メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第156回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2007.8. 3
■悩める人々 Part4 請負配達人の憂鬱
それは、ある山間部のさびれた村に勧誘にやってきたときのことやった。
「ゲンさん、これをどう思います?」
その日、案内拡張で同行していた請負配達人のクマイが、そう言いながら、一通の内容証明文のコピーをワシに見せた。
内容証明郵便の差出人は、その請負配達人であるクマイが雇っている18歳の配達人、ケンジの親やという。
宛先は、クマイの雇い主である販売店の店主、イシヅカになっていた。
そのケンジが、一週間前、自転車で配達中、横転して右足を骨折するという事故を起こし入院した。
全治3ヶ月やという。
販売店のバイクなら保険に加入しているから入院費や治療代はどうにかなるが、自転車にそれはない。
しかも、ケンジは、請負配達人であるクマイの使用人や。
正規に販売店が雇っている従業員やないから労災なんかの保障もできんと通告された。
請負配達人というのは、特に珍しい存在でもない。
本来、新聞の配達というのは、販売店を起点とするものや。配達人が、販売店に集まり、そこから各エリアに配達する。
その点、請負配達人というのは少し違う。
その販売店はH市内にあり、部数の割には広範囲な配達地域を有していた。
その販売店からクマイの村までバイクで往復1時間以上の距離がある。
通常の配達員のように販売店に通って配達していたのでは、その往復の通勤だけで2時間強かかる計算になる。
さらに、そのエリアは山間部に点在している幾つかの小さな村々への配達やから、配達そのものにも時間がかかり、とても通常の配達員がこなせる仕事やなかった。
仕方なく、店主のイシヅカは、クマイを配達請負人として雇うことにした。
ちゃんとした店があるわけやないが、実質、支店のようなものやと思えばええ。
販売店に紙受けとして新聞が届けられるのが午前2時頃。
それから、その地域の部数の新聞に折り込みチラシを入れ、午前3時30分頃、クマイの自宅まで店主のイシヅカが車で毎日運んでいた。
この販売店では、クマイの他にも数カ所同じような配達請負人を雇ってその配達をさせていた。
彼らへの配達コストは通常の配達員よりかなり高くつく。
しかし、配達請負人のクマイの側にすれば、その配達部数が少ないから、一部の配達料がいくら高くても、一日の配達代にすればタカが知れてる額にしかならんという思いが強い。
双方にとって、あまり旨みのある仕事とは言い難い。
本来なら、そういう配達コストの高くつく地域の配達については、特別の配達料金を購読者から徴収したいところやが、新聞社がそれを許さん。
新聞協会は、日本全国、同一料金というのを標榜することにより宅配制度の存在意義をアピールしとる。
引いては再販制度を守る理由付けにもなっとるから、それを崩すことはできんということや。
新聞社側は、それでええかも知れんが、販売店側にとっては負担ばかりでやってられんとなる。
加えて、こういう僻地の販売店に限って折り込みチラシも少ないから、余録としての収入もあまり期待できんということがある。
新聞社によれば、そういう地域には特別の補助金を出すこともあるようやが、そんなものは雀の涙程度のもので、実際のコストの穴埋めにはほど遠いと嘆いとる。
一部の販売店では、その負担に耐えかねて、新聞社に内緒で配達料金を別に徴収しとる所もあるようやがな。
それを知ってか知らずかは伺い知れんが、新聞社は気づかん素振りを通す。
新聞宅配制度の矛盾というやつや。
この請負配達員というのは、何もこのケースのように僻地だけにあるものでもない。
都市部にも結構多い。
もっとも良く知られているのが、エレベーターのない4、5階建てで二戸一の公団住宅なんかがそうや。
一階の郵便受けに放り込む横着な販売店もあるようやが、たいていはその部屋の郵便受けまで配達する。
その棟により、5階の一軒だけの配達というのも当然ある。こういう所ばかり300軒もあれば、たいていの配達員が音を上げる。
そういう公団を含む地域の配達人が長続きせんということで、それ専属の配達請負人というのを雇うわけや。
たいていは、その公団の住人というのが多い。その住人の棟の入り口辺りにまとめて配達しとくわけや。
こういうのを、置き配、あるいは置き紙という。
他にも、エレベータ付きの比較的簡単な配達で済むマンションであっても、配達請負人を置いてある場合がある。
マンションによれば、例え新聞配達であっても部外者の侵入を禁止、制限する所がある。
その場合も、そのマンションの入り口に置き配された新聞を、そこの住人が配達請負人となって契約者の各戸に配るわけや。
あるいは、バイクや自転車に乗れん者に、その地域の配達を任せる場合も、配達請負人として雇うことがあるという。
その配達請負人は徒歩か台車にその新聞を乗せ配る。
ワシの知る限り、自転車やバイクすら通れんような道幅も狭く、尚かつ階段や急勾配の多い住宅の入り込んだ京都でこういうのが多かったと記憶しとる。
もっとも、それは10年以上も前の話やから、今もそうなのかは良う分からんがな。
いずれにしても、請負配達人というのは、地域によりなくてはならんもののようや。
その請負配達人の一人であるクマイの所に持ち込まれた新聞は、300部程度やという。
この程度やと従業員一人当たりの平均的な配達部数ということになるが、この地域で、それを一人で配るのはとても無理な相談やった。
一人で配れば、その膨大な範囲のためどんなに慣れた者でも5、6時間はかかるという。
それでは、業界で暗黙のうちに朝6時頃までと決められとる配達終了時間にはとても間に合わん。
そこで、クマイはイシヅカの許可を得て、二人の配達員を独自に雇うことにした。
彼らの給料は、クマイが請負配達人として貰うてる配達料の中から支払ってい
