メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第182回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2008.2. 1
■やっさんの東南アジア旅行漫遊記 後編
やっと、その日の予定が終わり、ホテルに戻った。
日本から同行していた旅行会社のツアーコンダクターから、次の訪問地、香港に行くため荷物をまとめて、それぞれの客室のドア横に出しておくようにと告げられていた。
やっさんたちは、そのツアーコンダクターから渡された荷札に名前を書いて、それらのカバンに括(くく)り付け、指示どおりに室外に出しておいた。
それを、ホテル側が集めて空港に持っていき飛行機の貨物室に載せるのやという。
旅行者には必要最小限の手荷物だけで済むというサービスということになる。
なるほど、ほどなく、集配係りとおぼしき女性がカートにその荷物を積んで持って行った。
翌日、香港に移動。
香港国際空港に着いて、タイのホテルでドアの外に出した荷物をチェックしていたら、とんでもないことに気がついた。
「ない……どうしよう……」
「どうしたの?」
「金がなくなっている……」
「お金? いくら?」
「現金で10万円ほどや……」
「10万円も? バカね。そんな大金、どうしてカバンの中なんかに入れておいたのよ。ツアーコンダクターの人から現金などの貴重品は入れないようにと言われていたでしょ!!」
「せやかて、まさかホテルから空港に直行した荷物の中身がなくなるとは夢にも考えんかったんや」
これは、やっさんのように初めて外国に旅行した日本人に、ありがちなことではある。
不用心というより、疑うということを知らんわけや。日本では、こういうケースは少ないということでな。
しかし、外国では旅行者のカバンの中から金品が盗まれるというのは、それほど珍しいことやない。
せやからこそ、旅行会社のツアーコンダクターも、旅行客に貴重品は入れないようにと注意を促しとるわけやさかいな。
「他になくなってるものはない?」
「ないみたいや……」
「でも、サイフのお金はまだ残っているんでしょ?」
「それが……」
やっさんは、正直に、昨日、観光バスの運転手にサイフの中の金を大半やったことを打ち明けた。
何もなかったら、「ワシの小遣いをどうしようと勝手やないか」と言うところやが、このときばかりは、その元気もなく意気消沈していた。
「どうしようもない人ね。私は知りませんからね」
その後、ユカリは、しばらく、やっさんと口を利くことはなかった。
ただ、ユカリはユカリで金は別に持っていたようやから、たちまち困るということでもなかったようやけどな。
もちろん、そうやからと言うてユカリの怒りが半減されるわけでもない。
「もしかすると……」
やっさんの頭の中に、ある疑念が湧いた。
あのバスの運転手との会話や。
確か、しきりに、「給料はどのくらいか?」とか、「小遣いはどのくらい持ってきてるのか?」と聞いていたのを思い出した。
やっさんは、それを金を渡したことで、気を遣っていたためやと思うてた。
せやから、やっさんは、安心させるために金は別に持っているというようなことを話した気がする。
それを狙われた。
やっさんは、観光バスの運転手とホテルの従業員、荷物の運ぶ係の女性たちがグルになっていたのやないかと考えた。
そう考えれば、金だけが抜き取られていたというのも納得できる。
もちろん、今となっては真相は闇の中や。騒ぎ立てても、どうにもならんやろうと思う。
おそらく、誰に話しても同情されることもない。自業自得ということになる。
「なんちゅう奴らや……」
半分は、自分自身への自戒も込めて、そう洩らした。
そこからの旅は、つまらないものになるというのが普通やろうが、やっさんは違った。
実にポジティブというか、いい加減というか、悪いことはすぐ忘れるという性格をしとる。
実は、これは営業する人間には大事な要素の一つではある。
できる営業員というのは、どんなに嫌なことがあっても、そのことで悔やんだり、尾を引いたりすることは少ない。
何があっても常に前向きに捉え行動する。
これが、普通の人間にはなかなか理解できず、真似のし辛いところでもあるんやけどな。
