メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第172回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2007.11.23
■ある地方紙販売店の闘い Part1 その前夜
「もう、店をたたむしかないな……」
ある地方紙新聞販売店の店主、ナカイはそう観念した。
ナカイは、新聞販売店の経営を20年近く続けてきた。できれば、このまま販売店の経営を続けて人生を終えたいという気持ちはある。
それが、どうにもままならない。廃業するしか選択肢がなかった。
ただ、辞めても他にあてはない。この業界以外の仕事の経験はないしな。
ええ歳をした中年男が、今になって他の仕事に就くことに不安はある。
しかし、このまま新聞販売店の経営を続けていても先がないというのは明白や。
それなりに葛藤はあるが、思い切るのは今しかなかった。
現在、この業界は全体的に冷え込んでいる。
それには、インターネットの台頭で深刻な新聞離れが進行しているということが、まず第一に挙げられる。
少子化による人口の減少傾向に歯止めがかからんというのもある。
実際、ナカイのバンク(販売店の営業エリア)内の人口も10年前と比べるとかなり減少しとるしな。
これから、さらにそれが進行するはずやから、将来を見据えた展望に期待が持てんという点でも大きい。
新聞販売店には、宅配制度というものがあり、限られた範囲の中でしか営業できず、客を増やすことができんという特殊な事情もある。
そこで、新聞離れや人口減により購読者の絶対数が減るというのは痛い。
それでも、他に競争相手がなかったら、購読者という「パイ」が小さくなっても何とか食いつないでいけるかも知れんが、ライバルも必死になってそれを食い合うから、それも難しい。
通常の地域には、全国紙4紙、地方紙1紙、ないし2紙程度が、購読者獲得に血道を上げ鎬を削っとるのが普通やさかいな。
ただでさえ、新聞販売店はそういう過酷な状況にあるのに、ナカイの所属する地方紙のやり方では、どう考えても生き残るのは無理としか思えんかった。
もっと言えば、生き残ることができんような方向に持っていこうとしとるとしか考えられんことが多すぎる。
もちろん、そう思う理由はいくつかある。
一つには、押し紙の存在がある。
押し紙というのは、新聞社が販売部数を伸ばす目的で、新聞を強制的に販売店に買い取らす行為のことをそう呼ぶ。
この押し紙については、主に全国紙の問題で、地方紙はそれほどでもないと一般には思われがちやが、そんなことはない。
拡販に力を注ぐ新聞社は、全国紙であっても地方紙であっても、それは同じや。大差ない。
もっとも、この押し紙については、新聞社と個々の新聞販売店との間でも、かなり違いがあるから、一概に決めつけられることでもないがな。
同じ新聞社であっても、ある販売店では、その押し紙がほとんどないというケースもあれば、違う販売店には、押し紙と実売部数がほぼ同数というワシらでも俄には信じがたいことが行われとる所もあるという。
ちなみに、ナカイの店での押し紙比率は20%弱ほどやった。
この程度では、全国的に言うても特別、過酷な数字というほどのものやないが、ナカイの所属する新聞社では、全国紙にありがちな、それに対する補助金制度というものが一切なかった。
実売部数が1000部にも満たない販売店で、押し紙が200部近くあるというのはきつい。
ナカイの店では新聞の仕入れ価格は、販売価格の約6割、2300円ほどになるから、毎月、45、6万円は何もせず消える計算や。
それが、ローブローのように利いてくる。
しかも、その押し紙が減ることは状況から考えにくく、徐々にやが増えていっとるのが実状やった。
加えて、押し紙による利点とされとるチラシの収益も、販売店にはまともに入らんシステムになっとるというのも辛い。
チラシの入りは平日で15枚、金、土曜日で30枚程度やから、業界としては少ない方やない。どちらかというと多い方やないかと思う。
しかし、全国紙のように、業者が直接、販売店にチラシを持ち込むということはない。
折り込みセンターというのがある。新聞社の子会社のような所や。ここに、すべての業者からのチラシが集まり、そこから各販売店に配られる。
