メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第36回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2005.4.15


■ゲンさんのトラブル解決法Part2 泥はねトラブル


トラブルというのは、当事者にとっては大問題かも知れんが、第三者から見ると実にくだらんと思えることが多々ある。

今回は、そういう争いに巻き込まれた話をする。しかし、この一見、どうでもええやないかと言うようなことが原因でも、一歩間違うと単なるトラブルで済まん場合が往々にして起こる。

下手したら殺し合いにまで発展することがある。エスカレートするというやつや。実際、そういうケースも人間次第では起きることがある。

「ねぇ、ゲンさんさん聞いてくれる?」

そう言うたのは、交代読者の石川という奥さんや。こういう言われ方をしたら注意信号や。その程度は別にして揉め事の場合が多い。

「何ですか?」

この辺りが営業の辛いところで、うすうすそうやとは察しとっても、客の話は聞かんわけにはいかん。こういうリピーター客の場合は特にな。

「この前、雨が降ったでしょ。その日、子供の小学校の入学式だったのよ……」

この奥さんの言うには、その日、当然のようにかなりめかし込んで出かけたらしい。小学校までは、この家から歩いて5分ほどの距離や。

せやから、奥さんは、その子供と歩いていた。大通りに出たところで、走行中の車に泥水を跳ねかけられたと言う。

この石川さんは、その車に見覚えがあった。それは、子供同士が同じ幼稚園に通っていた時に、よく見かけた山田という人の車らしい。

その山田の奥さんがいつも、その幼稚園に同じ車で迎えに来ていたのを何度も確認していたから間違いないと主張する。

石川さんとその子供は、そのかけられた泥水で入学式用に特別に買った服を台無しにされた。泥だらけの濡れ鼠のままで、その入学式に行くわけにも行かないから、やむを得ず引き返して普段着に着替えて出直した。

こういう雨の日に泥水を跳ねかけられるというのは良うあることや。しかし、この後の展開は、どこにでもあるというもんやなかった。

石川さんは、学校に着くなり、その山田さんという奥さんを捜した。その山田さんは、ご主人と体育館の中央辺りで折りたたみ椅子に座っていた。

「あなた、どうしてくれるのよ!!」

いきなり、石川さんはその山田さんに近寄りそう言うた。この石川さんはかなり勝ち気な奥さんやというのはワシもある程度は知っとった。

しかも、この時は、相当に頭に来ているようやったから、ワシに説明する以上の剣幕で罵声を浴びせたのやと思う。

どんな人間でも、そのことが例え悪いと思うようなことでも、相手次第では素直に謝れんことがある。特に物の言い方、喋り方というのは重要や。

せやから、相手が全面的に悪いと思えるようなことでも、この石川さんのように詰るような言い方は止めといた方がええ。何の解決にもならん。

多くのトラブルの発端は、事件以上にそこから出ることの方が多い。まあ、怒りたくなる気持ちも分からんでもない。

この石川さんにすれば、一世一代とも言える晴れ姿を親子共々台無しにされたとの思いが強いやろうからな。

「変な言いがかりは止めて下さい」

山田の奥さんの返答や。相手にしても勢い、こういう対応になる。泥水をかけられた方は当然、その認識は強いが、かけた側とされる方は寝耳に水という場合が多い。ほとんどは、そのことにすら気付いとらん。

「言いがかりですって!!」

こうなると、勝ち気な女性の言動は止まらん。さらに物言いがエスカレートする。それに業を煮やしたその山田さんのご主人が怒って大声で喚いたと言う。

「こらっ、ええ加減にせいや!!運転しとったのは俺や。なんか証拠でもあって言うとんのんか。変な言いがかりをつけとったら承知せんで!!」

その場が一瞬、氷ついた。衆目がその一点に注がれ、何事やという空気に包まれた。

入学式の開始間際ということもあって、体育館には大勢の父兄や教師、生徒が集まっていた。明らかにそのことが原因のざわめきが起こっていた。

石川さんは、相手のご主人の反撃による剣幕とその場の空気に耐えられず、子供の手を引いて逃げ帰ったということや。

仕事から帰宅してその話を聞いた石川さんのご主人が「何を!!」とばかり怒って相手の山田さん宅に怒鳴り込んで行った。

後に、このご主人はこの時、相手が単にその非を認めないから腹を立てたというだけやなしに、子供がその入学式に出席も出来ずに追い返されるようにされたことが許せなかったと話した。