やっさんは、香港でのショッピングタイムになると、もう、そんなことは忘れたかのように、気持ちはウキウキしていた。
ジャッキー・チェンの経営するブティックやと紹介された店に行くと、子供のように、はしゃぎ廻った。
ユカリに頭を下げ、何とか頼み込んで金を都合して貰い、そこで売ってたTシャツを買った。
スカイブルーで胸に「ジャッキー・チェン」と英語のロゴマークが入っている。
他にも、漢方薬の店、工芸店、貴金属店などにも連れて行かれた。
それらは、たいていの旅行社が観光客を連れて行く定番の店や。あるいは、現地人のガイドが個別に契約しとる店というのもある。
そこで、その旅行客たちが買い物をした場合、バックマージンが彼らにあるのが普通や。
まあ、そうであったとしても、高い安いは別にして、ある程度は安心できる店が多いというのは間違いない。
ただ、やっさんは、それだけでは飽き足らず、店の外に出て何か珍しいものはないかと物色していた。
そんなやっさんの所へ一人の男が「ヤスイヨ、ヤスイヨ」と言いながら近づいてきた。
「時計ありますよ。ロレックス」
日本語は、なかなか流暢やったが、柄シャツ姿のいかにも胡散臭そうな感じに見える男やった。
もっとも、昔から柄の悪い拡張員を見慣れとる、やっさんにして見れば、取り立てて警戒するほどやないとは思うたがな。
香港では、玄人(くろうと)でさえ判別できんような高級腕時計の偽物が売られているというのは聞いて知っていた。
やっさんも、もともとその手の時計を安く買って帰りたいと思っていたので、その男の話を聞いてみることにした。
持っていた時計はどれもロレックスやった。もちろん、偽物や。
その男も「これ、偽物ね。ヤスイヨ」と平気で言う。
この辺の感覚が日本人では理解し難いところやと思う。
堂々と偽物をアピールして売っとるさかいな。そこには、引け目のようなものは一切、感じられん。
しかし、さすがと言うべきか、一見してそれと見破れるような物はない。
といっても、やっさんも普段からそのローレックスを見慣れとるわけやないから鑑定眼があってのことやないがな。
ただ、一見して安物やないなという雰囲気はする。
「全部1万円です。他にもいっぱい種類あるよ」
一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したが、「1万円くらいなら」と思い、「OK」と返事をしてしまった。
そうすると、その男は「ありがとごじゃいます。わたしのお店こっちです」と商店街の中のビルの方へやっさんを案内した。
かなり大きな宝飾店の中を進む。
「おお、ここかいな。なかなか立派な店やな」
しかし、男は、そこを通りすぎ、ビルのエレベーターへ案内した。
どうやら店は上の方にあるようや。エレベーターに乗り込み5階で降りた。
男の案内のままついて行ったが、その階はごく普通のマンションのようで、店らしきものは一軒も見当たらんかった。
その一室の前で男はインターホンを押した。
そのインターフォン越しに、なにやら広東語らしき言葉で中の人間と会話をしているようや。
もちろん、やっさんには何を言うてるのか分からん。
すぐドアは開いた。「どうぞ」と男が入室を促した。
剛毅な性格のやっさんやったが、さすがに少し不安な気持ちになった。
部屋の中へ入ると、「ガチャッ、ガチャッ!!」とご丁寧にドアロックまでかけられた。
「これは、ちとやばいかな……」
多少、びびったが、「まさか、命まで取られることはないやろ」と、いつもの開き直りの気持ちになっていた。
そして「新聞屋を舐めたらあかんで」という、あまり意味のない強がりも芽生えていた。
部屋の奥へ通され、時計を見せられた。
箱の中には、ロレックスなどの高級時計の偽物がいくつも列んでいる。
部屋にいた男の一人がぶっきらぼうに、「これ、2万円。これ、3万円」と、一方的に告げた。
「えっ? さっきは1万円やと言うてたやろ?」
やっさんは、そう言いながら振り返って、ここまで案内してきた男に確認しようとしたが、いつの間にか、いなくなっていた。
どうやら、あの男は、ただの客引きやったようや。
仕方なく、やっさんは腹を決めた。もともと、欲しかった時計でもあったしな。
