メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第39回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2005.5. 6


■JR福知山線列車事故について


ご存じのように先月の4月25日、JR福知山線で未曾有の列車事故があった。ワシの生まれは大阪で、あの辺りのことも良う知っとるし、その路線の列車にも何度も乗ったことがある。

せやから、その事故を知った時の衝撃も大きかった。事故の凄まじさに、何でやという強い思いがする。今日現在、107人もの人が亡くなられとる。痛ましいと言うしかない。

このメルマガでは過去に、台風、地震、津波に関係した話を取り上げたが、それらは自然という人智を超えた力が働いたということで、それに対抗するのは人の力では難しかったと思う。

それぞれで人の責任は皆無やなかったケースもあるやろが、それでも、ある意味、やむを得んことやと思う。

しかし、この事故は違う。100パーセントに近い割合で人間が関係して引き起こされたもんや。言わば人災や。

このことに触れるには、どうしても批判的な意見になってしまう。ワシもハカセも出来れば、そういう批判的な意見は控えたいと常に思うてる。特にワシは人を批判出来るほど立派な人間やないからな。

それでも、今回、このことを取り上げることにしたのは、このメルマガの読者から寄せられたメールがあったからや。

この人は電車の元運転士をされていたという方や。事故の報道はどうしても起こした側がその責任を追及される。ワシも実際、そう思う立場の人間や。

せやけど、サイトで良う言うてる一方からの見方だけではその真実は分からんということも真理や。

それが、分かった上で、事の是非は各自が判断したらええと思う。そういう意味もあり、ここで取り上げることにした。

ワシが良うどんなに悪いことでも考えようによってはプラスになると言うてるが、それは、生きていたらの話や。死んだらええも悪いもない。言いたいことがあっても文句も言えん。

それも、その犠牲者に何の落ち度もなく、それを回避する術さえない状況で死ななあかんかったというのは、それこそ死んでも死に切れんやろと思う。

電車の事故を想像する人間はいとるかも知れんが、まさか、これほどの犠牲者が出るとは誰も夢にも思わんかったやろ。電車に乗って死ぬかも知れんて考える人間なんか皆無やったはずや。

これが、飛行機なら、乗る人間も事故の確率は低いが起きたら死ぬということは想像出来るし承知しとるはずや。

変な言い方やが、ある意味、乗るということでそういうこともあると覚悟も納得も出来ると思う。

船も似たようなところがある。自動車に至っては交通事故死は年間、1万人もおる。その中で、一番、安全で確実な乗り物がこの電車やと思うてた。

しかも、時間通りに来るし、渋滞もないから都市部では目的地に速く着く。せやから、ワシも安全に確実で早く行きたければ電車で行けと人に良う言うてた。

しかし、それは、何の根拠もない妄想に近いものやったのかも知れん。少なくとも、これからは、安全やから電車に乗れとは人には言えんやろ。

元運転士やったというこの人のメールの文面を見て愕然とした。これは、あくまでもワシの印象でしかないかも知れんが、やはり安全やと思うてたのは妄想やと言う気がした。

この人の話からすると、事故は起こるべくして起きた。それが、いつ起きるかだけのことやったらしいということがうかがわれた。

こんな時に不謹慎な例えやが、頭に拳銃を押し当てたロシアンルーレットのような状況やったんやという気がする。もちろん、この人がそんなことを言うたわけやない。ワシが勝手にそう感じたことや。

そのメールの一部を抜粋して紹介する。


はじめまして、ゲンさん。いつも楽しくHPやメルマガを拝見させて戴いてます。

以前私は、JRの運転士をしていました。ゲンさんも先刻ご存知のようにJR福知山線で大変な事故がありました。

事故の責任は運転士の手前の駅でのオーバーラン(私たちの頃は『停止位置誤り』と言っていました)による遅れを取り戻すために焦った結果だったという見方が大勢のようです。

