メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第44回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2005.6.10


■その名は、カポネ


人は見かけによらず。

言い古された言葉やけど、それは真実や。ワシらは、営業で、どうしても人と接する機会が多いから特にそう感じる。営業で知り合うのは、ほとんど相手は客ということになるのやが、中にはその付き合いが深まって友人になる場合もある。

これから話す、ワシがカポネと呼んどる男も、そんな友人の一人や。

この男と最初に会うたのは3年ほど前やった。

あるバンク内(主に販売店の営業エリアのこと)の商店街の外れに、平屋造りの小さな店が軒を連ねとる飲み屋街がある。

夕方の6時頃、ワシはそこで勧誘しとった。こういう所を廻るのは、このくらいの時間帯が丁度ええ。出入りの酒屋やおしぼり屋もこのくらいの時間に来る。早いと店には誰もおらんし、遅いと客が来る。

こういう店では、客がおると勧誘はしにくい。喫茶店とは、その点が違う。また、一杯300円程度のコーヒーを飲むようなわけにもいかんから、客を装うて行くというのも難しい。

単に金額が高く嵩むだけやなく、何も知らんと行けば、ぼったくられる所もあるからな。せやから、開店前が一番ええわけや。ワシはこの辺りへは何度も足を運んどるから、大抵の店は知っとる。客もおるしな。

ただ、こういう水商売というのは、経営者が良う替わる。来る度にどこかの店が店主交代か、新規オープンしとるというのは、そう珍しいことやない。

主な狙いは、そういう所になる。こういう水商売の店は、客のために新聞を購読することは少ない。大抵は、店の者が見るためや。

せやから、喫茶店なんかと違うて数紙の新聞を購読契約しとる所はあまりない。ほとんどは、普通紙とスポーツ紙の二種類くらいや。

但し、販売店によりけりやけど、こういう所の契約は嫌がる場合がある。どうしても、契約を取る場合は、その経営者の自宅の住所で契約を貰うてくれと言う。もちろん、配達はその店でもええ。その理由は言うまでもないが、客がその店を廃業した場合の保険や。

