メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第185回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2008.2.22


■もう一つの新聞裏話 Part2 大津人情街道秘話


「本当に、ありがとうございました。ありがとうございました……」

古紙回収員のアキヤマは、そう言って何度も何度もヨシムラに頭を下げた。

世の中、「捨てる神あれば拾う神あり」とは良く言われることやが、アキヤマは、このときほど、その言葉の意味を深く噛みしめたことはなかった。

この話の前回、『第177回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■もう一つの新聞裏話 Part1 古紙騒動の是非』で、古紙回収員のアキヤマが、僅か3括(くく)りの新聞古紙を積み込んだのを、そこの住民たちからは、町内回収の新聞を盗ったとして泥棒扱いされ吊し上げられた直後だっただけに、特にその思いが強かった。

アキヤマにとっては、まったくの誤解であり、えん罪であったわけやが、その住人たちからはそう信じて貰えなかった。

このときは、警察が中に入り、事なきを得たが、それでもそこの住民たちは、その誤解に対して謝るでもなく、まさに石もて追われるが如くの仕打ちを受けた。

もっとも、そこの住民たちにもそれ相応の理由があってのことやったが、アキヤマにしてみれば、生きるためにちり紙交換員にまで堕ちたという思いがあったから、そのときの情けなさは筆舌に尽くし難いものがあったという。

しかも、それは5歳の息子が泣いている目の前で、寄って集(たか)って平然となじられ攻撃されたから、よけいやった。

その頃、アキヤマは、哀しいかな5歳の息子を幼稚園に通わせる金もなく、預けることもできなんだから、仕方なくいつもトラックの助手席に座らせ連れていた。

そのときのことを、現在、小学5年生になる息子のツヨシは「大勢の人に囲まれ、お父さんが殺されるのやないかと思って怖かった」と、今もはっきり覚えていると言う。

それを聞く度に、アキヤマは「ごめんな。お父さんがしっかりしてなくて」と詫びるしかないという。

リストラされて職を失ったことが原因の一端にあったにせよ、大半がアキヤマ自身のふがいなさに起因しとることでもあった。

また、そのとき、その周囲の大人たちから、まるで、ゴキブリや毛虫を見るかのような冷酷な視線に晒されてたことが、小さなツヨシにとってどれだけショックを受けたやろうかと考えると本当に心が痛む。

誰一人として、その泣いているツヨシに心遣いを見せる者は、そこにはおらんかったという。

これは、そうする人間は、自身の行いを正義と信じとるようやから、それと気づいていないやろうが、される側は、ヘタをすると一生尾を引くほどのトラウマを背負うかも知れんわけや。

ワシもそういう虫けらを見るような視線は嫌というほど経験しとるから、その気持ちは良く分かる。

ただ、拡張員というだけでそういう目で見られることがあるさかいな。

それでも、ワシらはまだ仕方ない部分もある。仲間の中には、一般に迷惑をかけて平然としとる者もおるからな。

また、長年に渡り、あこぎな営業を続けてきたのも事実やしな。嫌われるには嫌われるだけの事情と理由があるということになる。

せやから、どんな事情からであったにしろ、この拡張の仕事を選んだ限りは、その視線に晒されるのは仕方のないことやと言うてきた。

その覚悟がないとできん仕事やと。

しかし、古紙回収の人たちは違う。

彼らの多くは、それと自覚しとるかどうかは別にして、リサイクルという地球環境問題のための仕事をしとるのは間違いないわけや。

それについては、誰からも、どこからも異論を挟まれ蔑(さげす)まれる言われはないと思う。

しかも、彼らの多くは劣悪な生活環境に耐えながら、それを続けとる。

『第177回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■もう一つの新聞裏話 Part1 古紙騒動の是非』での話の根底にもそれがある。