た。
そのうちの一人が、今回、事故でケガをして入院したケンジやった。
3ヶ月の入院治療費だけでも数十万円はかかるという。
ケンジの親は、まずクマイにその治療費と休業補償の請求をしたが、クマイにその支払い能力がないと知ると、それを店主であるイシヅカに請求した。
冒頭で、クマイがワシに見せた内容証明文のコピーがそれや。
店主のイシヅカは、「ケンジは、お前が雇った人間でうちの雇い人やないんやから、そっちで話をつけてくれ」と突き放した。
内容証明というのは、一般的には訴訟を前提に出すもんや。そこに記載されている要求を拒否したら告訴するという意味を含む。
今のところ、イシヅカにその支払いをする意志がないようやから、裁判沙汰になる場合も十分考えられる。
「ゲンさん、これをどう思います?」と、クマイがワシに聞いたのはワラにもすがりたかったからやと思う。
この業界には、昔から、ケガと病気は自分持ちという風潮が根強くある。
バイクの保険すら、大したケガやなかったら、次からの掛け金が高くなるという理由で使いたがらん店主がいとるくらいやさかいな。
労災についても同じようなことが言える。中にはその労災にすら加入してないという販売店もあるというからな。
もちろん、今の時代にそれは通用せんから、たいていの販売店では、従業員に対しての補償はちゃんとしとると聞くがな。
ただ、今回のように、直接雇った従業員や配達員と認めてない者へは、こういう態度に出る店主は少なくないと思う。
「せやけど、法律的には、それでは通用せんと思うで。その内容証明にもあるとおり、このケースは販売店がケガと休業補償をせなあかんはずや」
これについては、当サイトに無償で法律顧問をして頂いている法律家の今村英治先生に教えて貰うてたことがあったから、そう言えたわけやがな。
労働基準法第9条に、労働者とは「職業の種類を問わず、この法律の適用を受ける事業に使用される者で、賃金を支払われる者」というのがある。
また、同法11条に、賃金とは「賃金、給料、手当、賞与その他名称のいかんを問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのもの」と定義されとる。
これらが、その判断基準になる。
ここで言う「職業の種類を問わず」とは、新聞販売店の場合、配達、集金、拡張、事務などの職務内容の違いを問わないという意味になる。
当然やが、新聞販売店は、労働基準法上の適用事業に該当する。
販売店の従業員には所定の給料を支払い、請負配達人には配達部数に応じた報酬を支払っとる。
請負配達人について支払われる「労働の対償」は、たまたま歩合給、請負給となっているにすぎず、販売店から支払われる賃金に変わりはない。
これらのことから、販売店と請負配達人との関係は、労働規約による使用者と労働者の関係が成立するとみなされる。
つまり、請負配達人であるクマイは他の従業員と同じく、店員という立場になるわけや。これについては、イシヅカとの認識もそれで一致しとる。
しかし、クマイの雇った二人の使用人については、クマイが独自に雇ったのやから販売店には責任がないとイシヅカは言う。
これが、販売店と請負配達人との間に正規の請負業務契約書が交わされていて、事業所対事業所の関係なら、そう主張することも可能かも知れんが、このケースにはそれは該当せん。
確かに、その二人の使用人の採用者はクマイやが、そのクマイ自身、販売店に雇われとる一従業員にすぎんわけや。
つまり、販売店=請負配達人(従業員)=その使用人という関係になる。
労働基準法上、クマイは店主であるイシヅカに代わって単に、その使用人を指揮監督しているだけやとなる。
せやから、その二人の身分は、他の新聞販売店の使用人と同じとみなされるわけや。
これを、もっと分かりやすく説明すると、請負配達人であるクマイは、その販売店の支店長と同じやと解釈すればええ。
ケンジはその使用人ということになる。
本店の経営者は、支店の従業員にもその責任を負わなあかん。これは常識やわな。
したがって、ケンジについての労働災害補償責任は、販売店主であるイシヅカにかかることになるから「ケンジは、お前が雇った人間でうちの雇い人やないんやから、そっちで話をつけてくれ」とは言えんということや。
もっとも、このケースでは労災保険が適用されるから、責任というても、それほどの負担にはならんとは思うがな。
「その話は本当ですか?」
「ああ、信頼できる専門家の先生の言われることやさかい間違いないと思うで」
「でも、社長がそれを言うて納得するでしょうか……」
「まあ、あのイシヅカさんなら難しいやろな」
イシヅカは、典型的なワンマン店主で、思い込みの激しい男として有名やった。
今回の件は、自分には関係ないと思い込んどるようやから、少々、人から諭されたくらいでは納得せんと思う。
「あんたからは何も言わん方がええ」
「でも、それやとオレに責任を被れと……」
「心配せんでも、イシヅカさんは、その内容証明を無視する腹のようやから、すぐその間違いに気づくことになるはずや」
内容証明郵便は、訴訟を前提に出すものやとは言うたが、今回の場合は、その前に労働基準監督署に訴え出るという方法もある。
内容証明郵便で、治療費と休業補償の請求をしとるくらいやから、おそらく、そうすると思う。
そうなれば、労働基準監督署から担当係員がやってきて、イシヅカにその説明をするはずや。
いくら、分からず屋のイシヅカやというても、労働基準監督署には従わなしゃあないわな。
「そうですか。それを聞いて安心しました。オレもケンジには気の毒やとは思うてたんやけど、余裕がのうて何もしてやれず途方に暮れてましたから……」
その後、どうなったかの連絡はないが、クマイから何も言うて来んところをみると、ワシの予想どおりになっとるのやと思う。
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