こういう所は、契約を取る際の制約が多い上に、客も積極的やない。勧誘員がその店の客にでもなるというのなら考える所は多いやろけど、それではワシらとしては割に会わん。

1本の契約料では飲み代にもならんということがある。しかも、相手が客ならその飲み代が高いと言うて文句も言いにくいからな。

せやから、こういう場所には、よほど場慣れしとる勧誘員やないと足を運ばんということがある。逆に言えば、拡張員にとって、穴場にもなるんやがな。

店の経営者が替わったというのはすぐ分かる。大抵は、その名前が変わるからな。以前、来た時と違えば、そこは新しい経営者ということになる。

それ以外では、見分けるのは外からでは難しい。この辺りは古い歓楽街やから、店も皆、古い。内装はそれなりに凝った造りの店はあるが、外はそれほどでもない。

もっとも、こういう店は、ほとんどが賃貸やから、廃業する時は原状復帰が原則ということになり、外部はさわりにくいということもあるがな。

開店して間もないというのなら、花輪なんかで店先がにぎやかな場合もあるけど、しばらくしたらそれもなくなる。

ワシが、その店に入ったのは、やはり、名前が変わっていたからや。

「まだ、準備中ですよ」

言葉使いは丁寧やが、何の用やという感じの響きや。大抵の営業マンは、その声の主を見たら「あっ、そうですか。また来ます」とでも言うてすぐ退散するやろと思う。

声の主はそんな男やった。大柄でスキンヘッドのいかつい雰囲気がある。ちらりと、こちらを向く視線は威圧感、十分や。一見して、筋者と見えんこともない。

せやけど、この男は違う。ワシもそういう連中は良う知っとるからすぐ分かる。筋者というか極道には特殊な臭いがする。雰囲気やな。

しかし、この男は、それと違う。と言うても、ただの素人にも見えん。ある意味、極道よりも危険なものを秘めとる。そう思わせるオーラのようなものを感じさせる。

もちろん、それだけで何者か分かるはずもない。分かっとるのは、この店の新しいオーナーやろうということくらいや。

ただ、ワシは、自分で言うのも何やが、相手がどんな人間でも物怖じせん所がある。特別、度胸が据わっとるというのでもない。

ただ、鈍感なだけと、人一倍、好奇心が旺盛なだけや。怖いもの見たさ、知りたさというやつやと思う。せやから、逃げ帰る気はなかった。

「いえ、客ではありません。確か、ここは、山本さんのお店では?」

以前のオーナーの名前や。辞めたことはすぐ分かるから、半分はとぼけてそう言う。

「さあ、私は先月から、この店を始めたばかりですんで、その前の方は知りませんがね……。ご用件は?」

「実は、新聞の勧誘をしている者なんですけど……、そうですか……。山本さんは、お店を辞められたんですか……。ところで、ご主人は、新聞の方は?」

「新聞の勧誘屋さんか……。今はまだ余裕がなくてね……そのうち、考えときますわ」

この考えとくというのは、商売人が良う言う、やんわりとした断り文句や。この男の場合は、これ以上、用がないなら帰ってくれというニュアンスに受け取れんこともない。お世辞にも、愛想がええと言えるような言葉の響きやないからな。

「変わったお店ですね」

本当は、こういう場合は、店を褒めるなり、その人間をよいしょするなりして取り入ることから初めて、会話をつなぐ営業がええのやが、この男にそれは通じそうもない。

おそらく、取って付けたような、歯の浮くお世辞は嫌がるタイプやと思う。当たり前やが、営業は相手を瞬時に見て判断した上で、そのやり方を変えなあかん。

このタイプの人間には、思うことをそのままぶつけた方がええと考えた。それに、変わった店やと感じたのも事実やからな。

店は、5,6坪ほどで小さい。カウンター席しかなく、椅子は8席あるが、詰めて座るには狭くて窮屈そうや。5,6人も入れば満員ちゅう感じやないかと思う。

これは、狙いやと思うのやが、内装は、古い西部劇に出て来そうな雰囲気の造りにしとる。全体が古ぼけた感じや。何も知らずここに入ると何年も内装も変えずに営業しとると思うやろな。

店内にカラオケ設備というものがない。今日びのスナックはどこでもカラオケくらいは置いている。

こういう飲み屋街は、その時間になると、そのカラオケで唄う客の声が表に響く。それで、中に客がいとるかどうかが分かる。静かな所は客がおらんと思うてまず間違いない。

「カラオケは?」

「うちは、酒を飲む所で、唄う場所じゃないから……」

なるほど、正論や。ワシもこのカラオケというのが苦手や。唄う方もそうやが、聞く方もや。歌は好きな歌手の曲を、聞きたくなる雰囲気の時に聞くからええのやと思う。

何ぼ上手い人間が唄うていようと、所詮、素人や。自分の好みに合わん歌を半強制的に聞かされるのはかなわん。それが聞くに堪えん下手くそやと、これはもう拷問に等しい。

まして、そういう場所では、愛想にでも拍手の一つもせんと、常識を疑われるということがある。ワシも、営業員の端くれやから、やはり、その拍手もする。何のために飲みに行っとるのか分からん。

「同感ですね」

ワシも酒は嫌いやない。良く飲みにも行く。しかし、大抵は一人でや。連んで行くと必ずこのカラオケということになり、うっとうしいからな。

拡張員も酒好きは多いから、誘われることも多いが、よほどでないと仲間内では飲まん。これは、カラオケということだけやなし、くだらん与太話も加わるからや。ろくな話がない。