管理体制にも問題があったということで、警察も運転士(故人)と日勤教育の指導者を中心にJR側に対して刑事告発も視野に入れていると報道されています。

なぜ、こんな話をゲンさんにお話するのかと言うことを説明します。実はこの事故のことについて、ある新聞社から取材の申し込みが私にありました。

しかし、私はその申し入れをお断りしました。報道の多くはその運転士のミスとその背景に関してのものばかりです。その中で、その取材に応じて私が喋ればおそらくその裏付けとなる材料だけが取り上げられると思ったからです。

私も正直に言って事故は、その運転手の操作ミスが原因だろうと思います。しかし、同じ運転士として彼だけを責めることは私にはできません。

私には彼も事故の犠牲者としか思えないのです。そのことを思うと、彼を弁護する意見がどこかにあってもいいと思います。

ゲンさんが良く言っておられる一方からの見方だけでは真実は分からないというのは、こういうことなのではないでしょうか。

そう思うと口を閉ざすことに耐えられなくなり、ゲンさんにお話することにしたのです。しかし、報道関係者の人に話すのははばかられます。私の真意は伝わらないような気がするからです。

ゲンさんならわかって戴けると思い、思い切ってメールしました。ご迷惑かも知れませんがしばらく聞いてください。

運転士にとって時間を守るということは絶対的なものです。「時は責任なり」ということを運転士は徹底的に叩き込まれます。

それは、私たちには常識となっている「電車10秒汽車15秒」という格言にも込められています。これは時刻表との差です。

つまり、電車は速く汽車は遅いという例えでもありますが、それでもその遅れはそれが限界だという意味になります。

列車ダイヤへの正確さへのこだわりは普通の人の理解を超えているかも知れません。私もそのことが分かったのは運転士を辞めてからです。

運転士には大型懐中時計が貸与されます。その時計の狂いは絶対に許されません。標準時に30秒でも誤差があったら不適格の烙印を押され懲罰ものです。

乗務点呼はこの時計の検査でもあります。ですから、運転士は常に標準時の時間と時計を確認していなければなりません。時計自体に狂いがあったという言い訳はできません。

運転士には時間が絶対のものです。鉄道関係者、すべてがそうだと言っても過言ではありません。

運転士にとって、その時間の制約が重い負担ではありますが、同時に誇りでもあるのです。

世界一正確な「鉄道日本」という誇りです。それを支えているのがその時間の制約に他なりません。

しかし、電車の遅れは運転手だけの責任ではありません。さまざまな要因があります。特に朝夕のラッシュ時はその乗降時間も時間通りに行く方が奇跡だと言えます。

一駅の数秒の遅れが駅を追う毎に増えていきます。事故当日も30秒遅れで事故直前の伊丹駅に到着しています。

運転士から言わせてもらえばこれは不可抗力にすぎないのですが、その責任はやはり運転士が問われることになります。

なぜなら、運転士は回復運転を余儀なくさせられるからです。回復運転というのは乗務する電車に遅れが出たらそれを取り戻す運転をするということです。

方法は一つしかありません。スピードアップです。ほとんどの運転士はその担当路線のどこでその回復運転をすればいいのか熟知しています。

今回の事故で言えば、あの事故現場直前がその場所ということになります。日常的にそこで回復運転のためのスピードアップが計られていたと思います。

そのことも今回の運転士は知っていたはずです。日頃の運転でも同じようにしていたでしょう。

ただ、直前のオーバーランにより1分余分な時間が加わり、合計1分30秒の遅れが出たというのは運転士とっては致命的です。

報道にもある通りそれで焦ったという見方は、おそらくそうだと思います。しかも、この運転士は前歴もあるということですから懲罰は免れないとおもったのでしょう。

運転士にとっての懲罰というのは、報道で言われている「日勤教育」そのものがそうです。教育という名こそついていますが、とても教育と呼べるものではありません。

(この間、この人はかなり赤裸々にその状況を説明されとるが、ここではその全文の掲載は控えたいと思う。見る人が読めば、この人が誰であるか特定される畏れがある。この人の匿名性を条件にメルマガの掲載を承諾して頂いとるので、その辺はご理解願いたい)

