メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第29回 新聞拡張員ゲンさんの裏話

発行日 2005. 2.25


■勝ち組、拡張員?


前回の話に登場した池田という男は、それからも、拡張の成績はあんまりパッとせんかった。それでも、徐々にやけど、カードも上がるようにはなって来た。

見てると、2日に1枚程度の割や。普通の初心者やと、ぼちぼちやればええという感じやが、この池田はそんな悠長なことは言うてられん。それで、家族を養わなあかんのやからな。

しかし、2日に1枚やと、当然やが、実入りは少ない。この団も他と同じで「定期」という前渡し金は上がったカードの半額や。

1年カードとしても、その1枚で貰えるのは4000円ほどや。6ヶ月やと3000円になり、3ヶ月は2000円しかない。それが、2日に1度しか入らんということや。

それで、生活せなあかん。この頃になると、団もこの池田には見切りをつけとった。団の見切りとは、貸し付け金を出さんということを意味する。

団は、こいつは有望やと思うたら、金をそれに見合うだけ貸す。変な話やが、借金が多いほど、実力を評価しとるということがある。

最近は、多くの拡張団も一般の会社と同じで、貸付金の制限のようなことをしとるが、以前は、そこの団長の腹一つのような所があった。

人間は金で縛られると弱い。言いたいことも、逆らうことも出来ん。一癖も二癖もある連中を使う有効な手段というわけや。

しかし、金を貸し付けて貰えん人間でも、カードが上がり出すとまた状況は一変する。

その、うだつの上がらん素人に、ろくでもない古株の拡張員が、いらん入れ知恵をする。

不良カードに走らすのや。多くはてんぷらや。初心者の素人に、それが発覚しにくい方法を教える。

実際、入団して一週間くらいで急に成績を上げる者がおるが、素人やとそれが不良カードか真面目に叩いたものかの判別は出来にくい。

その古株から、めしも食えんような状態の人間が、その方法を聞くと、大抵は飛びつく。その不良カードで急場をしのげることや、カードが上がれば借金がしやすいことを教える。

何で古株がこんなことをするのかと言うと、その人間にもよるが、多くは自分の手下になりやすそうな人間を作るのが目的や。

拡張員は良きにつけ悪しきにつけ良う連む。そこらで、派閥のようなものが出来とるのが普通や。派閥の領袖は子分を作ろうとする。

団にとって、それはあまり歓迎されたことやない、中には、その子分を連れて勝手に独立しようとする者もおるからな。

団もその辺は、良う心得とるから、班の編成というのを頻繁にするのやが、一度、そういう義理でのつながりが出来ると、それもあまり効果がないようや。

もっとも、ええ加減な者同士の連み合いは簡単に裏切られるようやけどな。ワシは、そういうのは嫌いやから、表面的には別にして、そういう連むようなことはせんかった。

その池田にも当然のように、その誘いがかかる。池田のように、一見、従順そうな男が、そういう連中の格好の標的になる。

しかし、池田は頑として、それを拒絶した。後でそのことを知ったワシは意外やった。と同時に見直した。正直、そういう骨のある男は、この拡張員の世界では珍しかったからな。

余裕のある人間がそうするというのなら分かる。しかし、池田は僅かな金でも、のどから手の出るほど欲しいはずや。

ある時、ワシは池田にそのことを訊いた。

「そんなことをしたら、ゲンさんが怒ると思いまして……」

これも、意外な答えやった。

「それに、いくら落ちぶれたと言っても、そこまで自分を落としたくありませんし。それに、ゲンさんも、そんなことはしてないでしょ?」

「ああ、まあな……」

ワシは、言葉を濁した。本当は、ワシも駆け出しの頃、てんぷらカードを上げたことはある。めしを食う金に困ってそうした。

しかし、この時、池田には、その話は出来なんだ。ワシのことをそう思うてくれとるのを、そんなことを言えば、何か夢を壊すような気がしたからや。

そして、「死するとも盗泉の水は飲まず」とは良う言う言葉やが、こういう境遇でそうする池田に男を感じ、我が身を恥じたことも大きな理由や。

「それに、今はしんどいですけど、何とか、目途も立って来てますし……」

その目途の一番、大きなのは、奥さんのパートが決まったことやと言う。奥さんも当然やが、池田が苦しんどることは良う知っとる。

通常、パートの仕事を探すのは、求人広告を頼りに面接に行く。しかし、この奥さんは、それだけやなしに、求人もしてないその辺の会社や工場に飛び込みで職探しをしていた。

折からの求職難はパートも同じや。一人の求人募集に数十人の応募があるのも、そう珍しいことやない。せやから、求人広告を頼るより直接、探した方がええと思うたようや。

多い日は1日、30件はそうして探し歩いていたと言う。断られても断られてもあきらめんかった。ひょっとすると、この奥さんの方が、拡張員に向いとるのやないかと思う。

そして、一週間ほどそれを続けて、ある工場のパートに雇って貰えることになった。池田は「嫁さんには頭が下がる」と言う。同感や。

しかし、パートが決まったからと言うて、すぐに金になるわけやない。給料日までは1ヶ月はかかる。それまでは、何とか食いつながなあかん。

金がないから、贅沢というのは当然やけど出来ん。子供らも、何かが欲しいとは言わんかった。

食事も何が出ても文句を言わんかった。一つの即席ラーメンを親子4人で分けて食うたこともある。

池田も、奥さんも、子供たちの見てない所では食事は抜いた。昼めし抜きということになる。その分、子供らに少しでもましなものを食わせてやりたかった。

しかし、そんな生活をしとるようには、池田は一切、人には感じさせなんだ。ワシもそこまでとは気がつかんかった。この話も、ずっと後になって、池田から聞いたことや。

ただ、苦しいやろなということは分かる。ワシも拡張の仕事をそれとなく、アドバイスはするのやが、結果に結びつくことが少なかった。

拡張の仕事の面ではもう一つやったが、この男の性質は評価出来る。それは、ろくでもない拡張員の誘いを断ったことでも分かる。

せやから、この男の上げるカードは質のええもんばかりやった。しかし、悲しいかなこの業界は、それだけやと評価はされん。評価は上げたカードの枚数で決まる。内容はその後や。

