メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第181回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2008.1.25
■やっさんの東南アジア旅行漫遊記 前編
「まさか……」
朝刊の配達後、店長のタケシタは、店の事務所でテレビニュースを見ていて驚いた。
そのテレビ画面には飛行機事故の炎上シーンが映し出されていたからや。
テロップには『香港国際空港で航空機炎上』とある。
「おい、今日は、やっさんが香港から帰ってくるはずじゃないのか?」
タケシタは、隣にいた主任のカトウにそう言った。
「ええ、そのはずですが……」
カトウもそれ以上は言葉が続かんかった。
確かに予定では、その便に乗っていたとしてもおかしくはない。事故に巻き込まれた可能性は十分に考えられる。
一瞬、タケシタの脳裏に、あの人なつっこい笑顔で「これで、さよならやで」と手を振っている姿が浮かんだ。
「まさか……」
その言葉を二度洩らした。
「大丈夫ですよ、店長。あの、やっさんに限って、そんなことあるはずないやないですか」
カトウが何の慰めにもならんことを言う。
人間である限り、いつ何時、どんな災難に遭遇することになるか知れたものやない。不幸は人を選ばんと言うさかいな。
「そうやな」
しかし、タケシタは、不思議とそのカトウの言葉に素直に納得できた。
悲劇とか不幸という言葉が、もっとも似つかわしくない男が、あの、やっさんやと。
「やっさん」という愛称は、普通、本名からとった呼び名のケースが多いもんやが、彼の場合は違った。
横山やすし、という不世出の名漫才師がいた。
この「やっさん」は、その横山やすし、そっくりやったことから、そう呼ばれるようになった。
タケシタも、その横山やすしのファンやったから、初めて、このやっさんを見たときは、あまりにも似ていたので驚いた。
細身で角刈りにどぎついメガネ。関西弁でまくし立てる様は、まさに「横山やすし」そのものやと思うた。違うのは、本物と比べ、かなりの長身やったことくらいや。
横山やすし氏は、このやっさんを知る前年の1996年の1月に亡くなっていたのやが、そのあまりに似た姿と雰囲気を持っていたため、販売店のエリア内で一躍有名になり店の看板スターになった。
その独特のキャラクターと嫌みのない押しの強さで、営業成績も常にトップ、群を抜いていた。
所長も一目置いていて、カード料が他の専業より高く設定されていたほどや。
単に、その実力があっただけやなく、店員たちとのコミュニケーション能力にも長けていたから、それについても誰からも文句が出ることはなかった。
やっさんを一言で評すれば、「憎めない人間」ということになる。
また、本人は至って真剣なのやが、発する言葉の端々がどこか間が抜けて聞こえユーモラスな男やった。
人に好かれる要素をすべて備えていたと、タケシタはそう見ていた。
そのやっさんが、所長から推薦を受けて、新聞社主催の「優秀従業員東南アジア旅行」に参加することになった。3泊4日の予定やった。
それも家族参加で。やっさんの場合は、奥さんのユカリさんと小学3年生の娘さん、ミナちゃんの3人でやった。
もちろん、その費用はすべて新聞社持ちや。程度の差こそあれ、こういうのはどこの新聞社でもやっている定例行事でもある。
ただ、それが豪華な旅かどうかというのは意見の分かれるところやがな。
主催者である新聞社の狙いは、その従業員個人を喜ばせるというより、そうすることで、他の販売店従事者の発憤材料にするというのに加えて、新聞社の値打ちをアピールすることにあると考えるさかいな。
別に、ケチをつけるつもりやないが、その内容は一般的な格安ツアーの一つくらいに思うてた方がええやろと思う。
それでも、やっさんは、初めての海外旅行ということもあり、浮かれに浮かれまくっていた。
出発は、8月19日。真夏の暑い時期やった。
「こんだけ日本が暑いんやから、さぞかし東南アジアはとんでもない暑さなんやろうなぁ?」 と、ユカリさんに、はしゃいで言うが、いつものように軽くあしらわれる。
「あっちは熱帯地方だから、1年中、夏で暑いわよ」と。
「へぇー、冬がないんか。そら、大変や」
もちろん、何が大変なのかは本人にもよく分かっていない。
やっさんの、はしゃぎは、その後もしばらく続く。
飛行機の離陸時。
「うおーっ、うおーっ、うおーっ!!」と、やっさんが奇声を連発した。
やっさんは、30半ばにして飛行機に乗るのは初めてやった。
