メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第37回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2005.4.22
目次 ■拡張員列伝について
■拡張員列伝 その1 サラブレッドのマサ 前編
■拡張員列伝について
拡張員にはいろんな奴がおるというのは散々言うて来た。せやから、何を今更と思うやろうけど、ワシの記憶の中にも強烈な奴が何人かおって、その男たちから受けた影響も少なくない。
それを話すことが、ええことなのかどうかは、正直、ワシには分からん。しかし、男の生き様にはいろいろあるということを知って貰いたいという気持ちがあった。
特に、拡張員にまで流れて来る男たちには、それなりにドラマがある。何の理由もなしに流れて来る者はほとんどおらん。
この世界は、言い方は悪いかも知れんが世間の吹き溜まりや。しかし、そんな所でも男はおる。
これから、話すのは、そんな男たちの物語や。毎回というわけにもいかんが、たまにこういう話も挿入しようと思う。
ちょっとした小説のつもりで読んで貰えれば、それなりに面白いのやないかな。
■拡張員列伝 その1 サラブレッドのマサ 前編
その男は通称、サラブレッドのマサと呼ばれとった。
これは、育ちがええからとか、家系が有名やからということやない。このマサは、以前、地方競馬の騎手をしてた。
昔、八百長疑惑でその地方競馬界を追放された。本人は、濡れ衣を被せられ、嵌められたと言う。
もちろん、真実のほどはワシには良う分からん。本人がそう言うのやから、そういうことにしとく。どっちでもええことやけどな。
騎手はサラブレッドに乗るからということで、誰となくそう呼ばれとったというわけや。
マサは、競馬の騎手をしてたくらいやから小柄や。身長は160センチそこそこで、体重も60sはないやろと思う。現役時は常に50s±1sを維持せなあかんかったらしい。
もともと、騎手になるには体重制限があるから、どうしても、小柄やないとなるのも難しい。騎手イコール小柄というのは常識みたいなもんや。
競馬学校の「騎手課程」への受験資格は、20歳未満で中学卒業見込みとなっとるが、実際は、中学卒業後すぐの入学希望者がほとんどや。
体重は43s以内。視力は0.8以上。他には、色弱や難聴があったらあかんし、健康が絶対条件とされとる。
騎手になるのは、大抵は競馬関係者の子供で、小柄な子供と言うのが多い。当然、騎手の子供なんかも多い。
今をときめく天才騎手の武豊の父親も武邦彦という名騎手やった。才能の遺伝というDNAは確かにあるという気がする。
マサの父親も同じ地方競馬の騎手をしていたと言う。せやから、マサも子供の頃から騎手になるのが、当然やと思いそういう生活をしてた。
それが、31歳の時に、突然、その世界からはじき出された。その八百長疑惑は、当時、かなりな事件として報じられた。その地方では知らん者はないほどにな。
マサには、妻と3人の子供がおったのやが、半強制的に別れさせられた。その地方には、当然やけど、おられんから、追われるように他の土地に流れた。
また、競馬界というのは限られた世界やから、その道でマサのような人間が働ける所もない。
騎手に限らず、その道しか知らん人間は、急に他のことをしようにも何も出来んし、どうしてええのかも分からん。
俗に言う、つぶしが利かんというやつや。結局、仕事を転々として、拡張団に流れて来ることになった。
マサという男は根っからのワルというタイプの人間やなかった。しかし、気持ちのすさんだ所があって、些細なことで良う喧嘩をしてた。
もともと、マサは性格的に短気な所があった。このマサに限らず、騎手で短気な人間は多い。
テレビの勝利インタビューなんかやと、実直そうな好青年に見える男でも、勝負になると別人になる。
その証拠が知りたかったら、競馬場の第4コーナー辺りでレースを見てたら良う分かる。
「こらぁ、どかんかい!!ぼけぇ!!殺(い)てまうでぇ!!」
今にも噛みつきそうな形相の騎手の怒声が普通に飛び交うとる。大抵、勝負に勝つ奴は、この怒鳴り合いに勝った者や。
「今日は、前が開いたから、とてもラッキーでした」と、勝利インタビューで平然と実直そうな人間を演じとる騎手は多い。とても、同じ人間とは思えん者もいとる。
余談やが、騎手の中には、この怒鳴り合いに勝つために、その発声練習をしとる者までおるという噂や。
普通に怒鳴るくらいでは、大観衆のどよめきや仲間の騎手たちの怒声、馬の蹄の音にかき消されて、何を言うてるのかも分からんからな。