団長がある時、相談という感じで、ワシに池田のことを聞きに来た。その頃になると、池田はワシくらいとしか話もせんようになっていた。傍目には、ワシの子分格やと映っとったようや。

「ゲンさん、池田のことやけど、どう思う?」

「このままやと、ちょっと、厳しいのと違いますか」

「ゲンさんもそう思うか。実はな、亀田のオヤジから話があるんやけど……」

団長の言う、亀田のオヤジとは、団が出入りしとる販売所の所長のことや。その所長の話と言うのは、専業を一人、斡旋してくれんかということや。

「池田なら、ええと思いますけど……」

ワシも、池田は、拡張員よりも専業向きやと思う。拡張員で、実直な男というか、融通の利かん人間はやっていくのは難しい。正義感のあるのも善し悪しや。

拡張員には「清濁併せ呑む」という気構えが必要になる。普通は、正義と悪の区別はした方がええのやろうが、拡張員の世界では、それだけでは上手くいかん。

ええ意味で言えば、度量の広さということになるのやが、要するに、少々のことは目をつぶるということや。この世界で一々悪を暴いとったらキリがない。

澄んだ水に棲みやすい魚もおれば、濁った水でしか生きて行けん魚もいとる。その魚の適性というやつや。

拡張員は、その濁った水で生きて行く術を知らなあかん。しょうもない生き物やと言うてるのやない。濁った水の中でも、立派な鯉は育つからな。

池田は、専業で生きるはずやとワシは思うた。実は、この亀田という所長に、裏で手を回したのはワシや。亀田にそう話すよう説得した。

亀田の方も、程度のええ専業はのどから手の出るほど欲しいから、二つ返事で受けた。

池田が、専業に向いとるというても、どこでもというわけには行かん。販売所にもいろいろある。程度のええ所から悪い所までな。

拡張団と同じで、程度の悪い所へ行ったらどうもならん。ワシは、この池田には良うなってほしいと心底、そう思う。

その点、亀田の所なら大丈夫やと思う。事実、結果的には、そこで成功することになったんやからな。

ワシがそうしたのは、単に、慕うてくれとるからということだけやなしに、家族と懸命に生きとる姿に心を打たれる。ワシには出来なんだことや。

団からは、いずれそういう話が来るやろうとは思うてた。池田のような、お荷物的な男に対しては、販売所への身売りというのが相場やからな。

団は、こういう池田のような人間は商品として扱う。販売所へ売り飛ばすんや。人身売買やなんて穏やかやないなと思うやろけど、本人にとってはこの方が救いになる。

団は、こいつは使い物にならんと思うたら、金なんか貸さん。仕事が出来んと日銭も入らんから、食うにも困る。

そんな生活が1ヶ月以上続いて、あんたのために言うんやけど、という言葉に助かったと思うてその話に飛びつくという仕組みに普通はなっとる。

どの道、そういう所へ行くことになるのなら、少しでもましな所の方がええ。その意味では、この亀田という所長のおる販売所はましやと思うたわけや。

その所長に「ええ男がおるで」と持ち掛ければ、大抵は乗る。もちろん、池田の意向もあるから、事前に確かめとったがな。

そして、こういう場合、その所長から団に持ち掛けるという方が、話はまとまりやすい。

翌月から池田は専業員になった。ワシの思うた通り、池田は専業向きやった。

この専業というのは、真面目なということも重要やが、それ以上に、人間的に誰からも気に入られる要素があった方がええ。

その面では、池田は元電気屋の店主やから良う心得とる。店の立場というものも熟知しとった。

この池田は、結果的に3年で、この店の店長を任されるまでになった。もちろん、それは口で言うほど簡単やなかったはずや。相当な努力があったと思う。

ワシは、サイトのQ&Aで、専業に対しての心構えを良う聞かれることがあるのやが、その時は、いつもこの池田のことを考えながらアドバイスしとる。

ワシが、厳しいことでも平気で言えるのは、この池田の姿を見とるからや。この男のように頑張れば必ず報われると思うから、それが言える。

当初、この池田を馬鹿にしていた拡張員も、今では誰もが一目置き、頭を下げる。今流の言い方で言うなら、勝ち組ということになるのかな。

こんな男も実際にいとる。ワシはそれが言いたくて、この2週を費やした。

ワシが、普段、良う言うてる「人間、どんな境遇に置かれようとも、その考え次第で良くも悪くもなる」ということが分かって貰えたやろか。

池田も後日、この時の経験が後になっても、ええ経験として役に立ったと言うてた。そして、家族との絆も以前にも増して強くなったから、この先、どんなことが起ころうと乗り越えて行ける自信もついたとも話とった。

人間、何をしていようが、あきらめんと前向きに頑張れば、必ず道は開ける。問題は、そう信じることが出来るかどうかや。


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