メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第168回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2007.10.26


■店長はつらいよ Part1 恐怖の忘年会


ある販売店の店長から寄せられた話を紹介する。

数年前の年の瀬でのことやった。

その新聞販売店の若い店長、タケシタは、所長の付き添いで新聞社主催の年中行事でもある旅館での一泊二日の忘年会に出席していた。

そこには、販売部の局長や担当者らの新聞本社関係者、地域の販売店店主およびその店長クラスの人間、さらには新聞拡張団の団長とその幹部ら、この地域の業界の蒼々たる面々が集まっていた。

店長になって間もないタケシタにとっては、初めての参加やったが、着いてすぐに、来るんやなかったと後悔した。

新聞社主催の忘年会と言えば聞こえはええが、傍目にはヤクザの集会のようにしか見えんかったさかいな。

新聞社や販売店の人間なら、まだ柄の悪そうな者は少ないからそれほどでもないが、拡張団の連中は違う。

先入観があるからかも知れんが、どう見てもヤクザそのものにしか思われん連中ばかりや。

特に、宴会前の大浴場に入ったときの光景があまりにも強烈で、今でも脳裏に焼き付いて離れん。

それは、そのとき大浴場に入っていた拡張団の連中の半数以上の背中に、見事な?入れ墨が彫られていたのを目にしたからや。

入れ墨を入れとるという理由だけで、即、ヤクザやというわけでもないが、タケシタのようにその道に縁のない人間にとっては、どうしても、そうとしか思えん。

ここで、入れ墨について少し話しとく。

一口に入れ墨と言うてもいろいろある。

最近では、若い人間を中心に電気彫りによる化粧やファッション感覚で入れる者が増えとるから、あまり特別なことという感覚も薄れとるようや。

これらには、外国の有名ミュージシャンやアーティスト、格闘技などの影響が強いと思われる。

こういうのは、タトゥーと呼ばれる。

本来、ヤクザの入れ墨とは一線を画されとるものやが、最近の若いヤクザの中には、このタトゥーの流行に影響され、その手のものを入れとる者が多い。

あるヤクザの親分が、そうぼやいとるのを聞いたことがある。

「ヤクザがあんなものを『彫り物』として入れとるようでは世も末や」と言うてな。

ヤクザは入れ墨のことを「彫り物」「刺青」と呼ぶ。

「彫り物」というのはそのままやが、「刺青」と呼ぶ理由は分かりにくいと思う。

これには文学的な理由がある。こう呼ばれ始めたのは、文豪、谷崎潤一郎が1910年に「刺青」という短編小説のタイトルを発表して以降やというからな。

「刺青」は正しくは「しせい」と言うが、今では「いれずみ」と読むのが一般的とされ定着しとる。

入れ墨の起源には諸説あって、単純なものやったら紀元前5000年頃からあったとされる。

歴史の文献でそれとはっきり登場するのは、中国、殷の時代やという説が有力で、今から約3600年ほども昔ということになる。

その頃は、入れ墨のことを「文身」と言い、主に犯罪者に対しての見せしめとして顔や身体の一部に刑罰で入れられていたという。

その刑罰としての入れ墨は日本にも伝来したが、江戸時代の頃になるとその様子に変化が見られるようになった。

特に元禄時代とよばれる江戸時代の華やかな頃にその流行のピークが訪れる。

その流行は、博徒(ヤクザの別称)以外やと、火消し、鳶、飛脚など肌を露出することの多い職人らにまでおよび、彫り物がなかったらむしろ恥やと見なされるほどやったらしい。

その入れ墨の絵柄も華やかさを極めた。龍などに代表される神獣、神仙、神仏、あるいは花鳥風月などの独特の絵柄は、この頃からの伝統やという。

それ自体は、客観的に見て芸術性の高いものやと思う。

ただ、背負うとる人間にヤクザが多いということで、一般にはあまり評価されとらんがな。

入れ墨を入れとるのはヤクザだけとは限らんと言うたが、現代でも大工や鳶という職人たちの一部などに見られるのも、その頃からの影響が色濃く残っているためと思われる。

ヤクザが入れ墨を入れるには、歴史的な背景以外にも、それなりに結構いろんな意味がある。

ヤクザは入れ墨のことを「根性」とも「我慢」ともいう。

針を使い手彫りで全身、入れ墨を入れるのは、そうとうな苦痛を生じるから、それを我慢するという意味もあるが、それ以上に金がかかるということの方が大きい。

彫り師や図柄、施す範囲などによっても違うが、多くのヤクザが好んで上半身に入れとる龍などの神獣を描いたものやと、高いもので数百万円もするという。

ヤクザにとって、それを払いきることができるかどうかという「根性」や「我慢」も試されることになる。

すじ彫りというて、輪郭だけ彫ってそのままにしとるヤクザをたまに見かけるが、そういうのは、その世界では、金が払えんようになったという意味で「根性なし」と蔑まされるわけや。

