メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第21回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2004.12.31
■年の終わりに
今日は、大晦日。12月31日や。毎年のことやけど、この日は、今年はいろんなことがあったなといつも考える。
それにしても、ワシにとっては、特に今年は大きな変革があった。それは、このメルマガとHP『新聞拡張員ゲンさんの嘆き』の開設をしたことや。
ワシは当初、ハカセからこの話を持ちかけられても、インターネットの世界のことは良う分からんかったが、それでも、ワシの話す、新聞の拡張のようなマイナーと言うか、マニアックなもんは大して誰も見んやろうと思うてた。
元来、ワシは自分のことは人には喋らん主義や。メルマガやHPで言うてるようなことも、仲間の拡張員には誰にも話してない。
ここ10年ほどの間、ワシが腹を割って話した相手は、通称『善さん』というすでに故人となったワシの師匠とハカセの二人だけや。
そのハカセに頼まれたから、協力しただけのことやった。せやから、別に世間から注目を浴びようとか評判になるということは考えもせんかった。
ハカセ一人に話して喜んで貰えたらそれでええ。そう思うてた。ところが、その意に反して、HPでの評判が短期間の内に急速に高まった。
ハカセもこれには驚いたようや。もちろん、ハカセもHPを開設する以上、面白くするためにそれなりの努力はしてた。ワシの生の声に近づけるために、全編、関西弁にしたりしてな。
それにしても、開設3日めにGoogleおいて『拡張員』の検索キーワードでは、いきなり第1位になっていたし、1ヶ月後には、Yhooの新着トピックスの紹介まであったというのは、ハカセも想像の埒外やったと言う。
今では、そのGoogleやYhoo以外にもほとんどの検索エンジンで上位表示されとる。そのキーワードも今では200を越す。その大半が上位表示や。
そのハカセにしても、何でこういうことになったのか、未だに良う分からんと言う。何も特別なことはしていない。ただ、開設したときに、誰でもする検索エンジンへの登録をしたに過ぎん。それも、金は一切かけずに。
しかし、わけが分からなくても、そのおかげで、HPのアクセスは増え、メルマガの読者数も増えた。
アクセスや読者が増えれば、その反響がメールで数多く来る。ほとんどは、激励やHPのQ&Aへの相談やが、中には、誹謗中傷の類などいろいろある。
今は、その対応が正直、ワシもハカセも楽しくて仕方がない。特にワシは、生まれて初めて味わった気分や。ワシの言うことで、感謝や感動して貰えるなどということは、ワシの半世紀に及ぶ人生を振り返ってもそうはない。
特に拡張員になってからは皆無や。拡材を余分に渡して礼を言うてくれる客はおるが、そういうのは感謝とは違う。ただの愛想や。
そういう読者の人にしても、一拡張員に感謝の言葉を書くというのも、恐らく初めてのことやと思う。貴重と言えば貴重な経験や。
それが、感動したとなると、これはもう驚異に近い。実は、このメルマガの読者で塾の先生をしているという方から先日、こんなメールを貰った。
『12月24日のメルマガとそのまえのメルマガのゲンさんのお言葉には、本当に感動いたしました。忙しい毎日で感謝をする気持ちを忘れ、すさんだ心の自分に気づかされました。
私は、夜、アルバイトで塾の先生をしております。センター試験も間近で生徒たちはクリスマスも塾で自習をしております。ゲンさんの言うように高校生の彼らはとっくにサンタクロースはいないと思っています。
そこで、今日はわたしがサンタクロースとして、プレゼントを持って塾に行って来ました。夜遅くまで頑張っている生徒に、お菓子の差し入れです。もちろん、ただ持っていくのでは、雰囲気がでないので、大きな箱に詰め、綺麗に包装をして持っていきました。
生徒たちは本当に喜んでくれました。でも、一番嬉しかったのは私自身です。包装をしながら生徒たちの喜ぶ顔を想像したり、実際に持っていったときの生徒たちの反応を見たりすると、私の方がより多くプレゼントをもらったような気になりました。
とても良いクリスマスをすごすことができました。
ハカセさんとゲンさんのメルマガを読んでいなかったら、良いクリスマスは迎えられなかったかもしれません』
素晴らしい先生や。こういう人にこのメルマガを読んで貰い、感動して頂くというのは、ワシらにとっても誇りに思う。ワシらの方こそ感謝したい。
素晴らしいと言えば、こんな便りも寄せられた。今年を振り返るにおいて、数々の巨大台風や新潟中越地震の災害を抜きにしては語れんと思う。
このメールは、新潟中越地震の被災者救済にボランティアで参加された読者の方からのもんや。
『新潟中越地震の被災者のかたに炊き出しなどをおこなう機会を頂きました。たいしたものは出せませんでしたが、それでも温かいものが食べられることはそうとう喜ばれたようです。
