メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第199回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2008.5.30


■ゲンさんの名言集 メルマガ編


すでに、前々回、前回と告知させて貰ったが、長年、お世話になった『メルマガ天国』さんからのメルマガの配信サービス終了を受け、この『新聞拡張員ゲンさんの裏話』も、今回と次回の2回で終了させて頂くこととした。

以前にも言うたが、ワシらがそれと意図したことやないのやが、結果的には、この名言集が、このメルマガ『新聞拡張員ゲンさんの裏話』の集大成のようなものになってしもうた。

それにしても、一口に4年と言うても、ほんまにいろいろあった……と、思う。

その感慨は次回の最終回にでもじっくり語らせて貰うとして、これからメルマガ編の名言集を始めさせて頂くことにする。


ゲンさんの名言集 メルマガ編(110撰)


時代と共に考え方も変えな生き残れん。(第1回より)


文句や指摘の得意な奴は何ぼでもおるがな。それを、管理、指導と、はき違えとる奴ばっかりや。上が変わらな、下は変わらん。(第2回より)
 

人生、悪いこととええことは裏表や。考え方次第で悪いこともええように思えるし、その逆もある。(第2回より)


何ぼ装うても、染みついた 臭いは消せん。(第4回より)


人間、窮地に立つと視野が狭くなる。(第5回より)


誰も知らんと思うてるのやろけど、周りの人間は皆、見てるし知ってるで。(第7回より)


言葉には標準語なんかないと思う。日常会話は全部、方言や。(第11回より)


ワシは拡張員の前に、一人の人間や。(第14回より)


客は絞った方が効率はええが、営業方法は拡げてた方が有利やからな。(第14回より)


どんなに窮しようが、人間として男としてやったらあかんことがある。それを簡単に踏み越える奴は、屑としか言えん。(第16回より)


人間が奈落の底に堕ちるのは、人によってやない。自分の性情によって堕ちるのやとワシは思う。(第16回より)


どんなことにでもそうやけど、人間感謝するというのは大事や。相手の気持ちだけやなく、感謝する人間自体が清々しい気分になれるからな。(第19回より)


親が、寝た子の枕元にそのプレゼントを置く瞬間は、誰でも間違いなく、心はサンタクロースに変身してると思う。(第20回より)


愛がなくなる時、人は滅ぶ。それは、愛だけが他の生き物から見たら残酷な存在の人間を制御している唯一のものと言えるからや。(第20回より)


営業員は拡張員も含め、その売り込む商品の顔や。ええ顔しとかんと、ええもんでもええようには見えん。(第23回より)


人の心を揺さぶるのは人や。(第23回より)


あかんものはあかんと、はっきり、その本人に言うたった方が、その人間のためになることが多い。(第28回より)


濁った水の中でも、立派な鯉は育つ。(第29回より)


人間、何をしていようが、あきらめんと前向きに頑張れば、必ず道は開ける。問題は、そう信じることが出来るかどうかや。(第29回より)


博打というものは、底なし沼に似とる。嵌り込むとそこから抜けるのは並大抵なことやない。もがけばもがくほど沈む。(第30回より)


一人の悪行に対するイメージの払拭や信用の回復は、例え、100人の善行でもってしても一朝一夕には出来んもんや。(第32回より)


一歩下がって謝罪すると言うと何か負けたような錯覚をする人がおるようやが逆や。第三者から見た場合、先に謝罪したという方が大人の対応をしたとして評価されることが多い。(第35回より) 


どちらか一方が謝れば、揉め事は簡単に決着がつくことの方が多い。(第36回より)


トップとトラブルの交渉や話し合いをする場合は、他の人間のおらん1対1の場を選んでせなあかん。(第38回より)


いくら腹を立てたからというても、今まで何らかの世話になった人間の悪口、陰口は絶対に他で言うたらあかん。(第38回より)


人の値打ちは正にその瞬間で何を考え行動するかで決まるものやと思う。その一瞬のために常にどうあるべきか考えるのが、本当の人間やと思う。(第39回より)


この時間厳守の考えは日本人の美徳の一つでもあると同時に余裕のなさの現れやとも思う。(第39回より)


泥棒に入られたなかったら泥棒に聞け。人に騙されたなかったら詐欺師の話に耳を傾けろ。そして、拡張員に悩まされて困るんやったら拡張員のことを知れ。(第41回より)


人の正義というのは、その置かれた立場で違うことがある。自分の正義もあるが、相手の正義もある。(第43回より)