単に、痛さの我慢くらべなら、それを志そうという人間にはどうということはないが、金の問題になると、なかなか思いどおりにはいかんからな。

ヤクザが見栄を張るのも、それなりに難しいということになる。

もっとも、そんな心理はワシには理解できんがな。

「親に貰った大事な身体に傷をつけて」というような説教じみたことを言うつもりはないが、人間の皮膚の下に一生取れんような異物を混入させて、身体にええことはないやろうというくらいは分かる。

実際、ヤクザで長く入れ墨をしとる人間の多くは、肝臓などの内蔵疾患に苦しめられとると聞くさかいな。医学的にもその関連が実証されとると聞く。

もっとも、健康に気を遣う人間が、明日の命も知れんヤクザになることもないやろうから、余計なお世話やろうがな。

ただ、入れ墨を入れる行為自体が確実に寿命を縮めとるのは間違いないと思う。

そこまでのことをして、入れ墨を入れとるのやから、ヤクザもそれなりにこだわりも強い。

さらに言えば、それと同等のものを入れとる人間についても共通するものがあると考えといた方がええやろな。

「団長、立派な彫り物ですね。お背中を流させてください」

タケシタの目の前で、そう言うとるのは、普段、傲慢な態度で販売店にやって来る新聞社のミヤモトという担当員やった。

その姿は、まるで、親分のご機嫌をとる子分そのものに見えた。

その手の人間は、その入れ墨を褒められると無性に喜ぶ。そのために、苦痛をこらえ金をかけとるのやから無理もないのやがな。

余談やが、この種類の人間を籠絡させようと思えば、その入れ墨を褒めちぎることや。まず間違いなく、その入れ墨を褒めた人間に好意を寄せるはずやさかいな。

もっとも、担当員のミヤモトが意図して、そうしてたかどうかは分からん。

ミヤモトは、販売店店主の間でも評判の悪い男やった。

とにかく態度がでかい。まだ30代前半ということで、タケシタとも歳がそう変わらんが、常に「タケシタ君」という呼び方をする。

何様のつもりやと心の中で毒づくことも多い。

店主であっても、若いとそれは同じやった。年上の店主にこそ、「さん」づけで呼んどるものの、物言いは命令口調に近いという。

新聞社の担当員は、総じて販売店よりも立場は強い。

たいていの販売店店主も「ミヤモトさん」「担当さん」と言うてへりくだった対応をする。それを当然なことと勘違いしとるフシがある。

その中には、親子ほども歳の離れた店主もおる。そんな人へも当たり前のように横柄な態度をとる。

しかし、相手次第では、卑屈なくらい低姿勢になる男というのが店主の間では、もっぱらの評判やった。

「虎の威を借りた狐」そのものやと。

目の前の光景を見とると、嫌でもそれを納得するしかない。

新聞社も立場上は、販売店に対してと同じくらい拡張団にも強いものがある。

しかし、背中に立派な入れ墨を入れとるというだけで、このミヤモトのような担当員は、萎縮して卑屈なくらい低姿勢になる。

団の幹部が団長を「おやっさん」と呼んだり、団長同士「よう、兄弟」と呼び合うたりしとるのを見ると、ヤクザ社会そのものとしか思えんのは確かや。

新聞社の担当員とはいえ、所詮、サラリーマンにすぎんミヤモトにすれば、そういう接し方しかできんのかも知れんがな。

新聞社は、表向き、販売店、拡張団に対してヤクザとの付き合いを禁じとるところが多い。

それが発覚すれば、業務委託契約を打ち切るという新聞社もあり、実際にそうしたという話も聞く。

しかし、この大浴場の異様な光景を見とると、それも怪しく思えてくる。

ここにいとる拡張団の連中の全員がヤクザやと言われたら、タケシタは素直にそれを信じたと思う。

宴会が始まった。

店長とはいうても、タケシタは、この場では最下位に位置する下っ端や。

一般から見ると店長と言えば、その販売店の最高責任者のような感があるが、実際は、ただの雇われ人にすぎんわけや。その店の従業員のトップというだけや。

当然のように、他の店主の所へはもちろん、拡張団の団長へもあいさつを兼ねて、酒の酌をして廻るのは、その店長連中の決まりであり仕事ようなものやった。

本来なら、形式上は販売店が拡張団に仕事を依頼しとる立場やから、上位でなかったらあかんはずや。

酒の酌に廻るのは、その団長、および幹部連中から、店主へというのが筋やないかと思う。

もちろん、思うだけで、そんなことは口が裂けても言えんがな。

ある拡張団の大物団長と目されとる、スガワラという男の前に行くのをタケシタは、極力避けたかったが、それが仕事となれば、そういうわけにもいかんかった。

ちなみに、その団長のスガワラというのが、例の大浴場で担当員のミヤモトに背中を流させていた男やった。