当然のように、かなりのマージンが、そこで差し引かれる。
せやから、チラシがあっても、他の全国紙ほど、それで潤うということがないわけや。
あるとき、ナカイは意を決して、担当員に直談判したことがある。
「押し紙がきついから、少し減らしてもらえませんか」と。
すると、その数日後、新聞本社に呼び出され、かなり叱責された。
さすがに、押し紙を断ったからということやなかったがな。
表向きは、増紙が満足にできてないことへの叱責や。新聞社に言わせれば、成績不良者の指導、教育ということになる。
どこの新聞社でも大なり小なり販売店には増紙を要求する。
現在の状況が新聞社に分からんはずはないが、それを認めてたんでは示しがつかんと考える。
販売店の経営者には、多くを稼げんでも安定した収入があって店が維持できたら、それで十分という考えの者が多い。
しかし、新聞社はそうやない。
部数が減ったら減ったなりの経営という方向には思考が向かん。販売店の経営者と違うて現状維持で満足とはならんわけや。
そのことがあった翌月から、さらに押し紙が増えた。
どこの新聞社でも共通して言えることやが、新聞の納入要求は、販売店からするという仕組みになっとる。
新聞社の中には、表向き「無理な注文は控えるように」という通達を文書で出しとるケースもある。
現在、押し紙というのは社会問題として表面化しつつある。
業界関係者には、それが存在するのは常識であっても、新聞社がそれを認めることはない。対外的には必ず否定する。
外部から、公売部数と実売部数の差は押し紙やと指摘された場合「それは新聞社が強制したものではなく、販売店が独自に不正な注文をしているからだ」と言って逃げる。
あくまで販売店の虚偽報告が原因やというわけや。事実、実際の押し紙関連の裁判で、新聞社はそう主張しとるさかいな。
確かに、この状況だけで判断すると、押し紙の介在する余地はなさそうに思う。
しかし、現実には存在する。
なら、どうやって新聞社の意向が販売店に伝わるのか、また、押し紙に相当する新聞が送付されるのかということになる。
それは、これらのやりとりはすべて電話、もしくは口頭で済ますからや。文書などの証拠を残すようなことはまずしない。
販売店から通常の部数の注文があっても「これでは不十分だ」と言って、申告し直すように伝える。
その際、「お宅は、今月○○部、増紙の努力してくださいね」あるいは「○○部の増紙の協力、お願いしますね」と言われると、販売店としては、そうせざるを得ないことになる。
新聞社と販売店の間には、業務取引契約書というのが交わされるとるが、これは契約とは言うても対等のものやない。
新聞社の一方的な理由で、いつでも解除可能になっとるものや。つまり、販売店は常に新聞社に生殺与奪の権利を握られとるということになる。
新聞社のお願いは、販売店にとってみれば「命令」に等しいわけや。
それに逆らう者は、暗に契約解除により改廃、つまり、つぶされるということを意味するさかいな。
そして、新聞社の多くは、口頭で済ますようなやりとりは文書にして残さんようにしとる場合が多い。
これは、昨今、急増しつつある裁判対策のためと考えられる。
もっとも、そんな証拠隠しなんかは、いくら握りつぶしに力を注ごうとも、真実の前には無意味で、いずれは暴露されることになるもんなんやがな。
それに気づいていないということになる。これは、ある意味、皮肉としか言いようがないことやと思う。
本来、新聞社は、その真実を暴くことで多くの企業や組織の悪事を白日のもとに晒して記事にしてきたわけやからな。そんな例は腐るほどあるはずや。
まあ、他人を見る目はあっても、自分のことは見えんということかな。
あるいは、自分たちには、その追求はあり得ん、及ばんやろうという奢りでもあるのかな。
そう思うしかない。
ナカイの店では、その押し紙が増えただけやなく、その日を境に、嫌がらせのようなことが続いた。
その日、ナカイは、いつものように夕刊を受け取るため、近所のバス停まで行った。
この新聞社では、夕刊の輸送手段に路線バスを使っていた。新聞社の経費削減のためや。
当然のように、この業界では、新聞社の都合と販売店のそれとやったら、新聞社の都合が優先されるから、毎日そうするのが面倒やとは言えんわけや。
何事であれ、新聞社の決定には従わざるを得んさかいな。
