メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第170回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2007.11. 9
■新聞社への苦言 Part1 ネット記事について
現場の最前線で新聞の売り込みをしとる者として、新聞社に苦言を呈したいことが幾つかある。
現在、新聞販売業界には、相当の危機感を抱いている関係者は多い。
このサイトに数多くの情報を日々、送って頂いている販売店関係者、拡張団関係者の方々の意見や体感を総合すると、「部数が激減している」というのが間違いのない共通の認識やと思う。
今回は、その理由の一つとして挙げられるインターネットについて話そうと思う。
インターネットの普及により、若年層を中心とした無読者層の増加が顕著なのは誰の目にも明らかや。
それが、次第に中高年者層にもおよぼうとしている現実がある。
その原因を作っとるのは、他でもない新聞社自身やと思う。それに気がついとるのかどうかは分からんがな。
それには、ネット上で新聞記事を垂れ流ししとるというのが大きいと思う。
表現は、ちょっと過激かも知れんが、ワシにはそうとしか考えられんのや。
少なくとも、2、3年前までは、ネット上での新聞記事の報道は新聞紙面のそれと比べるとまだ控え気味やった。
しかし、最近では、すべてを掲載しとるとまで言わんが、紙面と遜色のない情報がそのネット上にあるのは確かや。
そして、それらは無料で目にすることができる。
また、新聞社の中には、ネット上で新聞紙面とまったく同じものを安価で売り出す所まで現れとる。
それでも、それをパソコンだけでしか見ることができんというのなら、それを扱えん者や面倒くさいと思う者も多いから、まだ救いはあった。
しかし、今や、携帯電話からでも簡単にその情報に触れることができる。
今の時代、携帯電話を扱えん人間を探す方が困難やから、これは大きい。
そんな状況下で、ワシらがいくら頑張って勧誘に廻っても「ネットで新聞を見ることができるのやから金を払ってまで取る必要はないやろ」と言われたら、どうしようもないのが現状やと思う。
ワシらにできることは、そういう無読者には無策という方法しか取れんということになる。
ワシもサイトでは無読者は相手にするなと言うてきたしな。
それでも、そういう人間が少ないうちは、まだ何とかなっていたが、ここ1、2年は異常な増え方や。
その無読者を結果的にせっせと増加させとるのは、新聞各社のネット上での情報垂れ流しにあるとワシは考えとる。
本来、新聞各社がネット上に情報としての記事を掲載するのは、新聞紙面を売り込み購読に導くことが目的やったはずや。
それが、いつの間にか、それを充実させるあまり、それ自体で十分な情報媒体になってしもうとる。
新聞社自身が、まるで「ここで記事を見れば十分ですよ」と言わんばかりや。
しかも、その情報は、新聞社のWEBサイトだけやなく、多くのポータルサイトにも同様の記事を配信しとる。
そこには数社の紙面情報が集まるから、それ以上の情報媒体やと言うてもええ。
そんなことを続けとると肝心の新聞紙面が売れんようになるのは、当たり前やと思うがな。
こんな単純なことは誰でも分かる。それを、日本有数の優秀な頭脳が結集しとる新聞社の連中に分からんはずがない。
しかし、それを知ってか知らずか、客を減らしておいて、顧客を増やせ、カード(契約)を取って来いちゅうのはないで、ほんま。
別にキレとるわけやないが、ワシがここまで言うからには、それなりの理由がある。
それは、ここ最近、以前からメルマガやHPに懇意にして頂いていた新聞販売店経営者、拡張団団長の方々から廃業した、あるいは廃業したいというメールが数多く届くようになったというのが、ワシらにとってはショックやったからや。
それらについての詳細は、その方々の希望もあり、また微妙なことが含まれとるから、なかなかメルマガやサイトで知らせるわけにはいかんが、そのうち折りを見て話すつもりにはしとる。
もちろん、その方々の許可を貰ってやけどな。
はっきり言うが、ワシら末端の販売関係者をここまで追い込んどるのは、新聞社にも責任のあることやと思う。
