メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第30回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2005. 3. 4
■拡張員はギャンブル好き?
こういう質問をワシらにする人間は多い。やはり拡張員というのは世間からは、そういう見方をされとるのやなと思う。
もっとも、それが、全くの的外れとも言えん所が哀しいんやけどな。確かに、ギャンブル好きの拡張員は多い。しかし、それは何も拡張員に限ったことやないとは思うけどな。
ギャンブル、博打と言うてもいろいろある。競馬、競輪、競艇、オートレースの公営ギャンブル。パチンコ、パチスロなどの遊興博打。宝くじ、サッカーのtotoなんかもある意味でギャンブル、博打と言えんこともない。
これらのものは公認やから、やってても別に何の支障もないはずやが、そのギャンブルをしとるというだけで、一般からは、ええようには見られんということがある。特に日本では、それが顕著や。
ワシら拡張員がそれをしとると、間違いなく「胡散臭い人間」というレッテルを貼られる。
本当は、それをすることで、税金として国の財政に入ることになるから、それなりに貢献しとるわけや。本来なら、褒められてしかるべきなんやけど、そう考える人間はまずおらんわな。
公認のギャンブルですらこれやから、これが、麻雀、カジノゲーム、ゴルフ、ボウリングなどで金銭を賭けとるというようなものも、拡張員がそれをしとるとなるとイメージ的にはさらに悪くなる。
これらは、金銭を賭けると賭博罪が適用されるが、現実には、よほどでないと適用されて捕まることもない。目こぼしというやつや。
しかし、これが、ヤクザ関係の仕切る賭場となると、警察も神経を尖らせる。昔、ワシらの若い頃は、どの地域でも大抵、公然たる秘密の場所でその賭場が開帳されてたもんやが今はさすがに少ない。
最近の若い人間は、花札やおいちょかぶも満足に知らんと言うし、究極の博打と謳われ歴史ある「手本引き」に至っては何のことかも分からんらしい。
昔は、その説明をするのに、ヤクザ映画の賭場の場面に良う出てくる賭け事やと言えば良かったんやが、今は、そのヤクザ映画も流行りやないのか、少ないからその説明も難しい。
ワシは?と聞かれると、昔はギャンブルをしたことはあるけど、今はしてないと答えとる。格好良く言えば、足を洗うたということになる。
あまり自慢話にもならんが、その博打との関わり合いを少し話すことで、ワシという人間がどんな男やったかというのは分かるやろと思う。
本当はサイトで人に説教を垂れる資格のある男やない。もっとも、経験ということではそれなりにはあるが、それも褒められた類のものは少ない。
特に、裏の世界の経験なんかは一生関わりにならんかったらそれに越したことはない。ある、アホな男の話としてなら、面白いかも知れんがな。
競馬、パチンコは15,6歳で初めとったし、賭け麻雀、賭け将棋、賭場の出入りは20歳代半ばまでは、ほとんど毎日のようにしとった。
ワシは、19歳の頃から建築屋の営業マンをしていて、成績も悪うなかったから、金回りも結構、良かった。
加えて、その頃は、営業の一環としても博打を積極的に覚え研究していたということもある。
ワシが客と意気投合するのは、政治や道徳的な話より、このギャンブル話の方が圧倒的に多かったし、有効となりやすいということもあった。
ワシは昔から、凝り性やから、その道を徹底して研究するという癖がある。その覚え方も尋常やない。執鬼じみてると良う言われたもんや。まあ、好きやったということも大きいがな。
ワシがその当時、得意としていたギャンブルは、競馬と麻雀、それと賭け将棋や。
中でも、麻雀は当時、セミプロを自負しとった。実際、数カ所の雀荘の経営者からは、ショバ荒らし的な客が舞い込んで来たら、その相手のために良く応援を要請されてた。
そういう、ショバ荒らしに居座られたら雀荘は商売にならんから、その排除が目的や。と言うても、ワシはヤクザやないから実力行使ということやない。
その麻雀の技量で近づけんようにすることや。こういうのを俗に「メンバー」と呼ぶ。
ショバ荒らしは、客層を見て居座るかどうか判断する。商売になると思えば居座るし、ならんと思えばよそへ行く。
