メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第187回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2008.3. 7
■ゲンさんの話し方教室 その2 新聞営業での失言について
人には言うてええ言葉と悪い言葉があるというのは誰でも知っとる。
ただ、誰でも知っとるが、言うて悪い言葉というのは、つい弾みで口を突いて出るということが往々にしてある。
失言というやつや。
それで、致命的な窮地に追い込まれた政治家や有名人は多い。
テレビや週刊誌、ネットを見ていれば、そんな例は腐るほどあるから一々、ここであげつらう必要もないと思う。
今日も、この瞬間、ひょっとすると、どこかの政治家、有名人が失言して、やり玉に挙げられとるのやないかな。
たいていは、それで世間から袋叩きの目に遭う。身から出た錆(さび)やと言うてしまえば、それまでやけどな。
一般人は、そこまで心配せんでもええとは思うが、それでも、その一言で信用を落とし、対人関係をまずくさせたという経験は誰にでも多かれ少なかれあるのやないかと思う。
もちろん、ワシにもそれで後悔したことはナンボでもある。いらんことを言わんとけば良かったと。
昔から、「口は禍の門」あるいは「口は災いのもと」とも言われ、よけいな失言に対する戒めがあったくらいやから、おそらく、これは人類が言葉を生み出したときからの永遠のテーマやという気がする。
この失言は、同然のことながら営業では、絶対に避けなあかんことや。
人間には、理性と感情があるが、どんなに理性的な人でも感情には負ける。
相手の気分を害させ怒らせては、どんなものでも売ることなんかできんというのは間違いのないところや。
せやから、営業に従事する人間は人一倍、この失言には気を遣わなあかん。
しかし、それが結構難しく、言うほど簡単なことやない。
それには言うてる本人に、それほどの失言をしたとは思うてないというケースが多いからでもある。
例えば、勧誘で叩いて(訪問)いるとき、年配の女性が応対に出てきたとする。
勧誘員は、喜び勇んで当然のように「奥さん」と呼びかける。
ところが、その「奥さん」という呼びかけが、その女性にとっては失言となり「もう結構です」と怒らせることがある。
言うておくが、世の年配と見受けられる女性のすべてが既婚者とは限らんわけや。
婚期の遅れた女性もおれば、離婚したばかりで傷ついた女性もおる。また、見た目よりもはるかに実年齢の低い女性もや。
まあ、それでもたいていの人は「奥さん」と呼ばれることで、それほど過剰に反応はせんもんやけど、中には気にする女性もおるというのも事実としてある。
婚期の遅れた女性はバカにされたと思い、離婚した女性には嫌味に聞こえ、また、まだ婚期を逸したとも思うてないのに老けて見られたと怒る女性も中にはおる。
現在は、経済的に自立したことで独身主義を貫く女性も昔より増えている。
そんな彼女たちからしてみれば「奥さん」と呼ばれるのは好ましくない言葉になるわけや。
「そんなこと言われても外見からは分からんで」と反論する者も多いと思う。
しかし、そう言う者は、すべてのことに配慮、気配りに欠けるところがあると言われても仕方ない。
注意深く観察していれば、そう言うことの愚は避けられた可能性は高かったはずや。
子供のいる痕跡のあるなし、その家の家族構成を示唆するもの、一戸建てならその家の雰囲気、集合住宅の場合は住人の傾向など、あらゆる情報からそれと察知することは可能や。
それは玄関周りの様子や洗濯物、家の築年数、清掃の具合といったものからでも容易に分かる。
それらの情報から、僅かでもそれと感じたら、取りあえず「奥さん」という呼びかけは封印するようにしといた方がええ。
少なくともワシは、ある程度、その客と親しくなって事情が分からんうちは、そうしとる。
ただ、これが独身男性の場合やと「ご主人」「旦那さん」と呼んでも、それほど気を悪くされるケースはないんやけどな。
ワシが最も多い呼びかけは、その家の表札にある名前の場合が多い。
「○○さん」と言うのであれば比較的、差し支えないと思う。
この名前で呼ぶというのは、あらゆる業界の営業で推奨されとることではある。
これには、暗に「あなたは特別ですよ」というものが含まれるからや。名前を呼ばれることで反感を持たれることは少ない。