この中でも言うたが、確かに、それと知りながら古紙を盗るという行為は悪い。ワシもせん方がええとは思う。

しかし、それが法に触れるかどうかが曖昧であれば、敢えて生きるためにそうせな仕方ないという人に、止めておけとはワシには言えん。

もっとも、やむを得んことやとも言わんがな。

また、住民や行政がその古紙の所有権を主張するのも、それなりの根拠があると認める。

ただ、京都の人たちの名誉のなために言わせて貰えば、こういうケースはまれで、たいていの人は、古紙回収員には好意的やさかいな。少なくとも毛嫌いされることは少ない。

サイトの『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第6話 危険な古紙回収』の中でもそれに触れた部分がある。

もっとも、この話の舞台は、13、4年も前のことやから現在もそれが当て嵌まるかどうかは分からんがな。


京都では、拡張員は、ほとんどの人間から嫌われとるが、ちりこ(古紙回収員の別称)は客から嫌われることが少ないということや。

この差は大きい。一般の人間には、拡張員もちりこも、同じような境遇の人間がなるもんやとは思わんからな。まったく、別の人種やと考えとるわけや。

ちりこは、人の嫌がる仕事を汗水流して一生懸命してるご苦労な人たちやと見られる。

拡張員は、人の嫌がることを平気でするヤクザな極悪人と思われとる。

えらい違いや。

しかし、嫌われてはないかも知れんが、ちりこほど、ほとんどの人間から見下げられとる存在はおらんと、テツは言う。


ということのようや。

それにしても、考えれば考えるほど、ため息の出そうなくらい不毛な戦いが繰り広げられとると言うしかないと思う。

そして、その争いは今後も当分の間、続くのは間違いないやろうという気がする。

ただ、いくら争っても、結果として、その古紙の行く先に変わりはないのやがな。

いずれにしても、本来は、最終的にはリサイクルの原材料として製紙会社に持ち込まれるのやさかいな。

しかし、そうまでして集められている古紙が、その製紙会社の多くで使われていないということが最近になって発覚した。

大手製紙会社がこぞって再生紙と謳いながら古紙の含有率が極端に低いか、まったく含まれていない製品を製造していたというものや。

新聞、テレビ、インターネット上などで、大きく報じられたから知っておられる方も多いと思う。

しかも、これは単に一つの製紙会社だけに止まらず、製紙業界ぐるみで環境偽装が行われていた可能性も出てきたということやから、救いがない。

こうなると、その古紙使用率が75%以上もあるという新聞紙も怪しく思えてくる。

ただでさえ、新聞は、その莫大な紙の使用量で環境に与える負荷を大いに疑問視されとるのに、これでは「大部分がリサイクルで循環していますので」とは言えんようになるおそれもあることやさかいな。

そして、この問題は、アキヤマら末端の古紙回収業者の生活まで圧迫しとるから、事は深刻や。

当たり前やが、その古紙を使うてないということは古紙の需要が伸びてなかったということを意味する。

古紙の値段は、需要と供給のバランスで値段が変動する仕組みになっとる。

いくら、末端の古紙回収業者が、そういう必死の思いで集めてきても、製紙業界がそれを使わんかったら、その古紙の値段が上がることはない。

古紙の値段が上がらんかったら、アキヤマら末端の古紙回収員の生活が潤うことはないわけや。

その当時、多くの古紙回収員たちには、その日、食事にありつけるかどうかというギリギリの生活に甘んじとるという現実があった。

再生紙の偽装使用は、今発覚したことやが、そういうことは延々と行われていたと考えるのが自然やろうから、それがなければ、アキヤマたち古紙回収員もそれほど酷い生活を強いられることもなかったと考えられるわけや。

実際、今回のことと関係があるのかどうかは分からんが、アキヤマがまだ若くしてこの古紙回収員のアルバイトをしていた当時は、古紙の末端価格は、このときの実に5倍強もあったと言うさかいな。