それを分かってほしいがための苦言や。
確かに、インターネットは時代の流れで、それをくい止めることは無理やというのは認める。
情報を売り物にしとる新聞社が、ネット上に何もその情報を出さんというのでは格好がつかんというのも分かる。
しかし、新聞社の組織をある程度、維持したいと考えとるのなら、限度というものも考えなあかん。
大袈裟やなく、このままの状態が続けば、じり貧どころか崩壊、倒産しかねん新聞社も現れると思う。
地方紙の小さな新聞社に限らず、大手と言われる新聞社もその例外やないと断言してもええ。
新聞の危機は、時代の流れもあるが、新聞社自らの取り組みの甘さ、考え方の甘さに起因するものも少なくないと思う。
いみじくも、ある大手の新聞社の元重役やった人が、その著書の中で『新聞社は、すでにナイヤガラの滝の縁まで来ている船と同じだが、その中では、未だに花見酒の宴会が続いている』という意味のことを書かれていた。
ワシは、それを危機を危機として捉えてない新聞社のトップに対しての皮肉であり苦言と受け取った。
その著書の真偽のほどは分からんが、あながち的外れな表現やないというのはワシにも分かる。
また、その方は『ライオンに追われたラクダは砂に頭を突っ込んで何も見ないでいる』という話を重ねてされていたが、本当にそれが新聞社の姿勢やと言うのなら救いはない。
新聞が売れな、新聞社が衰退するのは当然や。倒産もやむを得んわな。
そうなりたくなかったら、一般の人たちに「ニュースは、ネットで見るから必要ない」とまでは言わせないようにしてほしいと思う。
せめて、2、3年前までが、そうやったように「確かに主な記事はネットにもありますが、掲載されてない記事も多いのですよ」と反論して、説得できる程度に控えて貰いたい。
ちょうど2年前、メルマガ『第66回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞の利点』の中で、ネットのニュース記事について話したことがある。
その部分だけを抜粋する。
勧誘で廻っとると「インターネットで新聞社のWEBサイトを見ているから新聞は必要ない」と言う人間が時折いとる。
そこまでなら、個人的なことやから別に構わんが、中には「朝刊の記事は、ほとんどHPに配信されていて、しかも、それが無料で見ることができる。そんな情報をなぜ金を出してまで買う必要があるのか」と挑むように言う者がおる。
挙げ句に「そういう新聞を購読することで何のメリットがあるのか教えてくれ」と聞く。
もちろん、ワシらにそういうことを聞く人間は、教えを乞うという姿勢やない。お前ら拡張員風情には分からんやろという態度が歴然としとる。言えば、馬鹿にしとるわけや。
そんな質問に、剥きになって反論するのもどうかと思うが、一応、答えとく。
新聞社がWEBサイトで記事を配信しとることについてやが、それには体裁という部分がまず挙げられる。
今の時代、WEBサイトくらい持ってなあかんというやつや。情報を売り物にする新聞社にそれがないというのは格好つかんからな。
次は新聞本紙の宣伝のためという狙いがある。確かにWEBサイトに公開されとるニュースには、新聞紙面に掲載されとる主なものはある。
しかし、宅配される新聞紙面と同じ内容がすべて載っとるわけやない。
普通、新聞の情報量は、朝刊の場合、単純計算で400字詰め原稿用紙に換算して約500枚程度になる。B6版の書籍にして300ページ分ほどもある。ちょっとした単行本1冊分や。
その内容が、新聞紙面と同等と錯覚するわけや。単に情報量の比較は、WEBサイトのそれと比べても格段の違いがある。
「インターネットで新聞社のWEBサイトを見ているから、新聞は必要ない」という人間は、おそらく、それしか知らんやろから、そう言うわけや。
パソコンに馴染んどる人間には、有料ソフトの無料体験版がWEBサイトに該当すると言えば分かりやすいと思う。
無料の体験版でも、そのソフトの内容は分かる。それを分からせて本ソフトを売るのが目的やから当然と言えば当然や。但し、機能や情報は、本ソフトに比べて少ないし、制限もある。
