メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第189回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
     

発行日  2008.3.21


■新聞販売店員奮闘記 その1 集金秘話


「本当に仕方なかったのやろうか、他に方法はなかったんやろうか……」

ある新聞販売店員のジローは、そう自問自答を繰り返していた。

そこには、仕方なかったという思いと、自己嫌悪の後悔の念が交錯していた。

その日に遡(さかのぼ)ること5日前。

「よっしやー!! ほな行こうか」

ジローは、そう言うて自分自身に気合いを入れた。

気合いを入れた目的は新聞の集金のためである。

何をそんなに入れ込む必要があるのかと思われる一般の方は多いかも知れんが、ジローたち新聞販売店の従業員にとって集金というのは、それくらい重要でエネルギーを要する仕事なわけや。

新聞販売店の従業員には、配達、集金、勧誘という三業務というのが課されている。

一般には、配達が一番重要やと思われがちやが、この業界ではそれができるからというて評価されることは少ない。

よほど、他人の2倍、3倍の配達量をこなすというのなら別かも知れんが、そうでもなければ完璧にできて当たり前という風潮があるさかいな。

もっとも、ミスは許されんから、それがあればマイナス査定にはなるけどな。

この業界で評価されるのは、集金と勧誘ということになる。

その中でも、集金に比重を置いている販売店は多い。

まあ、販売店の収入の大半をそれに依存しとるわけやから当然と言えば当然やけどな。

集金せんことには販売店の経営自体が成り立たんさかいな。

一般の新聞販売店では、その月の集金は、月末の25日から翌月初めの5日くらいまでの間に行われる。

それはジローの店でも同じやった。

新聞販売店の発行する領収書のことを俗に「証券」と呼ぶ。正しくは「領収証券」という。

ミシン目でつながった2枚綴りになっていて、半券と呼ばれる内側の小さい方が店の控えで、外側の大きい方が客への領収書となる。

もっとも、大きい方と言うても、12センチ×7センチ程度のもんやけどな。半券の小さい方は4センチ×7センチくらいや。

若干、販売店によって違いはあるが、たいていはこの大きさが一般的なようや。

世間一般の企業の領収書と比べると小さい。ただ、小さいが、これには結構、いろいろな情報が詰まっている。

新聞社名、販売店住所、社印、客の住所、名前、集金額などの情報があるのは、一般企業の領収書と大差ないが、新聞販売店にはその他に、照会番号と○区○番というのが記されている。

