メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第191回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2008.4. 4


■届いた『ねんきん特別便』で甦った記憶


去る、3月25日。

「ゲンさん、私に『ねんきん特別便』が届きました」という連絡が、ハカセから入った。

それには、『このお知らせは、基礎年金番号に結びついていない5000万件の記録の中に、あなたの記録と結びつく可能性のある記録があるため、お送りします』とある。

「正直、おいおい、て感じですよ。これって、私の年金記録が消えている、もしくは宙に浮いていて怪しいってことでしょ?」

「ワシも詳しくは知らんけど、そういうことなんと違うか。それで、どうやったんや?」

「何しろ、30年以上も昔のこともあるので忘れてしまっていたものも多いですから」

送られてきた『年金記録のお知らせ』と題した台帳には、「あなたの加入記録」として、それまでハカセが働いていた事業所の羅列があった。その数、10数社に及ぶ。

ハカセには、学生時代から小説家になりたいという夢があって、卒業後、あえて定職には就かんようにしていたということがある。

それには、小説家になるためには多くの経験と知識が必要やという考えからきていた。

加えて、一つの仕事に縛られることで心が折れ、挫折することを避けたかったということもあったという。

また、小説家としての勉強をする時間もほしかったということも大きいと話す。

そのため、ある一定期間働いて、それと同じくらいの一定期間その蓄えで生活しながら文章修行と執筆活動に打ち込むという生活を数年に渡り送っていた。

具体的には、半年働いて半年無職ということが多かった。

今で言うたら、フリーターみたいなものやな。

もっとも、その頃は、定職に就かん人間は「プータロー」と呼ばれていたがな。

その語源は定かやない。

昔、土方や飯場(建設作業)の労働者を「風太郎」と言うてたからやというのもあれば、働きもせずプラプラしていることが、なまったからとも言われとる。

また、「浮浪者」、「風来坊」、「poor(訳.貧しい)」を語源やという説もあるが、それらも不確かや。

現在、その「プータロー」という言葉は、新聞やテレビなどでは放送禁止用語に指定されているので、公の場で使われることがなくなり、自然消滅した感がある。

その代わりに、フリーター(自由人)という言葉が生まれたということのようや。

その呼び方はどうあれ、そんな生き方をしていたハカセは、親兄弟からも見放されていた。

本人は至って真面目に取り組んどるのやが、誰からもそれを理解を示しては貰えなんだと言う。

その頃、フリーターまがいのことをしているというても、アルバイト主体のそれやなく、一応、会社勤めはしていた。

その頃、日本は高度成長期にあり、働く気さえあれば仕事はいくらでもあった時代やった。

それもあり、定職に就いてない人間とか、ホームレスのような人間は、単なる怠け者として蔑まされるという風潮が根強くあったわけや。

失業率にしても、30年ほど前までは常に2%未満を推移していたのが、2002年には5.4%という史上最悪を記録し、その後、いくらか改善されたいうても4%を越えとる状態が今も続いている。