WEBサイトで満足しとる人間は、その無料体験版で納得しとるようなもんやと思うわけや。
もちろん、それが悪いということやない。それで、十分な人間にとっては、何も問題はないわけやからな。
ただ「そんな情報をなぜ金を出してまで買う必要があるのか」と言うのは、認識不足やと思うだけのことや。
と言うてた。今、同じ主張が繰り返せるかと問われても、ワシにはその自信がない。したとしても、苦しいものにしかならんやろうと思う。
それくらい当時と現在では、ネットでの新聞記事に対する扱いが変わってしもうとるのが現実なわけや。
すぐにもその流れに歯止めをかけてほしいが、それも望み薄のようや。
逆に今後は、もっと進行しそうな雰囲気にあるさかいな。
WEBファーストという考え方がそれや。
これは、現在、欧米を中心とした多くの新聞社の編集方針やという。
紙媒体の新聞離れが深刻な状況になったということで、WEB上に記事を移行させネットユーザーを読者として集めることにより、新聞社を再生、維持しようという戦略のようや。
現在、日本でもその方向に動いている新聞社も数社あると聞く。また、実際にそういう計画のもとで始動もしとるようや。
近い将来、そうせなあかん時代が来るかも知れんというのは分かる。
ただ、『WEBファースト』の考え方は、その新聞記事によって集客し、企業からの広告収入を得ようとするものやが、ここに大きな間違い、勘違いがあると言いたい。
特に日本において、それは冒険というより愚行に近いと言うてもええ。
しかも、そういうWEB主体の事態になったとき、新聞が今のような巨大組織を維持できることは、まずないと言うとく。
ワシには、どう考えてもそれは小規模経営のための戦略にしか思えんからな。新聞のなれの果ての姿がそれやというのなら分かる。
新聞社、とりわけその実権を掌握しとると言われる編集部の人間は、ええ記事を書けば新聞が売れると信じているフシがある。
確かに、その記事の内容に左右されて、新聞を選択する人がおるのは認める。
認めるが、それは、大多数やない。残念やが、極一部の少数にすぎん。
このメルマガでも、事ある毎に言うてるが、購読者が新聞を取る最大の理由は、今まで取っているからという惰性で続けとるというのが一番多い。
その中には、新聞紙面が変わることで読みづらいというのもあるやろうし、昔から決めとる特定の新聞というのもあるやろう。
さらに、裏面の『ラ・テ欄』と呼ばれとるテレビ欄しか見ない人も多く、そのために購読しとるというのもある。
それやったら、テレビ番組専用の雑誌を買えばええやないかという意見も出るやろうが、こういう人は、そのテレビの放送が前日に変わることも多く、雑誌だけでは安心できんと反論する。
あるいは、近所の販売店と付き合いが深く、懇意やからというのもある。
読まんでも、その新聞がそこにあるというだけで安心する人も少なくない。
実際、そういう人は、読むことのない新聞が無駄やということで、一旦は購読を中止するのやが、またすぐ購読を始めるというケースが往々にしてあるさかいな。
その新聞がないと何となく寂しい思いがして、落ち着かんというのがその理由や。
また、折り込みチラシに惹かれて購読しとるという人も多い。
そして、ワシら営業員に勧誘されて仕方なく購読しとるというのも相当数いとるのも間違いない。
新聞販売店による毎日の配達や営業努力の賜というのも大きい。
つまり、現在の新聞の購読者の大半は、新聞記事の内容とは遠くかけ離れた理由で、その紙面に金を払い購読して納得されとる人が多いわけや。
その人たちにとって、新聞とは単なる情報媒体やなく、生活必需品やと言うてもええ。
その証拠の一つとして、これもメルマガ誌上『第31回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■古新聞の利用法?』でも言及したが、新聞は単に読むための情報媒体してだけやなく、新聞紙そのものの利用価値や用途が多いというのもある。
そのためだけでも、1部100円程度の新聞が、それほど高価なものやないというのが分かると思う。
極端な話、使い方次第では、命さえ守るアイテムにもなるさかいな。まあ、そのへんのことは、そのメルマガを読んで貰えば分かるはずや。