ワシは、普段、営業で喋り続けとるから、こういう時は、一人で黙って静かに飲みたいというのもあるしな。

そういう店を探す。客の少ない店や。しかし、客の少ない店はそれなりの理由がある。愛想が悪い。料金が高い。美人の若い娘がおらん云々……などいろいろや。

結果、そういう所は、つぶれることも多い。せやから、決まって通う店というものがなかった。

「いろんな、酒を置いているんですね。全部、洋酒のようですけど」

「世界各国のウイスキーを置いてます。と言うても、まだ200種類ほどしかありませんけどね」

自慢しとるのか、謙遜しとるの良う分からん言い方や。大抵は自慢やろと思うから「へぇー、そんなにあるんですか」と言うとく。

なるほど、洋酒棚には、あまり見たこともない酒がずらりと並んどる。

「ワシは、酒のことはあまり知りまへんけど、高いんでっしゃろな」

そのものの評価や価値をすぐ金銭に換算する癖のある者が多い。ワシも、それがくだらんことやとは知っとるつもりやが、どうしても、つい、そういう質問になる。

「今は、それほどでもありませんよ。特に、ウイスキー関連はね。私の場合はアメリカの友人から送ってもらっているから、特に安く手に入りますけどね」

その男が、アメリカの友人に送って貰うのは、主にバーボンウイスキーやと言う。アメリカと言えば酒はバーボンウイスキーというくらいポピュラーなもんや。

以前は、人気も高く、日本への入荷も安くはなかった。しかし、今は、アメリカは空前とも呼べるほどの健康ブームらしい。

その煽りを受けて、アルコール度数の高いバーボンウイスキーは、敬遠され売れ行きが悪く、だぶつき気味やと言うことや。現在では、ワインやカクテルがその地位を奪っとるという話や。

せやから、バーボンウイスキー自体が市場に出回り辛くなっとるということで、長期熟成された旨いものが多いらしい。それが、安く手に入る。

一口にバーボンウイスキーと言うても、良う知らん読者もおられるかも知れんから、簡単に説明しとく。もっとも、それも、この男の受け売りやけどな。

バーボンウイスキーを名乗るのには、条件が必要になる。

バーボンウイスキーは、ケンタッキー州のバーボン郡にその起源があることで、そう呼ばれとる。昔は、そこで作られるもののみに許された呼び名やった。

しかし、現在はアメリカの法律によって、一定の条件さえ満たしとれば、アメリカ国内のどこで作られようとバーボンウイスキーを名乗ることが出来る。

その条件とは、原料のトウモロコシの使用量が51%以上あること。連続式蒸留器というのを使って蒸留したもので、アルコール度数が40%〜80%の範囲のもの。ホワイトオーク製の内側を焦がした酒樽の中で、2年以上の熟成貯
蔵されたもの。ということや。

この条件、製法で作られたものを、ストレートバーボン、あるいはストレートウイスキーと言う。ストレートでないものは、ブレンドや。

この場合のブレンドというのは、バーボンウイスキー以外のウイスキーを混入したものか、中性アルコールやジュースを混ぜたものがある。いずれも、バーボンの名前を冠するには、51%以上のストレートバーボンが入ってなあかん。

この男は、よほど酒の話が好きなのか、説明に熱を帯びとる。ワシもこういう話は嫌いやないから、耳を傾ける。

余談やが、こういう話は覚えとって損はない。客とのトークで話せば話題も広がるから、結構、役立つ。ワシが、普通の人間より、ちょっとだけ物を知ってるとすれば、こういう人間との会話を大事にするからやと思う。

ワシはこの男も、店も気に入った。ただ、難を言うと女気がないことくらいやが、それも、またええかも知れん。それから、ちょくちょく、一人でこの店に来るようになった。

ワシは、この店主にカポネと命名した。大した理由からやない。このカポネは、アメリカのシカゴ帰りやと言う。シカゴと言えば、アル・カポネくらいしか思い浮かばんかっただけのことやからな。

風貌も何となくそれらしいしな。せやけど、アメリカの禁酒法時代のギャングのボスで、その酒の密売をしとったという人間の名前を、飲み屋の店主のニックネームにするというのも、皮肉めいとるかも知れんけどな。

「カポネのマスター」ワシがそう呼ぶことで、いつの間にかそれが通り名になった。本人もそれを嫌がっとる風もない。

カポネは、そのシカゴでアルバイトのバーテンダーをしていたらしい。それで、覚えたというだけあって、ちょっとした仕草が様になっとる。カクテルのシェイカーを振るのは、日本のバーテンダーにも上手い人間は多い。