やっさんは、最初「もっと、安うしてぇな」と日本語で交渉していたが、その男は、知ってか知らずか、その言葉を無視して「これ、2万円。これ、3万円」と言いながら、時計を指し続けた。
仕方なく、英語をまじえ「ディスカウント、プリーズ」と言いながら、なんとか目当てのローレックスの時計を1万5千円まで下げさせることに成功した。
その1本だけ買って、さっさとずらかろうと思うたが、どうもここにおるのは並の連中やなさそうやった。
気がつくと3人の男たちに囲まれていて、もっと買えとしつこく迫られた。
しつこく契約を迫る方は慣れとるが、逆の立場には慣れてない。
「ええい、ままよ」とばかり、やっさんは腹をくくり、徹底した値下げ交渉を続けることにした。
新聞の勧誘で言えば、乞食読者に徹するというやつや。
やっさんのような販売店の従業員にとって、一番やっかいなのがその乞食読者である。
あまり、図に乗って、あれもこれもくれという客は、販売店は嫌がる。限度を超える客は断るしかない。
こいつらも、それは嫌がるはずや。商売にならんと思うたら開放するやろう。
それを狙った。
しかし、その意に反して、時計の値段は、どんどん安くなっていった。
どうやら、チキンレースの様相を呈してきた。
やっさんは、自分がどういう状況に陥っているのか理解した。
この男たちは、なんとしても複数個売りつけるつもりや。持っている金を吐き出させるまで帰さんというのが見え見えやった。
しかし、やっさんが必要なのは1個や。あっても、所長の土産用に、もう1個もあれば十分やった。それ以上は必要ない。
このとき、やっさんは、漠然と、「えぐい拡張員に捕まったときの気の弱い人間の心境はこんなものなんやろうな」と考えたという。
なんとか逃げることだけを考えていたら、あることが閃いた。
「他の客を必ず連れてくる。約束する。ツアーで来てるから友達がいっぱい紹介できるんや」と、これもやはり英語と身振り手振りで必死になってアピールした。
とっさの機転やったが、それが、功を奏したのか、ようやく解放してもらえた。
ドアロックが解除され、ドアが開くと足早に、その場から逃げ出した。
ツアーの集合時間には少し遅れたが、何とか間に合って事なきを得た。
「もう香港もかんべんや……」
手は冷たい汗でびっしょり濡れていた。
香港での救いは、その夜の食事やった。
香港仔(アバディーン)に「ジャンボ」という有名な水上レストランがある。
香港は全体が電飾の街という感じやが、ここはそれが特に図抜けた場所やった。
海の上に、電飾で覆われた巨大なレストランが煌々と光り輝いて浮かんでいる。
そこに行くのは、専用の渡し船に乗って行くのやが、その船も電飾で覆われている。
当然のように港もや。
お祭り好きのやっさんにとっては、堪(こた)えられん場所やった。嫌が上にも気分は盛り上がってくる。
一部には、その見かけの絢爛(けんらん)さほど料理は美味くないとの評判もあるが、やっさんにとっては十分すぎる味とボリュームやった。
少なくとも、前日のタイ料理よりは、はるかにましやと思うた。
何より、テーブル一杯に並べられた海鮮主体の中華料理は圧巻や。
「もう、ええ……、これ以上、もう食えん……」と、やせの大食いで鳴る、さすがのやっさんもギブアップやった。
「世の中、悪いことばかりやないな」と実感した瞬間でもあった。
食事の後は、香港の100万ドルの夜景を観に行った。
香港と言えば、100万ドルの夜景というのが有名で、やっさんもそれを観るのを楽しみにしていた。
ヴィクトリア・ピークという所からの展望やったが、正直、やっさんにとっては期待はずれやった。
「これやったら、生駒山頂からの夜景の方が、よっぽどきれいやで」と思うた。
翌朝、帰国するため、空港に行ったが、ものすごい強風が吹き荒れていた。
「飛行機飛ぶのかしら?」と、ユカリも不安気にしとる。
それでも、なんとかチェックインを済ませ、機内に搭乗することができた。
「これで、やっと日本に帰れるんや……」
その安堵感で、やっさんは、ウトウトと眠りについた。
それから、どれくらい経ったのか分からんが、ユカリに揺り起こされたやっさんは、機内が異様な雰囲気に包まれていることに気がついた。
乗客たちが不安気な様子で、ざわついている。
飛行機はまだ離陸していなかった。