その頃は、日本ではまだそれほど環境問題について声高に言われていた時期やなかったが、それでも、その古紙は確実に使われリサイクルされていたわけや。

その古紙の価格が需要のあったことを証明しとるさかいな。

現在は、まず環境ありきで考えなあかんという風潮まであるのに、それがこれや。

先の不毛な争いも、そのために、もたらされた古紙回収員の劣悪な生活環境が影響してのものやというのは間違いないという気がする。

この古紙偽装ということがなく、その製紙業界が正規の表示通りに古紙を使用しとれば需要も伸び、もう少し末端価格も上がっていたはずやと思う。

そうすれば、アキヤマら古紙回収員の生活もいくらか楽になっていた可能性がある。

もっとも、現時点でも製紙業界にとっては日本の古紙価格の方が高いから、安い外国の原材料に依存したのやろうがな。

ただ、製紙業界は古紙の使用率を増やせば品質が落ちるからというのを主な理由にしとるようや。

要求される品質への対応を優先させた結果やったと。

せやから、これから即、製紙業界が古紙を使い始めるかどうかは何とも言えんと思う多少は改善されるのは間違いないやろうがな。

アキヤマは、そういう状況の中で古紙回収員をしていたということになる。

しかし、それを嘆いてばかりもおられん。

どんなに劣悪な環境であろうと人は生きていかなあかんのやさかいな。

何はなくとも、アキヤマには理解のある妻と5歳のかわいい一人息子のツヨシがおる。そのためにも、絶対に、心が折れるわけにはいかんかった。

ただ、そうは言うても、このままではどうしようもない。

正直、古紙回収員では、親子3人の生活を維持するのは不可能や。

妻のサチコが近所の工場に働きに出ることによって、かろうじて生計が保たれとるにすぎん状態や。

それでも儲からんからと言うて、この古紙回収員を止めるわけにもいかんかった。

大阪から夜逃げ同然でこの京都に流れてきたのは、その昔、まだ独身時代の一時、アルバイトで古紙回収員をしていた頃の情けに縋ったからというのが大きい。

その古紙回収会社の社長から、アパートを借りるために借金もしている。それを返されへんうちは、金にならんからというて、おいそれと辞めるわけにもいかんかった。

何とかせなあかん。

その思いだけは強いが、現実には何の光明も見出せずにいたわけや。

そんなときのヨシムラから受けた好意は、アキヤマにとって涙が出るほど嬉しいものやった。

ヨシムラの所有する畑で採れたジャガイモとかタマネギを大量に貰ったということがそれや。

正直、その頃は食事もろくな物を食うてなかったから、本当に有り難かった。

アキヤマ夫婦はええにしても、5歳のツヨシは育ちざかりやから、少しでも栄養のあるもの、上手いものを食わせてやりたい。

しかし、金がないからそれができん。

もっとも、いくらアキヤマでもそれが「施し」という感じで渡されたのなら断っていたと思う。

どんなに堕ちても、人としての尊厳は維持したい。乞食のような真似だけはしたくなかった。

ヨシムラは、それと察したのかどうかは分からんが、表向きは、ちゃんとしたビジネスを装っての申し出やったから、アキヤマも素直にそれに従ったわけや。

滋賀県大津市に坂本という地名がある。

比叡山の麓に位置する町で琵琶湖に面した、のどかな田園風景が広がっている所や。

その坂本から堅田に向かう国道161号線の両側に、何軒もの旧家が点在している。

アキヤマは、その日、その辺りから「流し」をすることに決めた。

ちり紙交換員の「流し」とは、拡声器で「毎度、ご町内の皆様、お騒がせ致しております。ちり紙交換車でございます……」と鳴らしながら古紙を集めとる、もっともポヒュラーなやり方を指す業界用語や。