その当時と比べれば約2倍になっているわけや。

さらに言えば、この失業とは、仕事がなく、仕事を探している者を指すもので、仕事を探していない者は、失業者にはカウントされないということがある。

つまり、現在、ニートと呼ばれとる若者、ホームレスたちの多くは、その失業率には含まれていないということになる。

実質的には、表れた数字よりも、はるかに厳しい状況やと言える。

「昔も、今と同じような社会状況でしたら、そんな悠長なことはしていられなかったでしょうけどね」と、ハカセは言う。

「仕事などいくらである」という気楽さがあったが故にできたことやと。もちろん、若さもあってのことやがな。

ただ、ハカセは、それぞれの仕事には精一杯、打ち込み働いたと話す。

そして、そのほぼすべての職場で期待され、短期間のうちに重要なポジションに就いたという。

その仕事を一生懸命頑張ってするというのは、その道で出世したいとか、成功したいという希望があるからやが、そのあたりのところが、ハカセは普通と少し違う。

目的の大半は、その仕事、そのものの知識の吸収にあった。それが、執筆活動の役に立つと信じて疑わんかったからや。

せやから、その仕事を完全にマスターし、覚えるために賢明に頑張った。いち早く専門家になることを目指したわけや。

しかし、その職場の上司や経営者には、それが分からんから、有望な新人が入ったと喜ぶ。

自然と、経営者や上司から目をかけられようになり、引き立てられることも多くなった。

その勤め先の多くが中小企業やったということもあったが、短期間のうちに、たいていの職場で重要なポジションに就くようになったというさかいな。

平社員のままでその半年間を終えた覚えが、ほとんどなかった。

悪くて主任クラス。最高位は、工場長代理まで務めた。それも、当時、まだ30歳にも満たない若さでや。

それらのポジション、経験を数ヶ月ほどで、すべて惜しげもなく捨てて辞めた。

そして、その次には、一度も経験したことのない仕事を選び、同じ仕事は避けた。

その「あなたの加入記録」に、アクリルプラスチック製作工場、化粧品製造工場、アクセサリー加工工場、自動車工場、印刷工場、警備会社、精密機械工場、運送会社、看板製作会社、食品製麺工場、化学工場メンテナンス会社など多くの職種の記載があるのはそのためや。

最後の化学工場メンテナンス会社は、結婚を機に小説家になる夢を断念したということもあり、勤続15年と長かったが、それ以外は、すべて1年以内で辞めていた。

働く目的は、小説家として役立てる知識であって、技術の習得やキャリアやなかったから、それで良かったわけや。

もっとも、それを覚えるために懸命になっていたから、結果として技術も習得し、それぞれの仕事に必要な資格なども取得していったという。

実際、ハカセに見せて貰うたが、よくぞこれだけ集めたと思えるほど多くの資格証明書、および免許証がある。

ハカセの希望もあるので、ここでは伏せとくが、その中にはその道の専門家でもなかなか取得不可能な国家資格なども含まれている。

しかし、それをここで説明するのは、いかにも自慢するみたいで嫌やし、話の本筋とは関係のないことやからと言うとるので、公開するのは控える。

その必要があれば、その都度、その話をすることがあるかも知れんとは言うとるがな。

もっとも、結局は、結婚してその夢を捨てて挫折したわけやから、何を言うても自慢にはならんという思いが、ハカセには強いようや。

ただ、ハカセに悔いはない。

一人の女性を愛し、かけがえのない二人の子供をそれで得ることができたんやさかいな。

今は、その妻と子らの存在と励ましが、ハカセの生きる支えにもなっている。悔いなどあるはずがないと言う。

話を戻す。

現在、年金問題、および「ねんきん特別便」に関しては、各方面から厳しい批判にさらされている。

それについては、ほぼ毎日のように、テレビや新聞、インターネットで取り上げられとるから、読者の方々の方が良く知っておられると思うので、あえて、それには言及はせんが、社会保険庁に対して、ええ加減やなという印象が強かったのは確かや。