通常、旅客機は推進方向に0.3Gで加速して上昇すると言われている。
感覚としては、座席シートに軽く押しつけられる程度のもんやが、初めての人間にとっては驚異に感じる。
「あなた、恥ずかしいから、静かに驚いてよ!!」と、ユカリに耳元でたしなめられる。
さらに、台湾上空でのことやった。
いきなり機体が、がくんと急降下した。
実際には、僅かやったが、やっさんには奈落の底に落ちるのかと思えるほどの降下に感じた。
「うわっ、墜ちる!!」
またもや、やっさんが奇声を発した。
「大丈夫ですよ。ちょっとした、乱気流に巻き込まれただけですから」
それを見かねた、いかにも飛行機に乗り慣れたという感じの隣にいたビジネスマンらしき若い男が、そう声をかけてきた。
この程度のものは、今の時期、この辺りでは普通にあるという。
「これが、ちょっとした乱気流?」
「ええ」
やっさんも乱気流というのは聞いて知っていた。
乱気流とは、空気中に渦が生じて乱れ、不規則になった気流のことや。積乱雲の近くや台風の接近などの影響でそうなることが多い。
特に、夏場の日本付近では珍しいことやないらしい。
「冗談やないで。死ぬかと思うたわ。オレはもともと、こんな大きな鉄の塊が空を飛ぶこと自体、信じてなかったし納得してへんかったんや」
「また、それ?」
ユカリが、あからさまに「いい加減にしてよ」という表情を浮かべた。
やっさんは、東南アジア旅行に行けると聞いたときには喜んで浮かれていたが、飛行機に乗るのだけは嫌やった。無条件に怖い。
飛行機事故は、自動車事故なんかと比べても少なく、死亡事故に遭遇する確率は0.0009%やという説明を何かで聞いたことはある。
毎日、飛行機に乗り続けて事故に遭遇するのは、438年に1回ということらしい。ほとんどないに等しいと力説する評論家も多い。
しかし、落ちたら絶対に助からんというのも事実や。その438年に1回の確率が最初に乗ったときやないという保証はどこにもないさかいな。
しかも、飛行機事故は、毎年どこかで起きて確実に人命が失われているという歴然とした現実もある。
この前年の1998年の航空機事故による死亡者は、実に909人もいとるという。
確率的には低いと言われても、その事実に変わりはない。何の気休めにもならんと思うてた。
それでも、タダで東南アジア旅行が行けるというのは魅力や。こんな幸運は、やっさんの人生でも二度とあるかどうかの出来事でもある。
結局、その誘惑に恐怖が負けた。
しかし、この乱気流に見舞われたことで、それを後悔し始めてもいた。
「あなたも男なんだから、いい加減あきらめて、見苦しい真似はやめてよ。恥ずかしいから。人間死ぬときは誰でも死ぬわよ」
「……」
豪放磊落(ごうほうらいらく)、唯我独尊(ゆいがどくそん)を自認する、やっさんも妻のユカリさんだけには頭が上がらんようやった。
言い争っても勝負にならんと承知してた。まあ、嫁はんを言い負かせられるほどの男は世の中には少ないがな。
これだけを見ると、このやっさんは、気の小さい見苦しい男のように思われるかも知れんが、ワシは、断固、やっさんの言い分の方を支持する。
ワシ自身も、ちょうど、その辺りで飛行機に乗っていて乱気流に遭遇したことがあるけど、ほんまに生きた心地はせんかったで。
それ以降、本当に飛行機に乗る気も失せ、未だに乗ってないし、これからも乗るつもりはないさかいな。
とにもかくにも、タイのバンコック空港には無事到着した。
成田空港からバンコック空港までは7時間かかる。但し、日本との時差は2時間あるから少しややこしい。
早朝7時発の便で到着は現地時間の正午頃やった。時間にすると5時間しか経ってないことになる。
帰りはこの逆で、午後1時発やと日本到着は夜の10時になる。9時間経つ計算や。
このタイが最初の訪問地である。
国の正式名称は、ラート・チャ・アーナーチャック・タイ。タイ王国を意味する。
王国とは言うても、基本的には民主主義の国ではある。因みに、タイというのは、タイ語で「自由」という意味があるという。
もっとも、当のタイ人は、その意味で使うことはあまりないとのことやがな。
その政治に関してはややこしいところが多いので、話し出すと長くなるから、ここでの説明は控える。この旅行記には、あまり関係もないしな。
日本での呼び名は、「タイ」「タイランド」というのが主流となっている。
空港に着いて、意外に思ったのは、それほどの暑さを感じんかったことや。これやったら日本の方が蒸し暑いくらいやと思うた。
入国手続きを済ませ、到着ロビーに出ると、左端出口辺りに現地人のガイドが迎えに来ていた。