この日勤教育の凄まじさはこれで分かって貰えたと思いますが、それに耐え切れず自殺者まで出ています。

私もそうでしたが、運転士すべてがやはりこの日勤教育に恐怖心を持っています。そういう恐怖心が背景にあったのでは同じことがまた、繰り返されると思います。

こういう懲罰的な日勤教育というものは止めて欲しいというのが、私の切なる願いです。

それにしてもいくら精神的に追いつめられたとは言え、この運転士の行った回復運転は運転士なら誰でもが同じような場所で行っていたものです。

私も同じ運転士という立場でそのときの状況を想像しても、まさかという思いだったのではないかと思います。

しかし、どんな事情があろうとも人命が犠牲になることは許されることではありません。

今回のこの事故は、教訓というおざなりの言葉で片づけてほしくないと思います。徹底した解明と追求がなければ改善もあり得ないと思います。

それができなければ同じことがまた繰り返されるでしょう。現実に今日も電車は日本中で走っていますし、これからも走り続けるのですから……。


これは、かなり衝撃的な話やった。現場の経験者ならではの見方やというのが分かる。

たまたまやったんやが、いつも、サイトやメルマガに意見を寄せて頂いてる読者から、他の内容について意見を寄せられたメールがあった。

その中に『1年半ほどJRで朝のラッシュ対策員の仕事をしていたのでJRの事故にはひときわ関心があります』というのがあったので、早速、その時のことを教えてくれるようにとお願いした。

届いたメールを見て、先の元運転士の方の言葉を裏付けるものやと言うことが良く分かった。そのメールを紹介する。


うちの駅は規模こそ小さいものの乗り換え駅兼オフィス街なため、平日の朝は乗降客がかなり多いです。

そのため、電車が遅れたりするとホームが人であふれかえって通ることもままならないことがかなりの頻度でありました。

電車が遅れる理由は、乗降するのに時間がかかって出発が遅れるのが一番の理由ですが、人身事故や線路内に物をおとしたとか人が落ちた、痴漢が出た、スリがでた、喧嘩が起きてる、急病人がでたなどです。

この仕事を始めて思ったのは、TVでやってる「○○駅24時」でおこっていることが目の前で、現実の世界で起きていることだと実感できたことです。

特に、痴漢は夏場、うちのような規模の大きくない駅でさえ週に1回ぐらいは騒ぎになりました。

もちろん、仕事は朝のラッシュ時2時間程度だけなので、トータルで見たらもっと多いかもしれません。

安全面では、雨の日が一番危険です。傘がドアに挟まっても、小さすぎて挟まってないと機械が認知して下手するとそのまま発車してしまうからです。

よく、ベビーカーを押してかけこみ乗車する母親で、ベビーカーのフレームのみドアに挟まってセンサーが感知できずそのまま引きずられてしまう事件がありますがそれと似た原理です。

傘の場合水平に出たまま発車すると次の駅でその傘に人が接触する危険があるので、それがないか確認するのも僕らの仕事でした。

何十メートルもある車両のドアを全部車掌さんが確認するのは大変なので。そういう意味では誰もいない昼間のホームよりもラッシュでも駅員のたくさんいる朝のほうが安全なのかもしれません。人間の目による確認が出来ます。

また、電車が遅れている際、お客さんに現在の状況を知らせるための業界用語がありまして、ホームのあるところに小さな電光掲示板にその業界用語と時間がでるようになってます。

それを見て業務放送を流して、各自が、もし、お客さんに聞かれたらどの程度遅れているのかを案内できるようにしてました。

もちろん正確なものではありませんがある程度のイライラの解消や別の交通手段の選択判断の参考にはなっていたと思います。やはり、駅員が何も知らないのはどういうことだ?という問題にもなりますので。