当たり前やけど、その石川さんのご主人が怒鳴り込んだからと言うて、事が収まるわけがない。余計にややこしくなる。当然、一触即発の不穏な状態になったと言うことや。

結局「謝罪しないんなら訴えるからな」と石川さんの方では捨て台詞を残し、山田さん側は「どうぞ、お好きなように」と応じてその場は別れた。

ワシは、その話を聞いとる間中、適当に「そうですか」「それは大変ですね」と相づちは入れとったが、正直、実にくだらんと思い続けとった。

いくら、ワシが何でも首を突っ込みたがるというても、こういうのは堪忍して欲しい。まあ、愚痴を聞くだけならそれでもええがな。それも、仕事と割り切ればということでな。

「ゲンさんは、どう思われます?」

それまで、黙っていた石川さんのご主人がワシにそう聞いた。

「そうですね。奥さんには、同情しますが、相手が認めないんでは、訴えるにしても難しいのではないでしょうか」

法律で訴える場合、このケースは民事事件で損害賠償請求ということになる。

それについては、前回のメルマガでも言うたことやが、相手の瑕疵、この場合、相手が車で泥水をかけたことが証明されん限り、訴えてもそれが認められるケースはほとんどないと言える。

「それは、弁護士さんからも聞きました」

この石川さん夫婦は、本当に訴えるつもりで、弁護士事務所に相談に行ったということや。

夫婦の希望は、相手の謝罪とこの日に用意した母親と子供の衣装が全くの無駄になったからその分の損害、10万円の衣装代と親子の精神的慰謝料20万円の計30万円の請求をするというものや。

相談された弁護士は「それは難しいですよ」とやんわり断ったという。事例には判例というものがあって、大抵はそれをもとに裁判所が判断する。

このケースでの事例は、起きやすいということもあり、やはりかなりな数それがある。そして、その判例に照らして言えば、こういうケースは、例え相手に過失が認められたとしても、この石川夫婦の要求通りになることはまずない。

裁判所では、原因と結果との間に相当な因果関係があるかどうかで裁定を下す。つまり、一般人が予想出来る範囲内かどうかということや。

この場合、泥水をかけたことによる被害が親子が着ていた服の弁償をするほどの過失だったかというのは、その予想のらち外とされる可能性が高い。

通常、車の運転者が歩行者の実状を予測したり知るということは不可能なことやからな。このケースは良くても、クリーニング代の請求くらいしか出来んということになる。

相手に謝罪を求めるということやが、これも相手が認めん限り、法律でそれを強要することは出来ん。例え、殺人であっても、法律はその犯人に謝罪を強要することは出来んのやからな。

弁護士は、そう諭したと言う。余談やが、この石川夫婦が相談した弁護士は良心的やったと言える。

弁護士の中にも、ええ加減な人間もおる。金にさえなればと考える者もいとる。そういう奴は、この石川夫婦のような客を煽る。

「何とかしましょう」と、弁護士が言えば本当に何とかなるもんやと考える人間は多い。

そして、こういう場合、高額な弁護料がかかると言うても、頭に血の昇った人間は、金銭の問題やないと考える場合が多いから簡単に払う。そこにつけ込むわけや。

そういう意味で、石川夫婦の要望を退けた弁護士は良心的やと言えるということや。もっとも、数的にはこういう弁護士の方が多いがな。依頼を受けるという場合でも、その勝利する見込みを的確に教える。