「イラッシャーイ、イラッシャーイ。こちらでーす」と、片言の日本語で旗を持って呼びかけている。
日本とタイの関係は深い。第二次大戦中は、日本の同盟国となって連合国と戦っていたほどやさかいな。
もっとも、タイの方は、一方でイギリスを中心とした連合国とも裏で通じていたがな。
いわゆる二重外交というやつや。こう言うと何か、いやらしさを感じられる人もおられるかも知れんが、国を守る政治手腕としては長けていたということになる。
過去の歴史をひもとくまでもなく、弱小国が大国相手に生き伸びるには、そうせざるを得んということは多い。
そして、結果的に国を守ることができれば、それが正しい選択やったということになる。
これにより、戦後の敗戦国になることもなく国際連合から敵国として名を連ねることもなかったわけやからな。
また、第二次世界大戦の戦禍に巻き込まれたアジア諸国の多くが、日本やヨーロッパ、アメリカなどから植民地にされたが、タイは日本と並び、植民地化されることのなかった希有な国でもある。
せやから、他の東南アジア諸国のように、日本に対する嫌悪や排斥運動は、タイでは少ない。むしろ、友好的ですらある。
空港の外に出ると、リムジンバスが待っていた。車内に豪華なシャンデリアのついた高級観光バスを想像したらええ。
それに乗って、最初のランチタイムに、いかにもという雰囲気の南国風レストランへ案内された。
オープンテラスのレストランや。というても、日本でのそれとはかなり違う。
言えば、野外に通販で売っていそうなガーデンテーブルセットを列べただけのような感じのものや。
とてもやないが、高級店という雰囲気にはほど遠い。まあ、その昼食代もタダやから文句を言えた筋合いでもないがな。
タイ文字という独特の文字で書かれたメニューを示されたが、やっさんにとってはミミズが這ったような字にしか見えなんだ。
タイは、日本やシンガポールと並んで国民の識字能力が95%以上と東南アジア諸国の中では傑出している。
国全体が、それに力を注いでいるということもあるが、歴史と伝統に裏打ちされた国民の賢さがあるという。
やっさんも、こんなわけの分からん字を考え出すくらいやからと、それについては異論もなく納得できた。
料理については、ガイドに適当なものを見つくろってくれと言って任せた。もっとも、選べと言われても選びようもなかったんやがな。
「うわーっ!!」
本日、3度めのやっさんの奇声やった。
テーブルの上を見たこともない昆虫が這っていた。
熱帯独特の昆虫のようや。カラフルで綺麗な色をしていたが、大の虫嫌いのやっさんにとってはグロテスクな生き物にしか見えんかった。
そんな虫たちが3匹、4匹とテーブルの上で動き始めたからたまったものやない。
「大きな声出さんといてよ、恥ずかしい……」
またもやユカリが、不満げにぼそっとつぶやきながら、虫たちを素手で取り払っていた。
娘のミナまでが、それを怖がる風もなく「虫さん、綺麗だね」とのたまいながら、つまみ上げていた。
やっさんは、そんな彼女たちを見ながら「女は怖いわ」と、ポツリと小さく洩らした。
おそらく、その虫は、ステルスニコルスという、タマムシの仲間やろうと思う。タイではどこにでもいるありふれた虫や。
見れば、他のタイ人のテーブルの上にも、その虫が這っているが、誰も気にする素振りすらない。
もっとも、タイで虫がいとるのを一々気にしていたら生きてはいけんやろうがな。
昆虫食というのがある。タイ人は、そのタマムシの類やタガメの類の虫を油で揚げて常食にしとるという。
せやから、タイ人にとってその手の虫が這っているのは、単に食料が這っているにすぎんのやないかさえ思われる。
この後、注文した料理に、その昆虫食があったら、おそらく、やっさんは卒倒してたはずや。
もっとも、ガイドは、たいていの日本人がその昆虫食が苦手というのは良う知っとるから、そんな料理を注文することはないがな。
しばらくして、料理が運ばれてきた。
しかし、その料理は、はっきり言うて、まずかった。
ココナツミルク味のチャーハン風料理やったが、やっさんは、その半分も食べられんかった。
それだけなら、まだしも、しばらくすると腹のあたりがキュルキュルと鳴りだし、痛みも伴ってきた。
「オレ、ちょっとトイレに行ってくるわ」
やっさんとは正反対に、異国の料理をおいしそうに頬張る妻と娘に、そう言い残してトイレへと向かった。
迷いながらも案内の看板で、なんとかトイレに辿り着いた。
中にはドアが閉まった個室が3つあった。どれも閉まっていたので待つしかない。
そうこうしているうちに、後ろから現地の人が入ってきて、閉まっている個室のドアを押し開けて用を足し始めた。
