、国民の総意の過半数による決定というのなら、民主主義の国の人間としては、あきらめもつく。

そのためにも、得票率100%は無理にしても、せめて80%以上はほしいと思う。

また、選挙にそのくらい関心を持つ国民でないと、政治は決して良うはならん。

その点、今回は、かなりの投票率が予想されるという。その多くが、与党への怒りの投票やとされとる。

当たり前やが、政治は国民のためにせなあかん。

しかし、現在の与党の政策は、真っ先に国民に負担をかけることから始めようとしとるという風にしか思えんからな。

国民の税金で食うとる政治家や官僚、役人の優遇処置は、なかなか見直そうとはせん。しても、ほんの体裁程度のものや。

そんなものを認める一般国民はまずおらんやろうと思う。

今回の国民の怒りがどの程度なのかにより、これからの政治が大きく動くような気がする。

与党にとって、壊滅的な大打撃を被れば、やはり政治そのものを真剣に考え直さなあかんと考えるはずや。

国民の怒りはバカにできんと気づく。

反対に、大した負けやなかったら、国民の怒りはこんなものかと思うのやないやろか。

投票率が低ければ、おそらく組織票をあてにしとる与党に利するやろうし、高ければ、その怒りの声が大きいということになる。

ワシ個人は、特定の政党、政治家に肩入れするということはない。

与党がええと思えば与党に入れるし、野党にいれるべきやと思えば野党に入れる。

言わば浮動票と呼ばれとる類の人間や。

しかし、本来、選挙による審判とはそうあるべきものやないかと思う。

今までのように、組織票をあてにしとるだけやったら選ばれることはないのやと、政治家に知らしめる必要がある。

それができれば、日本の政治は大きく変わる可能性がある。ただ、問題がまったくないわけでもないがな。

不安要素もある。

というのは、本当の意味での2大政党とは言えん状態がそれや。

野党第1党である民主党に政治を任せると判断しても、自民党とどこがどう違うのか、というのがはっきりせんということがある。

民主党のリーダー、最高幹部のほとんどは、過去において、その自民党政府の高官やった者が多いわけやからな。

民主党に任せても、結局、同じやないかという懸念を抱いとる国民がおっても不思議やないと思う。

しかし、現実的には自民党政治にノーを示すのなら、民主党しか任せるしか、その器がないのは事実や。

ええか悪いかはやらせてみて判断するしかない。

そうすることが、真の意味での2大政党を作ることにつながるのやと思う。

日本は、政治後進国やと言われて久しいが、その政治を育てるのは、その国の国民しかできんことや。

ワシは、多分に楽観論者かも知れんが、民主党も新たに政治を任されれば、それなりに使命感に燃えそうな気がする。

かつての自民党がそうやったようにな。

ただ、何度も言うが、それが続きすぎると、必ず腐敗が生じてくるのもまた確かや。

理想的なのは、適度にその政権が交代することやと思う。

政権担当政党が不祥事や不始末を起こしたら、即座に政権交代になればええわけや。

今度の選挙は、そういったことの端緒になる可能性が大やという気がする。

参議院選挙は、交代選択の選挙やないという意見もあるやろうが、ワシは、あながちそうやとは思わん。

この選挙結果次第では、その政局は大きく変わると思うとるさかいな。

おそらく、この機会にも、国民がそういう変化を求めんようでは、これからの日本は望みが少ない。こういう好機は、いつ訪れるか分からんからな。

浮動票という言い方は好きにはなれんが、その不動層こそが、正しいジャッジを下せるのやと思う。

政治家は、組織票を持つ企業や団体にはおもねることはできても、この浮動票には、それは通用せんわけやからな。

中には、タレント候補を使って人気取りをしようというのもあるけど、いつまでもそんな手が通用するとも思えん。

現に、今回の選挙でその部分がクローズアップされることは少ないさかいな。

本来、選挙をする者は、特定の政党の好き嫌いに左右されたらあかんと考える。

自らが支援する政党であっても、あかんときは、あかんという意志表示が必要や。それが、結果的には、その支持政党を育てることにもつながると思う。

ただの拡張員風情が、いっぱしの政治評論家気取りで講釈をたれたようやけど、ワシらのような底辺におる人間こそが、その意識そのものを変えな、世の中も変わらんのやないやろか。

「どうせ、選挙に行っても何も変わるかい。そんな無駄なことをするくらいなら寝てた方がましや」と言うのでは、あまりにも救いがない。

せめて、選挙にくらいは行こうや。

今回、ワシが一番言いたかったのは、その一言なわけや。分かって貰えたやろうか。


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