騙す人間や裏切る者も確かに悪いけど、騙される奴もそれなりの責任がある。世の中には、そういうことが常にあるということを知っとかなあかん。(第46回より)


先の道は自分で見つけて歩くしかない。人生は死ぬまで続く。好むと好まざるに関係なくな。(第46回より)


世の中には、わけの分からんことが起きることも、確かにある。人は、それを合理的に説明できんから、そういう、神とか幽霊の存在を作ることで納得しようとするのやと思う。(第51回より)


えげつない勧誘の多い所で生活しとれば、当然のように勧誘員を嫌う。それがすべてに見える。他では、もっとましなところもあると聞かされても、そうかとはならん。嘘やと思う。(第61回より)


あんたは、運が悪いと嘆いとるが、まだ、生きとるやないか。生きとる間は、運が悪いということはない。少なくとも希望を持つことはできるはずや。(第62回より)


人の欠点やコンプレックスを笑い者にするもんやない。するのなら、殺されてもええくらいの覚悟が必要や。(第65回より)


憎まれっ子、世にはばかると言うが、あれは嘘や。人は死ぬときには死ぬ。ええ人間も悪い人間もない。(第67回より)


名を残すのもええやろ。事業で成功して金持ちになるのも悪くはない。人のために尽くすのも立派や。指導者になるというのも捨てがたいことやと思う。人に尊敬されるのも更に値打ちがある。しかし、それが、すべてやない。(第67回より)


ガラガラ蛇がスカンクに出会したようなもんやろからな。えげつないのは、お互い様というところや。(第68回より)


ライオンが近くにおると知って、ウサギを狙うキツネもおらんやろ。(第70回より)


子供は誰でも夢を見る。しかし、大人になればその夢が失われる。もっとも、夢という名の別の望みを抱くことはあるがな。(第72回より)


ワシら、おっさんも、当然やが、生まれながらのおっさんやったわけやない。自分で言うのも気恥ずかしいが、これでも愛くるしい子供の時もあったんや。(第72回より)


いくらええことがそこに書いてあったとしても、それを読む人間に気づきが生まれんかったら、それはただの「へぇー」で終わる。(第74回より)


仕事に貴賤はないと言うけど、あれは嘘や。少なくとも、人は、相手を判断するには、必ずと言うてええほど、その職業を基準に考える。(第75回より)


今は拡張員をしとるという結果だけを見れば、人は落ちぶれたように思う。しかし、それは長い人生の中では、ただの通過点にすぎん。

もっとも、その想い出の中だけで生きとるような人間は、そこが終点となるがな。早い話が、昔は良かったと言い出したら、それまでや。進歩はない。(第78回より)


人は苦境にあって、初めてその真価が分かるということや。それで、潰れるか這い上がるかは、その人間次第やということになる。(第78回より)


タブーは隠し事から生まれる。(第83回より)


いつもながら感じることやが、この仕事は、いろんな人間を知り、出会うもんやと、つくづくそう思う。(第84回より)


頑張ったけどだめでした、この次、頑張りますということが、通用せんことも多い。結果がすべての過酷な世界やと言える。(第88回より)


世の中には、いろいろな価値観の人がおり、主義、思想、好みも多様に存在する。万人向きのものというのは世の中に存在せん。(第91回より)


沈んでいく船を一人の人間の手で引き上げることは無理や。その無理をすれば、自分もその海の底まで一緒に引き込まれる。非情かも知れんが、沈む船は黙って見とくしかない。それが、処世術というものや。(第94回より)


世の中には理不尽なことというのは多いが、誰もがそれに甘んじてあきらめるわけやない。反撃する者は反撃する。(第94回より)


すべての人間が平等やと言えるのは生まれたことと死ぬことだけや。それ以外にはない。(第95回より)


世の中というのは、多種多様の性質の人間がおって構成されとる。同じ性情の者ばかりが集まって、同じ考え方をするということの方が、むしろ異常やし怖いことやないやろか。人間は、いろいろおるから面白いわけや。(第95回より)


約束を守るというのは、安請け合いすることさえ気をつければ、それほど難しいことやないとは思う。しかし、嘘をつかんというのは、人間である以上、絶対と言うてええほど無理なことやないのかと考える。(第96回より)


一事が万事。これは、多くの人が陥りやすい考え方や。(第99回より)


長年、新聞を購読していて、完全無読になったという人は、禁煙したという者より少ないのと違うやろかという気がする。(第100回より)


現実に起きとることには、現実的な理由が必ずあるもんや。(第105回より)