どんな勝負事でもそうやが、気の弱い人間には務まらん。勝負は勝たな意味がない。「参加することに意義がある」ちゅうなことを考えとる奴は、勝負には勝てんし、向かん。
素人なら、まだそれでも許される。スポーツやゲームの感覚でもええやろ。しかし、めしを食うとるプロはそれではあかん。勝たなめしは食えん。特に騎手は、勝ち鞍の賞金だけが頼りや。
勝負の世界は勝つ者しか評価はされん。人間的な評価はその後や。その辺だけは、ワシら拡張員にも似たようなことが言える。
気迫の違いが大半の勝負を決する。騎手の実力には、この気の強さも含まれる。マサは小柄で一見、やさ男風に見えるから、何も知らん人間からは、つい甘く見られがちになる。
マサは、団に入った初日に大喧嘩をした。
その当時の団というのは、例の京都の鬼○団や。業界でも、荒くれの多い団と言われとった所や。
他団の拡張員も、この鬼○団と同じバンクに入店するのを嫌がる。鬼○団が入店するというのが分かるとその日は仕事もせんと引き上げる団も多かった。
その当時は今と違うて、拡張員と言えば気の荒い極道じみた人間という風評があった。特に、京都でのそれは最悪と言うてもええくらいや。
その中で、他団に毛嫌いされてたんやから、どんなもんか想像出来るやろ。と言うても、その中におれば、それほどのことはないんやけどな。
秋田という男がおった。団でもまだ下っ端の奴や。中途半端な入れ墨を肩から二の腕にかけて入れとるチンピラみたいな男や。この手の人間は、ワシも嫌ちゅうほど見て来た。
とにかく、吹くことの好きな奴や。どこそこの組と知り合いやとか、極道に顔が利くとか言うて、吹聴する。そのほとんどが、ただのはったりなのは見え見えやけどな。
ワシが一番、相手をしたない奴や。もっとも、そんな連中も、ワシにはそんなことは言わんがな。
ちょっとした規模の拡張団には、良う見られることやが、とかく派閥のようなものを作って群れたがる人間が多い。新人は大抵、どこかの派閥に取り込まれる。
秋田は、松下という班長の派閥に属していた。下っ端は、自分の地位を上げようと思うたら、自分以下の人間を作るしかない。秋田も、それに習って、マサが入団したその日に、自分の派閥に取り込もうとした。
「おう、ワレ、この世界でめし食て行こう思うたら、先輩には、ちゃんと挨拶せなあかんで」
秋田は、マサにいきなり高圧的な態度に出た。もちろん、秋田の言うようなルールはこの世界にはない。
これが、秋田のやり方なのやろ。もっとも、マサを甘く見とったということもあるのやろうがな。
「ほうけぇ、どげな挨拶したらええんじゃ。教えてつかぁさいや」
マサは広島訛で、挑戦的にそう応じた。
「何や、ワレ、その口の利き方は!!この田舎者のチビが……」
秋田が最後まで言い終わらんうちに、いきなりマサのパンチが顔面に炸裂した。同時に蹴りが股間に入った。顔面を両手で押さえとった秋田が思わず前のめりになる。
そこを、すかさず髪を掴んで膝蹴りを脇腹に入れて、秋田を転がした。秋田が、悲鳴とも嗚咽とも言えん唸り声を上げて、のたうち回っとる。
一瞬の出来事や。鮮やかなほど疾い。相当な場数も踏んどる喧嘩の仕方や。
その場が、騒然となった。喧嘩の起きたその場所は、寮の食堂兼居間やった。居間にはテレビやマンガがおいてある。
拡張員は夜が遅い。仕事が終わって寮に帰るのが、早くても夜の10時頃になる。
その事件が起きたのは夜の11時頃やった。その場には、ワシを含めて5,6人いとった。突然のことに、遠巻きにしとるだけや。
「か、か、か……」
秋田は「かんにんや」て言おうと思うてるのやが、苦痛と鼻血で、それが満足に言えんようやった。泣きが入っとるのは分かった。
それでも、マサは攻撃の手を緩めることなく、転がっとる秋田に蹴りを入れながら、パイプ椅子を振り上げた。それを、振り下ろそうとした瞬間、それが止まった。
ワシが、マサの腕を掴んで止めた。
「もうええ、勝負はついた。止めとけ」
一瞬、マサは恐ろしい形相でワシを睨んだが、黙って掴んでたパイプ椅子をゆっくりと下に降ろした。
ワシは基本的に人の喧嘩は止めん。好きなようにやったらええと思う。せやけど、この時は、止めとかんと、このマサという男は、秋田を殺しかねん勢いやったからな。
こういう、男ばかりの世界には、こんなことは良うある。拡張員同士が喧嘩するというのも、ここではそう珍しいことやない。大抵は、表沙汰にはならんけどな。
しかし、それでも、殺す所まで行ったらあかん。大怪我させても問題になる。普通は、一方に泣きが入ったら終わりや。