但し、その名前も紛らわしいもの、難解なものがあるから注意をせなあかんがな。
例えば「東」という性は「ひがし」とも「あずま」とも読める。
こういう場合は、はじめに「こちらは、『ひがし』さんでしょうか」と聞く。
これがあれば、それが例え「あずま」であっても、名前を慎重に確かめてのことやなという意を汲んでもらえることが多い。
「御手洗」さんのように難解な名前だと「まことに失礼ですが、お名前は何と読まれるのでしょうか」と聞けば、たいていは「みてらい」だと教えてくれる。
それを「おてあらい」さんと呼んだのでは救いがない。
もっとも、普通、その字面はそう読むのやが、名前はまたそれぞれ特殊な読み方があるから、思い込みは極力避けるようにせなあかん。
名前を平気で読み違えられるのは、やはり誰しもええ気のするもんやないさかいな。
そんなところまで気を遣わなあかんのかと問われたら、営業で売り込みたいのなら当然やと答えるしかない。
その配慮に欠ける人間は、必ずと言うてええほど、その他のあらゆる場面、状況で失言を冒す可能性があると知るべきや。
失言は、相手がそれを許容してくれると考えるべきやない。例えそれが悪意のないものであったとしてもや。
失言イコール、破談の図式は、あらゆる営業で起こり得ることや。そして、一度、その愚を冒せば回復するのは限りなく難しいことでもある。
そういう愚を避けるには失言に属する言葉があるとはっきり認識し、普段から注意を払うとく必要がある。
そのためには、その心得を知っておくしかない。
これから、新聞勧誘において失言を言うてしまいそうな事例を列挙しようと思う。
新聞勧誘営業での失言防止についての心得
1.相手への呼びかけ
「おっさん」「おばはん」「兄ちゃん」「アンちゃん」「姉ちゃん」というのは、営業の上ではどんな場面でもアウトや。
良く勧誘員の中には、親しみを出すために言うてるという者もおるが、こんな呼ばれ方をして喜ぶ人間はまずおらん。おっても少ない。
逆に自分が、そう呼ばれたと考えたら分かりそうなもんやが、そう言う者はそれに気づかんわけや。
もっとも、相手を威嚇(いかく)するために、敢えてそう言うてるというケースもあるがな。
そういうのは営業では論外なんやが、残念ながら勧誘員の中には、そういう者がおるのも確かや。
ただ、同じような呼び方でも、人により好意的に接してくれる場合もあるにはあるがな。
「おじさん」「おばさん」「お兄さん」「お姉さん」「彼女」という類がそうや。
但し、これも初対面では止めといた方が無難や。
親しくなってからやと、それなりに効果がある場合もあるが、最初からそれでは程度を疑われることの方が多いさかいな。
2.否定の言葉は避ける
「どちらの新聞をご購読ですか?」
「うちはA新聞です」
というのは、良くある会話やが、このとき「そんなA新聞なんかはだめですよ。うちのY新聞の方がいいですよ」と言う勧誘員がおるというのを耳にすることがあるが、これは頂けん。
自分の営業を優先させたい一心やと思うが逆効果にしかならん。
多くの人は、自分のしていることを相手に否定されると、自分自身を否定されたと受けとる。ええ気はせん。
この場合やと、A新聞がだめということより、その新聞を読んでいる者がだめだと聞こえてしまうわけや。言うてる側にそのつもりがなくてもな。
それではとてもやないが営業にはならん。
誰でも、自分のしていることを否定されてまで、その相手の勧める商品を買いたいとは考えんさかいな。
せやから、その否定の言葉は避け、この場合は「A新聞も確かに素晴らしい新聞ですが、Y新聞の方が、この点では……」と話を続ける方が、客としても聞く耳を持ちやすい。
まず、相手のしていることを褒め認めてから、さらに、こちらの方がいいですよ、得ですよ、という風に持っていくことや。
それを心がけとれば、その手に関する失言は少なくできると思う。
3.客の外見的な部分には極力触れない
人は多かれ少なかれコンプレックスというものを持っている。それに触れられることを嫌う人は多い。
それが営業員からというのでは、それだけで、その人間から何かを買う気も失せるというものや。
「お歳より、お若く見えますね」というのも、言うた本人は、ヨイショで褒めたつもりかも知れんが、中には「この人、心の中では私のこと、おばさんだと思っているのね」と邪推(じゃすい)する人もおる。
「恰幅のよろしい体格で」なんかも「肥えとると言いたいんかい」となる。
