メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第162回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日  2007.9.14


■増紙コストについて


増紙というのは、新聞販売店が営業により購読客を増やすことをいう。

この業界で平均的な新聞販売店の取り扱い部数は、新聞各社、あるいは地域により多少のバラツキはあるが、公売3000部程度というのが一般的なようや。

その一般的な販売店が1部増紙をするのに、かけとる費用が一体どれくらいか知っとるやろうか。

おそらく、当の新聞販売店の経営者でも正しく把握されておられる方は少ないのやないかと思う。

答えを言う。

平均的な販売店が部数を1部増やすのに必要な経費は、実に133万円ほどにもなる。

「何やそれ!!」と驚いた人も多いやろうと思う。そんなアホなことあるかいなと。

もっとも、1部増やすのにそれやとしたら2部なら、倍の266万円になるのかというと、そうやないがな。

2部やと、せいぜい134、5万円程度や。

新聞販売店には減率というものが必ずある。3000部の部数が永久に続くわけやない。増紙せず放っといたら必ず減少していく。

どんな販売店にも、その月で契約の終了する読者がおる。

たいていは、止め押し(継続依頼)で、ある程度はくい止められるが、それでも再契約せん読者が、3〜5%ほどいとるのが普通やとされとる。

確かなデータがあるわけやないから定かとは言えんが、ここでは仮に3〜5%の中間をとって4%を平均的な減率ということにする。

公売部数3000部の4%は、120部。この状況で、増紙するためには121部が必要になる。この理屈は分かると思う。

一部の販売店では、拡張団に頼らず自力で増紙しとる所もあるが、まだまだ、拡張団に頼っとる販売店が多いのが現状や。

せやから、そのすべての増紙を拡張団に依頼したとして計算する。

ワシら拡張員の一般的な報酬額は、3ヶ月契約で4000円、6ヶ月契約で6000円、1年契約で8000円というのがもっとも多いとされとる。

ワシの所属していた団もこれやった。

これを業界では、それぞれの頭の数字をとって、ヨーロッパ(4、6、8)と呼んどる。

これに、即入料というて、翌日か、翌々日、もしくは翌月の1日から購読する契約を確保した場合、1本につき500円〜1000円のブレミヤが貰える。

また、まとめ料というて、その団と1ヶ月間、獲得契約数を取り決め、それをクリアしたら、その販売店で上げた契約1本につき1000円程度のプレミヤがつく。

それらを含めると、拡張員の1本あたりの平均的な拡張料は6000円程度ということになる。

これは、ヨーロッパ(4、6、8)の中間やからという単純な決め方やない。

正味の拡張料だけやと、3ヶ月契約の比率が高いから、ええとこ1本あたり5500円くらいなものや。

6000円という数字は、そのプレミヤ込みでということになる。

但し、これはあくまでも拡張員個人に渡るもので、新聞販売店が拡張団に支払う額は、それに1.5倍したものが一般的やとされとる。

まあ、拡張の世界はピンハネ業界やから、どうしてもそうなるのやがな。

それで、計算すると、販売店が拡張団に支払う拡張料は、1本あたり9000円ということになる。

これに加えて、客に渡す景品分も必要になる。基本的に景品は、販売店が負担する。

ただ、この景品分に関しては、どの程度が全国的に平均なのかというのは、かなり難しい問題やと思う。

それこそ、新聞社の方針や地域、販売店次第でもそれぞれやし、季節や日によってすら違うことも珍しいことやない。

さらに、同じ販売店でも、その契約者個人の違いで渡す景品の多い少ないというのも普通にある世界やさかいな。

しかし、それでは基準が示せんから、ここでは、6・8ルールぎりぎりの線で平均2000円分程度の景品を渡すものとする。

景品表示法(不当景品類及び不当表示防止法)により、新聞勧誘の契約客に渡せる景品の上限は、取引価格の8%又は6ヶ月分の購読料金の8%のいずれか低い金額の範囲と決められている。