しかし、意外にも、ハカセに届いた「ねんきん特別便」を見る限り、よくぞそこまで調べたもんやと言える内容にはなっていた。

たいていの会社に就職すると、厚生年金に加入することが多い。

但し、そこを辞めると保険が失効するから、その都度、ハカセは自分で国民年金、国民健康保険に切り替えていた。

それを10数度も繰り返している。しかも、その間、住所も頻繁に移転していた。

ハカセは、去年、年金問題がクローズアップされたとき、その社会保険庁のずさんなやり方が報道される度に、その頃の記録は、正直、あきらめていたという。

自分自身でも、その記憶が不確かやのに、そんな状態の社会保険庁に間違いのない記録を望む方が無理やと。そう考えてた。

例えば、H自動車工場に勤めていたのが、何年の何月何日から何月何日までかという記憶が定かやない。

もちろん、その頃のそんな書類など残してもいない。

年金の記入漏れ、不明があれば、社会保険庁には自分で出向き、その証拠を示して認めて貰わなあかんという。

そういう生活を繰り返していた頃の30数年前から5、6年間の確かなことなんか覚えとるわけがない。

あるのは、そんな仕事もしたという記憶だけや。

それが、その「ねんきん特別便」には、事細かく記載されていた。

正直、ハカセにとってはありがたいことやった。

もっとも、その間、その保険料を支払っているのやから、当たり前と言えば当たり前なんやが、期待してなかった分、よけい、ありがたみが増したわけや。

「でも、よく見たら、一つ抜け落ちているようです」

20数年前の何ヶ月かの間、ハカセは、遊園地に設置する遊具を整備する会社に勤めていたことがあったという。

その記録がない。

それが分かったのは、その間だけ、厚生年金、国民年金の両方の加入期間が消えていたからや。保険なしの状態があった。

ハカセは、保険だけは切らさず入っていたという。それは間違いない。

そうでないと、万が一、怪我や病気をした場合、どうしようもないさかいな。

それで、おかしいなと思い、その頃の記憶を呼び起こしたということや。

ハカセは、特に日記のようなものは付けてなかったが、小説はずっと書いていた。

その頃の作品の一つに、その遊戯施設会社に勤めていた前後に書いたものがあった。 

『生駒山頂遊園地おばけ屋敷殺人事件』と題したものがそれや。

それを見て思い出した。

因みに、現在、そこは「生駒山頂遊園地」とは言わずに「生駒山上遊園地」というのが正式名称になっているらしい。

もっとも、未だに大阪では「生駒山頂遊園地」として親しまれとるようやがな。

大阪府と奈良県の県境に生駒山というのがあり、その山頂付近に、その遊園地がある。

関西では、それなりに有名な遊園地や。

ここは、夜景の名所でもあり、夏になると夜遅くまで、その遊園地がやっているということもあって、家族連れだけやなく、若いカップルのデートスポットにもなって賑わう所や。

また、この遊園地の敷地内には、在阪各局のテレビ主幹送信所、つまりテレビ塔があることでも知られている場所でもある。

業者専用の通用門である南門から、ほど近い所に、そのおばけ屋敷がある。

ハカセが、勤めていた遊技施設会社は、そのおばけ屋敷の機械設備のメンテナンスをしていた。

ハカセは、そこの専属の担当者やった。

「誰もいなくなった遊園地の深夜のおばけ屋敷で、一人きりで仕事するのは最高ですよ」と、ハカセが笑いながら言う。

この生駒山という所は、昔から怪談話の多い所で知られていた。その手の事件や出来事が豊富なことでも有名やった。

また、その麓には、生駒霊園と言うて、2万基以上の墓が並ぶ、関西最大級の墓地もある。

加えて、その当時には、頻繁にUFOの目撃談などもあった。もちろん、幾度となくテレビでその手の放映が繰り返されてもいた。

ここにおれば、幽霊が出ても、それほど不自然やとは思えん雰囲気が味わえるのは保証する。

ある霊能者に言わせると、そこら中に、霊がごろごろいて、にぎやかに歩き廻っているということらしい。

ある意味、遊園地そのものが、巨大なおばけ屋敷と言うてもええかも知れん。

遊園地のナイター営業は、夜の10時までや。

ハカセのメンテナンス作業は、当然のように、その後になる。

作業を初めて30分ほどは、まだあちこちに人が残っているが、それ以降は完全に無人になる。

無人になれば、灯も消える。点いとるのは、薄暗い外灯か、球が切れかけて点滅しとる電灯くらいしかなかった。

「よく、そんな所で仕事ができたな」

「別に大丈夫ですよ。例え、そこに幽霊がいたとしても、彼らは人をドツ(殴るの意)いたりするようなことはないですから。脅かしもしませんしね。人間の方がよほど怖いですよ」

