メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第27回 新聞拡張員ゲンさんの裏話

発行日 2005. 2. 11


■ヘッドハンティング


ヘッドハンティングと言うと、企業のエリート社員の引き抜きのためにあるような言い方やけど、実は、この新聞拡張業界にもそうしたことはある。ワシの知る限り結構、活発や。

もちろん、引き抜きやから、そこそこ実力のある人間しか、そのターゲットにはならん。それは、どの世界でも一緒や。

ただ、他の業界と違う点がある。どんな世界でもそうやと思うが、実力はそこそこあっても、人間的にというか性格の悪い人間、俗に言う鼻つまみ者というのがいとる。

普通、ヘッドハンティングでは、その相手のことは徹底調査するのが普通やから、いくらその人間に実力があっても、そういうのは敬遠する。

プラス面とマイナス面を比較したら、チームワークが基本の企業では、そういう人間は使い辛い。余程のメリットがあるか、特別な利用目的以外はな。

また、最近では、ヘッドハンティングと称して、それに乗った人間をリストラする手口まであると聞く。架空のヘッドハンティング話をでっち上げるんや。

その罠にかかって、リストラの憂き目に遭うた人間も拡張員の中にはいとる。相当にえげつないらしい。世の中、油断も隙もないということや。

もっとも、そんな話に騙されるのは、身の程を弁えんと欲に目の眩んだ奴やけどな。騙す方も騙される方も、どっちもどっちや。騙された方は、ただひたすら恨んどるがな。

それから思えばワシらの世界は、まだましや。少なくとも、そんな駆け引きは聞かんからな。

せやから、基本的には、実力さえあれば、そのヘッドハンティングのターゲットになるということは考えられる。

それには、拡張員はリストラする必要がないということが大きい。拡張員の多くは歩合給や。上げたカードでしか給料にはならん。

極端に言えば、仕事の出来ん人間には一銭も払わんでもええシステムなわけやから、リストラにありがちな人件費云々に関して何も心配や配慮する必要がないということがある。

それに力のない人間は自然に辞めて行く。仕事が出来んと収入がないんやから、めしが食えん。そんな仕事を続けられるわけがないわな。

リストラされる以前の問題や。リストラはなくても、そういう厳しさはある。

それは、特にこの業界だけがということやなく、営業の仕事にはそういうことはついて廻る。契約がすべての世界やからな。

ただ、この業界が他と違うのは、拡張ではチームワークをそれほど必要とせんから、力さえあれば、どこでも、どんな人間であろうと使い物にはなるということがある。

もっとも、それも程度によるがな。ワシの知っとる奴で、酒癖の悪い男がおった。単に酒癖の悪い人間というのはどこにでもいとるが、こいつは度が過ぎとった。

四六時中、近所の住民とトラブッとった。酔っぱらって客と揉めたことも一度や二度やない。それらが原因の喧嘩沙汰なんかで何度か、警察の世話になったこともあった。

当然、苦情は団に持ち込まれる。相手に怪我をさせ、その治療費を団が立て替えたということもあった。

しかし、団はそんな人間でも、馘首ということまではせんかった。普通の会社ならとっくに馘首やろうがな。

そうは言うても、やっかい者には違いない。ただ、この男は、そこそこ仕事は出来た。この場合、ヘッドハンティングとは違うけど、団の取った解決法は金銭トレードというやつやった。

多くの拡張員が借金なんかを背負うとるのが普通やが、この男も例外やなかった。こんな場合、何ぼやっかい者やからというて簡単に馘首にすることは出来ん。

その借金の回収が出来んようになるからな。そのためのトレードというのがある。どの団も仕事の出来る人間は欲しい。

そこで、親交のある団にトレード話を持ちかける。大抵はすぐまとまる。例えば、その人間に100万円の借金があったら、80万円のトレード金で成立するか、150万円になるかは、その時の状況次第や。

もちろん、これは、団と団の交渉事やから、本人の借金の増減とは関係ない。この金銭トレードがどんな形で成立しようが、その人間の借金の金額は変わらん。新しい団が肩代わりするだけのことやからな。