窓の外は、相変わらずの暴風雨で良く見えない。
時計を見て驚いた。もう出発予定時刻から3時間もすぎていた。
そこへツアーコンダクターが近づいて日本人乗客へ説明を始めた。
「視界不良により離陸できないことになりました。明日、改めて代わりの便に乗っていただきます。皆様にはホテルをご用意いたしますので、一旦降りてください」
言われるままに従うしかなかった。
しかし、単に視界不良による飛行禁止にしては、空港内はやけにあわただしかった。
実はこのとき、折からの強風により飛行機が着陸に失敗して逆さまにひっくり返って炎上するという大惨事を起こしていた。
パニックになることを恐れた空港の計らいにより、やっさんら乗客たちは、この事実を知らされず追い出されたことになる。
結局、手配された空港近くのホテルの一室でもう一晩過ごす羽目になってしまった。
ホテルもみすぼらしく、やけに安普請の部屋やった。
それでも疲れ切っていた、やっさんは、シャワーでも浴びて早く寝ようと思いバスルームに入った。
裸になって、蛇口をひねったが、チョロチョロとしか、お湯が出ない。
しかも、ものの2、3分もすると、そのお湯が水に変わった。
「くそったれ、なんやねん……」
その蛇口を思い切り叩いた。
ふと、振り向くと、そのやっさんの様子を覗いていたユカリとミナの笑っている顔が見えた。
「……」
やっさんは、無性に不機嫌になり、シャワーを浴びるのをあきらめて服を着た。
「ちょっと、コンビニに行ってくる」
そう言い残して、やっさんはホテルを出た。
その日の食事は、急ごしらえやったのか、予算オーバーなのかは知らんが、量も少なく、とても食うた気がせんかった。
前日の、アバディーンでの水上レストランとは、えらい違いや。
例によって、バスの中から見つけていたセブンイレブンまで行って、何か食い物を買おうと思った。
外は雨は止んでいたが、相変わらず風は強い。
「まさか、明日も足止めを喰らうのやないやろうな」
その強風が収まりそうな雰囲気がない。むしろ、これからやないのかという感じさえする。日本での台風が来る前兆に似ていると思うた。
これが日本ならテレビやラジオで、その手の情報はすぐ分かるが、香港のテレビを点けても、チンプンカンプンの中国語でのアナウンスが流れるのと漢字の羅列があるだけで、さっぱり分からんから見る気もせんかった。
もし、このとき、そのままテレビを見続けていたら、香港国際空港の事故の様子が分かっていたとは思うんやがな。
もちろん、日本には、この事故のニュースは伝わっていたから、タケシタの販売店では大騒ぎやった。
無事なら、やっさんから電話の一本でもないとあかんが、それがない。
その事故に巻き込まれたのやないかと、タケシタや所長をはじめ、ほとんどの店の従業員が心配していた。
しかし、当のやっさんは、そんなこととは知らず、夜の街に出てコンビニまでの散歩と洒落込んでたわけや。
しばらく、風に逆らって歩いていると、「オモイデ、オモイデ」という声が路地の方から聞こえてきた。
見ると、中年のおばちゃんが、やっさんに向かって手招きしながら懸命に声をかけていた。
「セイエン」「ヤスイヨ」と並んで、日本人の観光客やと見ると多い、声かけの一つや。
この「オモイデ」と言うてるおばちゃんは、要するに売春の客引きである。
それで、何の「オモイデ」かは想像つくやろうと思う。
やっさんも、そういうのが嫌いなたちやないから、いつもならフラフラとついて行ってたかも知れん。
しかし、昼間の客引きの恐怖が染みついとったから、素知らぬ顔をして通りすぎた。
その後、数人の「オモイデ」おばさん、おっさんたちに声をかけられた。
よほど日本人がスケベと思われとるのか、やっさんが物欲しそうに見えたのかは分からんがな。
「それにしても……」と、思う。
タイにしろ香港にしろ、商魂のたくましさには脱帽するしかなかった。
普通、日本では台風が来るかというような強風の吹く日に、街頭に立ってまで客引きする者はおらんと思うのやがな。
そのこと自体は見習うべき点が多いと、やっさんは素直に認めた。
まあ、そうは言うても、日本で台風の日に拡張してたら間違いなくひんしゅくを買うやろうから、何を見習えばええのかということにはなるがな。