「そうか。基本的には閉まるようにできとるドアなんや」
やっと理解できたやっさんは、空いてた個室の一つに同じようにして入った。
中は古い日本のトイレという雰囲気やった。鎖を引っ張って上にあるタンクから水を流すというやつや。
なんとなく、やっさんは子供の頃の昔にタイムスリップした気分になった。
無事に用を足してその鎖を引っ張った。
「?」まるで水が流れない。何度引っ張ってみても同じやった。
目の前にバケツと木製のひしゃくがあるのに気がついた。
「まさか」とは思ったが、どうやらそれらを使うて、そのバケツの水を汲んで流すしかないようや。
仕方なくそうして流し、さらにその水で手を洗ってトイレを出た。
なんとかそれで腹痛も治まったが、もう何も食べる気はせず、妻子の旺盛な食欲をただ横で眺めとるだけやった。
「やせの大食い」で鳴る、やっさんに空腹のピークがやってきたのはホテルに到着した頃やった。
夕食には中華料理が出てきた。喰えないほどの味ではない。
しかし、量が少ない。昼も満足に食うてないということで空腹感は募る一方やった。
このとき、やっさんはバスでホテルに向かっている途中で見た「セブンイレブン」の存在を思い出した。
ホテルから徒歩で5分ほどのところに、その世界のコンビニ、セブンイレブンがあった。
入店すると真っ先に弁当コーナーを探した。ところがそんなコーナー自体がないのか目指していた「おにぎり」はどこにも見つからんかった。
がっかりして、店内を物色しているとあるものが目に飛び込んできた。
カップ麺である。
タイ語で書いてあるので、何の味か分からんかったが、ともかく嬉しかった。
3個ほど購入してホテルへ帰り、さっそくその一つを開封してお湯を注いで完成を待った。
せっかちなやっさんは、3分も経たないうちにフタをあけて麺をかき混ぜ、一気に頬張った。
「……?!」
思わず吐き出した。
「これは……」
昼間にレストランで味わった料理にそっくりの味やった。
もう一つのカップ麺にもチャレンジしたが結果はほぼ一緒。いわゆる東南アジア系独特の味や。
好きな人には、たまらん美味しさなんやろうが、やっさんの口にはまったく合わんかった。
結局、その夜は、胸焼けと空腹に悩まされながら眠りにつくしかなかった。
翌日、タイでの二日目。
この日のスタートは、バンコク郊外にあるダムヌン・サドゥアック水上マーケットからということやった。
舌を噛みそうな名称やが、観光スポットとしてはかなり有名な所らしい。
船着き場から10人乗り程度のスピードボートに乗って、狭い水路を走り抜けて行く。
市場はチャオプラヤー川の水路沿いに続いていた。
途中、水上生活者の家々があり、そこの子供たちが川に飛び込んで遊んでいるのが見えた。
ただ、その川は泥水のように茶っぽい色をしている。もっとも、日本の川のように汚染されてのものやなく、それが自然なのやろうと思うがな。
いかにも、東南アジアという雰囲気が満喫できる風景やった。
スピードボートに乗って水路をゆっくり巡っていると、一艘の物売りのおばちゃんのボートが寄ってきた。
せっかくの旅行ということもあり、果物やら菓子のようなものを買った。
身振り手振りを織り交ぜての片言の英語と日本語でのやりとりやったが、何とか通じたようやった。
それだけなら良かったのやが、それが引き金となって、他のボートのおばちゃんたちが一斉に群がってきた。
その商魂の凄まじさには、さすがのやっさんも思わず頭が下がったという。
その中には、どさくさに紛れてわけの分からん仏像を無理やり売りつけようとしてくるおっさんもいた。
「おれも拡張でこのくらい、頑張らんとあかんなぁ……」と、つい感心するように、ポツリとそう洩らした。
そして、思わず買いそうになった。
すると、その気配を察したのか、すかさず「だめよ!!」という妻のユカリの声が響いた。
結局、その一喝で水上ショッピングは束の間の出来事となった。
その後はお寺巡りが続いた。
ほとんどが有名寺院のようやが、やっさんは、そういうのにはまったく興味がなかったので大した感動もなく、ただ、ガイドの案内について歩くだけのことやった。
ある寺院の境内に、まるで日本での縁日にあるような屋台が並んでいるのが見えた。妻と娘は喜んで物珍しそうに物色していた。
しばらく歩いていると、一人の商売人らしき男がにこやかに近づいてきて手に持っていた皿を、やっさんたちに見せた。
しきりに「セイエン、セイエン」と言うてる。
何やろうとその皿を見ると、なんと白い皿の中心部には娘のミナの写真がプリントされとるやないか!!