ハカセは、すまし顔でそう答える。

その当時、そのお化け屋敷は、トロッコを摸した乗り物に乗客を乗せて中を周回させるというものやった。

光電管というのがある。センサーと言うた方が、分かりやすいかも知れんな。

トロッコが通るレールの両端にそのセンサーがある。そのセンサーは何も遮断物がないときは反応しない。

そのセンサーとセンサーの間をトロッコが通ることで、光電管のリレーが接続され信号が送られる。

その信号を受け、機械や仕掛けにスイッチが入るという仕組みになっている。

それで、前方の火の玉の明かりとなって灯ったり、幽霊の不気味な声や音楽などが鳴ったりする。

そのセンサーがコース上に相当数ある。

今からそのコースを一周する。

実際に点検する場合は、まずそのトロッコに乗って確かめなあかんさかいな。

トロッコは、2両連結で一度に最大20名ほど乗せられる。

発車後、すぐ第一のセンサーに触れる。

前方の大扉がそれで開く。

次のセンサーに触れる。

すると、トロッコが通りすぎたあたりで大扉が閉まり、周りが急に暗くなる。

続けて、次のセンサーに触れることで、前方に火の玉を摸した明かりが次々と点灯する。

それが、トロッコの動きと同時に点滅を繰り返す。

同時に、おばけ屋敷の定番とも言える「ヒュードロドロ……」という音楽も聞こえてくる。

トロッコは竹藪の中を進んでいて、青白い明かりとともに血に染まった手足や骸骨があちこちに見え出す。

前方に、小さなお堂があり、その前で僧侶の人形がお経を唱えながら木魚を叩いている。

その手前のセンサーに触れる。

すると、木魚を叩いている僧侶がトロッコに乗った客の方に勢いよく振り返る。その顔は一つ目小僧になっている。

ここが、第一の絶叫ポイントや。

間髪入れず、古井戸から「お菊」さんの幽霊が、これも定番の「うらめしや」のポーズですーっと登場し、「一まい、二まい……」とやる。

そこを通りすぎると、お役ご免の「お菊」さんの幽霊が古井戸の中に沈む。

これらの仕掛けもすべてセンサーに触れることで行われる。

その区域をすぎると、また扉があり、次に移る。

ここは、すべての光を遮って真っ暗な状態の空間になっている。

このおばけ屋敷を考案した人が言うには「人が本当に恐怖を感じるのは、真っ暗闇や」ということらしい。

これには、生物学的な裏付けもある。人間が太古の昔に記憶した遺伝子が強く影響しとるというわけや。

人類は、二足歩行をするようになって樹上生活から平地生活に移行した。

その当時、現在も同じやが、どう猛な肉食獣には夜行性が多かった。

人類は数十万年という長きに渡り、常にその肉食獣に襲われるという恐怖と直面してきた。

その肉食獣は夜陰に紛れ、突然、襲ってくる。

それが、人間が暗闇を恐れる遺伝子を組み込まれた最大の要因なのやという。

つまり、人間にとって暗闇そのものが、理屈なしに恐怖する存在ということなわけや。

その空間が10数秒間続く。この間、客に対して行われることは、小型の送風機で弱い風を送るだけや。

耳元で息を吹きかけられるような錯覚に陥って、恐怖がさらに増す狙いがある。

「金をかけずに、怖がらせるには、これが一番や」と、その考案者は話す。

因みに、世界的に有名で人気があるとされとる、おばけ屋敷のすべてで、この空間があるとのことや。

また扉が開き、次の部屋に移る。

ここは、一転してにぎやかになっている。様々な幽霊や骸骨人形が数多くある。

営業時間帯には、ここにアルバイトの幽霊役が潜んでいて、通りすぎる客を脅かす。これも定番やわな。

ここでの仕掛けは至ってシンプルや。トロッコでセンサーに触れる都度、その幽霊の足下にある弱い光の赤や青の電球が点灯するだけになっている。

これは、光を下から当てることで怖さを演出しとるわけや。

夜、懐中電灯を顔の下で照らして人を脅かすというのと同じような効果やと思えばええ。

ここの主役は、アルバイトの幽霊やから、ハカセが調整することは、あまりない。

次の部屋は、拷問部屋になっている。

ただ、なぜかここは、日本式、洋式がごっちゃになっている。

西洋のギロチン台で人形の首が切り落とされとるかと思えば、ちょんまげを切られてざんばら髪になった武士のさらし首が、台の上に並べられている。

それらの近くを通るとき、人形が動いたり、コンプレッサーが作動して首が勢いよく宙に舞ったりする。

また、頭上に巨大な閻魔さまの人形があるかと思えば、洋館作りの家の中に、木製の棺がある。

トロッコが近づき、そのセンサーに触れることで、その棺のフタがゆっくりと開き、中から吸血鬼が起き上がってくるという趣向になっている。

それをすぎると、いよいよ最後の部屋に入る。

ここも暗い。但し、ここは、ただ暗いだけやない。

両側の壁が急に狭くなっていて、所々、穴が開いている。

トロッコがセンサーを触れる度に、勢いよくその穴からお化けの首や手が飛び出してきたり、コンプレッサーから強力な風が客に向かって吹きかけられたりする。

ここで最後の絶叫が響き渡る。