ことほどさように、人の外見を褒めるというのは難しいわけや。また、その真意を分かって貰えんことがままある。
慣れて心やすくなればまた別やが、初対面の場合は、相手を褒めるにしても肉体的な部分には触れん方が無難やと思う。
これなんかも、人により失言の類になると心しとくことや。
4.他者への中傷をしない
このメルマガの第161回で『■勧誘批判合戦の果てにあるもの』という話をした。
これは、ある新聞販売店が、他紙のあくらつな拡張員が来るから注意してくれという内容の折り込みチラシを入れていたというものやが、これなんかは中傷の最たるもんやと言うてええ。
それをやってる者は、それが正しいと思い、そうすることが購読者獲得の一つの手段くらいに考えとるのやろうが、果たして、そんなチラシを読まされる読者が望みどおりの反応を示すやろうかということや。
それを読まされる大多数の人は、不審と嫌悪しか感じへんのと違うやろか。
どう考えても裏目に出ることの方が多いはずやと思うがな。
ましてや、それをネタに勧誘して成果が上がると考える神経を疑う。
まれなケースにこういうのがある。
ある販売店の従業員がとんでもない犯罪を犯したとテレビや新聞で報道されたことがあった。
他紙の拡張員は、ここぞとばかりにその販売店の顧客にそのことをアピールして廻り勧誘した。
その事件は誰もが知るものやったから、その販売店の顧客が軒並み他紙へ流れた。
それに関わり契約を多く上げた拡張員は、おいしい方法やったと考える。当然のことながら、そういうやり方が忘れられん。
その結果どうなるか。
常に、他店を何かの理由をつけて中傷する勧誘をするようになる。
ところが、そういう状況というのは滅多に起きるものやない。
また、いつまでもそれが通用するほど、人の記憶は長続きすることもない。
普通の何もない状態で、そんな話を聞かされれば、ただの中傷としか受けとらん。
大多数の人は、そんな中傷ばかりを言う人間を嫌う。
それが、拡張員ともなれば尚更や。胡散臭いとしか感じることはないさかいな。
当然のことながら、そればかりをしとる拡張員は成績も落ち込む。
事実、それに関わって一時かなりの契約を上げていた多くの拡張員たちが、今は青息吐息か廃業したという話が伝わってきとる。
つまり、そんなことでええ目を見たがために、拡張員としての方向自体を見失ったということになる。
中傷を言う怖さとは、相手に変に思われることもさることながら、自分自身を見失うということにあると思う。
せやから、ワシは、その中傷の言葉自体が失言やと考えとる。
5.責任逃れは言わない
勧誘に廻っていると、たまに「あんたの所の勧誘員は……」とか、「お前の所の店の者は……」と苦情を言われることがある。
もちろん、その勧誘員には、まったくあずかり知らんことや。関係ないことやと言える。
しかし、その思いをストレートに出すのはまずい。
「私には関係ない」「それは販売店の人間のしたことや」と反論するのは、営業員としては絶対言うてはならん言葉や。
その客の立場になって考えたら分かると思うが、そんな言い訳する人間から何かを買う気持ちにはなれんさかいな。
客にとっては、勧誘に来た人間は、新聞社の人間であろうとその販売店の者であろうと、また拡張員であっても、すべてがその同じ新聞関係の人間なわけや。
新聞業界の事情に詳しい人の方が少ないから、たいていは一体やと考えとる。
これが、一般の会社の場合やと、他の社員がした不始末であっても、顧客に対しては同じ会社の社員なら謝るのが当然というのが常識としてあるさかいな。
心配せんでも客から、そう言われたときは却ってチャンスやというくらいに思えばええ。少なくともワシは常にそう考えとる。
文句を言う客というのは鬱憤(うっぷん)が溜まっとるわけや。
そういうときは、ただ平謝りに徹して、その言いたいことを吐き出させる。
そうすれば、たいていの人間は、言いたいことを言うたことによりスッキリし、それを受け止めた相手に好感を持つことが多いもんなんや。
これは、苦情を聞く上での基本なことでもある。
その顧客が落ち着いた頃を見計らって、勧誘していけば意外に簡単に落とせることが多い。
文字どおりピンチがチャンスになるわけや。
そういうおいしい状況を逃がすのは、もったいないと思うのやけどな。
そういうわけで、この責任逃れの言い訳をするというのも、ワシは失言のうちに入れとるということや。
6.その場の雰囲気、空気を読む