タケシタは簡単にその場を済まして、素早く立ち去ろうそうとしたが、そのスガワラに呼び止められた。

「K店のタケシタ店長というのはあんたか?」

「ええ……」

「蛇に睨まれたカエル」という使い古された表現が、このときほど当て嵌まる状況は他にないのやないかと、タケシタには思えた。

正しく大蛇かワニのような大型のハ虫類に睨みつけられたような感じやったさかいな。

もちろん、タケシタにとってそんな経験は初めてやったから、全身に震えがきて生きた心地がせんかった。

「確か、あんたやったよな? あのてんぷらカード騒ぎのとき、いの一番にワシに電話をくれたのは!!」

その恐ろしげな容貌に負けんくらいの凄みの利いた声やった。

「は、はい……」

タケシタは震えて、それ以上、言葉が出んかった。

「おかげで、助かったで」

とてもやないが、タケシタには、その言葉を額面どおりに受け取ることはできんかった。

報復される。真剣にその心配をしたほどやったさかいな。

団長のスガワラの言う「てんぷらカード騒ぎ」というのは、その宴会の3ヶ月ほど前の出来事やった。

ある日、モリシマというその団の班長が、タケシタの勤めとるK店に入店してきた。

そのモリシマという男は、入団、即、班長を任されたほどの逸材で、やたらカードを上げるという触れ込みやった。

この業界では、こういうケースはそれほど珍しいことやない。

できる人間の噂というのは、業界内では結構拡がる。そういうのを、ヘッドハンティングする団も多い。要するに引き抜きというやつや。

それと、自分を売り込んでくる人間もいとる。どこそこで、これだけの実績があると吹くというケースや。

モリシマは後者の男やった。

そのモリシマは、入団後、僅か一週間で50本もの契約を上げるという離れ技を演じた。

それで、団長のスガワラはすっかり信用して、すぐ班長に抜擢した。

本来なら、何かあると疑うべきなんやが、契約を上げた者勝ちという風潮の根強い業界では、その成績がすべてという考え方が支配する。

さらに言えば、拡張団の団長になるような人間は、おしなべて自信家が多いというのもある。

人を見る目も確かやという自信もあるし、まさか自分を騙すような人間はおらんはずやという自惚れも強い。スガワラがそうやった。

どこの団でも、できる人間は、のどから手が出るほどほしい。せやから、そういう人間は厚遇するということに、なりやすいというのもある。

それにしても、入団、僅か一週間で班長に据えるというのは、他からの反発はないのかと考えるのが普通やが、この拡張団のように、団長の力が絶対的な所では、そういう反対意見も少ない。

鶴の一声で済む。

モリシマは、その日、1日で12本ものカード(契約)を上げた。噂に違わぬ実力やと言える。

タケシタもこのときまでは、「さすがやな」と思うたという。

しかし、その日の監査で、その思いがぐらつくことになる。

監査というのは、販売店が拡張員の上げたカードを調べる作業のことを言う。

現読、もしくは契約済みの「約入り」や拡禁(拡張禁止)などとの照会と、その契約が間違いないかどうかを電話で契約者に問い合わせて確認するのが、その主な方法や。

もちろん、契約者に、いきなり「その契約は間違いおまへんか」という失礼な聞き方はせん。

「この度は、○○新聞のご購読、まことにありがとうございました」と言うて、客にはその礼をする目的で電話したように装うわけや。もっとも、その意味もあるのは確かやがな。

その監査で、モリシマの上げた客は、ことごとくその電話を持ってないというのが分かった。

その頃は、今ほど携帯電話の普及率が高くはなかったから、誰でもが持っているというもんでもなかった。

それに加えて、その頃は、基本的には携帯電話の番号は認められず、固定電話のみというのが主流でもあった。

ただ、そういう風に厳格に決めてしまうと、学生さんや若い独身者などの固定電話を持ってない人間からの契約は取れんということになる。

そのため、そういう人たちに限り、例外的に携帯電話番号のみ、もしくは電話なしでも認めてたわけや。

しかし、1、2本のカードがそうやというのなら、そういうこともあるやろうが、すべてがそれやというのには、タケシタは何か釈然とせんものを感じた。

ただ、その場は、形どおりの「引き継ぎ」をして、その契約を買い取るしかなかったがな。

そのモリシマらが引き上げた後、タケシタはどうにも気になったので、そのカードを直接、調べることにした。

本来なら、夜の9時を過ぎとるから帰って寝ておかんことには、翌朝の配達に差し支えるのやが、タケシタの性分として、それを確かめとかんと寝るに寝られんのは分かっていたから、ある意味、仕方がなかった。