難しい相手と分かっとる場合、話をつけたるという姿勢で意気込んで行っても、相手を構えさせるだけで上手く行く確率は低い。まずは、安心させることが肝心や。(第107回より)


どういう意見を持ち、どういう考えをしようと、好きにしたらええ。落ち込んで気が済むのなら、それもええやろ。悲観的に捉えるのも自由や。ワシは、そういうのとは付き合いきれんがな。(第108回より)


世の中の成功者と呼ばれるのは、自分の行動に迷いなく、それができると信じた者だけや。それに例外はない。しかし、その信じきるということが難しい。せやからこそ、その成功者は、ほんの一握りしかおらんわけや。(第108回より)


多くの釣り人は、エサ次第で魚が釣れると思う。そう思えば、どういうエサを与えれば釣れるかということだけを必死で考えるようになる。本当はエサだけで魚が釣れるわけやないんやが、それ以外のことに考えが及ばんわけや。(第109回より)


借金できる者が偉くて、借金できん者が欠陥人間であるかのような烙印を押される今の時代は、どこか、おかしいのやないかと思う。(第110回より)


飲酒運転による悲惨な事故の実態を批判しとる報道が、どんなに正論であっても、常識的な見解であっても、それを我が身に置き換えて生かすことのできる人間は残念ながら、常習者には少ない。(第111回より)


日頃どんなに評判が良く、また立派なことを言うてても、いざというときに逃げ出すようやと、そのすべてが虚構やったと言われても仕方がない。(第111回より)


人は、失ってみて初めてそれが、どれほど大切なものやったかというのに気づく。そして、それはたいていの場合、気づいてからでは遅い。(第114回より)


批判はあくまでも、その個人の所業に向けられるものでないとあかん。(第114回より)


お手本となる人間がおって、その人間から何かを学ぶには、それを真似るのが一番てっ取り早い。(第115回より)


本物の人物は、己の信念に執着しても金に執着することはない。歴史がそれを物語っとる。(第115回より)


例え、相手がどんなに怖く強い人間であろうと、倒す方法はいくらでもあるということや。しかも、こちらがどんなに弱い存在でも、考えることで、それが補える。(第116回より)


何でもそうやが、悪いことは悪いと自ら認めんことには良うなることは絶対にないと断言できる。隠し事からは何も生まれることはない。(第118回より)


自分の身や家族、また守るべき対象のために危険について真剣に考えて取り組まなあかん時代になったのは確かや。(第119回より)


人生に於いて同じ日というのは二度とない。同じような日があると錯覚するだけや。昨日、安全やったから、今日も大丈夫やという保証はどこにもない。(第119回より)


命の危険を感じたら「助けてくれ」と言うよりも「火事や」と大声で叫ぶ方が、よほど効果があると思う。(第119回より)


世の中、いらん一言で損することは多いさかい気をつけた方がええ。(第122回より)


何でもそうやが、余裕を持たなあかん。焦って一生懸命やったというのは、失敗につながることも多いさかいな。(第123回より)


人は一度、極上のステーキの味を知り、それがいつでも食べられる状況になると、安い肉で我慢しようとは思わんものや。(第124回より)


拡張員というイメージが、その客にとって悪ければ悪いほど、ちょっとした好印象が増幅されて、勝手に「すごくええ人や」と錯覚して貰えやすい。(第126回より)


百万弁の営業トークを費やすより、客のために流す、一滴の汗の方がはるかに説得力がある。(第127回より)


営業以外でも、上司との会話などにおいて、新聞を読んどると思われるのは、プラスになってもマイナスになることはないと思う。「新聞くらい読んどけよ」と言う者はおっても「新聞なんか読んでアホと違うか」と言う人間は少ないからな。(第130回より)


荒波にさらされた岸壁は、ごつごつして浸食が激しいが、川の流れに身を任す小石は角が取れて自然に丸くなるもんや。その丸い石は、どんな急流に巻き込まれようと、傷つくことが少ない。(第131回より)


人間には、気づきが重要な要素なのは確かや。一つの気づきで人生が変わったということはいくらでもある。ただ、その気づきは、自らが会得するというか、出会いのような場面があって初めて生まれるものやと思う。ほぼ偶然の産物や。(第133回より)


人が老いていくのは、年齢より、その気持ちの部分の方が強い。老いたと思えば、そうなるし、まだまだ若いと考えれば若くもなれる。(第134回より)


人は組織として行動するとなると、その善と悪の判断があいまいになる場合が多々ある。(第138回より)


