メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第33回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2005. 3.25
■拡張員泣かせの人々 Part2 ゴミ部屋の住人
今回紹介するのは、前回のように人間的に腐っとるという者やない。どちらかというと、気の弱い善良な人間の話や。何かの拍子にキレるということでもない。
とても誰かに危害を加えるということは考えられんし、実際にそういうことも、まずない男やと思う。
しかし、時として、そういう人間に泣かされるというか、迷惑やと思うことが起きる。それは、またワシらだけやなく他の人間まで巻き込むこともある。
そして、そのことで本人自身も結果として不幸を招く。ワシは、その男を知り、人が生きることの難しさを今更ながらに痛感した。
今回は、そんな男の話をしようと思う。これは、ワシがまだ京都におった時の話やから、10年ほども昔のことになる。
「ゲンさん、ちょっと、相談がおますのやけど……」
そう持ち掛けて来たのは、あるアパートの大家やった。ここの大家は、ワシにとっては上得意の客になる。
この大家は、アパートやマンションを5軒ほど持っとる。そして、入居者に新聞の勧誘もそれとなくしてくれとる。
この大家のおかげで過去に20数件以上のカードを上げることが出来た。もちろん、それなりの礼はしとるがな。
実を言うと、この大家と付き合うようになって、こういう客も必要やということをワシは知ったんや。その大家から、相談事やと言われたら無視することは出来ん。
「何ですか?」
「ゲンさん、あんさん以前、不動産屋してたと言うてはったな?」
「いえ、建築屋です。建てたり直したりする方ですけど……」
「そうか、その方がよろしゅうおますわ。ちょっと、一緒しておくなはれ」
その大家は、何がええのかということは詳しく言わんと、ワシを一軒の古びたアパートに連れて行った。ここも、当然、ワシは知ってる。ここの客もおるしな。
ここは、木造でかなり年季の入ったアパートや。築4、50年というところか。建て替えの話でもするのかと思うた。そんな感じのアパートや。
大家は何も言わんと、ワシを連れて、一階のある部屋の鍵を開けた。
「ちょっと、中を見て」
ワシは、大家がそう言うて無造作に開けた部屋に入った。瞬間、異様な臭いがした。そして、信じられん光景が目に入って来た。
散らかっているという程度の生易しい表現で片付けられる状態やなかった。ゴミの山や。古新聞、カップ麺の空、ペットボトル、コンビニやスーパーのゴミ袋、その他およそゴミ捨て場にありそうなあらゆるゴミがそこにあった。
とてもやないが、その一つ一つを確認することは出来ん。それらが、高い所はワシの胸辺りまであり、低い所でも膝上くらいはあった。
良う足の踏み場もないと言うが、この中を歩こうなんちゅうことは無理や。物理的なこともそうやが、臭いが堪らん。
その当時、ワシらの住んでたアパートでも、大抵の拡張員が独り者やから、それぞれの部屋もお世辞にも綺麗とは言えんし、散らかし放題というのも多い。男の体臭というか汗臭さも相当なもんや。
それでも、この部屋の状態とは比べられん。レベルが違う。単に散らかしている汚れとるいう程度は、しゃあないなという感じやからな。
ワシも昔、拡張員になる前は、住宅リフォームの仕事をしてたから、この大家のような客からの引っ越し後の後片づけを請け負ったことはある。
中には、夜逃げした人間の荷物の後始末を依頼されることもあった。大抵はすごい状態が多い。しかし、ここまで酷いのは見たことはなかった。
「何ですか。これは……」
「この部屋に井村というお人が住まはってやけど、ごらんの通りですわ。前々から散らかってるとは思うてましたけど、ここまでとは知りませんでした……」
この大家が言うには、その井村という男は、このアパートの主みたいな男で、もう20年近く住み続けとるという。
独身者で、年は44,5歳くらい。普通の会社員やということや。その隣に、最近、引っ越して来た大学生が、その井村の部屋から異様な臭いがすると大家に再三、クレームを入れてた。
大家は、仕方なくその井村の部屋に行った。それが、これやった。大家は当然、びっくりする。
よっぽど、出ていってくれと言おうと思ったらしいが、この井村という男は腰の低い人の良さそうな人間やったし、家賃も一度も滞納したことがなかったから、そうむげなことも言えんかったらしい。
大家は、部屋の中を綺麗に片付けることという条件で「住み続けたい」という井村の願いを仕方なく聞いたと言う。
しかし、井村もいざ片付けるとなるとどうしてええか分からんと言う。この現場を見たら誰でもそう思う。