路線バスを使うという背景には、夕刊はページ数も少なくかさばらない上に、部数も朝刊の5分の1程度と極端に少ないということもあった。
夕刊には押し紙がないからということもあるがな。
新聞社がこだわる部数というのは、あくまでも朝刊主体になる。
夕刊はおまけ、というよりお荷物と考えとる新聞社、販売店が多いという。
実際、業界全体で、その夕刊は廃止の方向にあると言うからな。
おそらく、このままの状態が続けば、夕刊の廃止は実質的な値引きにもなるから、顧客の減少をくい止められると考えてそうするはずやと思う。
加えて、昔なら、夕刊は速報性という観点からなくてはならんかったものやが、今の時代、テレビもインターネットも充実しとるから、その必要性が薄れたということもあるがな。
昼間の乗客の少ない時間帯なら、さほど邪魔にならんということで、バス会社もそれを承諾していた。
その日、いつも運ばれてくる時刻の路線バスに、その夕刊は積まれてなかった。
その地域では、その時間帯のバスは1時間に1本しかないから、次の便は1時間待たなあかんことになる。実際、その次の便に積まれていた。
まあ、希に、こういう手違いは過去にもあったから仕方ないと、このときはそう考えた。
ところが、そういうことが断続的に続くようになった。
そして、単に、遅れるだけやなく、予定の1便前に運ばれたこともあった。
当然、何も知らんナカイが、それに間に合うわけもない。
バスは、新聞の運搬が仕事やないから、そのバス停に誰も来んかったら、そのまま出る。
そういう決まりやった。
せやから、常に予定時刻の前までには、そのバス停で待ってなあかんかった。
次のバスまで待っても夕刊が積まれてなかったため、不審に思うたナカイが配送センターに問い合わせたことでそれが分かった。
ナカイは文句を言うたが、「こちらは、連絡しましたよ」と平然とその担当者は答えたという。
悪いのは、そのバスに遅れたナカイということにされた。
結局、その日は、バスの終点でもある操車場まで、その夕刊を引き取りに行って、それを配り終えたのは、午後7時をすぎていた。
いつもは遅くても午後5時には配り終えとるから、客からは、当然のようにクレームの電話がひっきりなしに入る。
それらの家に謝りながら配るわけやから、よけい遅くなる。
他にも、新聞社から送り込まれてくる拡張員も見知らぬ顔の男たちが多くなり、それによるトラブルも極端に増え始めた。
他紙は、どうか知らんが、今までそういうことは少なかったから、そういうのはよけい目立つし、クレーム処理に追われ販売店の評判も落ちた。
当然、それによる部数減という影響も出た。
ナカイもバカやないから、背後に新聞社が何らかの糸を引いているのやないか、というくらいは想像できた。
もっとも、その証拠や確証がないから、文句を言うわけにはいかんし、どうにもならんのやけどな。
そんなとき、同じ販売店の経営者仲間から、ある噂を耳にした。
「ナカイさん、上が販売会社を増やそうとしているのは知ってるか」
「ああ、それなら聞いたことはある」
最近になって、新聞社に、そういう動きがあるというのは知っていた。
廃業した店舗を新聞社が、販売会社を介して直営化しようしとるという噂や。
表向きは独立した新聞の販売会社という体裁になっとるが、資本のほとんどは新聞社から出とるという。
販売会社の管轄になった途端、それまで少なかった部数が、急激に増えたというのは聞かされていた。
新聞社は当然のように、そのトップの手腕を評価して褒めちぎる。他の各販売店にも見習えと言う。
もっとも、ナカイたちの間では、その増えた部数は、水増し分の押し紙やというのが定説やったがな。
このご時世に、どんなに手腕の優れた人間でも、そう簡単に部数を急激に増やせるものやない。
それも、1営業所だけというのなら、そういうこともあるかも知れんが、軒並みそうやというのは考えられんさかいな。
そして、将来的には、すべての店舗をその販売会社化しようと目論んでるのやないかという。
そうすれば、現在、社会問題化しつつある押し紙の存在を消すことができるというのが、その噂の根拠や。
押し紙が表面化するのは、その裁判が多発しとるからや。
訴えるのは、それに泣かされてきた個人経営者たちということになる。
新聞社が販売店を直営化すれば、部数を水増ししても、誰もそれをバラすことはないと考える。すべて身内やからな。