事実、そのためだけに新聞を購読しとるという人もおられる。
今のところ、日本ではその新聞紙に匹敵するほどの用途の広い紙が他にないということもあるがな。
勘違いせんといてほしいが、そんな理由で新聞の必要性を説こうとしとるのやないさかいな。
単に、一つの用途というだけのことで、それを重視するかどうかは、あくまでも購読者が決めることや。
ワシらとしては、新聞は、やはり新聞として読んで貰いたいという願いの方が強いからな。
ワシは、この拡張員の仕事を始めて、今年で14年目になる。
その間、営業で接触した人は優に40万人を超え、顧客になって貰うた人は残っているデータだけでも2万人はいとる。
その経験から言わせて貰えばネット上の『WEBファースト』に移行して新聞社が生き残るのは、かなり難しいと思う。少なくとも、この日本ではな。
まず集客力の問題がある。
新聞社のWEBサイトにはカウンターが設けられてないから、日々のアクセス数は、ワシらでは分からんが、まさか新聞の購読部数と同等というのはないやろ。
仮に、新聞社がWEBサイトに移行した場合、現在の購読者数がそのままというのは、まず考えられんと思う。
紙媒体としての新聞は、読まれてなくとも存在する価値がそれなりにあるが、WEBサイトの場合は、そこにアクセスするという行動を起こさんと絶対に目にすることはないさかいな。
現在の購読者の多くが、そこまでして新聞記事を見ようとするとは、とてもやないが思えん。
ワシが思うに、新聞購読者で常に記事を読んで利用しとる人間は、全体の2割程度いとれば多い方やと思う。
後は、先にも言うたように、惰性であり、チラシ目的であったりするわけや。
純粋にその新聞のファンと呼べる購読者は、1割もおればええ方やないかなと思う。
しかし、それでは、現在の巨大新聞社が維持できるわけはない。
もちろん、当の新聞社も、さすがにそれは考えてないと思うがな。
日本で、新聞が現在の部数をまがりなりにも保てとるのは、再販制度という特殊な制度に守られ、宅配制度が充実しとるからに他ならん。
それが外されれば、新聞は無惨なことになるのは目に見えとるさかいな。
つまり、今回の新聞社がWEBへ力を注ごうというのは、その再販制度、宅配制度を維持しつつということのはずや。
早い話が、ええとこ取りだけしようという腹や。
ワシは、その考えが甘いと言うてるわけや。
結果として、今よりも新聞離れの人間を増やすのは目に見えとるからな。
それで、新聞各社が増紙に対して末端に寛容になるというのなら、まだしも、そういう素振りは微塵もないさかいな。
相変わらず、販売店や拡張団に対しては、「増やせ」一辺倒の指示しかないというのが、そのええ証拠や。
そして、その意に沿わん経営者には、以前にも増して過酷な姿勢で臨む方針やというのも漏れ聞こえてくる。
また、新聞社の中には、既存の販売店システムを販売会社化して一括管理しようとしとる所もあるようや。
さらには、小さな販売店が大きな販売店に吸収されとるケースも目立つ。それを新聞社が後押ししとるという。
その功罪は、それぞれいろいろあるから一概にええ悪いも言えんが、それらが結果として、多くの販売店店主の廃業につながっているのは確かやと思う。
もっとも、新聞販売店は全国に2千数百店もあるから、以前から廃業や店主交代というのは日常茶飯事やったのは確かやけどな。
ワシの知る限り、以前は店主個人に責任があったというケースの方が多かったのも事実や。
しかし、最近のそれは、少し様相が違う。それらの事情については、いずれまた個別に苦言を呈するつもりやがな。
今回のネット上での新聞記事の扱いについてやが、苦言だけでは何やから、提言もしとく。
ネット上での事件の報道記事というのは、何やかやと言うても、新聞社からの報道記事が圧倒的に多い。
万が一、その情報が一切なくなったとしたら、ネット愛好者たちは何でそのニュース情報を得るのかということになる。
過激な者は、新聞不要論というのを声高に叫ぶ。そういう論調やバッシングが多い。
しかし、新聞社が本当に消滅した場合のことを考えたことがあるのかと言いたい。
今まで、当たり前として入ってきていた情報が一切なくなるかも知れんのやで。