それを、業界では6・8ルールと呼んどる。

それで計算すると、全国紙の全国版1ヶ月3925円×6ヶ月×8%=1884円になる。これが、渡せる景品の最高額ということになる。

それなら、2000円やと多すぎるやないかという意見がありそうやが、景品表示法ではその金額を決めとるだけで、それが仕入れ価格か販売定価かという規定はない。

つまり、例えその景品の品物が定価の2000円で売られていたものやとしても、それが1884円以内で仕入れられたものなら違法にはならんわけや。

そして、新聞販売店の多くは、一般の激安店並か、それより安く商品を仕入れとるのが普通や。

せやから、景品を品物で渡す場合は、ある程度、言い逃れることは可能になる。

いくら、その法律で取り締まる公正取引委員会であっても、その程度やと仕入れ価格まで調べるようなことは、よほどのことでもない限りないやろうからな。

これが、ビール券とか商品券のような金券やと言い逃れも難しいかも知れんけどな。

ただ、去年、平成18年の1月から、公正取引委員会は、景品表示法での一般業種の景品付与率を10%から20%に引き上げたというのがある。

緩和したわけやな。

これを受けて、新聞のそれも緩和されるのかなと思うてたけど、未だに、その気配はない。

新聞の場合、景品の上限は業界の自主規制によるものとされとる。新聞業界の自主規制が、公正取引委員会の認定を受けることで法律になっとるということや。

公正取引委員会が規制する一般的な景品付与率の上限が取引価格の10%のときに、新聞業界は自主規制として6ヶ月分の購読料金の8%ということにした。

他よりも厳しく設定したことで、体裁を良うしようという姿勢が見える。

新聞協会がその6・8ルールを変えん限りは、いくら公正取引委員会が他の業種の景品付与率を緩和しても、依然として法律は変わらずということになる。

ただ、その18年1月以降、新聞勧誘において景品のやり過ぎで摘発されたという話は聞いてない。

少なくともワシらの知る限りではな。

もちろん、その間、規定以上の景品のやりすぎがなかったというのは普通では考えにくい。

全国に900人もいとる監視モニターたちが、公正取引委員会にその違反報告をしていないというのもないはずや。

毎年、かなりの数、そういう報告例があるさかいにな。

どういうことか。

単純に考えて、目こぼしとも受け取れるが、景品付与率を緩和した公正取引委員会にすれば、今更、少々の景品オーバーに目くじらを立てる必要はなくなったのやないかという気がする。

もっとも、これはワシの勝手な憶測やから、それを真に受けて「それなら、少々の景品オーバーはええのんか」と勘違いして摘発されても知らんで。

あくまで違反は違反や。摘発されんという保証はどこにもないさかいな。

ちょっと、横道にそれたから、話をもとに戻す。

要するに景品2000円分を平均で渡すというのは、必ずしも多くはないということが言いたかったわけや。

せやから、1部の経費としては、販売店が拡張団に支払う拡張料が1本あたり9000円+景品分2000円=11000円ということになる。

増紙には121部必要なわけやから、121部×11000円=1331000円という計算になる。

ワシが、冒頭で「平均的な販売店が部数を1部増やすのに必要な経費は、実に133万円ほどにもなる」と言うたのは、そんな理由からや。

しかも、これはあくまでも平均で、それぞれの事情、状況次第では、これ以上かかるということもあれば、これ以下ということもある。

今回、何でこんな話題を取り上げたかと言うと、新聞勧誘の評判の悪さの一端に、この増紙が関係しとると常々思うてたさかい、一度はこの問題に触れとく必要があると判断したからや。