この頃、KY(空気を読めない)という言葉を良く耳にするが、これに似たことは営業の世界では昔から言われてたことや。
先の「奥さん」という呼びかけの問題にしても、その場の雰囲気を汲み取ることができれば、ほとんどが避けることのできるものやと思う。
言葉にもTPOというのがある。
特に営業員なら、時(time)、所(place)、場合(occasion)に応じた言葉の使い分けをするのは必要不可欠なことやと考える。
ただ、この雰囲気、空気を読むというのは、それほど難しいことやない。
自分を相手の立場に置いて考えるというだけのことで簡単に分かるはずや。
たいていの勧誘員も、もとはその一般の勧誘される立場の人間やったわけやし
な。
もっとも、それが自分の仕事となると忘れる者が多い。困ったもんや。
そういう人間の悪癖の一つに、自分中心に物事を考えるということがある。
それが嵩じると「せっかく来たんやから話くらい聞けよ」「これだけサービスしとるのやから契約してくれてもええやろ」「ワシらに今度はないんや」「今すぐ契約してくれ」となりやすい。
その気持ちがあるだけで、例え、この言葉を口に出さずとも、端々にそれと感じられる物言いをすることが多くなる。
これも、営業員とすれば暗に戒めなあかんことやわな。
7.営業員としての常識言葉を身につける
わざわざこんなことを言わんでも良さそうなもんやが、敢えて言うとく。
新聞の勧誘とは新聞を買ってもらうために契約を頼むことや。そこには、売り手とお客という関係がなかったらあかん。
当然、物言いもそれに相応(ふさわ)しいものが必要になる。ほとんどの勧誘員はそうしとると思うが、中には、それのできん者も確かに存在する。
そして、そういう連中でも、それなりに契約を上げているという現実もある。それなら、それで良しと考える勧誘員も中にはおるわけや。
しかし、そんな心構えの営業方法では必ず行き詰まると断言する。
営業員としての常識とは、敬語を使い、法律を守り、接客マナーを心がけることなどがそうや。
その意識だけでもあれば、常識はずれの失言を言うこともなくなるはずや。その面での勉強もしようと考えるやろうしな。
8.嘘はつかない、騙さない
これなんかも当たり前すぎることやが、残念ながら、サイトのQ&Aにもあるとおり、そういう勧誘員がいとるとの相談が後を絶たん。
それに疑問を挟まん人間や「契約さえ上げたら何してもええ」と考える者は、今更何を言うても仕方ない。止めることもないやろうしな。
しかし、そうやないという人や、これからこの勧誘の仕事を始める人には、そういうことのないようにしてほしいと思うさかい、敢えて言う。
嘘をつく、騙すというのは、それと意図しとるわけやから、失言と言えるのかどうか難しいが、自らの戒めとして禁句にはしとくべきやと思う。
確かに、この新聞勧誘の仕事は生半可なことで、できるものやないし難しい。どんなことをしてでも契約を上げたいという気持ちも分からんではない。
しかし、考えてほしい。
嘘をつき人を騙して得たものは、いずれは自分の生き方そのものまで狭めることになる、後のないやり方やと。
当然やが、そうした客の所へは行きにくくなるし、それがもとでトラブルになって販売店への出入りも禁じられることにもなりかねん。
すればするほど、自分で自分の首を絞め行動範囲を狭めることになる。
その場の1本の契約のために未来を捨てる結果にしかならんと思うのやけどな。
9.自分の口癖に気をつける
ワシが、初めて営業の仕事に就いたのは建築関係やったが、そのときの上司に、この口癖のことを指摘され徹底して直されたことがある。
このメルマガで「ワシ」と言うてるのも、その口癖の一つや。これは、子供の頃からの癖で、なかなか直せるものやなかった。
同じ関西弁やとは言うても、ワシの生まれたのは大阪南部の河内と呼ばれる地域やった。そこで話されるのを河内弁という。
何の自慢にもならんが、大阪の中でも、ワシの子供の頃の40数年前は、その河内弁は言葉もガラも特別悪いという代名詞のようなものやった。
そこの出身というだけで異質な扱いやったさかいな。
「よお、ワレ、久しぶりやんけ。生きとったんけ」というのが、普通に交わされる挨拶の言葉や。
普通の関西弁に直すと「久しぶりやな。元気やったか」という意味になる。
まあ、これは地方の方言の一つと捉えれば、どうということはないのやが、これでは営業はできん。
この癖を普通の関西弁にまでするには相当時間がかかった。それだけ身についた口癖というのを直すのは難しいわけや。