その日の仕事を開始した直後、前方の一軒の家から、男が出てきて手を上げた。

これが、一般的な古紙回収員を呼ぶ合図や。タクシーのそれと似とる。

それが、ヨシムラやった。

「あんさん、この辺には、良く来(き)はるの?」と、ヨシムラ。

「いえ、初めてですけど……」

「さよか、ちょっと来てんか」

ヨシムラは、アキヤマを別棟の納屋に連れて行った。

その中には、綺麗に結束された新聞の束が、かなりな量、積み上げられていた。目測で悠に300キログラム程度はある。

ただ、こういう光景は、この辺りの旧家には特別珍しいというほどでもない。

どの家にも広い納屋があるというのと、滅多にちり紙交換員が来ない、あるいは自治体のやっている古紙の集積場所までは遠くて持って行くのが面倒ということもあり、溜め込んでいるケースもあるわけや。

ただ、そういうのに当たる確率というのは少ない。

溜め込む場所があるということは、裏を返せば、何も急いで出すこともないということを意味するさかいな。

京都市内でも、やり方次第ではそこそこ古紙は集まるが、アキヤマは前回の件で、正直、市内廻る気がせんかったというのがあった。

また、多分に一発狙いの意味もあってここに来た。

その狙いが的中したことになる。しかも、それは、その日の仕事を開始した直後やった。

「たくさんのジャガイモですね」

アキヤマは、その積み上げられた新聞の横に、これも大量のジャガイモが筵(むしろ)の上に並べられていたのに気がついて、何気なくそう言うた。

「良かったら、持って帰えるか?」

「え? でも、これは売り物ではないんですか」

「いや、そうやない。家で食うつもりで作ってんねんけど、食いきれんねや」

「しかし……、それでは……」

「あまりでは」と、アキヤマが続けようとした言葉を、そのヨシムラが遮った。

「ほな、こうしよう。ワシは、この新聞を定期的に取りに来てくれる人がおらんさかい困っとる。せやから、これから月に一回でええから、この辺に来たときに必ず寄ってほしいんや。これは、その礼ということで、どうや?」

聞けば、ヨシムラは、新聞を3紙も取っているから溜まるのが早くて、いつも難儀しとるのやと言う。

「そういうことでしたら……」

アキヤマがそう言い終わるかどうかのうちに、ヨシムラは近くにあったダンボールの箱にそのジャガイモを無造作に投げ入れ一杯にした。

それを持って帰るように言われ渡された。重量にして14,5キログラムほどもあった。

推定300キログラムもの古紙を出して貰えるだけでも、古紙回収員にとってはラッキーやのに、いくら余り物やとはいえ、そこまで甘えてええものかどうか、正直、迷った。

これが、「あんた困ってんねやろ」という調子で渡されていたら、アキヤマは間違いなく断っていたやろうが、いかにもビジネスやという感じで言われたことで、「それでしたら、遠慮なく」と応じることにしたわけや。

このとき、アキヤマは、心底、有り難かったという。

せやから、何度も何度も頭を下げ「本当に、ありがとうございました。ありがとうございました……」と繰り返し礼を言うた。

アキヤマには、それしかできんかった。

アキヤマが、その古紙を積み終わった頃、ヨシムラは何を思ったか「ちょっと、待っててくれるか」と言うと、家の中に入った。

その玄関のガラス戸を開けっ放しにしていたから、どこへやら電話をかけていたのは分かった。

それが終わると、ヨシムラは「ちょっと一緒に着いて来てくれんか」と言うと、小走りに駈けだした。

アキヤマは、その後を、ゆっくりとトラックで着いて行く。

ヨシムラは、1分ほどその国道161号線沿いを走り、一軒の大きな農家の前で止まった。

その家の中から年配の女性が出てきて「悪いけど、うちも頼まれて」と言って、またその家の納屋に案内された。

その年配の女性は、ヨシムラの姉やという。

その納屋に行くと、ヨシムラの納屋に倍するほどの新聞の山があった。

「あら、かわいいボン(男の子)も一緒やね」

ヨシムラの姉はそう言うと、急いで家の中に入り、手にかなりの量の菓子類の詰まった紙袋を持ってきて、「これ、食べてな」と言ってツヨシに渡した。

「……ありがと……」

ツヨシは恥ずかしそうに蚊の鳴くような声で礼を言った。

「どうも、申し訳ありません、有り難うございます。有り難うございます……」

アキヤマは、またも、そう言って何度も何度も礼を言った。それしか言う言葉がなかった。

そのラッキーは、それだけに止まらんかった。

別に拡声器を鳴らしているわけでもないのに、どこからともなく、その近所の人たちが、アキヤマがその納屋の新聞を積み込む最中に、それぞれが一輪車に新聞古紙を満載して持ち寄ってきた。