この業界は、たった1部でも増紙するのとマイナスになるのとでは、大きな違いになる。

そう捉えてそう思い込んどる業界関係者は多い。

多くの新聞社には、部数至上主義というのがあって、そのために「増紙」という言葉はあっても、「減紙」という言葉は存在せんと言われとるくらいやからな。

つまり、「減紙」を認める新聞社は少ないということになる。というか、業界ではあってはならんことやと長く考え続けられていた。

これは、日本の社会全体に言えることやが、その成績の優劣を計るのは数字をもってするというところがある。

プラスになったという事実だけで優良と判断され、マイナスに転落するとその能力が疑われる。

それは、ワシら拡張員も同じで、契約を多く上げれば有能やともてはやされ、成績が悪いと無能の烙印を押される。

確かに、数字で判断するのも一理あるというのは認める。

1ヶ月30本契約を上げる者より、50本契約を上げる者の方が、一般的に言えば能力が高いと見るのが普通やさかいな。

しかし、実際には数字だけがすべてやないのもまた確かや。

人の能力というものは、必ずしも数字に表れるものだけとは限らん。

その50本の契約の中には、多くの不正に確保された契約が含まれておる場合もある。

逆に30本しか上げてない人間の契約には、1本も不正契約がないということもある。

もし、そうやとしたら、どちらが有能な拡張員やと言えるのやろうかということになる。

普通に考えて、1本も不正契約がない1ヶ月30本契約を上げる者の方が、不正の多い1ヶ月50本の契約を上げる者より、信頼度が高いから、評価されなあかん。

しかし、残念ながら、この新聞業界では必ずしもそうはならん。

部数至上主義の世界では、50本中10本の不正が発覚すると、単にその人間は40本の実力者というだけのことになりやすい。

不正についてはペナルティを受けるのやから、それ以上は問われんということになる。

つまり、単純に40本と30本の比較になるということや。

当然のように、40本上げる者の方が不正のない30本の契約を上げる人間よりも評価される。

つまり、どういう形にせよ最終的に数字の多い方が評価されるということや。その内容が重要視されることは少ない。

そういう数字重視の社会やとどうしても、その数字合わせに狂奔する人間が現れる。

特に、この業界のように増紙がすべての世界やと、マイナスは許されんことやとなる。

もちろん、それには新聞社の意向もあるやろうが、それ以上に、販売店や拡張団がその思いに囚われやすい。

マイナスの販売店は、新聞社から業務委託契約の解除を突きつけられることも珍しいことやない。

それを業界では「改廃」と呼び、実質的に潰れるということを意味する。

新聞社からの業務委託契約解除というのは、要するに「あんたの経営する店には新聞を売りませんよ」ということやから、新聞販売店はどうしようもない。

その改廃理由のトップとなるのが、増紙できずに業績不振やと判断されたというものや。

これは、販売店だけやなく拡張団にも同じことが言える。

増紙に匹敵する予定契約部数(ノルマ)に到達せん拡張団も同じく業務委託契約の解除により解散、もしくは団長の交代を余儀なくされるケースもあるさかいな。

普通に、営業で増やせれば何の問題もないが、そう上手くはいかんと考える販売店、拡張団は、その契約の解除を避けるために無理をすることになる。

それが、てんぷら、喝勧、ひっかけ、置き勧といった俗に言う不正契約が蔓延(はびこ)る温床となる。

その不正契約も発覚すればのことで、発覚しなければ当然やが正規の契約となる。

そういうことも多々ある。

例えば、てんぷら(架空契約)を上げたとする。普通は、そういうのは発覚しやすい。

しかし、てんぷらを上げられた家の住人が、配達される新聞に異を唱えることもなくそのままの取り続け新聞代を払うということが往々にしてある。

また、喝勧などで強引に押しつけられ取らされたというケースでも、トラブルとなって解約でもされん限りは、問題のない契約ということになる。

理由の多くは、新聞代くらいのことでトラブルに遭いたくないということで、そうなる。勧誘員が怖い、面倒やと考えるわけや。

言えば、泣き寝入りというやつやな。そういう人も結構多い。

つまり、そういう不正と分かったやり方でも結果的に契約になるということを知っとる者は、その方法を改めんということや。

しかも、増紙できず、店が潰されるかも知れんとなれば、少々のことは何でもするという姿勢になりやすい。

部数至上主義が、悪質な新聞勧誘を招く温床やというのは、そういうことや。

新聞社が、根本的にその考えを改めん限り、悪質な勧誘を一掃するのは難しいと言うしかない。

企業としての新聞社が業績を伸ばそうとするのは、確かに間違った考え方とは言えん。そのための企業努力は必要やと思う。

しかし、新聞業界の特殊な事情を正しく把握しとかなあかんのも、また確かや。