「どないなっとるんや? おっとろしい……」
どこかで、隠し撮りでもして急いでその皿にプリントして持ってきたことにな
る。
驚くと同時に、そこまでやるか、というのが正直な感想やった。
その男の言う「セイエン」というのは、どうやら日本円の千円のことらしいというのがすぐ分かった。
この後に行くことになっている香港でもそうやったが、東南アジア諸国の物売りは、日本人観光客と見ると、取りあえず「セイエン」と声をかけることが多い。
日本人の感覚では、千円というのが土産物を買うには手頃な金額やということを彼らは知っとるわけや。
せやから、日本人と見れば、どんなものでも「セイエン」となる。
そして、東南アジア諸国では、その日本円がそのまま使えるケースが多い。
旅行会社によれば、すべてを現地の通貨に換金しなくてもええというアドバイスをする所もある。
それもあり、東南アジア旅行をするのなら千円札は、ある意味、便利な紙幣ということになる。
もちろん、それで支払っても釣り銭を貰うのは無理やというのは言うとく。
せやから、その売りつけられる物が高いか安いかの判断は個々でするしかない。
やっさんは千円くらいならと、その皿を買った。
これにはユカリも唖然としていた。
「こいつを日本に連れ帰ったら、最強やな。ウチの店の専拡にしたいくらいや……」と、滅多に他人を認めることのない、やっさんが唸ったという。
客に買わざるを得ないという風に追い込むやり口というのは、ええ拡張のヒントになるのやないかと漠然とそう思うた。
タイランド、恐るべしである。
寺院巡りは、まだまだ続いた。
「やれやれ、またお寺さんかいな……」
飽き性のやっさんにとっては、とてもやないが耐えられんかった。それに歩き疲れた。
新聞販売店に勤めとるのやから体力には自信あるが、好きでもないことを続ける気力はない。すぐ萎える。
疲れはそこからきてた。
結局、そこでは妻と娘だけを観光に追いやり、やっさんは車中で待つことにした。
「あー、やっと一人になれたわ。ほんま疲れるで……」
そうは言うてみたものの、喋り好きなやっさんにとっては静寂こそが本当の敵やった。
なにげなく車内を見渡すと運転手も休憩をとっていた。
目と目が合うとニコっと笑いかけてきた。やっさんも笑い返す。
極、自然な感じで、片言の英語による二人の会話が始まり、意気投合した。
そのとき、やっさんは、身振り手振りもまじえると、少々言葉は分からんでも、かなりな程度までコミュニケーションはとれるもんやということを知った。
その会話の中で、どうやらその運転手もかなりの苦労人やというのが分かった。
大家族の上、安月給で生活も苦しいという。
実際、日本と違い、タイや香港などでは、この観光バスの運転手の給料は極端に安いという。
それには理由があって、外国の観光客の相手をする場合、たいていチップというのが貰える。それがバカにならん額になる。
せやから、例えその給料が安くても人気の職種なわけや。
それに、そのチップをより多く貰うためにも、その給料が安いという方が都合もええとなる。
必然的に、観光客と話す場合、多くはそれを強調する。
もちろん、そんなこととは露ほども知らんやっさんは、ここでいつもの悪い癖を出してしもうた。
やおら財布を取り出して、適当に紙幣をつかみ運転手へ手渡した。
やっさんは、普段から金銭感覚が滅茶苦茶で、気前が良すぎるところがあった。その上、情にもろいときとる。
もっとも、それが誰からも好かれる要因でもあるわけやけどな。
「ええから、これは気持ちやから……」と、半ば強引にその金を運転手に握らせた。
運転手は神妙な面持ちに変わって「サンキューベリーマッチ、サンキューベリーマッチ」と何度も繰り返して礼を言うてた。
これだけを聞くと、日本では気っ風のええ男ということになるが、外国、しかもこの東南アジア諸国で、それを示すのは、ただのアホやということにしかならん。
この後、やっさんは、そのことを嫌というほど思い知らされることになる。
そして、それは運命の香港国際空港の惨事へとつながっていく……。
後編へ続く
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