「そこで、ゲンさんに相談なのですが、誰か仲裁を頼める人はいませんか?」

この言葉を聞いて初めて、なぜ、この揉め事をワシに話したのかが分かった。単なる愚痴やなかったわけや。

ワシに、その筋の人間、分かりやすく言うとヤクザ、極道のような強面の人間を紹介してくれと仄めかしとるということや。

本当に言葉通り仲裁の出来る人間をワシのような拡張員に捜してくれと頼むというのは、普通は考え辛いし、まずあり得ん話や。

よほど親しい間柄やというのならともかく、ワシとこの石川夫婦は、ただの拡張員と交代読者という関係だけや。それ以上でもそれ以下でもない。

ワシは、それを聞いて瞬間、カチンと頭に来た。やはりというか、一般ではワシら拡張員をその手の人間と同列に見とるということや。

もっとも、ワシは歳もそこそこ食った大人やから、嫌な顔も見せず、それにも気付かん振りをして、やんわりとその申し出をはぐらかしたがな。

「さあ、心当たりはないですね。ご近所のことですし、町内会長さんか、小学校のRTA会長さん辺りにでも頼まれたらどうでしょうか」

ワシは、そう言い残してその家を後にした。これなら、何のトラブルにも巻き込まれてないやないかと思うやろけど、それが悲しいかな違うんやな。

ここから、本格的にそのトラブルに巻き込まれる嵌めに陥るわけや。ワシは何でも首を突っ込みたがる癖があるから、そういうトラブルに巻き込まれるのやと常々思うてたけど、どうも、それだけやないようや。

何ぼそれを回避しようと思うても、トラブルの方がワシを捜してそこに引きずり込みよる。ワシは、そういう星の下に生まれたということなのかも知れん。

それから、3日ほどして、ワシが事務所に出社した時、ワシ宛に電話がかかっとると事務員が言う。

「はい、お電話代わりました。ゲンと申しますが……」

「あんたがゲンさんか。石川というのを知ってるやろ。○○町の、あんたの客らしいけど」

電話の男は、かなり怒っとるような物言いやった。ワシは、相手が何でそういうことを言うのか分からんから様子を伺うことにした。

「ええ、確かにお客さんですけど……」

「石川に何を頼まれたのかは知らんけど、あんたらのしようとしとることは脅迫やで。こっちには○○県警の知り合いもいとんのや。これ以上、妙な言いがかりをつけたら訴えるからな」

「失礼ですけど、お宅は?」

「石川から聞いとるやろ。山田というもんや」

電話の相手はそう言うて一方的に切った。

その山田と名乗った男は、3日前に石川宅で聞かされた揉めてる相手やというのは、すぐ分かったが、ワシと何の関係があると言うのか……。まあ、おおよその想像はつくがな。

やはり、これは、このまま放置するわけにはいかんようや。放っといたら、わしの知らんところで話が段々大きくなり、ややこしくなって行くだけのようやからな。

正直、こんなくだらんことで煩わされたくはないんやが、しゃあない。誰が泥水をかけようがかけられようがワシには関係ない。人を巻き込まんといて欲しいと思う。

ワシは、その日の夕方、その石川宅に行った。ご主人も一緒でないとらちがあかんと思うたからや。

「石川さん、山田さんという方から、ワシのところに電話があったけど、どういうことですか」

「えっ、ゲンさんところに電話をかけたんですか。いえね、昨日、どうしても腹の虫が収まらなくて、もう一度、山田に電話したんですよ。その時、つい、ものの弾みでゲンさんに相談したと言ってしまったんですよ」

予想通りやった。おそらく、この石川という男は、ワシのバックにはヤクザがついとると勘違いしとるのやろ。それで、相手を威圧しようとでも思うたようや。

「それで、他には何か、おっしゃいました?」

「いえ、ゲンさんに相談したと言うただけです」

「石川さんは、ワシの名前を出してどうされようと思われたんですか」

「別に……、それは……」

「相手の山田さんは、脅かされたと思ったようですよ。○○県警に知り合いがおられるとかで、脅迫罪で訴えるとかと言って怒っておられましたから」

「脅迫罪やなんてそんなおおげさな……」

この石川という男には、この事態の深刻さが良う分かっとらんようや。

「いいですか石川さん。ワシらは、自分で言うのも何ですが、世間的にはええようには思うて貰うてません。それだけなら、それでもええんですけど、中には、ワシらをヤクザか何かと勘違いしとる人間もいてます。石川さんのように」