照会番号は、その販売店のパソコンデータへの登録順やから、あまり大きな意味はない。

問題は○区○番という部分で、○区は、その販売店での配達コースの区分けを表し、番号は順路帳というて配達順路に書かれとる順番を指すことが多い。

そこに○区1番とあれば、その配達区域で最初に新聞が配られるということを意味する。

普通は、これを起点として、ここから順路帳の道順が、販売店特有の記号で書き表される。

この順路帳さえ理解できれば、例えそのコースが初めての者でも配達が可能なようになっている。

ただ、これは配達人によってその順路を適時変更する場合もあるようやから、絶対、それが守られるということでもないがな。

ジローの店では、その証券は、25日に発証される。つまり、その日から集金開始となるわけや。

この集金が開始される月末25日からというのは、たいていの新聞販売店がそうやと思う。

まあ、これはほとんどの会社の給料日が25日やから、それに合わせとるだけのことで他に大した理由はない。

単に、集金しやすいということがあるだけや。

ジローの店では、月末30日まで80%の集金回収をするよう厳命されていた。ノルマということになる。

それをクリアすれば、集金手当が余分に貰え、逆に少なすぎるとペナルティが課せられることもある。

そうするには、販売店の方でもそれなりの理由がある。

ジローの店では、その月末30日に新聞社へ新聞の卸し代金の納入を義務付けられとるからや。そういう新聞販売店は多い。

集金の集まりが悪いからと言うて、新聞社にその日の納金を待ってくれとは言えん。厳守や。それが守られんと当然やが、新聞社からの評価は著しく下がる。

ヘタをすると改廃というて、廃業まで考えなあかんことにもなりかねんさかいな。

これは、一般でも同じことで集金日に取引代金が支払えんでは信用はゼロやさかいな。そんな会社はどこからも相手にされずつぶれる。

せやから、集金できんで金が足らんかったら、借金してでもその日に納金せなあかんと、考える販売店経営者は多い。

借金すれば、それに金利もつく。集金できんのは集金人の怠慢やと考える経営者にすれば、ペナルティも当然やという考え方になる。

それとは逆に月末までに80%の集金ができれば、その新聞社への納金もでき、従業員への給料も支払えるさかい、特別手当も出せるということになる。

因みに、それもあり、新聞販売店の給料日というのは月末が多い。

昔は、その集金ができんかった場合は、従業員への給料が、その証券で支払われることすらあったという。

つまり、給料が欲しければ、その分を自分で客から集金しろという理屈なわけや。

集金できん場合は、それは自腹になる。

その証券を切り取った領収書の部分だけを渡されることで、それを「切り取り」と呼んでいた。

もちろん、こんなことは違法や。

「おおそれながら」と、労働基準局あたりに駆け込めば、その販売店はお咎めをくらうことになる。

ジローの店では今はないが、昔は普通にあったという。

もっとも、未だに、それをしとる販売店があるとの報告が、このメルマガやサイトにも届くことはあるがな。

サイトのQ&Aの『NO.145新聞購読料金の切り取り行為は違法なのでしょうか?』で取り上げたこともある。

一般には、集金くらい簡単やろと思われるかも知れんが、新聞販売店の集金は、これで結構、難しいことが多い。

それなりの準備をしてへんかったら、予定どおり、おいそれとできるもんやないさかいな。

ジローの集金受け持ちは、自分の配達区域の第5区と、アルバイトが配達する第6区、第7区やった。

全部で450軒ほどにもなる。これだけあるというのは業界でも多い方やと思う。

集金時間は、通常、夕刊配達後の午後4時から夜の9時頃までというのが多いが、そのとき、いつ行っても在宅してて快く支払ってくれる客もおれば、なかなか会えない客や、何かと理由をつけて支払いを渋る客といろいろおる。

ジローは、集金客のランク付けをしていた。

Aランク。いつ行っても在宅してて快く支払ってくれる客。

Bランク。会えさえすれば集金できる客。もしくは、集金日時の指定のある客。

Cランク。なかなか会えない客。これは独身者、単身赴任者、学生に多い。

Dランク。何かと理由をつけて支払いが悪い客。当然やが、集金人にとっては、ありがたくない客になる。

ジローは、そのランク別に集金のための訪問順路帳を数種類作っているという。

Aランク、Bランクは、それほど問題ない。集金は、簡単にできるところから先に済ますのが鉄則や。

ジローの場合、Aランク、Bランクで全体の8割近い350軒ほどある。

しかし、そのうち、30軒ほどのBランク客は集金日時を月初めの1日から5日と指定しとるから、30日までとなると、320軒になる。

その320軒を、25日から28日の4日間で集金を済ます。

問題は、その30軒ほどの集金日指定のBランクを除く、100軒ほどのCランク、Dランクということになる。

ただ、これも会えれば比較的簡単に集金できるのが80軒近くあるから、残りの29日、30日の2日間で、その回収に全力を尽くす。

毎月のことやから、そういう客でも、いつ頃、行けばええのか自然に分かる場合が多い。

たいていは、午後10時から12時までの深夜に及ぶが、それらの客にはその時間、訪問することを了解して貰うとるから、それについてのトラブルは少ない。

通常、ジローは、午後10時から午前2時頃までは就寝時間なのやが、この時期、それはあきらめるしかない。

ただ、そうは言うても、新聞の集金というのは、それほど大事やと考えとる人は少ないから、なかなか約束の時間に在宅しとらんし、会えんということも多いがな。

ましてや、その期間に土日が絡むとよけい難しくなる。給料日の後の土日となると尚更や。

特に独身者は、金があると遊びたくなるから、自宅で新聞の集金のために待つというようなことはほとんどないさかいな。

たいていの集金人は、集金できんような状況になって初めて慌てることが多いが、それでは遅い。

早めに予想つけて対処しとく必要がある。

具体的には、会うのが難しいと思える客には、配達時、及び集金開始日に訪問予定日時を知らせたチラシをポストに入れておく。

それには「ご都合の悪い場合は、ポストにこの用紙を貼り付けてください」と付け加えておく。もちろん、希望集金日時の記入欄もそのチラシにはある。

たいてい、いつも10軒程度の客が、それをポストに貼り出してある。もしくは、電話で知らせてくる。

それらを、効率よく廻って回収すれば、予定の80%の達成くらいどうということはない。

ジローは毎回そうして、その予定を下回ることはなかった。また、そうすることが、義務というより誇りでもあった。

準備は日程予定表や集金順路帳の作成だけやなく、持ち物についても言える。

まず、集金カバン。一応、販売店からは新聞社製の肩がけのカバンになっている物が支給されるが、ジローは、それよりも少し大きめのショルダーバッグを自分で購入して使っていた。