営業では、「私」または「僕」と言うのが基本になる。これは、全国的にそうやと思う。
その口癖を指摘され、気を張っとるときには何とか「僕は……」と話せるが、つい油断すると「ワシ」とか「ワイ」というのが顔を覗かせる。
当然やけど、初対面でそんなことを言えば、いくら関西でも客に引かれる。程度が悪いとしか見られんさかいな。
人に不快感、嫌悪感を与える言葉というのは、やはり失言のうちに入ると思う。
他にも「えーと」と言う癖もなかなか直らんかった。トークの中に、それが入るとリズムを崩す。
このリズムを崩すというのは結構致命的なことで、その瞬間を突かれて「もう結構です」と言われることがあるわけや。
もちろん、そう言われても本人はそれと気づいてないのやけどな。
そう指摘されて、なるほどなとその当時、思うたもんや。
言うとくけど、このメルマガで「ワシ」と言うてるのは、ハカセと友人としてのプライベートのときに言うてることで、営業のときには絶対にそんなことは言わんさかいな。
これでも、一応「私」とか「僕」と言うてるわけや。柄やないけど。
ただ、この口癖を指摘してくれる人間がおる人はまだええけど、自分でそれと気づいて直すとなると大変やとは思う。
しかし、それと心しとくというのは重要や。
人から、その口癖は良うないと指摘されたら、なるべく直すことやな。
10.言った言葉の結果、効果を考える
冒頭で言うた、政治家や有名人の失言が多いのは、その言葉を発した後のことを考えんからや。
僅かでも考えれば、それが失言やったと誰にでも分かるはずや。
もっとも、誰にでも分かるからこそ、それが失言として取り上げられとるわけやけどな。
言うた本人も、しもうたと後悔しとることの方が多いとは思う。
ただ、この手の失言は、普段からの考え方というのにも起因しとるから、よほどそれと意識してなかったら気づいて直すのは難しいかも知れんがな。
こういう失敗を繰り返す者は、日頃から、一言多いと言われるタイプや。
営業において、それをタブーと心得るのなら、その普段の言動にも気をつける努力をすることや。
そうすれば、自ずと言うてええことと悪いことの区別はつくようになると思う。
失言の類の言葉を吐くというのは、そういう注意力のなさからくるものやさかいな。
11.なるべくゆっくり話す
これが、失言を避けるための最も効果的な方法やと思う。
失言というのは、思わずとか弾みでというケースが大半や。ゆっくり慎重に喋る癖をつけておれば、自然とそういうことが少なくなるはずや。
良く立て板に水が流れるような営業トークがええように考えとる人がいとるが、必ずしもそうとばかりは言えん。
むしろ、意外に思われるかも知れんが、そういう営業マンほど受けが悪いとい
うことがある。
特に女性からの受けがあまり良うないと聞く。
新聞の勧誘は、どちらかというと女性客が多いから、それに嫌われる、受けが悪いというのはきついわな。
営業トークに慣れてくると流暢になる。それが、えてして早口になりやすい。
早口で話すと、せっかちで神経質そうな印象を与えやすい。軽薄な感じがするという女性も多い。
ところが、ゆっくりとした話し方やと、優しげな雰囲気が醸し出される。知的な雰囲気も感じさせるという。安心感も与える。
良くテレビや映画などで評判のええナレーションというのは、たいていテンポのゆっくりとしたものが多い。
そこまでの域になるのは難しいかも知れんが、ゆっくり話そうと意識さえすれば、誰にでもできることやと思う。
ゆっくり話せば、言うたらあかんということに気づきやすくもなる。
しかも、それで好感を持って貰えるのやから営業でこれほど有利なことはない。
ワシなんかも、極力そうしとる。というか長年続けとるから自然にそうなっとるがな。
却って早口で話せと言われる方が辛いし難しい。
ワシの経験から言うても、このゆっくり話すというのは心得といて損はないと思う。
大体、こんなところかな。
営業は言葉でするものやから、その話し方には十分注意を払わなあかんというくらいのことは誰にでも分かる。
ただ、それが分かっていても失言をなくすというのは一朝一夕にはなかなか難しいが、それでも、そうしようという意識さえあれば誰にでもできることやと思う。
できることを一歩ずつやる。それしかないと、考えるがな。
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