「……」

「それは、相手も、同じように受け取っているということです。だから、今日、ワシのところに電話をかけて来られたんだと思いますよ」

実際、ワシはヤクザでも何でもないから、厳密にはワシの名前を出すくらいでは脅迫罪は成立せんやろけど、相手の山田側がそれで恐怖心を抱いたということなら微妙や。ましてや、有力な警察官がつくということになればどうなるか分からん。

大きな声では言えんが、ワシとこの団でも、上の方ではその筋の人間と付き合いのある人間もいとる。それを調べられたら立場が不利になるということや。

「ゲンさん……、どうしたら……」

この石川という男も、やっと事態を認識し始めたようや。

「謝るしかないでしょう」

「謝る?私たちは何も悪いことはしてませんよ」

石川の奥さんや。

「奥さん、今回のこのトラブルの原因は何だと思われます?」

「それは、山田さんが泥水を跳ねかけたから……」

「確かに、最初はそうかも知れませんけど、こじらせる決定的なことは、奥さん。あなたにあるんですよ」

「私?」

「ええ、いくら頭に来たと言っても、大勢の前で犯人扱いされたら、誰でも認められないし、反感も感じます。あなたが、逆の立場だったらと考えれば、すぐ分かるはずですよ。しかも、おそらく、あの山田さんにしてみれば、本当に身に覚えのないことだったのかも知れませんからね」

「私の言ってることが嘘だとでも言うの」

「いえ、違います。私も車の運転はしますから分かりますけど、雨の日は視界も狭く前だけを見てるのが普通です。サイドミラーも見えにくいですし、横に至ってはほとんど何も見えてなかったでしょう」

「……」

「ですから、山田さんは、本当に泥水をかけたという意識はなかったという可能性が高いと思います」

「でも……」

それでも、まだ奥さんは不満げな表情をしとったが、ワシは構わず続けた。

「こんな場合は、まず相手にそのことを認めさせることが必要です。そのためには、式が終わった後にでも、穏やかに話を持って行くべきでした。『こんな雨の日ですから、気がつかれなかったのかも知れませんが、実は……』と切り出せば状況も変わっていたはずです」

「……」

「どちらにしても、このままでは収拾がつかなくなります。どうしても、争いたいというのであれば、どうぞお好きにして下さい。ワシは関係ありませんから、相手方にそれを伝えて手を引かせて頂きます」

本当は、山田という男から電話のあった時点でそう言うとけば良かったんやけど、この石川さんも大事な顧客には違いない。最後に確認して、収められるもんならそうしようと思うた。

「分かりました……、でも、謝ると言うても、今更、相手が応じるかどうか」

「その気があるのでしたら、ワシが段取りします」

ワシは、その場で相手の山田宅に電話を入れ、謝罪をしたいと伝えた。相手も俄には信じがたいという対応やったが、ワシは念のためその警察関係者の方も同席されては?と提案した。

それで、日時を決め、近所のファミリーレストランで話し合いをすることになった。

謝罪をするということで、話し合いはあっけなく終わった。大抵はそんなもんや。どちらか一方が謝れば、揉め事は簡単に決着がつくことの方が多い。

そこから、話し合いをスタートすれば、敵対していた関係でも驚くほど歩み寄ることがある。

あれほど、知らんと言うてた山田さんが、是非、クリーニング代を負担させて欲しいとまで言い出したからな。まあ、それが普通の人間や。

前回のトラブル解決は、結果的にカードになったが、今回は本当にくたびれ儲けや。そうそう、上手い話ばかりが世の中にあるわけやない。


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