集金は、時間との勝負やから、釣り銭を渡すにしても素早く取り出せるようにしとかなあかん。きっちりとした額をくれる客はええが、たいていは釣り銭が必要になる。

ジローの販売店では朝夕セットで3925円やから、ビニールの小袋などに75円の小銭を集金予定分だけ入れとけば、その分、早く済む。

1万円札を出された場合は、5千円札+千円札+小袋の75円の計6075円の釣り銭。5千円札なら、千円札+小袋の75円の計1075円の釣り銭。4千円なら、小袋の75円の釣り銭という具合や。

ゴミ袋や映画、遊園地の割引券などの「捨て材」と呼ばれるサービス品も用意しとく。

たいていは、そのゴミ袋や遊園地の割引券を渡す程度でええが、中には、映画、遊園地の無料券を請求する客もおる。

ジローは、それをCランクの比較的会えない独身者、学生に渡して、その在宅を促すようにしている。

もちろん、一般家庭からも、その無料券の要求をされることもある。

この無料券については、販売店も元手がかかっていて捨て材というわけにはいかんから、無制限に持ち歩くというわけにはいかん。

当然、それをすべての集金客に渡すことは無理やから、集金人、それぞれに持たされる分にも制限がある。

それを渡すには相手を選んでということになる。

必然的に比較的うるさい客とか、集金しにくい客に廻ることが多くなるということや。

そうすることの是非を問われても困るが、現実としてそれがあるわけや。

加えて、販売店の従業員には、留め押しと言うて、契約切れの近い客に、契約延長を依頼することがある。

そのために、契約書とビール券などもそのカバンに入れとる。もっとも、洗剤などのかさばる景品類は、単車の荷台に積んどるがな。

集金と同時に勧誘をすると効率がええということで、この時期についでにそうするわけや。

実は、新聞販売店が、未だに手集金にこだわり続けるのは、それが大きな理由でもある。

今日び、公共料金や電話代、学校の集金など、あらゆる支払いは銀行引き落としやコンビニ払いになっとることが多い。それが常識という感すらある。

未だに手集金主体というのは、この新聞業界くらいなものやないかと思う。

これだけ、集金業務が面倒で煩雑なら、銀行引き落としやコンビニ払い、クレジット払いに移行すればええのやが、そうすると購読客とのつながりが希薄になると考える新聞販売店の経営者は多い。

実際、すべて振り込みやコンビニ払いに移行すれば、そうなるとワシも思う。

購読客とのつながりが希薄になるということは、契約延長も難しくなるということ意味する。現状の客すら維持するのが難しくなる。

新聞の勧誘というのは、嫌われることが多く、まともに応対自体して貰えにくいことが多い。

しかし、これが「集金です」となれば、たいていは簡単にドアを開けてくれる。

実際、ワシらが勧誘に廻っとるときでも、インターフォン越しに「○○新聞店です」と言うただけやのに集金人と勘違いしてサイフ片手に「おいくら?」と言う客もいとるくらいやさかいな。