実際の現場では、やはり日常的に遅れる要因というのがあるわけや。その不可抗力とも思える遅れでさえ許されんというのは、ワシには理解出来ん。

ワシなら「遅れたもんしゃあないやんけ」で済ますと思う。まあ、そんなことを言えば、一発で馘首やろうがな。

ただ、それも徹底した洗脳教育とも言える時間厳守の考えに慣らされた状態でも、果たして同じことが言えるのかというと自信はないけどな。

この事故に秘められた問題の根は、かなり深いと思う。表面的に誰かが責任を取って責めを負えばええというもんでもないやろ。

この事故を引き起こした側の関係者、特に会社はそうしたいやろうがな。そして、いつかは忘れさられることを願うように思われてしゃあない。

本当の意味での責任意識があるとは、報道を見ていても感じられんのはワシだけやないと思う。

置き石発言。現場逃避の運転士。ボーリング大会の強行。心ない遺族への対応等々。それらを一々説明せんでも読者はそのことは先刻ご存知で、ワシ以上の憤りを持って見られとることやと思う。

鉄道関係者、取り分けJRの関係者の方々に敢えて言うが、今、現在、あんたらは人として試されとるんやということを知って欲しいと思う。

組織や保身に奔走しとるようやとそれまでや。人として何が一番大切なのかを考える時やないやろか。

ワシは確かにしがない拡張員や。その拡張員風情が何を偉そうにと思うかも知れんが、ワシはその拡張員である前に、一人の人間やと常に思うてる。

ええ格好に聞こえるかも知れんが、一旦事が目前で起これば、人としての判断に誤ることはないという自信はある。そうして来た自負もある。人として何が大切かを知っとれば誰にも出来ることや。それほど難しいことでもない。

人の値打ちは正にその瞬間で何を考え行動するかで決まるものやと思う。その一瞬のために常にどうあるべきか考えるのが、本当の人間やと思う。

例えば、今回で言えば、その事故が起きたときに、真っ先に乗客の救助に尽力されたという周辺住民の方々がそうや。

この人達の行動は理屈や打算やない。瞬間的な判断や。言うとくが、ただ救助というてもこういう場合は当然やけど普通やない。ある意味、修羅場や。

手足をなくした人や内蔵の飛び出した人もおる。助ける側も血まみれや。報道も出来ん世界がそこにある。

しかし、人間は使命感に燃えるとその凄惨な場所でも驚くほどの行動が出来るもんや。もっとも、それには、その現場に飛び込める人間でないとあかんと思うけどな。

これでも、分かる通り、人は何か事が起きれば、実に様々な行動をとることがある。それが醜悪と思われる人間もおれば、賞賛される人もおる。

突き詰めれば、人間には「ええ者もええ加減な者もおる」ということになるのかも知れんがな。

最後にもう一言だけ。この時間厳守の考えは日本人の美徳の一つでもあると同時に余裕のなさの現れやとも思う。

JRがここまで時間にこだわる理由の一つには、それを利用する人間の考えや姿勢も少なからず影響しとるやろ。僅かな遅れがあると、そういうクレームを声高に言う人間がおる。時間通りに来るのが当然やと考えとるわけや。

そのおかげで遅刻したらどう責任をとってくれるんやと詰め寄る人間もおると聞く。こういう人間はどうにもならん。僅かな遅れでどうにかなるような行動はするなと言いたい。もっと余裕をもって出かけたらええだけのことや。

例え10分でも早起きして出かければ、そんなことに一々クレームをつけることもないやろ。実際、そうしとる人も多いはずや。

しかし、ワシら拡張員や新聞販売店もそうやけど、クレーム客の声しか届かんということがある。

場合によれば、それがすべてと錯覚し、それをなくすために無理を重ねるということもある。それは、どんな職場でも言えることやと思う。

今回の事故の背景はそこまで考えな解決出来んと思う。ワシが根が深いと言うたのもそういう所にある。

時間をとるか安全をとるかということや。大抵は安全やと答えると思うが、しかし、そう答える人間でも、ちょっとでも速くと考えとるということがある。

何でもそうやが、人間、余裕をなくしたらろくなことはない。特にワシら日本人はな。これを教訓とするなら、そのことを各自で考える必要があるのと違うかな。

今回、亡くなられた107名の方々のご冥福を心よりお祈りしたいと思う。107名の人生の重みは決して軽いもんやない。このことはおそらく、ワシが生き続ける限り忘れることはないやろと思う。


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