せやけど、このマサはそんなことは構わず続けた。それで、仕方なく、ワシは止めただけのことや。
その騒ぎを聞きつけて、寮の他の部屋から人間が集まって来た。その中に、秋田のボスの松下がおった。
この松下というのは、元自衛隊員で戦車乗りやったと常々自慢しとる奴やった。それが何の自慢になるのかは知らんがな。
「こ、このガキがいきなり……」
秋田は、松下の姿を確認すると、すがるようにそう訴えた。顔面が鼻血で血まみれになっとるから、その訴えは哀れさも手伝ってそれなりに効果的やった。
「何やと!!どういうわけや、オノレは……」
もちろん、相手のマサから事情を聞くという優しい態度やない。自分の子分をよくも可愛がってくれたなという威圧がある。返答次第では、許さんでというやつや。
「秋田が、先にちょっかいをかけて、その男にどつかれて、泣きが入ったからワシが止めた。それだけのことですわ」
ワシがそう言うた。これ以上、騒ぎを大きくしてもつまらんと思うたからや。
見ればマサはマサですぐに松下を迎え打つ臨戦態勢に入っとるし、松下も立場上、このまま黙って済ますわけにもいかん。
「ゲン……さんか。あんた、このガキの何や」
「別に、何やと言われても、たまたま、ここにおっただけや……。この男はまだ、新人やし、今日の所はこの辺で目つぶって貰われまへんか」
ワシはこの時、この団に来て1年ほど経っとった。成績もトップクラスで団長からも目をかけられとったから、班長の松下と言えども、ワシの言うことを無視出来んかったやろと思う。
拡張員は成績がすべてということがある。言いたいことを言おうと思うたら、成績を上げるのが一番確かや。大抵のことは言えるし、聞いて貰える。
この場合、松下が面子に拘りすぎればワシと揉めることになるかも知れん。ワシは別に構わんけど、困るのはこの松下の方や。
この時、団長ですらワシには気を遣うてたからな。普通、拡張員は借金で縛るもんと相場が決まっとったが、ワシにはその借金もない。
班長をやらんかという話もあったが、ここではその気はなかった。人に仕事を教えるということも苦手やったし、ここの連中の頭に立ってもろくなことはないと思うてたから、それは丁重に断っとった。
せやから、ワシに対しては団長も扱いにくかったんやろと思う。因みに班長という立場になれば、絶対服従が条件のようになるから、今のように気楽にやれんと思うたということもあるがな。
「ワシはええけど、秋田はどないなる。鼻血まで流しとるんやで……」
松下も班長と言う立場もあり、何とか格好もつけなあかんと思うてるのは良う分かる。一応、部下の秋田を庇うとかんとあかん。
「この男には、ワシが後で良う言い聞かせますんで、頼んますわ」
ワシは頭を下げた。ワシが頭を下げるというのは、この団ではそれなりに重みのあることやと認識されとったから、松下もそれ以上は突っ込んかった。
「ゲンさんが、そこまで言うんならしゃあないな。秋田はどないやねん?」
「班長に任せます……」
この場合、秋田もそう言わなしゃあなかったんやろと思う。
「分かった。ゲンさん、その男はあんたに任す。このことは、ワシからオヤジ(団長)に良う言うとくから……」
「えろう、すんまへんな。良ろしゅう頼んます」
それで、その場は収まった。しかし、それが、単なる始まりやったというのはもう少し後になって分かった。
「あんさんには、きがねなこと(申し訳ないこと)ですまんかったですのぉ」
マサは意外にも殊勝にそう言うた。いらんお世話やとでも言うのかと思うたけどな。
「そんなことは気にせんでもええ。せやけど、あんたは手が早いな」
「良うそない言われます。短気な性格は生まれつきじゃけぇどうもならんのですわ」
マサとワシはすぐにうち解けた。マサは自分のことをいろいろと話出した。それで、騎手やということも知った。その生い立ちもや。
人間、どんな乱暴者に見えても話せばそれほどでもないということは多い。ただ、こういうマサのような男は、取っつきにくいということもあって誤解されやすい。
問題は、最初の話し方、応対次第で、こういう男は両極端な性格を見せる場合が多いということや。
秋田のような物言いの人間には、その瞬間から敵対心を剥き出しにするが、ワシのように、どちらかと言うと穏やかに見える男に対しては、気のええ面を見せる。
この事件が、ワシとマサが知り合うきっかけとなったが、同時に、そのことで更なるトラブルが引き起こされることになる。その渦中に、例によってワシは巻き込まれることになるんやけどな。
後編へ続く