もっとも、ここは怖いというよりも、いきなりそれが目の前に飛び出すことで驚く悲鳴なわけやけどな。

実は、ここにマイクが仕掛けられていて、その声が外に聞こえるようになっている。

その悲鳴に釣られて入る客も多い。言えば、客に、客引きをさせとるわけや。

最後の扉が開くと、元の出発点に戻り終了する。

「この頃の光電管を使ったセンサーは、今と違って、真空管式だったので、よく故障していましてね」

それを見つけて取り替えるのが、主な仕事やったという。

また、客の中には、外から棒のようなものを隠し持って入る者もおり、それで人形などを叩いて壊すことも多かったという。

それで、かなり遅くまで修理が必要なことがあった。深夜の2時、3時にまでおよぶのはざらやったということや。

その頃には、壊れたら新しく作り替えるという発想が世間一般にも少ない時代やったから、修理をして使うのが当たり前やった。

そのために、ハカセのような人間が雇われとるわけやしな。

もっとも、おばけ屋敷やから、修理してツギハギだらけになっていても、誰も変に思わんし、却って、凄みを増す演出もできるという利点もあり、却って喜ばれてもいた。

「特に、落ち武者の生首は修理する度に迫力が出ると評判でしたね」

「ワシには、その落ち武者の人形の首より、ハカセ、あんたの方が怖いわ」

深夜の薄暗いおばけ屋敷の中で、その生首を抱えて、ニタニタ笑いながら一人で修理しているハカセの姿を想像する方が、よほど怖そうやさかいな。

幽霊すら敬遠するのやないかと思う。

その幽霊も、もとは人間なわけやから、怖いとか不気味なという感情くらいはあるやろうしな。

そのとき仕事をした記録が、「あなたの加入記録」の台帳の記載から洩れているという。

「それで、どうしたんや?」

「一応、ねんきん特別便専用ダイヤルというのがあったので、そこに連絡しました」

なかなか、つながりにくかったようやが、やっとつながったとき、その担当者にそのことを言うと、その勤めていた会社名と期間を覚えている限りでええから、「年金加入記録照会票」の訂正欄に記入して返送してくれということやった。

ところが、ハカセがうろ覚えで覚えていた、その会社が、今は存在せんというのが分かった。

ハカセは、それを確かめるために「生駒山上遊園地」の事務所に電話したという。

それによると、現在の設備会社は、その頃の会社とは違うというのが分かったということや。

ハカセには、それを探す手だてはない。

何しろ、30年近くも前の話ということになると、その会社が消滅して存在しないというのでは、どうしようもないわな。

その会社では、厚生年金も差し引かれていたと思うのやが、その辺の記憶も定かやない。

単に、国民年金に加入してないのやから、厚生年金に入っていたはずやと言うのでは、第三者を説得させるには弱いさかいな。

この年金に関しては、社会保険庁がやり玉に挙げられるとることが多いが、業者側に責任のあることも考えられる。

どういうことかと言うと、その業者が、従業員から、その厚生年金代を差し引いていながら、社会保険庁に支払っていないというケースも考えられるからや。

「そんなアホな」と思われる方もおられるかも知れんが、そういうのは、それほど珍しいことでもない。

現に、新聞販売店や拡張団で働いている人たちからも、同様の話を聞くこともあるさかいな。

但し、それは裏の取れた話やないから、断定はできんけど、そのうち、明るみに出ることもあるのやないかな。

また、人材派遣会社などでも、その手の不正が発覚したというニュースを目にすることがある。

もし、そうであるなら、どうしようもないということになる。

確かに、社会保険庁の中のええ加減な連中による年金の記入漏れというのがあるのは事実やろうが、そういう悪徳業者の不正があるというのも否定できんことになるからな。

「それでも、一応、ダメもとで、記入して返送しましたけど……」

ただ、ハカセの場合、その5、6年の年金記録の大半を社会保険庁が調べて教えてくれたことで、受給資格には十分達したということやから、その数ヶ月分がなかったとしても、大した違いにはならんやろうということや。

「でも、その年金がまともに貰えるのは65歳になってからでしょ? 後、10年以上も先のことですし、その頃まで生きていられるかどうかは、怪しいですけどね」

持病の心臓病の心配から言うてることやというのは分かる。

それほど長いスパンで人生を考えるというのも、ハカセにとっては難しいやろなというのも理解できる。

「おばけ屋敷での仕事だっただけに、その会社も幽霊になったということでしょうね」

「ハカセ、あんた、まさか……」

そのオチが言いたくて、こんな話を長々としたんやないやろな、そう言うつもりでハカセを見ると、悪びれた様子もなく、にやりと笑って見せた。

「ハカセ、あんたは絶対、長生きする!! ワシが保証する!!」

断固、ワシはそう主張した。


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