翌朝、他の日本人旅行客らの話で、事故のことが、やっさんたちにも分かった。
<香港中華航空機事故>ブラックボックスを回収 英国で分析
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5479/990823.html
より引用
【台北23日近藤伸二】香港国際空港で22日、中華航空642便(乗客乗員315人乗り)が着陸に失敗、炎上した事故で、香港特別行政区政府は23日、交信記録などが入ったブラックボックスを回収した。
香港では詳しい分析ができないため、同政府は今後、交信記録を英国運輸省航空機事故調査委員会に送り、事故原因の分析を依頼、機長の操縦に問題がなかったどうか調べる。
これまでの調べで、香港当局は、同機が着陸の際、強風でバランスを崩して右翼を滑走路に接触させ発火後に逆さまになったことを確認した。
台湾民航局の調査では、着陸の際、滑走路上空約45メートルの地点で機体が15度傾いたため、副機長は緊急上昇するよう叫んだが、イタリア人機長は応じなかったという。事故機のマクドネル・ダグラス11は機体傾斜の限度が10度。このため同局は事故は機械の故障によるものではなく、強風にもかかわらず着陸を決めた機長の判断ミスなどの人為的要因が原因との見方を強めている。
一方、香港政府の調査では死者2人のほか、負傷者は計211人でうち15
0人は軽傷。症状が重くて入院した61人のうち4人が重体、10人が重傷。
香港国際空港は23日も強風のため一時閉鎖され、その後再開されたが、香港上空で引き返す航空機が相次ぎ、混乱が続いた。
[1999-08-23-23:33]
「冗談やないで、せやから、飛行機は危ないて言うてたんや」
さすがに、このときばかりは、ユカリもやっさんの意見をバカにすることなく「本当に大丈夫なの?」と、真顔で心配していた。
そういうユカリの顔は珍しい。
乗客たちは再び空港に連れて来られた。
外は、依然と風がまだ強い。それにも関わらず、出発は強行されるという。
「皆さん、落ち着いてください。飛行機は100%の安全が確保されないと出発はできませんから。出発許可が出たということは、安全になったということですので」
そう、ツアーコンダクターが、不安を洩らす乗客たちに懸命に説得していた。
「嘘や。100%の安全なんか、この状況で考えられるかい!!」
断固、やっさんは異を唱えた。
ワシも、やっさんの言う通り、100%の安全を考えるのなら、閉鎖を続けてなあかんと思う。せめて風雨が収まるまでな。
しかし、航空会社、旅行社などは、いつまでも待つわけにはいかんという事情がある。
時間が経てば経つほど、その損害は図り知れんものになるさかいな。
空港にとって、その航空会社、旅行社は大事な顧客や。それなりに発言力もある。
早期に閉鎖が解除になるよう圧力をかけたとしても不思議やない。
香港空港当局も、なるべく早くこの事態を収拾したいという思惑とも合致したのやないかと思う。
おそらく、安全度80%程度の見切り発車やなかったかと推測する。
「ワシは、絶対に乗らんぞ」
「それなら、あなた一人、残る?」
もう、ユカリは、ツアーコンダクターの「安全」と言う言葉を信じきったようや。
女は変わり身が早いと思った。
「ぐっ……」
一刻も早く帰りたいのは、やっさんも一緒やった。
考えたら、この旅行にはろくなことはなかった。
もっとも、それはやっさんにも責任の一端があってのことやがな。
やっさんは、ユカリに「残るか」と非情に言われたことで、意を決して帰りの飛行機に乗ることにした。
置き去りにされたら堪ったもんやない。
帰りの機内でのやっさんは、来たときに倍する奇声を随所で上げていたというのは言うまでもないと思う。
そして、やっさんは、二度と海外旅行などするものかと心に固く誓うこととなった。
もっとも、その冒険譚とも漫遊記ともつかん話を、やっさんから聞かされた人間は、誰も同情することもなく、ただ大笑いしていただけやったがな。
「笑い事とちゃうで、ほんま……えらいめに遭うたんやから……」
その後、販売店では、しばらく、そのやっさんの独演会が続いたという。
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