交渉事は、弱みを見せた方が引くことになる。大抵は、持ち掛けた方が不利な条件を飲むことになる。

持ち掛けた方は、ある程度、その理由も言わなあかんからな。この場合で言えば「酒癖が悪い」ということやな。それを聞けば、相手側も素人やないから、大凡のことは察しがつく。

しかし、今は、問題を起こす人間を嫌がる団が多いから、どこにでもというわけにはいかん。昔は、どこでも受け入れる所は多かったんやがな。

必然的に、そういう人間を引き受ける団も限定されて来る。どんな所か知らんでも想像は出来るやろ。拡張員のワシが言うのも何やけど、まともやない。

新聞の拡張団ほど、その程度に差のある業界は少ないやろと思う。ええとこと、えげつない所の開きが大き過ぎる。それは、そこで働く拡張員にとってと言うことやがな。

もっとも、そういう団も、そんな人間相手に甘いことは言うてられんというのは当たり前のことやから、少々のことはしゃあないとなる。一筋縄でいかんような連中を束ねなあかんのやからな。

当然やけど、そういう所は評判のええ所やない。この場合の評判というのは、他団や販売所からの評判のことや。

一般の購読客には、そんなことは分からん。来る拡張員が、ええかどうかも分からんのに、その人間の所属団がどうかということなんか知る術もないからな。

その酒癖の悪い男も、普通の団なら大きな顔してそうしてられたかも知れんが、そんな所へ行けば……。

自業自得と言えばそうやが、自分で自分の首を絞める結果になるわけや。もっとも、そんな人間でそれを反省したということも聞かんがな。

それとは別に、通常のヘッドハンティングというのもある。これが、結構、日常的な活発に行われとる。

実は、ワシも過去に幾度となく、こういう誘いを受けたことはある。一度はその話に乗ってえらい目に遭うたことがあった。

もう、何年も前のことやが、この業界でも有名な、ある大手の団が、ワシに班長待遇の話を持って来た。そこには、拡張員もその当時、200名近くおった。

この業界では、50名以上の拡張員がおれば、そこそこの団やと評価される。もちろん、それに見合うカードが上げられとるという前提やけどな。

ワシは二つ返事でその誘いを受けた。条件は、この業界としても破格やった。拡張員はすべてが同じ待遇やない。人間により違うのは極、普通のことや。

出来る者にはより多く、そうでない者にはそれなりにが、この業界の基本やからな。そして、他の業界でも同じことやと思うが、このヘッドハンティングでも、おいしい話が多い。