日本人の多くは、他人と違う行動を嫌がる。同じでありたいと願う。その心理が働いて「皆さん」という言葉は、心地よい響きとして聞こえてくるわけや。(第139回より)


頂点を極めたときは、それに奢るのではなく、そこから衰退が始まるのやという認識にならなあかん。(第140回より)


どれだけ時代が進歩しようと、人間からその心を通わせることを忘れたり、なくしたりしたら終いや。(第140回より)


良く運次第と言うが、運とはその努力をした後に現れるものやとワシは思う。(第143回より)


人間、不思議なもので、そういう苦痛や恐怖を与え続けられると、どんなにかわいい顔も悪鬼のそれに見えてくる。(第146回より)


その人間自体には何の実力がなくても、祭り上げられることで、大きな権力を握ったと考える。こういう勘違いした人間は、どこかで道を踏み外すことが多い。(第152回より)


浮動票という言い方は好きにはなれんが、その不動層こそが、正しいジャッジを下せるのやと思う。(第155回より)


自らが支援する政党であっても、あかんときは、あかんという意志表示が必要や。それが、結果的には、その支持政党を育てることにもつながると思う。(第155回より)


タブーやアンタッチャブルがある限り、進歩や浄化を望むのは難しい。(第157回より)


新聞社の武器は、そのペンなわけやから、インターネットの言論には言論で対してもええのやないのかと思う。そのいずれの主張に理があり、非とするかの判断は、それを見る一般読者に委ねたらええわけや。(第158回より)


不法行為を犯した拡張員は責めてしかるべきやが、その下地のある業界も責任を感じなあかんやろうと思う。(第159回より)


不特定多数の人に読まれる可能性のあるものは、常に書いたことへの結果責任というのを頭に入れて書く必要がある。(第161回より)


無理な成長、勢力拡大は、結局、身を滅ぼす結果にしかならんというのは歴史が証明しとるさかいな。(第162回より)


どんな交渉事でもそうやが、自分の言い分だけを押し通すだけやと、噛み合わん相手とは、どこまで行っても平行線のままで決着することはない。(第164回より)


世の中の仕組みすべてについて言えることやけど、理不尽なことというのは、常に、より立場の弱い者へ順繰りに押しつけられていくという現実がある。(第165回より)


怖いもの見たさの好奇心というのがあるが、見たらあかんものは、やはり見るべきやない。(第169回より)


いくら握りつぶしに力を注ごうとも、真実の前には無意味で、いずれは暴露されることになるもんなんやがな。(第172回より)


便利さと豊かさが、人情に勝るとは考えたくはないのやが、残念ながら時代は、その方向に流れてしもうとる。(第176回より)


信賞必罰。頑張った者には相応の褒美を与え、ミスした者にはそれなりの罰を加える。それに私情を挟む者は、トップとしては失格ということになる。(第178回より)


魚の獲れる本当のポイントというのは絶対に他人には教えんもんや。(第183回より)


引け目を感じとる人間は必ず逃げ道を探すもんや。そのとおりに逃がしてやれば、たいていは、こちらの有利な条件で折り合うことができる。(第184回より)


失言は、相手がそれを許容してくれると考えるべきやない。例えそれが悪意のないものであったとしてもや。(第187回より)


読者に評価して貰えれば、人は自然に集まってくるし、そっぽを向かれれば閑古鳥が鳴く。それだけのことや。(第193回より)


法律というのは、何でも一律にくくりたがるが、人間は、それほど単純に色分けできるもんやない。(第194回より)


疑念の先の真実を知ることで得られるのは、深い闇と落胆でしかない。(第195回より)


自分と異なる意見から学べきことは多い。自分と違う意見を排除、否定しとるようやと、その人の成長はない。意見は意見として真摯に聞くべきやし、知るべきやと思う。(第198回より)


以上で、ゲンさんの名言集を一応終わらせて頂く。

サイトのQ&Aの分がまだ残っとるのやないかというご指摘もあろうかと思うが、それは新しいメルマガ内で、何年か後にでも、また今回のようにまとめて発表するつもりやさかい、そのときまで気長に待ってほしい。

来週はいよいよ、メルマガ『新聞拡張員現さんの裏話』のラストということになる。


書籍販売コーナー 『新聞拡張員ゲンさんの新聞勧誘問題なんでも選集』好評販売


ご感想・ご意見・質問・相談・知りたい事等はこちら から


メールマガジン・バックナンバー 目次                       ホーム