はっきり言うて、販売店が常に増紙に成功するというのは、これからの時代、物理的に考えても無理なことやと言わざるを得ん。

現在、日本では、少子化の影響から毎年、人口の減少に歯止めがかからん状態になっとる。

新聞は人が読むものや。しかも、日本の新聞は基本的には、この日本、もしくは日本人だけに読まれる。一部の例外を除いてな。

人口が減少すれば、当然やが、それに比例して部数も減る。

しかも、新聞業界にとっては、単にそれだけのことでは済まん。

死の多くは高齢者に訪れる。その高齢者たちの新聞購読率というのは、限りなく100%に近いと思われる。

彼らは、新聞があって当たり前、新聞を読むのが常識という時代を長く生きてきたわけや。

せやから、よほどのことでもない限り、死ぬまで新聞を読み続けとる人が多い。

また、読んでないとしても、傍(かたわ)らにそれがないと落ち着かず寂しい思いをする人たちでもある。

彼らにとって、新聞はなくてはならんものの一つに間違いないと断言してもええ。

つまり、そんな新聞購読最大のお得意様が毎年、亡くなっとるわけや。

加えて、現代はあまりにも、情報ソース(情報の出所)というのが多い。

新聞以外にもテレビ、週刊誌、書籍の類は昔からあるが、それらにプラス、インターネットの急激な普及による情報の氾濫には凄まじいものがある。

しかも、それは、ここ10年余りとまだ歴史も浅い。

Windows95が発売されて飛躍的にパソコン普及率が伸びた1997年のインターネット人口は1100万人とされ、2000年に3000万人、2002年には4700万人を超え、去年、2006年には7600万人を突破したと言われとる。

今年はさらに伸びるのは確実と予想されとる。

現在は、パソコンだけやなく、携帯電話、ゲーム機などの手軽な端末が増えとるからよけいやと思う。

それらのインターネットには、世代の若い人ほど慣れ親しむ傾向にある。

というより、昔の人が新聞を読むのを当たり前としていた時代と同程度の感覚でインターネットの情報を見ているということになる。

そんな彼らにとって、すでにそのインターネットは、なくてはならん存在になっとるわけや。

それが、新聞離れによる無読化の一因になっとるのは間違いない。

それらのことを考え合わせると、増紙を強制するという昔ながらの新聞社のやり方は時代錯誤の暴挙に等しいことやと思う。

もっと別の道を模索せんと、本当に新聞の衰退に歯止めがかからんようになるという気がしてならん。

新聞社が、悪徳勧誘員の排除に力を注ぎはじめたのは、ある程度、評価するが、それだけでは解決せんということや。

もっと、根本的な考え方の転換が必要になる。しかも、それは、それほど難しいことでもないと思う。

要は、身の丈にあった経営、システムを構築すればええだけことや。部数至上主義の考え方を捨ててな。

そうすれば部数を伸ばすことだけが、新聞の値打ちを上げる方法やないというのが自然に分かるのと違うやろか。

新聞の減紙は時代の流れで、ある程度、やむを得んことやと割り切ることや。

衰退、減少にこだわらず、その中身を充実させることで、「新聞を取って良かった」と思わせる人を確保するように心がけとれば、それでええと思うのやがな。

無理な成長、勢力拡大は、結局、身を滅ぼす結果にしかならんというのは歴史が証明しとるさかいな。

販売店にしても、せっかくその地域性という特質があるのやから、無理な売り込みを続けるよりも、それを生かした営業努力というのを考えた方がええ。

その考え方は、ワシら拡張員にも言えることや。

ワシらの武器とするものは、その人間性が主なものやと言うてもええ。その後に、ちょっとした拡材(景品、サービス品)やな。

インターネットは、使い方次第では確かに情報の宝庫と呼べると思う。ある意味では、新聞の情報を凌駕する場合があるというのも認める。

しかし、その連帯感、触れ合いとなると薄いというしかない。

ある種の掲示版や特殊な仲間同士のサークルというものもあるやろうが、それでも、大多数の人は孤独にインターネットの画面と向き合っとるというのが実状やないやろうか。

ネットの掲示版には、自身の思いのたけを書くだけのことやが、当事者の顔が見えんから、どうしても相手に対しての思いやりというのに欠けやすい。

それが、勢い誹謗中傷となって表れる。本人を目の前にしては言えんことも平気で書けるわけや。

寂しいことやと思う。

人と人との交わりが希薄になりつつあるという社会というのは、話し好きのワシには耐え難いものがある。

そう考えとる人は、若い人の中にもまだまだ多いはずやと思う。また、そう
信じたい。

心が通い合ってのこその人間やないのかとな。その原点が失われつつあるように思えてならんのは、ワシだけやろうか。


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