震災にもかかわらず、新聞をつんだバイクが朝と夕の2回、避難所になってる体育館にきてました。
それが、無償なのか、避難所にきてる契約者のものなのか分かりませんが、何人ものプライバシーや電力の確保が難しい体育館の中では、TVやラジオ、パソコンなどよりも、新聞のほうが情報を得るのに利便性が高いということを思った次第です』
この人の素晴らしいのは、単にボランティアに参加されたということだけやなく、こういう新聞配達人の姿を見逃さず教えてくれたことや。
この場合、新聞を配達することなど当たり前と考える人間が多いやろから、このことは大したことではないと見過ごすやろしな。
それを、この人は自分のしたことは、さも当然とさらりと流し、その新聞配達人に思いを向けておられる。なかなか出来ることやない。
ワシも、この人のメールから、拡張の仕事に僅かでも、意義と誇りが持てるような気がした。
ワシは、将来的には、いずれ新聞という媒体が、インターネットの情報発信に取って代わられると思うてた。
しかし、この人の報告で、あながちそうとばかりも言えんという気もするように感じた。
世は正にアナログからデジタルに変わろうとしている。その流れは、これからも加速するのは間違いない。
その反面、脆さも同居する。それは、デジタル機器を支えている電気が、今回のような災害で分断、遮断、制限されてしまったら、ほとんど役に立たんようになるということや。
携帯電話も、通常は十分にその機能を果たすが、こういう場合は、回線の集中により繋がりにくくなるという、その弱点を露呈しとる。
人が情報を欲するのは正に、こういう時や。テレビやラジオ、パソコンは電気なかったら用をなさんというだけやなく、そのハード自体を持ち運ばんとあかん。
咄嗟の災害でバニックになっとる時に、冷静にそうすることは難しい。ほとんどの人間が体一つで逃げ出すのが精一杯になる。まずは、命や。その次に情報が必要になる。
その点、アナログである紙の媒体の新聞は十分に、その機能を果たしとるようや。なぜ、機能しとるかというのは、人間が運ぶからや。人間の意志がそうさせる。
新聞配達人というのは、何があろうとまず、新聞を配達することを考える。その日の朝、確実に台風が来ると分かっていても、新聞配達を止めるという発想がない。
どうしたら上手く配れるか、そのことだけを考える。今年の台風で、実際に配達を強行して亡くなった新聞配達の方もおられる。
今回の、新潟中越地震でも、渦中の新聞販売店も当然やけど無傷なわけがない。販売店が倒壊してガレージで生活しとる新聞販売店の店主もおられると聞く。配達人の家も同じく例外やない。
そうした販売店からも配達は続けられとると伝え聞く。こういう状況になれば、それは商売の域を超える。使命感というやつが働くからや。
避難所に配達される新聞は、その使命感によって配られている。だれが、どこの避難所にいるのか、それを探すだけでも大変や。
まして、今回は、車中泊の人も多いと聞く。逃げ出さずに、ガレージで生活している家もある。
それらを個別に分けな配達は無理や。そんな面倒な選別は、使命感なしには出来んということや。
配達人というのは、配る家は100%分かる。よほどのことやないと間違えることもない。
しかし、その家と住人の顔が結びつくかというのは怪しい。配達人は家を覚えるのであって、人を覚えるわけではないからや。
その家が倒壊しても、その住人のために新聞を配るというのは、思うほど簡単なことやない。顔の定かでない客を捜すんやからな。
それでも、このメールにあるように、避難所にまで探して配達するというのは、その使命感のためやと思う。
こういう時に配達される新聞の有り難みというのは格別のもんやろと思う。
この一事をもってしても、新聞という媒体は消滅させるべきやないと思う。有事に役だってこその情報やないやろか。
そう考えると、普段、使命感もさほど持てん新聞勧誘が、それなりに意義のあるものに思えるから不思議や。
もっとも、無読を勧誘する意義は分かるが、他紙に変更するのに、どんな使命感があるのかと聞かれても返答に困るがな。
少なくとも、どこの新聞であっても、継続させているというだけでも、それなりに良しとさせて貰えんやろか。多分に、手前勝手な論理やけどな。
いずれにしても、このお二人の読者からのメールは意義深いものやと思う。それを伝えられるメルマガの存在も再認識させられた。
そういう意味もあって、今年はワシにとっても有意義な年やったと思う。そして、ワシにとっては初めてとも言える気分を味わった。
それは、ここまで、拡張員を続けていて良かったということや。世の中、何をしていようと、まんざら捨てたもんやないという証やないやろか。
来年も頑張ろうという意欲が湧いて来る。これからも、このメルマガはハカセ共々、頑張って行くので、応援して欲しいと思う。
それでは、2005年は、それぞれに、良い年でありますように。