店から要請のあったメンバーは、そこの客を装い、ショバ荒らしの相手をする。そのメンバーの実力のあるなしが大きく響く。
参考までに、こういう相手との負けた場合の出費になる掛け金は要請のあった店主が出す。撃退出来れば、その掛け金の儲けと店主からの慰労金が貰える。
劇画の世界に近いものがそこにある。ただ、劇画のような格好良さとはかなり縁遠い。格好ええ男もほとんど登場せん。腐った根性の人間ならアホほどいとったがな。
そこで、重要なことは一点のみ。勝つか負けるかだけや。食うか食われるかの弱肉強食の世界がそこにある。素人やないから、ええ勝負やったは通用せん。
善悪の区別もない。敢えて言えば、勝った者だけが好きなことを言え、大きな顔が出来る。逆に負けた者は何も言う権利すらない。そんな世界や。
ワシは、何故かそういう世界が好きやった。その好きやったというのは、そういう勝負に、たまたま勝ち続けられていたということがあったからかも知れんがな。
博打というものは、底なし沼に似とる。嵌り込むとそこから抜けるのは並大抵なことやない。もがけばもがくほど沈む。
その嵌り込む典型的な博打が競馬などの公営ギャンブルとパチンコや麻雀などの遊興博打や。大抵は、このうちのどれかに嵌り込む。
中には、賭け事そのものが好きでどんなものでも賭けの対象にせんと気の済まん者もおるがな。
本当の底なし沼は、誰でも命に関わる危険があると知っとるから、それと知れば近づくことはない。しかし、博打をする者は大抵の場合、自らそこに身を投げる。
一種、麻薬のようなものがある。その魅力に囚われたら、それから、離れ難くなる。囚われる要因は、ほとんどが欲なんやけどな。
博打というのは勝てて儲かることがあるから面白い。負けてばかりやと悲惨やと思う人間がおるかも知れんが、実は、こういう人間の方が幸せになれる。
負けてばかりの人間は、その博打が面白いと一時は思うても、長続きはせん。負けてばかりやと金も続かんし、面白くないから借金してまでというのも少ない。いずれは止めるか、それからは足が遠のく。
博打ほど理不尽なものはない。特に対人の遊興博打にそれが言える。例えば、麻雀なんかでいつも負けてると「下手やな」「アホほど弱いな」「首の上に乗っかとるもんは何や」とその人間性すらも否定されるほどの言葉を浴びせられ、その浴びせられた相手に金をむしり取られる。
当然「おおきに」の感謝もない。例え、その言葉が返って来たとしても、それは侮蔑を含んだものでしかない。
負け続ける人間は、その理不尽さに嫌気を差してその博打を止めることが出来る。結果、のめり込まんから幸せになれるちというわけや。
しかし、博打というのは、どんな人間にも、その勝利の時が訪れるから始末に悪い。特に、自分が博打に弱いと自覚しとらん奴に、それがたまに起きる。
総体的に、博打をしとる者は、勝った時のことは良う覚えてて人に自慢したがるが、負けた時のことは忘れるし、人にも言わん。
これは、博打に弱い人間ほどそういう傾向にある。勝った、勝ったと言う奴ほど弱いということや。
博打のことで場が盛り上がっとるのは、間違いなくこの勝ち戦での話や。話を聞いてると負けた事はないかのように言う。こういう人間は、間違いなく「ドツボ」に嵌る。と言うか、すでに嵌ってしもうとる。
博打をやれば勝てると思うとる。もっとも、最初から負けると思うて博打をする奴はおらんがな。それで、手痛い負けや借金を作ったりすると、反省することもある。もう、止めとことその時はそう思う。
しかし、博打の負けの反省ほど教訓にならんものはない。大抵のことは、反省すれば、それを教訓として、そういう過ちは二度と起こさんようにと心がけるもんやが、博打はあかん。
「喉元を過ぎれば」という奴で、手元に幾ばくかの金が出来ると、その博打に走る。反省なんかどこかに飛んでしもうとる。
それで、身を持ち崩しとる人間は世の中に吐いて捨てるほどいとる。そんな人間の中から、拡張員になる者もおる。
博打に取り憑かれた人間は、家屋敷、全財産をなくし、多額の借金を背負うたとしても止めることは、ほとんどない。それが治る見込みも少ない。死なな止めんという人間は多い。
しかし、この手の人間は、例え死んでも閻魔さん相手に博打をしとるかも知れんがな。