ゴミの日にちょっと、表に出すという程度の量とは違う。これだけのものを一気にゴミの日にだしたら、確実に近所から苦情が来る。
それに、ひとりでそれをするとして、どのくらい日数がかかるかも分からん。とてもやないが、仕事が終わって帰ってから、ぼちぼちというレベルでは無理や。何より、その元凶の住人にそれが出来るわけがない。
結局、金がかかってもええから、それを頼める業者を探して欲しいということになった。それで、大家が真っ先にワシに頼んで来たということや。
いくら新聞のゴミが多いと言うても、ワシら拡張員はその新聞を売るのが、仕事でその後は関係ない。
大家もそれは良う分かっとるが、普段、ワシと話とるから力になって貰えると思うたらしい。
それに、そのゴミの一部に、ワシとこの新聞をこの井村に売りつけた分も含まれとるということもある。せやから、まんざら、まったく関係ないとも言えん。
しかし、ワシは大阪ならともかく京都では、そういう業者に心当たりはなかった。
ワシは、古紙回収をしとるテツという男に連絡を入れた。たまに、客の要望でそういう片付けをしとると聞いてたからや。
このテツという男とはたまに組んで仕事をしてたからな。その詳しいことはHPの『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第6話 危険な古紙回収』で紹介しとるから、興味のある人は読んで貰うたらええ。
「テッちゃん。今、時間開いてるか」
「ああ、丁度、今、仕事を済ませて帰って来た所やけど……」
「以前、家の片付けをしてたて言うてたことあったな。ちょっと、頼まれてくれへんか」
「それはええけど……」
「見て貰うてどの程度、金がかかるか見積もりして欲しいんや。場所はそんなに遠くやない。河原町丸太町からすぐや。今から頼むわ。助けたって」
ワシは、人に頼み事をする場合、大抵、こういう調子や。あまり、詳しいことは言わん。
ただ働きやないことだけを伝えて、急いどるからと言う。特に、こういうことを頼む場合は助けてくれと訴えると効果的や。
現場にさえ、引っ張り出せば大抵の業者は、その仕事をするからな。特に、今回のようなことをことを細かく言うたら、ほとんどの人間は嫌がるし、尻込みする。
ワシは河原町丸太町の交差点で待った。
余談やけど、京都という所は、他からすれば理解に苦しむ地名が多い。
通常、京都以外で町が二つも連なる地名というのはない。しかも、京都にはその河原町という町も丸太町という町もない。もっと、言えば、この河原町丸太町というのは、ある一点を指し示しとる交差点のことや。
何でそういうことになるのかというと河原町も丸太町も通りの名前やからや。河原町通り、丸太町通りというのが正式名称ということになる。
一般的に河原町と呼ばれとる地域は、四条河原町近辺のことを指す。京都は有名やが、意外と知られてないことも多い。
ワシは、トラックに乗って来たテツと一緒に、そのアパートに直行した。
「何や!!ゲンさん、これは……」
さすがのテツもその現場を見て絶句しとった。
「見ての通りや。どのくらい、金と時間がかかるか教えてくれへんか。大家に連絡して、ここの住人に納得ささなあかんからな」
「ゲンさん、あんたも手伝うてくれるんか?」
「ワシはあかん。そんな時間はない。カードの上がらんことは出来んからな。団もうるさいしな」
拡張員は、カードさえ上がってたら、少々の融通はつけられるが、この仕事を手伝うことでそれを期待することは無理やから出来んということや。
せやけど、それは半分は言い逃れでもある。こんな所に10分もおったら、ワシは確実に死ぬ。
ワシは、自分で言うもの何やが、こう見えても綺麗好きや。部屋は毎日、掃除しとるし散らかってるのも我慢出来ん。
それに、この臭いや。堪忍して欲しい。そんな仕事を人にやらすのかと思う者もおるかも知れんが、テツは一応、こういうことはプロやて聞いてたからな。
何でもそうやけど、難しいことはプロに任せるに限る。
京都は古い家が多い。納屋のある家から、その片付けを頼まれることが良くあるとテツは話しとった。京都には何十年も手つかずの納屋がざらにある。そういう所から結構、依頼があると言う。
テツも、そういうのは嫌いやないと言うてた。中には、とんでもないお宝が出てくる事もあるらしい。その納屋の処分を任されたら、そこの物をどこで売ろうが処分しようが自由になる。
京都には、そのがらくたばかりやと思える納屋にも、その歴史が隠されとることがある。
テツは、ある旧家の納屋から出た本をトラックに積んで、交差点で信号待ちをしてたら、その近所の古本屋の店主が飛んで来たと言う。
京都市内には、この古本屋が多い。市内だけで、ざっと400軒ほどの古本屋がある。古書の町、京都や。