このカポネは、ただそれだけやなく、何気なくボトルを持つ手つきやら、グラスを差し出す仕草に粋な感じがする。ハリウッド映画で出てくるバーテンダーの雰囲気や。

アルバイトというからには、本職があったはずやが、それは未だに教えてくれん。それを聞くと、いつも上手くはぐらかされてしまう。

想像は出来るが、どうしてもええ方のことは思い浮かばん。ギャング組織かなんかに入っとって、人の何人かは殺しとるのと違うやろかという想像や。

冗談で、他の客にそう言うたら、その客も妙に納得しとった。それは、十分、考えられる話やとな。

もっとも、人にはある程度、秘密があるから魅力的なのかも知れんがな。ワシも自分のことは、必要以上には人に話たないから、その気持ちは良う分かる。

せやから、ワシが人の過去を聞くというのも、半分、愛想というか営業マンとしての習性みたいなもんや。どうしても、それが知りたいと言うのとは違う。

しかし、このカポネは付き合ってみると、その外見からは想像も出来んくらい、雄弁で博識な男やということに気付く。特に、商売の酒に関しては詳しい。

プロやから、当たり前と言えば当たり前かも知れんが、日本のスナック経営者で、このカポネほど酒についてのうんちくを語れる者を、ワシは知らん。

どの酒を客に飲ませたら、より儲かるかということの詳しい者は多いがな。もちろん、別にそれが悪いということやない。どんな商売をしようとそれは自由やからな。

ただ、そういう人間の話はどうしても底が浅く思えるというだけのことや。少なくとも、ワシにとっては営業のネタにはならん。

カポネから聞いた、ウイスキーに関するうんちくをいくつか教えよう。

ウイスキーは、ストレートで飲むのが世界的な常識や。氷を入れたロックや水割りは邪道とされとる。ウイスキーは樽で熟成されることによる琥珀色と香りが命や。水割りは色を薄め、ロックは氷により冷やしすぎるために香りが損なわれる。

グラスも日本でウイスキーグラスとされるオールド・ファッションのバケツ型や、小ぶりのショットグラスが適しとるように思われとるが、ベストやない。香りを楽しみにくいのと、手で直接、グラスに触れることで必要以上にウイスキーが温まってしまう。

脚付きのチューリップ型が最適やと言う。底が膨らみ真ん中はくびれ、上部が広がっとるのがウイスキーにはええとされる。ただ、そのチューリップ型でも、カットや装飾の施したものは良うない。シンプルな無色透明なグラスがベストや。

ウイスキーをストレートでと言うても、アルコール度数が40%以上もあるのを、そう簡単にぐいぐい飲めるもんやない。
それは、日本人に限らず、本場の欧米人でも一緒や。せやから、大抵は、ミネラルウォーターを入れたチェイサーを横に置いて、それをウイスキーと交互に飲む。

最初の一口はウイスキーを好みの適量を口に含み馴染ませることが肝心や。通は口の中で転がすという形容をする。

ウイスキーの基本の飲み方はストレートやと言うたが、例外もある。それは水割りなんやが、その比率は1対1でないとあかんという。

ウイスキーの一般的アルコール度数は40%強や。これを、水を1対1で割ることにより、度数が20%になる。実は、この20%というのが、ウイスキーの香りが最も際立つ度数ということらしい。この割合で混ぜた後、グラスの口をコースターで1,2分、フタをすると香りが更に際立つ。

せやから、良うその辺のスナックのおねえちゃんが、ウイスキーの入ったグラスにミネラルウォーターを適当に入れてマドラーでかき混ぜるというのは、カポネに言わせたら御法度ということになる。

ただ、基本がそうやと言うても、日本人はその水割りやロックでの飲み方に慣らされとるということがある。

特に日本製のウイスキーはその水割り用にブレンドされとるものも多いから、それで飲む方が旨いということもあるしな。

カポネの店は、そういう日本製のウイスキーは置いとらん。それが、こだわりのようや。

当然やけど、こういう店は客も好き嫌いがはっきりしてる。もっとも、好きやと言う者より、敬遠する方が多いようやがな。

一見の客が、たまに迷い込むことがある。しかし、カポネの風貌と店の雰囲気を見て、そのまま引き返すことも珍しいない。例え、座ったとしても、カラオケがない、女がいとらんという理由で文句を言いながら出て行く客もおる。

このカポネは、そういう客に媚びようとかは思わんと言う。本当に、酒の好きな者だけ来てくれたらええという姿勢や。
それで、店の経営が立ち行かんかったとしても仕方ないことやと話す。そのこだわりと潔さがカポネの魅力になっとるのか、常連客も徐々に増えとる。

もっとも、こういう所を好む客も風変わりな連中が多いがな。まあ、人のことは言えんけど。

このカポネのことを話してたらキリがないから、また、何かの折りにでも言うことにする。

その名は、カポネ……、とだけ覚えておいてくれたらええ。


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