最初の一軒目で、その予感は的中した。

その契約者とされていた人間は、若い独身者やった。

「僕は、ついさっき帰ったばかりで、そんな契約のことなんか知りませんよ。勧誘の人とも会っていませんし」ということやった。

その後、小一時間ほどで5軒ほど廻ったが、そのすべてで、てんぷら(架空契約)やったというのが分かった。

翌日、残りも調べ、それらもすべて、てんぷらやったと分かった。そのうち3軒は、アパートの空き部屋やった。話にならん。

そんなんやったら、「何で他の販売店で今まで発覚せんかったんや」という疑問が湧くかも知れんが、監査というても普通は電話のみで済ますことの方が多い。

実際にタケシタのように契約者と面談してまで調べるというのは少ないさかいな。

特に相手が、学生さんや若い人間やといつ帰って来るとも分からんから、そんなのに付き合い切れんというのが、調べる側の本音やと思う。

加えて、その契約は、即入というてすぐ新聞を配達するような契約やなく、数ヶ月先の分にしとるから、実際に入れ始めてからでないと発覚しにくいというのもあった。

モリシタは、その盲点をついたということになる。

タケシタは、所長とも相談した結果、担当員のミヤモトにその事実を伝えることにした。

しかし、そのミヤモトは、それを団長のスガワラに伝えるどころか「それは、お宅と○○団との間で解決してくださいよ」と言うて逃げる始末や。

本来、こんな担当員は失格や。

たいていの担当員は、こういうことはない……はずやと思う。

タケシタは、店長になって間がなく張り切っていたということと、持ち前の正義感も手伝い、直接、団長のスガワラに電話した。

もちろん、タケシタは、店長になってから日が浅いというても、この販売店には7年ほど勤めてていたから、スガワラという人間がどんな男かは承知していた。

見た目もそうやが、実際にもヤクザやという噂もある。

夏なんかには、シャツの隙間から、ご大層な入れ墨もチラチラ見える。いずれにしても、まともな人間やないのは確かや。

ただ、そのときは、怖さよりも「こんな真似をさらしやがって」と、そのモリシタに対する怒りの気持ちの方が強かったというのがある。

「団長、班長のモリシタさんのことですけど、こんなことをされては困りますよ」と、つい、強めの口調で言うた。

「あんた、そこまで言うからには、ちゃんとした証拠があってのことやろうな」と、逆に脅されたが「もちろん、あります」と言うて引き下がらんかった。

結局、スガワラは、タケシタの言うことを信じて、モリシマのことを調べ上げた。

すると、案の定、他店でも大量のてんぷらカードが発覚したということや。

その日を境に、そのモリシマの顔を見ることはなくなった。

クビになったのは間違いないやろうが、どんな目に遭うたかまでは知らん。興味もないし、知りたいとも想像したいとも思わん。関係のないことやさかいな。

「タケシタさん、ま、一杯」と、そのスガワラは、タケシタからの杯を返して、それにとっくりで酒を注いだ。

「いただきます」

そう言うと、タケシタは一気にその杯の酒を飲み干した。

「それにしても、あんたええ根性しとるな。このワシに、あれだけの啖呵をきって意見したのは、タケシタさんくらいやで」

口調こそ穏やかやが、にこりともせず相手を睨みつける眼光を前にして、タケシタはその言葉にどう返したらええのか、とっさに判断しかねた。

ただ、新聞社の担当員すら一目も二目も置く、20歳以上も歳の離れた拡張団の団長に「さん」づけで呼ばれるのは、正直、悪い気はせんかったがな。

「これからも、よろしゅうに、頼んます」

スガワラはそう言うと、いきなり頭をぺこりと下げた。

「こ、こちらこそ、よろしくお願いしやっす!!」と、反射的にタケシタは、そう叫んで勢いよくおじぎをしていた。

その日を境に、その団長のスガワラはおろか、担当員のミヤモトでさえ、タケシタに対して、その態度を一変させることになる。

この世界で認められたと感じたときやった。

その後、何かと目をかけてくれた、その団長のスガワラも今では引退して、悠々自適の生活をしとるということや。

引退後、一度だけ会って話したことがあったが、そこにはあの人を射すくめるような鋭い眼光の団長スガワラの面影は微塵もなかった。

孫の話をして嬉しそうに目を細める、ただの気のええ初老の男がいただけやった。


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