その古本屋のオヤジは、その中の一括りの本を手に取り、それを何と30万円で売ってくれと言う。もちろん、テツに異論はない。喜んで売った。
その後、その店主がそれをいくらで売ったのかは知らんが、相当な値打ち物が混じっとるのやと思う。
そういうことが希にある。一度でもそういうことがあると、こういうのは止められんと言う。
しかし、ここは、それとは違う。ただのゴミの中や。お宝とは完全に無縁や。それに、納屋にあるものは埃を被ってはいるが、同じ汚れでも汚いと言うほどの物は少ない。
ここは、明らかに汚い。下手をすると病気になる。ワシからの頼みやなかったら、すぐさまノーやと言うてたと後でテツの口から聞いた。
「見積もりをするのはええけど、何ぼかかるか分からんで」と、テツも一応はそう言うて牽制する。
テツも出来たら、したくはない。誰でもこれを見たらそう思う。テツに限ったことやないけど、業者は断ろうと思うたら、金を吹っかけることがある。
金銭で折り合わんから出来んというのは、正当なビジネス行為やから、誰も傷つくことはない。
テツはワシに対しても言い訳が出来るし、ワシも大家に対しても業者を手配したから一応の顔も立つ。
せやから、テツとしたら、吹っかけたつもりの金額を提示したつもりやった。しかし、その予想を覆してそれでやってくれとなった。
テツは泣きそうな顔で否応なく引き受け、ワシを恨めしそうに見た。当然、ワシは何も気付かん振りをする。
テツは翌日から、その作業に取り掛かった。すぐ、ワシに連絡してきた。すぐ現場に来てくれということやった。
ワシは、分厚いマスクを2枚重ねにして、その現場に行った。
「ゲンさん、これを見てくれ」
テツも雨合羽を着込んだ重装備で出て来てそう言う。ワシは、テツが指し示す方向を見て愕然とした。
テツはさすがプロや。何やかやと言うてても仕事が速い。ワシが行った時はかなりな量のゴミを運び出していた。
それで、中の様子がかなり良く分かった。ゴミが少なくなると、その中から、布団が現れた。
その布団はカビやら汚れやらで覆われとった。衣服らしき物もあったが穴だらけで元が何であったか判別不能や。本当にこんな所で寝とったのやろかと思う。
畳が腐って床が抜け落ちとった。ワシは、それを見て天を仰いだ。今度は大工を手配せなあかんかった。
やむを得ず、懇意にしてた工務店にも頼むことになった。その部屋の床下から作り替えなあかんかったからや。畳や床板はおろか根太まで腐っとったから取り替えるしかない。
壁もゴミがあるうちはそう目立つ事もなかったが、所々穴も開きかけていた。壁もコンパネで補強してクロス貼りにするしか方法はなかった。
結局、ゴミ処理代、補修費として80万円ほどかかった。もちろん、井村がその費用を負担した。金は即金で払うてた。
これで、一件落着のはずやった。しかし、その数日後、井村はそのアパートから出て行った。
その出て行った部屋を見た。この部屋が以前、あんな状態になってたとは想像も出来んくらい綺麗になってた。全部、新(さら)になったんやから当たり前やけどな。
押入を開けた時、ワシは絶句した。井村は押入にどこから持ち込んだのか知れん新聞紙を大量に入れていた。どうやら、その中で寝てたようや。
ワシは即座に理解した。井村にとって、この新しい環境に耐えることは出来んかったということが。その部屋は、もうかつての自分の住処やなくなってたわけや。
せやから、井村は少しでもその環境に近づけるべく新聞紙を押入に持ち込んで、そこで閉めて寝てた。しかし、その押入を開けると、井村にとっての別世界がそこにあった。それが、耐えられんかったのやと分かった。
ニュースなどで、良くゴミ屋敷というのを目にすることがある。大抵は、何ちゅうえげつないことをするんやと思う。誰もそうしとる人間に同情を寄せることもない。
確かに、周囲の人間にとってはええ迷惑や。ワシもそんな人間が側におったら堪忍して欲しいと思う。
ただ、その人間は、悪気があってのことなのかと考えた時、ワシは、いつもこの井村のことを思い出す。
普通の人間に耐えられん環境が、この井村のような人間にとったら、最高というか、それなくしては生きることさえ困難なことなのかも知れんという気がする。
世間でそれを受け入れ考慮して理解を示して貰えるようなことは、まずない。考えられんことや。
ワシも大抵の事なら解決策を考えつくことが出来るというのが、密かな得意技やと自分で思うてたけど、この場合には何も思いつかんかった。
こういう、人の根幹に関わるほどの性質は一体どうしたらええのやろと思う。ワシのしたことは間違いではなかったのかも知れんが、ええことをしたとも思えん。
特に、その後、あの井村という男が、どこでどうして生活しとるのかということを考えたらな。