今度は、そのヨシムラのお姉さんが、その近所の人たちに声をかけとったという。

せやから、いつの間にか、トラックの周りは、まるで町内回収で集めたかのような大量の新聞の山ができていた。

アキヤマは、そのすべてを積むこともできず、一旦、京都の古紙問屋まで引き返して、その古紙を降ろしてトンボがえりすることにした。

朝の8時に拡声器にスイッチを入れてすぐのことやったから、積み込む時間くらいしか経ってなかった。

その場所を9時すぎに出発して、京都の古紙問屋で計量して降ろし終えたのが、まだ午前11時やった。

そのときの新聞古紙の重量が、1t(トン)トラックに満載して2.5トンほどもあったという。

結局、その日、また、その現場に戻り、積み残し分を積み、そのまま、その辺りを流した。

二度目の計量が、1.8トン。計、4.3トンほどもあった。

これだけの量があれば、いくら新聞古紙のキロ単価が安いといっても、手取りで1万円以上にはなる。

「ワシには良う分からんけど、それはそんなに凄いことなんか?」

ワシは、そう言うて、現在、古紙回収会社の社長をしとる昔の友人のテツに聞いた。

このアキヤマが、わざわざ、ワシらにメールでそれを知らせてきたというのは、普通やなかったからやというのは分かるがな。

「そうやな。オレでも、この道で20年以上やっとるが、そんな経験は、年末くらいしかないな」

そうテツが言う。

古紙業界は、その年末になると、おそろしいほどの古紙が出て来るのやという。

特に、地方の農家あたりの旧家にそれが顕著で、ヨシムラのように納屋に溜込んどる家から、年末ですっきりしたいからなのやろうが、大量に出て来ることがある。

ただ、その事実は、一般の古紙回収員のほとんどの者は知らんという。

それには、年末は市内であっても、普段の2、3倍の古紙が出るから、そこまで足を伸ばすケースが少ないのと、やはり、その当時、というても今もそう大差ないそうやが、その劣悪な環境で長続きする者がほとんどおらんということもあるがな。

この件については、ハカセは別の見方をしていた。

「最初のヨシムラさんの件は確かにラッキーだったでしょう。しかし、その後は違うと思いますね」

ハカセが言うには、それはアキヤマやったからこそやないかと。

人が人に対して何かの助けをしようと考えるとき、一番重要視するのは、その相手の姿勢や。

そして、そういう心理にさせる相手というのは、間違いなく感謝する人間やという。

ヨシムラが、そこまで世話を焼こうとしたのは、そのアキヤマの米つきバッタの如く頭を下げ感謝していた姿やったはずやと。

「感謝の心か……」

当たり前と言えば当たり前のことやが、的を射た指摘や。

人が、最初のラッキーに出くわすのは偶然の要素もあるやろうが、その後に幸運が続くのは、そのラッキーを感謝して表現できる者にだけに与えられる特権やろうと、ワシも思う。

それで、味をしめたアキヤマは、あしげくその辺りを通った。

そのアキヤマが、単にその欲だけにかられた人間やったら、そんな幸運はもう訪れてなかったはずや。

株を守りて兎(うさぎ)を待つ。という古の教えがある。

ある狩人が、木の切り株につまずき動けないでいたウサギを捕まえたことで、それ以降、その同じ切り株で、同じようなウサギが現れるのを、そこでじっと待っている姿を笑った逸話である。