当然、そういう奴は拡張員になっても、金があれば博打に走る。なくても、借金が出来ればそうする。もっとも、こういう人間は、拡張員にならずとも博打をするがな。
ただ、冒頭のような質問を浴びせられると、博打の好きな拡張員はいとるとしか答えられん。また、そういう連中が多いのも事実やからや。
「ゲンさんは何で賭け事はせえへんのか」と聞かれ場合、相手が拡張員仲間なら「興味ないし、昔からしてない」と答えるようにしとる。嘘やけどな。拡張員仲間に本当のことを言うても、ろくなことはない。
客の場合は「そんな余裕はおまへん」と答えるか、客によってはトーク的に博打の話をする。興味のある人間には、やはり、博打の話は面白いやろからな。
博打をする拡張員は胡散臭いと見られる一方で、拡張員やから、その話に真実みがあり面白いと受けとる客もおる。それが、カードに繋がることもあるんやから何が幸いするか分からんと思う。
今の所、同じ質問をされて正直に答えとるのは、ハカセだけにや。
ええ格好に聞こえるかも知れんけど、ワシが博打をせんようになったのは、その道で人に知られるようになったと言うことがある。自惚れやが、強くなりすぎたと思うとる。特に麻雀や賭け将棋がそうやった。
賭け将棋に関しては、メルマガ『第15回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ゲンさんの拡張実践Part3 』で話しとるから、ここでは省く。
雀荘のメンバーのようなことを続けとると、どうしても人に知られるようになる。遊びとしての麻雀は出来にくいということがあった。普通では誰も相手もしてくれんしな。
もっとも、それで、めしを食って行くつもりなら、その当時やったら可能やったかも知れん。しかし、そこまでするつもりもなかった。
この博打の世界は極道と付き合うことが多い。ワシはどうしても、その連中が好きになれんかったということもある。ろくな奴がおらん。まあ、中には例外的な男もおったがな。
それ以上に、営業の仕事が好きやったということがある。もともと、この博打をそこまで研究修得するのに一生懸命になったのは、それを営業に生かすためやったんやからな。
しかし、麻雀でそれを営業に生かすというても、結局、出来ることと言えば、接待麻雀くらいしかなかった。ワシにとって客を遊ばせる程度のことは何の造作もない。簡単なことや。
営業の役には立つけど、面白みは薄くなる。しかも、他で真剣勝負も出来にくいとなると興味も湧かんようになり自然に麻雀からは遠ざかった。
一時、競馬にも嵌った。例によって、のめり込み研究する性癖のワシは、滋賀県の栗東という所にあるトレーニングセンターまで早朝、まだ暗いうちに馬の調教を見に行くという熱の入れようやった。
調教師や騎手、厩舎関係者とも懇意になり、その当時の門外不出の教科本、業界本なども貰うて研究してた。せやから、その当時は競馬に関しては大抵のことは知ってた。
走る馬、走らん馬というのも、調教師、騎手並とまでは行かんでも、ほとんど分かった。もっとも、そういうことが分かったからというて、競馬では勝つということも、儲かるということもなかったがな。知識と勝負は別や。
しかし、今はその競馬も止めた。原因は、1匹の競走馬や。名前をテンポイトという。ワシにとっては、名馬中の名馬や。レース中の足の骨折が原因で死んだ。
ワシはその馬とは深く関わり過ぎた。その死で、競馬場に行くのも辛くなるくらいにな。昭和53年のことやから、あれから28年も過ぎたことになるが、今でも、馬を見るとそのテンポイントを思い出す。
せやから、競馬を止めたというより、出来んようになったという方が正しい。その話もすれば長くなるから、機会があれば、いずれ話す。
ワシは、ギャンブルというものに対して、奨励もせんし否定もせん。やる者の心理もせん者の気持ちも分かる。それぞれが、それぞれの責任においてするかせんかは決めたらええ。
ギャンブルには人類が発生してから今日まで脈々と続いとるという歴史がある。そして、人類滅亡のその日まで、それは確実になくなることはないやろと思う。
せやから肯定も否定も意味のないことやと思う。ただ、それにより、誰かを犠牲にするというのだけはあかん。
ギャンブルに魅せられるのはその人間の自由やが、堕ちるのなら、自分一人で堕ちろと言いたい。