そして、その部数の水増しは、厳密に言えば押し紙ではなくなるわけや。強制的な押しつけやないさかいな。
新聞社にすれば、これ以上の部数減は、広告主などが逃げ出すおそれがあるから、どうしてもくい止めたいという思いが強い。
しかし、世情からしても、今後も部数減は避けられそうもない。それを回避する手段が、その新聞社直営による販売会社化ということになる。
そうすれば、実状はどうでも、表向きそれが防げるし、外部にそれと知られることはない。
それが、噂の背景としてある。
そして、それが単に噂としてだけやなく、情報の一部として流れとるわけや。
その情報の中には、新聞社に逆らう販売店は、どんなことをしてもつぶして、販売会社に組み込めという指令が新聞社から出とるという話もある。
良きにつけ悪しきにつけ、ワシら拡張員も含めた業界の情報が広まるスピードというのは異常に早い。
インターネットのなかった昔でさえ、千里を走ると言われてたほどや。今でも、確実に業界内での噂話の伝達はインターネットを凌駕するのやないかと思う。
業界の噂の俎上(そじょう)に乗れば、かなりな広範囲にそれが流布されることになる。
「ナカイさん、気をつけた方がええで、あんたのところも、そのリストに載っているらしいからな」
それは、取りも直さず、行く行くはつぶされるということを意味する。
ナカイも、長年、この商売をしとるから、新聞社のええところも悪いところも熟知してるつもりや。
その、新聞社から煙たがられているというのも、良く知っている。
近い将来、その仲間の言うてるとおりになるか、追い込まれるというのは目に
見えとる。
いや、すでに追い込まれとる。このままでは、どうしようもないところまで来とるさかいな。
冒頭の「もう、店をたたむしかないな……」という言葉も、それを観念したからこそとも言える。
ただ、このまま、座して死を待つつもりはない。
長年、新聞社のために尽くしてきた報いがこれかという思いも強い。
考えれば、考えるほど無念さがこみ上げてくる。
ナカイは、ある名の通った弁護士に、押し紙に関する被害の裁判を依頼することにした。
その具体的な依頼内容を言うわけにはいかんが、その弁護士からは、「勝算は十分ありますよ」との手応えを得た。
それには、このときが来るのを早くから覚悟していたということもあり、それなりに証拠集めをしていたというのが大きかったわけやけどな。
もちろん、それがどういうものかは、ここで明かすわけにはいかんがな。
ただ、その気になれば、そういうものはいくらでも集められるということや。
真実、事実でさえあれば、何も怖くはないし、負けるはずもない。少なくとも、ナカイはそう信じた。
その裁判費用の手付け金として、その場で10万円。総額で50万円プラス実費経費。勝訴した場合の成功報酬は、損害賠償額のうち和解で1割、本裁判勝訴で2割ということで、話はまとまった。
その弁護士の知名度とこの裁判の難しさから言うても、妥当な線やと思う。
心やすい販売店仲間に「押し紙の裁判をするかも知れん」と話した。
「そらええ。オレらもできるだけの協力はする」と、その男は言う。
その男にしても、次は自分やという思いもある。
もし、ナカイのケースが上手く行けば、後に続くつもりはある。押し紙で新聞社に吸い上げられた損害を取り戻せるさかいな。
ただ、それは同時に仕事をなくすということを意味する。
裁判で確実に、その損害が戻るのならそれでもええが、絶対の保証はない。
先頃、関連の裁判で勝利したという話は聞くが、それまでの押し紙裁判というのは、ことごとく負けとるというのもある。
裁判に負け、廃業したのでは何も残らんことになる。
せやから、新聞社に隠れた応援はできるが、表立ってはできんというのが本音や。
ナカイもそれは良う分かっとるから、「その気持ちだけ貰うとく」とだけ答えた。
差し当たって、ナカイは仕事を探さなあかんかった。当たり前やが、廃業に追い込まれとる身で、遊んで暮らせるほどの余裕はないさかいな。
今はまだ準備段階やが、裁判が始まれば、その戦いは長くなりそうや。もちろん、その覚悟はある。
ただ、吉と出るか凶と出るか、それは神のみぞ知るというのが、正直な思いやった。
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