長期購読者が、他紙を断る口実として一番多いのが「その販売店とは長年懇意にしとるから」というのがある。

手集金を銀行振り込み、コンビニ払いにすると、その絆がなくなるのやないかと畏(おそ)れるわけや。

それが、新聞販売店が、未だに手集金にこだわり続ける最大の理由ということになる。

月末の30日。

ジローはここまで、順調に集金を済ませてきた。

後、10軒ほど廻れば、360軒の集金が達成し、80%の予定が達成できる。

午後10時。

ジローは、スドウという客のアパートに行った。

スドウは、その仕事の関係で帰宅時間が遅いということもあり、便宜上、会えにくいCランクの客ということにしとるが、実質は楽な部類に属する。

集金予告のチラシを入れとけば、たいてい、いつもその時間に代金を用意して待ってくれている。

スドウは50歳すぎで独身や。10年前に死んだジローの父親と同年配の男やった。

そのスドウの方にも、ジローと同じ年頃の子供がいとるということもあり、集金に行くと、いつも快く歓迎してくれた。

スイカやミカン、リンゴなどの果実や菓子類を貰って帰ることも多い。我が子のように接してくれた。

当然のように、留押しもいつも快く承諾してくれていた。

その日も、その留め押しを頼む予定やった。

「スドウさん、ジローです。集金に来ました」

いつもは、そう言うだけですぐドアが開くのやが、その日は、何の応答もなかった。

「おかしいな……」

留守ということはない。部屋の電気は点いている。

「お風呂にでも入ってはるのかな」

念のため、ジローは裏に回った。案の定、風呂場の明かりが点いているのが見えた。

ジローは、「やはり」と納得し、先に他の集金を済ますことにした。

午後11時30分。

結局、その時点で予定の80%の集金はクリアしていたが、ついでということと留押しということもあり、再度、そのスドウのアパートに行った。

「スドウさん、ジローです」

ジローは、そう言うて何度か呼びかけたが応答がない。ドアを開けようとした
がカギがかかっている。

ジローは嫌な予感に囚われた。

すぐ、裏に回ると風呂場の明かりが、まだ点いていた。

「もしや……」

ジローは、このときになって、以前、スドウが言っていたことを思い出した。

「ワシは心臓が弱いさかい、死ぬときはそれやろうな」

「病院に行ってはるんでしょ。それでしたら大丈夫ですよ。何かあったら、僕に電話でもしてください。すぐ駆けつけますから」

ジローはそう言うて、携帯の番号を教えていた。何かあれば、本当にそうするつもりやった。

それくらいの恩義はあると思うてた。

もっとも、恩義以前に、そのスドウが好きやった。  死んだ父親の面影とスドウを重ねて見ていたさかいな。

ジローは、いてもたってもいられず、その近くに住むというアパートの大家の家まで行って事情を話すと、大家も心配して、合い鍵を持ってスドウの部屋にかけつけてくれた。

「スドウさん……」

ジローと大家は、恐る恐る部屋に入った。
 
アパートの部屋は、6畳の和室と台所、風呂があるだけで狭い。

その風呂場が半開きになっていた。

そこを覗き込むとスドウが全裸でうつ伏せに倒れていた。

「スドウさん、スドウさん!!」

ジローは必死に肩を揺すって呼びかけるが応答はない。息もしている風はない。

ただ、身体はまだ冷たくはなかったから、死んでいるという感じではなかった。

もっとも、ジローはそれまでの人生で死体などというのは見たことがないから、それも危うい判断ではあるがな。

ジローは、すぐ、携帯電話で救急車を呼んだ。

しばらくして、救急隊員が到着し、手慣れた仕草で素早く全裸のスドウを毛布にくるみ、近くの救急病院に搬送して行った。

しかし、そのかいもなく、スドウは息を引き取ったとのことやった。

ジローは自分を責めた。

おそらく、ジローが午後10時に行った時、すでにスドウの身に異変が起き倒れていた可能性が高い。

そのとき、なぜそれに気づかなかったのか。

そのときやったら、まだ助かったかも知れん。

スドウの部屋は狭い。例え、風呂に入っていたにせよ、チャイムの音くらい聞こえていたはずや。

いつもは、すぐ出てくる。

スドウは連絡のチラシはいつも見ていた。ジローが午後10時に行くことは知っていたはずやから、その時間まで風呂に入っているのは不自然やなかったか。

几帳面なスドウが、それにも関わらず出て来んかったというのは、それだけで異常なことやと察知せなあかんかったのやないか。

事実、裏に回ったとき、なぜ声をかけなかったのか。

例え、風呂に入っていたにせよ、その近くまで行き、一言声をかけて後で寄るからと伝えることもできたのやないのか。

声をかけて返って来なければ、すぐおかしいと気づいたはずや。

今、考えれば、「なぜ」「どうして」というのが多い。

しかし、結局、ジローは自分の仕事を優先して、その場を離れた。

そのときのジローには、80%の集金を達成させることしか頭になかった。

それはそれで仕方のないことやったと考えようとしたが、すぐにそれを打ち消す思いが湧いてくる。

その悔いが、数年経った今もジローの心に深い傷として刻み込まれていた。

もちろん、このジローの取った行為を誰一人咎める者はいない。

むしろ、大家を呼んだことで適切な判断やったと大半の人から評価されてもいた。

ただ、それでは、ジロー自身が納得できなんだ。

ワシには、正直、そのジローにかける言葉は思いつかん。仕方ないとも良くやったとも言えん。

そのいずれの言葉も、ジローにとっては慰めにはならんやろうし、言えば傷つけるだけや。

ただ、後日、「長年、このことをずっと心の奥で悩んでましたが、ゲンさんやハカセさんに聞いてもらえたことで少し気が楽になりました」というメールを貰ったことが、唯一の救いやったと思う。


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