やはり取材能力ということにかけては、新聞社は群を抜いとると思う。
ワシの知る限り、それに匹敵する組織はないと断言できる。
また、新たにできる可能性もゼロやないやろうが、すぐには望み薄や。百年以上の歴史の重みは、そんな軽いもんやないと思うしな。
確かに、新聞社が消滅しても、そこで働いていた記者は残るから、それなりの記事が配信されるかも知れん。ノウハウもある程度、受け継がれるやろ。
しかし、新聞社としての記事と個人としての記事では、その信用度としてはどうやろうか。
新聞社という枠があるからこそ、その名のために、記事が書かれるわけや。そこには誰一人として勝手気ままに記事を書いとる者はおらんと思う。
新聞記者の誇りと使命感が生まれるのも、その新聞社あってこそやと信じる。
その新聞社という枠がなくなり、多くの人間が好き勝手に情報を配信する時代になったと考えるだけで怖い気がするがな。
情報の錯綜という程度の生やさしい状況やなく、間違いなく混乱した時代になると思う。
新聞社からのニュース記事を除いて、現在、ネット上で一体どれくらい信頼に足る情報があると言えるやろうか。
一つの信頼できる情報、記事にたどり着く前に、どれだけ、無駄な情報に接しなあかんかということや。
新聞社は、絶対つぶすべきやない。それがワシの結論や。
しかし、時代の流れで衰退はある程度、やむを得んとは思う。
ただ、それでも、ネットで新聞記事を垂れ流すような自殺行為は頂けんがな。
そんなことをせんでも考えたら、いろいろ方法はあるはずや。
数年前のように記事の公開を控えるというのもそうやし、新聞社のWEBサイトで、その記事を読むのを、会員制にして有料にするというのも方法や。
「続きは登録を」ということにしとけば、その続きが読みたければ、そうするやろうし、新聞紙面の方がええと言う人は新聞を買うはずや。
営業の観点から言えば、そうすることがベストやと思うがな。
テレビはどうなのかという質問があるとは思うが、テレビはあくまでも視聴覚やから新聞とは別ものや。
それに、テレビで流れるニュースは昔から時間の関係もあるのやろうが制限されてたしな。
加えて、ネット上では、その新聞記事とはリンクできるが、テレビとは、しづらいというのもある。
それに、新聞が飛躍的に部数を伸ばした時代に、同じようにテレビも驚異的な普及率を獲得しとる。
お互い共存できる関係やったわけや。まあ、それには、多くの新聞がテレビ局を手中にしとるということもあるがな。
また、「テレビがあるから新聞は必要ない」という人が少ないということでも、お互いの存在が、あまり影響がなかった証拠やと言える。
記事の安売りをせず制限すれば、逆に情報を欲している多くのネット愛好者たちも新聞を買うやろうし、心を動かされるはずやと思う。
そうなれば、ワシらも今よりかは、はるかに新聞を売りやすくなるはずや。
「確かにネットには、その記事はありますが、さすがにこんな記事はないでしょう」と言えるのは大きいと思うで。
ただ、この程度の提言は、新聞社内部でもあったはずや。皆が同じ方向を見てない限りな。
それが、却下された結果が現在やと言うのなら、ワシの苦言や提言は意味のないものかも知れんがな。
それでも、座して死するつもりはないから、これからもこれに似た苦言や提言は続けるつもりや。
ワシのようなペーペーの一拡張員の発言が、メルマガというネットの情報伝達手段で、その新聞社の人間に知らせることができるというのは、昔やったら考えられんことやったが、今は可能性としてそれがある。
例え、それが一縷の望みであってもな。
もっとも、万が一にも、ワシの提言で、そのネット上の新聞記事が制限されるようなことになったら、無読の方からは恨まれるかも知れんがな。
このメルマガの読者の中にも無読の方が多いようやさかいな。
ただ、これだけは分かってほしいのやが、ワシは新聞を売って生活しとる営業マンで、新聞が売れんようになって貰うたら困る立場の人間なわけや。
そうならんためには、できることは何でもするのは当然やと思うんやけどな。
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