ワシと同じ立場で、初めてそういう話を聞けば、誰でもその話に気持ちが揺らぐ。まして、相手が名の通った団、会社というのなら尚更や。

確かにその団での待遇は良かった。班員も常時、14,5名いてた。これだけいとれば、実入りも多い。班長は、班員から上げたカードの1割程度が貰える。

もちろん、本人の歩合も他より多い。普通に仕事をしとれば、かなり稼げる。しかし、世の中、何でもそうやが、そう甘いもんやない。

班長は、班員からのマージン収入があるということは、その班員に対して責任を持たんとあかんということを意味しとる。

リスクがある。その当時の拡張員というのは、夜逃げして来たか、行き場のないような奴らばかりやったから、銭にならんと思うたらすぐ他へ行こうと考える。

事実、1、2日で逃げ出す奴も結構おる。団も、そのままやったら赤字や。前貸ししてたら踏み倒されることになる。

それを防ぐために班長制がある。新人をその班長に預けて責任をもたす。逃げ出せば、その新人の負債は班長が被る。

1日でも1ヶ月分の家賃と光熱費をその班長から取る。当然、班長は新人には気をつける。逃げられたら事や。少々の稼ぎなんか吹っ飛ぶ。

それと、面倒を見るというのは、生活や金の面倒も見るということを意味する。中には、その日のめし代にも事欠く人間もおるからな。

班長は、本来ならそういうことを助ける義理はない。金のないのは、単にそいつが仕事が出来んだけのことやからな。

しかし、そう言うて突き放すことが出来るほどドライな班長は少ない。また、人間はそこまで非情にもなりきれん。ワシもそうやった。

結果、儲けるどころの騒ぎやなくなる。この世界は、シビアになれなんだら食われる。甘い人間の住める所やない。所詮、ワシにはその班長というのは無理やったわけや。

結局、借金を作ってしもうた。頭の中は儲かると踏んでたが、ワシのような甘い性格ではあかん。まあ、欲に釣られてのことやからしゃあないがな。

それでも、物は考えようで、この時の経験のおかげで、その後、こういう話には乗らんで済んだ。悪い結果が必ずしもマイナスにはならんということや。

ワシの座右の銘の一つでもある「人間万事塞翁が馬」の考え方や。悪いことの裏にはええこともあるし、その逆もある。ワシの人生に於いて、この教えには結構、救われとる。

これは、有名やからすでに知っとると思うが、念のため、ちょっとだけ説明する。

古代中国の塞という国に一人の老人がおった。ある時、その老人の所有する名馬が逃げ出した。村人は慰めたが、その老人は、そんなこともあると平気やった。

そんな時、その名馬が子馬を連れて帰ってきた。村人は得をしたからめでたいとお祝いを言うたが、その老人は、それほど喜ぶことはなかった。

ある時、その老人の子供やった若者がその子馬に乗って足の骨を折る大怪我をした。それでも、その老人はそのことを不幸なことやと思わんかった。

その時、その国では戦争があり多くの若者が戦地にかり出され戦死したが、老人の子供はその怪我のためにその徴兵を免れて助かった。

つまり、何があろうと、一喜一憂する必要はないし、ええことと悪いことは裏表やという教えの話や。ワシは、いつも何があろうと、物事はええように考えることにしとる。

このヘッドハンティングの話の続きやけど、最後は、団長にという話まであった。この時の詳しい話をすると、下手したら、ワシの正体が知られることになるから、その心配がなくなった時にでも、いつかする。

その知られる相手というのは、新聞社の人間になるからな。その時は、その話は丁重にお断りした。

この業界で、団長になろうというのは、ワシのような甘い人間ではあかん。そこそこカードの上げられる拡張員には、誰でも、その気にさえなればなれるが、成功する団長になるのは並大抵のことやないと思う。

拡張の実力は当然やが、それ以上に、人間力というものが要求される。その人間の魅力やな。人徳と言うてもええ。そういうもんが揃うてないと成功はおぼつかんやろと思う。

団長に限らず、経営者には、そういう資質が必要や。ワシは過去の失敗でそれを学んだ。そういう資質は、努力ではどうしようもない。

ましてや、ワシのように、歳を食うてから足掻いてもあかんということや。それに、一人で気楽に仕事することが、自分の性分に合うてるということも良う分かった。

最後に、ワシは今まで、この拡張の仕事に関してはあまりええことは言わなんだが、一つだけ、ましやと思えることがある。

それは、営業力さえあれば、世の中、どれだけ不況になろうとも、仕事先に困ることがないということや。

このメルマガの読者にも、拡張員の人がいとると思うが、この仕事をやる限りは、この拡張の営業をそこそこマスターしといて損はないということを言いたい。

この拡張の仕事で自信を持てば、拡張の仕事はもちろんやが、大抵の営業にも役に立つはずや。

営業力が不要な社会はまずないやろと思う。特に、この自由主義経済の中ではな。それに、大抵の会社には、履歴書なんかで経験とか年齢とかが大きく左右するけど、この営業の世界は、そんなものはそれほど影響はせん。

営業会社の面接の人間は、当然やが、大抵はその営業のプロや。ちょっと、会うて話したらその人間の言うてることの真偽はすぐ分かる。特に営業に関しての話はな。

その会社に使えるかどうかは、その面接官が判断する。ワシも昔、建築屋におった時、その面接官のようなことをしたことがあるから良う分かる。

その人間が、営業で使えると判断したら、大抵は無条件で雇う。そのためにと言うのでもないんやが、営業力は修得しといて損はない。

営業の実力は自然に周囲に知れる。あんたに秀でた実力と実績があれば、誰も放っておかん。

勝手にどこからともなく、ヘッドハンティングの人間が現れるはずや。もちろん、それに乗るかどうかはあんた次第やけどな。


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