そんな甘いラッキーな話は二度とはないという意味としてな。

普通は、たいていそうなる。

しかし、アキヤマにはその後も、それと似たラッキーが続いたという。

もちろん、それには、ヨシムラや他の客たちとの約束を守り、定期的に必ず寄るように心がけたからというのも大きな要素になった。

その実直な性質の上に信用も勝ち取ったということや。これで幸運が訪れん方がおかしいということになる。

その都度、ジャガイモに限らず、季節の野菜やくだもの、あるいはツヨシにと過分な菓子も貰った。

そのツヨシやが、それが続き、その辺りの人の優しさに包まれたことで、先の京都市内での事件がトラウマにならずに明るく育ってくれた。

余談やが、あるときこんなことがあった。

アキヤマがいつものように、客から古紙を出して貰い積み込んでいる最中、ツヨシの姿が消えたのに気がついた。

アキヤマは慌てて捜そうとすると、どこから持ってきたのか分からんが、新聞の括りを一つ重そうに、ツヨシがヨタヨタとした足取りで運んできたのが見えた。

その後から、一輪車に新聞を積んだ中年の主婦が現れた。

「この子が、うちに来て『新聞、ありませんか』て言うのよ。聞けばお父さんと仕事に来ていると言うじゃない。本当に、かわいくて賢い子やわ」

アキヤマは、流しするにしても、ただ漫然と廻っていたわけやない。

僅かでも新聞古紙があると見えると必ず車から降りて、その家に出して貰うよう頼みに行っていた。

それをツヨシが見ていて、真似したということになる。

それには、その辺りで良くお菓子を貰えるということもあったのやろうが、その優しさに触れたことで安心したことが大きいとアキヤマは見ていた。

そして、ツヨシも子供ながらに何とか少しでもアキヤマの役にも立ちたかったのやろうと思う。

その後も、ツヨシは何度も同じことを繰り返していたさかいな。

その姿に心を打たれた人も、その辺りには多かったはずや。

もし、その中の誰かが、このメルマガを読むことがあれば、そのときの親子やったと思って頂ければええ。

中には、その新聞古紙がなくても、アキヤマのトラックを見かけると、そのツヨシのためにわざわざ、お菓子を持ってくる人までいてたというからな。

それらの親切、好意が、アキヤマの生活をどれだけ潤し、助けになったことか、本当にいくら感謝しても感謝しきれなかったと語る。

いつしか、アキヤマは、その辺りを密かに「大津人情街道」と呼ぶようになった。

そして、ついには、その「大津人情街道」で人生そのものを変えるほどの転機とチャンスに恵まれることになり、その生活から脱することができたと話す。

現在は、アキヤマは自営業者としての基盤がちゃんとある。

ただ、そこに至るまでの話は長くなるから、またその機会でということになるがな。

最後に、そのアキヤマから、送られてきたメール文の中で頼まれたことがあるので紹介する。

その抜粋や。


ゲンさん、そのヨシムラさんに今でも感謝していますとメルマガで伝えていただけませんか。

そのヨシムラさんのお仕事の内容については言えませんが、その頃、パソコンを使って仕事をされていました。

だから、ゲンさんたちのメルマガやサイトを見られている可能性があります。

もし、何かでヨシムラさんから連絡があったら、勝手なおねがいで大変恐縮ですがよろしくお伝えください。

今は地理的なこともあって、お訪ねするのはとても難しいですけれど、そのうち必ずお伺いするつもりです。


おそらく、そんな僥倖(ぎょうこう)を期待できる可能性は限りなく低いやろうが、それでアキヤマ氏の気が済むのなら、そうさせて頂く。

前回のときにも言うたが、このアキヤマ氏の話には本当に考えさせられることが多い。

次回はいつになるか、まだ分からんが、またぜひ、したいと考えとる。


書籍販売コーナー 『新聞拡張員ゲンさんの新聞勧誘問題なんでも選集』好評販売


ご感想・ご意見・質問・相談・知りたい事等はこちら から


メールマガジン・バックナンバー 目次                       ホーム